不公平なほどの公平、あとの者は先になり、先の者はあとになる

【2017.7.16】
インディカー・シリーズ第12戦 インディ・トロント

 
 
天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くようなものである。
彼は労働者たちと、一日一デナリの約束をして、彼らをぶどう園に送った。
それから九時ごろに出て行って、他の人々が市場で何もせずに立っているのを見た。
そして、その人たちに言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当な賃銀を払うから』。
そこで、彼らは出かけて行った。主人はまた、十二時ごろと三時ごろとに出て行って、同じようにした。
五時ごろまた出て行くと、まだ立っている人々を見たので、彼らに言った、『なぜ、何もしないで、一日中ここに立っていたのか』。
彼らが『だれもわたしたちを雇ってくれませんから』と答えたので、その人々に言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい』。
さて、夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言った、『労働者たちを呼びなさい。そして最後にきた人々からはじめて順々に最初にきた人々にわたるように、賃銀を払ってやりなさい』。
そこで、五時ごろに雇われた人々がきて、それぞれ一デナリずつもらった。
ところが、最初の人々がきて、もっと多くもらえるだろうと思っていたのに、彼らも一デナリずつもらっただけであった。
もらったとき、家の主人にむかって不平をもらして
言った、『この最後の者たちは一時間しか働かなかったのに、あなたは一日じゅう、労苦と暑さを辛抱したわたしたちと同じ扱いをなさいました』。
そこで彼はそのひとりに答えて言った、『友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。
自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。
自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』。
このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」。(『マタイによる福音書』章20より)
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インディカーのために、われわれはチップ・ガナッシを軽蔑する必要がある

【2014.7.6】
インディカー・シリーズ第11戦 ポコノ・インディカー500
 
 
 500マイルの長い長いレースで、この日はじめてとなったフルコース・コーションが導入された161周目に、結果としてレースの最多ラップリーダーとなった、つまり多く最速であったターゲット・チップ・ガナッシのトニー・カナーンがピットへと向かった場面は、今シーズンに起きたインディカー・シリーズのどんな事件より不愉快を生じさせた瞬間として記憶されてもいいだろう。チームはそこでとりあえずカナーンのタイヤを新品に交換し給油を済ませると、さらにコーションが明ける直前の164周目にふたたび昨年のインディアナポリス500ウィナーを呼び戻し、わずかに減った燃料をもう一度注ぎ足してタンクの隙間を埋め、200周目まで走り切るように指示してコースへと送り出した。チェッカー・フラッグまでは36周を残している。トライオーバルと呼ばれる特徴的な三角形レイアウトをしたポコノ・レースウェイが、しかしどんな車にも32周のうちに燃料を使い切らせてしまうことは、レース4分の3が終わったこの時点で完全に証明されていたはずだった。チップ・ガナッシは、ゴールまでたった1スティントの間に通常の10%以上も燃料消費量を抑えて長い距離を走り切る賭けに打って出たのである。

 そこに無謀な、と修飾語をつけてもよい。実際オッズは9:2だった――つまりこの時点でリードラップに居残っていた11台のうち、カナーンとおなじ作戦を取ったのはわずかにジョゼフ・ニューガーデンだけだったのだ。最終的にチップ・ガナッシの勝負は失敗に塗れることになるが、結果論でなく当初から分の悪い賭けだったことはだれの目にも明らかだったわけである。もちろんストライク/サラ・フィッシャー・ハートマン・レーシングの選択に関してはわからなくもない。ニューガーデンはカナーンと違ってインディ500の優勝者ではなく、という以前にシリーズで一度も勝ったことのないまだ23歳のドライバーで、チームはお世辞にも強豪とはいえないし、なによりこの日も勝機を見出すことなどいっさいできないレースを戦っていた。もとよりリードラップの後方を走っていたのだから、失うものもない。彼らは自らの立ち位置を理解したうえで、ホンダエンジンが優位とされる(かどうかは正直怪しいところだが、そう信じられてはいるようである)燃費や、その後イエロー・フラッグが何度も振られる微かな可能性を頼んで少額のチップを積んだ。それは弱者が取れる数少ない、しかしゆえに尖った戦略として、むしろ賞賛さえされるべき決断といえよう。事実ニューガーデンはコーションでステイアウトした車が給油に向かった188周目から自らの燃料が尽きた194周目までをリードしたことでレースの行く末に波乱の疑念を抱かせるとともに、貴重な1ポイントをも上積みした。そのうえでウィル・パワーが(またしても)ドライブスルー・ペナルティを科された間隙などを突いて得た8位は、まちがいなく作戦が成功したことを証している。優勝とまではいかなくとも彼らにとって悪い賭けではなかったのだ。なすべきことを正しい瞬間になせばレースは報いてくれるとささやかな寓話にすることもできそうなくらい、彼らは能く戦った。

