スコット・ディクソンは失敗によって姿を現す

【2020.9.12-13】
インディカー・シリーズ第10−11戦

ホンダ・インディ200・アット・ミッドオハイオ
(ミッドオハイオ・スポーツカー・コース)

しょせん素人がテレビの前に座っているだけで抱いた直感などあてにならないものだ。ショートオーバルを舞台としたボンマリート500の週末を見ると、土曜日のレース1では直前のインディアナポリス500マイルを制した佐藤琢磨が知性と速さを両立させた最高の走りを見せてスコット・ディクソンを追い詰めた一方、路面状態が急変した翌日のレース2では2人とも後方へ退けられたのだった。それはまるで、オーバルという緩やかなコースの共通性によって連続していたはずの2つの週末が、路面の変化によって乱されて突然に断ち切られた結果のように思われた。例年ならインディ500の翌週に行われるのは市街地コースのデトロイトなのだ。最初から連続性は明らかに断ち切られており、だから500マイルの歓喜を味わった勝者はほとんどの場合、次の週末には大敗を喫する。偶然の日程変更に見舞われた今年、その断絶はすぐにはやってこなかった。佐藤もディクソンも一貫したオーバルの中にいちどは高度な運動を継続し、しかし固定的なコースレイアウトではなく予測不可能な小さな状況の変化によってようやく、少しだけ遅れて断ち切られたのがボンマリート500の顛末だったと見えたのである。

  だが、いまこうやってミッドオハイオの週末まで終わってみれば、断絶されたように感じたボンマリート500のレース2も、しかしインディ500からの連なりの中にあったことに否応なく気付かされる。佐藤にしろディクソンにしろ、抜けないコース状況や行儀の悪いライバルの行為によって望んだ結果を得られなかったとはいえ、必ずしもレースにおいてもっとも重要な速さを欠いたわけではなかった。その顛末は自分の状態と結果が不運にも噛み合わなかっただけの、インディカーにおいてときどき起こるささやかな偶然にすぎなかった。本当の断絶はそうではなく、突如として自分の中にあった本質がすっと溶け出て失われてしまうかのように存在そのものが希薄になるものだ。だとすれば、インディ500の英雄たちが真に傷つけられたのはボンマリート500のレース2などではなく、ミッドオハイオの週末だったと考え直すべきだろう――まったく、前回の見立てはすっかり見当違いだった。

 起伏の激しい丘を蛇行しながら回るミッドオハイオ・スポーツカー・コースは、デトロイトのベル・アイル市街地コースがいつもそうするのと同様に、オーバルの成功者を今度こそ完全な敗北に塗れさせた。土曜と日曜のダブルヘッダーで、佐藤琢磨は17位と18位に沈んでいる。それぞれ予選18位と22位からスタートした結果だから、何の偶然に左右されたわけでもない、単純に、レースを戦う上で必要な要素を欠いてただ敗れたのだ。予選で失速した原因や決勝で浮上できなった具体的な理由は専門家の分析や当人の言葉で詳細に明かされようが、そこに本当の断絶があったとするなら、物理的要因とはまったく別に、彼の惨敗はやはり例年のインディ500後が繰り返されただけだと見えてくる。たとえば2010年のダリオ・フランキッティ以降、もう10季ものあいだインディ500と年間王者を同時に獲得した例がないといえば、示唆されるものがあるだろうか。10年前といったらまだシーズンの半分がオーバルレースで構成されていて、インディ500の次に行われるレースもテキサスだったから、今とは事情がまったく異なる時代の話だ。近年もっとも同時チャンピオンに近づいたのは2015年のファン=パブロ・モントーヤだったが、彼とて6月以降はおぼつかないレースばかりで、周囲の不調に助けられて最終戦まで首位を維持していただけとあまり褒められたシーズンの過ごし方ではなかった。選手権ポイント2倍の特典が与えられることになったにもかかわらずその優位を活かせないのだから、インディ500の優勝は、まるでその他のレース、殊に市街地やロードコースでの困難と交換されるようでさえある。その意味で佐藤は――これは前回の記事の結びのとおり――500の勝者として「正しく」、もちろんそんな正しさなど歓迎したくはないとはいえ、しかしやはり負けるべくしてミッドオハイオに負けたのだった。

