予定されない月曜日、あるいは予期されなかった魔法

Photo by: Joe Skibinski

【2018.4.22-23】
インディカー・シリーズ第4戦 アラバマGP

これはもちろんあらかじめ定められた、文字どおり予定された勝利だった。遡ること2週間、4月8日に行われたフェニックスでのオーバルレースをジョセフ・ニューガーデンが快勝した直後に、激闘の興奮が一段落してすっかり和やかな雰囲気になったGAORA放送席の話題が今後の展望に及んだ際、「ロングビーチ、インディカーGP……」とアラバマGPがうっかり飛ばされてしまったのを聞いたわたしは、反射的に、ニューガーデンが勝つことになるアラバマを忘れぬよう、といった趣旨のツイートをタイムラインに投げ込んでいるのだった。そうするのが自然な反応だった。わたしにとってニューガーデンがその地で表彰台の頂点に登ることは、とうの昔に決まっている予定だったからだ。木曜日、仕事の打ち合わせ。金曜の夜に洗濯、土曜日は洗車と一週間分の食材の買い出し。そして日曜日にはアラバマでニューガーデンが勝つのを見届け、週が明けたら出社前に整形外科を受診する。それらはどれも同じ強度でごく当たり前に手帳に書き込まれ、ごくごく当たり前に完了されるべき用事だった。もしブックメーカーの賭けに参加できるなら1000ドルだって投じられただろう。何倍の掛け率が設定されていたかは知らないが、二十数人の中のひとりと考えれば本命といえども5000ドルくらいになって返ってきたかもしれない。だとしたらつくづく惜しいことをしたものである。

実際のところ、2度の優勝と3位という直近3年間の結果を確認すれば、それだけでだれしもニューガーデンがアラバマが勝つと思えてくるはずだ。たんなる図抜けた成績に留まらず、3年前の勝利は名門チーム・ペンスキーに移籍してくる前、脆弱な組織力しかないカーペンター・フィッシャー・ハートマン・レーシングで挙げた彼自身の記念すべき初優勝でもある。そんなバーバー・モータースポーツ・パークにいまやシリーズ・チャンピオンとして臨むのだから、勝利を予見しないほうが難しいだろう。そう考えるのが当然なのだが、わたしがアラバマのニューガーデンを確信している理由は、けっして過去の優れた実績に拠るのではない。どんな結果も、記されている文字だけならさしたる意味はないものだ。彼の本質はそんな皮相な数字ではなく、ある瞬間に現れてすぐまた消えるモータースポーツの運動にこそ横溢している。思えば、この3年間アラバマにかんしてはニューガーデンのことばかり書いてきた。3年前の初優勝も、一昨年の3位表彰台も、昨季の少しばかり幸運な優勝も、すべて忘れようにも忘れがたいターン14とともに語られるべきだった。エリオ・カストロネベス、スコット・ディクソン、ウィル・パワーに至っては実に3度。あの複合コーナーでニューガーデンに膝を屈したドライバーには錚々たる名前が並ぶ。そこで見せつけられた、彼にしかできない魔法のような――いや、「ような」ではない。それは魔法そのものだ――コーナリングが、アラバマのニューガーデンを特別なものにしている。

いったいどうして、ニューガーデンだけがあんなことをできるのか、いまだわからない。バックストレートの終わりに設定されるブラインドの高速シケインを通過し、頂上を越えて一気に下りながら右のターン13に約135mphで進入するところから、バーバー最大の難所は始まる。前荷重で失われるリアタイヤのグリップに細心の注意を払って連続的に車速を落としながらステアリングを切っていくと、その姿勢のまま続けざまに迎えるターン14で上り坂へと変わり、フロントの荷重が抜けると同時に曲率半径が少しずつ小さくなって今度はアンダーステアを手懐けなくてはならなくなる。外へ逃げようとする車を必死に宥めながら、しかし直後には「ターン14a」と細分化されるほど曲率が急激に変化して小さく曲がり込む地点へ、右に操舵したままペダルを踏みしめる最高難度のブレーキングが待ち受ける。2Gの横加速度を受け続ける旋回中に100mphから55mphへと急減速する制動を破綻なく上乗せし、ようやくクリッピング・ポイントをかすめて立ち上がっていくまで、ターン13の進入から数えて7秒。1周の10%に相当するこの長い長い時間には、下りと上り、オーバーステアとアンダーステア、縦方向と横方向のグリップの均衡といった、およそコーナリングにまつわるすべての要素が詰め込まれているように見える。向きを変えようとすれば後輪は手応えを希薄にする。速度を維持しようとすれば前輪は舵角に抗って直進しようとする。インサイドを確保したいならしっかりと減速し、速く駆け抜けたいなら緩い弧を描くこと。あらゆるコーナーに共通の速度と距離のジレンマが、この区間では特に露骨なほど顔を出す。

