断続的な雨に展望を見失う

【2022.5.14】
インディカー・シリーズ第5戦

GMR GP(インディアナポリス・モーター・スピードウェイ・ロードコース)

その日わたしはスポーツカートの耐久レースに出場するため明け方には家を出る必要があり、後ろ髪を引かれつつもちょうど同じ時間に始まるGMR GPの同時観戦は諦めなければならなかった。日曜日の未明にふたつの予定が重なってしまうのだからモータースポーツを愛好する生活もなかなか厄介なものではあるが、ともかくそんな事情で戦況の情報をいっさい仕入れないままオートパラダイス御殿場に着くと、レース前のスターティング・グリッド上で筋金入りのインディカーマニアである知人と顔を合わせることになるわけである。わたしは予選8位を記録し、彼らのチームは5位だったが、タイム差は0.05秒くらいしかなかったはずだ。お互いインディカーについて直接話せる数少ない人物が会えば、自然と「裏」で行われているレースの話題に引き寄せられる。すると、ミカイル・アレシンの使用済みレーシングスーツを持っているほど見事な筋金が入っているその彼は、少しだけ見てから来たんですけどと前置きして一言、ぐだぐだでしたよ、とだけ教えてくれた。

 博識ぶりを信頼するその彼の言を聞いて、何も知らないながらになるほど典型的なIMSのレースになっているのだろうかとまずは勝手に納得したものだった。市街地コースや古典的なパーマネントサーキット、そして数を減らしているとはいえもちろんオーバルコースを主戦場とするインディカーにとって、F1の開催にも適するインディアナポリス・モーター・スピードウェイのロードコースは少しばかり大きすぎるきらいもあって、速さと展開に齟齬が生じにくい印象が強い。序盤に飛び出した者がそのまま逃げ切るのもお定まりで、しかもポール・ポジションからスタートするのがそういうレースをめっぽう得意とするウィル・パワーだったから、「ぐだぐだ」と聞いてまず想像したのは動きの少ないパレードレースの光景だったのである。あらためて予選について思い出そうとしてみる。パワーの隣には若いチャンピオンのアレックス・パロウが並び、ジョセフ・ニューガーデンが続いていた。コナー・デイリーやカラム・アイロットの上位進出といった驚きがないではなく、またアンドレッティ・オートスポート勢の失速がやや気にかかりもするが、概して順当なスターティング・グリッドであっただろう。そこでわたしはただの相槌のように「インディアナポリスってそういうものですよね」と返事をし、向こうも「まあそうですね」とあまり意味のない応じ方をする。お互い結果を知らないし、後で見るときの楽しみのためレース内容について詳しい言及を避けようとすれば、可能な会話の範囲はそんな程度だ。話題は仕事に移ろい、プロの音楽家として活動する彼は、GAORAインディカー中継のスタジオBGMを作れたらいいんですよとにこやかに言う。門外漢にその実現可能性は想像できないが、それは本当に適任だしそうなるのを待ち望んでいると、今度は相槌でなく伝えるころ、われわれのレース開始時刻も迫っている。健闘を祈って別れ、スタートドライバーとしてエンジンを始動しフォーメーションラップへ向かおうとするそのとき、わたしはとんでもない見当違いを犯していたことを知らなかった。インディアナポリスはまったく「そういうもの」ではなかったのだ。はるか遠くの地であれほどの雨が降っているなど、思いもしなかったのである。

