シモン・パジェノーは内在する均衡によって選手権に近づく

【2016.5.14】
インディカー・シリーズ第5戦 インディアナポリスGP
 
 
 このインディアナポリスGPでの完璧な勝利を見れば、どうやらシモン・パジェノーの能力は歴然としている。ポールポジションから無理にタイヤと燃料を使うことなく自然に後続を引き離してラップリードを重ね、途中でフルコース・コーションを利したライバルに先行を許すものの、相手がピットに入った瞬間から一気にペースを上げて事もなげに失地を回復する。最終スティントでは適切な差を作って相手に隙を与えず、何事も起こらないよう静かに静かにレースを閉じる。唐突なコーションによってレースがリセットされることを前提とするインディカー・シリーズではいちばん勝率の高い完璧なやり方で、パジェノーは100回目のインディアナポリス500に向けた2週間の開幕を彩った。書いてしまえばこれ以上なく簡単な展開だったが、しかしこうしたレースを実現させるのはもっとも難しいものだ。速さ、冷静さ、正しい判断、適度な抑制と解放のすべてを高い水準で備えるドライバーがいてはじめて、感嘆と退屈の入り混じった溜息が出るような週末は目の前に現れる。

 一方で、その3週間前に行われたアラバマではまるで正反対のレースをしている。82周目のターン8で、先頭を走っていたパジェノーは執拗に追い立ててくるグレアム・レイホールに対し明確にドアを閉めて右後輪を弾かれ、グラベルにまで飛ばされたのだが、これはレース全体やあるいは選手権までも俯瞰して見据えれば、冷静さも正しい判断も適度な抑制も捨て去った、およそこの一回の優勝以外にはなんの価値もないと主張せんばかりの感情的な動きだった。もし彼に「選手権を戦う」などといった俗な発想が少しでもあったなら、外側のラインを維持してレイホールに空間を与えることができただろうし、それで2位に落ちたとしてもさほど大きな被害にはならなかっただろう。開幕からの3戦で130点以上を稼いだパジェノーはすでに十分なリードを築いており、しかも直接の敵であるディクソンは序盤のスピンによって後方に下がっていた。万が一車が壊れれば水の泡だ。結果としてコースに復帰し、そのうえ再度の優勝争いを制してしまったのが非凡なところだが、手にしかけていた50点、悪くとも40点をむざむざ失うかもしれない危険を冒す必要のある場面でなかったのはたしかである。だが彼は躊躇なくそれをやり、勝った。たったひと月の間に信じがたいほどの極端な両面を見せ、そして両面ともで勝者となったのだ。

 パジェノーがインディカーで頭角を現しはじめていたころ、米国の舞台で、しかも南米出身のドライバーが幅を利かせていた時代にやってきたこのフランス人は、丁寧正確な運転を身上とし、冷静沈着で作戦どおりに事を運ぶのが巧みなタイプだと思われていた節がある。事実そうした能力に長けていたのはたしかで、しかも比較的早い段階から発揮されていた。たとえばフル参戦2年目となる2013年のデトロイトは典型で、レース終盤にリーダーの背後を脅かしながら無理に仕掛けはせず、相手が先にピットへ向かうやいなや一気にスパートをかけるF1のようなレースで初優勝を上げた。新人だった2012年の好成績も、チーム力が低かったためにうまく立ちまわった結果という印象が比較的強い(デトロイトやミッドオハイオの表彰台は、圧倒的なリーダーの影に隠れて得たものだ)。ル・マン・シリーズの経験が豊富なことも相まって、如才ないレースができてしまうがゆえに速さや強さ以外の資質によって自分の居場所を確保しているように捉えられがちだったのではないか。まさにインディアナポリスGPを安全に締めくくったようにである。

