運動の断片を集めてレースに還元しない

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【2022.4.8】
インディカー・シリーズ第3戦

アキュラGP・オブ・ロングビーチ(ロングビーチ市街地コース)

すばらしいレースだった、などと口にすればいかにも陳腐で、まったく何も語らないに等しいだろう。しかし事実、そうだったと思わずにいられないときはある。昨季の最終戦からまた春へと戻ってきたロングビーチは、美しい運動を詩的な断片としてそこかしこにちりばめ、儚い、感傷的ですらある印象とともにチェッカー・フラッグのときを告げた。日本では未明から、すっかり朝を迎えようとする時間に、そんなレースを見ていたのだ。断片。断片だったと書いてみて気づく。断片だけがあった。去年、チャンピオン決定という強固で具体的な物語の舞台となった場所で、そんな散文的な文脈から切り離された純粋な運動の一節だけがひとつひとつ漂っていたようだった。

 レースから数日が経ってこれを書きはじめたいま、すでにレースの勝者がだれだったかを思い出せない――というのは大袈裟な修辞にすぎないが、ジョセフ・ニューガーデンがロングビーチに残したいくつかの場面は、たぶん結末をすっかり霞ませてしまった。ロマン・グロージャンにしても、アレックス・パロウにしてもそうだ。彼らの価値は、チェッカーが振られて興奮が収まった後に登った表彰台の上ではなく、不意にコースに現れては消える運動の中にこそあるのだった。美しい詩的な運動の断片。それを受け止めたならば、もはや結果など卑近で矮小な、ただの数字でしかなかったのである。

 たとえばある周回に、赤く縁取られたオルタネートタイヤを履いたグロージャンが、フロントストレッチでパロウを脅かしているのだった。スタート・フィニッシュ・ラインを過ぎて右に湾曲していく、コーナーとも直線とも言えない全開区間でのことだ。曲がってはいるのにコーナー番号は与えられないこの場所で、パロウはコースのちょうど中央に車を置いたまま、左右のどちらを守るべきかわずかに思考を働かせたようだった。最初から右に寄れば距離を稼げる一方で舵角抵抗によってわずかに車速を鈍らせ、ゆるく曲がったすぐ先には直角に左折するターン1が待ち受ける。ひとたび左に並ばれてしまえば防御は困難になるだろう。難しい選択を迫られて、パロウはその湾曲を少しだけイン寄りに、見ると前を走るニューガーデンより車幅の半分から3分の1くらい右側を走って相手を牽制している。壁際に、ちぎれ落ちたタイヤのゴムが積もっているのがよくわかった。湾曲が終わろうとするころ、パロウが今度は針路を左に向け、完全な直線へと変わるあたりでステアリングをかすかに切り込んでコースの中央を占めた。その動きはやや滑らかさを欠き、角張って見える。抵抗が生じて、少し速度を失ったかもしれない。しかしグロージャンがそのさらに外へ行くのもまた危険が伴いそうで、パロウよりも深く曲がって右側に並んでいる。ピットレーンとの並走。速さは追いかける側が勝り、グロージャンは減速の直前にタイヤひとつ分だけ前に出るが、有利な位置を確保したパロウが結局はターン1へと機先を制し、順位表をそのままに固定した。お互いの右後輪と左後輪がこれ以上なく接近し、グロージャンは接触を避けるためにいちど旋回をやめて、またすぐ曲がり直す。そんな細かい意思の交換がある。

 コルトン・ハータは完璧な予選と、最高の決勝を過ごしていた。最初のスティントまでは何も憂える必要がないレースだった。セント・ピーターズバーグのスコット・マクロクリンがそうだったように、後方との差を適切に保ち、優雅な優勝へ向けて歩を進めているのだった。だというのに、あのピットは何だったのだろう。フロントストレッチと同様に湾曲しているピットレーンで、ハータは突き動かされたように見当違いのボックスへ止まろうとして、すぐ勘違いに気づいて取りやめた。その余計な動きが実際にどれだけの損失を生んだのかはわからない。正しい位置に止まったあと、チームの作業もあまり迅速ではなかった。いずれにせよ長いピットレーンを経てコースに合流してみれば従えていたはずのニューガーデンとパロウはとっくに走り去った後で、ハータはいるべき地位を失ってしまった。追いかける立場に一転してしまったある周のこと、長い直線の後にブレーキペダルを踏みしめた瞬間に段差を乗り越えて正しい制動を外れ、回転を止めたタイヤが白煙を上げながら路面を上滑りして、何もなせず壁に吸い込まれたのだった。激しい衝突に見舞われた左前輪はもはや脚が折れて機能を失くし、かろうじて退避場所まで車を転がしたハータは頭を抱える。去年のナッシュビルでも同じ展開で同じ失敗を犯し、同じように落胆していただろう。そうして、完璧だったはずの週末は唐突なDNFとなって泡と消える。たとえばそのように感傷に満ちた悲嘆がある。(↓)

 

 

