【2019.5.26】
インディカー・シリーズ第6戦 第103回インディアナポリス500マイル
(インディアナポリス・モーター・スピードウェイ)
この結果を心の底から望んでいたし、不遜な言い方をすれば最初からこうなるとわかってもいた、といかにもすべてを知悉しているかのように微笑を浮かべてみようか。後出しで賢しらに言っているのではなく、たとえば2週間前に行われたインディカーGPについて書いた前回の文章を読んでもらえば、わたしが迷いを抱きながらもシモン・パジェノーのインディアナポリス500マイル優勝を先見していたと知れるはずだ。その来歴と、来歴を表現する走りそのものを信じるかぎり、世界でもっとも偉大なレースを彼がいつか制するのは自然ななりゆきだったに違いない。パジェノーはすでにブリック・ヤードのヴィクトリー・レーンにふさわしいドライバーになっていて、あとは実際にそこへ足を踏み入れればいいだけだった。昨年のウィル・パワーにとって、一昨年の佐藤琢磨にとって、またもっと以前の勝者みなにとってそうだったように、パジェノーにとってもこのインディ500は長いレース人生を表す「最後のほんの500マイル」としてあった。事実、2019年5月26日に過ぎ去った200周は、まさにわたしが見続けてきたシモン・パジェノーそのものに思えたのだ。静謐に積み重ねられる速さと、一瞬で立ち上がる情動。静けさとけたたましさ、滑らかさと荒々しさの両立。一見して相反するこれらの性質は、根底に流れる繊細な才能によって矛盾なく一個に統合されている。すなわちだれよりもしなやかな技術を持っているからこそふだんは流れるようにレースをたゆたい、まただれよりもしなやかな技術を持っているからこそ、要諦では衝動的な戦いに身を任せながらも破綻せず、激しい印象とともに結果を手元に引き寄せられる。2013年のボルティモア、セバスチャン・ブルデーを文字どおり弾き飛ばして優勝を奪い取った69周目を思い出してもいい。2016年のアラバマで迫りくるグレアム・レイホールに対してあくまで先頭にこだわってラインを閉めて接触した瞬間を振り返るのもいい。あるいは同じ年のミッドオハイオの66周目、パワーの厳しく執拗なブロックをことごとく撥ね退け、とうとうターン12でラインを交叉させながら抜き去った30秒間の攻防でも、もちろんつい先日、雨のインディカーGPで最後の最後にスコット・ディクソンに並びかけた場面でも。パジェノーの有り様には、穏やかな流れの大河が時に氾濫する様子を感じられる。その時々に見せる顔は違っても紛れもなく同じ一本の川の本質であり、そして両面があるからこそ大地に恵みがもたらされる。
ポール・ポジションを獲得したパジェノーは、序盤からまったく先頭を譲らず順調にラップリードを重ねていった。そのレースぶりはきわめて支配的かつ静かで、彼と22号車の好調を示してはいたが、同時に少しばかり上手くいきすぎている不安を抱かせもした。漠然とした感覚ではない。オーバルレースでのスタート順や序盤の趨勢は時として象徴や単なる途中経過以上の意味を持たず、最終的な結果に直結するとは限らない。インディ500において170周くらいまでは予選のようなもので、最後の30周でリードラップにいる者だけに戦う権利が、さらにそのタイミングを万全な状態で迎えられた者だけに優勝争いの権利が与えられる。ゴールはまだ3時間近く先にあり、コースの状況も温度も湿度も、きっとなにもかもが変わる。いまの環境に対応できすぎている状態が、本当の勝負所で仇になる可能性は小さくなかった。事実として、パジェノーはそうした形で何度も楕円の中に敗れている。IRLの発足以来、インディカー・シリーズで唯一オーバル未勝利のチャンピオンであり、通算でもわずか1勝。全体の戦績に比して頼りない結果の中には、中途では明らかな最速を誇りながら周回を重ねるうちにその速さが幻のように消えてしまったレースがいくつかあった。勝者にふさわしい力を持っていたはずなのに、結果だけは得られない。彼のオーバルに見え隠れするのが能力そのものの欠如ではなく、なぜか時機を掴みきれない噛み合わせの悪さだったとするなら、今回もそんな展開が想起されたのである。序盤の期待の先に待っているのは、裏返しの失望かもしれないと。(↓)