 だがそうしたスマートな姿が彼の本質の一側面でしかないこともまた、早いころからわかっていた。2012年のロングビーチでは後にチーム・ペンスキーで同僚となるウィル・パワーを相手に堂々と渡り合った末に2位表彰台へと登ったし、また初優勝と同じ年、2013年にボルティモアで行われたストリートレースでは目を瞠る攻撃性を露わにした([「頽廃のエリオ・カストロネベスはシモン・パジェノーの後ろ姿を知っただろうか」2013年9月6日付](http://http://www.plus-blog.sportsnavi.com/dnfmotor/article/110))。あのレースの69周目には今年のアラバマに通じる彼の本質がこれでもかというほど詰まっていよう。4~5台が連なる激しい先頭争いのさなか、ホームストレートで反則すれすれのブロックラインを取るマルコ・アンドレッティのインに飛び込むと、ロックしたタイヤから白煙を上げながらホイール同士の接触も厭わずターン1を制して先頭を奪った。さらにターン7の脱出に失敗して一度はセバスチャン・ブルデーに抜かれながらも、直後のターン8の進入で相手のサイドポンツーンに左フロントタイヤをぶつけてアウト側へ追いやりその座を守り切ったのである。通算2勝目をもたらす情熱的な機動だった。

 もちろん冷静に見れば、ホイールが軽く触れただけのマルコに対してはまだしも、ブルデーに接触したターン8の走りはけっして褒められたものではない。車1台分完全に前に出ている状態で横から押されたブルデーは完全に姿勢を乱してコーナーの外側へ滑っており、そのままタイヤバリアへ刺さっても不思議はなかったし、そうなればパジェノー自身も確実に罰せられていただろう。だが3台以上が関連する多重事故が3度も起こったのに加え、選手権で首位だったエリオ・カストロネベスがその座を守ることだけに固執して怯えながらコースを回ってきただけに終わり、挙げ句のはてにそんな情けないポイントリーダーの同僚がライバルに幅寄せしてリタイアに追い込む「援護」をするようなばかばかしくも荒れた日に、優勝という唯一の果実を見据えたパジェノーの接触がかろうじて一線を越えずにレースの中に踏みとどまったのも紛れもない事実だった。彼には、あのときポイントリーダーだったカストロネベスにはなかった勇気があり、また多くのドライバーが溺れた蛮勇に酔ったりもしなかった。接触してでも先頭を守ろうという覚悟と、そうなったとしてもレースを壊さない技術で欲しかった優勝を手繰り寄せたのだ。2013年のデトロイトとボルティモア、2016年のインディアナポリスとアラバマの関係はよく似ている。理性と、それを振り払う暴力と、それでいて粗暴へと身を落とさない技術の絶妙な均衡にこそ、パジェノーの特質はある。2011年にシュミット・(ハミルトンあるいはピーターソン・)モータースポーツがインディカーにフル参戦してから現在まで、彼らは5つの勝利を手にし、のべ14人を表彰台に送り込んだが、そのうち4勝と10度の表彰台はパジェノーが3年の間にもたらしたものだ。あとの1勝は、大雨でレースの大半がフルコース・コーションとなり、チェッカーではなく赤旗で終了した2015年のルイジアナである。