 別の周に、フルコース・コーションが明けたリスタートで、グロージャンがニューガーデンの背中に縋ろうとしている。オルタネートタイヤを見事に使いこなしたグロージャンはいつまでも速く、しかしプッシュ・トゥ・パスはもう使い切っていて、ターン1の進入で車半分まで外に並ぶのが精一杯だった。それでもなお追従は続き、ターン3の噴水の脇を連なって通り抜けると、その少し先で、つまらないミスによって車を止めたマーカス・エリクソンが所在なげにレースを眺めている姿が映される。舞台から去った後の人が見せるその寂しそうな視線はレースから熱量を奪っていくかのようで、隊列は落ち着きを取り戻していく。グロージャンにもう追いつくすべはなく、すると不意に後方で佐藤琢磨がターン8のタイヤバリアに刺さってしまった。たとえばそんなふうにレースの決着は訪れる。

 またしても、フロントストレッチでグロージャンがパロウを攻め立てている。今度はさっきよりも少しだけ早く、ラインのあたりではすでに捕まえる準備ができていて、パロウの牽制に構わず湾曲に向かって即座にイン側へ飛び込んでしまうと、ターン1へのブレーキングを始めるときにはすっかり前に出ているのだった。悠然とターン1を先行したグロージャンはパロウを置き去りに、すぐさまニューガーデンを追いかけるのだったが、その旋回半径は見るからに小さく、タイヤのグリップが優位にあることを物語る。ターン6からターン8のあいだ、思いのほか下り坂になっているその場所で、グロージャンはまったく違うラインを走っている。あるいは最終コーナーでニューガーデンがやや緩慢に、早めに切り込んでいくのと比べると、奥から、鋭く、次の長い直線に向かって早めに加速する姿勢を作りつつ曲がるのがわかるのだ。薄い刃を静かに引く旋回。やがてニューガーデンがターン5で大きな失策を犯し、その先の短い直線で2台は並走するに至るが、イン側を譲らなかったリーダーはかろうじて順位を死守した。ターン6からターン8のあいだ、ふたたびグロージャンはまったく違うラインを走っている。たとえばそうした応酬が立ち上がる。

 あるとき、マクロクリンが最終コーナーで逆向きに止まっていた。接近する前の車に対して小さく回ろうとしすぎたのか、珍しいことにイン側の壁に接触してくるりと回ったらしかった。リプレイの車載映像では、真後ろを走っていたグロージャンが、一瞬ステアリングから手を離して針路を外へ向けたかと思うと、すぐに切り直して壁とマクロクリンのあいだを巧みに通り抜ける様子が詳細に捉えられている。巧みな回避。もしかしたら、ここでレースが終わっていたかもしれない事故を逃れた。このときはまだ、優勝をめぐってパロウやニューガーデンと争う数十分後のことを想像できようはずもない。たとえばそこには偶然でしかないレースの綾が隠れている。(↓)

 

 

 美しい断片の数々が結果のしがらみからほどかれ、繋ぎ合わされることなく切り取られた断片のまま浮遊している。85周からなる全体の一部ではなく、それぞれの場面はただただそれぞれの場面として、不意に現れ、消えていった。だからこれは、詩的な、すばらしいレースだったのだろう。いま、ニューガーデンがタイヤ交換を終えてピットから出てくると、パロウがその後ろにぴったりと収まったところだった。2人がピットストップを行う直前はパロウのほうが先行していたのに、ハータの事故で提示された黄旗がレース速度を下げて、パロウに少なからぬ損失をもたらしたのかもしれなかった。どんな理由があったにせよ元の関係はひっくり返り、冷たいままのタイヤでそろそろと走りはじめたニューガーデンを、パロウは追わなくてはならない。

 ニューガーデンは明らかにグリップしておらず、ターン2の噴水の脇をゆらゆらと不安定に揺れながら曲がっていく。直角のターン4に至ると危うい動きはもっと顕著になり、旋回中に頭を何度も振って限界を探りながらいまにも出口の壁に吸い寄せられそうなところを、なかば強引に大きな舵角を与えてかろうじてコースに留まった様子が見て取れた。パロウは攻める余地を見出してターン5への短い加速区間の最後にインを突こうと試み、実際に相手の後輪と自分の前輪までを重ねたものの、半径が小さくなりすぎて速度を保てない。そうして、制御の糸が切れそうになりながらも外で堪えるニューガーデンの懐へなおも小さく小さく潜り込もうとして、その横方向の入力にやがてタイヤは限界を超えてしまい、後輪が航跡から押し出されて車は回ろうとしたのだった。1秒に近いカウンターステアが当てられ、また直進に戻す――前輪の角度と進行方向に齟齬が生じ、しかしすぐに一致する。パロウはトラクションを得られずに加速を鈍らせ、次のターン6で機先を制しようとするが叶わなかった。このやりとりのうちに、ニューガーデンのタイヤにはじゅうぶん熱が入ったようで、以後2人の順序が入れ替わるときはもう来ない。たとえばそんなふうに意志が臨界に達する瞬間があったりもするが、それを語ろうとしても、運動は言葉より前に過ぎ去ってしまっている。■

 

Photos by Penske Entertainment :
Chris Owens (1)
Chris Jones (2, 3)
Joe Skibinski (4)

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