最高の500マイル、堂々たる2.5マイル、美しい恩返し

【2024.5.26】
インディカー・シリーズ第5戦 第108回インディアナポリス500マイル
(インディアナポリス・モーター・スピードウェイ)

昨年のインディアナポリス500マイルは不思議な引力をもったレースだった(「凡庸な500マイル、不公平な2.5マイル、はるかな数万マイル」当ブログ2023年6月5日付)。後ろ向きな捉え方をすれば、どこか煮えきらないレースと言ってもいい。ジョセフ・ニューガーデンがインディカーに歩いてきた道程を思うと、その初優勝はまったく正当な感慨深い大団円だったが、一方でレース単体を概観するかぎり、彼が結果に値するスピードを持っていたわけではなかった。全200周のうち、グリーンラップを先頭で完了したのはわずか2周。ひとつは燃費の兼ね合いで全体の速度がいったん落ち着いた157周目で、このリードは次のターン1までしか保たなかった。もうひとつが最後の200周目。決着の周回であり、つまりスタート/フィニッシュラインまで凌げばよかった周回でもある。それ以外はずっと誰かの背中を見つめていた。17位に終わった予選を受けて集団で走る状況を意識したセッティングにしたのか、5位あたりにまで上がってくるのは比較的容易なように見えたが、その先に突き抜けるのは困難だった。周囲の車に掻き乱される気流の中で安定を得ることと、230mphの空気の壁に自分自身の力で対抗することはわけが違う。前者は勝利を狙える位置から脱落しないために必要であり、しかし本当に勝利するためには相反する要素である後者を備えなければならない。ラップリードをまったく記録できなかったあの日のニューガーデンには後者が明らかに欠けていた。

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コルトン・ハータが壊したギアボックスと、彼の将来

【2022.7.30】
インディカー・シリーズ第13戦 ギャラガーGP
(インディアナポリス・モーター・スピードウェイ・ロードコース)

7月中旬に巻き起こったチップ・ガナッシ・レーシングとマクラーレン・レーシングが立て続けにアレックス・パロウとの契約を発表した問題について、前々回の記事で「法的に解決されるしかないのかもしれない」と書いたところ、舞台は本当に法廷へと移るようだ。7月25日にパロウの現所属であるチップ・ガナッシが下級審に訴状を提出。翌日には提訴先へ召喚状が送られ、20日以内に応じなければならない、という流れのようである。召喚状の送付先はパロウとALPAレーシングSL。前者は言うまでもなくドライバー本人、後者は馴染みが薄いがおそらく “ALex PAlou Racing Sociedad Limitada” で、パロウの個人マネジメント会社といったところだろうか。つまりシーズンも佳境に入ったこの時期に、チームとドライバーが「原告」と「被告」の関係となったわけだ。状況を第三者に整理してもらうための契約確認訴訟であって泥沼の裁判沙汰といった趣ではないものの、異例の状況ではあろう。7月26日送達とすれば、召喚期限は8月15日。さてこれを書いている時点で続報はない……と思っていたら、F1のほうでアルピーヌが育成ドライバーであるオスカー・ピアストリをF2から昇格させると発表した直後に本人が否定、どうやらマクラーレンとの契約が進んでいるらしいという冗談のようにそっくりな状況が発生し、まったく無関係の部外者にして頭を抱える事態になってしまった。インディカーの動向にも何らかの影響を与えるかもしれない。

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だれも優勝へ導かれたりはしない

【2022.6.12】
インディカー・シリーズ第8戦 ソンシオGP・アット・ロード・アメリカ
(ロード・アメリカ)

いつごろからなのか定かでないが、GAORAのインディカー中継でアレキサンダー・ロッシが画面に映し出されると、実況の村田晴郎が「ロッシはもう長いあいだ勝利から遠ざかっています」と伝えるのが恒例になったかと思う。その「長いあいだ」の期間もどんどん延びていて、1年半が2年になり、2年半になり、いよいよ3年に手が届く比おいに来てしまった。2016年のインディアナポリス500で奇跡的な初優勝を上げ、またたく間にキャリアの階段を駆け登っていったはずだったのに、「最近の優勝」はいつまでも2019年ロード・アメリカで更新されず、「7」に張りついたままの通算勝利数はすっかり固着して剥がすのに難儀しそうだ。当時は主役だった選手権争いからもすっかり後退して、今となっては10位前後をうろうろしている。

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予選16位からの逃げ切り

【2022.6.5】
インディカー・シリーズ第7戦 シボレー・デトロイトGP

(ベル・アイル市街地コース)

