スコット・ディクソンは形而上の中空を浮遊している

Scott Dixon streaks across the start-finish line during the DXC Technology 600 at Texas Motor Speedway

Photo by: Chris Owens

【2018.6.9】
インディカー・シリーズ第9戦 DXCテクノロジー600(テキサス)

現代のインディカー・シリーズにおいて、スコット・ディクソンこそがもっとも成功しているドライバーだと主張されて異論を差し挟む者はそういまい。今季デトロイト終了時点で通算42勝は歴代3位タイ、1位のA.J.フォイトと2位のマリオ・アンドレッティが活躍した時代は半世紀も遡り、ダートトラックでもレースが行われていたほど大昔だから、事情の大きく異なる現代で歴史を更新し続けているのは驚嘆すべきことだ。年間王者はじつに4度、史上最長となる14年連続で勝利を挙げ、言うまでもなくインディアナポリス500マイルも優勝している、などなど、実績をただ羅列するのはいかにも芸のない文章の書き出しだが、実際そうするほかないほど、彼の歩みは栄光に満ちている。強者に寄り添う観戦が好みなら、ひとまずディクソンを見つめておくがいい。レースの週末を過ぎたときにはおおむね満足感を抱いているはずだ。彼に大きく失望する場合などまず訪れるものではない。

さてここで、しかし、と言を翻してみよう。これほど輝かしい実績を持っているにもかかわらず、スコット・ディクソンという一個のレーシングドライバーの正体を的確に捉えようとすると、その試みが思いのほか困難であることに愕然とさせられる。語るべき素材がそこかしこに転がっている一方で、拾い集めて並べあげ、言葉を書きつけようとするとなぜかはたと手が止まってしまう。ジョセフ・ニューガーデンやシモン・パジェノーについて綴るときはこのうえなく饒舌になるというのに、ディクソンに対しては同じ筆致を維持できないのである。その原因は第一に、当然わたし自身の観客としての能力不足に違いあるまい。優れた観客による緻密な観察をもってすれば、歴史を築いてきた彼の走りを掘り下げるなどどう考えてもたやすい仕事に決まっているのだから。だがそう自省する一方で、GAORAによる中継、もう少し言えば村田晴郎の語りを必然の中心地とする「日本から見るインディカー」の文脈で考えるとき、わたしのみならずあらゆる人がつねに大なり小なりディクソンを捉え損ねているのではないかとも疑いたくなる。われわれはいつも、偉大なる不世出の王者にどこか拭えぬ戸惑いを抱いているのではないだろうかと。自らの不明を糊塗するために弁解したいわけではない、彼の戦いぶりを指して人々の口から同じ日本語が象徴的なまでに飛び出すからそう思わずにいられないのだ。だれが最初か、「気がつけばディクソン」とみな言うのである。

気がつけば――端的に縮められたこの言い回しに最大級の敬意が伴っていることは言うまでもない。それはどんな不利な状況でも最善の努力を尽くす姿への称賛が、不屈の精神力への感嘆が、揺るぎない強さへの信頼が込められた一言である。ディクソンはレースを失わない。金曜日に正しいセッティングを見つけられなくとも、土曜日の予選アタックに失敗しようとも、決勝になれば技術と戦略を総動員して上位へと舞い戻り、序盤の先頭争いに夢中になっていた観客が「気づいた」ときには表彰台を、ときには優勝さえ争っている。ドライビングエラーはもとより少なく、事故に繋がるような動きもしない。不運に見舞われたり迂闊なペナルティを受けたりして後退することもないではないが、だとしてもやはり魔法のような立ち回りで「気づけば」順位を挽回してしまう。セント・ピーターズバーグで行われた今季の開幕戦がいい例だろう。35周目のターン1でジェームズ・ヒンチクリフを抜こうと珍しくブレーキングを遅らせすぎてしまい、その前を走る佐藤琢磨に追突した彼は、フロントウイングを壊したうえに事故の責任を問われて最後尾に下げられた。のみならず、80周目にはピットレーンの制限速度違反でドライブスルー・ペナルティまで科せられている。周囲が3回のピットストップで走り切るなか1人5回も停止し、さらにペナルティを2度。その日の彼が巡ったのはそういう110周で、普通ならまともに戦えたものではないはずだった。ところが、なるほど大変なことだ、まあディクソンとてそういう日もあろうと頷きながら最終順位を眺めてみれば、そこでなぜだか6位にいるのを見つけて呆気にとられてしまうのである。罰に服したあとにフルコース・コーションが導入されて差が詰まったおかげでもあるとはいえ、虚を突かれた結果なのには変わりない。無辜の被害者である佐藤が12位に終わっていることも含めて、詐欺に遭ったような心持ちにさせられるではないか。

