インディ500に愛されるまで、ウィル・パワーは物語を書きつづけた

ウィル・パワー Photo by Chris Jones
Photo by: Chris Jone

【2018.5.27】
インディカー・シリーズ第6戦 第102回インディアナポリス500マイル

 サム・ホーニッシュJr.がインディ・レーシング・リーグ、すなわち現在のインディカー・シリーズで年間王者の座に就いたのは2001年のことである。かつて米国で「インディカー」を担い国際的な色彩を帯びていたCART選手権に対し、米国的なものへの回帰を求めたインディアナポリス・モーター・スピードウェイが離脱を表明してから5年以上が経過していた。設立初年度は3レースしか行われず、急ごしらえのチームが無名なドライバーを走らせるばかりのIRLだったが、オーバルレースだけで構成するシリーズのコンセプトと、母体であるIMSが有する世界最大の祭典――インディアナポリス500マイルの威光によって少しずつ有力チームやドライバーを引き寄せ、大きな勢力へと成長していたころだと思い出せるだろう。一方で商標権にまつわる契約を巡ってCARTと法廷で争った末に設定された冷却期間が続いており、インディ500を中心に据えているにもかかわらず公式には「インディカー」を名乗れなかった難しい時期でもあった。

 インディカーとはいったい何であるのか、輪郭があやふやに浮遊し、先行きもまだ不透明だったこの年、デビュー2年目を迎えた21歳の若者は初戦でいきなり初優勝を上げると続く第2戦にも勝利した。そして最終的に3勝と8度の表彰台を獲得し、前年王者にしてIRL下におけるインディ500の「初代優勝者」でもあるバディ・ラジアーを大差で退けて新世紀の幕開けを飾ったのだ。翌年にIRL史上はじめてのシリーズ連覇を成しとげたホーニッシュJr.はやがて2006年――すでにCARTは消滅し、IRLはその名を現在に至る正統的な響きのものに変えていた――のインディ500に臨む。過去6度の挑戦でじつに5度リタイアを喫し、500マイル全周回を走りきった経験もない世界一のレースを戦っていた彼に降りかかったのは、陳腐な表現だとわかっていても、奇跡と呼ぶしかない出来事だった。思い返せば、最後のイエロー・コーションが明ける残り4周の時点ではまだ6位を走っているのだ。もちろんそのままゴールするのでも過去最高の成績として、健闘を讃えられていい場所ではあった。ところが、レース再開と同時に2台の間に割り込んで4番手に上がったことですべてが始まった。さらに1周後のホームストレートでスコット・ディクソンを交わすと、次には速度を上げられないまま息子のマルコに首位を譲ったマイケルを攻略し、残り2周で先頭を窺う位置につけた。だが199周目のターン3でインを狙おうとした際に接触すれすれの厳しい幅寄せを見舞われてスロットルを戻し、万事休したのである。一度は引き離したマイケルが一瞬にして背後に迫り、マルコは気づけば0.8秒のはるか彼方へ逃げていく。だれがどう見ても、万事休したはずだったのだ。

 何度振り返っても、やはり奇跡にしか思えない。最後の周回を告げる白旗が振られたとき、2台の差はゆうに50m以上離れていた。ターン2の入り口に至っても、あまり変化は見られなかったはずだ。事態が一変したのはその立ち上がりである。まるで射出機で打ち出されたかのような勢いでバックストレートに飛び込んできたホーニッシュJr.は、絶望的に思えた差を半分ほども削り取り、ターン3へと進入していった。しかしてそのとき何が起こったかわからない。だが次の瞬間にターン3を立ち上がりかけたマルコが失速したのだけは間違いなかった。ターン4に向かう短い直線が終わるころ、両者を隔てる空間がほとんど無になり、2台は連なってこの日800回目のコーナーを迎える。マルコは小さく回る。ホーニッシュJr.は車幅の半分だけ外を。選んだラインの差はそのまま脱出速度の差となって現れ、わずかなドラフティングの後にホーニッシュJr.がインへと切り込んでいく。マルコは一瞬だけ左に進路を取って牽制する素振りを見せたが、意に介さず並びかけようとする相手に対応が間に合わない現実を悟ったようだった。チェッカー・フラッグまでほんの1秒、距離にして十数メートルのところで、運命は入れ替わる。アキレスは亀に並んだ。そして紛う方なく抜き去った。

