【2022.7.30】
インディカー・シリーズ第13戦 ギャラガーGP
(インディアナポリス・モーター・スピードウェイ・ロードコース)
7月中旬に巻き起こったチップ・ガナッシ・レーシングとマクラーレン・レーシングが立て続けにアレックス・パロウとの契約を発表した問題について、前々回の記事で「法的に解決されるしかないのかもしれない」と書いたところ、舞台は本当に法廷へと移るようだ。7月25日にパロウの現所属であるチップ・ガナッシが下級審に訴状を提出。翌日には提訴先へ召喚状が送られ、20日以内に応じなければならない、という流れのようである。召喚状の送付先はパロウとALPAレーシングSL。前者は言うまでもなくドライバー本人、後者は馴染みが薄いがおそらく “ALex PAlou Racing Sociedad Limitada” で、パロウの個人マネジメント会社といったところだろうか。つまりシーズンも佳境に入ったこの時期に、チームとドライバーが「原告」と「被告」の関係となったわけだ。状況を第三者に整理してもらうための契約確認訴訟であって泥沼の裁判沙汰といった趣ではないものの、異例の状況ではあろう。7月26日送達とすれば、召喚期限は8月15日。さてこれを書いている時点で続報はない……と思っていたら、F1のほうでアルピーヌが育成ドライバーであるオスカー・ピアストリをF2から昇格させると発表した直後に本人が否定、どうやらマクラーレンとの契約が進んでいるらしいという冗談のようにそっくりな状況が発生し、まったく無関係の部外者にして頭を抱える事態になってしまった。インディカーの動向にも何らかの影響を与えるかもしれない。
ダニエル・リカルドの契約解除待ちを先頭にしたマクラーレンの「ドライバー渋滞」は措くとして、パロウの問題の争点はチップ・ガナッシ側が保有・行使したという2023年のオプション条項と思われる。チームは声明で「契約条項が明確であるにもかかわらず、競合のレーシングチームが不適切にパロウとの契約を試みたため、法的手続きを進める」「速やかな審理を要請する。審理には2時間もあれば十分だと考えている」と述べており、正当性に相当の自信を持っていることが窺える。対するパロウ側の代理人弁護士は、いまのところ「チップ・ガナッシがアレックスからF1のチャンスを遠ざけようとしていることに失望している」「裁判となったのも残念だ」など情緒的で契約と無関係な言に終始しており、素人目で見ると明示的な証拠という意味ではチップ・ガナッシに分がありそうな雰囲気ではある。ただ、仮に軍配がそちらに上がったとして、パロウの行く先がどうなるかはまた別の問題だろう。法的決定を盾にされたら10号車のシートに縛りつけられるほかないが、オーナーのガナッシが怒り心頭に発したのか、結果にかかわらずチームにパロウの居場所はないという噂話も目にした(真偽はともかく、無理もない話だ)。あるいは、結局のところ契約状況の判断を仰ぐだけの裁判にすぎないのだとすれば、最終的に金銭で解決するのがもっとも穏やかかもしれない。どんな契約であっても双方が折り合う金額のやりとりがあれば解消できるというのは、移籍金という名の契約解除金がビジネスの一部になっているサッカーの世界を見ればわかることだ。チップ・ガナッシが裁判に勝ち、パロウ側がそれでも違約金を支払ってチームを離れ、その金は移籍先のマクラーレンが補填する。マクラーレンF1は来季もリカルドを走らせる見込み(チーム側からすれば契約を解除できなかったということだろう。ここでも契約だ!)のようだが、2024年には――フェルナンド・アロンソが現役を続けていれば――3人目のスペイン人F1ドライバーの誕生だ。インディカーで長く走るパロウを見ていたかった気持ちはあるものの、もちろん彼の人生である(と、これも書いている途中にピアストリの件が生じてわからなくなった)。
