【2022.5.29】
インディカー・シリーズ第6戦 第106回インディアナポリス500
(インディアナポリス・モーター・スピードウェイ)
インディアナポリス500マイル――インディ500。その名の響きすら耳から胸奥へと甘美に吸い込まれていく、世界でもっとも偉大なレースに優勝しようとすれば、いったい何を揃えなければならないというのだろう。周囲を圧する図抜けた資質、戦いに赴くための弛みない準備、周囲をも巻き込んで邁進する無限の情熱、恐れを振り払い右足のスロットルペダルを踏み抜く勇気と、しかしけっして死地へは飛び込まない冷静な判断力……もちろん重要だ。これらのうちどれが欠けても、きっと最初にチェッカー・フラッグを受けることは叶わない。だが、と同時に、年を重ねてインディ500を見るという経験がひとつずつ増えるたびにこうも思う。これらのすべてを、いやさらにもっと思いつくかぎりのあらゆる要素を並べてみたところで、結局このすばらしいレースを勝とうとするなどできるはずがないのだと。速さも、強さも、緻密さも、環境も、運さえも、尽くすことのできる人事は全部、33しかないスターティング・グリッドに着き、500マイルをよりよく走るためのたんなる条件にすぎない。その先、世界で唯一の牛乳瓶に手を触れるには、レースのほうが振り向いて手招きしてくれるのを待つ以外に仕方がない。
そのことはたとえば、佐藤琢磨の成り行きを見ると痛感するだろう。すでにインディ500を2度制している45歳は、豊富な経験を買われてこの大レースに照準を合わせるデイル・コイン・レーシングに移籍した今季、おそらくは期待どおりにフリー・プラクティスから車を仕上げていっていた。開幕から3日間のセッションをすべて最速で終えた順調ぶりに、3勝目を現実のものと予想していた人は多かったかもしれない。予選こそ10位に留まったとはいえ、決勝直前のカーヴ・デーでまた3位につけたのを見れば、間違いなく優勝候補の一角を占める評価を下せる仕上がりだった。ところが実際にグリーン・フラッグが振られてみると、願望もこもった予測は失速の過程を辿ってしまう。本人が語ったとおり、彼の51号車はこの日、過去の優勝の際には横溢していた混戦を制圧する力をまるで持っていなかった。プラクティスの速さと裏腹に思うように前を追いかけられず、逆にピットストップのたびに順位を少しずつ下げて集団に埋没していったがために、ついには43周を残して給油を行い最後まで走り切る賭けに勝機のすべてを投入せざるをえなくなったのである。どんなに無理をして節約しても燃料満載で走れる距離が35周強しかないのはわかりきっているのだからそれはあきらかに無謀な賭けで、よほどイエロー・コーションが連発されない限りとうてい成功する見込みはない作戦だった。実際レースはグリーンのまま進み、燃費走行で速度を抑えていた佐藤はピット回数の多い通常の作戦を採る集団にあっさりと抜かれたあげく、もういちど燃料を補給するべく195周目にピットへ戻らなければならない。しかもこのとき同じようにコース上で粘っていたライバルがほかにいたため、結局ラップリードも記録できなかった。先頭に立って、せめてもの淡い希望を抱く機会さえ与えられなかったのだ。ジミー・ジョンソンの単独事故によって渇望したコーションが導入されたのはその直後のことだったが、たとえこの事故がもう少し早く、作戦の遂行に「間に合った」としても、優勝には届かなかっただろう。こうして、期待されたインディ500が淡々と終わる。勝利に近づく方法論を持ち、事実準備を万端整えてきたかに見えたベテランでさえ、レースから冷淡に見放されたように苦しめられる。そういう年はたしかにある。
あるいは、アレックス・パロウを見舞った不運について、いったいどうすれば慰めを得られるだろう。スタート直後から、同僚のスコット・ディクソンとランデブー走行に興じるかのように何度も先頭を入れ替えて燃料を節約しながら周回を重ねる昨季のシリーズ・チャンピオンは、たしかに優勝にもっとも近い位置にいて、あとは最終的にお互いどちらが相手を倒して先にチェッカー・フラッグを受けるのかが焦点になるのだろうと思わせているのだった。レースはまだ50周、全体の4分の1ほどしか消化していない時点で、すでにそう確信させるほどの速さを彼らは持っていた。それが何ということか、関知しようもない、自分とはまるで無関係な場所で起こったたった一度の事故によって、パロウは残酷にもレースから突き放される結果になった。69周目のことだ。ターン2でカラム・アイロットがリアを振り出して単独スピンを喫し、制御を失ってセイファー・バリアへ吸い込まれる。それを受けて即座にコーションが導入され、ピットへの進入が禁じられた瞬間、パロウはまさにその入り口の目の前にいたのである。