ディクソンのレースの様相と結果を対照すると、しばしばこの種の困惑がつきまとう。そして単一のレースがそうだからなのか、その集積である選手権においても彼は戸惑いを引き連れて襲いかかってくる。5年ぶりに年間王者となった2013年のシリーズは春先の絶不調で完全に視野から外れていながら(それこそ日本は佐藤の初優勝に浮かれていた)、7月の3連勝で「気づけば」エリオ・カストロネベスを追い詰め、最終盤に逆転したのだった。2015年など、開幕戦からずっとファン=パブロ・モントーヤがリードしていて、ディクソンが上回った、より正確にいえば同点ながら優勝回数の差で凌いだのは唯一最終戦が終わったそのときだけだ。また昨年、敗れはしたものの、勝利数でも運動の印象でも中心にいたのはニューガーデンだったにもかかわらず、最終戦を迎えたときには涼しい顔で逆転可能なところに位置している。若かったころはともかく、少なくとも2010年代において、ディクソンは毎年のように選手権を上位で終えている一方で、途中経過に注目してみると完全な主役として振る舞っていた時期はほとんどない。われわれはいつも、ウィル・パワーだったり、カストロネベスだったり、パジェノーだったりの派手な振る舞いに視線を吸い寄せられてきた。あるいはグレアム・レイホールやセバスチャン・ブルデーの、一貫性には欠けるが瞬間的に溢れ出る輝きに魅了されもした。だがディクソンは数々のライバルを見つめようとする観客の視野の周縁を巡るばかりで、ともするとまさに周縁にある盲点へと消失してしまう。たしかに「気がつけば」は掛け値なしの賛辞にほかならないが、だとしてもそれをあえて言い募るのは、すなわち普段は「気づいていない」ということでもある。盲点で息を潜めつつ、気づかれないあいだに姿を現して果実だけを収穫する。彼の実体はつねに捉えきれず浮遊している。

そう、浮遊といえばいいのかもしれない。モータースポーツの物理的、機械的な運動の中に身を置きながら、ディクソンの振る舞いにはそうした形而下の制約から浮遊したようなメタな外部性を錯覚させられる瞬間がたしかにある。運転席から浮遊して自らの車の動きを俯瞰し、コースから浮遊して全部の車を俯瞰し、周回から浮遊してレースの流れを俯瞰し、そしてカレンダーから浮遊して選手権をも俯瞰する。二次元から一次元を、三次元から二次元を、四次元から三次元を捉えて世界すべてを把握している、そう感じさせる瞬間が存在するのである。仮に答えを求めるならば、この浮遊した外部こそが困惑の正体なのだろう。たとえばディクソンを担当するレースエンジニアのマイク・ハルは、勝負どころでインタビューを求められるとまるでドライバーと立場が入れ替わったように「彼はなにもかもお見通しだから、心配はいらないよ」と笑ったりする。あるいは2014年のミッドオハイオで、ピットから指示がなかったにもかかわらず最終スティントで自主的に燃費走行を敢行したところ、ゴールでぴたりと燃料がなくなって事なきを得たといった話もあった。こうした逸話の数々は、インディカーにはディクソンだけが知っている何かがある、と思わせるに十分だ。他の競技者はもちろん、レースに直面している観客も見ることができないものを、ディクソンだけが外からの視線で見ている。軽やかに浮遊する彼がすでに気づいているものに、地を這うわれわれは現実として広がったときはじめて気づく、だから「気がつけば」と人は言うのだ。それは彼が持つ認識をわれわれが遅れて認めたときかろうじて絞り出される、絶句に近い畏敬の言葉の切れ端にほかならない。

