予選16位からの逃げ切り

【2022.6.5】
インディカー・シリーズ第7戦 シボレー・デトロイトGP

(ベル・アイル市街地コース)

インディアナポリス500マイルでいいところのなかったジョセフ・ニューガーデンと佐藤琢磨――後者については決勝にかんして、という留保がつこうが――が、ほんの1週間後のデトロイトのスタートでは1列目に並んでいるのだから、つくづくインディカーというのは難しいものだ。世界最高のレースを制したドライバーとなってNASDAQ証券取引所でオープニング・ベルを鳴らしたりヤンキー・スタジアムで始球式を行ったり(野球に縁がなさそうなスウェーデン人らしく、山なりの投球は惜しくも捕手まで届かなかった)、もちろん優勝スピーチを行ったりと多忙なウィークデイを過ごした直後のマーカス・エリクソンは予選のファスト6に届かず8番手に留まり、といってもこれはインディ500の勝者が次のデトロイトで得た予選順位としてはことさら悪くもない。目立つところはなかったものの、決勝の7位だって上々の出来だ。デトロイトGPがインディ500の翌週に置かれるようになってからおおよそ10年、来季からはダウンタウンへと場所を移すためにベル・アイル市街地コースで開催されるのは今回かぎりとなるが、両方を同時に優勝したドライバーはとうとう現れなかった。デトロイトのほうは土日で2レースを走った年も多かったにもかかわらずだ。それどころかたいていの場合、最高の栄冠を頂いた500マイルの勝者は次の週にあっさり2桁順位に沈んできた、と表したほうが実態に近い。ようするに、もとよりスーパー・スピードウェイと凹凸だらけの市街地コースに一貫性があるはずもないのである。フロント・ロウの顔ぶれはそのことをよく示しているだろう。

 一方で、最後のベル・アイル自体は非常に一貫したレースとなったように見える。なんといっても、この狭くバンピーなコースにして、スタートからチェッカー・フラッグが振られるまで一度もフルコース・コーションとならなかった(唯一のコーションは、先頭がフィニッシュしたあとに発生した事故によって導入された)のだ。ただ、その一貫性が、しかし過剰なまでに一貫していたがゆえに成り行きを少しばかり捻ってしまった面もあったように思えるレースでもあっただろう。全70周、燃料を満載して走れる距離が25周前後。70÷25が塩梅よく3を少し切る計算だから、おかしなタイミングでコーションが入ったりしなければ例年3スティント=2回ピットストップ作戦が主流で、事実ずっとグリーン状況が続いた今回も上位10台のうち8台を2ストップ勢が占めた。なるほど順調な進行であった以上、セオリーに沿った結論が出るのは当然だっただろうか? レースを見ていた人ならわかるとおり、もちろんまったくそうではなかったのである。実際のところ、めでたく今季初優勝を遂げたウィル・パワー、2位のアレキサンダー・ロッシ、3位のスコット・ディクソンの予選順位はそれぞれ16位、11位、9位と、常識的にはコーションなしで表彰台に登るなど考えにくい顔ぶれだった。ニューガーデンはどうにか4位に滑り込んだがそれも青息吐息のゴールで、ディクソンから13.5秒も離された完敗を喫している。

 それは順調に進んだレースが、おそらく順調にレーシングスピードで過ぎ行きたためにタイヤという一点の要素に集約された結果だった。そう、タイヤがすべてだったのだ。車両と路面の唯一の接点であるタイヤはレースカーにとって何より重要な部品であって、タイヤが機能しなければエンジンがどれだけ仕事をしようと車は前に進まないし、高性能のブレーキを装着しても制動距離は際限なく伸びていく。摩擦力の上限は旋回速度の上限にほかならない。タイヤの限界こそが車の限界を規定する。タイヤにはそのような唯一の機能がある。そしてまたタイヤは、レースカーの中でやはり唯一、レースの途中で消尽されること、破棄され新品へ交換されることが最初から予定されている特異な部分でもある。戦いの最中にこれほど極端に劣化し、しかし蘇りもする部品など他にはない。車の限界を定める要でありながら、その性能は生き物のように刻一刻と正負の極限まで変化して捉えきれない――だからこそタイヤの状態は競技者の思惑を飛び越えてレースを決めうる。他の要素とはまったく無関係に、ただそれだけでレースの有り様を撹乱し、変えてしまうときがある。レース中に硬さの異なる2種類のタイヤを履くよう義務づけるインディカーの規則には、その変容をなかば人為的に引き起こす意図が含まれてもいるだろう。デトロイトの一貫した進行と裏腹に結果が掻き乱されたのは、まさにこのタイヤの生態によるものだった。振り返ってみれば、上位の4人の選択はちょうど四様にわかれていたのである。

