不測のコーションが、またひとつ日常をもたらす

【2020.7.4】
インディカー・シリーズ第2戦 GMRGP
(インディアナポリス・モーター・スピードウェイ・ロードコース)

昨年の5月、フランス人として99年ぶりにインディアナポリス500マイルを優勝したシモン・パジェノーは、その2週間前に同じコースのインフィールド区間を使用して行われるインディカーGPを制している。その前の年、2018年のウィル・パワーもまた、同じくインディカーGPとインディ500をともに手にして、歓喜の5月に身を沈めた。まだ世界がこんなふうになるとは思いもしなかったころだ。パジェノーは最終周のバックストレートで走行ラインを4度も変える決死の防御を実らせた果てに、一方パワーはフルコース・コーションに賭けた伏兵が燃料切れになってピットへ退いた後に、チェッカー・フラッグのはためくフィニッシュラインを真っ先に通過していった。激動、あるいは静謐。対照的な幕切れは、しかしどちらも感動的で感傷に溢れた、見る者の涙を誘う初優勝だった。インディカーのあらゆる感情は、5月に溢れ出して引いていく。

 もちろん、過去2年の例を見てインディカーGPとインディ500を短絡的に結びつけるのは正しくない。おなじインディアナポリス・モーター・スピードウェイを舞台とするといっても、ブレーキを駆使して急減速と全開加速を繰り返すロードレースと、平均220mph以上の速さで壁に沿って走り続けるオーバルレースは何もかもが違う。周回の向きさえあべこべだ。シーズンの流れを掴んだ? 一笑に付する迷信だろう。前のレースを勝ったから次のレースに勝てるのならば世話はない。それはあくまで、偉大なドライバーのキャリアをある区間で切り取ったとき、2つの優勝が偶然――不規則にではなく、能力や環境に応じた確率に沿った――並んで現れたのだと解するべき出来事だ。おそらく、レースの物理という観点からは。

 ただ一方で、その連勝に勝手な物語を見出してもいい。2019年のパジェノーも2018年のパワーも、奇跡的な5月に巡り合うまでの数ヵ月はけっして順調ではなかった。むしろ才能に比して苦しんだ日々を送っていたといっていいほどだ。インディカーGPから少し前のロングビーチが行われたころ、パジェノーは兼ね備えていたはずの柔らかさと強さの両面をどちらも失ったようだった。パワーもまた、先頭から涼やかな顔でレースを収める特筆すべき静けさをなくし、粗暴な面ばかりが目につく時期を過ごしていた。それがどうだ、インディアナポリス・モーター・スピードウェイのインフィールドで、彼らは本来の自分を再発見した。雨に濡れた縁石を巧みに踏み越えて誰よりも高い速度でバックストレートを加速していったパジェノーは、最後の最後にスコット・ディクソンを捕まえ、ターン8で外のラインに踏みとどまりながら並走して困難なパッシングを成功させた。インディカーGPでようやくその年最初のポール・ポジションを獲得したパワーは、独走には至らなかったものの、タイヤの違いで前に出た手強いライバルをターン1で平易に抜き返すささやかなハイライトひとつだけを残して、あとは優雅にゴールまで車を運んだ。2人にとって典型的な、インディカー・シリーズの中に幾度となく刻みつけてきた勝ち方だった。

 そして、この走りはそのままインディ500に再現された。パジェノーは時にしなやかに、最後には激情とともに。パワーは支配的に、静かに。2人はインディカーGPと同様に、自分が知悉した方法をもって世界でもっとも偉大なレースを制した。レーシングドライバーの特質すべてを500マイルの中に表現した優勝は、インディ500にふさわしい、インディカーかくあれかしという理想の実現に他ならなかった。だとすればその物語の序幕にインディカーGPを配することは、たぶんできる。レースのあるべき姿を導いた舞台として。

 思いがけず2020年シーズンの「開幕戦」となったテキサスは、非常の病に冒されたレースから日常を取り戻すような展開で幕を閉じた。ペンスキーの一時の速さと失速や、ディクソンの機を捉えた巧みな戦いぶりはいつものインディカーそのもので、観客のいない薄暮のサーキットにシリーズが変わらずそこにあることを示していると思われた。スポンサーがついて名称が変わったGMRGPもそうだったようだ。パワーがこの舞台で獲得した通算4度目のポール・ポジションは、なにも変わらないありふれた光景のひとつだった。

