【2022.5.1】
インディカー・シリーズ第4戦
ホンダ・インディGP・オブ・アラバマ
(バーバー・モータースポーツ・パーク)
ごくごく私的な、だれにも共有されえない感情にすぎないこととして、昨年のアラバマをいまだに口惜しく思ったりもするのである。あのレースにジョセフ・ニューガーデンはいなかった。レース開始からほんの数十秒も経っていなかったころ、1周目のターン4を立ち上がった瞬間にバランスを崩してスピンを喫したのだ。スタート直後の混戦のさなか、コースを横断しながら回る車を後続が避けられるはずもなく、最初に追突したコルトン・ハータをはじめ数台を巻き込む多重事故の引き金となって、ニューガーデンのレースは終わった。ピンボールのように何度も弾き飛ばされて、進行方向とは逆向きに止まったとき、すでにフロントウイングが落ち、サスペンションアームは折れて右前輪がひしゃげてつぶれていただろうか。不規則に四方をぶつけられた証拠に対角の左後輪もパンクしていて、すでにレースカーとしての機能を喪失したコクピットの中で、カメラに捉えられた事故の主はヘルメットのバイザーを上げて自分の無事を知らせると、それからステアリングを2度か3度回した。もちろん車は息絶えていて、走り出すことはない。
2021年の開幕戦として2年ぶりに開催されたアラバマは、ニューガーデンに失望だけを残し、振り返ってみればチーム・ペンスキーの優勝に恵まれない一年の呼び水となったようだった。表彰台には頻繁に顔を出していたと言ってみたところで、ずっと決め手のないちぐはぐなレースを続けてチームもドライバーもこの年の初優勝は第10戦ミッドオハイオまで待たなければならなかったのだし、その停滞が選手権を争ううえで困難をもたらしもしただろう。アレックス・パロウとパト・オワードの一騎打ちが続いていた展開にニューガーデンが加わったのはようやくシーズンも終わりに近づいた時期で、かろうじて最終戦のロングビーチに計算上の逆転可能性を持ち込みはしたものの、そこには本当に机上で計算した場合といったほどの意味しかなかった。結局、すべてはアラバマだったように思える。あそこでニューガーデンが見込めた順位が何位だったのか、1周目の単純なミスで何点を失ったかという皮相ではなく、ふとしたときに「それにしてもアラバマがなければ」と思い出してしまう程度には、あのスピンと、それに起因する多重事故は2021年のニューガーデンを支配し、影響を及ぼしていたのではないかと感じるのだ。もしあのとき最後まで走れていれば、もう少しましなシーズンが送れたのではないかと。
昨季のアラバマについての後悔は、ひとつにはそうした全体性の中に置かれているだろう。最終戦のロングビーチで先頭を走りながらレース終盤になってコルトン・ハータに交わされた瞬間に至るまで、ニューガーデンの半年間はどこか浮ついて曖昧に過ぎ、彼らしいはっきりとした輪郭を捉えることはとうとう叶わなかったものだったが、そのきっかけをアラバマに求めるのは、あくまで気分の問題にかぎっていえば、そう不自然な心象でもあるまい。ただ、これはニューガーデン自身の立場でも考えうる、当事者に寄った後悔で、のんきな観客でしかないわたし、このわたし自身が抱く感情はまたもうひとつ別にある。帰するところ、わたしはアラバマの、ジョセフ・ニューガーデンが見たかった、ただそれだけだったのである。作戦も、展開も、順位も、選手権の行方も、レース全体に対する興趣さえも、なにもかもを打ち捨ててでも、アラバマのニューガーデンを、バーバー・モータースポーツ・パークのターン14を走るジョセフ・ニューガーデンを見たいだけだった。その機会が一度も訪れないままレースが終わってしまった以上に、口惜しいことなどなかったのである。
それはどこまでもわたしの感傷にすぎない。バーバーのターン14(数え方によってはターン16)、ニューガーデンの初優勝にとってこのうえなく重要な役割を果たした場所。ウィル・パワーを、エリオ・カストロネベスを、スコット・ディクソンを下し、あるいは雨においては異質なラインを通ってみせ、また別のときにパワーをスピンにまで追い込んだ――2019年のアラバマで、ニューガーデンの前をゆくパワーがターン14で突如として破綻をきたしたのは、単純に見ればきっとただの単独スピンに違いなかったが、そこまでの経緯から「ニューガーデンの圧力がパワーをスピンせしめた」と物語を見出すのは容易だった――そこでの美しい運動、レーシングカーの機構と路面によって規定される物理的限界からすら解放されたかのような魔法の旋回は、思い返すたびにインディカーを愛するひとりの観客でしかないわたしの心を満たしてくれる。緩やかに湾曲する下りの右コーナーに沿いながら、その先のキンクに向かって急減速するあの瞬間、ニューガーデンはいつも信じがたい光景を見せるのだ。他のだれより内側のラインを直線的に通っているにもかかわらず、ステアリングを切りながらブレーキペダルが踏みしめられてもアンダーステアの徴候はいっさい見せずに、最後に曲率が大きく変わる頂点の縁石を掠めてくるりと曲がる。もし眼前に攻略すべき対象がいるとしたら、外に逃げようとする車をなんとか曲げようと苦労する相手をあざ笑うように、ニューガーデンだけが最短距離の空間を押さえてしまうことだろう。テレビの画面が偶然にその旋回を映し出すとき、モータースポーツを見る意味が、レースの全体を捉えようとする分不相応な試みから、局所だけを見据える極限の個人的経験へと移り変わる。一個の観客でしかない自分を自覚する快感が、ニューガーデンの、バーバーの、ターン14にはある。
