ドライバーの本質すべてを表したシモン・パジェノーの20秒間は、きっと500マイルに繋がるだろう

【2019.5.11】
インディカー・シリーズ第5戦 インディカー・グランプリ
(インディアナポリス・モーター・スピードウェイ・ロードコース)

そういえば2017年の夏だったか、長きにわたって勝利から遠ざかったままだったエリオ・カストロネベスについての観察を述べたまさに直後のレースにおいて、彼はちょうどわたしが弱点と見なした一瞬の情動の欠如を埋める走りを表して表彰台の頂上をもぎ取ったのだった。何かの拍子に紛失しずっと探していたジグソーパズルの最後の一片を絨毯の裏からようやく見つけ出し嵌め込んだ、本当に足りない要素だけを正しく補った優勝だったことを、いまでも好ましく覚えている。観客としての視線だけに頼りながらひとつのレースカテゴリーについて何年も文章を書いていれば、こんなふうに感覚と現象がきれいに接続される――順接にせよ逆接にせよ――瞬間に恵まれる機会にも遭遇するのだろう。チップ・ガナッシ・レーシングの振る舞いを難じたところやはり次のレースで心変わりしたかのように戦ったこともあったし、あるいはジョセフ・ニューガーデンの歩みとこのブログのいくつかの記事はある程度重なりもする。ウィル・パワーのインディアナポリス500マイル優勝を半年前からぴたりと言い当てる結果になったのはさすがにできすぎだったとしても。

 もちろんこれらは、観察が根底にある予感といえども結局のところ意図しない偶然的な一致であり、2019年になってロングビーチGPに溢れて止められなくなったシモン・パジェノーへの感傷を心に任せて綴ったことが、同様に復活へと接続されると最初から信じていたはずはない。まして直後のインディカーGPで突然に速さを取り戻して優勝するなどと都合のよい物語に浴するだろうとは思いもしなかった。グランプリ・オブ・インディアナポリスという名称ではじめて開催された2014年以降、パワーとパジェノーしか勝利したことがない不思議な因縁を持つレースであるとは知っていても、必然性に欠ける妙な過去の記録が長い隧道に迷い込んだかつての王者の助けになると考えるほど迷信深くもないつもりだ。当の記事に意図があるとしたら、優勝への再帰に対する期待ではなく、わたし自身がパジェノーを頂上に導いた特質をいまだ忘れずにいると確認する程度のもので、いまは影を潜めてしまっている彼のしなやかな走りがやがてふたたび現れるのなら、たとえ表彰台とはまったく縁遠い、ただ中団の順位を争う一幕に過ぎない刹那だったとしても、かならず見つけて掬い取ろうという心情を表す以上の意味はなかった。しかしなるほどこうして何かを書いていれば、順接にせよ逆説にせよ感覚と現象がきれいに接続される瞬間にだって遭遇するものらしい。ロングビーチからわずか3週間、インディカーGPのパジェノーは、わたしにとって計ったようなタイミングで、彼に特有の美しくしなやかで、最後には激しい運動を見せてくれた。ただまた、わたしの期待はどうやら控えめに過ぎたようでもある。パジェノーの運動をあえて見つけようとする必要などなかった。そうしなくともだれもが自然と注目する、予感しなかった優勝争いの中心で、それは表現されたのだから。

 スタート前から上空に分厚い雲が広がり、いまにも落ちてきそうな雨をつねに案じなければならないレースだった。最初のフルコース・コーションで作戦が二分されたのもそのためで、ニューガーデンを筆頭とする半数が給油を優先した一方、スコット・ディクソンを始めとした残りの半数は雨に合わせてウェットタイヤへの交換と給油を同時に行うべくピットを先送りしたのである。結果としてしばらく降雨はなく、以降はニューガーデンの集団とディクソンの集団が互い違いにピットストップを行ってラップリードを分け合いつつも、最初の給油で失った時間をコーションで帳消しにできたニューガーデンがわずかに有利な状態を維持しながら進行していった。(↓)

最多ラップリードを記録したディクソン(左)。ポール・ポジションを獲得したローゼンクヴィストと合わせ、チップ・ガナッシのレースは盤石に思えた

 