 だが8位を最高の果実としたニューガーデンとサラ・フィッシャーの作戦は、同時にそれがどこまでも弱者の戦略でしかなかったことを示してもいる。コーションが長引けば、再スタートの混乱でふたたび事故が起きてイエロー・フラッグになれば、周回遅れを利用して空気抵抗を減らし燃費を通常以上に向上させられれば。彼らが頼んだ展開は通常ではない事象をいくつも掛け算した結果の途方もなく低い確率でしか見つかりえなかったし、実際にそういう卑近な願いをあざ笑って、ごくごく普通の作戦をとったファン=パブロ・モントーヤが優勝したわけである。第9戦のカルロス・ウェルタスのように目をつぶりながら細いロープを落ちることなく渡り切ってしまうような偶然はめったにない。ニューガーデンは弱者の戦いをして、弱者らしく当たり前に敗れた。

 弱者がレースのほんのわずかな綻びにしがみついて優勝まで辿りつくには、あらゆる都合のいい仮定を砂上に積み重ねていかなければならない。ほとんどの場合、そんな幻想は強者が無造作にスロットルを開けるだけで霧散するし、また強者は自らの勝利のためにそうする権利が、あるいはモータースポーツという営みの強度を守るために、そうする義務がある(われわれはサイコロを振って出た目だけで決まる競走を見たいわけではない)。レースにおいて、弱者に地位に応じた戦いがあるように、強者にはふさわしいありかたが求められるものなのだ。カナーンへの、チップ・ガナッシへの不愉快とはそういう意味である。2014年は未勝利といっても昨季の、もっと言えばここ6年で5度の選手権を獲得したチームと、インディ500・シリーズチャンピオンの両方を経験しているドライバーのコンビが、多くのラップリードを築いていたにもかかわらず、なお強者としての振る舞いを捨てて矮小な賭けを指向した、それはレースに対する敬意を欠いた裏切りに他ならなかった。昨年このブログでたびたび使った言葉をふたたび持ちだしてもいい――チップ・ガナッシは頽廃的なレースに堕したのだと。

 中継の解説を担当した松浦孝亮の推測するところによれば、この日のチップ・ガナッシはライバルのチーム・ペンスキーに対し一貫してピット作業が遅く、最終スティントで先頭に立つことが困難と予想されたために、変則的な作戦を採用したのかもしれないということである。ターンの角度がきつくバンクも浅いポコノでは追い抜きがほぼ不可能で、実際レース中にもほとんど見られなかったから、ひとたび先行を許せば逆転の可能性にさほど希望を持てないことは明白だった。だからコース以外の場所でなんらかの工夫が必要とされたのだろうと、そういうわけだ。

