もう泣かなくたっていいだろう

【2020.8.23】
インディカー・シリーズ第7戦

第104回インディアナポリス500
(インディアナポリス・モーター・スピードウェイ)

3年前に、彼がインディアナポリス500マイルを勝ったときに綴った文章(https://dnf.portf.co/post/108)を、少しだけ後悔している。あのレースが終わったあと、ずっと探していた佐藤琢磨のあるべき形がようやく見つかったのだと、高ぶる感情とともに彼のキャリアを辿り直して書くことをわたしは選んだのだった。英国F3チャンピオンの肩書を手に期待に満ち溢れたF1デビューを果たしてから15年の長きにわたって、彼はつねに希望と失望の交叉点にいた。折に触れて現れる明らかな才能の片鱗と、一方でその才能を覆い隠しかねない数々の失敗は、佐藤琢磨という輪郭をつねに曖昧にしたまま留めていた。どう見ても凡百のドライバーであるはずがないのに、積み重ねられた結果は寂しく、理想と現実の間にはいつも広く深い径庭が貫かれている。35歳で迎えた2012年のインディ500はまさにキャリアを象徴する結末に終わり、翌年のロングビーチ優勝も、弱小チームに訪れた短い夢以上ではなかった。近づいたり離れたりを繰り返しながら、しかしけっして重なり合うことだけはない、形而上の才能と形而下の運動。そう思ってなかば諦めつつも、断ち切りがたい恋愛にずるずると時間を費やした先に、2017年5月28日があった。あの日、佐藤琢磨はインディ500に優勝した。圧倒的な車の速さがあったわけでも、幸運に恵まれたわけでもない、才能をもって正しいときに正しい場所へと自らを導く完璧な美しい運動によって。それは、重ならなかったものが重なったとき、世界で最も偉大なレースにさえ勝つドライバーであることが証された日だった。ブリックヤードのヴィクトリー・レーンに、探し求めていた「真実の佐藤琢磨」はようやく見つかった――そんな趣旨の短文だった。

 事績の大きさもあいまって、ありがたいことにその文章には珍しく多くの反響が寄せられた。直接間接を問わず届く反応に目を通すと、ほとんどの人が、佐藤琢磨のインディ500優勝を伝えるニュースのひとつではなくテクストそのものにも思いを至らせてくれたようで、書き手として純粋な喜びを感じたものだった。一方で、読者の間で渦巻く感情の大多数がおそらく「共感」であったことには、多少の戸惑いを抱かずにはいられなかった。それはわたしの想定するところではなかったからだ。ここにかすかな後悔の念がある。誤解のないように言えば読み手の問題ではまったくないし、記事自体が失敗だったとも思わない。ただ唯一、わたし自身の観客としての信念が、自分の書いた文章がもたらした結果が共感だったのを悔やんでいるだけの話だ。

 理由ははっきりしている。前回のアイオワの記事(https://dnf.portf.co/post/1182)でまとめたように、わたしはつねにレースの大きさを畏怖し、その大きさゆえに誰一人としてすべてを一望できない構造があることを強く意識している。つまりレースは絶対的なひとつの視座から語る術がなく、見る者それぞれの唯一なる視線の集合によってはじめて世界に現れるしかない。だとすれば観客はひとりひとり本質的に孤独であり、相互の視座を「理解」はできても「共感」は生じえないはずではないか。にもかかわらず自分の書いたものが共感を生んだのだとすれば、何かを錯覚して虚構に囚われてしまったのではないのだろうかと。(↓)

 

3年前の佐藤の優勝は、あまりに眩しすぎた

 