「グランプリ・オブ・インディアナポリス」の名称で2014年に始まったGMRGPは、以来2度も改称された6年間でパワーとパジェノーしか勝ったことがないレースとして知られる。ポール・ポジションも4度は2人のうちどちらかが獲得しており、パワーの優勝はすべてポール・トゥ・ウィンだ。仲良く3勝ずつ分け合う2人の頭文字がともに「P」であるのは偶然の笑い話だが、そんな笑い話ができてしまうくらい変わらないレースを繰り返しているということでもあるだろう。今回もどうやらそんな結末になりそうな雰囲気だった。完璧なスタートを決めて1周目のターン1を危なげなく過ぎ去ったパワーは、優雅に先頭を楽しんでいる。過度な速さを求めず、2番手のジャック・ハーヴィーとの差を1秒から1.5秒の間に固定したまま、順位を失う予兆などまったくない悠々としたクルージングは続く。1度目のピットストップを終えるとそれだけでハーヴィーは後退し、代わってチームメイトのジョセフ・ニューガーデンが浮上していた。ペンスキーの手際に狂いはなく、止まり、給油し、タイヤを換えてふたたび走り出すまでのあいだにライバルとの違いを生む。そうやってパワーは労せず優位を拡大し、いつの間にか4秒のリードを築いてしまう。これはパワーのレースに他ならない。前方ではグレアム・レイホールを始めとした数台が少ないピットストップに賭けて燃費走行を続けていたが、その差は逆転に至るほどではなかった。

 パワーの勝利はもう決まっていた。ニューガーデンに追いすがる速さはなく、数周もすると差は5秒にまで広がった。全80周のレースで、30周目にテレビを消して寝室に向かっても、このレースを語るうえでなにも支障はないように見えた。少々退屈と言えなくもなさそうな、ありふれた展開のインディカーGP――ではなく、GMRGP。変わったのは名前だけだ。それ以外は何も違いはなかった。フルコース・コーションで差がなくなったところで、結果にはなんの影響も及ぼさないだろう。(↓)

ディクソンの帰還を待つチップ・ガナッシのクルーたち。ピットのタイミングがすべてを左右した

 そう、コーションがレースを左右する可能性などあるはずがなかった。かつてF1を開催したこともある、シリーズで一二を争う大きなコースだ。少々のインシデントは広大なエスケープゾーンが受け止めてレースを止めることなく進行させることだろう。何よりインディカー自身がそうした運営に変わった。かつてはスローダウンした車が1台いるだけで即座にコーションを導入するほどだったのが、ここ2年は一貫性を重視し、事故が起こったとしてもレースを壊さないタイミングを見計らって黄旗を振るようになっている。昨年のアラバマがいい例で、レイホールが動力を失って谷底で止まったとき、レース・コントロールは少しだけレース進行を引き伸ばし、佐藤琢磨を始めとする先頭集団がピットへと進入したのを確認したのちコーションを発令した。佐藤はその計らいによって正当なリーダーの座から転がり落ちずに済み、そのまま優勝を持ち帰ったのだ。レースは正しく行われる。その前例を見れば、インディアナポリス・モーター・スピードウェイが不測のコーションで乱される心配する必要はなかった。