チャンピオンドライバーとチームが、マクラーレンやその先にあるF1をめぐって揺れる中で、前週のアイオワと、立て続けに今回のギャラガーGPが行われている。5月以来今季2度目となるインディアナポリス・モーター・スピードウェイのロードレースで、コルトン・ハータはスタートからわずか2周で5つ順位を上げ、やがて17周のラップリードを重ねる印象深いレースを戦っていた。記事でも書いたとおり、少し前ならF1関連の話題で筆頭に上がるのは彼の名前だった。そもそも昨秋、アンドレッティ・オートスポートがF1参戦を果たすべくアルファロメオF1の株式の過半数を取得しようと交渉を求めた際に、買収が成功して「アンドレッティF1」が誕生した暁には米国市場のさらなる拡大を見据えてハータをインディカーから移す計画ではないかと伝えられていたのである。しかしアルファロメオが売却を拒んで不首尾に終わり、ならばと完全な新規チームとして参戦申請を行ったものの、今度は11チーム目の登場によって分配金が減少することを嫌う一部の既存チームの抵抗にあっていまだに承認が下りず、それどころかFIAもフォーミュラ・ワン・グループも消極的とまで言われるなど先行きが明るいとは言えない。
一方でハータ自身は3月にマクラーレンとテストドライバー契約を結んでおり、パロウの問題が持ち上がったちょうどおなじ日にも2021年型のMCL35Mをアルガルヴェ・サーキットで走らせていた。アンドレッティの計画が座礁しても彼の名前がF1市場に残ったままなのはそのためだ。マクラーレンにとっては広く伸ばした触手が捕まえたドライバーのひとりにすぎないのかもしれないが、それにしてもコルトン・ハータF1待望論はいまだ根強い。ただ、F1という舞台を見据えたとき、インディカーですでに通算7勝を記録している22歳には大きな障害が残っている。この障害がなければ、マクラーレンがパロウを求める理由もなかったかもしれない――パロウのほうから秋波を送ったのだとしても――、単純で厄介な条件。形式的なことだ。F1のレースに出るために必要なFIAスーパーライセンスの取得資格を、ハータは持っていないのである。この世界最高峰の免許を手に入れるには各カテゴリーの選手権順位に割り当てられたスーパーライセンスポイントを過去3年間で40点獲得しなければならず、直近3シーズン32点(複雑な事情につき詳細は割愛するが、Covid-19の流行を受けて設けられた特例措置を利用しても変わらない)のハータは条件を満たしていない。今季インディカーだけで40点を突破するのに求められる選手権順位は3位。またマクラーレンはハータにスーパーライセンスを取得させるためのプログラムを組むと報じられており、おそらくF1のフリー走行に乗せてポイントを上積みするのだと思われるが、それでいくばくかを稼げるとしても現実的に4位は必要だ。そしてこの機を逃してしまうと、2020年の選手権3位で得た20点が消える来季にはよりいっそうの困難が待ち受ける。そのタイミングでマクラーレンF1からリカルドが離脱すれば別のドライバーが(たとえばパロウが、あるいはピアストリが、それともまた思いもよらないだれかが?)後釜に座り、ハータの可能性は閉ざされるということになるだろう。メディアで喧伝される期待とは裏腹に、実質は準備すら整っていない。マクラーレンのドライバーとして意味を得るなら、あるいは今後アンドレッティの計画が達成されるとしても、ハータにはどんな形であれ「結果」が必要なのだ(と、ここまで書いたところで、根拠は怪しいながらリカルドとマクラーレンの契約解除とピアストリの2023年レースドライバー就任の話が流れはじめ、ことによると記事が根底から覆りそうな情勢になってきたが、それは7月30日現在にはまったく想像できないなりゆきだった)。
だが、第12戦アイオワが終わった時点のインディカーで、コルトン・ハータの名前は8番目まで出てこない。のみならず、3位のジョセフ・ニューガーデンとは91点差、6位のパロウからも81点差と、得点状況でと水を空けられている。混戦の上位集団から離れてしまってはもはや大幅に順位を上げるのは難しく、一時はもっともF1に近く思われていたハータは、こと今年の免許という点に限れば見込みがほとんどない状況に後退している。いかんせん今季はあまりにレースを失いすぎた。すぐに思い出せるだけでも、インディアナポリス500やアイオワのダブルヘッダーで車のトラブルに見舞われ、2位走行中だったミッドオハイオではあろうことかフルコース・コーションが確実な状況でチームがピットに呼びそこねるというミスを犯して転落している。そうした関知できないトラブルに加え、ハータ自身の責任もある。アラバマで喫したスピンはさほど大きな被害に至らなかったが、ロングビーチではブレーキングのミスでバリアに突き刺さってリタイアした。これも2位走行中のことだ。シーズンの半分くらいがそんなありさまで、無益とわかっていつつ失くした得点を数えればゆうに100点を超えるだろう。順調なら今ごろチャンピオン争いを繰り広げ、F1への足がかりを築いていてもおかしくなかった。失望は察するに余りある。(↓)
