【2019.8.18】
インディカー・シリーズ第14戦 ABCサプライ500
(ポコノ・レースウェイ)
最近、どうも昔話を書きすぎていると思う。ただしかたあるまい、インディカーを走るドライバーたちの振る舞いが、否応なくまるで過去から照射された光線によって投げかけられた影であるかのように見えるのだから。ミッドオハイオのジョセフ・ニューガーデン、インディアナポリス500マイルにおけるシモン・パジェノー、ウィル・パワーが演ずるトロント。ロングビーチに見たアレキサンダー・ロッシの柔らかい挙動もあるいはそうだった。モータースポーツとはそういうものだろう。おなじ場所を、毎年飽きもせず、何十周、何百周とただ回り続ける競技。なじみのない人々にとって奇異な行為にさえ映るらしい単調な繰り返しは、しかしむしろおなじ動作を高度に繰り返す、反復しているからこそ、その場所に重層的な歴史を形成し、記憶の索引としての機能を獲得する。「いま、このレース」を見つめるたびに、「あのときの、あのレース」の瞬間が鮮明に蘇って美しい重なりを生む。おなじコーナーにおなじ運動が再起し、おなじ場面を浮かび上がらせてまた消える。そんなふうに、彼らドライバーは、またわたしたち観客自身が、レースという営為の中に過去と現在とが対応する写像を作るのだ。そこに流れる時間を、物語を味わう愉悦が、きっとこの競技にはある。だから、今回もまず2017年のトライオーバルについて思い出さねばならない。ウィル・パワー、すなわちオーバルで勝つべきドライバーが、紆余曲折を経て正しい結果を得た500マイルの長いレース。やがてインディ500を優勝する未来をはっきりと確信させ、9ヵ月後に本当に実現させる契機となりえた、ポコノ・レースウェイでの戦慄すべき速さについて。
2年前のポコノでパワーが手にした勝利は非常に印象深く、しかし驚きをもって受け止めるしかないものだった。もちろん客観的に成績を見るかぎりにおいては、当時すでに彼が現役で随一のオーバル巧者であるのは疑いようがなかった。ただそれでも、あの結末を想像するのは、いまから振り返ってもなお、やはり困難だったと思われる。レースを最初から見ていればなおさらだ。なんといっても、彼は2度にわたって自分の責任ではない大きな問題に見舞われていた。まず、2回目の給油直後にフロントウイングのアジャスターが故障し、ピットでの修復を余儀なくされたため1周遅れに追い込まれてしまった。その後、フルコース・コーションを利用してかろうじて周回は取り戻したものの、当然ながら元いた5番手からリードラップの後方集団へと大きく順位を下げた。さらに不運は重なる。レースが60%以上を消化した終盤入り口となる125周目に、完全な貰い事故によってリアウイングを破損し、車両後部を丸ごと交換する事態に陥ったのだ。コーション状況下の交換作業となったのが不幸中の幸いで、チームの見事な手際もあって先頭と同一の周回は維持したが、ふたたび最後尾から戦わざるを得なくなった。よくある言い回しを使うなら、「パワーの日ではなかった」と嘆息するばかりの展開だったろうか。
そもそもアジャスターの故障から追突を受けるまでのあいだ、パワー自身にさほど速さを感じられなかった印象まで鑑みれば、勝機などどこを探しても見つかりそうになかった。最後尾に落ちたのをせめて利用しようとコーションが開ける直前にピットへ入り直して燃料を継ぎ足す場面を見て、周囲がゴールまで残り2回のピットストップを要するのに対してパワーが1回で済むような展開になればもしや……といった可能性はほんの少し頭をよぎったが、それは速さの追求を投げ捨てる卑小な弱者の発想に過ぎなかったし、現実の燃費の面でも、スロットルを可能なかぎり絞り、前の車のドラフティングを上手に利用し続けてようやく届くかどうか、といった程度の実現性しかない案だった。パワーのレースはたしかに終わっていた。もとより、極端な燃費走行などといった現実味のない作戦の可能性を想像してまで彼を勝負の枠内に留め置こうとした動機自体が、不可抗力の不運に対する同情みたいなものだ。普通なら、残り65周のリスタートを17番手で迎えたドライバーについて、だれも勝利への道筋を検討したりしない。パワーの存在が意識の端に引っかかっていたのはひとえにレースの経緯によるもので、潜在的な速さを感じ取っていたわけではなかった。
リスタートから十数周のうちに、パワーは着々と順位を上げていき、やがて154周目には先頭に立った。もちろんそれはただの成り行きで、給油を済ませていない前の車が順々にピットへと向かったからにすぎない。パワーは燃費を気にせず走っているように見えた。だとすれば周囲とピットの回数は変わらず、リスタートから多少順位を上げる程度のところでチェッカー・フラッグを受けるのだろう。不運なレースの結末としては妥当なものだ……と優勝争いに意識を向けようとしたとき、異変に気づかされたのである。パワーが、速すぎるのではないか?
