【2019.3.24】
インディカー・シリーズ第2戦 インディカー・クラシック
(サーキット・オブ・ジ・アメリカズ)
2019年のインディカー・シリーズのカレンダーにCOTAと略称されるサーキット・オブ・ジ・アメリカズが加わると報じられたとき、それがインディカーに似合いの舞台であるのかどうか、疑問に思わないではなかった。F1アメリカGPの開催地であるCOTAが、計画のはじまりからF1誘致を大前提として建設された、まさにF1のためのコースであることはよく知られていよう。いまや新規F1サーキット設計のほぼすべてを手がけるヘルマン・ティルケが描いたそのレイアウトは、シルバーストンのマゴッツ-べケッツ-チャペルコーナーと続く高速S字区間、ホッケンハイム後半のスタジアムセクション、イスタンブールのターン8といった世界に名だたるサーキットの名所がモチーフとしてちりばめられた屈指の難コースとして評価が高い。時代の最先端をゆくFIAのグレード1サーキットにふさわしく、広く舗装の施されたランオフエリアが用意されるなど高度な安全性が確保された光景が広がり、インディカーの日常、つまり壁に囲まれた市街地コースや、砂と芝生でコースから外れた車を捕まえる古典的なロードコース、そしてもちろんシンプルな楕円のオーバルコースとは趣を異にしている。米国に位置しながら、極度に欧州化された異質のサーキット。そこでのレースははたしてインディカーたりうるのだろうか。なにせガレージの仕様からして「欧州規格」であり、インディカーは「インディカー・クラシック」と名付けられたシリーズ第2戦の開催にあたって自分たちの用に適うピットとするために仮設の壁を設置する必要に迫られたほどだったのである。
加えて、まったくおなじサーキットを使用するということは両者が比べられる、ということでもあった。現代のインディカーとF1がまったく同一のコースを走った例はない。いまインディカーGPが行われているインディアナポリス・モーター・スピードウェイのロードコースはかつてF1アメリカGPの舞台でもあったが、両者の開催時期は重複しておらず、またそもそもインフィールド区間の形状が異なっているため、直接比較する関係に置くほどのものではなかった。おなじレイアウトを、おなじ時期に、現行規定の車で走り合ったのは本当にはじめてだったのである。最初の機会となったのは昨年の11月だ。さてどうだったろう。F1とおなじ土俵に上がったインディカーのラップタイムは、わずか3台がテスト走行しただけの競争的でない状況で非公式に記録されたものだったが、だとしても世界選手権から大きく後れをとる1分47秒8でしかなかった。同じ年に行われたF1アメリカGPのポール・ポジションより15秒、決勝のファステストラップと比較しても10秒遅かったのだ。それが率直なインディカーとF1の車の差だったといえる。両者は、たとえ見た目が似ていたとしても、車体も動力源も構成部品もなにもかもが異なる――文字どおりカテゴリーが違うから、単純な比較はもちろん正当でない。しかしモータースポーツにおいて時間が絶対的な尺度であることも事実で、その意味で否応なくタイムを並べる誘惑に駆られもする。10秒から15秒の差は事実現れた。それは第一に、規則によって決められる車の性能差に違いなかったが、速さに報酬を与える世界にとって、それがそのままドライバーの能力の差、選手権としてのレベルの差、はてはレースの価値の差である、と言及されたとしても、けっして不思議ではないはずだった。
時間が進んでシーズン開始直前の合同テストとなり、また実際に本番の週末を迎えても、インディカーのタイムはさほど向上していない。記念すべき最初のポール・ポジションを獲得したウィル・パワーのタイムは1分46秒0117で、セッティングデータなどほとんどなかったであろう最初のテストから意外にも2秒足らずしか縮まらなかった。結果として、COTAにおいてF1とインディカーには13秒の差があるという事実がほぼ確定したと言っていいだろう。たとえば2018年のスパ-フランコルシャンにおけるF1とFIA F2の最速タイム差が約15秒だから、ほとんどおなじ関係だと想定されようか。単純な速さで言えば、インディカーはちょうどF1のステップアップカテゴリーと同等に位置していることが、おなじ舞台に上ることによって明確にされたのだった。
だがそれほどの速度差がある一方で、そのことがレベルの高低やレースの意義を問うかもしれないといった訳知り顔の賢しらな不安は、決勝の周回を重ねるにしたがって杞憂だったと知らされもした。レースが米国の最高峰にふさわしい緊張感をもって進行し、インディカーの「遅さ」が彼ら自身を毀損することは一切なかったからだ。欧州と米国の間にあるのはきっと、相対してタイムを論じ合うような上下関係ではなく、ただ性質の違いだけだった。そしてまた、COTAがインディカーに似合うかどうかという疑念も卑俗な独善に過ぎなかった。決着を迎えるにあたってレースがF1でけっして生まれえないだろう分岐点を用意したからだ。はじめて「F1の地」で行われたインディカーは、多分に偶然であったとはいえ、両者を分かつ決定的な差異を可視化してみせたのである。(↓)
