リナス・ヴィーケイはインディカー・シリーズに義務を負わせた

【2021.5.15】
インディカー・シリーズ第5戦 GMR GP

(インディアナポリス・モーター・スピードウェイ・ロードコース)

書くべきドライバーのリストとでもいうようなものを、心の内に備えてある。厳密に順位づけして並べているわけではなく漠然とした印象程度のものだが、レースや選手権の結果とはまた別に、たった一度だけ目を瞠る運動を表現したり、きらめく速さを発揮しながら武運つたなく敗れてしまったり、たとえその瞬間には儚く消えたとしても、いつか言葉を費やさねばならぬのだろうと確信される才能の一片を見つけたとき――あるいは見つけたと思い込んだとき、そのリストに名前を載せる。どういう形で記事にするかは決めない。しばらく温めておいて、いざ大きな結果を得たときに書くこともあれば、敗北に感ずるものを得て一気呵成に書いてしまうこともある。数年前なら、リストの筆頭に上がるのはシモン・パジェノーであり、ジョセフ・ニューガーデンであった。彼らの運動は次代の主役が誰であるかを明らかに物語っており(後出しの理屈でないことは、当時の記事を参照すればわかるだろう)、事実、後にインディカー・シリーズの年間王者へと上り詰めるに至った。あるいは去年であればアレックス・パロウで、スペイン人でありながらインディカー参戦を熱望して日本から米国に渡った複雑な経歴を持つ彼は、デビューから3レース目ですでに書かなければいられないドライバーの一人となったし、実際にわずか1年でチップ・ガナッシ・レーシングへ移籍を果たして今年の開幕戦で初優勝を遂げた。もちろんコルトン・ハータもそうだ(もっとも彼の場合は、才能が現れる前にあっさり優勝し、後になって本当の速さを見せるようになったから順序が逆ではある)。いまならたとえばF1からやって来たばかりのロマン・グロージャンだったりするだろうか。インディカー参戦からたった3度目の予選を走ったこのGMR GPでポールシッターとなったのだから、魅力は十分だ。あるいは、予選でいつも上位に顔を出し、レース序盤に目立つ場所を走っていながら、自らのミスやチームの不手際が多いせいでいまだ3位表彰台1回にとどまるジャック・ハーヴィーも、書かれるときを待っているかもしれない。今回のレースでも、3番手スタートからグロージャンのドラフティングを利用し、ターン1へのブレーキングでニューガーデンを抜き去ってみせた。

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Ambitious “Car” Magic

【2021.5.1-2】
インディカー・シリーズ第3戦 ジェネシス300(レース1)

インディカー・シリーズ第4戦 XPEL375(レース2)
(テキサス・モーター・スピードウェイ)

目の前の手品師がテーブルに敷いたベロア生地の敷布の上に箱から出したばかりの52枚のトランプを鮮やかな手つきで均等に広げ、上品ながら余裕綽々といった風情の笑みを浮かべ、どうぞ、お好きなカードを1枚選んでくださいと言うのだった。あなたはわずか逡巡したのち、何を選んでも大差ないだろうと考えて、規則正しく表向きに並んだカードの列から、ほとんど無作為に、真ん中少し右に位置するスペードの3に指を置いた。手品師は頷いて51枚を左手に束ね、選ばれたカードだけをテーブルに残す。スペードの3です、まちがいないですね? あなたが頷きを返すと、手品師は、たしかにあなたが選んだものだとわかるようになにか書いてもらいましょうか、と懐から文房具店でよく見かけるサインペンを取り出す。手渡された黒いペンをつい疑り深く検めてみたりもするがどうやらただの市販品で、キャップを外して余白に名前を書き入れることにする。あなたのお名前ですか? いやまあ適当な人名です。短いやり取りののち、手品師はまた首を縦に振ってスペードの3をあなたや周りで見守る観客に向け、穏やかな笑みを崩さずに、どなたかの名前が入った世界で唯一のカードがここにありますと告げ、デックの中央あたりに差し込んでぴたりと揃えた。52枚の束の一辺をぱらぱらと軽く弾き、手品師は言う。さて、あなたが選んだカードは非常に「アンビシャス」ですから、わたしが合図を出せば他のカードを押しのけて自分で上にのぼってきます。このとおり。指が打ち鳴らされる音が響き、次に一番上のカードが表に返される――スペードの3、サイン。

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ポールシッターが、ようやく正しいレースをした日

【2021.4.25】
インディカー・シリーズ第2戦

ファイアストンGPオブ・セント・ピーターズバーグ
(セント・ピーターズバーグ市街地コース)

たとえば、日本のF1中継で解説者を務める川井一仁が好んで口にするような言い方で、こんな「データ」を提示してみるのはどうだろう――過去10年、セント・ピーターズバーグでは予選1位のドライバーがただの一度も優勝できていないんです、最後のポール・トゥ・ウィンは2010年まで遡らなければなりません。“川井ちゃん”なら直後に自分自身で「まあただのデータですけど」ととぼけてみせる(数学的素養の高い彼のことだから、条件の違う10回程度のサンプルから得られた結果に統計的意味がないことなどわかっているのだ。ただそれでも言わずにいられないのがきっとデータ魔の面目躍如なのだろう)様子が目に浮かぶところだが、ともかくそんなふうに過去の傾向を聞かされると、飛行場の滑走路と公道を組み合わせたセント・ピーターズバーグ市街地コースには、逃げ切りを失敗させる素人にわからない深遠な要因が潜んでいると思えてはこないか。

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魔法使いのいないアラバマと、その物理的な帰結について

【2021.4.18】
インディカー・シリーズ第1戦

ホンダ・インディGPオブ・アラバマ
(バーバー・モータースポーツ・パーク)

よく知られているとおり、アラバマはジョセフ・ニューガーデンが、不運にも届いていなかった優勝にはじめて辿り着いたレースである。2015年だからもう6年前の出来事で、じゅうぶんに昔と言えるほどの時間が経ってしまったのに、当時のアラバマは忘却の彼方に置かれるのを拒み、いまだ印象深い光を放って脳裏に浮かび上がってくる。といってもそれは、その後のニューガーデンが積み重ねた偉大な事績を参照するから、つまりやがて2度のインディカー・シリーズ・チャンピオンを獲得する稀代の名ドライバーが初優勝を記録した重要な記念碑的レースだからではない。もちろんニューガーデンについて語ろうとするなら、「2015年のアラバマで初優勝を上げ」といった来歴はかならず挿し込まれるはずだろう。しかしあのレースは過去を振り返るそうした記述によって固着されて記憶されるのではなく、いつまでも、いま、この瞬間の運動として蘇り情動を揺さぶってやまないのだ。レースに付随する物語ではなく、ただレースそのものが美しい価値を褪せずに保ち続ける場合がある。2000年F1ベルギーGPでミカ・ハッキネンがミハエル・シューマッハを捉えたレ・コームがいまだその一瞬においてのみ語られるように、2011年イギリスGPでコプスへ進入するフェルナンド・アロンソのフェラーリF150°イタリアが赤い糸を引いて見えたように、2016年スーパーフォーミュラ菅生でセーフティカーの罠に嵌まった関口雄飛がレース再開後に優勝を取り戻していく過程に息を凝らすしかなかったように、昨年のインディアナポリス500マイルで佐藤琢磨がスコット・ディクソンを抜き去ったホームストレートの光景が、チェッカー・フラッグよりもはるかに強く優勝を確信させたように。年月が過ぎてもなお目にした瞬間の感情まで喚起されるレースは、けっして多くはない。

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