【2020.8.29-30】
インディカー・シリーズ第8−9戦
ボンマリート・オートモーティヴ500
(ワールド・ワイド・テクノロジー・レースウェイ)
インディアナポリス500マイルが終わると、少し気の抜けたままに次の週末が訪れる。もっとも偉大な日曜日から間をおかず、翌週にダブルヘッダーのレースが開催される日程はすっかり定番となったが、最高の栄誉に浴したドライバーたちの1週間後はたいてい奮わないようだ。デトロイトで2レースイベントを行うようになった2013年から昨年までの7年間14レースのうち、直前のインディ500優勝者が表彰台に登ったのは2018年レース2のウィル・パワーたった1度きり。1桁順位でゴールしたのも3人で5回だけで、2017年の佐藤琢磨がレース1で8位、レース2で4位に入るまでじつに5年ものあいだ、ベル・アイル市街地コースはことごとく500の勝者を下位へと沈めてきた。
もちろん、それは考えようによっては自然な結果で、時の人となって取材攻勢やイベント出演にさらされるドライバーの疲労といったあやふやな外的要因を持ち出す以前に、230mphの速度で左向きに回り続ける超高速のオーバルレースから一転、凹凸だらけの舗装路の上を比喩でなく飛び跳ねながら走る低速ストップ&ゴーの市街地コースというおよそ正反対の条件で同じように調子よく戦えるはずがないのは容易に想像できることだ。インディ500への集中がデトロイトの準備を疎かにするわけではなくとも、直前の成功をまったく持ち込めないのであれば、結局まわりと横一線の条件で新たな週末に取り組むほかはない。勝ちたいのならはじめから正しくやり直せ。そう言われているわけではないが、まるでインディカーが一貫性を自ら断ち切り、目の前のレースに向き合うよう求めているのではないかと錯覚はする。このシリーズにシーズンの流れなど存在しないというわけだ。
もっとも、今季はその様子も異なってしまった。COVID-19の影響でインディ500は8月へ移り、その翌週にはカレンダーから外れたデトロイトの代わりにイリノイ州マディソンのワールド・ワイド・テクノロジー・レースウェイが割り当てられた。1周1.25マイルのショートオーバルはそのちょうど倍の長さを誇るインディアナポリス・モーター・スピードウェイと相貌を異にするとはいえ、それでも曲がりくねった市街地より落差は小さかったようだ。レース1はスタート直前にオリバー・アスキューに起因する多重事故が発生し、100周過ぎには小雨が降ってフルコース・コーションが導入される難しい状況になったが、最多ラップリードを記録することになるパト・オワードをはじめ、スコット・ディクソン、サンティノ・フェルッチといったインディ500の上位者はここでも表彰台を争ったのである。
ライバルが好調を維持する中で、佐藤は事実上のスタートとなった13周目のグリーン・フラッグ直後の接近戦で順位を3つ落とし、さらに最初のピットストップで手間取って12番手まで後退しながらも、抜きにくいショートオーバルの集団の中でじっと息を潜め、速さを行使する機を窺っている。芳しい位置とはいえないが、時折顔を覗かせる速さは出色だった。一時は2秒もあったひとつ前のフェリックス・ローゼンクヴィストとの差をほんの3分のうちに0.5秒前後に縮めた72周目から81周目までのなりゆきは、インディ500を制した王者が戦うにふさわしい場所がもっと前方にあることをはっきり示唆するものだ。事実、上位数台がグリーン状況下でピットストップを行った直後に、感じ取れないほどの降雨がコーションを呼び込むちょっとした幸運がもたらされた結果として6位へと戻った佐藤は、その先、稀有な連勝を手中に収めるための鮮烈な走りを1周わずか25秒のオーバルの中に残してみせる。そこに現れたのは、インディカーで最上位に位置するだろう彼の上質さを強く印象づける一幕だった。
