【2020.7.11-12】
インディカー・シリーズ第3−4戦
REVグループGP・アット・ロード・アメリカ
(ロード・アメリカ)
砂煙が舞った。本人にとって念願だったというインディカーのデビューからまだ3レース目のアレックス・パロウが、右の前後輪を芝生に落としながらも臆せずに前をゆく相手の懐へ飛び込んだところだった。ロード・アメリカの土曜日、レース1で2度目のフルコース・コーションが明けた44周目のことだ。スペインから日本を経て米国へとやってきた奇妙な経歴の新人はリスタートとともに鋭く加速し、コース外にまで押しやられるほどの幅寄せにも委細構わず、自ら巻き上げた砂を置き去りにしてものの数秒でライアン・ハンター=レイに並びかけターン1の優先権を奪い取る。表彰台最後の一席を巡る3位争いが行われていた。
激しい防御を跳ね除けられた8年前のチャンピオンは、今度は無理な進入を強いられた相手に対して外側からコーナーの脱出方向へと素早く向きを変え、走行ラインを交錯させようと試みていた。180mph以上の最高速から110mph程度にしか減速せず駆け抜ける中速のターン1はラインの自由度が低い。ひとたび飛び込んでしまえば車速の高さも相まって深く切り込んでいくのは不可能だ。一方でコーナーの奥はランオフエリアまで舗装されてのっぺりとした灰色の平面が広がり、オンボード映像を見ると吸い込まれそうな錯覚に襲われる。出口に縁石は設置されておらず、進行方向と垂直に引かれた白線が申し訳程度にコースの境界を主張するだけで、物理的に踏み越えるのに躊躇はいらないし、そこを通ることを規則は禁じていない。実際、奥のほうの白線は何百回何千回と踏まれ、すっかり剥げて消えかかっている。窮屈なラインで進入したパロウが加速を求めていたずらにスロットルを開ければ、確実にそこまで膨らんで余分な距離を走ることになる。ハンター=レイは、その正反対の軌道を狙う。進入の減速を大きくし、外から早めに車を曲げて小さく回る。2人とも最速のレコードラインを通っているわけではないからその点では互角で、あとは選択の問題だ。レースの絶対的な尺度である時間に対して、速度と距離のどちらからアプローチするか。走る距離の短さは速度差を埋め、内と外の関係だけが入れ替わって順序は元に戻る。(↓)
似たような場面が、3周前に現れている。序盤に独走態勢を築きながらピットストップの際にエンジンが止まりリーダーの座を失ってしまったジョセフ・ニューガーデンが、ホームストレートでサンチノ・フェルッチの攻撃から順位を守るために内側に進路を変え、並走かやや先行してターン1へと飛び込んだのち、立ち上がりでランオフエリアまで膨らんで交わされた。ブレーキングでタイヤをロックさせて前輪のグリップを失い、アンダーステアに陥って内側の縁石から引き剥がされていく1号車の右横を、フェルッチはまるでパッシングの意図などなかったように造作もなくすり抜けていった。しかもニューガーデンは順位を失っただけでなく、この攻防で難しいブレーキングに身を投じた代償を支払う羽目になった。回転を止めたまま滑走し激しく白煙を上げた前輪が激しく傷み、直後に別の場所で発生した事故に伴うコーションの最中に予定外のタイヤ交換を余儀なくされたのだ。パロウが仕掛けたのは、そのコーションが解除されたリスタートのときだった。簡単な勝負でないことは容易に想像された。
ハンター=レイから厳しい牽制を受けたパロウの進入ラインは、手痛い失敗を喫した3周前のニューガーデンよりもはるかに窮屈だった。守備側として自由に動けたニューガーデンはコースのちょうど中央から進入して道幅の半分をコーナリングに使えたが、芝生にまで追いやられたパロウに旋回の空間を確保する余裕はまったくなかった。見ると、コースがホームストレートからターン1へ屈曲しはじめる地点の内側に引かれる白線を、パロウの右前輪は踏んでいる。アウト・イン・アウトのセオリーに沿う通常であれば絶対に通らない場所だ。正面高所からの映像では、ハンター=レイがコーナー出口に対して車をまっすぐ向け終えようとするころ、パロウの針路がまだターン1奥のランオフエリアを指していることがよくわかる。その一瞬、2台のノーズから仮想の線を伸ばすとまったく平行をなしておらず、そのまま進めば両者の軌跡は交わる。パロウは外へ膨らみ、ハンター=レイが内へと切り込む。左右の位置関係が入れ替わり、しかし序列は取り戻されるだろう。そんなふうに、果敢な攻撃の結末が予期される。
