ジョセフ・ニューガーデンは三度魔法を使う

【2017.4.23】
インディカー・シリーズ第3戦 アラバマGP
 
 
 世界中のサーキットに数多ある「コーナー」でいちばんのお気に入りは何かと問われるとする。10年ほど前だったか、F1世界王者となったばかりのルイス・ハミルトン(ほんの一昔前、マクラーレンはまごうかたなきチャンピオンチームだった)が各地の著名なコーナーを集めて究極のサーキットを「設計」する企画に臨んだ際は、イスタンブール・パークのターン8にはじまりスパ-フランコルシャンのオー・ルージュ、鈴鹿の130Rにシルバーストンのコプスなど高速コーナーばかりを集めて首のもげそうな、なおかつ追い抜きなどとうてい不可能なとんでもないコースを作り上げていたものだが、わたしならまずアラバマはバーバー・モータースポーツ・パークのターン14と14aを挙げたいと思う。数え方によってはターン15および16とされることもあるこの区間は、微妙なターン番号の振られ方から容易に想像されるとおり曲率半径の異なるふたつの曲線が巧みに組み合わされた複合コーナーで、さらにはその直前のターン13と三位一体となってドライバーの行く手に立ちはだかるインディカー・シリーズ屈指の難所である。これについては過去に言葉を尽くしてきたので、昨年のアラバマGPの記事から引用してみよう。「長いバックストレートから高速ターン11を通過し、右に曲がり込むブラインドのターン12を加速しながら立ち上がっていくとほんのわずかな全開区間の先にこのコース最大の難所が現れる。車速をわずかに落として右のターン13に進入し、スロットルを維持したまま続けざまにやってくる高速ターン14の横Gをまともに受けながら、いきなりRのきつくなるターン14aのクリッピング・ポイントに向けてブレーキペダルを踏みしめる。半径の異なる3つのターンで1組となるこの複合コーナーを通過するおよそ7秒間、ステアリングはずっと右に切り続けられている。速度を上げようとすれば車はドライバーが与えるフロントタイヤの舵角に抗って外へ外へと逃げていき、かと思えばいきなりリアタイヤのグリップが減じてカウンターステアを余儀なくされる場合もある。イン側へ寄っていこうとすれば速度を落とすしかなく、ドライバーは速度と距離のジレンマのなかで車をどうにか手懐けながら妥協点を探る。横からの荷重にとらわれて姿勢を乱さないよう、最後のブレーキングはあくまで繊細に。走行ラインの自由度はほとんどない」(「なんて愛しい魔法使い」『under green flag 2』2016年5月6日付)。せいぜいふたつかみっつの曲線についてここまで書きたくなってしまうほど、その区間はたしかに魅惑に満ち、レースの醍醐味に溢れていた。ただ、わたしの意識が離れがたく囚われているのはバーバーの複合ターン14が単にそれ自体で良質なコーナーであるからばかりではない。前戦ロングビーチの記事で取り上げたシモン・パジェノーに並んでもうひとり、わたしは敬愛するドライバーを持っている。そのジョセフ・ニューガーデンの存在と記憶によってはじめて、ターン14は本当の意味で特別な場所へと変わる。当人がどう思っているかは知る由もないが、ニューガーデンに視線を注がずにはいられない観客にとって、そこは彼が今の地位に辿りつくうえで最も重要な役割を果たしたコーナーだったのだから。

 2015年、ニューガーデンがアラバマで初優勝を上げたことはまだ記憶に新しい。この勝利に至るまでに、彼は最高のオーバーテイクを2度成し遂げている。まず1周目、ターン14で2年後に同僚となるウィル・パワーの懐に鋭く飛び込み、少しラインを孕ませたものの上品なブレーキングでターン14aを完璧に押さえてみせた。通常ならパッシング・ポイントになりえないコーナーで前年のチャンピオンを抜き去った機動はそれだけで見事なものだったが、しかしそれもさらに重要な場面への伏線に過ぎなかった。フルコース・コーション中にピットクルーのわずかな不手際で順位を落としたニューガーデンは、そのリスタートで今度はエリオ・カストロネベスに襲いかかり、ターン14で外へ逃げていく相手の姿を嘲笑うかのように内側のラインを保ったまま、最後にはやはり上質なブレーキングでターン14aの頂点を綺麗になぞりながら順位を入れ替えてしまったのである。速く、かつ短く。ニューガーデンは挙動を破綻させることなく、速度と距離のジレンマと無縁なままターン14を走り抜けていった。

