パト・オワードがだれも見たことのないインディカー・シリーズをもたらす

【2021.6.12-13】
インディカー・シリーズ第7-8戦 シボレー・デトロイトGP

(ベル・アイル市街地コース)

インディアナポリス500の余韻が去り、スーパー・スピードウェイから市街地コースへ戻ってきたデトロイトGPレース1の経緯を見るかぎり、冷えたプライマリータイヤにおける佐藤琢磨のスピードは芳しいとは言えなかった。車の性質なのかセッティングの方向性だったのか知る由もないが、スティント後半になっても衰えないペースと引き換えに、タイヤに熱が入るまでのグリップを犠牲にしているかのようだったのである。弱みも強みも明快だった。フェリックス・ローゼンクヴィストの大事故によって90分の長きにわたった中断後にはリナス・ヴィーケイに交わされ、あるいは最後のタイヤ交換直後にはこの日のポールシッターだったパト・オワードから大きく引き離されながら、どちらも十数周のうちにふたたび迫り、状態に自信がなければ踏み込めないであろう深いブレーキングで順位を取り戻したのだ。64周目には、一時4秒の差をつけられたヴィーケイにまた追いつき、本来ならパッシングポイントではない狭いターン5でインを奪い取って3位にまでなった。16番手スタートと予選で苦しんだ佐藤がレース終盤に表彰台の一角を占めたのは、タイヤをめぐる浮沈を行き来した結果によるものだった。

 だからチェッカー・フラッグまで6周を残すばかりの65周目にロマン・グロージャンの単独事故が飛び込んできてフルコース・コーションとなり、次いでこの日2度目の赤旗が振られてレース中断に至ったのは、佐藤の立場からすればおそらく歓迎できる事態ではなかった。本来ならレースは終演の準備に入っていて良くも悪くもそれ以上の順位変動は期待できず、滑り込んだ表彰台に健闘を称えて終わるはずだったのに、また難しい混戦に放り込まれてしまうのである。待機する数分の間にタイヤは冷えるはずだし、失った熱はレース再開後のペースカーの先導程度では戻らない。前後の間隔が縮まってのリスタート。きっと数十周前とおなじように、息を吹き返した背後のヴィーケイが襲い来るだろう。理屈としては前の車を攻め立てられるのだが、おそらくそうはならず、後ろに怯えることのほうがよほど現実的な想定であるようだった。

 はたしてリスタートはそのとおりになる。いや、予想外の事態はひとつ起こった。レース中盤から先頭に立ち、巧みに順位を守っていたはずのウィル・パワーが、赤旗が明けても動けずにいた。あろうことか、エンジン・コントロール・ユニットの過熱が原因でエンジンを始動できなかったのである(確実にしていた今季初優勝をふいにされたレース後のパワーは、全員が停車するまでチームクルーが車に触れられないルールのためリーダーの自分は止まってから冷却ファンの設置までもっとも時間がかかってしまった、不公平で馬鹿げている、と怒りを露わにすることになる)。考えもしなかったトラブルで突如としてリーダーが消え、2位でリスタートを切った佐藤の表彰台は、しかし結局のところ、望外の幸運にもかかわらずグリーン・フラッグから十数秒のうちに逃げ去ることになった。加速が認められるリスタート・コーンを過ぎても、新しいリーダーとなったマーカス・エリクソンに追従できず、直後にはもう20m以上の差をつけられる。反対に、小さく旋回できない佐藤を圧倒する進入で直後のヴィーケイが最終ターンからスタート・フィニッシュ・ラインに向けて懐に潜り込み、ターン1で簡単に逆転する。そして、さらにその後ろ。自在に車を振りながらヴィーケイをも上回る勢いで迫るオワードが、アンダーステアに陥ってコーナーの頂点に寄せられない佐藤の空間を、少し外からの進入ラインから内へと鋭く切り込んで奪い取った――デトロイトでもっとも注目すべき瞬間があったとしたら、おそらくはこの場面だった。それはこのレースのこのコーナーに限らず、週末のパト・オワードすべてをもっともよく表現する、きわめて衝動的で、言葉をのせるなら射抜くというにふさわしい美しい旋回だったのである。(↓)

 

レース1は予想外の展開で、マーカス・エリクソンがインディカー初優勝を遂げた

 