 もちろんそれは極端な結論に違いない。やはりアイオワの記事で書いたとおり、たとえ観客がそれぞれに孤独であろうとも、より多くの視線が投げかけられる場所はたしかにある。そうした場所に感情が共有されるのはむしろ自然で、そこから強度の高い物語が生まれもするだろう。それ自体を否定するつもりはないどころか、レースという営みはそのように集まる感情の熱量によって駆動されると信じてもいる。だから問題はあくまでわたし自身の内にあるのだ。あの文章を客観的に思い出してみると、たしかに共感を刺激する組み立てであったと否応なく気付かされる。孤独な観客でありたいと願っているにもかかわらず、わたしはあれを書きながら、自分自身の「小さな物語」を追い求める視線を失い、佐藤琢磨を核とした「大きな物語」の強大な重力に引きずり込まれていた。彼の燦々たる太陽のごときまばゆい光に、自分の発するほのかな光を掻き消されてしまった。そうした意味において、あれはやはり失敗を内包した文章だったと思うのだ。正確には、あれがどこかで書かれたことはたぶん間違っていない、ただわたしが書く必要はきっとなかったというべきだろうか。もちろん、テクストはつねに書かれた瞬間から書き手の支配を離れていくものなのだから、そう後悔することさえ不遜なのかもしれないが、複雑な感情ばかりは消しようもない。

 

***

 

今年のインディ500は無観客で行われた。来年、すべての人がふたたび「インディアナに帰る」ことを願わずにいられない

  

 とはいえ、失敗は失敗なりに正鵠を射るところもあったかもしれない。「真実の佐藤琢磨の発見」が本当に正しかったのかはともかく、あれ以来、少なくともわたしは、彼に対する適切な感情の距離を取るようになった。過度な心配を抱く機会は消え、また必要以上の願望を投げかけることもなく、ひとりの有力ドライバーとしてインディカー・シリーズの風景にただただ溶け込ませて意識しない。以前がそうでなかったわけではないが、あの日を境に、それはもっと当たり前の日常になった。インディカーがインディカーらしくあり続けるかぎり、不運も取り返しのつかない失敗も必ず誰かの下に訪れる。複数のシリーズ・チャンピオンを獲得しているジョセフ・ニューガーデンやスコット・ディクソンにさえ、そういう時はある。偶然に不運の矛先が向いたからといって、もはや何が彼を傷つけよう。インディ500王者の肩書そのものではなく、インディ500に勝ちうる才能が本当に証明された事実こそが、焦燥の日々を終わらせたのだと。

 もしかしたら、彼自身にとってもそうだったかもしれないと思うところはある。3年前のインディ500はすばらしいレースだったが、同時に佐藤にとっては40歳にしてインディカーでの2度目にすぎない優勝でもあった。けっして実績を伴ったドライバーではなく、だからこそ余計に感動的な勝利だったともいえる。それが今やどうだろう。まるで500マイルを勝つためだけに移籍した1年限りのアンドレッティ・オートスポートではそれ以上の勝利を上げられなかったが、レイホール・レターマン・ラニガン・レーシングに移ってからは毎年必ず優勝する安定勢力になった。F1時代からしばしばあった、行きすぎたアタックはもう見られず、熟達した技術でインとアウトを巧みに使い分けながら相手を攻略する場面のほうがよほど印象深い。もっといえば、そういった局所的な攻防よりも、意外にもレース全体の組み立てに才覚を表すようにさえなった。2018年のポートランドや昨年のゲートウェイは、ともに一度は(ほぼ)最後尾にまで転落しながら、運も利用した作戦の妙と高水準のペースによって巧みに順位を取り戻し、とうとう逆転優勝を遂げたレースで、インディカーではありうべき展開だといっても、以前の佐藤からは想像しにくい勝ち方だった。不利な状況にあっても落ち着きを失わず、機が幸運に訪れた際に的確に捉えるレースぶりは、つねに「いま、このレース」だけで自分の存在を証明しなければならないと頑なに信じ込んでいたかのようなかつての姿――たとえば2013年のデトロイトがそうだった――からは程遠い。その変貌とインディ500はきっと無縁ではないだろう。もう証明は済んだことを、本人自身が知っているはずだ。

