2019年の開幕に現れたのは、2010年代に描かれたいくつかの物語だった

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Photo by : Joe Skibinski

【2019.3.10】
インディカー・シリーズ開幕戦 セント・ピーターズバーグGP
(セント・ピーターズバーグ市街地コース)

連続する時間の流れをどこかで区切ろうとするのはけっして自然なものではなく、人間の勝手な都合による社会的行為というべきだろう。たとえば、まもなく変更される日本の元号と西暦の関係を考えれば明らかだ。日本人がこの30年間を「平成」という時代として捉えて終わりを惜しみ、なにか特有の世相があったはずだと回顧している一方で、和暦とまったく無縁な外国人にとってみれば2019年5月1日に前後を分ける境界線が見えるはずもないのだから。あるいは「’90年代」「’10年代」といった具合に、しばしば西暦の10の位をもってひとつの年代に纏めてしまう場合があるが、その10年間は「昭和50年代」「平成20年代」といった和暦の10年間とは一致しない。わわれわれはときに昭和40年代と50年代になにか必然的な差異があったかのように振る舞うにもかかわらず、両者を5年ずつ含んでいる1980年代と’90年代の違いにも意味があるようにてらいなく線を引く。結局、その区別は語り手の問題だ。われわれはその時々によってどうとでも設定しうる区切りを都合よく摘み上げ、採用しているにすぎない。時代とはつねに恣意的な物語、自然にある科学ではなくて創作なのである。

 しかし物語だとしても、いやむしろ心情的に描き上げる物語だからこそ、時代という観念に象徴的な意味を見出すこともできる。2019年、つまり「2010年代最後」のインディカー・シリーズ開幕戦が行われるセント・ピーターズバーグにおいて、ウィル・パワーが「2010年代で」8回目の予選最速タイムを記録したのを認めたとき、まだ土曜日の予選が終わっただけの段階にもかかわらず、わたしが日曜日の結末まで見通せる気にさえなったのは、まさに彼が2010年代に積み上げてきた物語を繰り返しているように思えたからだ。パワーはこの10年間、変わらずチーム・ペンスキーの車を操り続け、フロリダ半島の中ほどに位置するこの海辺の町でつねに最速を誇り、そしておおむね決勝レースで敗れてきた。同期間に挙げた優勝は2度であり、これを少ないというのはもちろん贅沢ではあるが、目を瞠るポール・ポジションの数からすればずいぶん物足りなく感じてしまう。しかも2勝のうちひとつは数少ない後方の位置からスタートしたものであり、さらに――やはり恣意的な区別であることは承知のうえで――いえば、唯一ポール・トゥ・ウィンを達成した2010年はシリーズ第2戦として行われていたころだった。つまり歴史的と形容しうるほどの記録を打ち立てながら、パワーは一度たりともセント・ピーターズバーグでの開幕戦を完全に支配した経験がなかったのである。2016年にいたっては、当たり前に予選を制したはずだったのに、金曜日に起こしていた激しい事故に起因する脳震盪から回復できず決勝を欠場する憂き目にさえ遭った。それは「セント・ピートのウィル・パワー」をもっとも先鋭的に表す一幕であったかもしれない。2019年を迎え、積み重ねられてきたひとつの年代の物語にふさわしい掉尾があるとすれば、どうしても、速さと強さが不均衡なパワーを思い描かずにはいられなかった。ウィル・パワーは負ける、最速であるがゆえに負けるだろう。スタート・コマンドが響き渡る前から、その確信は心に居着いて離れずにいた。恣意的に摘んだ物語が、未来を文字どおり物語るのではないかと。

