【2019.7.28】
インディカー・シリーズ第13戦 ホンダ・インディ200・アット・ミッドオハイオ
(ミッドオハイオ・スポーツカー・コース)
2017年のゲートウェイで、ジョセフ・ニューガーデンはシモン・パジェノーと接触した。序盤から圧倒的な速さを見せて百数十周をリードしていたにもかかわらず、フルコース・コーション中に行われた最後のピットストップで同僚に逆転を許したレースである。2番手に下がってしまったニューガーデンはしかし、217周目に自己最速タイムを記録して、リーダーの後ろについたのだった。パジェノーは同じチームに移籍してきてまだ1年目の若者をすでに大きな脅威とみなしており、ターン4の立ち上がりからホームストレートを走るあいだ、ずっと警戒をもって内側を閉めていた、1台分か、続くターン1の進入でそれより少し狭くなる程度に。コントロール・ラインを過ぎターン1へと至るとき、傍目にそこは潜り込める場所には見えず、攻める側が自制していったん撤退し、ふたたび戦いをやり直すべき局面に思われた。だがまさにパジェノーがコーナーへ進入しかかった瞬間、ニューガーデンは路面に積もった埃をタイヤで巻き上げながら、委細構わず狭い隙間に鼻先をねじ込んだのだ。車体半分だけ並びかけ、コーナリング空間を確保しようと車をかすかに右へと振る。ほんの30cm程度の動きだったものの、すでにじゅうぶん接近していた2台は触れ合った。ニューガーデンの右前輪と、パジェノーの左側面中央付近。接触した部位どうしを見れば先行側にまだ優先権があったと察せられるが、200mphを超えていただろう速度で内側から旋回の軌跡を乱されたパジェノーは遥か外の壁に進路が向き、スロットルを戻さざるを得なくなった。先頭はふたたびニューガーデンのものとなり、レースは事実上決着する。路面のグリップが低く、空力的にも過敏で前の車に近づけないために追い抜きが困難だったゲートウェイの静かな流れはこの一瞬だけ突如として暴れ、そしてすぐに静まった。パジェノーは3番手にまで後退し、ゴールまで何かが起こることはなかった。
レース後にパジェノーが怒り心頭に発した言葉をいくつか残したことからも、その動きが危険を孕むものだったのは間違いない。おなじチームの中で争うにはあまりに厳しい進入だったし、最終的に大きな破綻に至らなかったのも、パジェノーが卓越した技術で事故を回避してくれたからとも言えるだろう。しかしそういった否定的な面をわかったうえでなお、たった10秒の間に行われたこの攻防に、ジョセフ・ニューガーデンというドライバーの偉大な才能の横溢を見てもよい。彼自身を象徴した場面だったと断言することもできる。劣勢に陥ったとしても、勝敗の分かれ目で挽回し好機を手繰り寄せる速さ、いざ訪れた機会に攻撃へと邁進する意志。あの逆転が成し遂げられたのは、きっとそこにいっさいの迷いがないからだった。たった0.2秒で15mも進み、「判断」さえがつねに手遅れになる速度のもと、しかし一瞬も躊躇う様子を見せないのは、その場その場の状況に日和見するのではなく、根底の精神が自らをつねに前に押し出すよう定めているからに他なるまい。
もちろん「象徴」だと言ったとおり、こうした良質な運動はこのときに特別な1回きりの偶然ではなく、何度となく現れた記憶されるべき情景のひとつに過ぎない。ミッドオハイオにしても、アラバマにしても、彼の優れたレースにはいつだって鮮烈な印象が伴っている。ただ、それでもなおあのゲートウェイが白眉だったとすれば、接触によって失うかもしれなかったものと、追い抜きによって実際に得たものの両方が、具体的な事実としてとても大きかった点に理由を求められよう。2017年シーズンの閉幕まで3レースとなっていた当時、ニューガーデンは26歳にしてはじめての王座に向けて選手権の首位に立っていたものの、2位のスコット・ディクソンに対して持っている点差はけっして大きくはなく、ほんの18点だけだった。ゲートウェイの接近戦は、そのディクソンが3番手を走行中に行われている。つまりもしニューガーデンがパジェノーと強く接触してレースを終える事態になれば、優勝はディクソンのもとへと転がり込み、ポイントリーダーも簡単に移行してしまう、そんな危うい状況だったのだ。当人がどこまで状況を細かく知っていたかはともかく、もし選手権を計算する保守的な思考が少しでも頭をよぎったなら、わずかにでも体が躊躇に支配されたなら、あの狭い空間に向かっていくなど到底できなかっただろう。状況を「冷静に」考えれば、2位でも構いはしないレースだったのだから。だが、ニューガーデンは迷う素振りも見せず飛び込んだ。白線を跨ぎ、縁石までを踏まなければならない場所に自らを置いた。その動きには、賢しらな思惑を超えて、いまこのレースのために、目の前の相手より速くあるために、ただひとつ先のコーナーだけを見据える信念がたしかに貫かれている。まだ見ぬシリーズ・チャンピオンにもっとも近い場所という暫定的な地位に怯えず、ただ情動に身を委ねてしまえる。それはきっと、レースという営為を突き詰めていった先にある純粋な本質だ。レーシングドライバーにとってもっとも重要な本質を擦り減らさずに持ち続けていたからこそ、きっとニューガーデンはあそこにいられたのだった。