 それはインディ500で佐藤の2位に敗れ、ボンマリート500・レース1では逆に佐藤の攻撃を凌いで逃げ切った、つまりオーバルの3連戦を一貫して強く戦い抜いたディクソンも同様ではあった。ミッドオハイオ・レース1の予選は佐藤の1つ前の17番手に留まり、レース2こそ2列目に並んだものの、決勝22周目にターン1の縁石を踏んだ際、少しだけリアタイヤを芝生に落として単独スピンを喫し、20位まで転落している。そういったはっきりと際立つ失敗を目にすれば、ディクソンもまた断絶の深い溝に落ち込んだのだと思えるし、事実として結果も芳しいものではなかった。レース1は10位で終わり、レース2もおなじ場所でゴールしている。凡庸な順位だ。  凡庸な順位。そう思える。開幕から3連勝を記録し、4勝を上げているポイントリーダーにしてみれば、たしかにつまらない数字だろう。今季2桁の順位はロード・アメリカの12位しかなかったのに、それがまとめてやってきたのだから、本人が「新人のような、馬鹿げたミスをしでかしてしまった」と嘆いたスピンを含めて失望の週末だったのは明らかだった。わずかながら縮まった選手権の得点差が、閉幕に向けて影響を及ぼす可能性もないではない。ただ、たしかにそうした数字上の実際がある一方で、それでもわれわれはみな、今回のディクソンに対して驚嘆とあらためての尊敬を禁じえなかったのではないか。半月前に激しい鍔迫り合いを演じた相手である佐藤の顛末と比べればなおさらだ。レース1はフルコース・コーションが一度もなく、レース2もディクソンのスピン以降はずっとグリーン状況で行われた混乱の少ない週末で、両レースともポールシッターが最多ラップリードを記録し、優勝した。コースの起伏の激しさとは裏腹に平坦に展開し過ぎ去ったミッドオハイオで、ディクソンの変動だけが異彩を放っている。17番手からスタートしたレース1では1周目に2台を抜き、また次の周に2つ順位を上げて、あっという間に13位にまでなってしまった。とくに1周目の動きは異質に見えるだろう。バックストレートでのスタートでは前方をじっくり観察するかのように少し距離を置きつつもオリバー・アスキューを交わし、ターン4では密集を避けて出口で内側に潜る。そして左へ長く回り込むターン5で気づけば周囲の車とラインを交錯させたかと思うと、ひとりぽつんと内のラインから立ち上がり、悠々と切り返しのターン6に進入していくのだ。ターン5の出口外側では、サンティノ・フェルッチとパト・オワードが、あるいはコルトン・ハータとマックス・チルトンが真横に並び、車を滑らせカウンターステアを当てながら空間を主張しあって接近している。そんな危険の蓋然性が高い場所にディクソンはわざわざ近づかず、安全な場所からそっと窺うだけだ。そうしておいて、順位を争い続けてターン9に窮屈な進入を余儀なくされたチルトンを、ふたたびラインを入れ替えながら簡単に攻略してみせるのだった。激しいサイド・バイ・サイドや乾坤一擲のブレーキングで攻め立てるのではなく、自分は手堅く正しい手順を踏みながら、相手の悪手を的確に咎めてあくまでスマートに仕留める。派手さがないから観客からは見えにくいだけで、彼はきっといつでもそのための準備を怠らずにいるはずだと、この場面から想像されるのだ。こんなふうに、ときにわれわれの視界の外で、ディクソンは自分の領域を強固に築き上げているのだろうと。(↓)

 

(上写真)1周目のターン5、スコット・ディクソン(右奥)は危険な争いを横目にひとり小さく回る。(下写真)ターン6へ向かう。ぽつんとひとり左端から進入したディクソンは、そのまま外のラインを維持して鋭く加速していく

 

 9周目にはターン1と2の間の直線でリナス・ヴィーケイを交わし、長いバックストレートでマルコ・アンドレッティの背中を脅かした。直後にヴィーケイはおそらくプッシュ・トゥ・パスを使用してディクソンを抜き返そうとドラフティングに潜り込むが、ディクソンが突然外に進路を取ったことでマルコが目の前に現れて行きどころに迷い、反撃の機会を逸する。ディクソンはターン4でマルコに十分な空間を与えて大外を回り、左に切り返すターン5を的確に押さえて立ち上がっていく。これで11位になった。スタートから10周もしないうちに、失地の大部分を挽回してしまったわけだ。以降はゴールまで必ずしも目立つ何かがあったわけではなく、いくつかの順位の上げ下げがあって結局10位で終えることになり、それは先述のとおり芳しい結果ではないが、予選の失敗を前提とすれば一定の成果だったと言える。まるで、オーバルからロードコースへの移行で断ち切られた速さをふたたび正しく組み直していく過程にこのレース1を費やしたかのような戦いだったとも感じられるだろうか。