 それを受けて実況の村田晴郎は、「勝つための作戦」だとカナーンの変則的なピットストップについて述べたのだが、その表現はおそらく半分正しく、しかし半分は間違っている。たしかにチップ・ガナッシは工夫を凝らし、足りない燃料をなんらかの偶然で埋めてペンスキーを出し抜く賭けに出た。それはたしかに勝利を願った作戦ではあろう。だが同時にそうすることで彼らは、強者としての振る舞いを、最大限の努力でピット作業を短縮し、最高の緊張とともにコース上のバトルを制して勝利しようとする意志を、自らのピットボックスに破り捨てもしたのだ。チップ・ガナッシは奇抜な作戦を選ぶことによって、直接の対決を避けてある意味では安直な勝利を求め、また負けたとき「賭けに失敗しただけだ」と自らを慰めるためのわかりやすい理由を手に入れたように見える。いやむしろ、彼らが選んだのは「勝つため」である以上に、敗因を隠蔽し、自分たちは最善の努力を払ったが報われなかったのだという偽装された満足感を得るための作戦ですらあったのではないか。

 ニューガーデンとサラ・フィッシャーの戦いから最善を尽くした麗しい物語を読み取れるとしても、まったくおなじ文章を紡ごうとしたカナーンとチップ・ガナッシに同種の意志を見てはならない。弱者が弱者としてレースに立ち向かうために狭い路地での戦いを求めるのと、強者がそこに逃げることはまったく違うのである。賭けの失敗を慰みにできる傷つかない走りを選び、自らにふさわしい戦いの場から姿を隠したチップ・ガナッシは、レースを形作る一員になる資格すら失った。結局、ポコノでカナーンが本当にペンスキーに勝てなかったのかどうかは永遠の謎となってしまったのだ。ライバルと、さらにはレースそのものと対峙することを忌避し、弱者の路地へと逃げこんだ彼らの振る舞いこそ、この好レースに投げかけられた唯一の失望に他ならなかった。

 チップ・ガナッシにいまだ優勝がなく、不調から抜けだせずにいることがしばしば話題になるが、ことここに至ってその理由は明らかになったというべきだろう。だれよりも強者であるべき彼らは、そう振る舞えるはずの場面ですら弱者であることを望んで自分自身をレースから放逐している(このチームがスコット・ディクソンのクラッシュ以外ほとんど目立つ場面がない、ということを連想してもよい)。そんなチームに幸運以外の勝利が訪れるはずもなく、そして弱者を勝たせるほどの幸運はそうそう転がり込んできたりしない、ただそれだけのことだ。しかしチップ・ガナッシは本来まぎれもなく強者であり、そしてまさにこのポコノがそうであったように、強者がレースを恐れる姿など観客にとっては不愉快でしかない。昨年はポイントリーダーの地位を守ろうとするエリオ・カストロネベスの恐れがシーズン中盤から後半を支配し、打ち破るには最終戦を待たなければならなかった。われわれがインディカーの強度を信じ、擁護しようと思うなら、ポコノのレース中盤を支配したことでいまだ強者としての可能性を残していることを示したチップ・ガナッシが、頽廃的な恐れを振り払う姿をこそ求めるべきである。それは車の性能やチーム力と違って、次のレースにでも改めることができる――昨季の最終戦が突如として豹変したようにだ。観客としてはその瞬間を待ちながら、せめてその臆病を冷笑し、軽蔑の眼差しを向けるくらいのことを、しておくべきにちがいない。