Photo by : Karl Zemlin

 はたして24周目のリスタートである。グリーン・フラッグが振られるやいなや、この週末がデビューとなるフェリックス・ローゼンクヴィストが完璧なタイミングで加速を開始し、激しいブレーキングによってタイヤスモークを上げながらターン1へと飛び込んで、先頭が交代した。インディカーではたった一瞬のうちにそういう変化が起こるのだ。まだチェッカー・フラッグまで4分の1にも満たない時点で切り結ばれたこの攻防はけっしてレースを決めるすべてにはなりえなかったが、どうやらパワーにとってだけは決定的な場面だった。結局、彼の10年間のセント・ピーターズバーグは過去をなぞった自然な完結を迎えることになる。ローゼンクヴィストに抜かれて以降、110周目にいたるまでラップチャートのリーダー欄にパワーのつける12の車番が刻まれることはなく、当初の存在感が失われたままレースに埋没して3位でゴールするのみだった。表彰台に登ったのだからもちろん価値のある成果ではあろう。だがスタートの順位から期待される結果でないことも疑いようはない。予感されたとおりだ。ほとんど毎年そうであった2010年代、恣意的に区切られたひとつの時代を、パワーはまったく変わらず締めくくった。

 かたやリーダーへと躍り出たローゼンクヴィストの活躍も、また予想されえた物語のひとつだったと言えるかもしれない。それはたとえば昨年のロバート・ウィッケンズから続く、米国以外の地で活躍し、少しばかり歳を重ねた新人が鮮烈に登場する場面である。昨年のウィッケンズはポール・ポジションをもパワーから奪い、ほとんどの周回を先頭で走り抜けて、完璧な初優勝をすぐ手元にまで引き寄せていた。最終的にはアレキサンダー・ロッシの無謀な攻撃によってスピンさせられ車を降りることになったものの、ドイツ・ツーリングカー選手権で主要なキャリアを構築してきた29歳の新人はわずか一戦の戦いぶりをもってインディカーに欠かせない存在になったはずだ。ポコノでの大事故で下半身に障害の残る重傷を負い、いまなお懸命のリハビリに励むウィッケンズは、どのような道程を経ても実力を発揮できるインディカーの多様性を表すひとりだと捉えることもできよう。

 ウィッケンズに認められた「異邦人」の煌めきもまた、2010年代のインディカーという文脈に置かれるように思われる。振り返れば、佐藤琢磨が33歳にしてインディカーにやってきたのは2010年のことであった。後にインディアナポリス500マイルで優勝して歴史に大きな名を刻むことになる日本人は、当時のインディカーでは珍しく欧州を主戦場にキャリアを重ねたのちに直接飛び込んできたドライバーであり、またF1表彰台経験者という特異な実績の持ち主でもあった。かつてのインディカーからすると佐藤はその国籍のみならず来歴においても異端な存在で、彼自身が米国の様式に慣れるまでにも、また逆に米国的なレースのありかたが佐藤琢磨というドライバーをなじませるまでにも、少しばかり時間を要したように見えた。だが、10年のあいだにすっかり佐藤を風景の一部として取り込んだインディカーは、いまや佐藤的な異邦の存在を違和感なく受け入れる度量を備えている。2012年の1年間だけだったが、F1で11勝を挙げたルーベンス・バリチェロがグリッドにその名を連ねた。2015年のインディ・ライツを経て翌年のシリーズでデビューしたマックス・チルトンも欧州のレースピラミッドを登ってF1まで辿り着いたドライバーである。2016年に新人でありながらインディ500を制したロッシは、米国人ではありながら一度はF1を志向し、戻ってきた。昨季デビューしたサンティノ・フェルッチやジョーダン・キングのように、いまやF2、F3(旧GP2、GP3)を経由してインディカーに来る選択も自然なもののとなりつつある。一方でもちろん直接の下位カテゴリーであるインディ・ライツも機能しており、国外のレースをさほど経験せずにインディカーに上り詰めて活躍するドライバーも後を絶たない。2010年代の、特に後半のインディカーは、このように世界中から複数の流れが合流しひとつの大河となって豊潤な世界を形成するカテゴリーへと変化している。いかにも米国的な経歴によって彩られていた00年代と今とでは、明らかに雰囲気が違う。