実際、レースが進むに連れて不安は増していった。パジェノーがどうやら「はやすぎる」ように思えたからだ。速すぎたし、早すぎた。200周のレースで、スタート直後にイエロー・コーションが導入され、4周のあいだ低速で走行したにもかかわらず、彼はあっという間に燃料を使い切り、後続よりひときわ早い32周目に給油を迎えている。確実なことはなにも言えないが、もし単純に一定の割合で燃料を使い続けるのなら、192周目に第6スティントの燃料が尽きてしまう計算だ。そんな車は他に1台もなかった。おなじシボレーエンジンを載せた同僚でも34周、ホンダエンジン勢に至っては36か37周まで引っ張った。これなら5回の給油できちんと200周に到達する。この時点でパジェノーのレースには少しばかり困難が生じていたのだろう。かといって燃料を節約するには、彼は速すぎた。だれかの後ろに回って空気抵抗を減らそうにも、長く2番手を走るエド・カーペンターはパジェノーの引っ張るペースに満足して、前に出る素振りをいっさい見せなかったのだ。結局パジェノーは64周目――ぴったり32周×2である――に2度目の給油をせざるをえなくなり、6周のコーションに恵まれたこのスティントでさえ99周目までしか距離を伸ばせず、ずっとグリーンで進んだ次のスティントでは30周を走るにとどまった。4度の給油で129周を走り、残りは71周。もう周囲とおなじ給油回数ではゴールに届かないことが明白となって、わたしの不安は最大に達そうとしていた。レースの最初の半分ほとんどを先頭で走って、最多ラップリードを確実にした代償に蝕まれようとしている。インディ500の「決勝」が170周目からだとして、たった30周のレースで1人だけピットストップを行わなければならないのなら、そんな馬鹿げた話はないだろう。だがナンセンスなはずの事態はたしかに現実となりつつあった。これまでのパジェノーと違い、スピードだけはいつまでも失わず力強いままだというのに、まるでそれ自体が牙を剥くように、勝利が少しずつ遠ざかっていくのを感じていた。
圧倒的なリーダーに対して運を持ち出すのは不可思議なものだが、もし別の馬鹿げた事態で状況が上書きされなければ、きっとパジェノーは敗れていた、いや敗れる権利すらなく失意に沈む結果になっていただろう。138周目、ひと目見て速度超過でピットレーンに進入しようとしたマーカス・エリクソンがブレーキをロックさせてスピンし、コンクリートウォールの餌食になったナンセンスが飛び込んできて、最速で支配的だったパジェノーを救った。コーションが10周に及んだのみならず、レース再開後にカーペンターを抜いた同僚のジョセフ・ニューガーデンが20周にわたって前に出てくれたおかげで、ようやく抵抗の少ない場所を走る機会に恵まれたのだ。パジェノーは39周を繋いだ。次のピットストップは168周目で、これが最後の給油となった。残り30周と少し。それでも燃料はぎりぎりと言えたが、本当の「決勝」に進むことはできたのである。
そこからチェッカー・フラッグまでは、インディカーの、またオーバルの、何よりインディ500の、あるいはパジェノーの現在と過去の、およそすべてがブリックヤードに熱量を供給した戦いだったようだ。パジェノーの翌周、この日最大の敵となるアレキサンダー・ロッシが最後の給油を終え、コースへと合流した。2人がいったんリードラップのほぼ最後尾にまで落ちたとき、その差は実に4秒も存在したが、周囲がピットストップで退き、自然と順位を取り戻していく過程で3.5秒に、2.8秒に、2.3秒にと縮まっていく。いまだ燃料に全幅の信頼を置けないパジェノーに対し、燃費に優れるホンダエンジンをロッシは遠慮なく回し、事実上のリーダーを追い詰めていた。そう、レースの序盤とは、コースの状況も温度も湿度も、ゴールまでの距離と燃料の残量も、きっとなにもかもが変わっている。ずっと最速であったはずだったパジェノーはもはやその座を失い、ロッシに優勢を明け渡してしまった。175周目、つまり2人が最終スティントへ飛び出してから6周か7周ばかりで、差はたった1.5秒になった。1.1秒、0.8秒。176周目。ロッシはもうパジェノーのドラフティングに入っている。0.24秒。0.18秒。バックストレートで0.34秒差に広がる。煉瓦で作られたスタート・フィニッシュラインを跨ぐ。0.11秒。凌いだのはターン2までだった。177周目、ターン3の手前でロッシがパジェノーに並びかけ、とうとう2人の位置は逆転する。それはパジェノーがこの日はじめて真っ向からの順位争いに屈した瞬間で、また同時にレースの趨勢が決した瞬間のようでもあった。おそらく燃費走行を要求されるパジェノーに、ロッシを再逆転できる手立てがあるとはとても思えない。しかも逆転からほんの15秒後、セバスチャン・ブルデーとレイホールの接触をきっかけに4台が舞台から下りる事故が発生し、レースは即座にコーション、次いで赤旗中断となったのである。あと半周我慢していれば――。ほんの少しのずれで失った先頭を、どうして悔やまずにいられなかっただろう。赤旗が明け、レース再開までに何周か挟まるであろうコーションの低速周回で燃料を節約すれば反撃の機会が生まれると気づくには、やや時間が必要だった。(↓)