それに、地位を賭した激しい運動に飛び込んだからこそ、彼は本当にチャンピオンを得た。すばらしい精神が結果に結びついたといった曖昧な意味ではなく、もっと直接的、具体的に、あの攻防の顛末は2017年を決する要因となったのである。ゲートウェイの後、ニューガーデンはワトキンスグレンでグリップしないピットレーンに足を掬われて18位に留まり、得点が2倍となる最終戦のソノマではパジェノーと再度の激闘の末2位となっている。そうしてシーズンが閉幕すると、2人の得点差はたった13しかなかった。優勝50点、2位が40点で、入れ替われば差し引き20点差。つまり、もしゲートウェイのニューガーデンがディクソンに先着することだけを十分な成果と考え、パジェノーに挑まず安全な2位を得て満足していたなら、あの危険に身を投じなかったとしたなら、選手権は逆転していた計算になるのだ。もちろんこれは仮定の話でしかなく、あるレースの結果が違ったなら後の展開もまた変わると考えるほうが自然ではある。だが机上の計算を弄してみた際に、2017年の選手権を左右しえたもっとも明快で決定的な分岐点がゲートウェイの218周目だった――これより前では状況を変化させうる仮定の要素が多すぎ、これより後には変化を起こしうる何事かは起こらなかった――のもまた間違いない。冷静に考えれば2位でも構わなかったはずのレースは、実際には絶対に2位であってはならなかった。ニューガーデンはその未来を知らないままに危険を冒し、ひとつの果実をもぎ取った。それは、もっと大きな収穫へと繋がっていたのである。
気付けばもう2年が経った。この間、シリーズには20代のドライバーが増加して世代交代の萌芽が覗き、ニューガーデン本人は30歳の節目が視野に入りはじめて、若手と呼べない時期に差し掛かっている。とはいえ、彼自身の有り様はおそらくほとんど変化していない。王者としてカーナンバー1をつけて戦った昨季も、また防衛を果たせず挑戦者の立場に戻った今季ここまでも、時に目の覚める速さでサーキットを支配し、だれにも真似のできないパッシングを鮮やかに完成させて、その本質をひとつずつ証明してきた。一方で、踏み込みすぎてレースを毀損したことも何度かあった。ゲートウェイ直後のワトキンスグレンもそうだったかもしれない。昨季のトロントではコーションが明けるリスタートの加速でアンダーステアに陥り壁に激突しているし、今年も同じ場所で軽くタイヤをこすり肝を冷やした。縁石に乗りすぎて飛んでいったこともある。先日のデトロイト・レース2ではターン3の進入で完璧なパッシングを決めたと思いきや、旋回中にスロットルを開けすぎたかリアを振り出してあっけなくスピンした。2017年も今年も、優勝した回数やハイライトならだれより多い。にもかかわらず、選手権の得点はいつも印象ほどには積み上がっていない。そんなドライバーだ。優れた才能に支えられた攻撃的な感性の代償が、均衡と破綻の臨界点でせめぎ合う。
だとすれば、ポイントリーダーとして迎えた2019年のミッドオハイオもまた、ありうべきニューガーデンのレースのひとつだったのだろう。当地にもまた、彼の記憶はいまだ鮮烈な色彩を保ったまま残っている。インディカー・シリーズもわかっていて、公式ツイッターアカウントは開催が迫ると、2017年と2018年に彼がまったくおなじ動きで追い抜きを決めた場面を並べた短い動画を作って紹介した。このブログでも「たった一度のコーナリングに、3年の歳月が宿ることもある」(2017年8月8日付 https://dnf.portf.co/post/357)と「ジョセフ・ニューガーデンの来歴は現在の運動に内包されている」(2018年8月18日付 https://dnf.portf.co/post/557)に詳述した、いつまでも忘れがたい出来事だ。ターン2の立ち上がりで前の車を捕捉し、わずかに折れ曲がる全開のターン3で内側を守らせて窮屈なラインを強いる。