観客席からコルトン・ハータに届けられた拍手

【2021.8.8】
インディカー・シリーズ第11戦

ビッグ・マシン・ミュージック・シティGP
(ナッシュビル市街地コース)

たとえ先頭を走った周回が全体の半分弱に過ぎなかったとしても、そしてあのような形でひとり先んじて迎えてしまった結末を受けてもなお、初開催のミュージック・シティGPがコルトン・ハータのレースであったことは疑いようがなかった。その名が示すとおり音楽の都ナッシュビル市街地の外れを走るレースは、11万枚のチケットを販売したという。コースはNFLテネシー・タイタンズの本拠地ニッサン・スタジアム駐車場の周囲を四角く回り、カンバーランド川に架かる朝鮮戦争退役軍人記念橋を渡って南岸に広がるダウンタウンの入り口を挨拶するかのように掠めると、狭い路地へと逸れてすぐに反転し同じ橋を今度は南から北へと戻っていく。長方形の角から筒が長く飛び出した――橋の往復だけでコース全長の3分の2近くを占める――如雨露を連想する変則的レイアウトは大きな水域によって南北に分断されて不便さを思わせるが、そんなこととは無関係にどの観客席も鈴なりの人だかりだった。冠スポンサーは以前トニー・カナーンの支援をしていたこともある地元の独立系レコード会社のビッグ・マシン・レコード。レースに携わるのにこれ以上の名前があるだろうか。インディカーはこの名称が定着する以前、「ビッグカー」と呼ばれた時代もあった。不思議な符合を感じさせる。

 新型、というには発生からずいぶん時間が経ってしまった感染症の先行きがいまだ不透明ななかでも、開発されたワクチンのおかげもあって華やかに行われたはじめてのレースは、不慣れな環境のせいかドライバーにはいささか酷だったようだ。ターン6の先、橋上に設けられたスタートラインから全開で加速し、最高速で飛び込んでいく橋詰のターン7こそ全員が無事に通過したものの、2周目にはダルトン・ケレットがフロントストレートで停止してしまい、早くも最初のフルコース・コーションが導入された。それからはおおよそ、初開催の、それも道幅の狭い市街地コースで起こりそうなインシデントの見本市といった様相を呈した。グリーン・フラッグが振られる4周目の終わりにはリスタートラインのあるターン3の先でセバスチャン・ブルデーとマーカス・エリクソンの加速の呼吸が合わずに追突事故が起こり、乗り上げたエリクソンが空を飛ぶ。16周目にはスコット・マクロクリンがターン4でリアを横から押されてスピンし、そのコーションが明けたと同時のターン4で、ウィル・パワーがチームメイトのシモン・パジェノーのインへと飛び込んでタイヤバリアまで追いやった結果、コースが塞がれて8台が動けなくなりいよいよ赤旗にまで発展した。因果は繋がるようで、この多重事故で被害を受けながらも車を修復して31周目にレースへ復帰したリナス・ヴィーケイが、あろうことか1周もしないうちにターン1へと突き刺さって5度目のコーションとなり、41周目にはチームメイトのパワーに弾き飛ばされたマクロクリンがケレットを巻き込んで(全員2度目だ!)黄旗を呼び込む。そのコーションが終わるや否やアレキサンダー・ロッシとパト・オワードがターン4の餌食となり、直後には新人のコディー・ウェアもスピンを喫した――。(↓)

 

パジェノーとパワーの接触を端緒にコースが完全に塞がれる。目の前で事故が起こった佐藤琢磨は避けられず、残念ながらレースを終えた

 

 こんな具合に事故とペナルティが入り乱れ、最初の50周のうち26周が黄色で塗りたくられたレースで、ハータはずっと先頭を走っていた。後方でトラブルが乱発したからこそ、先頭こそがもっとも安全な位置だった面もあったとはいえ、しかしそれ以上に、純粋な速さでハータを上回る者はひとりもいなかったのだ。たとえば23周目に4度目のリスタートが切られてから、わずか8周のうちに、彼は2位に対して6.2秒の差を築いている。もちろんそのリードもまたつぎのコーションで無に帰してしまうことには違いなかったが、細切れのグリーン状況で見える支配的な速さは、初開催のレースをだれが勝つかを存分に知らしめていた。だから、あのような形でチェッカー・フラッグに先んじて車を降りる結末が待っていたのだとしても、音楽の都ナッシュビルで行われたこのレースは、ドラマーとしての顔も持つハータのものとして、最後まであった。