 ポール・ポジションのニューガーデンは、スタートで柔らかいオルタネート・タイヤを選択している。サイドウォールが赤く塗られた、いわゆる「レッド・タイヤ」だ。ピークのグリップが高い代わりに寿命が短いこのタイヤは、特に荒れた舗装のベル・アイルで毎年のように各チームを悩ませてきた。2ストップを狙うなら短いスティントでも20周近くを走らなければならないが、オルタネートはせいぜい10周強しか持たずにタイムを急落させてしまうからだ。それでも2ストップが機能するのは、ペースが低下してもなお1回多いピットで失う時間に対して十分に引き合うからで、死にゆくタイヤをうまく延命させればさせるほど、その優位は確たるものになっていく。オルタネートと向き合いコントロールすることに、ベル・アイルの鍵はある。

 実際、ニューガーデンはきわめて慎重にレースに入った。1周目から刻んだ79.78秒、79.47秒、79.02秒というラップタイムは、予選最速を記録したリーダーによるものとしては異様なほど遅い。中盤以降のレースが78秒を切り、ときには76秒台のペースで流れていたといえば、いかにタイヤに負担をかけずに1周でも長く走るかに心を砕いていたかが想像されるだろう。問題があったとすれば、にもかかわらず、例年にもましてベル・アイルの路面がタイヤに対して攻撃的だと思われたことだった。細心の注意もむなしく、ニューガーデンのタイムは周を重ねるごとに悪化していき、早くも8周目には80秒台に転落してしまう。後方に目をやれば、3ストップ作戦を採って3周でオルタネートを捨てたロッシが76秒から78秒で走っているころだ。1周あたり2秒から3秒を失いながらそれでも作戦の変更はもはや利かず、80秒を切れないまま14周目にはプライマリー――オルタネートとは反対に寿命の長い、サイドウォールが塗られていない「ブラック・タイヤ」――でのスタートを選択していたパワー、ディクソン、アレックス・パロウの3人から立て続けに攻略される。どのコーナーもブレーキングの位置が見るからに違っていて、まるで話にならない勝負だった。

 苦悩はそれに留まらなかった。さらに悪いことに、そのわずか2周後の16周目には、プライマリーに履き替えてから目覚ましいスピードを保ち続けていたロッシに追いつかれ、簡単に抜かれてしまったのだ。ロッシがタイヤを交換してから、まだ10周強しか経っていない。たったそれだけの距離を走るあいだに、ニューガーデンはピット1回分の大きなリードを食いつぶしたということだった。言うまでもなく2人はともにフィニッシュまで2回のピットストップを残している状態であり、そしてその2回ともプライマリーを履くだろう。すでに条件は等しく、見た目の位置関係がそのまま最終順位にも反映される。これでニューガーデンの敗北はもう確定したと言ってよかった。オルタネート・タイヤの失敗は、レースわずか20%のうちに、ポールシッターから無情にも勝機を奪っていく。(↓)

 

予選最速だったニューガーデンの勝機は、序盤にあっさり潰えた

 

 ディクソンとパロウの2人は、ニューガーデンを抜いてから26周目までコースに留まり、そこでプライマリーからオルタネートに変更した。直感的には、これがもっとも賢い作戦のように思えた。性能に不安が残るオルタネートを、融通を利かせられない最終スティントに履くのはいかにも危険が大きそうだったからだ。最終盤にタイヤが終わり、後続から追い立てられたとしても、フィニッシュまでできることは我慢以外になくなってしまう。ましてフルコース・コーションが導入されて、リードを帳消しにされでもしたら? 実際、昨年のデトロイト・レース2で、スタートから67周にわたって先頭を走ったニューガーデンは最後のオルタネートが祟り、あと少しのところで優勝を明け渡した。不安な要素は先に片付けておくに如くはない。