 しかも結果から遡ると、これらの優れた場面はただ美しいだけでなく、間違いなく初優勝を決定づける貴重な意味を持つものだった。ニューガーデンが先頭に立ったレースはその後燃費競争となって戦いどころではなくなり、しかも唯一異なる燃料戦略を採用したグレアム・レイホールが1周あたり1秒も速い猛烈なペースで追い上げてきて、ゴールしたときには2秒強の差しか残っていなかったのだ。もしリスタートの40周目にカストロネベスを抜くのに失敗していたら、それどころか1周目にパワーに仕掛けられなかっただけで、おそらく優勝はレイホールの手に渡っていただろう。オーバーテイクに価値の軽重があるなら、ニューガーデンが2回にわたってターン14で見せたそれはこのうえなく重たいものだった。車やチームに頼るでなく、どんな状況にあっても自らの力だけで運命を切り拓ける才能の持ち主であると証明したのだ。

 それから1年後のバーバーでも、ニューガーデンは2度ターン14aの戦いを制した。3周目にパワーを、さらには4位を走行していた最終周にまたしてもパワーを抜き去ったのだった。特に最後のオーバーテイクは魔法としか思えなかった。2年のあいだに同じコーナーで同じ相手に2度も膝を屈していたパワーはそのとき十全な警戒をもって内側のラインを通って後方の車が飛び込んでくる空間を消しており、レースはそれで何事もなく終わるはずだった。しかし銀色のペンスキーがターン14aの頂点へと差し掛かろうとした瞬間、存在しないその空間は一直線に飛び込んできたニューガーデンによって占められてしまっていたのである。この場面はテレビカメラに捉えられておらず、全体像がつかみにくい車載映像でしか見られなかったから、いまだになにが起きたのかわからないままだ。ステアリングを右に切り続けながら、弧を描くように曲がっていくコーナリングで、クリッピングポイントに向けて「一直線」に進入する。物理的にありそうにない動きなのに、車載映像ではそうとしか見えず、何より事実そこにニューガーデンはいた。これは、だから魔法なのだ。ジョセフ・ニューガーデンにしか使えない特別な魔法。進入の手前で優先権を奪われたパワーにもはや抵抗する術はなく、チェッカー・フラッグまで数百メートルのところで3位は入れ替わっていた。

 ニューガーデンは2016年のシーズン後にチーム・ペンスキーへの移籍が決まる。サラ・フィッシャー・ハートマン・レーシングからCFHレーシング、エド・カーペンター・レーシングと組織がころころ変わる弱小チームで3勝を含む表彰台9回を獲得した実績を考えれば当然の出世だったが、ペンスキーが積極的に動いてシートを用意したのは、きっとこうしたアラバマの2年間があったからだと思えてならなかった。トップチームとして、自分たちのドライバーがおなじ場所で4度も打ちのめされれば心も動くというものだろう。ペンスキーは表彰台を失ってニューガーデンの才能を痛感し、やがて自らの許へ迎え入れた。そんな筋書きを想像できるなら、バーバーのターン14はひとりのドライバーにとってたしかに最も重要なコーナーだったと記憶されるべきなのだった。

 ペンスキーに移って2戦、ニューガーデンの走りは膨らんだ期待ほどに冴えたものではなかった。セント・ピーターズバーグで見せ場はなく、ロングビーチの3位表彰台は、それこそ去年のアラバマと打って変わって拾い物にすぎなかった。とはいえわたしはそれを無理からぬこととして受け止めていた。移籍2年目にチャンピオンとなったパジェノーでさえ、最初の年はちぐはぐなレースを繰り返して3位2回が精一杯だったのだ。規模の小さな弱小と4台を同時に走らせる強豪では車のセッティングに対する方法からレースの作戦まで何もかもが違う。パジェノーはそれで長い時間苦しんだし、もっと若いニューガーデンが順応までに時間を要するのは仕方ないことだった。今年は雌伏の期間に当てて、2018年にエースとなればいい。Twitterで「それでもアラバマはニューガーデンの予感がする」といった趣旨のツイートをしながらもわたしは自分自身の予感を信じきれなかったし、実際ペンスキーでただひとり予選最終ラウンドに進めず7番手スタートとなったときには、失望と納得の入り交じった頷きを繰り返したりもしたのである。