259周目のラップリード

2013インディカー・シリーズ第5戦:第97回インディアナポリス500マイル
2013年5月26日

 低い気温と高い湿度のために重たくなった空気を押しのけられるクルマは1台もなく、このレースを最後にパンサー・レーシングとの契約を打ち切られることになるJ.R.ヒルデブランドのクラッシュによって導入された最初のフルコース・コーションが明けると、マルコ・アンドレッティとトニー・カナーンがお互いにお互いのドラフティングを使って何度も先頭を譲り合う展開となる。それはオーバルコースのレースではしばしば見られる示し合わされたリードチェンジに過ぎなかったが、だとしてもインディアナポリス500マイルという伝統の舞台で演じられるにはずいぶん露骨で、ずいぶんと穏やかな茶番だった。向かい風で速度が伸びないターン1でリーダーがインサイドを明け渡すシーンが1回めの給油タイミングまで20周以上にわたって繰り返されるうちに、レースに対する集中力が緩んだのかもしれない。F1モナコGPからずっとテレビの前に座り続けていたわたしはふと一昨年のアイオワのことを思い出していた。セブン – イレブンという巨大なスポンサーを失ったカナーンがアンドレッティ・オートスポートからKVレーシングテクノロジーに、つまり現代のインディカー・シリーズにおいては勝ち目のないチームへと移り、対してあいかわらずAASのシートに座りつづけるマルコの才能がどうも最初に期待したほどではないかもしれない、ということが十分すぎるほど理解されてきていた2011年の夏に、2人は一度だけ優勝を争った。241周目にインサイドを狙ってきたカナーンのラインを強引に閉めてスロットルを緩めさせたマルコが5年ぶりにキャリア2勝目を挙げたあのアイオワの空もまた、夜の闇のために直接うかがい知ることはできなかったが、すぐにでも雨を降らせんばかりの雲に覆われていたはずである。レースが終わると、カナーンは少しばかり危険なブロックで勝利を持ち去っていったマルコに対して、今回は許すとばかりに笑顔で肩を叩いていた。

 当時のわたしには、たとえ当人同士がそう思っていなかったとしてもそれが物悲しい光景に見えたものだ。2人はマルコがインディカー・シリーズに登場した2006年、アンドレッティ・オートスポートがまだアンドレッティ・グリーン・レーシングだったころから5年間をともに過ごしている。その時代の彼らを比較するのはほとんど野暮というものだ。デビューイヤーのマルコはインディ500を100分の6秒差で逃し、ソノマで最年少優勝を遂げるなど鮮烈な印象を残したが、結局はたまに速いが荒っぽく勝てないドライバーにしかなれなかった。チームメイトがシリーズチャンピオンとなった昨季、1勝もできないままその60%のポイントも取れずにシリーズ12位に終わった結果は、彼の能力を端的に証明しているといってもいい。対するカナーンはマルコがもっとも輝いていた2006年を含めて、すべてのシーズンでマルコを上回るポイントを稼ぎ出した。自分がチームオーナーならどちらを選ぶか、悩むまでもないだろう。それでも2010年が終わって彼らが別の道を歩むことになったとき、チームを離れたのはカナーンのほうだった。

 もちろんAASにまつわるドライバーの動き自体は、さほど特別な話ではない。それまでもこの名門には何人ものドライバーが所属して、その多くが違うチームへと移っていった。たしかに当時カナーンが失ったスポンサーは大きかったから、しばしば運転に金の必要なモータースポーツの中にあってはしかたのない離脱だった。ただ同時に、そういう問題だけではないことも察せられたはずだ。2006年以降、AASには去らなかったドライバーが1人いる。そう、マルコ・アンドレッティだけは、出ていく同僚に別れを告げることしかしてこなかった。結局のところ、根本的で覆せない事実として、マルコは「アンドレッティ」――マリオの孫で、マイケルの息子――で、そのほかの全員と同様にカナーンもそうではなかったにすぎない。当然、カナーンとマルコが直接天秤の両皿に載せられたわけはないのだが、ただチームに変わる必要が生じたとき、それは「アンドレッティ以外のなにか」が変わるという意味だった。

 カナーンが移籍したとき、KVレーシングはすべての歴史を見渡しても3回の優勝しか見つけることができないチームで、その数はカナーン自身が挙げてきた勝利の5分の1でしかなかった。そこはいかにも、キャリアの晩年を迎えた往年の名ドライバーが自らの経験を捧げる最後の働き場だった。加入後の2年間、彼のキャリアに勝利が積み重ねられなかったのも自然な成り行きだ。惜しいシーンがなかったわけではない。去年のインディ500では終盤に7周ラップリーダーになったものの、祭典は彼の初優勝を拒むようにチップ・ガナッシを勝利へと誘った。2011年のアイオワでマルコにブロックされて勝利を逸したのは、2年間で2回あった2位のうちの1度の結末である。だがほとんどそれだけだ。インディアナポリスでマルコとカナーンが繰り返したリードチェンジにわたしの記憶が喚起されたのは、裏を返せばそれくらいしか優勝を争った思い出がないということでもある。

