淡々としたウィル・パワーのためにレースが流れてゆく

【2022.9.4】
インディカー・シリーズ第16戦 グランプリ・オブ・ポートランド
(ポートランド・インターナショナル・レースウェイ)

結局、どこまでもポイントリーダーの存在感が希薄なまま、2022年のインディカー・シリーズは最終局面を迎えようとしている。ウィル・パワーを見てみれば、けっして悪くはなかったのだ。走りにケチをつけたいなどと思っているわけではない。予選3位、2番手スタート、決勝もそのまま2位。ことここに至っては、彼が得るべき正しい結果だった。毎年巻き起こるターン1での大混乱を避けるためスタートの加速タイミングを早めるよう変更したポートランドは、その狙いどおりに目を疑うほど順調な1周目を導き、たったそれだけで予選下位のドライバーたちが縋る奇跡的なレース反転の可能性をすっかり封じた。最終スティントを迎えるまでフルコース・コーションが導入されることは一度もなく、どのチームもすべてが事前の計画に沿って進行していく秩序だったレースを、パワーは順位に応じて秩序からいっさいはみださずに走り続けた。2位にしてラップリードは2周。ちょっとしたピットストップのタイミングのずれで得ただけで、自力で何かしたわけではない。スコット・マクロクリンのまばゆい速さに近づく機会は訪れず、ジョセフ・ニューガーデンのように丁寧なパッシングの連続で力強く順位を上げてくる経過があったわけでもなければ――2番グリッドからのスタートで抜く相手がいない以上、それ自体は当然なのだが――、スコット・ディクソンが身を投じた1回きりの深いブレーキングもなかった。唯一、コーション明け直後に飛び込んできたパト・オワードと接触しながらも凌ぎきった88周目のターン1は穏やかならざる情動の跳ね上がる瞬間だったが、その直前の動きを見るかぎり少しばかり油断していたために相手に攻める気持ちを与えてしまっただけのようにも思える。実際、まったく普段どおりの進入を行ったパワーに対し、遠い距離から無理なブレーキングを敢行したオワードはターン1でようやく車4分の3台ぶん並んだだけで鼻先を前に出すことさえできず、軽く触れ合ったのち切り返しのターン2ではパワーが比較的容易に順位を守った。結局オワードだけが車を損傷させたこともあって後ろから攻められる心配は小さくなったが、かといってマクロクリンを追うだけの力もやはりない。パワーはそのようにして見どころの少ない2位を得た。勝者から1.2秒遅れ、最後に追い上げてきたディクソンに対しては0.7秒の前にいる。前後に数車身の間隔を空けたまま何もなく、彼のレースは静かに終わった。

 最終戦直前のこのポートランドが、今季のウィル・パワーをこれ以上なく象徴したレースだったと受け止めるのは、きっと何も間違っていないはずだろう。前回の記事でも言及したとおり、ジャーナリストの天野雅彦が「モデルチェンジ」と評するパワーらしからぬ安定感は、引き換えに彼自身をつねにレースの脇役へと追いやり、それでいながら選手権の主役に留まらせている。その状況が少し寂しいのは、天野の指す安定が、走りというよりは結果についてのそれに見えるからだ。2度目のシリーズ・チャンピオンという麗しい肩書に向かって、パワーは何をしているだろう。もちろん、トラブルを避け、より上位でフィニッシュするために最大限の努力をしていることに疑いはない。それを我慢強く地道に遂行しつづけ、ほとんどすべてのレースで成功させてきた事実にも称賛を惜しむつもりはない――つまり、ケチをつけたいわけではない。近年その度合が薄れてきているとはいえ、それでもなお波瀾の種がそこかしこに蒔かれているインディカーにおいて、「安定して」上位にいつづける難しさは、そういう展開がもっとも得意とされるディクソンでさえ年に数回はとんでもない惨敗を喫することからもわかるだろう。パワーの今季平均順位は6.1位。選手権を争うディクソンが6.3位で、ニューガーデンは5勝しているにもかかわらず8.6位だから、数字を弾き出してみるかぎりは順当なポイントリーダーだと思えるし、実際のところ5位以内が11回もある記録は驚嘆に値する。そう、ケチをつけたいのではない。