いたずらな薄い雨雲が去り、122周目にリスタートが切られる。グリーン・フラッグから1周のあいだに、ターン2であわやスピンするかというほど姿勢を乱したローゼンクヴィストを交わしながらも、同時にその失速の煽りを受けて加速を得られず、後方から襲いかかってきたフェルッチに先行を許す形で6番手に留まった佐藤は、それからしばらくのあいだ、レース中盤でそうしていたように、何よりインディ500でそうだったように、標的の後ろを静かに走っているのだった。速さは失われていない。フェルッチと離れないまま、ホームストレートでふっと背中に張りつくときがある。瞬間、わずかに車を左へ寄せて攻撃を試みるかと思わせるが、すぐに迫るターン1を前にして内側には飛び込めない――飛び込まない? 戦うときでないことをわかっているような動きで、その場に留まる。やがてレースに動きが与えられる。155周目にエリクソンが最後のピットへと向かい、佐藤の見かけの順位はひとつ上がった。コルトン・ハータとフェルッチが2周後に続くと、2番手のディクソンまでまた2秒弱の空間が生まれる。そうして、オーバルレースにおいて小さくはないその空隙を、彼はふたたびわずかな時間で無にしていったのだ。159周目の1.6秒差が、160周目に1.0に変わる。161周目に進む。0.8秒。0.7へ。162周目に0.6秒。とそのとき、先頭のオワードとディクソンが同時にピットへと向かう。走り続ける佐藤は、この日はじめてレースリーダーの座に就いたのだった。
ここから先の14周、時間にすれば5分あまりのあいだに、佐藤琢磨は周りのすべてを置き去りにした。単独走行に移り、画面が他の争いを注目しはじめる中、しかし不意に一度だけテレビカメラが捉えた30号車は、ターン1へだれよりも速く進入し、コーナーの頂点を離さず捉えて、ターン2をやはりだれよりも速く立ち上がっていくように見える。それは観客のあやふやな観察にすぎないが、ラップタイムが直感の正しさを裏付ける。たとえばオワードたちがピットに入った直後に記録した163周目の25.4290秒――この日のリーダー・ファステスト・ラップ。また別の周に25.5754秒。あるいは25.5957、25.5728秒。飾り気のないたんなる数字の列が、疑いなくだれよりも速い、0.5秒も速い事実だけを伝えてレースの主旋律を鳴らす。ピットでオワードと入れ替わって前に出た新品タイヤのディクソンさえ、おなじ時期に26.0秒前後でしか走れていない。直前に0.6秒あった2人の差はたった1周で融解し、ほんの2周で蒸発して消えた。佐藤は、もはや見かけではなく真実のリーダーとして、レースを支配しているのだった。
そこに、シリーズ・チャンピオンたちの煌めきを重ね合わさずにはいられない。たとえば2017年や2019年ポコノでのウィル・パワー、また2019年テキサスでのジョセフ・ニューガーデン。どれも劣勢の状況から想像を超える数分間のスパートだけで先頭を奪い、優勝を手繰り寄せて彼らの資質を知らしめたレースだ。佐藤が楕円の中に表したのは、まさに彼らとおなじ王者たる走りそのものだった。持てる速さをもっとも重要なタイミングで使い切ること。すなわち勝敗を決する一点を見定め的確に射抜くこと。集団に埋没しかけながらも機を取り戻した佐藤は、驥足の持ち主にしかなしえない戦い方で勝利を収めようとしている。揺るぎない速さがもたらす、他に勝者を選びようのない正当な結末。そんなチェッカー・フラッグを予感できる場面があるのだとしたら、佐藤が先頭を走った14周は、まさに疑いない確信を抱かせただろう。あの25.4290秒が、画面には映らなかった163周目のリーダー・ファステストが、レースの行く末をすべて象徴していた。(↓)
象徴していたはずだ。正しい運動によって、稀に見るインディ500からの連勝が達成されるべき日だった。だというのに、心奪われる理想が唐突に襲いかかる現実に塗り潰されるのも、またレースというものであるらしい。孤高の速さへ辿り着いた14周を走り終えた先、175周目のピットストップで、レイホール・レターマン・ラニガン・レーシングはドライバーを滞りなく送り出す任務を果たせなかった。右後輪の交換作業に手間取り、佐藤は給油が完了してホースが引き抜かれてもなお、4秒もの長すぎる時間をピットボックスに縛りつけられてしまったのだ。ようやくコースに戻ったとき、直前のリーダーはオワードを挟みディクソンから2秒以上後方の3番手に下がっている。レースは失敗された。カメラはピットクルーが茫然自失とした表情で首を二、三度横に振る様子を、ずっと捉えて離さなかった。
