【2011.4.17】
インディカー・シリーズ第3戦 ロングビーチGP
66周目にペースカーが退いてグリーンフラッグが振られたとき、マイク・コンウェイのことを気にしていたのは彼自身と、レースストラテジストくらいのものだっただろう。1度目の給油ミスで大きく順位を落とし、最終盤のリスタートでは11位を走るにとどまっていた彼が優勝を狙うには、コースは少しばかり渋滞していた。レース後のインタビューで神妙な面持ちながら喜びを抑えきれずにいたオーナーのマイケル・アンドレッティにしたところで、どうやってライアン・ハンター=レイを勝たせるかしか考えていなかったにちがいない。レーシングチームなんて大概そんなものだ。
妙なことは起こるものである。リスタート時の隊列を2列にするようレギュレーションが変わり、フルコースコーション明け直後の事故は増えた。1列スタートよりもスタート直後の密度は圧倒的に高くなり、ラテンの血が騒ぐのか今季すでにリスタートでやりたい放題に暴れまわっているエリオ・カストロネベスが、このときも無謀なタイミングでターン1のインサイドに突っこんであろうことかチームメイトのウィル・パワーを撃墜すると、煽りを受けたオリオール・セルビアの進路がなくなり、スコット・ディクソンも事故の脇をすり抜ける際に右フロントタイヤを引っ掛けられてサスペンションを壊した。予選でクラッシュして下位スタートに甘んじながら10位にまでポジションを上げていた佐藤琢磨がこの4台を尻目に6位に浮上するが、すぐさまグレアム・レイホールがその左リアに追突し、タイヤをカットされてスピン、レイホールもフロントウイングにダメージを負った。都合6台が消えてふたたび黄色の旗がコースのそこかしこで振られるようになったころには、コンウェイはなぜか、ということもないが3位を走っていた。
70周目のグリーン・フラッグで今度はハンター=レイがスローダウンし、コンウェイはほとんどなにもしないまま2番手になってしまった。フレッシュのレッドタイヤ、燃料もフルリッチで使える彼は速く、あっという間にライアン・ブリスコーを交わして、チェッカー・フラッグではもう6秒以上のリードを築いていた。GP2ウィナーに名を連ねながらもF1には届かなかった27歳のイギリス人が、アメリカの地で初めて表彰台の真ん中に立ったわけである。
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クラッシュはレースの華、醍醐味だ、という言及はときおり見かけないこともないが、わたしはそれを見るたびに穏やかならぬ心境になる。4輪モータースポーツの最高峰をF1に置けば、たしかに幸運なことにアイルトン・セナ以来17年ドライバーの死亡事故は起きていない。この間F1の安全性が飛躍的に高まったのは事実だが、その努力を認めつつも同時にただの幸運に過ぎなかったということは、2000年のモンツァと2001年のアルバートパークでクラッシュによりちぎれ飛んだタイヤの直撃を受けてマーシャルが死亡する事故があったことを考えればすぐにわかることだ。F1は安全かもしれないが、しかしだれもが言うほど安全なわけでもない。平均時速がF1とは比べものにならない(そして残念なことに、一部のドライバーのレベルもF1とは比べものにならない)インディカーにはもっと危険が潜む。1999年に高校生だったわたしはフォンタナでグレッグ・ムーアというカナダの若い才能が失われたことに悲嘆した。CARTでだれより好きなドライバーだったのだ。ポール・ダナがマイマミで亡くなったのも、まだせいぜい5年前の話である。
一昨年はF2で走行中に転がってきたタイヤがコクピットを直撃するという不運によりヘンリー・サーティースが死亡した。直後にF1でフェリペ・マッサのヘルメットに150g程度の部品が当たって、しかしそれだけで彼は気を失ってフェラーリF60がなんのコントロールもないままタイヤバリアまで直進していった。両者の事故に大きな差があるわけではない。「いまこれを書いている最中にも世界のどこかのサーキットで」という常套句めいた言明はさすがに大袈裟が過ぎるだろうが、死も、紙一重の生還もいまだ往々にして起こる。