 そのまま何事も起こらなければ単純に締めくくられたかもしれないインディカーGPは、しかし結局中途の展開にさほど意味はなく、すべてが59周目に集約されてからあらためてスタートが切られたと言ってもよいだろう。インディアナポリスで行われる5月の2戦だけインディカーに戻ってくるエリオ・カストロネベスがスピンを喫してエンジンを止めてしまったことで、レースはとびきりの混乱を引き連れて振り出しに戻った。ちょうど最終スティントの入り口にさしかかる時間帯に発生したトラブルに対し、ほとんどのドライバーはコーションを察知してピットへと飛び込んだのだったが、そこでふたたび天候への対応が分かれたのである。すなわちいつか降ると思われた雨がいまだ弱いままでいるなか、たとえば先頭を走っていたニューガーデンは現在の天候を信じてドライタイヤを履き、最初の選択を誤ったディクソンは今度こそ雨を見越してウェットタイヤに換えた。赤にベットするか黒にチップを積むか、それはふたつにひとつの、根拠の不確かな賭けだった。どちらに転ぶかわかるはずもないまま、他のドライバーも次々とピットへ戻り、銘々の判断で異なるタイヤを履く。そしてそんな混乱が少しずつ収まっていく様子を見て取ると、レース・コントロールはゆっくりとフルコース・コーションを告げた。

 正解が示されたのはわずか3周後のことで、まだコーション中の62周目あたりからとつぜん雨が本格化し、ドライタイヤを選んだ車はウェットタイヤを履き直すためにもう一度余分なピットストップを行わなくてはならなくなった。リーダーだったニューガーデンはこの誤りで勝機を逸する(チームクルーがピットレーンにタイヤを転がし必要以上に順位を落とすありがたくない付録まで受け取って)。賭けに勝ったのはディクソンで――そしてパジェノーはといえば、そもそも賭けに参加すらしていなかった。チーム・ペンスキーは自らのドライバーがスピンしてエンジンを止めてしまったとき、5番手を走っていた同僚をコースに留め置いてコーションを迎えたのだ。どういう意図だったのか、そもそも意図があったのかはよくわからない。給油せずに走らせ続けてもパジェノーの燃料はゴールのはるか手前で底を突いてしまうのだし、一方でコーションの直前にピットストップを終え、最後まで走りきれるライバルたちは隊列の整理に従ってすぐ背後に付いている。どう考えても後手に回ってから状況を覆すすべはありそうもなかった。そう、勝つにせよ負けるにせよ、とにかくチップを差し出さなければ始まらない場面で、しかしパジェノーはルーレットの回転盤でボールが転がるのを指を咥えて眺めるだけだった。これで彼のレースは終わったようなものだ。ステイアウトしたことで押し出されるように先頭には立ったものの、ボーナスの1点を得られるだけで、結果には何も寄与しない徒花のラップリードに違いなかった。(↓)

マルコ・アンドレッティはレッドのドライタイヤからウェットへ。二分された判断がレース結果にも影響した

 

 勝負の機をむざむざ見送ってしまったパジェノーに救われるところがあったとしたら、ニューガーデンと同様に、タイヤ選択の賭けに負けた車が半分近くいたことだろう。隊列が整った後にピットストップを行う場合、本来ならリードラップの最後尾付近まで順位を落とすはずなのに、今回に限ってはウェットタイヤへ履き替える車が大挙して続いたために6番手でコースへと復帰できたのである。ただ、それは望外な幸運ではあったものの、率直に言ってしまえば完全に結果論的ななりゆきで、リスタートの先に何かを予感させる展開ではなかった。パジェノーが一時的にでも先頭に立ったのはあくまでコーションを見送った結果の産物であり、そこに至るまでの彼は必ずしも優れた瞬間を見せていたわけではなく、過去1年半ずっとそうだったように多くの時間で中団に埋没していたからだ。いまパジェノーの動きを詳細に記しているこの文章にはいくばくかの嘘が雑じっており、つまりいかにもレース中から彼の一挙手一投足に注目していたかのような書き方をしているが、本当は進行中に正しく状況を掴んでいたわけではなかった。コーション中にピットに入ったにもかかわらずさほど順位を落とさなかった経緯にかすかな疑問を抱いただけで、あらためて録画を見返して顚末を理解したに過ぎないのだ。彼にまつわる運動を見つけたいと思っても叶わない、レースが最後の局面を迎えるまでパジェノーはたぶんその程度の存在だったのである。

