マルコ・アンドレッティの空白

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【2011.6.25】
インディカー・シリーズ第8戦:アイオワ・コーン250
 
 
 天気についてしか当時の記憶を引っ張り出してこられないというのは情けないことではあるが、その空の青さだけは妙に印象に残っている。あるレースについてふとした拍子に思い出すときしばしば空模様とセットになっているのはわたしの癖のようなもので、それは多分天の気まぐれがレースの、ひいてはドライバーの運命を決めてしまうからだったりするのだろう。モータースポーツファンはサッカーファンに比べて2時間のうちに空を気にする回数がちょっとばかり多いのだ。2006年に行われたソノマGP、インフィニオン・レースウェイはたしか快晴で、マルコ・アンドレッティの駆るアンドレッティ・グリーン・レーシング#26のマシンもそんな空に溶けこむように青かったはずだ。彼がインディカー史上最年少の優勝を遂げた夏の終わりである。

 米国においてアンドレッティの名前は特別だ。マルコの祖父マリオはF1とCARTのダブルチャンピオンで、父マイケルは中高生のころのわたしですら知るCARTの英雄だった。アンドレッティ一族とアンサー一族さえ押さえておけば、きっとあの国のオープンホイールレースの歴史について半分は語れてしまう。わたしはそこまでマニアにはなれないけれど、たとえば村田晴郎と小倉茂徳が対談すれば一晩くらいは軽くしゃべり続けてくれるだろう。インフィニオンで新たなヒーローとして迎えられたマルコは、アメリカのモータースポーツ界そのものが待ち望んだヒーローでもあった。所属は前年チャンピオンでマイケルがオーナーの名門AGR、ドライビングも父譲りで荒々しく速い。加えてデビュー直後のインディ500で溢れる才能の片鱗を見せつけ、しかしフィニッシュ直前でサム・ホーニッシュJr.に屈して涙を呑んだストーリー性までまとっている――可能性に貪欲になるのも無理はない。マルコが受けた初めてのトップチェッカーは、未来のチャンピオンが踏み出したはじめの一歩、ほんの序章だった。2006年8月27日のインフィニオンはマルコの快挙と同時に前途を祝福したはずだった。その後のインディカーが完全にチップ・ガナッシ・レーシングとペンスキー・レーシングの時代になり、マルコ自身にも長い空白が訪れるとは想像もできなかった。

 頼りになる兄貴分のトニー・カナーンがKVレーシング・テクノロジーに働き場を求め、気づけばチーム最古参のドライバーとなった2011年に至るまで、マルコのキャリアに勝利が積み上がることはなかった。5年のうちに何人かのドライバーを同僚として迎え、何人かは去っていった。その中には日本人もいた。マルコは彼らに決して引けを取らない速さを誇ったが、ダニカ・パトリックにしろ、カナーンにしろ、ライアン・ハンター=レイにしろ、勝つのはいつもマルコではないだれかだった。数少ない同僚の勝利は多少なりとも運に恵まれたものだったが、そのような僥倖がマルコに訪れることはほとんどなかったし、スピードだけで2強に太刀打ちすることは叶わなくなっていた。もちろんそれだけでなく、やはり彼自身にも問題はあった。チームメイトに比べてクラッシュがすこしばかり多かったのだ。時間ばかりが過ぎていって、そのぶんだけ彼を取り巻く環境もすこしずつ変わった。同僚が入れ替わり、キム・グリーンが去ってチームはアンドレッティ・オートスポートへと名前を変え、マルコのマシンも黒と赤を基調とするカラーリングになった。変わらないのは優勝回数の欄だけだ。口性ないブロガーが疑問を書きたてても不思議はなかっただろう。いったい彼の立場を守っているのは、才能なのか、それとも来歴なのか?

ナイトレースとして開催されたアイオワ・コーン・インディ250の185周目、日曜日のお昼前というモータースポーツを見るにはちょっとばかり似つかわしくない時間にテレビにかじりついていた日本人(わたしのことだ)が逃したチャンスの大きさに頭を抱えていたとき、予選17番手に過ぎなかったマルコ・アンドレッティのポジションは2位にまで上がっていたが、かといってそれをすぐさま5年ぶりの勝利のチャンスと捉えるのはやや楽観的に思えた。インディカーシリーズ史上初の日本人ポールシッターとなった佐藤琢磨がダリオ・フランキッティにリーダーを譲ったのは序盤も早々の7周目のことであり、それから百数十周にわたって、佐藤とカナーンがどれだけ追撃しようともチップ・ガナッシの牙城はまったく揺るがなかった。フランキッティのスピードはそれほど群を抜いていた。トラフィックをかいくぐってきたマルコの速さに目を瞠るものがあったのは認めても、集団争いとトップバトルでは求められる特性がまるで違うのがオーバルレースである。フレッシュエアーの争いでマルコがフランキッティを打ち負かすのは容易ではなかったはずだった。

 佐藤が軽率なスピンでレースを失ったことで出されたフルコース・コーションのタイミングで行われた給油作業で、アンドレッティ・オートスポートのクルーはいい働きを見せてマルコをラップリーダーとして送り出したものの、フランキッティの速さを見れば再びのリードチェンジは時間の問題に思えた。チェッカーフラッグまで無給油で走りきれる状況でリーダーにいるマルコが勝利する絵を想像できなかったのは、この5年間のせいかもしれない。終わってみれば先週のミルウォーキーのような結果になるだけだ、というわたしの正直な感想は、レース後に振り返ってもなお、それほど的外れとは思っていない。ただこのとき、背後からカナーンが迫ってきて一度フランキッティをパスし、三つ巴のバトルに様相が変わる。このほんのわずかな展開の綾が、結局マルコにとってこの日唯一の、とてもささやかな幸運となった。3台が入り乱れてもフランキッティは変わらず速く、走行ラインを自由自在に選んでスピードをアピールしていたが、211周目の最終ターン、一度だけ2台のタービュランスに嵌って強烈なアンダーステアに見舞われ、スロットルを閉じてしまう。瞬時に1秒以上を失ったフランキッティはスコット・ディクソンから標的にされ、トップバトルに絡む権利を手放した。

 夜の空模様を窺うことはとうていできなかったが、今にも雨が降りそうな湿度の高い気象状況で、180mphでコースを駆け抜けるマシンのリアウイングが雲を作り上げ、光の加減で白くなびくさまがよく見えた。5年前のインフィニオンが快晴によって思い出されるのだとしたら、2011年のアイオワは空の代わりに翼端で渦を巻くこの雲とともに記憶されたりもするのだろう。フランキッティを葬ったあとマルコはカナーンにいったんリーダーを譲り、インサイドを死守する昨季までのチームメイトに対し攻撃の機会を見いだせずにいたものの、ついに231周目、わずかに見せた隙に一瞬で飛びこんで5年の扉をこじ開けた。攻守は交代し、今度はマルコが攻め立てられる。チェッカーまで10周、カナーンのインサイドアタックに対してマルコはハイサイドから半ば強引に下りていった。それはすこしばかり危険を伴う動きで、両者のラインは一度交錯しかけたが、アンダーステアを出して飛びこみきれなかったカナーンは眼前をカットされてスロットルを大きく戻した。レースに勝つのは大変なことだけれど、勝つとなればこんなものだ。湿った重い空気の抵抗に負けてカナーンはスピードを失う。後れを取ったライバルを尻目に、赤と黒のアンドレッティ・オートスポートはサーキットを煌々と照らす照明のなかを優雅に加速していったのだった。

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