2010年5月30日、インディ500のラストラップでクラッシュしたマイク・コンウェイは重傷を負った。燃料節約戦略に賭けたライアン・ハンター=レイが健闘むなしくガス欠となってスローダウンしたところにコンウェイが追いつき、オープンホイールでもっとも危険な前後関係でのタイヤ干渉が起こって、ドレイヤー&レインボールドの青いマシンは巻きあげられ宙を舞った。クルビット機動のように背面回転したマシンは緩衝壁を飛び越えて観客席目前のフェンスに激突し、コクピットブロック以外はすべて吹き飛んで路面へと落ちた。200mphというレベルの速度帯でのクラッシュである。一目危険な事故なのは明らかだった。
2003年だったかのテキサスで起きたトーマス・シェクターとケニー・ブラックのクラッシュや、2007年F1カナダGPでのロバート・クビサの事故が最悪の事態にならなかったように、コンウェイもすぐにばらばらになったマシンから救出され、生命の無事は確認された。だが左足の骨折と胸部圧迫骨折を負った彼がその年のトラックに戻ってくることはなかった。まだインディ2年目の、トップ10に顔を出すか出さないかといった程度のドライバーが陥るには十分な苦境だ。毎レース欠かさずテレビで観戦してもてぎにもいそいそと足を運ぶ、日本人としてはそこそこインディカー・シリーズが好きな部類に入ると思われるわたしにしても、事故の衝撃はダリオ・フランキッティとウィル・パワーのチャンピオン争いが白熱する夏以降にはすっかり薄れていた。少しずつ才能を発揮しているように見えてはいたが、それでも今年のクビサのように「いなくて寂しい」と思えてしまうほど、コンウェイに存在感があるわけではなかったのだ。少なくとも海の向こうの同盟国で明け方スナック菓子と甘いコーヒーを口にしながら怠惰にレースを観ているだけの人間にとっては、それっきり姿を見なくなっても不思議ではなかった。アンドレッティ・オートスポーツと今季の契約を結んだというニュースを目にしたときには、少し意外に思ったものだ。マイケル・アンドレッティが才能を認めたのか、それともいかにもこの競技にありがちな疑い方をするならトニー・カナーンがスポンサーの縮小によってチームを去らざるをえなくなった後のいい財布なのだろうか、という具合に。
そういう品のないものの見方はやめておこう、前者が正しかったということだ。初戦、2戦目と速さが結果につながらず、ロングビーチでもピットワークの問題で下位に落ちた。レースではときに引き受けなければならない不運であり、リスタートのあとをうまく立ちまわって9位くらいでフィニッシュすればじゅうぶん褒められる日だったはずだ。なのに、妙なことは起こるものである。わずか5周のあいだに7人のドライバーが道を開けて、なぜかコンウェイは圧勝してしまった。いくらインディカーがアクシデントとそれに伴うフルコースコーションが多いレースと言ってもちょっとありえないくらいの勝ち方であるが、しかしどうにも愉快でしかたない。モータースポーツには悲しい事故もある。1人の力のないファンでさえ、それに向き合わなければならないことがある。それでも、そこにかかわるすべての人々の不断の努力によって華やかな地上最速のショーは回っていくものだ。危険がそばにあるとわかっているから、モータースポーツは安全のための方策をひとつひとつ積み上げてきたし、これからも積み上げていく。コンウェイは200mphのエアボーンから生還し、休養は必要だったもののおなじマシンのコクピットにちゃんと戻ってきて、だれよりも速く167マイルを走りきった。彼は少しだけ、安全性を高めてきたモータースポーツの歴史に救われたのだ。コンウェイがフィニッシュラインを越えたとき、GAORAで実況を担当していた村田晴郎氏はまずなにより「おめでとう!」と寿いだ。あまりないことだが、きっとだれもがそう思うレースだった。あらためてマイク・コンウェイの最初の勝利に乾杯しよう。そして、彼を勝利の場へと戻してくれたモータースポーツを祝福しよう。