 いっとき強まった雨がまたすぐに小降りへと移ろい、リスタートから少し経っただけで走行ラインから水が弾き飛ばされて乾きはじめる路面状況だった。わたしがパジェノーを不思議に思ったのは、ペースの上がらないスペンサー・ピゴットとエド・ジョーンズを交わして4番手に上がり、続けて表彰台を狙うべくマティアス・レイストを追いかけているさなかの、おそらく71周目のことだ。バックストレートの手前に配された左、右と切り返すターン5とターン6――さほど窮屈でもないシケイン状の連続コーナーを通過するとき、彼の黄色い22号車が際立って上下動したと見えたのである。その挙動はずいぶんと奇妙で、引っかかりを覚えて翌周まで目を凝らすと、なるほど他の車がターン5の内側の縁石に左の、続くターン6の縁石に右の前輪をわずかずつ引っ掛けながら通っていくのに対し、パジェノーは横方向への加速度を抑制するためか、前者には触れもせず、逆に後者には右前輪を大きく載せて、直線的に立ち上がっているようだった。路面と縁石の段差を正面から乗り越えたせいで、車が大きく弾んだのだ。

 運転を誤ったのではなかった。次の周も、また次の周も、ターン6を飛び跳ねながら通り過ぎるのを見れば、意図的にそう走っていることは明白だった。はたしてその意図がどういうものなのかわかるはずもない。あるいは実際に速いラインなのかさえ、画面を見るだけでは窺い知れなかった。しかし、そこに込められた意味とはまったく無関係に、眼の前に現れる現象だけが、縁石の対処の異質さそのものが、わたしの心を捉えて離さなかった。それはまったく不足なく、パジェノーらしさを表現する動きだったからだ。わたしがインディカーに参戦した当初のパジェノーに惚れ込んだ理由が特有の縁石の踏み方だったことは何度も書いたとおりである。ボルティモア、ロングビーチ、デトロイト、トロント、ヒューストン……市街地コースに設置されたあらゆる高い縁石に対して巧みにタイヤをあてがい、髪をブラシで解くかのように柔らかく流しながら通過する。わたしが最初に感じたパジェノーの特質は、コーナリングの瞬間に現れるこうした美しい挙動だった。大げさに言えば、パジェノーは縁石への正しい「角度」を測るための自分だけの分度器を持っているように見えたのだ。その唯一たる才能がまだ強豪とは言えないチームにあってさえ数多くの表彰台と優勝を獲得させ、やがてシリーズ・チャンピオンへと至らしめた何よりの原動力になったと、彼の優れたレースを見るたび考えていた。今回もまたおなじだ。雨のインディアナポリスで、縁石を飛び越えながら眼前の敵を追いかけているパジェノーの姿は、そうした過去と重なるものに違いなかったのである。(↓)

雨を得てパジェノーはペースを掴む。この時点ではまだ4位だったが……

 

 先のロングビーチで1年半ものあいだ消えてしまっていると嘆いた走りが、突如として戻ってきていた。柔らかく、しなやかな、前回の記事の表現をふたたび持ち出せばろうたけた運動が。一見すると、彼の来歴に見た姿と今回のそれはまったく逆のようでもあった。縁石を乗り換える際に激しく上下に揺れる挙動からはたしかに、柔軟さより硬質さを、洗練より荒々しさを感じもするはずだ。しかし車の動きではなく、パジェノーというドライバーの有り様に視線を移せば、やはりなにも違いはないと思えてこよう。周囲に比して深い角度で縁石にタイヤをぶつけ、飛び跳ねるように乗り越えながらも、次の瞬間にはぴたりと路面に追従して挙動を乱さない繊細さ。ひとたび地面から離れわずかでも空中に浮いた車はどんな操作も受け付けないはずなのに、破綻の危険を収めて美しい姿勢を維持したまま直線に向かい加速していく。荒々しい現象を鎮められるのは、内面にあるドライバーの技術だ。だからたとえ車が暴れて見えたとしても、根底にはきっとパジェノー自身の変わらぬ柔らかさが流れている――だれよりも柔らかく走れるからこそ、だれよりも激しく車を動かせる。両者は相反する性質ではなく、たぶん同じコインの裏表なのだろう。そぼ濡れるシケインに、彼はそんなふうにして才能を表出させていた。

 やがてレイストをターン1のブレーキングで外から抜き去り、ジャック・ハーヴィーを追いかけるようになったころ、空撮映像がシケインの様子を捉える。はたしてパジェノーが、ただ一人だけターン6の縁石を深く踏み込みながらバックストレートへと進んでいく場面がはっきりと映し出されて、わたしは波乱に満ちたインディカーGPに深い満足を得た。レースは間もなく終わりを告げようとしている。速度差を考えれば、ほどなくハーヴィーを交わすだろう。先頭をゆくディクソンははるか先に遠ざかってしまったが、最後にはどうやらすばらしい結果になりそうだ。表彰台に上がれるなんてレース序盤には考えられなかったし、ロングビーチまでのもっと長く苦しい時間を思えば望外でさえある。なによりここに至るまでの過程に、パジェノーの優れた特質がついに取り戻されたのだから、インディアナポリスの2週間の幕開けとしては十分に好ましい2位だった――。