結局、冷厳な事実として、佐藤琢磨は優勝という具体的な成果を得られなかった。記録にはそう書かれる。しかし一方で、記録ではなく語りへと目を移すのならば、優れた敗者は時に勝者を超えて鮮明に思い出されることになるだろう。彼はレース後、コクピットの中で悔しさを露わにチームからのねぎらいを受けることになったが、本人の感情とはまったく別に、われわれ観客は近い将来、「あのレースの琢磨ときたら、それはもう速かったよ」ときっと口にするのだ。あるいは2度のインディ500より先に語られるべきとさえ思う優れた美しい運動が、そこには見える。優勝に手を伸ばした14周とともに、残酷な転落から敗北へと至った最後の25周でもまた、彼はレースを駆動する中心であり続けた。 テレビが失ったものを惜しむようにピットストップのリプレイを流した直後に訪れた、180周目のことだ。佐藤はホームストレートでオワードに並びかけると、その終端で大外へと車を振りながらターン1へと飛び込み、接触せんばかりのサイド・バイ・サイドを暴力的な旋回速度で制した。それはともすると危うい場面で、チョップされる形になったオワードはしきりにカウンターステアを当てて寸時に失速したが、レースが残り10%を切った段階であるならば当然ありうる攻撃だっただろう。作戦で出し抜いたのでも、混戦や周回遅れを利用したのでもない、正面からの1対1を最上のパッシングで決着させて順位をひとつ取り戻し、ふたたびディクソンを追う。183周目を迎えたとき、2人はまだ1.7秒隔たるが、バックストレートでドラフティングが効いているかのように吸い寄せられて接近する。ターン3から4にかけて、佐藤はディクソンよりも車幅3分の1ほど内側のラインを通る。通れる、ということだ。ホームストレートに戻ると、両者はすでに目に見えて明らかなほど近い。スタート/フィニッシュラインを横切り、63周目の自分自身を上回るレース・ファステストの25.3039秒が刻まれる。隔たりは1.2秒にまで縮まり、瞬きする刹那に1秒を切る。真後ろについた。
リードを保持し続けるスコット・ディクソンを、ピットで遅れた佐藤琢磨が襲う。それはインディ500の再現だった。デトロイトの市街地コースによって断絶されなかった偶然が、スーパー・スピードウェイからショートオーバルという緩やかな移行が、おなじ戦いをもたらしたのかもしれなかった。ただひとつ、6日前と違っていたのは勝敗だけだ。今回ばかりは、2人の順序が入れ替わることはなかった。その要因もまた、おそらく舞台のわずかな違いだっただろう。小さな差異がよく似た構図を描かせ、小さな差異はしかし決定的な細部を違える。最後の10周あまり、速さに優れる佐藤は何度かラインを移して攻撃の機を窺ったが、ディクソンの堅牢な防御を崩すには、WWTレースウェイはあまりに小さいコースだった。(↓)
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さて、この週末がダブルヘッダーであったことを忘れそうになる。普段ならレース1とレース2を貫く主題があるだろうかと探しながらレースを見つめ、実際に見つけたつもりにもなれるものだが、NASCARが併催されたり、パレード・ラップ中に漏れたオイル(それもパレード車から!)を処理したりするうちに路面状態が変わったのか、レーシングラインがひどく限定されて土曜日と日曜日でレースの様相がずいぶんと異なるものになったからだ。まるで、本来ならインディ500の後に訪れるべき断絶が、1日だけ後にずらされたようだった。
土曜日の予選でポール・ポジションを決めていた佐藤は、レース序盤から順調にラップリードを重ねた――ただし、前日のおなじ時間帯にリーダーだったパワーより周回あたり0.5秒ほど遅く――が、2番手以下が47周目前後に最初のピットストップを行ったのに対して、周回遅れに引っかかったまま59周目まで走り続ける少数派の作戦を採用したことで、タイム差を大きく縮められてしまった。レース1のあの14周とは裏腹に、先に動いた後続よりペースで劣り、持っていたはずのリードを見えないところで食いつぶしたのだ。ショートオーバルはピットを先延ばしにする間にフルコース・コーションになれば大きな利益を得られるが、そういった幸運も都合よくは起こらず、佐藤は大量のラップリードと引き換えに、最初のピットストップでもう8位に落ちてしまった。(↓)
そうして佐藤もレース同様に断絶された。走れるラインが1本しかない以上、ひとたび順位を落とせば回復する術はなく、前日とは打って変わって凡庸な存在と化し――もとより、レース2の状況は彼に限らずありとあらゆるドライバーを凡庸にしたのだ――ただ周回を消費するのを数えるしかない。最後までできることはほとんどないまま、197周目に汚れた路面に足を取られて壁と接触しイエロー・チェッカーの原因となったものの、かろうじてリタイアすることなく走り切って9位で終えた。それだけといえばそれだけのレースだった。第1スティントの貯金が生きて、最多ラップリードを獲得したことがせめてもの慰めだっただろうか。