2戦連続でポールシッターとなったパワーは、2週間前の開幕戦以上にレースを完璧に制御しながらゴールまでの60周を辿っている。過度に後方との差を広げるわけではなく、しかしまた抜かれる可能性も感じられないレースぶりは、彼らしい見事な逃げ切りを示唆するものだ。いまや当代最高のオーバルマスターとなり、昨年のインディアナポリス500マイルではその力にふさわしく堂々たる強さで優勝したパワーではあるが、その内にはやはりロードコースでの圧倒的な速さを伴う本性が顔を覗かせる。波瀾の要素が少ない大きな規格のサーキットではなおさら、彼のもともとの本質が現れよう。たとえば昨季のインディカーGPなどがそうだった。スタート直後から後続との差をずっと固定し、だれが2番手に上がってこようともその地位を揺るがせない。3秒以上のリードは築こうともせず、にもかかわらず激戦の気配など微塵も感じさせずにチェッカーを受けて、厳しくも静かにレースを閉じたのだ。パワーの優勝はしばしばそうやって、少しだけ退屈の混じった感嘆のため息とともに訪れる。このCOTAでいま再現されようとしているのも、まさにそんな展開だったのだ。各スティントで履いたタイヤの違いによって多少の揺らぎはありつつも、彼は追いかけようとするアレキサンダー・ロッシと新人のコルトン・ハータをすぐ背後に従者のごとく置き続けた。三者の距離はつねに近く、つねに緊張感に満ちていたが、その順序が入れ替わりそうな雰囲気もまた漂ってこない。事実、パワーはスタートからずっと、本当にただの1周たりともリーダーの座を譲ることはなかった。
リーダーをまさに頂点とした、秩序立った一貫性に基づくレースが進んでいた。張り詰めた緊張は直接比較しようとする動機を遠ざけたが、F1のサーキットに巡り合ったインディカーが描いたのはラップタイムが十数秒遅いだけのF1の模様だったとはいえるかもしれない。パワーが先頭を走り続けるあいだ、隊列は変わらず安定的で、まったく掻き乱されることはないように見えた。繰り広げていたのは、前の周回の様相が次の周を導き、最後まで断ち切られることなく積み重ねられていく論理的なレースにほかならなかった。その意味で、これが本当にF1だったとするなら、パワーは何が起こっても勝利を手にするはずだったのだ。それは、たとえ重大な場面で意外な事故が発生し、想像されなかったフルコース・コーションが導入されたとしても、という意味である。レースは残り18周となり、あと1回の給油でゴールまで走りきれる最終スティントへと向かおうとしていた。42周目に後方集団が活路を求めてピットストップし、翌43周目には硬いタイヤでペースを上げられずに苦しんでいた3番手のハータと、すでに大きく遅れを取って勝敗の圏内からは追いやられていたジョセフ・ニューガーデンやライアン・ハンター=レイ、グレアム・レイホールといった面々が続いた。残ったのは上位2人、パワーとロッシに加えてスコット・ディクソンだったが、状況を見れば次の周にピットへ戻って、つつがなく出ていくことだろう。それでレースは終わる。きっと昨年のインディカーGPのように、あとはパワーが後続を一定の差に収めながら一周一周指折り数えて進めていく。ロッシは一度か二度くらい先頭に蠱惑されて仕掛けようと試みそうだが、結局それもパワーの監督下にある動きで、しっかりと封じ込められてしまうに違いない。柔らかいタイヤに戻したハータがペースを回復して追い上げてくるとしても、歴戦の2人の攻略が困難を極めることは序盤の膠着が証明している。そう、これがF1なら、先頭を固めたリーダーが接近を許しつつも逆転には至らしめない展開で、チェッカーを迎えるべきレースだった。(↓)
しかしインディカーは、そうした論理性を否応なしに断ち切ってしまうことがある。変転はハータが給油を終え、パワーとロッシがまだ走り続ける狭間の一点だった44周目に突如として湧き起こる――開幕戦で未来を感じさせながらCOTAでは存在感を発揮できずにいたフェリックス・ローゼンクヴィストが、ターン19の進入でジェームズ・ヒンチクリフを外から抜き去ろうとした動きから事態が転がりはじめた。ターン19は半径の小さなコーナーであるが、舗装された外側のランオフエリアを利用すれば速度を保ったまま通過できる。もちろんそこは本来の「コース」ではなく、F1ではトラック・リミットを守る、つまり白線で区切られた内側を走るよう厳しく監視されている。一方はじめてのインディカーでそのコース外走行は咎められることなく許容されたため、どの周回を見ても全員が大きく膨らみながら通過していた。それが原因となったことに疑いの余地はない。そのとき、ターン19では4台が集団になっており、前をゆくサンティノ・フェルッチがターン20の内側に設置されるピットレーンへ進入しようと大きく減速した煽りを受けて、後から続いたシモン・パジェノーとヒンチクリフもブレーキを踏まざるをえなくなっている。その隙を突いてローゼンクヴィストが外から仕掛けた――といった事の次第だった。パジェノーはピットレーンに鼻先を向けたフェルッチに戸惑う動きを見せながらも脇をすり抜けていったが、進入で外に並ばれてラインを潰されたヒンチクリフは縁石をまたいで中途半端にコースの外にはみ出し、大外を回るローゼンクヴィストを牽制しようとする。そうして、本来なら「レース」をしてはならない場所で接触が起こる。コースに戻るため左に旋回しはじめたローゼンクヴィストは、それを防ごうと直進気味に走っていたヒンチクリフに左リアタイヤを押されてスピン状態に陥り、カウンターステアもむなしく四輪を滑らせながらピットレーン入り口付近の壁に激突して停止した。(↓)