***

 オーバルコースの開催が全体の1/3を割り込んだ今季のインディカー・シリーズは、なにか別のカテゴリーを見ているように様相を違えたものになってしまった。チップ・ガナッシの不調は昨季を考えればけっして予想不能とはいえないレベルだったが、歩調を合わせるようにペンスキーまで噛み合わせるべき歯車を失い、あろうことか開幕から4つのロード/ストリートレースでウィル・パワーに勝利を与えそこねた。アンドレッティ・オートスポートの3勝もパフォーマンスの安定性を証明することにはならず、元F1ドライバーの日本人が勝利し、そのブロッキングと思われたラインコントロールが不問に付されたりもした。いやそもそも、「元F1ドライバーの日本人」がアメリカのカーナンバー14をつけていることからして、開幕前にはありえない話に思えた。

 そうしてみれば、荒天で延期さえ心配されたインディ500で、だれもラップダウンへと飲み込まれない30台のパレードラップが延々と重ねられた不思議も、実際はさほどおかしななことではなかったのかもしれない。おかしなことが繰り返されれば、それも日常になっていく。いまやKVレーシングを運転するトニー・カナーンのインディ500初優勝なんていう分の悪そうな勝負にも、賭け金を配分しなくてはならなくなった。これがすでに2013年のシーズンだということを忘れてはいけない。

 レースのあとで、カナーンはインタビューに対して「幸運だった」と答えることになる。197周目のリスタートと同時にライアン・ハンター=レイのドラフティングから抜けだしてターン1を制圧した直後、燃料戦略だけで上位に来ていたダリオ・フランキッティがアンダーステアからセイファー・ウォールに突き刺さって、レースの幕はイエロー・フラッグとともに降ろされた。それが、カナーンが初めてインディ500を制した瞬間だった。残り3周半がレーススピードで行われていたら、また序盤のような、しかしもっと苛烈なトップ争いに巻き込まれて、結末の予想などできそうもなかった。その意味で「幸運」は謙遜でもなんでもない、率直な心持ちだったにちがいない。しかしまた、その言及はかならずしも正確ではなかった。この日2番目に多い34周のラップリードを記録し、つねにトップ10圏内を走ってバトルを制し続けていたカナーンは、振り返ってみればまぎれもなく、だれよりも勝利に値するドライバーだった。彼は正しく走り、勇気とともにポジションを奪い取ることで勝者となった。どんな展開で得られた勝利だとしても、それは揺るぎない事実だったのである。

 ところで、命を賭けるでもなくテレビで観戦しているだけのわれわれには、97回目のインディ500にふたつの解釈を用意できるようだ。ひとつは、おかしなことばかり起こるイベントが続く中、トップチームを去ったトニー・カナーンの初めての優勝を拒まなかったインディ500が、68回ものリードチェンジを許したうえ、眠気を誘うパレードラップを続けて普段なら勝ち目のないドライバーにもチャンスを与え、最終的に22台をリードラップに居残らせるというまったくオーバルらしくない=インディ500にふさわしくないレースへと変貌してしまったと見ること。またあるいは、アメリカのレースの象徴であり、たとえば去年や3年前のフランキッティ、一昨年のダン・ウェルドン、’09年のエリオ・カストロネベスといった「アメリカのドライバー」ばかりを勝たせてきたインディ500が、勝者のリストに付け加えるべきドライバーとしてインディカー・シリーズを初期から彩ってきたカナーンをついに迎え入れたのだと受け止めること。