 デトロイトの2日間での充実を、どう見たものだろう。リスタートで佐藤を鮮やかに交わし、届きそうもなかった3位表彰台に辿り着いた翌日、オワードは予選で単独事故を起こし16番手スタートに留まってしまった。しかしそれほどのミスですら彼にとっては本当に些細なかすり傷で、レースが始まって15周もするうちにはもう7位を走っているのだ。たとえば1周目。ターン1の内に殺到する前の車を尻目にオワードは外のラインを選んで開けた場所を悠然と加速し、2つのコーナーの後の長い直線の先にあるターン3のブレーキングまでに、3台を抜き去ってしまう。たとえば4周目の終わりから5周目にかけて。孤状の最終ターンでシモン・パジェノーに追突せんばかりに接近すると、短いホームストレートで内に潜り込み、ターン1への進入はもう自分の位置を完全に確保している。切り込もうとしたパジェノーはオワードがすでに真横にいることに気づいてステアリングを戻したのか、それとも路面のひどい凹凸に足を取られたのか姿勢を乱し、抵抗できぬまま順位を明け渡す。たとえば15周目。開幕での軽い接触のせいかバランスに苦しんでいたアレキサンダー・ロッシが、ターン3でサンティノ・フェルッチにインを差される。外を回らざるをえなくなったロッシに対しオワードは柔らかいブレーキングで小さく旋回し、立ち上がり加速が始まったときにはもう内側に並びかけていて、ターン4までの短い直線で頭一つ抜け出している。たとえばフルコース・コーションが明けた59周目のリスタート。パジェノーにしたのとまったくおなじやりかたで、最終ターンからターン1のわずかな区間にスコット・ディクソンを退ける。たとえば、たとえば……。

 たとえば64周目のリスタート、まるでリプレイを流しているだけのようにして、ターン1でグレアム・レイホールを捉えた。返す刀のターン3では、外から覆いかぶさるような進入でアレックス・パロウを攻略する。たとえば65周目、今度は左に軽く曲がりながら右の直角ターン7に向けて減速しなければならない難所で、コルトン・ハータの死角から姿を現すようにブレーキングして懐を抉った。旋回を始めようとしたハータは、気づいたときには右に並ばれていて、パジェノーがそうだったように防御を断念する。どのコーナーもそんな具合に、つねにもっとも小さく、もっとも鋭く、もっとも合理的で効率的で、もちろん、もっとも速く曲がっていった。ハータを交わした直後のターン13を、最小限のカウンターステアでスライドを抑え込みながら立ち上がっていく姿には、張り詰めた切れ味と緩やかな余裕が矛盾なく同居しているように見える。65周が過ぎゆき、16位からレースを始めたオワードの前には、もうジョセフ・ニューガーデンしか残っていない。

 ニューガーデンは苦しんでいるのだった。ポールシッターとしてそこまで全周回で先頭を保つ一見完璧な展開とは裏腹に、どういう意図か上位勢でただひとり寿命の短いオルタネートタイヤを最後のスティントに回す作戦を採用したせいで、フィニッシュまで残り5周にして当初のスピードを完全に失っていたのである。2度にわたった長いコーションは、築いたタイム差と引き換えに心もとないタイヤを延命させる効果をもたらしたが、それも一時しのぎにしかならず、コーションの前後でニューガーデンのタイムは1秒から2秒も落ち込んだ。64周目に1.5秒近くあったオワードとの差はたった2周で0.2秒になって、レースが引っくり返るのは時間の問題だった。画面はオワードの車載映像に切り替わる。ターン6から7にかけての長い全開区間でまだ小さかったリーダーの姿が、ターン7のハードブレーキングを経て、カジノ脇の8から、9、10と芝生広場を回り込んでデトロイト川沿いに戻るターン11を通る15秒のあいだに、リアウイング裏に書かれた「HITACHI」のロゴがはっきり読めるほど大きくなった。ニューガーデンの頼みはもはや前半に温存しておいたプッシュ・トゥ・パスを惜しみなく使っての直線スピードしかなく、しかしそうやって必死に逃げたところで、オワードがブレーキペダルを踏みしめるたったそれだけの動作で、あっという間に元の木阿弥になる。そうしたやりとりが、2周ばかり続く。