 先に失敗したニューガーデンよりも、ディクソンははるかにうまくやった。レースがある程度距離を重ねて溶けたタイヤのゴムが路面に付着し、オルタネートへの攻撃性が和らいだこともあっただろう。極端にタイムを落とすことなく機械のように78秒台に張り付いて18周を乗りこなし、ゴールまでぎりぎり走りきれる26周を残してピットへと戻る。同じ作戦で走るチームメイトのパロウを5秒ほど引き離したのだから、見事なコントロールだった。ただそのディクソンにしても、ロッシを抑えきることはできずに終わった。ロッシはこの間76秒から77秒台で走り続けてディクソンがピットに戻る直前の43周目に背中を捉え、ターン3で遠距離から一撃のブレーキングをもってインに飛び込み、あっさりと攻略する。先のニューガーデンのときと同様、ディクソンはこれでロッシに対するピット1回分のリードを使い切り、優勝の可能性が消えた。(↓)

 

 

 パワーは最終スティントまでオルタネートを履かなかった。危うい賭けを含む作戦と言えた。昨年のチームメイトの失敗が思い出されるのはもちろん、それ以外にもリスクはあった。短い距離で済ませたいオルタネートを最終スティントに履くというのは、最後のピットストップを可能なかぎり遅らせる必要があることも意味するからだ。周囲がピットへ入る中でひとりステイアウトを続ける間に、もしコーションが導入されるような事故が発生したとしたら? 優勝を守るどころか、即座にリードラップの最後尾へと転落するだろう。それが机上で計算しただけの危険性にとどまらないことは、過去に幾度もあった事例が証明している。パワーがピットに向かったのは50周目の終わりで、ディクソンより6周も後だった。その狭間に何かが起こることは十分に考えられた。

 パワーの作戦は、レースが順調に進むこと、最後までコーションが入らないことを前提に組み立てられている。インディカーにおいて、それはけっして当たり前ではないどころか、むしろ都合のいい条件設定だ。路面の荒れた市街地コースで二十数台が戦う以上、コーションは前提とされなければならない。いつ起こるかはわからないが、かならず起こると想定したうえで、起こった場合のダメージを最小限にするのが、第一にあるべき考え方だろう。タイヤ交換の前にコーションとなればすべてが台無しになり、交換のあとにコーションが入っても不利なタイヤでリスタートに臨まなければならない、いずれにせよそうなれば勝ち目はない。パワーはその危険に目をつぶった。レースが何事もなく進行する可能性に――平常であるようでいてむしろ異例な可能性に賭けたのだ。(↓)

 

 

 それは成功した。狭間の6周のあいだにはもちろん、フィニッシュまでにもコーションが出ることはついぞなかった。すると、レース中盤よりもさらにラバーがのった路面は、賭けに勝ったにふさわしい報酬を与えてくれた。オルタネートに交換してから10周にわたって、パワーは少し前のディクソンよりも1秒速い77秒台で走り、後続との差を押しとどめたのである。51周目に16秒だったロッシとの差は、61周目が終わってもまだ12秒にしか縮まっていない。おそらくはこの10周がレースを決定づけた。そこから少しずつタイヤの劣化が始まり、しかも周回遅れの集団が前を塞いだためにパワーのペースは大幅に下落する。たが、レースの流れをコントロールして61周目までに残した貯金が、最後の支払いに足りた。最後の3周、周回遅れを抜きあぐねるパワーはロッシから1周あたり2.5秒も速いペースで追い上げられたものの、70周目のチェッカー・フラッグを1秒差で踏みとどまったのである。

 もちろんそれぞれの車の素性が違う以上、単純に比較することは適切ではあるまい。だが、ここまでタイヤの順序と結果が相関したのを見てしまうと、どうしても意味づけをしたくなってしまうものだ。このデトロイトは、オルタネート・タイヤという異物の扱いを問うレースだった。ニューガーデンは先に使おうとして失敗し、賢く使ったディクソンはそれなりの順位を手にする。そしてリスクを負って効率よく使ったパワーが果実をもぎとった、というわけだ。そんなふうに異なる手法で明暗のわかれた三者のあいだを、あるいはピットストップと引き換えに使わない選択をしたロッシが貫いていく。パワーとロッシの差は紙一重だったが、それでもオルタネートを使い切る選択が正しかったという結論は得られた。終わってみれば、厄介な異物をもっとも優しく、丁寧に、正しく扱った者が、正しく表彰台の頂点にたどり着いたということだ。予選16位からの優勝は、一見すると奇跡の大逆転に感じるが、実際の戦いはまるでポール・ポジションから効率よく逃げ切ったかのようだ。コーションのない一貫したレースが導いたのは、結局のところ一貫した結果にすぎなかったのかもしれない。■

ベル・アイルで行われるのは今年が最後。恒例だった噴水に飛び込むセレモニーも見納めとなる

Photos by Penske Entertainment :
Chris Owens (1, 2, 4)
James Black (3, 5)

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