 おそらくウィッケンズの鮮烈なデビューとおなじように、ローゼンクヴィストをこうしたインディカーの流行の文脈で語ることも可能だろう。このスウェーデン人の経歴は極めつきの複雑さだ。四輪初期のキャリアはフォーミュラ・ルノーからユーロF3、やがてマカオGP連覇を達成するなど欧州系シングルシーターの王道を進んでいるが、2016年はインディ・ライツとドイツ・ツーリングカー選手権、ブランパンGTシリーズの3つの選手権に並行して参戦したかと思うと冬にはフォーミュラEでランキング3位、翌年は日本にも目を向けてスーパーフォーミュラとフォーミュラEを中心に活動し、昨年はSuper GTでGT500をも走らせた。この間にスポット参戦したレースは枚挙にいとまがない。米国・欧州・日本という三大地の異なるレース文化をすべて経験し、フォーミュラカーとツーリングカーの両方をやすやすと乗りこなす特質と、豊富すぎるキャリアに比して若い27歳という年齢。昨季のチャンピオンチームのシートを獲得したのはオーナーのチップ・ガナッシがその才能に惚れ込んだからと伝えられるが、それ以上に、彼は現在の多様なインディカーを自分ひとりに体現しているようにさえ見える。だとすれば、そのありかたがパワーに対するパッシングに結びつくのはまったく不思議ではなかった。ローゼンクヴィストは当然そうであるべき帰結として、パワーが敗れる物語の行く先を自分にしてみせたのである。

 だが2010年代に見てきたインディカーの構造は、もっと重層的に、もっと複雑に響き合って、ローゼンクヴィストを阻んだ。昨年ロッシがウィッケンズを撃墜したような乱暴な真似ではなく、もう少しスマートなやりかたで、並み居るインディカーの強豪たちは新人を逆転することになる。なるほどリスタートとともに先頭に立ったローゼンクヴィストはそこから3周にわたってパワーとの差を広げ、あるいはレースを掌握するかと思わせたが、26周目にふたたび導入されたフルコース・コーションが明けると、事態は少しずつ変化を見せはじめた。多様なインディカーのなかに夢見たデビュー戦での優勝は、まだ残されたままの別の物語によって上書きされていく。

Photo by : Chris Owens

 たとえばスコット・ディクソンである。土曜日の予選第1ラウンドで第2グループの7番手タイムに終わった昨季のチャンピオンは、本来なら14番手からスタートするはずだった。しかしおなじラウンドで佐藤が黄旗の原因を作ったとして最速タイムを抹消された結果、かろうじて6位に繰り上がって第2ラウンドへと進み、結局のところ最終ラウンドへと辿り着いて4番グリッドで決勝を迎えたのだった。この顚末からも想像されるとおり、ディクソンはセント・ピーターズバーグでけっして支配的ではなかった。優勝経験のないコースだから自然なことかもしれない。本来より恵まれた位置からスタートした後、序盤は淡々と、レースから消えるように周回を重ねており、リーダーから少しずつ引き離されていく展開に甘んじていたのである。2度目のフルコース・コーションを迎えても大きな変化はなく、一度は開いた差が清算されたとしても、とつぜん速くなって躍動を見せるといったような場面はありえなかった。にもかかわらず、51周目のローゼンクヴィストから3周後に2度目の給油を終えたとき、ディクソンは涼しい顔をして相手に先んじている。あれほど鮮やかなパッシングを成功させた新人を静かに逆転してしまっているのだ。53周目にローゼンクヴィストが自己ベストタイムを記録しているにもかかわらず順位が入れ替わっているといえば、まったく不思議な、信じがたい光景だろう。なるほど仔細に見てみればローゼンクヴィストのアウトラップとインラップの合計が119.4989秒で、ディクソンのそれが117.5915秒だから、この2周で必要最小限の、しかし決定的な2秒差を作り出したことはわかる。だがそれは後から見つけ出した理屈で、その瞬間はまるで手品に騙されているようにしか思えないものだった。

 観客の視野から外れたところを走っていたとしても、あるとき不意打ちを仕掛けるように突如として目の前に現れてくる――日本ではしばしば、「気がつけばディクソン」とだれともなしに口にする。そうやって話題にするほど何度も虚を突かれて「気づかされている」のに、結局次のレースになれば実際にそうなってみるまで気づくことができない。そう、この逆転はだれもが知るスコット・ディクソンのレースそのもの、ディクソンが浴するべきなりゆきに違いなかった。わずかな幸運と、完璧な立ち回りと、静かな収穫。彼はこれまでにも何度となく、犯した失策をレースの側に補われて窮地から救い出され、機会に乗じて正しい場所へと戻り、そして気がつけば表彰台に登っていた。その繰り返しこそが2010年代にただひとり3度にわたって王座に就いたなによりの理由であっただろう。セント・ピーターズバーグの週末に、10年間のディクソンを見て取ることは容易だった。彼もまた、重ねてきた物語を纏め上げるべき一人だったのである。