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この日のパジェノーについて、ずっとはやすぎると思っていた。速すぎて、早すぎた。そもそも優勝争いに加われなかったドライバーたちにしてみれば贅沢な話だが、そのために燃料の心配に直面し、レースが困難になったのは確かだった。だから187周目、残り14周で振られたグリーン・フラッグから間髪を容れずにロッシに襲いかかって先頭を奪い返したのも、優勝への最後の一手として、やはり早すぎるのではないかと直感した。先頭に立てば相手の圧力に曝されつづける展開が待っている。燃料はもう十分あるのだろうが、防戦一方だった赤旗直前を見ればパジェノーに優位があるとは考えにくい。様子を見るほうがよかったのではないか、佐藤が優勝したとき、先頭に立ったのは残り5周になってからだった、と。実際その先は呻くしかない攻防が続いた。ロッシはわずか1周後のターン1でふたたびリーダーとなり、また次の周にパジェノーが取り返す。ニューガーデンがロッシの背中を窺い、一時的にパジェノーとの差は0.5秒近くまで広がるが、空気の壁に正面からぶつかる完全な単独走行では振り切るに能わない。やがて、レース序盤のタイヤトラブルで周回遅れになりながらラップバックを果たしていた佐藤がニューガーデンを捉えて3番手に浮上し、戦いに加わってくる。第100回と101回の勝者を背負い、パジェノーが逃げる。ターン4を小さく小さく回り、インに飛び込ませないように。それから数周ばかりささやかな膠着が続くあいだに、佐藤は食いつききれずじりじりと離されていき、逆にロッシはストレートのたびドラフティングを利用してパジェノーに吸い寄せられる。パジェノーは逃げている。197周目が終わろうとしている。ターン3とターン4の間の短い直線で車半分内側を通すパジェノーに対して、ロッシは壁際の数インチのところまで寄せて車速を伸ばす。新たな周回が数えられてターン1、みたびロッシがパジェノーの壁を破った。進入がわずかに窮屈となったパジェノーは車速を失い、またしても佐藤の攻撃に曝される位置にまで後退した。(↓)
あるいはロッシもわずかに早すぎただろうか。シボレーエンジンの燃費にさんざん悩まされたパジェノーは、しかしその代わりのように振り絞られた出力で戦いの場へと引き戻された。一度は大きく広がったロッシとの差が、たった2本の直線の間でまた無になる。199周目のターン1、ロッシは空間を与えないためにミドルラインから進入せざるを得ない。ターン2の立ち上がりでは後ろの勢いが勝る。「行ってくれ」と、わたしは祈るように言ったかもしれない。バックストレートの先で、ロッシはインを押さえようとした。だが速さに任せて、パジェノーは外から駆け抜けていった。
先頭で迎えるホワイト・フラッグ。いや、それもまだ早すぎる、半周早かったかもしれないと、わたしは息を凝らした。パジェノーが200周目のターン1でロッシを交わしたなら、反撃の機会は絶対になかった。ところが半周早く順位が入れ替わった結果、ホームストレートで再接近し最後のバックストレートで抜き返す可能性が相手に生まれた、生まれてしまった。はたしてロッシはターン2で、199周目のやりとりをそっくり入れ替えたように先頭を捕まえる。パジェノーはインから立ち上がった。ロッシが追従する。外へ。続く。佐藤も追うが、すでに脇役となっている。ふたたび内へと進路を向け、縋るロッシが外へと持ち出そうとしたのに合わせて、パジェノーも寄せた。199周にわたって重ねてきた静謐な速さの土台に、一瞬の激しい情動が立ち上がる。都合3度、見方によっては4度とも捉えられかねない執念のレーン変更。相手の機先を制して動きながらドラフティングを振り切る、来歴を表す激しい機動は実った。早すぎたパジェノーは結局、だれよりも速かったのだった。要のターン3へ、パジェノーは最初に飛び込む。ターン1は訪れない。この日最後のターン4を立ち上がってスタート・フィニッシュラインまでの短い距離のあいだに、ロッシができることはもうなかった――。(↓)