 わたしはレース中盤の退屈を忘れ、後者の喜びとともに2013年のインディ500を記憶しておくことにする。忍耐が報われた瞬間には、レースの展開や勝ち方などどうでもよくなるのだろう。ゴールを待たずに涙を流すのも無理はい。あまりに長く順番を待たされすぎた。トニー・カナーンはフルコース・コーションの中おもむろにインディ500のトップチェッカーを受け止める。それは彼にとって、実に通算259周目、13年かけてレースを1回走りきってなお1/4以上を余すほど積み重ねてようやくたどり着いた、真実のラップリードだったのだ。

マルコ・アンドレッティの空白

【2011.6.25】
インディカー・シリーズ第8戦:アイオワ・コーン250
 
 
 天気についてしか当時の記憶を引っ張り出してこられないというのは情けないことではあるが、その空の青さだけは妙に印象に残っている。あるレースについてふとした拍子に思い出すときしばしば空模様とセットになっているのはわたしの癖のようなもので、それは多分天の気まぐれがレースの、ひいてはドライバーの運命を決めてしまうからだったりするのだろう。モータースポーツファンはサッカーファンに比べて2時間のうちに空を気にする回数がちょっとばかり多いのだ。2006年に行われたソノマGP、インフィニオン・レースウェイはたしか快晴で、マルコ・アンドレッティの駆るアンドレッティ・グリーン・レーシング#26のマシンもそんな空に溶けこむように青かったはずだ。彼がインディカー史上最年少の優勝を遂げた夏の終わりである。

 米国においてアンドレッティの名前は特別だ。マルコの祖父マリオはF1とCARTのダブルチャンピオンで、父マイケルは中高生のころのわたしですら知るCARTの英雄だった。アンドレッティ一族とアンサー一族さえ押さえておけば、きっとあの国のオープンホイールレースの歴史について半分は語れてしまう。わたしはそこまでマニアにはなれないけれど、たとえば村田晴郎と小倉茂徳が対談すれば一晩くらいは軽くしゃべり続けてくれるだろう。インフィニオンで新たなヒーローとして迎えられたマルコは、アメリカのモータースポーツ界そのものが待ち望んだヒーローでもあった。所属は前年チャンピオンでマイケルがオーナーの名門AGR、ドライビングも父譲りで荒々しく速い。加えてデビュー直後のインディ500で溢れる才能の片鱗を見せつけ、しかしフィニッシュ直前でサム・ホーニッシュJr.に屈して涙を呑んだストーリー性までまとっている――可能性に貪欲になるのも無理はない。マルコが受けた初めてのトップチェッカーは、未来のチャンピオンが踏み出したはじめの一歩、ほんの序章だった。2006年8月27日のインフィニオンはマルコの快挙と同時に前途を祝福したはずだった。その後のインディカーが完全にチップ・ガナッシ・レーシングとペンスキー・レーシングの時代になり、マルコ自身にも長い空白が訪れるとは想像もできなかった。

 頼りになる兄貴分のトニー・カナーンがKVレーシング・テクノロジーに働き場を求め、気づけばチーム最古参のドライバーとなった2011年に至るまで、マルコのキャリアに勝利が積み上がることはなかった。5年のうちに何人かのドライバーを同僚として迎え、何人かは去っていった。その中には日本人もいた。マルコは彼らに決して引けを取らない速さを誇ったが、ダニカ・パトリックにしろ、カナーンにしろ、ライアン・ハンター=レイにしろ、勝つのはいつもマルコではないだれかだった。数少ない同僚の勝利は多少なりとも運に恵まれたものだったが、そのような僥倖がマルコに訪れることはほとんどなかったし、スピードだけで2強に太刀打ちすることは叶わなくなっていた。もちろんそれだけでなく、やはり彼自身にも問題はあった。チームメイトに比べてクラッシュがすこしばかり多かったのだ。時間ばかりが過ぎていって、そのぶんだけ彼を取り巻く環境もすこしずつ変わった。同僚が入れ替わり、キム・グリーンが去ってチームはアンドレッティ・オートスポートへと名前を変え、マルコのマシンも黒と赤を基調とするカラーリングになった。変わらないのは優勝回数の欄だけだ。口性ないブロガーが疑問を書きたてても不思議はなかっただろう。いったい彼の立場を守っているのは、才能なのか、それとも来歴なのか?

