スコット・ディクソンは自らの静謐さを選手権に押し拡げた

Scott Dixon hoists the Astor Cup on stage after winning the 2018 Verizon IndyCar Series championship at Sonoma Raceway -- Photo by: Joe Skibinski

Photo by: Joe Skibinski

【2018.9.16】
インディカー・シリーズ第17戦(最終戦) グランプリ・オブ・ソノマ

終わってみると、ずいぶんと穏やかに過ぎた半年間だったと思えてくる。選手権の逆転に希望を託してソノマに臨んだアレキサンダー・ロッシの冒険が1周目のターン1でほぼ終わり、シーズンを総括する試みが宙に浮かんで捉えられないまま最終戦の数十周が過ぎていったからでもあるだろう。ロッシが迂闊としか見えない加速であろうことか実質的なチームメイトのマルコ・アンドレッティに追突し、フロントウイングの破損とパンクに見舞われた瞬間に、ソノマ・レースウェイを覆っていた緊張感の大半が解けて霧散していった、事実上2人に絞られていたチャンピオン争いの行方は、最初のグリーン・フラッグが振られてものの数秒のうちに決定づけられてしまったのだ。以降チェッカー・フラッグにいたるまでの2時間足らずのあいだは、初夏のころからずっと選手権の首位を保っていたスコット・ディクソンが丁寧にこの年を閉じるのを見守るための日になりそうだった。

もちろん「アイスマン」とあだ名されるほどいつも平静を保ち、冷たい氷の上に数々の名誉を積み上げてきた偉大なレーシングドライバーが、まさに平静であることを第一に求められる事態に置かれて失敗するはずがなかった。ディクソンは己の為すべきすべてをわきまえて、スタート順位である2番手にとどまり続ける、危険を招き寄せる動きはいっさい冒さず、緊張度の高い場面にはけっして近づかず、たとえ周回遅れの相手だろうと、そこで順位が争われているなら無用につついたりはしない、安全へと振ったレースに徹するのだ。昨季のジョセフ・ニューガーデンはおなじ状況でチームメイトに戦いを仕掛ける余剰に身を投じてレースと選手権に彩りとなる興奮を与えたが、ディクソンは安全の枠組みから一歩もはみでることなく、淡々と周回を重ねていくのみだった。それは単体で見れば退屈な展開だったかもしれないが、担い手がディクソンなのだと考えれば、これほど得心のゆく結果もなかっただろう。85周のレースを勝ったライアン・ハンター=レイのラップリードは80周を数えたのだから、勝者はなるほど図抜けていた。しかしディクソンがその劣勢に対して必要以上の攻撃をなにひとつ試みようとしなかったのもまたたしかだったと思える。給油が可能なタイミングでむやみに引っ張ることなくすぐさまピットへ戻り、レースを乱すフルコース・コーションに巻き込まれる危険を遠ざけたのは、周囲を相手にする以上に、悪戯な運命に対して付け入る隙を与えまいとする徹底的な態度に他ならなかった。もっとも象徴的だったのは、59周目にロッシがずいぶんと早く最後のピットストップを行った(つまり相手が走っている間にコーションが発令される奇跡を願った)のを見るやいなや次の周には自分もそれに倣って波瀾の芽をすぐさま摘んだ場面で、代償としてハンター=レイを追いかける手立ては完全に失われたわけだったが、それはもうディクソンにとってどうでもよいことだったのだ。結果的にディクソンはソノマで1周たりとも先頭を走っていない一方で、78周にわたって2位を譲らず保持し続けた。安全を徹底し、勝機のすべてを手放しながら、しかし守りに入って身動きが取れなくなるのではなく、押さえるべき点を決して外さない。目的に対する手段の正確さにこそ、ディクソンの凄みが現れる、それがもっとも強く見えたのが、こうして優位を持って臨む最終戦という舞台だったのだろう。

いや、最終戦のこのレースだけでなく、2018年のインディカー・シリーズの大半がきっとそうだった。振り返ってみると、ディクソンは一見して情熱とは無縁に、気づけば――この形容が彼に対する最上の敬意を意味していることは以前書いたとおりだ――選手権のなりゆきを支配し、固定していたのだった。あらゆるライバルはディクソンの氷の中に閉じ込められて身動きが取れなくなり、しかしディクソン自身はその氷の硬さや冷たさに囚われることなくレースに必要な熱量を保ち続けていたかのようだ。彼が選手権をリードして何戦かしたころには、もう逆転の結末など迎えられないだろうと思えてならなくなった、ディクソンが彼らしい正しさをもって、ひとつひとつ扉を閉めていってしまう先々がたやすく想像できたのだから。事実、そうなったわけだ。シーズン中、どの時点をとっても数字上はロッシ以下数人のドライバーに逆転の可能性が残っていたのに、それらはことごとく文字どおりの机上の計算にすぎず、すべての状況はディクソンの下にあって完璧に掌握されていたのだろう。少なくとも傍目にはそう見えてならない。アイスマンが本当に追い詰められたときなどあっただろうか? 終盤にロッシが2連勝して追い上げてこようとも、ポートランドで多重事故に巻き込まれながらかろうじてリタイアを回避できたのが綱渡りの幸運だったとしても、当人は相応に感情が動いたかもしれないが、結局のところ大河の流れが局所的に乱れる場合もあるといった程度のことで、総体としては穏やかな水面のまま下流へと進んでいくのに変わりはなかった。過剰も過少もほとんどなく、神色自若に流れている、それはいかにもわれわれの知るディクソンのありようで、だから彼が長らく支配した選手権もまた、揺らぐことなく悠然と過ぎていったのだった。

