8月のエリオ・カストロネベスが祝福されるのなら

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【2015.4.19】
インディカー・シリーズ第3戦 ロングビーチGP
 
 
 ほんの1週間前、ルイジアナGPのことを書いた記事で、意味を求められない2位を得てしまったエリオ・カストロネベスについて、舞い込んできた結果の幸運さゆえにむしろ今後を信じきれないと結んだとき、当の本人はすでにロングビーチでポールポジションを獲得したあとだったのだ。だれよりも短い時間で純粋にたった1周を走りきる速さはわたしの不明をみごとに嗤笑し、記事はもっとも冴えたやりかたで浅はかさを証明されたといって構わないわけであるが、しかし予選結果を知ったうえでなお、わたしはノーラ・モータースポーツ・パークでの週末から導く今季の展望がなんら変わるものではなく、当初の予定どおりその小文を書き上げることに躊躇する必要はないと確信を持っていた。

 優勝したジェームズ・ヒンチクリフとおなじような作戦で2位に入ったカストロネベスは、それによってたしかに40点もの選手権ポイントを獲得している。雨とフルコース・コーションに祟られたルイジアナにあって大きな幸運に恵まれた結果の大量得点が、開幕戦を4位で終えていた彼を選手権の渦の中心へと飛び込ませるものだったことに疑いの余地はない。だが昨年も一昨年も、カストロネベスはそんなふうにして得た数字上の有利を走るたびに吐き出して――私見では、2013年はレースに臨む精神に、2014年はおもにレースを走るスピードに問題があった――、最後は甲斐なく敗れる一年を繰り返した。とくに2013年にかんして言えることだが、必要以上の僥倖(あるいは走ること以外の謀略の望外な成功)に恵まれることなく、つねにライバルと競り合う展開になっていたなら、しょせんは虚構の制度でしかない選手権の「首位を守る」などという瑣末な名誉に逃げこむ機会など訪れず、眼前の現象としてのレースに正面から向き合えて、逆説的に選手権を制する結末が待っていたかもしれないと思っている。だいたい、どちらの年も単発で速いレースはいくつかあって、その物理的な力がいまだインディカー・シリーズの最上級ドライバーであることを示しているというのに、カストロネベスは王座へと辿りつく好機を続けて逸したわけだ。ここ2年の彼に決定的な弱点があったとするなら、むしろその速さをもってしてもなお、不可避な巡り合わせによって勝利への意志とはなんら無関係に慈悲なく負けるときがあるという可能性を過剰に怖れ、危機を遠ざけて辛い敗北から逃げ、それなりの順位で事を収めようと腐心する態度をしばしば覗かせたことだと断言できる。2年間で2勝。その数は選手権を射程に含めるドライバーとしていかにも少ないが、それにもまして優勝しなかった他の35戦に、情動を呼び起こされるような激しい敗北を認めることは難しい。

 いや、一切ないのならただ単に凡庸さを表すだけなのだからまだ諦められるのだ。だが、昨年のインディアナポリス500にせよ、一昨年のフォンタナにせよ、カストロネベスは本当に勝利を欲したときに燃やす情熱によってレースを美しく彩りながら敗れ去ることができてしまう。その姿こそ彼の本質に違いなく、そしてにもかかわらず、それほどの才能を持ち合わせながら、一方で得られる点数の計算のみを寄る辺として車に任せたレースに甘んじることも多いのが、なんとも口惜しい。ルイジアナがそうだったように彼の表彰台はしばしば喜ばしいものでありすぎるし、喜ばしい上位にただ満足する安定感が結局のところ選手権に繋がらないことはもはや明らかだ。シリーズ・チャンピオンを経験しないまま来月には40歳を迎えようとする優れたベテランドライバーには、シーズン途中で自分に失望する適切な機会と、それを乗り越えるための時間的猶予があまりに少なかった。素晴らしい敗北の瞬間があったとはいっても、昨年のインディ500は2倍ポイントレースだったために過大な得点を取れてしまい、取り逃したレースの重みを別にすれば十分に満足しうるものだったし、2013年の最終戦だったフォンタナで己を取り戻したときは、すでになにもかもが手遅れになった後だったのだ。

 そういう過去を覚えているから、たかだか1回のポールポジションで復権を示したかといわれれば当然にまだ不十分で、土曜日の時点でカストロネベスは相変わらずわたしにとって「信じ切れずにいる」ドライバーだった。しかし、だとすればこうも言える。2015年ロングビーチの29周目に起きた一瞬の出来事は、もしかしたらカストロネベスにとって心から歓迎すべき悲劇として重要な記憶となったかもしれない。ただの1周さえもラップリードを譲ることなく、悠々とレースを支配していた――それはもっとも得意とする勝利の形であるわけだが――彼が最初のタイヤ交換と給油のためにピットへと戻ったときのことだ。すべての作業が滞りなく終わって車がジャッキから下ろされても、ペンスキーのクルーは手のひらを車に向けて、発進せずその場に留まるよう合図を出しつづけたのだった。もちろんそれは茫として動かずにいた開幕戦のウィル・パワーの場合と違い危険を回避するためのまったく正しい指示であり、つまり実際にカストロネベスが我慢ならずほんのわずかタイヤを転がそうとしたその鼻先を、すぐ前のピットボックスを使用するトニー・カナーンが掠めていったのである。無理にピットアウトさせれば確実に交錯するタイミングで、ペンスキーは最善の行動を選択していた。カナーンがちょうどピットインしてきたのは、チップ・ガナッシが仮にそんな可能性を少しばかり期待していたのだとしても、偶然の成り行きでしかないだろう。しかし偶然は時に勝敗を決するもっとも大きな要素になる。約7秒という信じられないほど長く絶望的な時間、偶然にも車を留め置くのが最善の手段になってしまった時点で、彼らは、カストロネベスは敗れるほかなかったということである。カナーンのすぐ後ろ、ピットレーンのもう1本外側のラインを、すでに作業を終えたスコット・ディクソンが嘲笑うかのようにすり抜けていったとき、このレースのポールシッターはまだ走り出せずにいたのだった。