 繰り返されるリスタートをものともしないリーダーに蹉跌を導く要素があったのだとすれば、それは物理的な速度ではなく、本来なら80周目に予定されているレース終了を巡る判断の揺れだった。間断なく入り込んでくるコーションラップの中、決断の分かれ目が45周目に訪れる。予定のチェッカーまでまだ35周を残す状況で、序盤の追突事故とペナルティから2番手まで息を吹き返してきていたエリクソンや4番手のロッシをはじめとした約半数が給油のためにピットへと向かったのである。20分の赤旗中断と数度のコーションのせいで思いのほか日没が近づいたため、全周回を完了しないままレースが終了する可能性を考えての判断だったようだ。実際、まだレースが半分を過ぎたばかりだというのに、19時になろうとしている現地はすでに日が傾いて夕の空となりつつあり、ほんのりと朱色に染まる街の様子が画面越しにもよく伝わって、短縮レースが現実味のある想定に思えるころだった。(↓)

 

橋上でスタートが切られる。大きな水域をまたぐように作られたコースは、世界でも類を見ないという

 

 とはいえ、燃料を満載して走れる周回数は30周弱と見込まれていたから、もしレースが予定どおり80周目まで完遂されればこのタイミングで給油した者は一転して最後の5周で燃料が尽きて窮地に立たされることになる。どんな判断もまず平常を基準に行うのが定石であるとすれば、彼らのピットストップはあくまで不規則に類するもので、この動きにハータは同調していない。それはレースを司るリーダーとしてみれば必要のない賭けでしかなかった。このようにして道が分かれ、結果的には勝敗に直結することにもなる。結局、前述したとおり51周目にロッシとオワードの事故が発生してまたしてもコーションとなり(エリクソンに次いで大きな賭けに回ったロッシの目論見はこれで潰えた)、ハータは今度こそ、隊列の縮まった状況で最後のピットストップを行わざるをえなくなったのである。状況が整理されてみれば、先にピットを行ったエリクソンのほうが先頭に立ち、定石どおりに判断したハータは9番手にまで下げられ、53周目にもう何度目か数える気にもならないリスタートが告げられた。

 そのとき失われたハータの走りは、ナッシュビルの開催が続くかぎり、いつまでもだれかの口の端に上り続けることだろう。リスタート直後、これまで何度か事故を誘発してきたターン4の進入でグレアム・レイホールのインへ完璧に飛び込んで、上質なパッシングのひとつを完成させた。続くターン11、ダウンタウンからまた橋へと戻る手前の、とうてい抜きどころにはならないような直角コーナーに向けた短い減速区間でウェアに対して車半分も捩じ込み、ステアリングをこじるように右へ切りながら進入すると、出口でスロットルを開けながら2度にわたる即座のカウンターステアで暴れる車をぴたりと収束させ、ファイアストンのロゴで彩られた壁すれすれを立ち上がってゆく。目を瞠る攻撃を成功させたその代償にコーナーの脱出が窮屈となって加速が鈍り、長い橋上の直線で前のフェリックス・ローゼンクヴィストとの差は大きく広がってしまったのに、先にあるターン1とターン2の、たった2度のブレーキングが終わったときにはもう背中に張り付いているのだ。と、先ほど攻略したばかりのウェアがターン3でスピンし、レースはまたしてもコーションとなる。いい加減低速走行にも飽いたのか、たった2周の水入りで再開された直後、橋を南下してターン7への進入ひとつでローゼンクヴィストを一蹴し、チームメイトのライアン・ハンター=レイに対しては、ウェアにしてみせたのと同じように、ターン11への短く鋭い進入と息を呑む脱出のカウンターステアでねじ伏せ、もう4位に上がっている。(↓)

 

序盤を独走したハータだが、コーションの妙で窮地に立たされた

 

