【2022.8.7】
インディカー・シリーズ第14戦 ビッグ・マシン・ミュージック・シティGP
(ナッシュヴィル市街地コース)
4週連続開催の掉尾を飾るミュージック・シティGPは、いったい何を書いたらよいのかわからないほど、いろいろな出来事が起こりすぎたレースだった。そもそもスタート前に到来した激しい雷雨で1時間以上も進行が遅れたときから波瀾は始まっていたのだ。日本時間の朝4時からテレビの前にいたというのに、チェッカー・フラッグがようやく振られたのは8時半を迎えるころで、すでに暑すぎる一日の気配が忍び寄ってきていた。それにしても、まさか危うくクライマックスを見逃すところになろうとは思ってもみなかった。病院の受診予約が9時だったのである。
昨年の初開催で9度のフルコース・コーションが導入された事態を受けて、ナッシュヴィル市街地コースはいくつかの改修を施されたが、あまり奏功しなかったようだ。事故はそこかしこで発生した。狭いコーナーを並走しながら、デヴリン・デフランチェスコと佐藤琢磨やカイル・カークウッドとデイヴィッド・マルーカスといった面々はハグでも交わすように絡み合ってレースから去った。あるいはジミー・ジョンソンは去年とまったくおなじ場所のバンプで跳ねた結果としてひとり壁に激しく衝突し、チームを唖然とさせている。選手権を争うパト・オワードは集団の真ん中にいて、ウィル・パワーの失速に反応しきれず軽く追突したところ、後ろからもっと強くグレアム・レイホールにぶつけられて動けなくなり、パワーも駆動系に瑕を負ったのか直後から明らかにペースが落ちた。そのレイホールはなんとかピットへと戻ろうと試みる途中、脱落して引っかかっていたフロントウイングを踏みつけて制御を失い橋の側壁にぶつかるという信じがたい事故を起こし、それでも帰還して車を直しレースへと復帰した挙げ句、最後にはターン4を曲がりきれずバリアに突き刺さってすぐ後ろにいたリナス・ヴィーケイを巻き込む傍迷惑なリタイアを喫した。言うまでもなく、それらの事故はことごとくコース全域に黄旗を翻らせ、レースの進行をますます遅滞させる。極めつきは76周目、再スタートのターン9でインから3台同時の追い抜きを図ったジョセフ・ニューガーデンにロマン・グロージャンが走行ラインを消される形で壁の餌食になった事故で、旗の色はとうとう黄色から赤へと変わった。5月のインディアナポリス500マイル同様、コーション下でのフィニッシュとしないための裁量的措置によって10分ほどの中断が挟まり、始まるまで1時間以上も遅れたレースは、80周を走るのにも2時間6分24秒を要することになった。
序盤はそれでも穏やかなほうだったのである。3周目にターン7でダルトン・ケレットを外から交わそうとしたコルトン・ハータがタイヤバリアを掠めてフロントウイングを落としたのがレースにおける混乱の端緒といえば端緒だったが、このときは自走してピットに戻り、1周遅れでレースに復帰できた(結果的にハータはその後の複雑な展開に乗じてリードラップを取り戻し、5位でチェッカーを受けた)。最初に導入された8周目のコーションにしても、アレキサンダー・ロッシがターン10を飛び出しかけて止まり、コースの真ん中でエンジンをストールさせてしまっただけで、さほど深刻なインシデントではなく、レースに大きな影響を与えてはいない(ハータとおなじく1周遅れとなったロッシも、やがてリードラップへ戻って4位を手にする。