 COVID-19の影響で8月に延期され、無観客で行わざるをえなかったインディ500で、佐藤はふたたび優勝した。1度目が希望と失望を何層にも折り重ねてきたドライバー人生を決着させるために必要とされた最後の500マイルだったのだとすれば、今回はもはや証明を必要としなくなった後の、自然な佐藤琢磨の3年間を纏めあげた物語だった。フロントロウからスタートしてすぐさまポールシッターのマルコ・アンドレッティ(彼も、フィニッシュ直前で抜かれた14年前の記憶を塗り替える機会を得たと思われたが、叶わなかった)が速度を上げられないのを尻目に2番手に上がってから、ラップリードを狙うでもなく、淡々と、見ようによっては茫洋と、5位以内を維持していた。もちろんその位置を走り続けること自体がオーバルでは困難なのだが、難しさをいっさい感じさせないほど静かに、劇的な動きは何もなく、ただそのあたりにいる。イエロー・コーションが明けた31周目のターン2で行き場を失い、順位を2つ落としたが、大した事件ではなかった。あとは59周目のターン1でライアン・ハンター=レイのインに飛び込んで、順位をひとつ回復させたのが目立つ程度だ。(↓)

 

レース3度目のフルコース・コーションで佐藤はディクソンの真後ろにつくが、リスタートで後方のロッシたちに抜かれ、勝負に出ることはなかった

 

 佐藤は薄い存在感でそこにいた。序盤は調子よく走っていたハンター=レイは、佐藤に抜かれた直後のピットストップから徐々にレースのペースについていけなくなり、気づけば中団に埋没して10位でレースを終えることになる。リナス・ヴィーケイは新人ながらシボレー・エンジン使用者として唯一予選のポール・デイに勝ち残り、決勝でも佐藤が巻き込まれた31周目の難しい攻防を利して3位に上がったが、次のピットで自分のボックスに止めきれず壁に接触してしまい、1周遅れに後退した。ディクソンは一時後続に対して10秒の差を築いてみせたが、当然コーションで帳消しになる。あるいは100周を過ぎてアレキサンダー・ロッシがディクソンに仕掛け、1周ごとに先頭を交代する戦いを繰り広げる状況を、佐藤は4番手の遠目から眺めている。ややあってパト・オワードを交わし3位に上がっても2人の争いに加わる気配はなく、122周目にまた黄旗が振られて状況は解消された。コーション中のピットストップでふたたびオワードに先行を許し、さらには作業が遅れたロッシが慌てて発進して接触されるこの日唯一の不運が襲ったが、大事には至らない。直前までリーダーだったロッシはひとりペナルティを受けて隊列の最後尾に下げられ、一転して脱落する。そんなふうに、周囲で優勝を争っていたはずのライバルが一人ずつ消えていく不思議な展開を、佐藤はしかし軽くいなして結局は当初の位置に戻る。そうなることを知っていたかのように、ごく自然な形で。

 リスタートは芳しくなく、チームメイトのグレアム・レイホールに前を譲るが、ピットで先行を許したオワードは抜き返した。ディクソンは、なぜかコーション中に給油を行わずコースに居残ったフェリックス・ローゼンクヴィストを盾にしてあっという間に4秒のリードを築く。ただそれも儚い優位で、後方に下げられたロッシが制御を失って144周目に壁へと刺さると、レースはまた振り出しに戻った。戦うための舞台は、そうやって自然と整えられていったのだった。

 こんな形で整うことも、佐藤はわかっているように見えた。この日、レースは事が起こるたびに登場人物を入れ替えながらリスタートを命じたが、最初から一貫して上位を走るプレイヤーであり続けたのはディクソンと佐藤だけだったのだ。だから続く展開は自然なものだっただろう。155周目のリスタートで佐藤はレイホールを外から厳しくチェックして2位を奪い返し、周回遅れもすぐさまパスしてディクソンを追いかけた。佐藤に抜かれたレイホールが失速した隙を突いてニューガーデンも3番手に上がってきたが、終盤になっていまさら顔を出したチャンピオンに勝利の権利が与えられるはずもなく、前の2台は後続を引き離して1対1の戦いに没頭する。と同時に、冷徹な佐藤がここまで温存していた本当の速さが、不意にゆらりと現れた。レース途中にディクソンが築いた10秒差も4秒差も、ことここにいたってはなんの意味もないただの数字だった。156周目の終わりに0.55秒だった差が、たった1周で0.2秒に圧縮される。そして翌157周目の終わり、佐藤は乱れる気流も構わずターン4でディクソンに貼り付くと、ホームストレート半ばでドラフティングを抜け出し、その横に並ぼうとしていた。