最悪のタイミングだった。進路を変えられず黄色いランプが点灯するピットに入らざるを得なかったパロウは作業を行わずにそのままピットレーンを通過したが、コーションの導入前から減速をはじめていたためにふたたびコースに合流したときには13番手まで転落してしまう。とはいえ最高水準の速さを持ってはいるのだから、それだけで済めばまだ勝負の場に戻れる可能性はあっただろう。しかし、ピットストップを行うということは、すなわち給油が必要な状況ということでもある。いったんコースに戻ったパロウは作業が解禁されるほんの1周前の71周目に燃料が底を突き、結局ふたたびピットへと向かうしかなかったのである。インディカーの規則書にはこうある――「7.1.3.3.4. イエロー・コンディションの発令以前にピット・コミットメント・ラインをノーズが通過していない車両は、レーシング・サーフェスに留まること。[…]その車両がピットボックスに入った場合、[…]7.1.3.3.4.3. 燃料が不足しているのであれば、燃料プローブを最大2秒間差し込むことができる。/7.1.3.3.4.4. そのようにした車両は、隊列の最後尾からリスタートを行うものとする」。緊急給油を要したパロウは当然この規則に服した。68周目までに42周のラップリードを記録し、レースを制圧していたはずのチャンピオンは77周目のリスタートをなぜか31位で迎え、その後優勝争いに絡む機会は巡ってこなかった。
皮肉としか言いようのない唯一の瞬間だったのである。言うまでもなく、アイロットのスピンがあと5秒遅ければ、パロウは何の問題もなく通常の給油とタイヤ交換を完了して先頭に戻ることができた。あるいはあと1周早くコーションが導入される成り行きになっていたとしても、周囲とおなじルーティンのピット作業に加わり、やはり先頭集団の中でリスタートを迎えていただろう。何より直前までランデブーを続けていたチームメイトとの対比が、パロウを襲った酷な運命を示している。ディクソンはパロウの1周前の68周目にピットストップを行い、リードラップでレースに復帰していた。1周の長いスーパー・スピードウェイならば、先頭付近を走っている車はグリーン状況でピットに入っても周回遅れにならずに済む。ディクソンは速い者だけが持ちうるインディ500ならではの特権を使ってリードラップに留まり、コーション中に周囲がピットへ向かうのを尻目にひとりステイアウトして、悠々と先頭に戻った。パロウも当然そうなる予定だった。にもかかわらず、それは起こってしまったのだ。だれが悪かったわけではない。たしかに周囲に比して先頭の2人の給油時期は早かったが、そのことが不測の事態に対する柔軟性を失わせたのでもない。誰であってもピットに入る瞬間は燃料が尽きかけている以上、そこでコーションが導入されればパロウと同じ結果が待っている。その瞬間にレースを左右する事故が起こるかどうかは結局どこまでも自分の外側にある運の問題でしかない。アイロットのスピンが1周遅ければ、今度はそのタイミングでピットに向かっていた誰かが被害を受けていただろう。あるいはそれこそ1周早ければ、不運に見舞われたのはディクソンかもしれなかった。偶然にもパロウだった、ただただそれだけのことだ。それだけのことだからこそ受け入れがたく、慰めを得るのも難しい。だが事実こんなふうにインディ500は唐突に意地悪な賽子を投げて、誰かの運命を決めてしまう場合がある。若くして栄光を掴んだチャンピオンも例外ではない。