 ダブルヘッダーの2戦目で3位表彰台を獲得し、上々の気分で帰宅した後に中継の録画を見始めてようやく、わたしは会話の意味を悟ることになる。なるほど想像していた膠着とは大違いで、たしかに「ぐだぐだ」と称するのも無理はないどこまでも脈絡を欠いたレースだった。わたしが明け方に自宅のガレージから車を出したとき、当地ではひとしきり降った雨が止んだあとで、刻一刻と乾いていく路面をレインタイヤで走る難しいレースが始まっていた。先頭からスタートしたパワーははや1周目のバックストレッチでパロウとニューガーデンに挟まれてその座を明け渡し、かと思えばそのニューガーデンもすぐさまパト・オワードに交わされ、さらに一度抜いたはずのパワーにターン10で逆襲されて芝生へと押し出されて結局8位まで下がっている。チーム・ペンスキー同士でいきなり起こったこの面倒な小競り合いが、知人の漏らした感想の幕開けだった。半乾きの路面に対する各車の適応はまちまちで、首位に立ったパロウさえそこにいたのはターン12までで、ブレーキングでオワードにあっさりインを明け渡してラップリードを刻むことができない。2周目の終わりには、14番手スタートだったコルトン・ハータと軽い接触でフロントウイングを傷めたらしい佐藤琢磨がもうピットへと入ってドライタイヤへと交換するやいきなり6秒も速くなり、それを見た全員が続々とドライへ切り替えてしまってもはや何のためのレインタイヤスタートだったのかもわからなくなった。呆然としているうちにすっかりドライレースへと変わっていた5周目、ハータが先頭に立って佐藤も7番手にまで押し上げていたのだから、これはほとんど詐欺のようなものだった。3周目の時点ですでにオワードは3.6秒という圧倒的な大差を築いていたというのに、それもいったいどこへ消えてしまったのだろう?(↓)

開幕の3ワイド。直後のニューガーデン(右)とパワー(中央)の接触が、混沌を告げる合図だった

 その後は、だれに、何が、何回起こったのか数えるのも難しい展開が続いた。パロウはオルタネートタイヤに換えた直後にスピンを喫し、芝生からコースに戻ろうとしてちょうど道を塞いだところでエンジンをストールさせ、最初のフルコース・コーションの原因となった。エンジンを再始動してもらったときには周回遅れで、最後までその状況から抜け出すことはできずに18位に沈む。またニューガーデンのレースは17周目、唐突に終わった。ターン10と11の間にある短い直線で、アレキサンダー・ロッシとジャック・ハーヴィーに挟まれて行き場を失い、左前輪と右後輪を同時に押される形になってあえなくスピンしたのだ。後輪が両方ともパンクしてサスペンションも折れていたようで、修理はしたものの復帰には十数周を要した。こうして選手権の1位と3位が見えなくなる。2位のスコット・マクロクリンはレース後半にコーションを利していちど先頭に立ちはしたが、目立ったのはそこだけで結局スピンで後退した。ルーキーのカイル・カークウッドも2度か3度か飛び出していただろうか。スピン、スピン。

 あとは……どんなことがあっただろう。たとえば21周目のリスタートでリナス・ヴィーケイが芝生に落ちてくるりと回り、そこにデヴリン・デフランチェスコが避けきれず突っ込んでしまう。36周目にはスコット・ディクソンがピットレーンで止まり、クルーが駆け寄ってピットボックスまで手押ししている。この燃費走行の達人にしてわずかに燃料が足りなかったらしかった。奇妙なレースに、やはり「ぐだぐだ」な奇妙が重なるが、そこでほぼ1周遅れになったはずのディクソンは終わってみれば10位にいたりして、どこまでもちぐはぐな唐突感を否めない。このころになると雨雲がまたコースの上空を侵し、細かい雨が認められるようになっていて、今度は42周目のリスタートでオワードがターン1のインサイドに飛び込みながらリアを振り出してスピンし、あろうことかチームメイトのフロントウイングを引っ掛けて落とす、といったことも起こる。路面状況を考えれば楽観的にすぎる仕掛けだったが、あるいはスタート直後の半乾きで抜群に速かったから、過信に近い自信があったということだろうか。不運にもその真後ろにいた佐藤も多重事故を回避するため芝生に飛び出さざるをえず、コースに戻る際に1回転してしまった。スピン、またスピン。やがてオワードは3番手に戻るが最後のタイヤ選択を誤って周回遅れでレースを終え、一方で佐藤は7位まで挽回してきたりする。何なのだろうか? レースはすでに半分を迎えたというのに、そこで起こるひとつひとつのアクションがまったく結果と結びつこうとしない。(↓)