些細といえば些細な争いで起こった出来事ではあろう。だが結果として、この事故はレースの様相を変えてしまった。そう、ローゼンクヴィストがピットへの進入路を塞いで即座にフルコース・コーションが発令されたとき、リーダーのパワーと2番手のロッシはまだ最後のピットストップを終えていなかったのである。その事実が何を意味するのかは、ここでも何度となく書いてきたとおりだ。ピットレーンは閉じられ、40周以上を費やして築き上げてきた後続との差が水泡に帰するのみならず、20秒以上を失うピット作業を1回残した状態で、最後まで走りきれる大勢のライバルをすぐ背後に負うことになる。厳しいもので、あれほど意欲的に先頭を追って虎視眈々と逆転優勝を狙っていたにもかかわらずロッシはたった一瞬で14番手まで落ち、結局9位まで挽回するのが精一杯だった。パワーに至ってはもっと残酷な運命が待っていた。46周目にリーダーを手放す失望のピットストップを終えて発進しようとしたとき、駆動系が故障して車を降りざるをえなくなったのだ。1位と2位が瞬く間にいなくなり、その他数人もコーションの魔の手に捕まって、事故の前後で隊列はすっかり様変わりした。先頭集団にまったくついていけなかったジョセフ・ニューガーデンが幸運な2番手を走り、予選でタイムを出せなかったセバスチャン・ブルデーや佐藤琢磨が1桁の順位を得ている。2人はコーションの間に6つか7つも順位を上げた。そしてもちろんハータだ。彼は1周早くピットへと戻ったことで難を逃れ、労せずして先頭を手に入れた。序盤から先頭集団の一角を担い、レース再開後にニューガーデン以下を引き離してファステストラップまで記録したことを思えば、あるいは何もなくともパワーとロッシを自力で逆転できた可能性も考えられるが、それはどうしたところで確かめようのない仮定だ。現象だけを見れば、彼は実力で上位を走り、幸運に与って優勝した。グレアム・レイホールの記録を更新する18歳11ヵ月25日、彼自身まだ3レース目で達成した初優勝だった。
43周目の事故と、事故にまつわる顚末は、そこまでレースを貫き、最後まで貫きとおすはずだったF1的振る舞いのいっさいをインディカーの文脈のなかに引き戻す、あまりにもできすぎた配剤だった。過度な単純化は危険だとわかっていても、ついつい考えたくなる。そう、これがF1なら、ターン19のはみ出しがそもそも許されていないアメリカGPだったなら、その進入でピットへ向かおうとする車と速度差が生じることはなく、集団が一気に密集する事態にはならなかっただろう。ましてコースの外で2台並ぶはずもないのだから、接触の可能性は限りなく低かったと言っていい。テレビ解説を務めた松浦孝亮も言及したとおり、この事故はインディカーの判断によって引き起こされたものだった。そしてまた、これがF1なら、ピット進入路の手前で事故車が止まったいう事情はあったにせよ、その区間の黄旗かヴァーチャル・セーフティ・カーの導入に留められ、セーフティ・カーつまりフルコース・コーションにはならなかったかもしれない。だとしたら、事故はレースを変転させる要素にはなりえなかった。あるいはこれがF1なら、たとえセーフティカーが導入されたとしてもピットレーンは開いたままで、パワーとロッシに暗転が訪れることがなかった。いずれにせよパワーはトラブルに見舞われるわけだが、低速走行からのピットストップという負荷がかかる状況でなければ案外平気だったかもしれない、それはわからない。これがF1なら……レースの結果はきっと違っていた。
あるいはこれがF1だったなら。F1のありかたが正当で、パワーが、少なくともロッシが勝つべきだったレースが不当に破壊されたと言うのではない。そうではなく、ラップタイムの違いがそれだけでレベルの高低を表すものではないように、事故によって生じた分かれ目は、F1とインディカーのありかたを特徴づける純粋な差異だった、差異がたしかに存在したということである。そこに仄見えるのはレースに対する思想、文化、性質の違いであり、おのおのの大陸が歴史を積み重ねる中で培ってきたものだ。インディカーとF1はときに近づき、またその行く先を別にする。その文脈にパワーは敗れ、ハータはほんの少しばかり幸運があった優勝に浴したのだ。両者が交叉する瞬間にいつもより強い寓意を感じたとしたなら、それは、舞台がサーキット・オブ・ジ・アメリカズという米国と欧州の交叉点だからかもしれなかった。■
Photos by :
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