ある日思いついて、インディカー・シリーズについて書けるだけのことを書いてみようと決めてから、6シーズンが過ぎようとしている(当初は1年だけのつもりでいたのに、生来の優柔不断さからやめることをやめられないでいるうちにずいぶん時間が経ってしまった)。この間に書き記してきた約100レースの様態はさまざまで、共通点を見出すことなどできそうにないが、それでもあえて捻り出してみるなら、選手権のリーダー、それも最終的な勝者ではなく中途のポイントリーダーの振る舞いこそが選手権のありかたを規定するのだ、とは思う。書き始めたのが2013年だったからなおさらそう思うのかもしれない。あの年6月のころ、チーム・ペンスキーのエリオ・カストロネベスは選手権を大きくリードしてはじめてのシリーズ・チャンピオンを視野に入れたのだったが、その座に対する熱望が過ぎたのか地位を失うまいと保守的になりすぎてしまい(それは後に本人自身が述懐してたことでもある)、妥協のレースを繰り返して点差を少しずつ食いつぶしていった結果、最後にはその報いを受ける形でディクソンに屈した。2015年、おなじくペンスキーのファン=パブロ・モントーヤも同様に、開幕戦から一貫して首位を譲らず、インディアナポリス500マイルに勝利してその座を盤石にしたかと思えたのに、シーズン中盤以降はほとんどのレースから消えてしまい、最終戦でやはりディクソンの大逆転を許したのだった。モントーヤは当時、ディクソンが良かったのは最後だけで、自分はポイントシステムの被害者になったと嘯いたものだったが、そこに至るまでの過程を見れば、その敗北はごくごく自然ななりゆきだった。それほど夏から秋にかけてのモントーヤの走りにはおよそ地位にふさわしい威儀がなかったのだ。2人に共通していたのは明らかに地位の喪失に対する怯えだった、観客からすれば、いま現在のリードさえ保っているのならそれでよいといわんばかりの彼らの認識は、首が絞まりつつあることに気づくのを遅れさせているようにしか見えず、事実決定的な場面で罰を与えられるような形で大切にしていたはずの地位を失ったのだった。カストロネベスは最終戦からひとつ前のヒューストンでトラブルによって陥落し、フォンタナでは追突でフロントウイングを傷めて終戦を迎えた。あるいはモントーヤはそれこそソノマでチームメイトだったウィル・パワーの動きに惑わされてコースアウトしたことで大劣勢に陥ったのである。もちろん、どちらも問題の瞬間だけ切り取れば不運ではあったが、その程度の危機によって逆転を喫するような状況になるまでの経緯には、まちがいなく彼ら自身による滑稽な妥協があった。モントーヤなどポイントは同点ながら優勝回数の差で敗れたのであり、つまり緩慢と首位をゆくあいだにあと1点でも取れば勝利できていた、それは追うしかなかった立場のディクソンにはない余裕で、モントーヤだけが持っていた特権だったのに、そうしようとせずに怠惰に首位を貪り続けたことが暗転に結びついたのである。選手権に拘泥し、眼前のレースを軽んじていたのが当時のカストロネベスでありモントーヤだった、彼らはポイントリーダーとして選手権の中心にいながら、つねにレースのありかたを損ねていた。そんな偽りとさえいえるリーダーを追い落とすこと。2013年や2015年のインディカーは、そんな形で機能したのだった。