***

 3年前の佐藤自身の優勝や、あるいは昨年、一昨年のときと異なり、わたしはこのインディ500で少しも泣かなかった。こみ上げるものすらなかったといっていい。佐藤がディクソンに並んだあの瞬間に、もう勝利は確信されたからだった。ラップチャートを見ると、彼らのリードチェンジは157周目のうちに完了している。映像を見ても気づくだろうが、佐藤はディクソンを、ストレートの先にあるターン1への進入ではなく、スタート/フィニッシュラインの手前ですでに交わしていたのだ。それは決定的な一撃で、ゴールまでに何が起ころうとも、たとえディクソンが200周目のターン4を先頭で立ち上がったとしても、最初のチェッカー・フラッグは佐藤のために振られるだろうと直感させる場面だった。だとすれば残りの40周あまりは、もはや息を凝らして見つめなければならない張り詰めた劇ではなく、全200周という形式を満たすために行われる儀礼にすぎなかった。事実、佐藤に交わされたディクソンはフィニッシュまで一度たりともコース上で抜き返すことはできなかったのだ。これは収束に向けて落ち着き、鎮まっていく種類のレースで、だから泣く理由はどこにもなかった。

 最後のピットストップで作業がわずかに遅れて――この日のレイホール・レターマン・ラニガンの作業は一貫して保守的で、着実ではあっても迅速ではなかった――突き放したはずのニューガーデンに詰め寄られ、1周あとにピットへ入ったディクソンに案の定逆転を許したところで、何が変わるわけもなかった。佐藤は失った時間をコース上で瞬く間に取り戻し、173周目の終わりに信じがたい速度でターン4を駆け抜けると、今度はインサイドを守ろうとしたディクソンの抵抗を嘲笑うようにただ直進して、やはりスタート/フィニッシュラインの前でもう抜き去ってしまった。内と外から1度ずつ。どうあがいてもラインまでリードを維持できないディクソンになす術はもうなくなった。あのターン4の、だれにも真似のできない随一のコーナリングから有無を言わさず相手を屈服させるパッシングは、この日の結末を何より雄弁に物語っていた。

 そうして、レースは漸降のままに終わる。佐藤が先頭をひた走っていた196周目に、同僚のスペンサー・ピゴットがスピンしながらピット入口のタイヤバリアに激しく衝突して、イエロー・コーションとなったのだった。車やコースの破損状況のみならず、衝撃でしたたかに身体を痛めたらしいドライバーを救護する様子を見ても、とうてい5周以内にリスタートできる見込みはなかった。赤旗でレースを止める選択肢もないはずだった。タイヤバリアは見事に衝撃を吸収してピゴットを救った代償に大きくひしゃげ、修復には数十分を要しそうだし、仮に止めたとしても、再走行からグリーン・フラッグまで5周では足りない、ということは2年前のアイオワの記憶を引っ張り出せば想像できたからだ。はたして黄旗は振られ続け、コースに残った25台は30号車の佐藤を先頭にペースカーの先導を受けて、おもむろに――事故現場のすぐ脇を通り過ぎるためか、はたまた終わりを惜しんでいるのか、いつものコーションよりことさら遅く、具体的には通常より30秒ほど余計に時間をかけて――周回を消費していった。すでに鎮まっていた情動はますます落ち着き、わたしはただ溜め息と小さな拍手とともに、チェッカーを待つだけになった。勝者が鎮めていったレースの結末にふさわしい、長い余韻を感じながら。(↓)

 

現役レギュラードライバー唯一の複数回優勝を達成。チャンピオンとチームメイトを従えて、インディ500の王が帰還する。

 