 ただ、だとしてもだ。結果としてのあまりの安定感が、結局のところパワーをいまいる順位への安住を志向させていると、どうしても感じてしまう。たとえばセント・ルイスのショートオーバルが終盤に降雨赤旗となった際、インタビューのマイクを向けられたパワーの口から出たのは、このままレースが終わってもいいという言葉だった。もちろんそれは状況を冷静に捉えればとても合理的な願望で、というのもすぐ後ろには新しいタイヤに履き替えたばかりの車が2台もいて、そのときにいた4位を守り切るのは明らかに難しかったからだ。事実、長い中断を経て再開されたレースで彼はデイヴィッド・マルーカスと佐藤琢磨に対してほとんど抵抗できずに順位を明け渡し、勝者から12秒、つまり半周以上も離されて6位に終わった。だからその心境の吐露は疑いようもなく正しかった。ただ、だとしてもだ。セント・ルイスが典型的にそうだったように、今季のパワーは前よりも後ろを見る時間が圧倒的に長かったのではないか。安住への志向、つまり選手権に目を向けたとき、ひとつのレースで勝たなくても構わない状況がつねにまとわりついていて、トロフィーへの希求を阻害していた。セント・ルイスは赤旗によって「もう終わってくれて構わない」というパワーの偽らざる心境をあらわにしたが、あるいは終わってほしかったのは選手権だったかもしれないと、悪意ある邪推に過ぎないと承知のうえで思う。観客の目にそのような側面が映るのはたしかだ。(↓)

逃げるマクロクリンに、2位を固めるパワーの構図は最初から最後まで同じだった

 パワー自身に責任があるわけではない。レースごとに、周回ごとに、コーナーごとに感情をかき乱されて、ときに喜び、ときに追い詰められて爆発する姿が現れてこないことに寂しさを覚えるのは観客の勝手な感傷だし、当事者にとって知ったことではないだろう。また感情面を除いてみても、この「モデルチェンジ」は内なるパワーの変化の結果ではなく、外的要因に大きく拠っている。選手権2位のニューガーデンは最終戦をパワーに対して20点差で迎える。5回の優勝にもかかわらず1勝どまりのチームメイトに後れを取っている理由は、トラブルやミスで失ったものが大きすぎたからだ。取り逃したレースのうちのたった一度でも、たとえばアイオワのレース2でサスペンションが唐突に壊れたりしなければ、きっと最終戦だけでなく、最終戦に至るまでのシーズンの展開も、もちろんパワーのありかたも大きく変わっていた。あるいはコルトン・ハータがやはりミスによって手放した点数を直接数えるだけでも、150点に届こうとするだろう。最近になって急にアルファタウリからのF1デビューが取りざたされるようになった才能が順調なシーズンを送っていれば、いまごろポイントリーダーとして戦っていてもおかしくなかった(そうなっていれば、スーパーライセンス発給の特例措置利用という無理筋の方法を探る必要もなかっただろうに)。春先に調子の上がらなかったディクソン、開幕直後の勢いを失ってから再浮上までに時間のかかったマクロクリン、みながみなパワーの周りで右往左往し、近づいては離れして、穏やかなポイントリーダーの座を「保全」してしまった。そういう状況だったから、パワーはただ自然に走っていれば済んだ、それが「モデルチェンジ」だったのだろう。いつかは打破されるかもしれないと思っていたのに、結局リーダーに戦う動機は与えられないまま、9月に至っている。

 ポートランドでも、それは変わらなかった。ディクソンは予選16位に沈み、彼らしい見事なレースぶりで3位まで上がってきたものの、そこが限界だった。完璧なポール・トゥ・ウィンを飾ったマクロクリンはしかし、数字上はチャンピオンの権利があるというだけのことで、パワーの現実的な敵ではなかった。そしてなによりニューガーデンだ。予選でマクロクリンに次ぎパワーを凌ぎながら、前戦における規定外のエンジン交換で6グリッド降格を喫した彼は、第1スティントで遅いプライマリー・タイヤを履いたためにさらに順位を落としたが、最初のピットストップを終えるとついに元の速さを手に入れて、画面に現れない後方で、地道に、本来自分がいるべき場所へと戻っていった。42周目にアレックス・パロウを抜いたときには、スタートを上回る5位にまで回復している。その過程を見届けられたわけではないが、それは予選より決勝のスパートにこそ才を発揮するいかにもニューガーデンのレースだった。56周目には4位へ。パワーは現実的な射程に収まっている。このレースにおいてもそうだし、たとえ攻略にはいたらなくても、最終戦を楽な戦いにさせないことはできそうだった。