雨に翻弄された5月のインディアナポリスは、そんな今季のハータが唯一勝利を上げた場所であった。ふたたびの舞台での躍動は、噛み合わないシーズンにせめてもの慰めを得て、また少しでも来季に可能性を繋げていくための重要な一歩だ。実際、決勝でのパフォーマンスは申し分なかった。9番手からのスタート直後、いちどは行き場を失いながらもターン1の大外に回って2台を抜き、ウィル・パワーとパト・オワード(アロー・マクラーレン・SPで走るこのメキシコ人も、F1に関して名前が上がるひとりだ)が接触した隙に5位まで浮上する。さらに次の周にクリスチャン・ルンガーを簡単に料理しても勢いは衰えず、フルコース・コーション中にジョセフ・ニューガーデンのペナルティで3位を得ると、リスタート直後にアレキサンダー・ロッシを、数分後にはポールシッターのフェリックス・ローゼンクヴィストをも捉えて、いとも簡単に先頭に立ったのだった。わずか8周の出来事で、その後は後続との差が少しずつ開いていく。インディアナポリスではおなじみの光景だ。広く抜きやすいコースに見せて、事実中団では激しい闘いが起こったりもするのだが、その広さは同時に速いドライバーを順当に前へと導くから、最終的に先頭付近は凪へと収束していく。ハータのレースもそうなりそうだった。ピットストップのタイミングで暫時後退しても、状況が整理されればまた先頭に戻る。ペースは衰えなかった。中盤に差し掛かるころにはチームメイトのアレキサンダー・ロッシを従え、2秒差を保ったまま周回を重ねている。その差はコーションによって一度縮まるが、それは波瀾の種になりそうもない。リスタートではむしろ、ロッシを突き放して速さを見せつけるかのようだった。久しぶりのハータの日だ。
そうだったというのに、めぐり合わせというのは本当に何なのだろうかと思う。順調に進んでいた彼のレースは、17周までラップリードを積み上げた42周目、突如として動力が失われて潰えてしまったのだ。スタートから先頭まで、本当に簡単に上がってきた。しかし終わりはもっとはるかにあっさりとしたもので、惰性だけでピットレーンをおもむろに進み、やがてその入り口で止まる。直後に出された車載カメラのリプレイ映像は無情にもドライバーの失態を示していた。ターン12だろうか、幅の広い縁石を踏み越えた瞬間、大きな衝撃とともに何かが破壊された音が響き、見る間に失速したその横をロッシがすり抜けていく。明らかに縁石に深く乗りすぎたゆえの結末。結局、また自分自身で自分のレースを終わらせてしまったのだった。(↓)
そうしてロッシに引き継がれたインディアナポリスは、その後いちどたりともリードチェンジがないまま完全な逃げ切りで終わる。新人のルンガーが奮闘し一時的に差が詰まる時間帯もあったものの、それも結局リーダーの手の内だったか、最後は余力を見せて突き放す完勝だったのである。つまりはインディアナポリスでおなじみの光景で、もちろん本当ならハータがなすべきレースだったが、中途の速さは喉から手が出るほどほしかった「結果」に結びつかなかった。ハータは24位に記録されて選手権は10位に下がり、6位のパロウとは94点差に広がった。7位のスコット・マクロクリンからももう65点差だ。
コース上の出来事を周辺の思惑と絡めてはいけないとわかっていても、パロウの騒動をスコット・ディクソンが上書きしたトロントと同様、少し近づけて考えてしまう。3年ぶりに優勝したチームメイトのロッシは今季限りでアンドレッティを去り、アロー・マクラーレン・SPへ移籍することが決まっていて、そのプロフィールは偶然にもかなりの部分でハータと重なるところがある。だがここ数週間でにわかに持ち上がったF1の文脈にかぎれば、ハータが市場のリストに掲載されている一方でロッシは無関係だ。市場に名を残し続けるためにスーパーライセンスの可能性を広げたかったハータが取り逃した結果を、ロッシがこのタイミングで引き取ったのだとすれば、やはりそれは皮肉な結果だったのではないだろうか。そういえば、忘れかけていたことだがロッシは元F1ドライバーだったのである。■
Photos by Penske Entertainment :
Travis Hinkle (1)
Dana Garrett (2)
Paul Hurley (3)
Joe Skibinski (4)