インディアナポリス500マイルでいいところのなかったジョセフ・ニューガーデンと佐藤琢磨――後者については決勝にかんして、という留保がつこうが――が、ほんの1週間後のデトロイトのスタートでは1列目に並んでいるのだから、つくづくインディカーというのは難しいものだ。世界最高のレースを制したドライバーとなってNASDAQ証券取引所でオープニング・ベルを鳴らしたりヤンキー・スタジアムで始球式を行ったり(野球に縁がなさそうなスウェーデン人らしく、山なりの投球は惜しくも捕手まで届かなかった)、もちろん優勝スピーチを行ったりと多忙なウィークデイを過ごした直後のマーカス・エリクソンは予選のファスト6に届かず8番手に留まり、といってもこれはインディ500の勝者が次のデトロイトで得た予選順位としてはことさら悪くもない。目立つところはなかったものの、決勝の7位だって上々の出来だ。デトロイトGPがインディ500の翌週に置かれるようになってからおおよそ10年、来季からはダウンタウンへと場所を移すためにベル・アイル市街地コースで開催されるのは今回かぎりとなるが、両方を同時に優勝したドライバーはとうとう現れなかった。デトロイトのほうは土日で2レースを走った年も多かったにもかかわらずだ。それどころかたいていの場合、最高の栄冠を頂いた500マイルの勝者は次の週にあっさり2桁順位に沈んできた、と表したほうが実態に近い。ようするに、もとよりスーパー・スピードウェイと凹凸だらけの市街地コースに一貫性があるはずもないのである。フロント・ロウの顔ぶれはそのことをよく示しているだろう。

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ろうたけたアレキサンダー・ロッシが感傷を呼び起こす

【2019.4.14】
インディカー・シリーズ第4戦 アキュラGP・オブ・ロングビーチ
(ロングビーチ市街地コース)

大会の冠スポンサーが替わったところでレースの本質じたいにさほど影響があるはずもないのだが、とはいってもトヨタが44年間支えてきたロングビーチGPから手を引くと伝えられたときには少なからぬ感慨が生じたのだった。世界最大級の自動車メーカーの判断に対して、モータースポーツの支援には文化的な価値があるはずだなどと身勝手に難じようというのではない。企業が当然に利益のため種々の活動を展開する中で、ロングビーチが「利益」の対象とはなりえないのではないか、それがインディカーの現状であるのだろうかといった漠たる不安――長年チップ・ガナッシ・レーシングを支えてきたターゲットが撤退したときに感じたのとおなじ――が心に差した程度の話である。もう13年も前に競技者としては撤退したトヨタの名前がいよいよインディカーと完全に切り離され、過去の残り香が拡散して消え去っていくような一抹の寂しさもあった。もちろんこれはしょせん「現在」を感じにくい遠く日本から眺めているだけの部外者が抱く勝手な思い込みにすぎないのであって、伝統のレースは今年も人気を博し、週末の3日間で前年より1%多い18万7000人の観客が訪れたと伝えられている。喜ばしいことだ。トヨタに代わってアキュラのブランド名でスポンサーについたホンダにしても、お披露目のレースで自分たちのエンジンを積むアレキサンダー・ロッシが2連覇を達成したのは最上の結果だっただろう。

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あるいはF1であったなら

サーキット・オブ・ジ・アメリカズ

【2019.3.24】
インディカー・シリーズ第2戦 インディカー・クラシック
(サーキット・オブ・ジ・アメリカズ)

2019年のインディカー・シリーズのカレンダーにCOTAと略称されるサーキット・オブ・ジ・アメリカズが加わると報じられたとき、それがインディカーに似合いの舞台であるのかどうか、疑問に思わないではなかった。F1アメリカGPの開催地であるCOTAが、計画のはじまりからF1誘致を大前提として建設された、まさにF1のためのコースであることはよく知られていよう。いまや新規F1サーキット設計のほぼすべてを手がけるヘルマン・ティルケが描いたそのレイアウトは、シルバーストンのマゴッツ-べケッツ-チャペルコーナーと続く高速S字区間、ホッケンハイム後半のスタジアムセクション、イスタンブールのターン8といった世界に名だたるサーキットの名所がモチーフとしてちりばめられた屈指の難コースとして評価が高い。時代の最先端をゆくFIAのグレード1サーキットにふさわしく、広く舗装の施されたランオフエリアが用意されるなど高度な安全性が確保された光景が広がり、インディカーの日常、つまり壁に囲まれた市街地コースや、砂と芝生でコースから外れた車を捕まえる古典的なロードコース、そしてもちろんシンプルな楕円のオーバルコースとは趣を異にしている。米国に位置しながら、極度に欧州化された異質のサーキット。そこでのレースははたしてインディカーたりうるのだろうか。なにせガレージの仕様からして「欧州規格」であり、インディカーは「インディカー・クラシック」と名付けられたシリーズ第2戦の開催にあたって自分たちの用に適うピットとするために仮設の壁を設置する必要に迫られたほどだったのである。