自分自身は外を回り、背後で息を潜めたまま、しかしターン4の進入に備えて相手が懐を開けた刹那に、突如としてラインを交叉させながら飛び込んでみせるのだ。カントを生かし、ブレーキを引きずりながら高難度の円いコーナーに対して直線的に進入するニューガーデンの虚を衝く動きに、ウィル・パワーもアレキサンダー・ロッシも反応できず、挙動を乱し、あるいは限界まで車体を寄せる抵抗が精一杯で、順位を明け渡さざるを得なかった。円弧のなかに現れる魔法のようなコーナリング。どちらも、弛まぬ攻撃性を高い技術によって実現させた、だれにも真似できないニューガーデンだけの特質が現れた瞬間だった。(↓)
もちろん、眩い過去が現在におなじ成功を約束するわけではない。奇妙な縁で、今年予選3番手に位置したニューガーデンの前に並ぶフロントローの2人は、まさに過去2年で攻略したパワーとロッシだったが、残念ながら今回ばかりは当時の再現を果たせなかった。惜しい場面はあった。コントロール・ラインではなくターン2を立ち上がってから切られるスタート直後、ターン3で内側のラインをとったニューガーデンは、目の前のパワーを避けるために外へと持ち出そうとするロッシの懐へとたしかに潜り込んだのである。ロッシは警戒を解かず、逃げ場のある外に出るか、後方を牽制するべく内へ切り込むか迷う素振りを見せたものの、結局ターン4の進入に備えて前者のレコードラインを選択する。内側が空く。そこに深いブレーキングを託せたなら、3年続けてすばらしいパッシングが目撃されたはずだった。ただ、事実上スタートして最初のコーナーだった状況に、運動は阻まれた。ロッシが開放した空間のすぐ前にはポールシッターのパワーがいて、飛び込んでしまえば追突は免れえなかったのである。ニューガーデンはロッシより先に減速して撤退せざるを得ずに最初の機会が途切れ、以後は単独で走り続けるばかりだった。
後々の展開を見るに、ニューガーデンにとってはこの1回にしか印象を残せる機会のないレースだったかもしれない。ところが、ミッドオハイオは不思議な捩れ方をした。というのも、寿命の長いプライマリータイヤでスタートしたディクソンが、第2スティントで履き替えた高グリップのオルタネートタイヤを思いのほか長く使いこなせたのを見て、最後のタイヤ交換でもそちらを選んだからである。なるほど予選8位に過ぎなかったディクソンが逆転に成功して事実上の先頭を得たのはこのオルタネートタイヤで速いペースを刻み続けた賜物だったが、いくら一度うまくいったといっても、周囲より1回少ない2ストップ作戦を採用して長いスティントを乗りこなさなければならない状況で、優勝に手を掛けているにもかかわらずあえて寿命の短いタイヤを履く判断にことさら利益があるとは思われなかった。いつも安全に事を運ぶディクソンとチップ・ガナッシ・レーシングにしては積極的に過ぎる選択と訝るうちにレースは進む。国際映像を提供するNBCも担当エンジニアのマイク・ハルにその判断を問い質し、「わからないね」とはぐらかされていたが、はたして懸念は現実となった。80周目には6秒あったリーダーと2番手との差が、たった5周で2秒まで接近したのだ。ディクソンのタイヤは、明らかに機能を失った。そしてこの展開がニューガーデンを刺激し、レースの結末を左右したのである。(↓)
ディクソンはペースの低下を止められず、スティントの入り口で気持ちよく交わした周回遅れにまでふたたび詰め寄られて、渋滞の大元になってしまっている。最終90周目へと突入したとき、初優勝を狙う同僚のフェリックス・ローゼンクヴィストはもう0.3秒差に迫り、後ろには長い隊列が連なった。周回遅れを2台挟んで、3番手のライアン・ハンター=レイ。直後に、ニューガーデンが続いていた。ニューガーデンはスタート直後の攻撃を諦めた後、しばらくはパワーとロッシの3秒ほど後方に付き従うだけだった。だが2ストップを選びながらディクソンほどには生かせなかった彼らに対して3ストップで奮闘し、ローゼンクヴィストとハンター=レイに先行を許したものの4位に踏みとどまって最後の周を迎えたのである。過去2年のような存在感こそ発揮できなかったが、中盤に先頭を走った際にはリーダー・ファステスト・ラップも記録した。ただ、同僚のペースも鑑みれば、周囲の強力なライバルがほんの少しだけチーム・ペンスキー全体を上回ったといえるかもしれない。レースはつねに相手のあることだ。耐えるべきを耐え、最低限の結果を持ち帰る、物足りない善戦がふさわしい日。すばらしい魔法も使う機会が訪れないときはあるし、むしろそういう場合のほうが多いものだ。それはそれで、収まりのつくひとつの結果には違いなかった。