***

 インディ500が近づいている。すばらしい5月を迎えた当初、可能性を考えるのは難しかった。迷信深くないと嘯きながら21世紀のシリーズ・チャンピオンはみな順々にインディ500を優勝していると書いたりしてみても、去年のパワーに対して抱いたようには、パジェノーがブリックヤードに祝福されると確信などできなかった。だがインディカーGPがあんな形で終わってみると、自分の心変わりを恥じつつパジェノーを信頼したくなってくる。

 そう、あんな形で。予想もしなかったことに、パジェノーはディクソンと隔てられた5秒以上の差をわずか数周で無にした。少しずつ路面が乾いていく難しい状況下、プッシュ・トゥ・パスを消尽し、出力を上げられなくなりながらも、タイヤを巧みに使って1周1秒以上も速いタイムを刻んだのだ。そうして84周目に信じられない瞬間が訪れる。パジェノーはターン6をおなじように深く踏み越えてバックストレートでディクソンの背中を捕まえた。すでにフロントタイヤの手応えを怪しくしていたディクソンはわずかにブレーキングポイントを過ち、ターン7の頂点を外す。パジェノーが鼻先をねじこみ、内と外の入れ替わる直後のターン8を2台が接触せんばかりの距離で並走したとき、このレースの本当の決着は現れた。ディクソンはまだ位置の優位を失っていない、だが距離の損を覆して、パジェノーの速度が勝った。細い糸を張り詰めるような制御を繋いで一歩も退くことなく並びきったパジェノーは、ふたたび内と外が入れ替わるターン9の頂点を奪い、最後の1台を抜き去る。P1。たしかに先頭だ。パッシングのさなかに快哉を叫び、1周半ののちのチェッカー・フラッグを迎えても、まだ少し呆然とするような結末だった。(↓)

穏やかな笑みに長い不調を脱した安堵感が滲んでいるだろうか

 

 ほんのわずか生じた機会に迷わず身を投じ、接近戦を厭わずにものにする情熱的な機動。パジェノーが自らを予想しない優勝に導いたのは、そう評することもできる運動であっただろう。それは、柔らかさと並ぶ彼のもうひとつの特質だったと思い出す。2016年、彼は静謐な速さと、アラバマやミッドオハイオで見せた衝動的な戦いを両立させて、チャンピオンとなった――いや、少し違うだろうか。この日シケインで見た、柔らかい運転によって激しく縁石を越えていく様子がひとつの才能を象徴するコインの裏表だとするなら、静謐と情動の二面性もまた、独立した異なる性質の両立ではなくやはりひとつの才能が示す表層的な違いだ。だれよりも繊細に走れるからこそ、だれよりも限界を恐れず戦うことができると、そう言い直すべきなのかもしれない。だとしたらどうだろう。84周目のターン6からターン9までの20秒間、彼がディクソンを追いかけ、制するまでの時間は、シモン・パジェノーというひとりのレーシングドライバーがインディカーに重ねてきた歴史、彼を一本に貫く強固な唯一の本質そのものになぞらえられるはずだ。パジェノーは自分自身を凝縮し、余すところなく表現することで、困難なレースに優勝した。もちろんそれ自体がすばらしい場面であったが、また同時に、この時期に取り戻された輝きは何よりもインディ500へと繋がるに違いない。昨年のパワーやその前の佐藤琢磨がそうであったように、ドライバーとして生きてきたすべてを走りに表現できる者にこそ、インディ500を勝つ資格はある。今回の優勝で、パジェノーがその資格を失っていないことはたしかに示された。もちろん、最高の運動によってだ。

 5月を迎えた当初、まだ信じることは難しかった。だが今に至って、わたしは彼こそがヴィクトリー・レーンにふさわしいと思っていると、心変わりを認めよう。人生を500マイルに捧げられるのならば、ブリックヤードは歓迎するはずだ。歓喜のときはきっと待っている。すでに速さも証明した。5月26日、シモン・パジェノーは、世界でもっとも偉大なレースをポール・ポジションから走り出すことが決まっている。■

Photos by :
Chris Owens (1, 5)
Joe Skibinski (2, 6)
Mike Harding (3, 4)

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