テキサスのレース中、はたしてGAORAの話し手が実際に「気がつけば」と言ったかどうか、記憶は定かでない。ただ直接の発言がなかったとしても、村田にせよ解説を務めた松浦孝亮にせよ、119周、つまり全体の半分近い周回をリードした圧倒的なその記録とは裏腹に、やはりディクソンの勝利を少しばかり意外な成り行きとして受け止めていただろうことは、放送中の雰囲気から窺えた。それは端的に、予選や決勝序盤の日暮れまでの時間帯をチーム・ペンスキーの3人が完全に制圧していたからである。全車共通のエアロキットはインディ500に続いてテキサスの高速オーバルレースでも乱気流を手懐けることができず、スタートから幾ばくもしないうちにほとんどの車が一列に繋がってパレードの様相を呈するようになっていた。追い抜きが困難な状況下で1位から3位をがっちり固めたペンスキー勢の立場に陰りが生じようなど、その時点で想像するのは難しかっただろう。松浦が今日はペンスキーの日だと半ば弛緩しながら呆れ笑いをしていたのも、なるほどまったく正当な見立てとしか思われなかったものだ。一方でディクソンはまだ6位から8位のあたりをうろうろしていただけの、要するに中団やや上位を賑やかすその他大勢の一人に過ぎなかった。にもかかわらず、いつのまにかすべてが裏返り、レースが半分を終えたときにはなぜかレースがディクソンのものになっている。順位だけでない、速さそのものが反転してペンスキーが失速し、「気づけば」この日はディクソンが勝つ以外の結末があるなどと考えもつかないほど後続を圧倒してしまうのだ。一体なにが起こったのか、173周目にフルコース・コーションが導入される直前に彼が2位を引き離した15秒はオーバルでは考えられないほどの大差だ。最後のリスタートからゴールまで、たった30周強のあいだに最大6.5秒の差も築いてみせた。はじまりのころ、その速さはどこにもなかったというのに。

もちろん物理的な側面に立ち返れば解はあって、ディクソンとチームはそれを導いたのだと纏めることはたぶんできる。タイヤの性能低下に限界を感じて周囲よりも多くピットストップを行わなくてはならなかったポールシッターのニューガーデンや、最終的には2位だったものの日没後に速さを失ったパジェノーを見れば、変化する気象条件への鷹揚さとタイヤへの入力の違いが結果に現れたとは言えるのだろう。だがそうした必然的に求められる形而下の正解と、われわれのディクソンに対する理解はまた別に存在するものだ。130周目にはじめて先頭に立った彼は、そこからチェッカー・フラッグの振られる248周目まですべての周回でその座を譲らなかった。レースのほぼ中間地点を挟んで0周のラップリードと全周回のリードというあまりに極端な豹変を突きつけられれば、どうしても当惑が先に立つ。レース後半を完全に掌握し、2位以下を大きく引き離して優勝したのだから、普通なら素直に最速の主役としての印象を記憶に残せばいいはずなのに、短くはない119周のあいだでさえずっと不可思議な気持ちに囚われて逃れられなくなってしまう。それこそいつも戦略的な解説を鋭く的中させる松浦が、ディクソンの勝利が疑いなくなったレース後半に「ペンスキーの日だと思ったのに」と口にするほどに。

119周にわたる長いラップリードは、われわれがスコット・ディクソンの認識に追いつくために与えてもらった時間なのだろう。本人だけはきっと、こうなることをわかっていた。彼がすでに気づいているものにわれわれはまだ気づいておらず、だからいつも彼自身の存在感にも気づけない。123周目、ディクソンは周囲に比べて少しばかり早いタイミングでこの日2度目のピットストップを行うと、スティント後半のグリップ低下にライバルたちが苦しむのを尻目に新品タイヤでペースを上げ、128周目には自己ベストタイムを記録した。そうして至ったのが130周目である。鮮やかに美しいアンダーカットはなされてはじめてアンダーカットとわかる。全員が予定どおりのピット作業を終えて状況が整理されたとき、「気がつけば」ディクソンは、4秒もの差をつけて先頭を走っているのだった。

DXC TECHNOLOGY 600 2018.6.9 Texas Motor Speedway

      Grid Laps LL
1 スコット・ディクソン チップ・ガナッシ・レーシング 7 248 119
2 シモン・パジェノー チーム・ペンスキー 2 248 26
3 アレキサンダー・ロッシ アンドレッティ・オートスポート 8 248 7
4 ジェームズ・ヒンチクリフ シュミット・ピーターソン・モータースポーツ 15 248 0
5 ライアン・ハンター=レイ アンドレッティ・オートスポート 10 248 0
6 グレアム・レイホール レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング 20 248 5
9 エド・ジョーンズ チップ・ガナッシ・レーシング 13 248 1
13 ジョセフ・ニューガーデン チーム・ペンスキー 1 244 59
19 ロバート・ウィッケンズ シュミット・ピーターソン・モータースポーツ 4 171 31
LL:ラップリード

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