だというのにニューガーデンは、ニューガーデンだけは、ジレンマとはまるで無縁に名だたる強豪を攻略してしまうのだ。たとえば2016年の最終周で表彰台をもぎ取ったパッシングなど、数々の名場面の中でも白眉と言える。そのとき、前年から合わせてすでに2度の追い抜きを許していたパワーは真後ろから追いかけてくるニューガーデンに対してあきらかに十全の警戒をもってターン14のインサイドを閉じていた。そのぶんだけ速度は犠牲になったかもしれないが、そこに残された空間は車1台分あるかないかで、旋回しながら飛び込むなど到底不可能なはずだった。にもかかわらずだ。優勝したシモン・パジェノーに続いて2位でゴールしようとするグレアム・レイホールに注目していたカメラが見逃してしまい、パワーの後方オンボードカメラでしか捉えていなかったその映像は、不可思議な驚嘆に満ちたものだった。ターン14をしっかりと押さえたはずのパワーが14aへの進入に向けて少しだけ懐を開けたその刹那、ニューガーデンがまったく一直線に飛び込んできて、瞬く間に1台分しかない空間を自らの支配下に置いてしまったのだ。進入の優先権を奪われたパワーはなすすべなく失速し、チェッカー・フラッグまでわずか数百メートルのところで順位は入れ替わっているのだった。あるいは昨季の69周目。2位を走るディクソンは高いコーナリング速度を維持するため、大きな弧を描くようにターン14へと入っていった。ディクソンだけがそうしたのではなく、パジェノーも、ジェームズ・ヒンチクリフも、カストロネベスも当たり前に続いていった。つまりそれは明らかに、ここでのごく常識的な走り方だった。だがディクソンの真後ろに付けていたニューガーデンはその常識を嘲笑うように、最短距離でしか通れないその空間に向かって速度を落とすことなく進入し、コーナーの入り口で完全に並んでしまったのである。ニューガーデンは2番手に浮上し、やがて先頭のパワーがタイヤに問題を抱えて後退したためにこの地での2勝目を手にした。

何度でも問いたくなる。いったいどうして、ニューガーデンだけがあんなことをできるのだろうか。コーナリングの物理を覆すように、速度と最短距離を苦もなく両立させてしまうその機動を魔法と呼ばずしてなんと言えばいい。たとえば今年のアラバマでは、雨で月曜日に順延となったレースが再開されたその周に、ザカリー・クラマン・デ・メロがやはりターン14でグレアム・レイホールの内を突く場面が訪れたのだが、外のラインで速度を保ったまま踏みとどまるレイホールに対し、ステアリングを右に切り続ける新人は14aに向けてどうしてもあと一歩を潜り込めずに終わったのである。外の車と拮抗する速度で内を走るのが難しいというひとつの例だ。もちろん、このときデ・メロがすでに1周遅れの状況にあり、レイホールと直接順位を争っていたわけではないといった事情を無視するのは公平ではない。とはいえインディカーでは速さを回復した周回遅れがリードラップを取り戻すべく反撃するのは普通のことだし、月曜に改まった後の彼はそれが可能なくらい速かった。事実、ターン14aでの攻撃こそ実らなかったものの、続く最終コーナーへの進入が窮屈になった相手をクロスラインで抜き去っている。だとすればターン14で抜けるなら抜こうとした意思がデ・メロにはあり、しかしながらそれに失敗したのだと考えても不自然ではないだろう。他に思い出せるとしたら2016年にパジェノーが同じくレイホールを交わして先頭に立った瞬間だが、あのときのレイホールはコースを外れてグラベルトラップに四輪を落とした直後で、パジェノーは手応えのないまま進入した相手の脇を簡単にすり抜けただけだった。結局のところ、互角かそれ以上の敵をドライバーの技術だけで攻略した例など、ニューガーデン以外ありそうもない。しかもそのパッシングのことごとくが、優勝や表彰台に直結した重要なものだ。記録上の数字としてただ1位でゴールしたに留まらず、情動を湧き上がらせる運動によって勝利を自ら手繰り寄せてきた、唯一彼だけが持つ履歴。最上の愛すべき魔法使い。それこそニューガーデンがアラバマを優勝すると揺るぎなく信じられる最大の理由だった。