 2周ほどしか続かなかった、とも言えた。68周目、ペースの低下に乗じて追いついてきたハータが反撃の機を狙ってターン3で深すぎるブレーキングを敢行し、タイヤから白煙を上げながらあわや壁に接触するほどに膨らみ、後退する。ふたたび一騎打ちに臨んだオワードは、ターン6の旋回のアンダーステアでインに寄せきれなかったニューガーデンが、さらに立ち上がりで今度はオーバーステアに陥って大きくリアを振り、トラクションをかけられずに失速する瞬間を逃さなかった。ふらふらとダンスを踊るリーダーとは対照的にぴたりと壁に近づきながらまっすぐ加速していくオワードは、緩やかに右へ折れる長い全開区間で、距離損も構わず左から並びかける。右に押し込もうとするオワードの右後輪が、外へ押し出されてくるニューガーデンの車体に一瞬擦ったものの、臆する様子はない。やがて曲線の向きは左へと変わり、直後に強烈な減速区間が待ち受けるが、そこに差しかかるときにはとうに勝負は決していた。オワードはニューガーデンを牽制するラインを取りながらもすでに車1台分先行してブレーキングを始め、それまでと同様に鋭く、小さく、効率的にターン7を旋回する。それに比べてニューガーデンの回頭はいかにものたりと緩慢で、67周にわたったリーダーの地位が虚構だったとさえ思わせてしまう程度でしかない。結局、一方的なパッシングからたった3周半のうちにオワードは7秒近い大差を築いてチェッカー・フラッグを仰ぎ見る。彼自身にとって2度目の勝利を、市街地コースでの初優勝を、あるいはまたシリーズ全体を見れば今季8レース目にしてようやく1人のドライバーが2勝目を挙げたその瞬間、かろうじて2位に留まったニューガーデンの姿は最終ターンのフェンスの向こうに隠れ、ホームストレートのどこにも見つけることはできなかった。(↓)

 

 

 デトロイトの週末の躍動によって、オワードはたった1点ながらパロウを逆転し、選手権をリードする立場にもなった。インディカーは(しばしばメルセデスの一強時代が続くF1との対比で)だれにでも優勝のチャンスがある接近したカテゴリーと言われることがあるが、単一のレースを局所的に見ればそうであっても、じつのところ俯瞰したときの強者は一貫して変わらない。過去10年間、チャンピオンを獲得したのはことごとくチーム・ペンスキー所属のドライバーか、そうでなければスコット・ディクソン――正確を期すると10年前はチップ・ガナッシ・レーシングでディクソンの同僚だったダリオ・フランキッティであるが――で、例外はアンドレッティ・オートスポートに乗っていた2012年のライアン・ハンター=レイだけだ。さらなる過去に射程を広げても、インディ・レーシング・リーグから現在のインディカー・シリーズへ名称が変わった2003年以降、ペンスキー、ガナッシ、アンドレッティ以外のチームからチャンピオンが出た年は、それだけでなく選手権2位に入った年さえ、ただの一度もない。シーズンが折り返しを迎えようとするこの時期に選手権の首位にいるのがペンスキーのだれかでもディクソンでもないなど、稀に見る異常事態とさえ言えるだろう。

 たしかにペンスキーが不定愁訴のように決定的な原因が見えぬままどことなく軽い不調に陥っている現状に後押しされた面はある。彼らがこの先も手をこまぬいたままでいるとは考えにくいし、当然、パロウというディクソンを超えうる存在をついに手に入れたチップ・ガナッシも黙ってはいまい。しかしそれでも、夏を迎えようとするいま、オワードがリーダーボードの1行目にいる事実、現にそうなっているという厳然とした事実は、長らく続いた寡占のときが過ぎ、新しい時代が、これからやってくるのではなくもうすでに到着した後であることを意味しよう。デトロイトのレース2に残った3対67のラップリードという数字上は偏った展開と裏腹に、彼は幸運ではなくたしかに自らの力でそこに登っている。22歳になったばかりのメキシコ人。アロー・マクラーレンSP。今はまだ異質なはずの存在が最後まで選手権を賑わせるなら、観客は15年以上にわたって文字どおり知りえなかったインディカー・シリーズに、とうとう触れることになる。■

 

土曜日のレース1はポール・ポジション。オワードはだれよりも速い2日間を過ごし、選手権首位に躍り出た

Photos by :
Chris Owens (1, 2)
Joe Skibinski (3, 4)
Matt Fraver (5)

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