不明だった。ウィル・パワーを見よ、そこにオーバルを勝つべきドライバーがいる。わかっていたつもりなのに、結局のところ、もっと昔の、オーバルがてんで苦手だったころの幻影をまだひきずっていて、侮ったままでいたのかもしれなかった。テレビ画面越しにさえ伝わる鋭いコーナリングにあわててライブタイミングを確認すると、次のピットストップに向けて先頭をひた走るパワーは、後方の順位争い、普通なら「事実上の優勝争い」と認識されるはずの集団に対して、信じがたいことに5mph前後も高い速度で周回を重ねていたのである。1周40秒強のスーパースピードウェイで0.3秒から時に1秒近いタイム差は、失われたはずの勝機を急速に回復させる。パワーが先頭に立ってたった7周。それですべてが変わった。レースのどこを切り取ってもこの7周だけが異質に浮き上がって見える、そんな速さだった。160周目にはファステストラップを更新した。そうして161周目にピットストップを行い、彼はコースに戻ったのである。順位をひとつも下げず、先頭のままで。
このときのことは、いまだによく憶えている。国際映像がターン1の高い場所からホームストレートとピットレーンを広く俯瞰していた。本線を走る車とピットから合流しようとする車の位置がちょうど重なって争いになる場面、いわゆる「ブレンド」を狙っているのは容易に察せられた。ほんの少し前はリードラップの最後尾にいたはずのパワーではあったが、ここに来て先頭争いを演じるだろうという期待がそこにはあったのだった。だが彼の速さは、レースのハイライトとなる場面を捉えようとする思惑さえあっさりと飛び越える。給油を終えたパワーが発進した。カメラは彼を収めたまま映像を引きつつパンニングし、ホームストレートとの合流地点を映し出す。ブレンドの現場となるはずだったそこには、しかしパワーしかいなかった。後ろから迫ってくるはずの2位の車――記録によれば、トニー・カナーン――はまだはるか遠く、コントロールラインにさえ達していなかったのだ。そうしてカメラは主眼を見失ったように、一度遠方の集団に寄ろうとし、ややあってパワーを捉え直した。その妙な動きは、先頭争いを予期していただろうカメラマンの抱いた動揺を示唆したものと思えたものだ(ところでたしかに憶えているつもりなのだが、YouTubeのインディカー・シリーズ公式チャンネルが公開している動画にはこの場面が残されていない)。狐につままれたような呆然を残して162周目が終わったとき、パワーはカナーンに対して4.3秒もの大差を築いていた。完璧な、あらゆる苦境を軽やかに飛び越えていく逆転。2017年のポコノにパワーが与えた衝撃な結末だった。(↓)
今季のウィル・パワーに不運と不調がいっぺんに訪れ、ストレスを感じているとしか見えないレースを繰り返していると何度か書いた。暴発のごときトロントでの2度の事故は、象徴的な現れでもあった。そして思いがけず困難に直面した彼に対し、もし復調のきっかけを掴めるとしたら、他の誰よりも得意とし、ただ速さですべてを支配しうるオーバルレース以外にないだろうとも述べたわけである。実際、アイオワでは3周目に先頭に立ってその可能性を感じさせた。結果的には同僚のニューガーデンが見せた優れた才能によってまたしても追い詰められて自滅したとはいえ、彼の居場所がオーバルにあるとふたたび確かめるには十分なレースだっただろう。まして、パワーはインディ500を含めて4度、現役ではだれよりも多く500マイルレースに勝った経験があり、2年前の記憶も鮮明に残る。予感という意味ではアイオワの比ではない。このポコノで勝利を上げ、インディカー12年目にしてはじめてシーズン0勝で終わる危機を脱する――それは確度の高い、当然にありうべき脚本のように思えた。
しかし、一度まとわりついた不運はなかなか剥がれ落ちないものだ。ポコノの1周目、佐藤琢磨とアレキサンダー・ロッシの接触に端を発して発生した5台の多重事故によって赤旗となったとき、5番手スタートだったパワーは3位にまで順位を上げていた。ところが40分以上の中断を経てフルコース・コーション状況でレースが再開された4周目、タイヤにパンクの症状が現れてひとりだけピットに戻らざるを得なくなったのである。2年前と同様、不可抗力でいきなり後方へ突き落とされる仕打ちだった。(↓)