そして、そのありえたかもしれない不運を免れたディクソンは、パロウを失ってもなお勢いを衰えさせずに首位を堅持している。チップ・ガナッシ・レーシングの2人で作り上げていた鞏固な1-2態勢は崩壊したが、もっとも頼りになる仲間はフィニッシュが近づくにつれてもっとも厄介な強敵に変貌しうるという意味では、生き残ったディクソンに針が大きく振れた状況だとも言えた。事実彼は追いかけてくるコナー・デイリーやパト・オワードといった相手を力強く跳ね除け、一方で時には上手く前に出して風よけとして使って、先頭を保ったまま、175周目に最後となるピットストップを迎えようとしている。燃料の不安で佐藤琢磨を追いかけられなかった2020年とは違う。最高の状況で最終スティントを戦う準備は整っていた。ディクソンがインディ500に優勝したのは2008年の一度きり、もう14年も前の昔話だ。そのときからいまに至るまで4回のシリーズ・チャンピオンを獲得し、インディカー史上最高のドライバーとして尊敬を集め続けてきた履歴を考えれば、いいかげん2勝目に到達してもおかしくない、ようやく歓喜のときがふたたび訪れるのだろうと思った瞬間、ディクソンがピットレーンへの進入でブレーキを小さくロックさせ、2度か3度揺れる様子が大写しになる。まさか、と反芻する間もなかった。ピット進入からほんの40秒後、チームによるすばらしい手際の給油とタイヤ交換が済み、コースへ合流しようとしているさなかのディクソンに、レース・コントロールはピットレーン制限速度違反の廉でドライブスルー・ペナルティを科した。こうして完璧だった週末はあっけなくも虚しく壊れてしまう。些細にして致命的なミスは、この不世出のドライバーに忍び寄る衰えの変奏であったりもするだろうか。冷徹な視野をもって何度となく困難な作戦を完遂し、アイスマンの異名を与えられる男にさえ、さらに冷淡な微笑は投げかけられる。(↓)
そんなふうに、何人もの優勝への願いを袖にしたすえに、インディ500は最後の25周でマーカス・エリクソンを手招くのだった。31歳の、かつてF1で走ったこともあるスウェーデン人。インディカーにおいて主流とは言えない経歴を持つ3人目のチップ・ガナッシは、強力なチームメイトが勝機を失った土壇場で、突如として類を見ないスピードを手に入れる。本当に、信じがたい速さだった。180周目のころ、事実上の先頭を占めていたのはフェリックス・ローゼンクヴィストで、その2秒ほど後ろを同じアロー・マクラーレンSPのオワードが追っていた。エリクソンがいたのはオワードからさらに1秒遅れた位置だったにすぎない。たしかにレース序盤からずっと5番手前後に張りついていて上位で戦える力は示していはいたものの、先頭に立ったのもピットストップの綾で生じた2周だけで、突き抜けて押し切るほどの印象はまったく抱かせていない存在だった。ところが、182周目に入ろうとするフロントストレッチでエリクソンはもうすでにオワードの背中を脅かしており、次の瞬間には何ら苦戦することなくターン1のはるか手前で外から抜き去ってしまったのである。そしてさらに2周が経つころには、もう1台のアロー・マクラーレンを、今度は内から簡単に追い抜いて、見る間に差を広げていった。やがて190周目、全員が最後のピットストップを終えて状況が整理されたとき、エリクソンは3.28秒もの大差をつけて先頭を走っていた。
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最後の展開は、もしかすると過剰な演出の感もあったかもしれない。残り6周、4人目のチップ・ガナッシであるジミー・ジョンソンが起こした単独事故によって導入されたコーションは、即座に赤旗へと移行した。レース・コントロールは、低速で順位を固定したままレースを終わらせるイエロー・チェッカーではなく、いったんすべてを完全に停止し、あらためて最後の2周に優勝を争わせると決めたのだ。それは2年前、やはり残り5周で先頭を走る佐藤のチームメイトが事故になったときとは正反対の決定だった。
その判断は一貫していない。もちろん、今回のジョンソンのスピンが通常の事故の範囲に収まっていたのに対し、2年前のスペンサー・ピゴットはピット入り口に備えられたタイヤ・バリアに衝突しており、ドライバーにも設備にもダメージが大きかったから、レース再開を求めずコーションのまま終わらせてしまうほうが適切だったという違いはあろう。もとより、赤旗の導入はレース・コントロールの裁量として決めてよいことでもある。95周目の事故であれば間違いなくイエローで流すにもかかわらず、レースが終わる間際にかぎっては赤旗に変わることに妥当な競技上の説明を与えるのが難しいとしても、いずれにせよ決定はなされた。エリクソンにとっては、最後の圧倒的なスパートで手にした3秒のリードを剥奪され、空気の壁に正面からぶつかっていく位置から、挽回の難しい2周のスプリントレースを戦わなければならないということだった。それは、500マイルを追い求め、かぎりなく近づいていきながらも突き放されてしまう最後の対象がエリクソンだったのだ、という結末までも示唆される展開だった――。(↓)