***

もちろん、振り返ってみれば簡単なレースではなかった。豪雨を警戒してスタート時間を30分繰り上げた日曜は、ポール・ポジションを獲得したニューガーデンの速さをさらに際立たせながら進行したものの、結局は走行が難しくなって22周で赤旗となり、再開のめどが立たずに順延が決まった。月曜日には63周が繰り越されたが、一方で走行時間が前日から通算2時間を超えた時点でレース終了となるルールも適用され、順調に走っても全周回をわずかに下回る見込みとなった。速さに任せて平穏に逃げ切ってしまいたいリーダーにとっては厄介なことに、この残り距離の揺らぎがレースを複雑にしたのである。通常63周を走り切るには2度の給油を必要とされるが、2時間レースではチェッカー・フラッグが何周目に振られることになるのか、正確なところはだれにもわからない。フルコース・コーションが導入されて何周か減速すれば、そのぶんゴールまでの距離は短くなる。つまりは1回の給油で走りきれる可能性が生まれる。賭けは成立しうる、価値はある――実際、2番手を行くセバスチャン・ブルデーなどは賭けに出た。前戦のロングビーチで陥った根拠のわからないステイアウトではなく、明確な意図を持った長いスティントを乗りこなし、速さでは追随できないニューガーデンを逆転しようとしたのである。

23周目の再スタートからウォームアップを兼ねた3周の低速周回を経て、ブルデーは次の給油を55周目まで引き延ばした。全開走行では心もとないものの、ひとまず1ストップで済ませる算段が立つ距離だ。翻って49周目に給油を行い、2ストップが確定したニューガーデンは、余分な1回分のピット作業時間を速さだけで稼ぎ出す必要があった。それはけっして簡単な任務ではなかったが、後続に対して1周1秒も速いペースで周回を重ね、62周目には26秒まで差を開いて必要なリードをまもなく確保するに至っていた。この瞬間を切り取ったとしたら、レースの趨勢は確実に2ストップのニューガーデンに傾いていただろう。だが、大差を築いてもなお、リーダーにはまだもっとも危険な脚本が残されていた。それはロングビーチでも見られたように、自分が最後の給油に向かう前にだれかが事故を起こしてコーションが導入される展開だった。もしそうなってしまえば、この二十数秒のリードは水泡に帰し、続くピットストップでブルデー以下数台が連なる1ストップ組の後方まで順位を下げてしまう。使える燃料とタイヤの状態を考えればコース上で追い抜いて――ターン14がある――順位を取り戻せる可能性はあったが、チェッカーまでに何周を消化するかわからないなかで、確実な計算とは言えなかった。