不思議なレースだった)。昨年の混沌を思えばこの程度の問題は起こりうるとわかりきっていて、隊列は動揺もなく再スタートを迎え、しばらくは平穏な進行が続いたものだった。だが22周目の、やはりそれ自体は深刻なものではなかったエリオ・カストロネベスの単独スピンが、レースのありかたをすっかり変えてしまったのである。ターン3の出口のバンプで跳ねてタイヤが空転したのか、それとも単純にパワーをかけすぎたか、カストロネベスはリアを振り出して4分の3回転すると、進行方向に対して横腹を晒す角度で停止し動けなくなった。それを見て、レース・コントロールは即座にフルコース・コーションを導入する。このときすでに、アレックス・パロウをはじめ4台が平常どおりのピットストップを終えている、そんな時間帯だった。(↓)
現在のレース・コントロールが、過度な順位の混乱を防ぐため、ピットストップが絡むコーションの場合に発令のタイミングを調整するようになったことは、以前書いたとおりである。コース上でトラブルが起こったとしても、一定の安全性が担保されるのであれば、全車がフィニッシュ・ラインの入り口を通過するまでは発令を待って平等にピットへ入る機会を与えるのが、現行の運用から見て取れる方針だ。それに従えば、すでに1度目の給油を完了した者と未了の者に分かれていた今回も、できるなら様子を見たかったはずだろう。だが悪いことに、カストロネベスの06号車は見通しの悪いターン3の出口を半分以上も塞ぐ形で横向きに止まってしまっていた。かろうじてレーシング・ラインは残っていたが、後から来る車が少しでも進路を変えれば、二次的事故に至ってもおかしくない状況で、おそらくコーションを遅らせる選択肢は取れなかった。そうして瞬時にフルコース・コーションが通知され――迷いを感じないその判断の素早さはいつもながら本当に見事だ――、隊列がかき混ぜられる。ピット閉鎖が解除されて全員が給油を終えてみると、パロウが先頭に押し上げられて数台が続き、ポール・ポジションから順当にレースをリードし続けていたスコット・マクロクリンは5番手に追いやられた。忘れて久しかった、少し前のインディカーらしい光景だった。
誰のせいというわけではなくとも、なりゆきとしてこういうことは起こりうる。この入れ替えに加え、狭いピット空間での一斉ストップによって順位が変動したこともあいまって、隊列が「本来の順序」ではなくなったことが、結果的にその後の展開に影響を与えたかもしれない。再スタート直後の26周目には先述したパワー、オワード、レイホールの連続追突事故が発生したが、コーションが明けたばかりだっただけでなく、彼らを含む集団の前方にパフォーマンスの低いジョンソンが出ていて、全体の車間が詰まり気味だったことも原因と無関係ではなかっただろう。この事故はさらなる急減速を余儀なくされた後方集団の多重事故をも誘発し、都合7台が接触に見舞われる事態になってしまった。その中心にいて前後から挟まれたダルトン・ケレットとシモーナ・デ・シルベストロは被害大きくレースを終え、スコット・ディクソンは追突を受けながらかろうじて現場をすり抜けたものの、修復のため閉鎖中のピットに入らざるを得ずペナルティを受けてしまう……そして、最後には優勝するのだ! いやいや、冗談だろう?