その頽廃を打ち払った2016年のシモン・パジェノーの翌年のニューガーデン(彼らもまた、請われて移籍してきたペンスキーのドライバーだった)は、だからこそ新しいチャンピオンに相応しいドライバーとして迎えられただろう。彼らもカストロネベスやモントーヤ同様にシーズンの大部分をリーダーとして過ごしていたが、その態度はつねに勇壮にして緩むことがなかった。パジェノーのアラバマやミッドオハイオ、ニューガーデンのゲートウェイやソノマは失う立場のある者が地位を擲ってでも「いまここにあるレース」をただ勝とうとする原初的な欲求が昇華した戦いとして記憶される。彼らは明らかに強い意志をもって危険な運動に身を投じ、破綻の淵へと近づきながら、優れた技術と精神力によって生き残ることで自らに価値を加えた。彼ら新時代のチャンピオンと選手権2位の点差はけっして大きなものではなく、もしどこかで妥協を選んでいたら、計算上は最終的な勝者が変わっていた可能性が十分にあった。だが彼らの情熱は妥協を許さず、ただひとつのコーナーに、ひとつのバトルに全霊を傾けているようだった。危険な道の先にこそ栄誉があることをおそらく本能的に理解していたからこそ、シリーズは最高の結果をもって彼らを迎え入れた。それがカストロネベスやモントーヤとの大きな違いだった。

翻って、ディクソンの場合はどうだったのだろう。これは観客たるわたしの怠慢であることを否定しないが、第9戦のテキサスで優勝してから一度もその座を明け渡すことのないままチャンピオンに至ったというのに、シーズン中、彼がポイントリーダーであるという事実にずっとなじまないままでいた。誤解を恐れずに言えば、すべてのレースが終わったいまでさえ、スコット・ディクソンが2018年のチャンピオンに輝いたという現実の結果をなかば疑わしく思いさえする。それはたとえばロッシに良くも悪くも目立つレースが多く、いかにも2018年の主役として振る舞っているような印象を与え続けていたせいかもしれない。なにかあればすぐに視線をニューガーデンへと向けたがるわたしの悪癖も加担しているだろう。だがそれ以上に、原因はディクソン自身にあるのではないか、彼がどのレースにあっても「スコット・ディクソン」そのもので、どのようにも変化しなかったことが、視線を曇らせたように思えてならないのだ。カストロネベスやモントーヤは地位の喪失に怯えて怠惰に変容し、またあるいはパジェノーやニューガーデンが地位を求めて赫然と豹変した。彼らのありようは選手権全体を巻き込んでその結末に直結したし、過去5年にわたってインディカーはそうやって決着するはずのものだった。だがディクソンはいつ見てもまるっきりわれわれの知っているディクソンのまま、時に速く、時に強く、それなりに人間らしい失敗も犯すときがあり、そしてやっぱり「気がつけば」勝利を上げ、また表彰台に登っていた。その居住まいはあまりに自然で日常的で、とてもチャンピオンという特別な場所を見据えているように見えなかった。だからいざ結果がそうなってみると、頭では状況を理解していても、心情として唐突感を抱かずにはいられなかったのである。

ディクソンは静かに2018年を戦っていたのだった、その静けさは、地位を失う怯えのために守勢に回ったからではなく、ただ単純に、スコット・ディクソンというドライバーがいつだって凪いだ強さを湛えている、その事実を語っているにすぎないのだろう。2010年代だけを数えると彼が選手権を制するのは3度目になるが、ずば抜けた実績とは裏腹に、今季のように長い期間ポイントリーダーの座を占めた年はその実ない。2013年と2015年は先述したとおり最後に逆転を果たしたもので、その他のシーズンもいつもだれかを追いかけ、結果的に及ばなかった年ばかりだ。そこに勝手な姿を想像するなら、ディクソンはこの10年近くにわたって、状況や場面にかかわらず最善を尽くし、その最善がもたらす結果を、それがどんなものであろうと粛々と受け止め続けていたのではないかと思えてならない。怯えすぎて身を竦めることも、昂ぶりのあまりに暴発することもなく、いつだってただ自分のすべてを、まったく過不足なく、コクピットに、サーキットに捧げながらレースと向き合っているのだと。その彼らしい本質が今年、ディクソンの一貫した支配によってようやく隠されることなく表層へと現れたのだとすれば、やはりリーダーの振る舞いによって選手権は規定されると言うべきなのだろう。一見すると山場のなかったように思える2018年のインディカー・シリーズは、だれもが最強と認めるスコット・ディクソンというレーシングドライバーの、揺るぎない精神をそのまま表していた。われわれがソノマのチェッカーに至るまでに見ていたのはきっと、アイスマンのアイスマンたるすべてだったのである。

GRAND PRIX OF SONOMA
2018.9.16 Sonoma Raceway

    Grid Laps LL
1 ライアン・ハンター=レイ アンドレッティ・オートスポート 1 85 80
2 スコット・ディクソン チップ・ガナッシ・レーシング 2 85 0
3 ウィル・パワー チーム・ペンスキー 7 85 4
4 シモン・パジェノー チーム・ペンスキー 8 85 0
5 マルコ・アンドレッティ アンドレッティ・ハータ・オートスポート
・ウィズ・カーブ・アガジェニアン
4 85 0
           
8 ジョセフ・ニューガーデン チーム・ペンスキー 3 85 1
LL:ラップリード

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