 レースは36周目にさしかかっている。ディクソンやコルトン・ハータといった集団が2度目のピットストップを終え、パワーやニューガーデンら数人はまだ走り続けている、そんなふうに状況の違いが残っている時間帯に、インフィールドからオーバル区間に戻ってくるターン12でオリヴァー・アスキューがリアを振り出した。今年からアロー・マクラーレンSPで参戦を始めた新人は即座にカウンターステアを当てて姿勢を保とうと試みるが、直後にタイヤのグリップが回復したために車はコーナーの外側へと向きを変え、コースの合流地点を隔てる芝生を横切ってセイファー・ウォールに突き進んだ。200mphの速度をも吸収する柔らかい壁にとって加速途中の車を受け止めるのは造作もない仕事で、ドライバーの安全は完璧に守られたが、リアから衝突した7号車のほうは破片を撒き散らしながらホームストレートの中央で横向きに停止した。間髪を入れずフルコース・コーションが発令される。どう判断しようとも、コースを塞がれてしまえばそれ以外の決定は下しようがなかった。ペースカーがレースに介入して隊列が整えられ、同時にピットへの進入が禁じられる。燃料の残り少ないパワーとニューガーデンは先頭に取り残され、2ストップを狙う数台と、3ストップで給油を終えたばかりのディクソンが後ろに続いた。レースはくるりと反転する。ややあってピット入り口が開かれると事実上の先頭はディクソンのものになり、ようやく給油に向かったパワーとニューガーデンは13位と14位にまで転落して、二度と優勝争いに顔を出すことはなかった。(↓)

リアからバリアに激突し、アスキューはレースを終える。パワーが圧勝する展開は、この事故によってがらりと変わった

 ありうべきインディカーをテーマとしてレースを見ようとするのであれば、当然に想定すべき事態だっただろう。ロードレースの場合、ピット・ウィンドウが開いたらできるかぎり早く給油を行うほうが安全であるのは、多くのチームとドライバーが身に沁みて知っている鉄則だ。とはいえコーションのリスクが限りなく低いコースにあって、あの場所で、あんな形の事故が、よりにもよってあの瞬間に起こる確率はいったいどれほどだろうか。悪意を持って計画を練ったとしてもこれほどうまく事が運んだりはしまいと思えるくらい、レースの綾は正確にパワーたちを狙い撃ちにし、勝者を入れ替えた。ディクソンは気づけば先頭に立っており、あとは車なりに走ればよかった。そうするだけで、後続とのタイム差はひたすら拡大していった。

 パワーとパジェノーの独占はこうして終わりを告げる。先頭を失ってからパワーの勢いはすっかり影を潜め、その先は3度目のピットストップでエンジンストールを犯した以外にいっさい目立たずに終わった。後方に埋もれていたパジェノーはディクソンと同様に展開を利したが、スピードの差を埋めることはできず3位を掴むのが限界だった。過去をなぞりながら進んでいたGMRGPは、コーションをもたらしたアスキューの事故の様態がまさにそうだったように、突如としてあらぬ方向へと進路がよじれて壊され、3人目の勝者を歴史に刻むことになった。それはたしかに、予想できない結末に違いなかった。(↓)

3度目のピットストップでパワーはエンジンストールを喫してしまい、自らのピットボックスへ押し戻される。先頭を失ってから、目立った場面はここだけだった

 日常を取り返そうとしていくインディカーで、パワーとパジェノーの敗北はそこから外れる結果だっただろうか。ある意味ではそうだろう。パワーはきっと勝つべきだったし、想定外のコーションで勝利は失われた。これは本来の、正当な結果ではなかった。だがまた、こうも言える。「ありうべきインディカー」と書いたように、想定外のコーションそれ自体が、インディカーでは想定の内にあるものだと。それはつねに、いつ生じるわからないがいつでも生じうる必然的な偶然として待ち構えている。最近は抑制されてきたといっても、勝つべきドライバーがコーションの禍に巻き込まれて落ちていったレースなどこれまでにも幾度となくあったではないか。

 そう考えれば、これはあるひとつのありうべき日常が別のありうべき日常へ置き換えられたにすぎなかった。奇妙な記録は途絶えたが、この週末に行われていたのは、どこまでも典型的な、やはりわれわれが戻るべきインディカーだったのだ。パワーとパジェノーの手でありふれたレースを繰り返し、シリーズの日常を固定してきたGMRGPは、形態こそ違えど今年もありふれた展開を表している。それはきっと、非常のシーズンを正常へと押し戻す希望に満ちたレースだった。■

メインタワーの「パゴダ」を背にディクソンは堂々と圧勝。例年と違い、2週間後にインディ500は行われない

Photos by:
Walt Kuhn(1, 2)
James Black(3, 4)
John Cort(5)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です