最悪の危機をあらかじめ回避するのなら、予測不能な未来の成り行きに身を任せず、レースが行われている現在のうちにピットストップを行うべき状況だった。残り周回数は多くても20周と少しであり、どの周に給油しても余裕をもって最後まで走り切れるのだから、決断自体はいつでもできる。26秒差ではブルデーの前にこそ戻れないものの背後にはつく計算で、コーションに嵌まってしまうよりは救われる。標的が燃費走行中の1台だけなら、コース上で抜き返す困難も下がる。もろもろの条件を勘案したとき、通常ならその選択肢を取りえたはずだった。ただ、状況を鑑みるに、ニューガーデンとペンスキーはおそらくそうしたくてもできなかったのである。1時間前のレース再開時には晴れ渡っていたバーバーの上空は、このときすっかり灰色に塗られており、そのうえ気象レーダーがさらなる雨雲の流入を示していた。前日に引き続き雨が落ちてくることは確実な空模様で、しかし、いつどのくらいの強さで降るかを判断するのは難しい。早めにピットに戻り、順位をいくつか下げたその後に、ドライタイヤでは走れない量の降雨となったら? 冷静に指折り数えればそれだってコーションで後退するよりはましかもしれないが、確定的でない大きな危険を予防するために損害は小さくとも確率の高い危険へと接近するのはいかにも勇気がいる。結局、ニューガーデンはコーションの可能性に素肌を晒してでも雨が全員の選択を決定する時間を待つ以外の行動を取れなかった――のではないか。そう見える。

一方で1ストップのブルデーにとっても、雨は悩ましい客だった。もともとの作戦に沿えば降らないほうがいいに決まっている。ペースを落としてでも燃料消費を絞り、最後の給油を済ませたはずなのに、レインタイヤに履き替えるためにピットへと戻らされてはなんの意味もない。とはいえ、降雨そのものが避けられなかったとしても、タイミングやその他の要因次第ではむしろ勝機が大きくなりえたのもたしかだった。リーダーが給油に向かい、ドライタイヤを履いた後に降りはじめること、もしくは逆に、給油までの間にコーションが導入されること。要するにニューガーデンが怖れる展開がそのまま舞い込めば、局面は一気にブルデーへと傾いていく。

天秤の針はどちらかにしか振れないものだ。ニューガーデンが当たりを引けばブルデーは外れ、ブルデーが当たればニューガーデンは弾かれる。両方が同時に正解を得ることはなく、しかも当否を決定する外的要因に対してどちらも祈りながら走る以外にない、そういう状況が数分のあいだ続いていた。起こった出来事が事後的に語られたロングビーチとは異なり、いままさに走っているさなかから、当事者が制御できない何かによって結果が左右されるとあらかじめわかってしまうレース。「運」を持ち出すとしたら、本来こういうときであるべきなのだろう。人事を尽くし、困難な時間帯を通り過ぎた果てに、天命が微笑んだのはニューガーデンだった。いや違う、天がブルデーを見放した結果、反対側に針が振れたといったほうがより正確に違いない。ニューガーデンはまだ雨が強くなる前、どの車もかろうじてラップタイムを維持できていた72周目にこの日2回目のピットストップを行った。それが戦略的な決断だったのか、前回の給油から23周を経過して燃料が底を突いたために否応なく動かざるを得なかったのかはわからない。いずれにせよレインタイヤはすぐさま機能せず、交換直後はむしろスリックタイヤのタイムを下回ったのだが、2~3周もしないうちに雨脚が強まって事なきを得た。危険と紙一重ではあったが、望ましい脚本を手にできたのだ。対するブルデーは、自らを託した作戦を最後まで諦めきれずタイムが大幅に落ち込むまでコースに留まってしまい、優勝どころか5位へと転落してチェッカーを迎えることになる。最終的に完了した周回数は82。1ストップで届いていただろう距離だった。

***

ほんの少しのずれが、何もかもを変える可能性があった。たとえばチェッカーまで残り61分ごろのターン7で、追い抜きを試みたスペンサー・ピゴットが空間を閉じようとしたデ・メロと接触し、ハーフスピンに陥った相手のサイドポンツーンを押したままS字のターン7aと7bを通過してターン8のコース上に2台とも無傷で復帰するという喜劇じみた珍事が発生したが、あの衝突の角度がわずかでも違ってどちらかがスピンしていたら、たったそれだけで全体の順位はがらりと変わりえた。最終盤にバーバーを訪問した雨雲はわずか十数分のうちに流れ去り、表彰式が終わるころには晴れ間が顔をのぞかせている。いやそもそも、順延にならなければ……。この2日間には、そんなふうに波瀾の種があらゆるところに蒔かれていた。針がいつどちらに振れるのか、最後のピットストップを経て序列が確定するまで一瞬たりとも目が離せない緊張感に覆われていたはずだった。