 その歴史からブリックヤードと呼ばれるインディアナポリス・モーター・スピードウェイに、もし女神が宿っているのだとしたら、柔らかな手に招かれ、掬い上げられて祝福されたとしか思えない優勝だった。いや、実際そうだったのだろう。アンドレッティ家の命運を託されたマルコは、あのときまだ何もなし得ていない19歳の青年に過ぎなかった。女神は背骨となる来歴のない男を好まない、側に置きたいのは、いつだって自分だけの物語を持ち、それを実績によって証明してきた者ばかりなのだと。もし最後までレースを引っ張っていたのがマイケルだったら、CART王者の肩書を持ち、F1に渡って失意を味わいながらも復活し、インディ500を勝利したことがないドライバーの中でもっとも多いラップリードを記録している父のほうだったら、煉瓦で作られたフィニッシュラインの手前で引き寄せられたのはホーニッシュJr.ではなかったかもしれない。当時のマルコは――いまもだ、という指摘はもっともだが、ひとまず措こう――あまりに頼りなさすぎた。それに比べてホーニッシュJr.が持っていたシリーズ・チャンピオンのトロフィーの、あるいはそこまで過ごしてきた物語の、なんと重かったことか。

 こんなふうにして、21世紀のインディ500は勝つべきドライバーをレースの側が、ブリックヤードの女神こそが招待しているように見える。ホーニッシュJr.の連覇ののち、スコット・ディクソン、トニー・カナーン、今は亡きダン・ウェルドン、ダリオ・フランキッティ、ライアン・ハンター=レイと、選手権を制したドライバーはみな、それを手土産にインディ500を優勝した。そのうちのいくつかは、人智を超えた力が働いたとしか思えない、ふたたび陳腐に溺れるなら奇跡によって結ばれたレースだったろう。初開催から100年目にあたる2011年のインディ500を勝とうとしていたのは、当時新人のJ.R.ヒルデブランドだった。だが勝者を称えるヴィクトリー・レーンに足を踏み入れるまさに寸前、5秒以上の差をつけていた200周目のターン4で壁へと吸い込まれ、2番手を走っていたウェルドンに優勝が移ろった。女神が自分にふさわしい男を選り好みしたように、勝者だけに与えられる牛乳の届け先を変えたのである。翌年、最後まで死闘を演じた佐藤琢磨はやはり200周目のターン1で完全にフランキッティの懐に入り込んで牛乳瓶に指先を触れたが、白線を踏んだリアタイヤが次の瞬間制御を失ってスピンを喫した。インディカーでの優勝経験がない元F1ドライバーが米国の頂点に立つのは早いとでも拒まれたように。またさらに翌年、全員がダウンフォースを過剰に設定したため最高速が伸びずターン1での追い抜きが多発した気象条件の難しいレースは、カナーンが残り3周のリスタートでハンター=レイのドラフティングから抜け出した直後にフランキッティの事故で再度コーションが導入され、黄旗のまま決着した。それは本当に幸運だったと、15年越しの夢を叶えた勝者は言ったのである。気まぐれな悪戯に翻弄されたそのハンター=レイは次の年、幻となったカナーンとの勝負が続いていたらどうなっていたかを知らしめるかのごとく、199周目のターン1でエリオ・カストロネベスとの大激戦を制した……。

 波乱と思えるような結果もあった。アレキサンダー・ロッシは第100回インディ500を迎えるまでF1で失敗を経験したばかりの何者でもない新人であり、自分自身が他人によって語られるべき特別な物語を持っているわけではなかった。だが彼は、100年目のインディ500を信じられない逆転で制し、その年の最終戦で天に召されたウェルドンとおなじチームで走り、おなじカーナンバーを背負っていたのである。100年目と100回目、節目の数字を因縁として亡き英雄の加護を受けたかのように、彼はただひとり最後の36周を無給油で走り切る無謀な賭けを成功させてチェッカー・フラッグまで走りきった。そして昨年の佐藤にはもちろん、2012年の忘れ物が残っていた。そうやってみながみな、過去を捧げることで500マイルにとどまらない物語を与え、女神を微笑ませてヴィクトリー・レーンに招いてもらう。ル・マン24時間レースについての謂ではないが、インディ500を勝ち取ることなどできはしない。それはつねに、人生と引き換えに贈られるものだ。