 もちろん実際にはそう簡単ではなかったことが、レース後に当事者の口から明かされている。ディクソンは「1周あとに給油した自分でさえ燃料が不安だったのに、佐藤があそこまで積極的に速く走れたのが信じられない」と語り、佐藤自身も、まとめあげる自信はあったが燃費に細心の注意を払いながら緩急を織り交ぜて走っており、最後はディクソンが詰め寄ってくる展開を想定していたという。だが、裏で行われるそうした「真実」などレースを構成する要素のほんの一面で、その瞬間を見ている観客の感情には届かない種類のものだ。あのときわたしの目に映っていたものは、ドライバーの意思を完全に表出する美しい車の動きとともに、だれも踏み込めない領域の速さで200周目のスタート/フィニッシュラインへと進む佐藤琢磨だけだった。それがすべてで、だからレースそのものへの情動はなかったのだった。

 そう、すべてが、わたしにはそんなふうに見えた、というだけの話でしかない。たとえば2017年に自分の物語を完成させた佐藤には、もうひとつ心残りがあった。最初にレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングで走っていた2012年、勝利を狙った最終周のターン1でチップ・ガナッシ・レーシングのダリオ・フランキッティにインを閉められスピンを喫した――本人の言葉によれば ”I messed up, whatever”(なんであれ、僕は失敗した)――あのインディ500だ。ボビー・レイホール、デイヴィッド・レターマン、そしてマイク・ラニガンの共同オーナーをはじめとするチームにあのとき贈れなかった優勝を、牛乳配達人として今度こそ届けなくてはならなかった。ニュースでも盛んに伝えられた、素晴らしい物語だ。しかし8年間にわたったそんな思いを、当時とおなじチップ・ガナッシを打ち倒して実現させたことさえ、簡単な話だったように感じられる。そういえばだいぶ前に借りてたっけね、と悪びれず財布から皺だらけの100ドル札を1枚抜き出して無造作に差し出す程度の。簡単だったはずはないのに、どこか拍子抜けするほど簡単に見せて、佐藤琢磨はふたたびインディ500を勝った――勝ってしまったのだと思う。(↓)

 

佐藤を挟んで、左からマイク・ラニガン、デイヴィッド・レターマン、ボビー・レイホール。8年前に贈れなかった優勝を、シートをふたたび用意してくれたオーナーたちに今度こそ届けた

 

 最後となったコーションラップの終わり、祝福のために並びかけてきたディクソンとレイホールを左右に従え、悠然と、堂々とチェッカー・フラッグを受ける佐藤琢磨を、わたしはもう呆然と眺めるばかりだった。泣くはずはなかった。そのつもりもなかった。観客のいないブリックヤードでゆっくりと流れていく優勝に、ふと、彼が言っているように思えたからだ。メディアを通してときどき染み出してくる気のおけない仲間との会話のときとおなじ口調で、茶目っ気たっぷりの若々しい笑みを浮かべながら――だって、3年前にじゅうぶん泣いたでしょ?■

 

2度目の牛乳の味は、3年前と同じだっただろうか

Photos by :
Joe Skibinski (1)
Chris Owens (2, 4, 8)
Walt Kuhn (3, 5)
James Black (6)
Chris Jones (7)

もう泣かなくたっていいだろう」への12件のフィードバック

  1. 3年前のアレは1つのレースを観たひとのある「視点」のハナシではなく「応援する一人のレーシングドライバーが紆余曲折の挙句にクライマックスを迎えるコトが出来た」という「年代記」だったのではないですか?だから「理解」を超えた「共感」が生じるのは不思議ではありません。前後しますがいつも楽しみに拝見させて頂いております。有料でも読むと思います。

  2. DNFさん(でいいのかな?)は日本で唯一の(海外も知りませんが)モータースポーツジャーナリストと言って良いんじゃないでしょうか?ヒトと競争の本質的な関係とレースの物理を深く理解しそれらに沿ったレースに対する確固たる価値観をもって毎レース(インディカー)での発見を伝えてくれる。コレはホントのジャーナリズムだと思います。レポーターや記録係は所謂プロにも数多おられますが・・・。モータースポーツ関係での「ジャーナリスト」を不勉強にして知りません。

  3. あ、ひとり忘れてました。「佐藤琢磨氏本人」。彼は「ジャーナリスト」の眼と姿勢を持ってますね(筆力も)。ですが現役のレーサーなので小職のアタマが除外してました。