199周目のリスタートに向けて、エリクソンはターン4を内側から立ち上がろうとするのだった。マーシャルポストで緑色の旗が大きく振られていた。次に右へ。直後のオワードに風よけとして利用されないよう、コースを横断するように進路を急激に外へと向ける。一瞬振り切られそうになったオワードがすぐさま追従し、トニー・カナーン――生き残っていた5人目のチップ・ガナッシ――が続いた。内へと戻り、後続が追う。リーダーがレーンを変えるたびに全員がつながり、蛇が身をくねらせて進むように隊列がうねる。ふたたび外。今度はオワードは追わず、ターン1のインを狙う。同時にローゼンクヴィストがカナーンを襲おうとしている。エリクソンの進入がまさって、ターン1とターン2の間にある短い直線を、リスタートとおなじ順で駆け抜ける。バックストレッチは、左、右、左、右。エリクソンの情念が表出された4度の蛇行に、オワードはすべてつきまとって真空に引っ張り上げられ、ターン3からターン4にかけて2台は急激に接近した。カナーンが離れ、一騎打ちへと変わる。ふたたびのフロントストレッチには最終周回を告げる白旗が用意されていた。内、外、内。逃げる側が、ピットへ進入するかのような角度と勢いで左に飛び、次にセイファー・バリアのほうに踵を返し、もう一度ピット側の壁へ接近すると、そのまま壁沿いをぴたりと直進していく。追う側が一瞬のドラフティングを得てすぐに外へと活路を求め、レンガ製のスタート・フィニッシュ・ラインを越えて、200周目に入る。オワードが並び、ノーズが一瞬前に出て、2人の位置が入れ替わろうとしていた。
たしかに、理不尽であったのかもしれない。199周目と200周目のスプリントは、すでに優勝を確信されていたリーダーにとっては不要な、そしてきわめて危険な戦いで、一転してレースに冷たくあしらわれ、すべてを失ってもおかしくなかった。200周目のターン1を、エリクソンは抑えきった。わずかに先行したオワードをインから差し返し、何物にも代えがたい唯一のポジションを守ったのだ。最大の好機を逸したオワードはバックストレッチでの勢いを失い、もう一度攻撃する力は残っていなかった。そしてエリクソンがターン3に差し掛かろうとするころ、後方の集団で事故が発生してまたしてもコーションが発令され、レースは本来そうであるべきだったかもしれないイエロー・チェッカーを取り戻して、幕を閉じたのだった。
なんというレースだっただろう。それは終わってみれば、恣意的でありえた赤旗への疑問を晴らしてみせた結末だった。もしレースがコーションのままに終わっていたとしたら、ずっとチームメイトの陰に隠れるようにして戦い、ほとんど先頭争いに顔を出さなかったエリクソンが、最終スティントで出し抜けに姿を現してイエロー・チェッカーで優勝していたとしたら、チップ・ガナッシの「3番手」だった存在が苦境に陥ったチームを救ったというすばらしい物語にはなりえたとしても、本人自身の快挙の輪郭をどこかあやふやにしてしまったかもしれなかった。だが最後の2周、あの理不尽にも見える赤旗があったことで、3番手にすぎなかったエリクソンは過酷な優勝争いを正面から戦う試練にさらされ、打ち勝つ権利を与えられたのだ。それは、彼が彼自身のために優勝したことを証明するためにきっと必要な2周だったのだと、いまなら少し思える。難敵に迫られ、並ばれながらも退けた90秒間によって、マーカス・エリクソンはすばらしい優勝者であると同時に、偉大な王者のひとりであった記録を歴史に残した。完璧な幕引きだ。インディ500を勝つとは、つまり結局のところそういった過酷な天命を乗り越えた先に辿り着くことなのだろう。■
Photos by Penske Entertainment :
James Black (1)
Paul Hurley (2, 3)
Chris Owens (4)