 そして、そのディクソンをもジョセフ・ニューガーデンが上回った。予選3番手からスタートし、序盤はずっとその位置を守っていただけだったかに見えた一昨年のチャンピオンは、2回目の給油が近づくレースの分かれ目で突如として豹変した。50周目がはじまったとき、ニューガーデンはまだローゼンクヴィストの1.6秒後ろを走っている。テレビの映像で見ても50m以上は離れた、手の出しようがない差だ。だというのにその周の終わり、間にいたパワーが集団の中で機先を制してピットへと舵を切った瞬間には、もう両者の差は0.8秒になっており、さらに翌周の最終ターンではあっという間にすぐ背後までやってきている。そうしてローゼンクヴィストがピットに入ってからの4周は、ニューガーデンのためだけにあった時間だと言っていい。51周目の62.2521秒は全体のベストタイム、52周目に更新したファステストラップの61.7350秒は全ドライバーが記録した唯一の61秒台。続いて62.0125秒、62.1508秒を叩き出して、あっという間に逆転に必要なリードを作り上げたのである。51周目に0.6秒だった直後のディクソンとの差は、55周目には3.0秒まで広がった。このころ、日本では回線の不調かなにかで中継が止まってしまい、肝心の場面が捉えられることはなかったが、見られずとも結果は明らかだった。はたしてようやく映像が戻ったとき、ニューガーデンは当然に先頭を走っていた。

Photo by : Chris Jones

 ニューガーデンは速さに波を作れるドライバーだ。運転に斑があるという意味ではなく、どんなときでも集中力を急激に高め、時宜を得たスパートで要点を捉えて離さない。それもディクソンと異なりその速さはいつも車の運動となって激しく現れる。2014年のミッドオハイオに始まり、いくつかのアラバマ、チャンピオンを獲得した2017年のゲートウェイやソノマなど、彼は自分自身のキャリアにおいて重要なレースを、つねに情動を喚起する運動によって印象づけてきた。ディクソンが観客に気が付かせないままレースをものにするというなら、ニューガーデンはその視線を自らに釘付けにするよう力づくで要請してくる。この日も間違いなくそういう場面があっただろう。51周目のターン11、高速のS字コーナーへ飛び込んで最終ヘアピンへと立ち上がっていく勢いはローゼンクヴィストとまるで異なっており、旋回の鋭さから少しダウンフォースを失って過剰になったヘアピンへのブレーキングに至るまで、何度見ても寒気すら覚えてしまう。その場面にひとたび囚われるなら、セント・ピーターズバーグを優勝するのはニューガーデンとしか思えなくなるだろう――そして実際そのとおりになった。たとえば2017年の1年間がそうであったのと同様、あらゆる思惑を飲み込んでしまう純粋な熱量によって、自分自身の物語を書きつけるように、彼は2019年の開幕戦に優勝するのだ。

 終わってみれば、予選上位4人の順番が少し入れ替わっただけの、なんの変哲もない一日だったと見てもいいかもしれない。だが土曜日を支配しながら日曜日に敗れるパワーにせよ、多様性を体現する新人の役割を果たしたローゼンクヴィストにせよ、あるいは目立たないところから悠然と現れて果実を収穫しているディクソンや美しいスパートで自分の来歴を表現するニューガーデンにせよ、このレースで先頭を走り、また表彰台に登った4人は、2010年代のインディカーのどこか一部分をそれぞれに語っていたように思わせる。観客はセント・ピーターズバーグで起こったいくつかのできごとを、ほのかな既視感とともに見守りもするだろう。われわれは、今ここで行われているインディカーを、2010年からの10年間に纏め直す。この日の場面を索引として、ふたたび過去の物語を呼び出してみせる。2019年という年自体にさしたる意味はない。だがたとえ恣意的で捏造された結びつきだとしても、「最後の年」として2010年代を振り返るのにこれほどふさわしいレースはなかったのだと、物語ることはきっとできる。

Photo by : Joe Skibinski

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