だというのに、不思議なものだ。レース全体があれほどさまざまな外乱に翻弄されたにもかかわらず、ラップチャートだけは拍子抜けするほど平穏に満ちている。残された記録を見れば、2018年のアラバマGPはポールシッターのニューガーデンが82周のうち73周をリードして逃げ切る一方的な展開で幕を閉じたレースだったと綴るほかなくなってしまうのだ。なるほど、たしかに勝者はレースが変転する危機にずっと直面しながら走っていた。危機が現実となる可能性も間違いなくあった。だが、起こった事実を見ればこのとおり。結局のところ、外乱というフィルターを外してみればこの「圧勝」こそが真実だった、ということなのだろう。決着を導いたのが運だとしても、明暗をわけた何かがあるのだとしたら、きっと運があったかどうかそれ自体ではない。スピードに優れたニューガーデンと奇策に打って出たブルデーの立場は異なっていた。後者が勝つにはレースを変える決定的な幸運が必要だったが、前者はレースが変わる不運さえなければ自然と勝利を引き寄せることができた。その違い、運命に対するわずかな強度の差が、大きな差となって結果に跳ね返ってきた、これはそういうレースだったのだ。つまりはわたしの予想どおりである。緊張が去ってみれば、やはりこれはあらかじめ定められた、文字どおり予定された勝利だった。

ニューガーデンは、つねに地に足の着いた速さで、後続を、不運の可能性さえも封じ込めた。ただ速度をもって制する、そんな現実的なレースを完遂したのだった。だから、という接続詞がふさわしい。わたしにとっては残念なことに、今年のバーバーで彼が魔法を使う場面はついに訪れなかった。訪れるはずもない。飛び抜けた速さでひたすら先頭を走り続ける物理的な力をもってすれば、観客を呆然とさせる魔法が必要となるはずもないのだから。ブルデーが雨の対応に失敗し、レースが事実上決着した瞬間、わたしは安堵と喜びと寂寥の入り交じった複雑なため息を吐いている。贔屓のドライバーが完璧な走りで優勝するのはもちろん喜ぶべきだ。少し寂しくもあるけれど、詮ないことだろう。

2時間まで2分を切った。レースは終わりを告げようとしていた。そんなころである。後続に対して15秒の安全なリードを築き、あからさまにペースを落としていたニューガーデンの前に、周回遅れのレネ・ビンダーが現れた。新チームのフンコス・レーシングに乗る新人ドライバーはニューガーデンよりもさらに遅く、ターン7からターン8にかけてのブレーキングであっという間に2台の差がなくなる。レースを安全に締めくくろうとするニューガーデンも迂闊には仕掛けようとせず、直線ではいちど距離を置くが、ターン9から10の高速シケインでまた差がつまり、ターン12で完全に背後についた。ターン14が迫る。そのときだった。ビンダーはリーダーに進路を譲ったのか、それともアンダーステアに見舞われたのか、外側にラインを膨らませる。懐が空いた――不意に、あまりにも唐突に、その瞬間は舞い降りる。ニューガーデンは空間に飛び込んだ。そして、過去に何度も見せた上品なブレーキングでターン14aの頂点を丁寧に押さえると、美しい余韻だけを残して最終コーナーへと向きを変えていったのである。それは順位の変わらない、レースになんの影響も与えない、きわめて簡単なパッシングだった。だとしてもそれは、変わることなく鮮烈な、だれにも真似できない彼だけの魔法の気配にほかならなかった。

HONDA INDY GRAND PRIX OF ALABAMA
2018.4.22-23 Barbar Motorsports Park

      Grid Laps LL
1 ジョセフ・ニューガーデン チーム・ペンスキー 1 82 73
2 ライアン・ハンター=レイ アンドレッティ・オートスポート 4 82 0
3 ジェームズ・ヒンチクリフ シュミット・ピーターソン・モータースポーツ 5 82 0
4 ロバート・ウィッケンズ シュミット・ピーターソン・モータースポーツ 10 82 0
5 セバスチャン・ブルデー デイル・コイン・レーシング 3 82 9
LL:ラップリード

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