    • イソヤマ様

      いつもお読みくださりありがとうございます。とりあえずネット上では「DNF」と(レース的には縁起の悪い名前を)名乗っています。

      最初のコメントについてはおっしゃるとおりなのだと思います。これはたぶん書き手としてのわたし自身が佐藤琢磨という人の物語に「呑まれた」というだけの後悔で、書かれたあとの文や、読む人にとっては無関係だし、それでいいのでしょう。そういう意味ではただの愚痴です(笑)。

      佐藤琢磨その人が随一のジャーナリストであり批評家であることは心から同意します。彼の話を聞くたびその知性に感じ入っています。わたしは……その類に含めていただけるのはありがたいですが、常に外からレースを見ていたいという態度で、「観客」の位置に自分を置きたいと思います。そうですね、「(アマチュア)エッセイスト」なら少し恥じ入りながらも名乗れるでしょうか。

  4. お忙しいのに素早いリプライ済みません。もうプロ作家デビュー近いんじゃないですか?仕事(業績)がヒトを呼んでくるのは世の常です。忙しくなりそうですね。さて仰る通り琢磨氏は書き手として正しいんですがまた仰る通り正し過ぎるんです。トリスタンもルーベンスも(当然ダリオも)実際にそこに居たんだから理屈こねてないで折り合い付けるのがプロのレーサーだろ?。って云うイチャモンに対してのお答えが今回のインディ500なのかと。しかし17年のインディ500の記事はであるならば書き始める前に書く対象に呑まれる予感はあったんじゃないですか?もし小職だったらあのハナシなら呑まれるのは覚悟で書き始めたと思うんですよ。小職にその筆力が無いのが残念ですが。

    • >書く対象に呑まれる予感
      クリティカルなご指摘で、たぶんそうなのだと思います。それでいいと考えていた自分自身の心境にはやはり少し苦笑をするところですが、楽しんでいた面もきっとあったのでしょう。本文に書いたとおり、複雑で、ほどいて読み解けない感情ではありますね。

      • DNFさんが通常のご自分のルールを多少曲げてもお伝えになりたかったんじゃないですか?「自分を信じた琢磨も琢磨を信じた我々も間違っていなかった」と。(しつこいなあ)スミマセン。

  5. いやむしろ呑まれるコトを楽しんで。です。15年に渡るモヤモヤを解消する偉業の後なんですから。

  6. (愚痴だと仰るのにしつこいな)
    小職が引っ掛ってしまったのはDNFさんの「わたしが書く必要があったか?」なんです。「あった」としか言えないんです。「F1関係者」が琢磨について書かない(書けない)今「琢磨年代記2002~2017」について書けた人は今インディをつぶさに追っていて往時のF1も追っていたひと。レースに対しての「熱」があり琢磨の可能性を信じてホントの琢磨をずっと探していた追っていたひとなんです。そしてその熱を余さず文章に落とし込めるひと。それはとても限られます。読んだ人がツイートやコメントで「号泣した(恥ずかしながら小職もその一人)」「すべてが腑に落ちた」とありました。みなさんあの時は熱に浮かされるようにアチコチいろいろ記事を追っていたハズです。でもあのような名文はココにしかなかったんです。とするならば「必要があったか?」は自明です。小職のお伝えしたいコトは以上です。

    • そうですね、不遜な言い方が許されるならわたしにはあれを書く技術等があったのでしょう。ただいざ書かれたあとのテクストがおそらく普遍的でありすぎたことに呆然としてしまった。その気持ちはたぶん残りますが、もちろん読んでくださった方々の思いとはまったく別の話ですね。いただいた評価を大事にまだ書いていたいと思います。ありがとうございます。

  7. はじめまして。

    とても素晴らしい記事をありがとうございます!
    佐藤琢磨選手の一ファンとして、DNFさんの記事を私のブログにて紹介させてもらってよろしいでしょうか?

    全然発信力の無いブログですが、佐藤琢磨選手の事をもっともっと皆さんに知ってもらいたいと思っています。

    • Hide様

      はじめまして。リンク等はもちろん自由ですので、好きにしていただいて大丈夫です。ありがとうございます。

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