その記憶を別のドライバーが、たとえばコルトン・ハータが引き継ぐことになっただろうか。31周目のとき、緩やかな右コーナーでアンダーステアを出して大外までラインを広げてしまったジミー・ジョンソンに対し、ハータはキンクに向かって小さく回り、その頂点で横に並んだのだった。それはもしかすると、ニューガーデン以外ではじめて見つけることができたかもしれない、特別な区間で行われた追い抜きの瞬間だったのである。ただ、そうではあったももの、残念ながらその有様は少しばかり優雅な上品さを欠いていたように思えた。ハータはぽっかりと空いたインサイドに飛び込みきれず、減速によってようやくグリップを回復させたジョンソンがキンクへ向けてドアを閉めるように寄ってくる動きに間に合わなかったのだ。インに押し込まれて右輪を芝生まで落とし、相手と接触しながらかろうじて成功させたパッシングは、ハータのほうが15周ほども若いタイヤを履いていた条件の不均衡も相まって、強引にこじ開けた力技の印象を拭えなかった。あるいは36周目のリスタート明けにデイヴィッド・マルーカスを抜いた場面もそうだ。今度は反対にハータのほうが頂点を捉えきれずに少し外に膨らみ、後輪同士を接触させてしまった。それらはたしかにターン14に現れた優れた運動ではありえたが、まだ魔法と言うには及ばなかっただろう。(↓)
そんな、少しばかりの失望とともに眺めていたレースで、不意に47周目の瞬間が訪れる。ターン13から14にかけて、フェリックス・ローゼンクヴィストが外に開いていくところだった。その直後、追随して深く切り込んだハータが、ステアリングを一瞬だけ中立に近い位置まで戻したのである。ドライバーの意志を反映するように、そこで車はわずかに直進に近い動きをして前方との差を急激に縮め、曲率が小さくなるキンクへと強く減速するころには2台がすっかり並んでいる。そうしてハータは頂点の縁石を優しくかすめ、まるでただ単独で旋回しただけだと言わんばかりに、滑らかに最終コーナーへと立ち上がっていったのだった。テレビカメラはこのやりとりを最初から最後まですべてにわたって捉え、わたしはそれをはっきり見たのである。
すばらしい時間だった。バーバーのあの場所でしか見られない美しい攻撃。1度目の試みから少しずつ段階を踏んで洗練され、完璧な形で成し遂げられた魔法のようなパッシング。それは昨年のアラバマで見失い、待ち望んでも現れなかった最上の瞬間だった。そう、これだけでよかったのだ。ただの9位争いに過ぎなかったとしても、そしてまたハータが後に、自らのミスで接触しスピンを犯して順位を落とすつまらない結末を迎えてしまったのだとしても、ターン14の情動の前にはなんの関係のない話だろう。作戦も、展開も、順位も、選手権の行方も、レース全体に対する興趣さえも、なにもかもを打ち捨ててでも、瞬間的に消え去る場面ひとつを求める権利が、観客には――観客にだけはある。わたしは自分が求める場面のひとつを確かに見届けた。担い手は異なっていたかもしれないが、そうやってようやく、1年前の後悔を解消することができたのだった。
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GAORAの日本語中継を見ていたわたしには知る由もなかったが、あとでYouTubeの公式ハイライトを振り返ってみたところ、国際映像ではこう実況されていたようだ。31周目のときには ”Up into Turn 16, looking for the inside run doing Josef Newgarden”、36周目には ”He’s trying to make the Josef Newgarden move”、そして最後のパッシングは ”It’s the Newgarden move by Herta for now a third time” ――ハータによって再演されたすばらしい運動には、いまやニューガーデンの名が離れがたく浸透しているのである。ニューガーデンの、ニューガーデンにしかありえなかった魔法が、インディカーという営みに広がっていく。もう7年も前にその最初の瞬間を発見したわたしにとって、これほどの幸せがあるはずもなかった。
だとすれば最後に、オリジナルに触れないわけにはいかないだろう。25周目にそれは起こった。ジョンソンの車載映像を見てみよう。数周後にハータに対してそうしたように、彼はターン14で少し外を走りながらキンクの頂点に向かって寄っていこうとし、しかし寸前にカウンターステアを当てて姿勢を正した。すると須臾、インサイドの右側からふっとニューガーデンが現れたのである。そのタイミングはいずれハータが試みたそれよりもずっと早く、直線的な進入で空間を占めたかと思うと、驚くほどの速度で瞬きする間もなくすでに1車身前に出ており、にもかかわらずその旋回角度の窮屈さとはまるで正反対に、笑みが零れそうなほど柔らかく向きを変えてしまっていた。アウトサイドから大きく旋回したはずのジョンソンの目の前でニューガーデンの横方向への動きがすっと止まり、まったく同じ脱出ラインに乗って最終コーナーへと走り抜けていく様子に、感情を揺り動かされ、すべての記憶を戻される。パワーを、カストロネベスを、ディクソンを下した場面を。そう、たとえだれが再現するとしても、ニューガーデンの運動が変わることはけっしてないのだ。名前がついている。”the Josef Newgarden move” ――彼の初優勝にとって重要だった場所に、また魔法が現れて、すぐ消える。■
Photos by Penske Entertainment :
Chris Jones (1)
Joe Skibinski (2)
Matt Fraver (3)