 だが、日曜日のニューガーデンは突如として速さを手に入れた。スタートからわずか2周でふたつ順位を上げ、その後もパジェノーを追い立てるなどサラ・フィッシャーにいたころを思い出したように奮闘し、最後のコーションが明けたときには事実上パワーとスコット・ディクソンに次ぐ3番手を走っていたのである。64周目にほぼ全員が一斉にタイヤ交換と給油を済ませた後の、まったく同条件での最終スティントが始まったとき、それまで諦念という予防線を張っていたわたしの茫漠とした予感は次第に現実の輪郭を伴うようになっていった。その瞬間が訪れたのは69周目のことだ。リスタートのグリーン・フラッグが振られると同時に、チップ・ガナッシとペンスキーがテール・トゥ・ノーズとなる。ターン2から3にかけて、ディクソンは内から外へ広がりながら加速するラインを選択し、対してニューガーデンは小さく脱出しつつ早めに向きを変えた――これが伏線となる。1本目のバックストレートの終わり、ヘアピンのターン5でディクソンが飛び込みを警戒して車幅半分内側のラインを取るが、仕掛ける気配はない。細かいS字のターン7から8、連続高速コーナーのターン9・10でわずかに差が広がり、しかしターン11へのブレーキングで取り戻す。ニューガーデンはターン3でそうしたのと同じく、ターン11から切り返す12の進入でわずかにリアをスライドさせるようにして素早く向きを変え、一直線に加速していく。ターン13、ディクソンは次のコーナーに備えて内を閉じられない。ニューガーデンが鼻先を入れる。ターン14が迫り、右に弧を描く2台はもう並んでいる――。空間を支配し、曲線を直線に変えて最短距離と最高速を両立させる、それは何度となく見てきた彼だけが使える特別な魔法だった。

 3位から2位へと浮上した魔法使いに、やがて美しいオーバーテイクの報酬が与えられる。先頭を走っていたパワーのタイヤが急に変調を来して緊急のピットストップを余儀なくされ、労せずしてリーダーの座が転がり込んできたのだ。それから14周にわたり、ニューガーデンはディクソンの反撃を振り切ってついに先頭でチェッカー・フラッグを受けた。最後は幸運な優勝に違いなかったが、今まではどちらかといえばレースぶりに比べて報われないほうだったから、これくらいは喜んでいいだろう。パワーが脱落したときに2番手を走っていたのは他でもない彼の実力であり、何よりチームメイトが失ったレースを拾い上げることでチップ・ガナッシへ優勝が移ることを防ぎもした。その意味で、幸運と必然が入り交じった移籍3戦目での勝利には計り知れない価値があったのである。

 先頭に立ってからのニューガーデンは、ディクソンに対して差を広げられたわけではなかった。プッシュ・トゥ・パス――一時的に過給圧を高めて出力を搾り出す追い抜き用システム――の使い方の違いもあっただろうが、むしろ残り2~3周まではつねに背中を脅かされ、ひとつ間違えば再逆転を許す位置に迫られていた。その事実が意味するところはつまり、総合的な車の速さだけなら両者はほとんど互角だったということだ。そしてだからこそ、あのターン14はなおさら輝いて見える。車の速さではなく、ただドライバーの才によって生まれるオーバーテイク。それが現代においていかに得がたい瞬間であるか、モータースポーツのファンにならわかるだろう。そこはジョセフ・ニューガーデンだけが持っている、他のだれにも到達できない唯一のパッシング・ポイントである。この3年間、彼はその場所で合計4度のインディ500優勝と、7度のインディカー・シリーズ・チャンピオンを置き去りにした。近いうちに本人もまたこれらの栄光を手中に収めると予想したとしても、どうやら旨味のある賭けにはなりそうもない。

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