 ジェームズ・ヒンチクリフは橋の途上で軽々といなし、スコット・ディクソンの抵抗も3周と持たなかった。ハータは、エリクソンの背後にまで戻ってきた。失った場所を取り返すための冒険が、こうして最高潮を迎える。ハータのブレーキングはあいも変わらず鋭く、コーナーが近づくたびにエリクソンとの距離はかぎりなく、特に小さなコーナーが連続する区間では衝突寸前にまで接近するのだ。だが、リーダーばかりは一筋縄ではいかなかった。逃げるエリクソンはトラクションに優位を見出して早々と加速し、最大のパッシングポイントである橋詰のコーナーへの進入で安全圏まで突き放す防御を繰り返す。それはここまでハータが下してきた相手にはなかった強みで、決定的な逆転の機会が訪れないまま、3周、5周と息を凝らすべき攻防が幾重にも積み重なっていった。

***

 残酷なことではある。レースカーの速さは一定でもなければ永遠でもない。むしろそれはつねに儚いもので、最高の状態にある瞬間に事を成せなければ、幻のように虚しく失われて取り戻せないだろう。ハータがエリクソンを攻めあぐねるその間に、状況が変化しつつあった。日没が迫るにつれて気温と路面温度が急速に低下し、エリクソンの履く柔らかいオルタネートタイヤに有利をもたらしはじめたように見えたのだ。ハータは68周目のターン3でインに飛び込もうとしながら果たせずタイヤをロックさせたのを最後に、軽快だった低速コーナーでの旋回に陰りが生じ、ブレーキングで差を詰められなくなる。コーナーでのスライドが目立つハータに対し、エリクソンは相変わらずタイヤを丁寧に使い、長い全開区間に向かってまっすぐ加速していくのがよくわかった。順位が逆転しないまま速さだけが入れ替わり、残り8周の時点で両者は1.5秒に隔たる。おそらくそこで事実上の勝負は決した。ハータは最後に自分を追い込むようなドライビングで1秒弱にまで差を縮め直すが、限界を超える走りは長く続かず、75周目のターン7で進入速度を誤って曲がりきれず壁の餌食となる。ふたたび赤旗となったレースは結局短縮されることなく完遂され、「キャリアの中でもっとも厳しい挑戦のひとつだった」と言うほど燃料を節約したエリクソンは、給油からの35周のうち11周にわたって導入されたコーションにも助けられて80周目のフィニッシュラインへと辿り着くことになるが、チェッカー・フラッグが陽の落ちかけたコースに振られたとき、レースを彩った最高のドライバーはもうコースを去った後だった。

 本当に、残酷な結末ではあった。メディカルカーに乗せられてヘルメットを外し、深くうなだれてしまったハータの姿には、悔恨の念が溢れている。欲しかった、得られるはずだった具体的な成果は指の間をすり抜け、自分には19位リタイアという記録しか残らなかった。その事実を慰める言葉はどこにも見つかりそうにない。しかし、たとえ悔やむしかないレースだったとしても、初開催のナッシュビルを速さによって支配し、速さによって地位の回復に進み、速さを失って終えてしまった彼のレースが、ここに集まり、見届けようとする人々の心を揺さぶり続けてやまなかったのも、また紛れもない事実だった。そのことは、車を降りた敗者を、集まった無数の観客が万雷の拍手で見送った光景が何よりも雄弁に示している――そう、敗者だ。エリクソンがナッシュビルで最初の優勝者になり、ハータは最初の「敗者」となった。レースの流れに乗り、走っているうちにチェッカーを迎えてそれなりの順位を持ち帰ったのではなく、勝利の可能性を信じ、勝者に全身で挑んでなお及ばなかった、勝者を代替しうる本当の、唯一の敗者に。それこそハータがこのレースに残した最高の価値だったのだろう。

 健闘ではなく、敗れたことそのものを称えよう。優れた敗者になるのは、時に1位になるより難しい。そういう敗者が存在するレースは例外なく幸せであるし、それに敗者自身にもやがて悔恨以上の祝福が与えられるものだ。思えばこのレースを勝ったエリクソン自身が、前回のミッドオハイオでジョセフ・ニューガーデンを追い詰めながらも届かなかった、情熱的で優れた敗者として記憶に残ったばかりだった。そう言ったとてやはり本人の慰めになるとは思わないが、はじめてのナッシュビルに情動をもたらしたハータの走りは、観客からの拍手とともに、彼が次の優勝を手にしたとき、きっと振り返られるはずである。■

 

終わってみればチップ・ガナッシ・レーシングの1-2フィニッシュ。表彰台にこの日の主役の姿はない

Photos by :
Chris Owens (1, 2)
Joe Skibinski (3, 4)
James Black (5)

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