コーションは新たなコーションを導く。次の再スタートで、今度はデフランチェスコと佐藤が絡むのだ。ターン10の入り口で外に並んだ佐藤に対して、内側のデフランチェスコはまともに曲がることもできず、相手を道連れに壁へと直進していった。その事故の処理が終わってようやく、10周ばかりレースの時間が訪れる。幸運にも先頭を得たパロウを、一度は後退したマクロクリンが独力で順位を回復しながら0.1秒差まで追い上げてきていた。クリスチャン・ルンガーに厳しいチェックを受けながら怯まず弾き返した41周目といい、小さなコーナーで丁寧にトラクションを掛けて上品にシモン・パジェノーに並びかけた44周目といい、この荒れたナッシュヴィルにあって素晴らしい追い抜きで、ただ行きがかりで失った位置に今にも帰っていこうとする出色の速さだった。ヴィーケイが川向こうから戻ってきた先のターン11で飛び出しかけて停止したのは、結局マクロクリンが正しい優勝を取り戻すのだろうと考えていた51周目のときだ。最高速からの最大減速区間のすぐ奥で車が止まったのを見て、ふたたび即座にコーションとなると予期したか、ディクソンを始めとした数台がピットへと戻ってくる。もっとも、その判断は空振りに終わった。ヴィーケイのエンジンは動いたままで、数台をやりすごすとまたすぐ復帰したからだ。コーションは導入されず、むしろ彼らが決断した30周を残しての早すぎるピットストップは、燃費とタイヤに不安を抱えながら最終スティントを走りきる必要を生じさせたように思われた。それは一種の賭けのようなものだったから、外れるのは仕方のないことだ。(↓)
……仕方のないことだったはずなのに、なぜこうも、にわかに信じがたい巡りあわせがレースを動かすのだろう。何事もなく走り出したヴィーケイは、いったんピットに入り、新しいタイヤを履いてレースへと戻った。するとそのすぐ前方で、先の事故でハンドリングに問題を抱えていたレイホールがターン9をまったく曲がりきれずに壁に激突し、動けなくなっていたのである。ブラインドコーナーの出口に突然現れた障害物に、ヴィーケイは避けられるはずもなく追突し、2台が縦に繋がってたまらずコーションが発令される。この間、だれもピットには入っていない。だが22周目のときと同様、もう黄旗を遅らせることは難しい状況になってしまっていた。
ヴィーケイが犯したミスは、それ自体がレースを動かすことはなかったが、巡り巡ってレイホールとの事故に結びついた。最初に反応してピットに入った者たちの賭けはたしかに失敗したのだ。そこでレースは何も変わらず、代償として小さな不利を引き受けなければならないはずだった。だがどういうわけか賭けは延長されて賭け金も持ち越され、今度こそ的中したというわけだった。先に幸運に与ったパロウも、それを力で打ち破ろうとしていたマクロクリンも、レースを司る黄旗の前になすすべなくピットストップとともに後ろに下げられ、燃料が足りないことを覚悟でステイアウトを選んだニューガーデンの後ろ、事実上の先頭を、賭けに勝ったディクソンが占めている。冗談でもなんでもない。インディカーにありうべき最後の反転をディクソンは捕まえた。そのなりゆきはたぶん偶然だったろうが、結果としてはなかば必然だった。
そうやって巧みに手に入れたレースを、ディクソンというドライバーは逃さず静かに閉じてゆく。またしても引きずりおろされたマクロクリンが再度すばらしい速さで追い上げてきても、不利に立たされて攻撃的な側面を露わにしたニューガーデンがグロージャンを撃墜し赤旗にまでなっても、いったん確保した場所を奪われることはなく、そのままチェッカーのときを迎えてみせたのである。こうしてみると、複雑な過程がいくつも絡み合いつつ、整理してしまえばじつは単純な構図に貫かれていたことにようやく気づく。当初マクロクリンに支配されたレースは22周目に裏返ってパロウのものとなり、52周目にまた裏返ってディクソンの手中に収まった。各周のリーダーの名前を見れば、21周目までマクロクリン、22周目から53周目までがパロウ、54周目から65周目までがニューガーデンで、そこから最後までディクソンと、きれいに4つに割れている。荒れた印象とは裏腹にコース上では一度も先頭が交替せず、そのときどきで何らかの選択をした者のもとへ移ろっては、ずっと固められたままだったのだ。8度にわたったコーションのうち、レースを決定的に反転させた地点はふたつあった。それを偶然にも捉えたドライバーが、しかし必然的にリードをたしかなものとする。インディカーは偶然と必然の交差がレースを作る。そのもっとも重要な交差点に、最後に立っていたのがスコット・ディクソンだった。いったい何を書いたらよいのかわからないと思いつつ、終わってみれば、じつはたぶんそれだけのことだったのである。■
Photos by Penske Entertainment :
Chris Owens (1, 4)
James Black (2, 3)