 さてしかし、その先である。理由はわからない、深い考えがあったのかもしれないし、何かの事情で物理的に使えなかったのかもしれない。裏で起こりうるそうした事情をあえて無視して、疑問を呈しよう。そこまで順調だったにもかかわらず、ニューガーデンのピットはなぜ、まったく使いこなせないことがわかっていたプライマリータイヤを、最終スティントで選んだのだろうか。スタートからわずか15周のうちに16秒も突き放されたタイヤを、ルール上すでに使う必要もなくなっているにもかかわらずふたたび履く積極的な理由が、どこかにあったのだろうか。理由はわからない、深い考えがあったのかもしれないし、何かの事情で物理的に使えなかったのかもしれない。ただ、上位4台が一斉にピットへと入った79周目、マクロクリンとパワーにカメラが寄っているなか、後ろのほうでニューガーデンが異なるタイヤを履いて発進するのを認めたとき、瞬間的にありえないと直感したのは紛れもない事実だった。ただの観客がリアルタイムで目を疑うほどの選択だったし、事実全車のピットストップが終わると、プライマリーを装着したのはニューガーデンとアレックス・パロウしかいない。つまり特別な「理由」を求めたくなる選択だったのである。

 もちろんニューガーデンはピットストップの直前に後続を10秒突き放していて、その差を使い切るようなレースはできるかもしれなかった。だがそれはオルタネート・タイヤでもまったくおなじだったはずだし、何よりトラック上の差など、一度でもフルコース・コーションとなれば簡単に無になってしまう。荒れに荒れる例年と異なり、今回のポートランドは意外にもずっとグリーンで進行していたが、コーションはつねに脈絡なくやってくるもので、ここまでなかったことはこれからもないことをまったく約束しない。はたして84周目、リナス・ヴィーケイがジミー・ジョンソンを周回遅れにしようと抜き去る際に目測を誤って壁に押し付けるという、予測しようもない馬鹿げた事故が発生して、この日唯一の、予測しえたコーションが導入された。パワーがオワードの攻撃を招いて軽く接触した件の再スタートでニューガーデンはアレキサンダー・ロッシへの防戦に手一杯で、ターン1に深く入りすぎて失速したところをディクソンに付け入られる。タイヤの温まりの速さも、温まってからのグリップの差も歴然としていた。そこから約20周、最初のスティントと同様にずるずると順位を落としてチェッカー・フラッグを迎える以外、ニューガーデンにできることは何もなかった。(↓)

最終スティントでサイドウォールが黒いプライマリー・タイヤを履いたニューガーデンは、グリップを得られず大きく順位を落とした

 結局、またこうなる。パワーだけがなぜか泰然としているその周囲で、追い詰めるべきライバルは、たしかに速さや強さで勝ると確信させる瞬間があるにもかかわらず、勝手に周章しては脱落し、リーダーをリーダーのまま留めてしまう。圧勝したマクロクリンは手遅れで、ディクソンは遠くから手を伸ばしてきたにすぎず、一番近かったニューガーデンがひとりで転ぶ。選手権の行方が定まったわけではないが、しかし気づけばある意味で自身とは無関係なところでパワーにとって有利な状況ができあがっている。その繰り返しで進んできたシーズンの構図はとうとう崩れなかった。書いたとおり、ニューガーデンとパワーの差は20点ある。ディクソンも並ぶ。守りに徹するのは難しくない。そういう最終戦になってしまったことが――ならない可能性も相当に大きかったはずなのに、そうなってしまったことが――つくづく惜しい。

 別に、パワーとニューガーデンとディクソンと、だれがチャンピオンとなっても構わないことである。それぞれにすばらしい一面はあって、どういう結果になっても称えられよう。だがそれも、レースの熱量あってのことだ。選手権とは机上で計算された、擬制のシステムにすぎないと何度も書いてきた。選手権のためにレースがあるのではなく、レースのために選手権はある。選手権を求めるのであれば、まず目の前のレースを純粋に求めよ。最終戦のラグナ・セカがどう展開するのかは想像もできない。だがひとつ、緩やかなポイントリーダーとして過ごしてきたパワーが、このレースのために情熱を傾ける場面が一瞬でも現れることを、それだけを望んでいる。■

パワーを上回る3勝目を上げたマクロクリンだが、中盤の失速が響いて選手権争いは事実上終戦した

Photos by Penske Entertainment :
Joe Skibinski (1, 2)
Chris Owens (3, 4)

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