 21世紀の年間王者は全員がインディ500を優勝している――ウィル・パワーが2014年にチャンピオンとなったとき、この意味で資格を得たはずだった。しかし、と同時に、そのころの彼がブリックヤードに祝福される姿を具体的に想像することは難しくもあっただろう。経営破綻したCARTの後を継いだものの衰退を止められなかったチャンプカー・ワールド・シリーズからインディカーへと移り、いかにもその経歴の持ち主らしくロード/ストリートコースでは帝王とまで呼ばれるほどの速さを誇りながら、オーバルではいつも脆さを露呈する。そうした極端さこそが、パワーというドライバーを形作る性質だったからだ。だれよりも深いブレーキングを楕円の中で活かす機会はなく、高い一方で切れやすい集中力の波は一瞬の気の緩みが不可逆な事故につながる高速レースではしばしば命取りになる。その速さによってつねに選手権の主役を演じながら、その脆さによってどこかでかならず道化を演じてしまう。チーム・ペンスキーでレギュラーシートを得てから3年連続でフランキッティに敗れた選手権2位は、すべてシーズン後半のオーバルで逆転を喫したもので、当時のパワーをもっともよく表す結果だったと言える。「オーバルのウィル・パワー」と問われて、2011年のニュー・ハンプシャーを想像する人もいるかもしれない。小雨降る中レースが再開されると同時にスピンして5位を失った苛立ちを、あろうことかレース管制室に向けて両手の中指を立てることで表現し多額の罰金を科せられた有名な場面には、彼の抑えきれない感情の起伏が垣間見えたものだ。愛すべき存在ではあっても、完璧ではない。2013年に至るまで、彼がオーバルで上げた勝利は2つだけだった。そうしたドライバーが、いちどシリーズを制したという理由だけで、インディ500の有力候補になるものだろうか。

 チャンピオンになった2014年に見せた2つの印象深いオーバルレースは、ウィル・パワーの未来を確実に導いていたのだろう。その年のテキサス、レース終盤にピットレーン速度違反の廉でドライブスルー・ペナルティを受け、一度はリードラップの最後方に回されたにもかかわらず、圧倒的な速度でたちどころに2位にまで順位を戻したとき、彼は間違いなくオーバルの扉を開いた。事実同じ年のミルウォーキーで圧勝し、まるで性格の違う2種類のコースを兼ね備えたチャンピオンになったのである。だが、人が変化しているのに周囲が気づくのには少し時間を要する。あれだけのレースを見せてもなお、だれかがパワーを評する場合、しばしばオーバルの弱さに話が及んだ。インディ500はまだ遠いと言わんばかりに。

 だからもしかすると、それからの3年間はこうした世間の印象を、ブリックヤードの女神も抱いているかもしれない勘違いを拭い去るために必要な雌伏の時間だったのかもしれない。シリーズ・チャンピオンになってからというもの、彼は各地のオーバルにひとつずつ自分の跡を残していった。2015年のインディ500を2位。フェニックスで2年連続の表彰台を獲得し、アイオワで激闘を繰り広げ、テキサスで幻の優勝を取り返す。そしてポコノの連覇――特に、ウイングアジャスターの故障ともらい事故で2度も緊急のピットストップを余儀なくされたにもかかわらず、ただ純粋な速さのみによって周囲を置き去りにした昨年の圧勝劇は、もはやスーパー・スピードウェイの500マイルをこの男以上に走れるドライバーなど存在しないと確信させるだけの畏怖心さえ抱かせただろう。シリーズ・チャンピオンにして最高のオーバルマスターがここにいる。すべての準備は整っていた。必要なもののすべてを、トロフィーと、ブリックヤードにふさわしい佇まいを揃えたのだ。