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ジョセフ・ニューガーデンの来歴は現在の運動に内包されている

Josef Newgarden sets up for the Keyhole Turn (Turn 2) during the Honda Indy 200 at Mid-Ohio -- Photo by: Joe Skibinski

Photo by: Joe Skibinski

【2018.7.29】
インディカー・シリーズ第13戦 ミッドオハイオ・インディ200

ふと切り替わった後方オンボード映像に表れ出たのは、いままで何度となく見つめてきた愛すべきコーナリングだった。インディカーではまだ何者でもなかった2014年に2度のパッシングを成功させ、あるいはステアリングを細かく切り足しながら驚嘆すべき速さで駆け抜けていったコーナーで、その場面はもはや貴重というほどでもないかもしれないと勘違いさせるくらい当たり前のようにして、しかし彼以外にはけっして表現しえない感慨を伴って通り過ぎていったのである。レースが24周目を迎えたころ、先頭をゆくアレキサンダー・ロッシの車載カメラが捉えた後方の映像には、白と黒に塗り分けられた1号車が少し離れたところからついてきているのを認められる。ターン9を抜けて通称「雷の谷」を下り、ターン10から11にかけて、車体に描かれた番号が言うまでもなく示す昨年の王者は前車との距離を縮めたものの、気流に影響されたのか姿勢を乱してしまい、続く加速区間でロッシが優勢を取り返してまた車間が開く。ややあって、そのターン12は訪れる。長い時間をかけて右に180度回り込む形状から回転木馬の意である「カルーセル」と呼ばれる中速コーナーに進入しようとする刹那、不意に2台が急接近するのだ。ロッシは円弧に沿って柔らかく曲がろうとし、追う1号車はといえば、かつて見たのと同様に弧に対して直線的に進み、いったん内につき、遠心力によって外へと引き剥がされ、それから軽やかな動きでくるりと向きを変えてふたたび内に戻っていくのがわかる。ちょうど路面が補修されて継ぎ接ぎになっている箇所で、前者の右後輪は黒く新しさを感じさせる外側の舗装と縁石側の古ぼけた灰色の舗装を分かつ切れ目の内側を通っており、後者は車全体が新しいアスファルトの部分を進んでいる、それくらい両者の走行ラインは異なる。円を描くか、刻みながら曲がるか。1号車は一本の曲線を複数の直線の連続へと描きかえながら走る。この一連の所作のあいだに、追いかける被写体はコクピットに溶け込む色合いをしたドライバーのヘルメットや、外光を反射し内部に隠された表情を窺わせないシールドバイザーさえもはっきり識別できるほど映像の中に大きくなり、カメラの主は脅威を感じのかどうか、内側の縁石を過剰に踏みながら加速を試みる。縁石に乗ったときと降りたとき、振動が2度伝わる。追うほうもほとんど同時に大きく跳ねる様子を見て取れるが、これはどうやらカルーセルの出口付近にある路面の凹凸によるもので、理想的な軌跡は少しも外れていない。それよりも跳ねているのが映像ではっきりと確認できるほど近い位置を走っていることが重要である。2台はスロットルを開け放して最終コーナーを進みコントロールラインに差し掛かる、十数秒前よりも確実に差が小さくなっている。
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黄色い旗が正しさと愚かさをわかつとき

Photo by: Joe Skibinski

【2018.4.15】
インディカー・シリーズ第3戦 ロングビーチGP

こんな話から始めてみよう。2016年の7月17日、トロントで行われたインディカー・シリーズ第12戦で、チップ・ガナッシ・レーシングのスコット・ディクソンと、チーム・ペンスキーのシモン・パジェノーが緊張感の漂う優勝争いを演じていたのである。ペンスキーに移籍して2年目のパジェノーが開幕5戦で3勝と2度の2位を記録して主導権を握り、つねに100点前後の大差を維持する構図で進行しているシーズンだった。前年の苦境を乗り越えてはじめてのシリーズ・チャンピオンに向けて邁進するフランス人を追っていたのが直近2年の王者である同僚のウィル・パワーとディクソンで、ともに春までは苦しい戦いを強いられながら、インディアナポリス500マイル以降に調子を上げ、少しずつではあるが点差を詰めて縋りついていた、そんな時期でもある。特にペンスキーの宿敵たるディクソンは、前年と、また2013年にも夏場に大きく得点を伸ばして大逆転の戴冠劇を演じた戦いぶりが記憶に新しく、ひたひたとポイントリーダーに迫ってくる姿が過去の再演を予感させもした。閉幕まで5戦となったこの段階での直接対決は、単体のレースの優勝争いとしてはもちろん、選手権の帰趨を左右しうるという観点からも、重要な意味を持っていたのだった。
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