90周目にテール・トゥ・ノーズになったのは、偶然に配されたレースの綾だった。ディクソンが最終スティントでオルタネートタイヤを選ぶ益体もない選択をしなければ、ニューガーデンはずっとハンター=レイの3秒後ろを走り続けるしかなかったのだから。だがリーダーが本来1分9秒弱で回れる周回に1分11秒もかかるほどペースを落としたせいで、思わぬ機会が巡る。そう、ニューガーデンに迷いなどあるはずがなかった。キーホール=鍵穴と呼ばれる大きな180度のターン2でのことだ。ローゼンクヴィストがディクソンのインに入ろうとして縁石に乗り上げ、やや制御を失って同僚に接触したことがはじまりだった。チップ・ガナッシのガレージから悲鳴が聞こえてきそうなやりとりはかろうじて難を逃れたが、ただでさえ遅かった先頭の速度はますます低下し、減速の連鎖が発生して後続車同士の差が縮まった。そのときニューガーデンはターン1から2にかけての直線でプッシュ・トゥ・パスを使ってハンター=レイに外から並びかけている。ハンター=レイはインを守りながらターン2に進入したが、出口に向かって1台分外にラインを外した。隊列は圧縮されている。目の前に佐藤琢磨がいて、加速に移りきれない。そこに、ニューガーデンが外から内へと軌跡を交叉させながら飛び込んでいったのだった。
選手権のことを言うなら、いま直接争っているロッシとパジェノーは自分より後ろの順位を走っている。ゲートウェイと同じだ。冷静に「計算」を働かせれば、ニューガーデンは4位でも構わない状況で、ミッドオハイオの90周目を迎えていた。もちろん、2017年がそうだったように後から振り返ってその行動に意味があったと気付かされる可能性だってないではない。表彰台に登れるかどうかという具体的な成果も目の前にはある。しかし、とはいっても賢しらに未来を見据えてしまえば躊躇がちらつく瞬間に違いはなく、にもかかわらずニューガーデンの情熱は消えることがなかった。外から内へ。鋭く切り込みながらハンター=レイに並びかけようとしたその機動は、まさに彼を頂点へと押し上げた過去そのものだった――。(↓)
鍵は合っていなかったようである。「キーホール」は望んだよりわずかに狭く、ターン2の頂点を奪ってインを差そうとしたとき、2台の側面が接触した。すでに立ち上がりへと向かって加速する姿勢にあった相手に対し、もっと内に入っていくべく旋回の横Gを残していたニューガーデンは、接触と同時に挙動を乱し、タイヤをロックさせてそのままコースの外へと滑っていった。レースはそれで終わる。グラベルに捕まったニューガーデンは脱出を果たせず、パワー、ロッシ、続いてパジェノーが目の前を通り過ぎていく。残された結果は、優勝者から1周遅れの14位だ。チェッカー・フラッグを受けることさえできなかった。望外に訪れた機会に振るった勇気は報われず、破綻だけをもたらして去っていった。
シーズンを戦うという観点からすれば、これが最悪の結末であったのは事実だ。得られる可能性のあったものと失ったものの落差は大きかったし、もし9月にロッシが選手権を制したなら、このレースはニューガーデンの敗因のひとつとして言及されもするだろう。攻撃的な感性の代償として支払った、具体的な、計算上の損失は、きっといくつも挙げることができる。状況をまったく顧みない面は短所とさえ言っていいのかもしれない。ただ、そうであったとしても。2年前のゲートウェイで同僚を弾き飛ばした裏側の一面として、ミッドオハイオにおける失敗は、結局のところジョセフ・ニューガーデンを形作る一片に違いない。あの瞬間、ハンター=レイを抜こうとしなければ、安全に4位を確保して、それなりの利益を得られた。「具体的」には、選手権で35点差をもって次のポコノに向かうことができた。それはきっと正しい状況判断ではある。だが、あの瞬間、ハンター=レイを抜こうとしないドライバーだったなら、現在の地位を築き上げるなどできなかった。その事実にこそ意味を見出さなければならない。ミッドオハイオのグラベルに囚えられてステアリングを叩き、バイザーを上げて悔しがる――それは行き過ぎた運動の末路に見えたかもしれないが、実はニューガーデンがニューガーデンであることを確認するための欠かせない一幕に過ぎなかったのである。■
Photos by :
Chris Jones (1, 5)
Matt Fraver (2, 4)
Joe Skibinski (3, 6)