フェリックス・ローゼンクヴィストは同僚のスピンに巻き込まれてウイングを落とす

 同士討ちを導いた雨はレースを嘲笑うようにすぐに止み、しかし57周目にジミー・ジョンソンが追突を受けてスピンし、5度目のコーションが導入されたころには、また強まろうとしている。その間にロマン・グロージャンがハーヴィーと接触してスピンしたり、カークウッドがグレアム・レイホールに追突されてスピンしたりしている……何度「スピン」と書けばいいのか。雨中のコーションにあって上位陣は路面の濡れ方を鑑みてレインではなくドライタイヤを選択し、ところがあっという間に空がどんどん暗くなってコーションの明けない2周後のうちにレインへと履き直さざるをえなくなる。そして極めつきに、グロージャンが、マクロクリンが、あるいはオワードが、レースもしていないコーション中にあっさりと制御を失くしてスピン(まただ!)した。どたばたと落ち着かない劇はスタートから2時間を超えて規定周回を消化することなくフィナーレを迎え、しかしそのチェッカー・フラッグさえも、この半月だけ復帰しているファン-パブロ・モントーヤの単独事故と重なって黄旗とともに振られている。弛緩した終わりかたに、見るほうの緊張感まで弛緩しっぱなしで、結末にも苦笑が交じった。だれが勝ったって? この際だれでもいい気がするが、ハータだった、とは記しておこう。もちろん彼にはすばらしい見どころがひとつあった。レインからドライへとタイヤを換えた直後、まだ路面が乾ききっていなかった5周目に、ゆるく右に回り込むターン8で完全にリアのグリップを失って回りかけるところを、文字どおり目いっぱいのカウンターステアを当ててドリフトしながらコースに留まったのである。車を手懐ける能力ならインディカーでも随一と思われる彼らしい反応は、コントロールが困難な2時間弱を走ったのち優勝を手にするにふさわしいものだった。結果を見るならばスピンだらけのレースでスピンしなかったドライバーが上位を占めているから、「ぐだぐだ」との境界線の手前で踏みとどまったことには千金の価値があったと言えるのだろう。

 それにしても、知人の言ったとおり脈絡のないレースだったのである。ハータはたしかに75周のうち50周をリードしていて、字面だけみれば完勝を思わせもするのだが、レース中にそんな印象は微塵も抱かなかった。不測の事態が、不測ではなくまるで予定されていたように始終配置され、そのたびにレースの中で積み上がってきたものが断ち切られてしまう。だれが勝ってもおかしくはなかった――だれが勝ってもおかしかった、と言ったほうがより適切だろうか。だから、この結果を一定の文脈に置くことが、どうしてもできそうにない。ここ数年、わたしはこのレースに2週間後のインディアナポリス500に対する緩やかな繋がりを感じていた。ロードコースかスーパー・スピードウェイかが異なるだけでおなじサーキットを走るから、という理由ではない。たとえばシモン・パジェノーにせよ、パワーにせよ、あるいは結果こそでなかったがヴィーケイにせよ、それまでひとりのレーシングドライバーとして培ってきたものをロードコースのなかに表現し、そのままインディ500でも優勝したり、見せ場を作ったりしたように思ってきたのである。だが細かく切り分けられた断片がばらまかれた今回のGMR GPに、そうした物語を見出すことはできないでいる。ハータの優勝は、このままインディ500に繋がるだろうか? 可能性はつねに開かれているが、そこにきっと連絡路はないだろう。雨によって展望は覆い隠された。これを書いている時点で、500マイルへの準備はすでに始まっている。佐藤が開幕から3日間のプラクティスすべてでリーダーとなり、しかし予選はポール・ポジションにおける歴代最速を記録してディクソンが制した。そのなりゆきに、わたしはまだなんの予感も抱けていない。■

8回登場し、「トップチェッカー」も受けたペースカーこそ、この日の主役だったかもしれない

All Photos by Penske Entertainment : James Black

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