 パワーが2018年のインディ500で優勝を決定づけた場面を、詳しく書くことはできる。残り8周のリスタートで、彼はまだ4番手を走っている。前を走る3台は給油を1回省いた燃費走行組だったが、新規則の空力設計が功を奏さず、コース上に乱気流が吹き荒れて全員の操縦性が著しく悪化していたこの日ばかりは、簡単に攻略できる相手ではなかった。オリオール・セルビアこそなんとかねじ伏せたものの、残り2台に対してはじわじわとしか近づくことができない。残り周回数は確実に減り、機会は限られようとしている。受け入れがたい敗戦の予感が胸を覆いはじめたとき、気を持たせてきた悪戯な女神が不意に手招きした。残り4周。コーションの可能性を頼んでいたステファン・ウィルソンとジャック・ハーヴィーが連れ立ってピットへと進路を変え、パワーはいるべき場所へと戻ったのである、といった具合に。けれど「ウィル・パワーという偉大なドライバーがインディ500に勝ったんだ」と伝えるとき、レースそれ自体を語るのではまったく足りないだろう。これまでの勝者がみんなそうであったように、彼もまた、ブリックヤードの女神を振り向かせるため、もっともっと長い途を気の遠くなるまで歩いてきた。チェッカー・フラッグの直前まで結末が見えず、緊張に溢れた試練のレースは、その道程における「最後のほんの500マイル」に過ぎなかったのだ。

 みたび陳腐な表現を持ち出すなら、レースは筋書きのないドラマだとよく言われる。もちろんそうだろう。パワーのこの勝利さえ、最後の20周のどこかでコーションになっていれば、それだけで失われる可能性のあったものだ。オーバルという単純な楕円形のコースは、否応なく運と残酷なまでの速さの差を顕にする。200mphを大きく超える非日常の世界で、何が起こるか予測できようはずはない。だがインディ500は、世界でもっともすばらしいこのレースは、その賢しらな陳腐さを笑い飛ばす。パワーは歓喜のヴィクトリー・レーンに辿り着くまでに、壮大な筋書きを用意しなければならなかったではないか。ひとつのレースについてではなく、ドライバー人生を賭けての筋書きを、である。彼がここに至るまで背骨のないドライバーだったとしたら、きっとこの優勝には届かなかったはずだと、いまならわかる。サム・ホーニッシュJr.も、ダン・ウェルドンも、もちろん佐藤琢磨も、レーシングドライバーとして積み上げてきたものを筋書きにして、ブリックヤードに持ち込んだ。その物語が女神に気に入られて勝利した――勝利を与えられたのだと。500マイルに人生を捧げよ。ウィル・パワーが祝福されたのは彼のドライバーとしての歩みすべてだった。200周目、周回遅れの乱気流を浴びながら慎重にゴールまで進んでいくリーダーの姿を見ながらそのことに思い至ったとき、深く大きな感慨とともに涙がこみあげてくるようだった。

 

102ND RUNNING OF THE INDIANAPOLIS 500 2018.5.27 Indianapolis Motor Speedway

      Grid Laps LL
1 ウィル・パワー チーム・ペンスキー 3 200 59
2 エド・カーペンター エド・カーペンター・レーシング 1 200 65
3 スコット・ディクソン チップ・ガナッシ・レーシング 9 200 0
4 アレキサンダー・ロッシ アンドレッティ・オートスポート 32 200 1
5 ライアン・ハンター=レイ アンドレッティ・オートスポート 14 200 1
6 シモン・パジェノー チーム・ペンスキー 2 200 1
7 カルロス・ムニョス アンドレッティ・オートスポート 21 200 4
8 ジョセフ・ニューガーデン チーム・ペンスキー 4 200 3
9 ロバート・ウィッケンズ シュミット・ピーターソン・モータースポーツ 18 200 2
10 グレアム・レイホール レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング 30 200 12
           
15 ステファン・ウィルソン アンドレッティ・オートスポート 23 200 3
17 オリオール・セルビア スクーデリア・コルサ W/RLL 26 200 16
19 ザカリー・クラマン・デ・メロ デイル・コイン・レーシング 13 199 7
20 スペンサー・ピゴット エド・カーペンター・レーシング 6 199 3
25 トニー・カナーン A.J.フォイト・エンタープライゼズ 10 187 19
28 セバスチャン・ブルデー デイル・コイン・レーシング 5 137 4
LL:ラップリード

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です