 しかし自らの与り知らぬところでゆくりなく先頭を奪われる悲劇は推進力にもなりうることを、カストロネベスはたしかに示した。この日の彼は、自分の順位に従順なレースの奴隷ではなかったのだ。プライマリータイヤを履いたピットアウトの直後はディクソンから離され、チームメイトに背中を脅かされさえしたものの、タイヤが温まってペースを回復してからは傷の拡大を食い止めてみせる。逆襲の機会が訪れたのは2度目のピットストップに際してだった。ディクソンから1周遅れてタイヤ交換と給油を終えたカストロネベスは、今度はだれにも邪魔されることなく発進し、ディクソンよりわずかに早く、ピットレーンとコースとの合流地点に入り込んで最初のコーナーへと向かっていったのである。

 残酷なものだ。もしロングビーチのピットがターン1に対して内側に設置されていたら、カストロネベスは先頭を取ってターン4――去年、初優勝の希望とともにピットアウトしたばかりのジョセフ・ニューガーデンをライアン・ハンター=レイが無作法にインサイドから弾き飛ばしたコーナー――を守る勝負に持ち込めただろうし、最後のスティントで履いたオルタネートタイヤの温まりの早さはその可能性を十分に保証していた。しかし機先を制してターン1へと進入しようとしたときその内側にはレコードラインが通っていて、結局ディクソンは順位を争う相手などいないかのように、単独走行の面持ちで緊張感なくそこを過ぎていってしまった。このオーバーテイクとも言えないオーバーテイクでレースの行方はようやく決した。アイスマンと呼ばれる男がゴールまでに隙を見せるはずもなく、2.2221秒差まで差を詰めるのが精一杯の抵抗だったろう。チェッカー・フラッグが祝福したのは、あれほど速かったカストロネベスではなかった。

「AAAの車はものすごくて、ぼくたちは終始一貫してとても速かったんだ」と車を用意してくれたスポンサーへの感謝――彼は絶対にこれを忘れない――を表してから、レース後のカストロネベスは言う。「ピットでクルーのみんなが最高の仕事をしてくれた。とくにガナッシと交錯しかけたときの指示は完璧で、すべてがすばらしかったよ。ぶつかったあとに悔やんでも手遅れなんだからね。終わってみれば、2位だって悪くはない」(※)。そう締めくくる彼の顔は、たぶんいつもどおり笑顔だったのだろう。だがフルコース・コーションは序盤に破片が落ちたことで3周だけ導入された1度きり、燃料残量に怯える必要はなく、タイヤはいつまでも性能を保っていた、そんなスピードだけが価値を持つレースを勝てるはずだったのはまぎれもなく自分だと知っていて、それなのに敗れてしまったのである。”At the end of the day, second place is not bad.” 終わってみれば悪くはない。クルーの仕事はあの場面で最善だった――前向きに見える言葉の端々には、しかしルイジアナの2位とは正反対の物悲しさがにじむ。not bad、悪くない。悪くないけれど、結局、望んだものは離れていった。心情を勝手におもんぱかれば、そう言いたいように見える。そして、だとしたらだ。これほどすばらしい敗戦はない。


 カストロネベス本人は、自分がロングビーチの2位表彰台に悲しみを抱き、仲間を讃えつつもわずかながらに表出させていることを自覚しているだろうか。なによりその悲しさこそ、勝利に向かって突き進んで届かずに引き裂かれるこの結末こそ、エリオ・カストロネベスの2年間に欠けていて、いまようやく、悲願のシリーズ・チャンピオンのために手に入れつつあるかもしれないものだということに、気づいているだろうか。自らの論理性とは無関係にレースの現実は現れては消えていき、その中のなにも関係なかったはずの一つに後ろから斬りつけられることがある。長いシーズンでは、そうした可能性をいっさい畏れない蛮勇のドライバーがまず転落し、次に畏れて足を止めるドライバーが脱落する。残るのは畏れるがゆえに前に進まなければならないことを知っているか、無神経でただ馬鹿みたいに速いドライバーだけだ。だから、カストロネベスがカナーンに行く手を遮られた瞬間をレースの冷徹な断絶なのだと畏れつつも、結果を痛恨のこととして悲しめるなら、そのときはとうとう選手権の本命としてありありとした輪郭を手に入れるはずである。過去、スコット・ディクソンは故意か過失かにかかわらずチーム・ペンスキーの面々にレースを妨害され、ウィル・パワーは何度もペナルティを科せられながらそのたび上位へと舞い戻ってきた。ふたりとも、そういう敗北を駆動力としてリアタイヤに伝えることで、頂点に辿り着いたのだ。いまのカストロネベスにはおなじことをする資格がある。もし8月に選手権の首位に立っている姿を見ることができたなら、それはあらゆる幸運に恵まれて数十点を得したルイジアナによってではなく、むしろ突発的な敗戦によって10点を失ったロングビーチによってこそもたらされたのだと、われわれはきっと思い出す必要があるだろう。
  
 
(※)インディカー・シリーズ公式サイトのニュース「ディクソンがロングビーチで通算36勝目を上げる」(http://www.indycar.com/News/2015/04/4-19-Dixon-wins-Toyota-Grand-Prix-of-Long-Beach)より筆者訳。

8月のエリオ・カストロネベスが祝福されるのなら」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 一瞬の情動がすべてを制する推進力となる | under green flag | portF1

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