理不尽とさえ思うほどに度重なる不運に、パワーは屈しなかった。いったん隊列が形成されると追い抜きが難しいポコノにあって速いペースを保って少しずつ順位を上げ、40周目のピットストップを終えるころにはふたたび先頭集団まで戻ったのだ(これには、ピットレーン進入直後にコーションが導入されるわずかばかりの幸運が寄与したが、もちろん不運の量と釣り合うほどではない)。47周目のターン3では小さく鋭いコーナリングでパジェノーに食いつき、続くターン1で攻略してリーダーの座を奪い取ってみせる。数周で取り返された先頭ではあったものの、集団に埋没せず堂々と先頭に立って優勝する資格を有していると証明したともいえる場面だった。だがなんということか、失地を挽回するこの奮闘にさえ運命は冷淡な態度で応じた。4周目のタイヤトラブルの際に燃料を注ぎ足したパワーはその分だけスティントが長く、パジェノーをはじめ周囲がみな71周目前後にピットストップを行ってもコースに居残っていた。いわば最初の不運によって生じたずれだったが、結果としてこれが連鎖する形で仇となってしまう。視界が開け、逆転を狙って実際に0.5秒もラップタイムを上げたそのとき、後方ではコルトン・ハータがスピンしていた。当然、レースは即座にフルコース・コーションとなり、隊列が整えられてから給油を行ったパワーは再度7番手まで下げられたのである。ショートオーバルと違い1周の距離が長いスーパースピードウェイでのレースで、グリーン状況でピットストップした先頭集団がまだ30秒後方の同一周回に留まっていたのも、仕方ないこととはいえ条件に恵まれなかった。無辜のパワーはまた天に見放され、勝機を遠ざけてしまったのだった。
――だから、2年前のポコノを思い出す。2度の不運に見舞われたあの日、彼は集団の中で丁寧に順位を上げ、最後には開けた空間で爆発的なスパートを見せて逆転を果たした。当時の走りが、いまこのレースに重なろうとしている。まずリスタートに合わせてセバスチャン・ブルデーを抜いた。次の83周目にはニューガーデンを、87周目にはエド・カーペンターを、ともに追い抜きの難しいターン3で仕留める。4番手に上がったパワーは、それから20周近くをかけて前の3台に少しずつ近づいていった。そうして105周目にサンチノ・フェルッチ、106周目にスコット・ディクソン、107周目にパジェノーと1周1台ずつピットに入り、ふたたび前が開いたとき、あのスパートは再現される。単独走行となったパワーは明らかにペースを上げ、画面左の順位表に表示される後続とのタイム差が見る間に拡大していった。記録を確認しても、先頭に立ったパワーのタイムは、ディクソンがリーダーだった数周前のレースペースを0.2秒から0.5秒も上回る。最初の不運によって生じたずれ。たった5周の単独走行は、今度こそ生かされた。112周目、少し遅れて給油を済ませて「ブレンド」に臨んだパワーは、パジェノーとフェルッチをはるか後方に追いやっていた。合流と同時にディクソンだけは脇を抜けていったが、その攻略も時間の問題だった。ピットストップ前と変わらず42.5秒前後で走るディクソン(ピットでフロントウイングの角度調整を間違えたという情報が流れたが、タイム自体は落ちていない)を、42.0秒のパワーはいともたやすく追い詰め、114周目のターン3を壁際まで使って曲がりながらドラフティングに入ると、とうとうホームストレートで抜き去っていく。長い隧道を抜けた。ようやく、真の意味で、パワーが「先頭に立った」といえる瞬間だった。(↓)
それから先はただの追記のようなものだろう。パワーがリーダーでいられた時間は思いのほか短くなった。ディクソンを抜いてからほんの12周、10分も経たないうちに雷雲が近づいて雨が降りはじめ、2度目の赤旗中断となったレースが再開されないままに終了したからだ。待ち望んでいた今季初優勝は、拍子抜けするほどあっけなく手元に収まったのだった。不運と、それを克服する速さが目立つばかりではあったが、こうした結末になってみると、最初の赤旗がパワーの助けとなったとも言えるかもしれない。計算上は、40分以上の中断がなければ雨が来るのはちょうどチェッカー・フラッグのころか、そうでなくともほぼ最終盤になっていたはずだ。行われなかった72周のあいだに何が起こりえたのかはわかりようがなく、早々に順位が確定したのはパワーにとって今までにない「幸運」ではあっただろう。だがレースの結果を運にばかり還元すべきではないこともまたたしかだ。500マイルのオーバルレースで勝つべきドライバーがいるとしたら? もちろん、ウィル・パワーに違いない。彼は2年前と同様に、完璧で、戦慄すべき逆転を実現させた。その事実に疑いを差し挟む余地はない。だとしたら、やはり2年前がそうだったように、仮にどんな展開が待っていたとて、このポコノでパワーが勝利する以外の結果などありえなかったと確信されよう。レースが予定どおり最後まで続いたとしても、あるいは地の果てまで走り続けたとしても、きっとそれは変わらなかった。■
All Photos by : Joe Skibinski