さて、ごくごく私的な、しかし少しだけ構造的な話をしよう。チェッカー・フラッグとともにわたしは自室の床にへたりこみ、年甲斐もなく両手で顔を覆って号泣した。心の底から望んでいたし、最初からこうなるとわかってもいたゴールを迎え、誇張なしに声を上げて泣いていたのである。一昨年も昨年も泣いてしまった記憶はあるが、今年揺さぶられた感情は比較にならなかった。本来、「あるべき」と信じるものと「あってほしい」と願うものは必ずしも一致しないはずだ。昨年の結果はわたしにとって前者で、インディカーの中で長い年月をかけて気づけば最高のオーバル巧者へと変貌したウィル・パワーを、インディ500は勝者として迎える責務があると思っていた。そうあるべき理想が、余韻を味わわせるようなレース展開で実現したために、わたしは静かな感慨に耽ることになった。一昨年はもちろん後者であり、率直に言って戦前に佐藤琢磨があの結末に導かれると考えてはいなかったものの、いざすべてが結実しようとするときには一人のレース好きとして歓喜に震えずにはいられなかった。
だからわかる。過去2年に流した涙と、今回のそれは明らかに異なっている。パジェノーの優勝に対して抱いた感情は、単純にまとめるならきっと両者が混淆した、しかしそれよりはもっと複雑な理想が心のうちで激しく絡み合ううちにふっと零れ落ちたわたしそのもののひと欠片だったのだろう。あるときからわたしはパジェノーの「静謐に積み重ねられる速さと、一瞬で立ち上がる情動」に心を打たれ、そして同時に、その特質によって彼は頂点に上り詰めるだろうと信じるようになった。こうなってほしいと願っていたし、こうなるべきだとわかってもいたのである。この両立はきっと、ただ無邪気にレースを好きなだけでいるのではなく、まただれか一人に自分を仮託してひたすら視線を送るファンとも、あるいは限りなく客観的に現象を捉えようとする評論家のあり方とも違い、レースという営為に自分なりの物語を見出す観客でありつづけようとしてきたわたし自身が作り上げ、自分に捧げた結論だった。それがいま本当に現実となったのだ。あるいは完全な蛇足を承知でそれでも付け加えさせてもらうと、最後にドラフティングを阻んだパジェノーの情熱的な機動は、わたしが青春時代に愛し、その夭逝に落胆したグレッグ・ムーアが1998年のU.S.500でチップ・ガナッシを破った際のそれを彷彿とさせるものでもある。つまり彼が走ることの叶わなかったインディ500に、パジェノーは記憶を蘇らせてくれたということでもあった。こんなふうに、わたしが観客として見てきたものと願ってきたもののすべてが、103回目のインディ500には詰まっていた。それはわたしが選んできたわたし自身のありかたの、紛れもなく集大成だった。このブログに意図的な最終回というものがあるなら、今回を措いてないだろうと思うほどに。レースを見ることの意味、インディカーを愛することの価値を発見する。止められなかった涙に溶けていたのは、つまり、たぶんそういう理由だった。
わたしのことを知ってくれている何人かから、レース後に祝福を受け取った。冷静に考えるとなんともおかしな話で、フランス人ドライバーがインディ500に優勝してわたしになんのかかわりがあるだろう。日本人で泣いていたのだってわたし一人かもしれないし、ついでにいえばこれまでに書いてきたレースの見方など、専門家に言わせれば半分も合っていないに違いない――わたしは何をどうもってしても当事者ではない。しかし、そうした当事者の専門性とは切り離されたところに、観客としての愉楽はきっとある。レースの構造を自ら捉え、それをただただ私的な理想へと還元していくこと。あるべき真実を信じながら、あってほしい願いの成就を祈ること。勝つべきパジェノーが、勝ってほしいパジェノーが本当に勝った。それはわたしの物語の、たしかに祝福に値する結末だが、別の機会にはだれかの物語が完結を迎えるはずだ。観客の数だけそれは存在する。インディ500がこうして幕を閉じ、わたしはようやく具体例をもって観客のありかたを言語化できたのかと、いまは思っているところである。■
Photos by :
Chris Owens (1, 7)
Tim Holle (2)
Walter Kuhn (3, 5, 6)
Joe Skibinski (4)