ナイトレースとして開催されたアイオワ・コーン・インディ250の185周目、日曜日のお昼前というモータースポーツを見るにはちょっとばかり似つかわしくない時間にテレビにかじりついていた日本人(わたしのことだ)が逃したチャンスの大きさに頭を抱えていたとき、予選17番手に過ぎなかったマルコ・アンドレッティのポジションは2位にまで上がっていたが、かといってそれをすぐさま5年ぶりの勝利のチャンスと捉えるのはやや楽観的に思えた。インディカーシリーズ史上初の日本人ポールシッターとなった佐藤琢磨がダリオ・フランキッティにリーダーを譲ったのは序盤も早々の7周目のことであり、それから百数十周にわたって、佐藤とカナーンがどれだけ追撃しようともチップ・ガナッシの牙城はまったく揺るがなかった。フランキッティのスピードはそれほど群を抜いていた。トラフィックをかいくぐってきたマルコの速さに目を瞠るものがあったのは認めても、集団争いとトップバトルでは求められる特性がまるで違うのがオーバルレースである。フレッシュエアーの争いでマルコがフランキッティを打ち負かすのは容易ではなかったはずだった。

 佐藤が軽率なスピンでレースを失ったことで出されたフルコース・コーションのタイミングで行われた給油作業で、アンドレッティ・オートスポートのクルーはいい働きを見せてマルコをラップリーダーとして送り出したものの、フランキッティの速さを見れば再びのリードチェンジは時間の問題に思えた。チェッカーフラッグまで無給油で走りきれる状況でリーダーにいるマルコが勝利する絵を想像できなかったのは、この5年間のせいかもしれない。終わってみれば先週のミルウォーキーのような結果になるだけだ、というわたしの正直な感想は、レース後に振り返ってもなお、それほど的外れとは思っていない。ただこのとき、背後からカナーンが迫ってきて一度フランキッティをパスし、三つ巴のバトルに様相が変わる。このほんのわずかな展開の綾が、結局マルコにとってこの日唯一の、とてもささやかな幸運となった。3台が入り乱れてもフランキッティは変わらず速く、走行ラインを自由自在に選んでスピードをアピールしていたが、211周目の最終ターン、一度だけ2台のタービュランスに嵌って強烈なアンダーステアに見舞われ、スロットルを閉じてしまう。瞬時に1秒以上を失ったフランキッティはスコット・ディクソンから標的にされ、トップバトルに絡む権利を手放した。

 夜の空模様を窺うことはとうていできなかったが、今にも雨が降りそうな湿度の高い気象状況で、180mphでコースを駆け抜けるマシンのリアウイングが雲を作り上げ、光の加減で白くなびくさまがよく見えた。5年前のインフィニオンが快晴によって思い出されるのだとしたら、2011年のアイオワは空の代わりに翼端で渦を巻くこの雲とともに記憶されたりもするのだろう。フランキッティを葬ったあとマルコはカナーンにいったんリーダーを譲り、インサイドを死守する昨季までのチームメイトに対し攻撃の機会を見いだせずにいたものの、ついに231周目、わずかに見せた隙に一瞬で飛びこんで5年の扉をこじ開けた。攻守は交代し、今度はマルコが攻め立てられる。チェッカーまで10周、カナーンのインサイドアタックに対してマルコはハイサイドから半ば強引に下りていった。それはすこしばかり危険を伴う動きで、両者のラインは一度交錯しかけたが、アンダーステアを出して飛びこみきれなかったカナーンは眼前をカットされてスロットルを大きく戻した。レースに勝つのは大変なことだけれど、勝つとなればこんなものだ。湿った重い空気の抵抗に負けてカナーンはスピードを失う。後れを取ったライバルを尻目に、赤と黒のアンドレッティ・オートスポートはサーキットを煌々と照らす照明のなかを優雅に加速していったのだった。