 そんなふうに速さを少しずつ回復していったレース1の先に、たぶんレース2の、結果には繋がらなかった驚嘆が待っている。本人自身が「新人のようなミス」とかこつスピンで20位に落ちた後、ディクソンはコーションでのリセットがないレースを自力の速さだけで10位にまで戻ってきた。それも、周囲より1回多くピットストップを行ったうえでのことだ。その途中、たとえば48周目を切り出すと、奇術に騙されたのと同様の感覚に囚われる。ディクソンがスピンしたとき、レースリーダーは佐藤だった。それは本来なら給油すべきタイミングだった16周目のコーションでステイアウトする苦肉の策で得た暫定の首位だったが、いずれにせよ首位と最後尾なのだから、このとき2人の差は最大に開いていたことになる。画面表示を見直してみると、どうやら25秒はあったようだ。その後、ディクソンはスピンによってタイヤを傷めたのか31周目にいちどピットへ戻り、続いて変則的な作戦を採用した佐藤が32周目に給油を行う。つまり25秒離れた彼らはまったくおなじシークエンスで走り続け、もちろんその間コーションが導入されることもなく――48周目、佐藤が局面を打開しようと同僚のグレアム・レイホールに仕掛けようとするターン4で少し後方をふと見やると、そこにディクソンがいる。一瞬目を疑ってライブタイミングを注視すれば、たしかに1秒後ろに迫っているのだ。一体何をしていたというのか、カメラが捉えない画面の外を走っている間に、ディクソンは奇術のように佐藤との大差をすっかり消してしまった。ごらんください、ここに25秒差あります。でもちょっと指を鳴らせば、このとおり――。まさか。(↓)

 

スタート直後、飛び出したサンティノ・フェルッチが無理にコースへ戻った動きに巻き込まれたフェリックス・ローゼンクヴィスト(手間)とアレックス・パロウ。この後もコーションは1度しかなかった平坦なレースを、ディクソンは巧みに戦い抜くことになる

 

 もちろん、ディクソンが佐藤に追いついたのは(奇術もそうであるように)純粋に物理的な帰結だ。32周目以降、佐藤がずっと70秒台でしか走れなかったのに対し、ディクソンは68秒台を連続させて気づかぬうちに差を詰めていた。それがようやくひとつの視野に収まったのが48周目だったにすぎない。ただ、理屈を考えればそうなるとわかるとしても、現象だけをいきなり目の前に突き出されると混乱してしまうものだ。頭に湧いた疑問符が消えないうちに佐藤がピットへ向かい、ディクソンはターン2でタイヤスモークを上げながらグレアム・レイホールを抜き去って――この週末で唯一の、情動に満ちた機動だった――ますます速度を上げていった。それから10周後にピットストップを行った後、ディクソンは13位でコースに合流している。佐藤が走っているのは18位だから、単独走行のスパートで5台を抜き去ったわけだった。そうして65周目にファステストラップを記録し、コース上で3台を手もなく料理して10位に戻り、チェッカー・フラッグを受ける。上位の隊列が動かない中で、ディクソンだけがひとり速さを持って困難を克服していた。やはり数字上の結果は不満でも、すばらしい過程を戦い抜いたレースだったのだ。

 失敗されたこの2つのレースには、しかし失敗だったからこそ、ふだん隠されたディクソンの優れた技術がはっきりと現れたのかもしれない。視野の広さと、感知した周囲の情報を整理し、数秒先の未来を正しく予測する認識力、それを即座に最適な操作へ結びつける脳と身体の連動性。あるいは相手を巧みに誘導し、自分を相対的に優位な場所に置く手管、ほんの一瞬だけ姿を現しすぐに消える凶暴性、もちろん破綻を導かない運転そのものの正確さ。いつだったか、「ディクソンはレースを失わない」と書いたことを思い出す。ひとつ持っているだけでも武器になる才能が、スコット・ディクソンという個の中で何層にも折り重なって、互いに相乗し、また補完する。オーバルからの断絶に佐藤が一直線に落ちていったのに対し、ディクソンは複合的な能力によって自ら傷を修復してしまう。インディ500の英雄たちに生じたミッドオハイオの差は、そういったところにあったように思えてこよう。ディクソンが無惨な失敗を犯してただ何もなしえず敗れるところを想像することは難しい。今季3レースを残して、6度目のシリーズ・チャンピオンは、どうやら着実に彼の下へ近づいている。■

 

レース1を快勝したチームメイトのウィル・パワー(右)と談笑する(?)選手権2位のジョセフ・ニューガーデン。追いかけるディクソンの遠い背中を視線の先に捉えているだろうか。

 

Photos by :
Chris Owens (1, 3, 5)
Chris Jones (2, 4)

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