周回遅れを抜くことさえできない路面が、リーダーを引きずり下ろし、最後まで戦いを困難にするレースだった。「事件」も起こった。中盤から終盤にかけて、佐藤とコルトン・ハータが順位を争っている最中に、偶然にもハータの同僚で数周遅れのザック・ヴィーチが割って入る展開になったのだが、そのときアンドレッティ・オートスポートが、ヴィーチに対してハータを逃がすための壁になるよう指示していたらしい、という話だ。誰とも競っていないはずのヴィーチはチームの指令を忠実に守って青旗が出る中その場に留まり続け、佐藤とハータの間隔は見る間に広がった。順位がひとつしか違わないにもかかわらず、2人の差は一時的に8秒にもなっていたのだ。佐藤が壁に当たる直前のレース最終盤にはまた1秒以内に近づいたことを思えば、それはたしかに奇妙な展開だった。(↓)
もっとも、ヴィーチの振る舞いがレースを決定的に損ねたかといえば、おそらくそうでもなかったのだろう、という実感はある。佐藤や、その後ろにいて割りを食ったディクソンが競技精神に悖る行為でレースを台無しにされた(*)と憤るのは当事者として当然だとして、しかし他方で観客としてはレース全体の停滞を示す場面のひとつと捉えてもよい出来事だった。「妨害」がなければ佐藤やディクソンがもう少し良い結果を残した可能性は十分にあったはずだが、そこにレース1のような順位の数字を超えた語りが生まれたかどうかはわからない。図らずも戦いそのものが拒絶されるように形作られてしまったレース2は、結局あんなふうに終わる以外なかったとも思える、というとさすがに落ち着きの度がすぎるとはいえ、前日のような熱源を見つけられなかったのもたしかなのだった。観客もまた、そうやって週末の最中に断ち切られたのだ。
敗北に終わったのだとしても、土曜日の佐藤は、長いキャリアにおいてもっともすばらしい、2度のインディ500優勝と比してなお卓越する運動だったとさえいえるほどのレースを表した。新しく勝ったばかりのインディ500を引き継いで重ねた展開に、王者の資質をより高い純度で証明してみせたのである。それはまるで、スーパー・スピードウェイからショートオーバルという比較的緩やかなコースの移行が、一貫性を維持して佐藤をふたたび引き寄せたような一日だった。そして、だとしたら、おなじコースでありながら路面がすっかり変わってしまった日曜日、つまり保たれていたはずの一貫性が唐突に失われたレース2で、彼が不本意な失速に見舞われたのもたぶん自然だったのだろう。そう、インディ500の勝者は、一からやり直される翌週のデトロイトでいつも儚く敗れる。佐藤もその列に連なる一員だったのだとして、ただ、断ち切られるはずだった時期が、偶然のなりゆきによって本来より1レース分だけ後ろにずらされて週末の真ん中になったことが、運命の見た目を少しややこしいものにした、それだけのことだったのではないか。同じコースの2つのレースに分けるのではなく、インディ500との紐帯を考えれば、変わらない風景が見えてくる。つまり500マイルとの繋がりに輝き、断絶とともに色褪せる――それがインディカーの形のひとつだとすると、佐藤琢磨はマディソンの週末に、きっとインディ500の王者として正しく責任を果たしたのだ。■
(*)念のために付言すると、「規則違反」ではない。2020年のインディカー・ルールブックからは、前年まで記載されていた ”At Oval Events, the informational blue flag will be displayed from the starter’s stand as per Rule 7.2.5.1. A command blue flag ordered directly by INDYCAR and displayed from the starter’s stand directs a Lapped Car to give way to the overtaking Car within one (1) lap.” という条文が完全に削除された。オーバルレースにおける青旗は後方に追い抜きを意図する車がいることを伝えるサイン以上の意味を持たない。
Photos by :
James Black (1, 5)
Chris Owens (2)
Joe Skibinski (3, 4, 6)
「繋がりに輝き断絶に敗れる」名文です。