 ここまで書いておきながら正直に告白すると、とわざわざ構えなくとも過去の記事を参照すれば明白なことだと思われるが、わたしは第2戦のフェニックスが終わった時点で、すでにポイントリーダーとなっていたシモン・パジェノーに対し全面的な信頼を置く気持ちにはなれず、むしろその座に少なからず懐疑的な目を向けていた。2戦連続の2位で勝利がなく、どちらかといえば押し出された形の首位であったのもさることながら、両レースの内容が贔屓目にも――とは文字どおりの意味であり、わたしの贔屓のドライバーはまさにパジェノーなのだが――好ましいものとは受け取れなかったからである。開幕戦のセント・ピーターズバーグでは脳震盪を起こしたパワーの唐突な欠場によってポール・ポジションからスタートし、レースの前半を盤石に支配していたにもかかわらず、もっとも肝心なフルコース・コーション明けのリスタートで犯してはならない致命的なミスを犯してもうひとりの同僚であるファン=パブロ・モントーヤに先頭を譲った。しかも2位に落ちてからのレースぶりはまったくもって精彩を欠き、最初からその順位でよかったのだと達観しているようにさえ思えて、失望を大きくさせもしたのだった。フェニックスはまったく抜けないオーバルコースにあってチームの手際よいピット作業に助けられて2番手に上がっただけで、優勝したスコット・ディクソンにただただ付き従っただけで終わった。なにせ、11番手スタートのうえコース上の戦いでも2つほど順位を落としたのに終わってみれば2位という詐欺まがいのレースだったのだ。表彰台が悪い結果というつもりなどはないのだが、しかしこの時点での立場がパジェノーの力を示す経過ではないこともまた確かだった。そして、そうやって地位を僭称する者はことごとく追放されると決まっているものだ。過去数年のインディカーで途中のリーダーに座ったドライバーがみな選手権に囚われすぎてレースを戦う姿勢を失い、最終的には欲していたはずの玉座からも放逐されてしまったことは記憶されているだろう。移籍1年目の目を覆いたくなるほどの不調もあって、2016年最初の2戦に見えたパジェノーのレースが、もしもかつてわたしが抱いた期待に反し才能の限界を示しているのだとしたら、選手権の順位は早晩入れ替わることになるだろうと思われたのである。

 だがピットアウトの際にちょっとした物議を醸したロングビーチに始まるアラバマ、インディアナポリスの3連勝は、ようやく彼が過ごしてきたインディカーの4年が結実したと断言できる結果だった。抑制を利かせて速さの使いどころをわきまえた賢さと、一回きりの情動に身をまかせられる純粋なレースへの意志、それらを根底から支える技術、ひとつでも欠けていたらどこかで勝利は零れ落ちていただろう。絶妙なスパートを遂行しながらピットの出口で交錯したロングビーチも、レイホールに追い立てられたアラバマも、フルコース・コーションで先頭を奪われたインディアナポリスも、どれも敗北へと繋がる途への岐路に差し掛かったが、すべて自分自身の力によって正しい方角へと進んだのだ。これはまちがいなくパジェノーにしかできないレースだった。

 たとえばパワーは才気の中に制御しきれない暴虐を抱え、カストロネベスは陽気な振る舞いとは裏腹に、レースで自分を守りたがる恐れをどうしても振り払うことができずにいる。だからこそ近年のペンスキーは、速さだけなら十分なはずのこの2人を揃えながらもシリーズ・チャンピオンを逃し続けてきた(例外的に、2014年はなんとも幸運なことに2人のチャンピオン争いとなったのだ)。かつて宿敵チップ・ガナッシ・レーシングで猛威を振るったモントーヤを手に入れても、その悪癖は払拭されなかった。そうした弱さを抱えてきたチームにとって、数年ものあいだ背中を恐れない姿を見せ続けてきたパジェノーはだれよりも必要なドライバーだったにちがいない。強いていえば、その特質は3度のチャンピオンを誇るスコット・ディクソンによく似ている――少しだけ、危険側に重心が寄っているだろうか。言うまでもなく、彼はチップ・ガナッシで築いたキャリアの中で、ことごとくペンスキーの前に立ちはだかってきた。ペンスキーはいま、ようやくその宿敵に対抗できる存在を手に入れたのである。5戦で3勝、2回の2位。ここまではこれ以上ない最高の結果だ。だが結果以上に、あらゆる種類のレースを制しその才能を正しく発揮してきた過程こそその未来を明るくしているといいたくなる。シモン・パジェノーがこのままパジェノーでありつづければ、秋の結末は自然と定まっているだろう。ずいぶん気が早いかもしれないが、そう信じずにはいられない。

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