2人は旋回している。パロウの後輪がわずかに外へ滑り、車が一度ゆらりと揺れた――ようにテレビ画面からは見て取れた。あるいは旋回しながらスロットルを緩めたのか、リアの荷重が少しだけ抜けてグリップを失ったのかもしれない。もっともそれは時計の針が進む間もないほど刹那の出来事で、次の瞬間には乱れた姿勢がもうぴたりと収まり、パロウは予測よりも遥かに内側のラインを通っている。微かな減速と、リアを振ったために旋回軌道が孤の中心に向かって巻き込んだ結果だろうか。そこにはドライバーの意思がはっきりと現れている。つまり彼らがターン1を立ち上がっていくとき、パロウが占めた空間はハンター=レイが通ろうとする場所に車体4分の1だけ重なっており、反撃のための加速を阻む。ハンター=レイはさらに内を狙う素振りを見せるが、パロウにはその動きに対応するだけのグリップの余裕が残っている。全開で駆け抜けるターン3を抑え、ターン4のブレーキングで先行を保つ。そうして序列は入れ替わる。
しかしその先の長いバックストレートで、完全に抜かれたはずのハンター=レイが加速を得た。陸橋をくぐり、サーキット近辺の地名を冠してモレーン・スイープと呼ばれる右に弧を描く全開区間で内に入り込み、わずかな距離の得を生かしてふたたび前に出る。パロウは車体半分踏みとどまっている。モレーン・スイープは右から左へとうねりの向きを変え、やがて左直角コーナーのターン5へのブレーキングに至る。ブレーキペダルを踏みしめた瞬間だろうか、パロウがまたしてもふらふらと不安定に揺れてフロントタイヤがロックする徴候を表すが、最後まで破綻はきたさずコーナーの頂点を的確に捉えた。ハンター=レイは外から先入したものの紳士的に相手のラインを残し、外を回ってとうとう膝を屈する。そのとき、レース・コントロールによってフルコース・コーションが発令された。リスタートの直前にダルトン・ケレットがコースを外れ、ずっと最終ターンのグラベルに捕まったままだったのだ。新人の操る14号車が動けなくなってから黄旗が振られるまでは45秒の間が空いている。まるで2人の戦いが落ち着くまで待っていたかにも思えるタイミングで、だとすれば粋なはからいだが、もちろん本当のところはわからないまま、レースは止められた。
顛末は少しばかり無粋だったかもしれない。コーションでレースがやり直されると同時に、2人の関係も元に戻されてしまったからだ。おもむろに進むコーションラップ中、気づくとパロウはハンター=レイに居場所を譲り、4位に退いていた。黄旗の表示が画面に出た瞬間はたしかにパロウが前だったから不可思議な裁定に思えたが、もともとケレットが飛び出したのはコーション中の出来事で、だから本来リスタートが切られるべきではなかった、レースは44周目のスタート/フィニッシュ・ラインの状況へと正されなければならない――ということだったのだろう。その意味では2人の攻防はレースの一部ですらなかった。もちろん、鮮烈な印象を残した数十秒の運動に満足しないはずがない。しかし、事実それは結果に関与しない徒花として散り、儚く消えてしまったのだった。
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土曜日のレース1でスコット・ディクソンが史上5人目らしい開幕3連勝を飾り、日曜日のレース2では、昨季惜しいところで表彰台の頂点に届かなかったフェリックス・ローゼンクヴィストが、ペースの芳しくなかったディクソンに代わって待ちに待った初優勝を手にした。チーム・ペンスキーの不調と自滅を尻目に、ロード・アメリカの週末はチップ・ガナッシ・レーシングが制圧し、わずか4戦にして2020年シーズンを掌握しつつある。結果だけをそんなふうにまとめれば、いたって順当だった印象を抱きもするだろう。
しかしレースの運動に目を向けると、そんな平穏に思えるインディカーの絵図の中に新たな芽が顔をのぞかせていることにすぐ気づく。決勝には結びつかなかったが、レース1ではジャック・ハーヴィーがGMRGPに続き2戦連続の予選2位でフロントローに並んだ。レース2でポール・ポジションを獲得したパト・オワード(いかにも米国で戦うドライバーらしく、パトリシオを縮めて名乗るようになった)はじつに43周にわたってレースをリードし、完璧なポール・トゥ・ウィンまであと1周半のところまで漕ぎ着けた。彼が残した印象は、昨年のロード・アメリカで新人として奮闘したコルトン・ハータを凌ぐものだ。そのハータは目立つ場面こそなかったものの、代わりに一切の不安がない着実な走りで両レースとも5位を確保し、ばたばたと落ち着かなかった1年前から長足の進歩を見せた。テレビカメラが上位争いを映すとき、彼は当たり前のようにそこにいて、すっかり風景に馴染んでいると思わせる。それはもう新鋭ではなく強豪の趣だ。そしてもちろん、チップ・ガナッシの名前の大きさに隠れていたローゼンクヴィストの勝利がある。世界中を旅したのちにインディカーへ辿り着いたスウェーデン人は、1回目のピットストップが終わったころには10秒ほどあったオワードとの差を鉋で薄く削り取るように辛抱強く詰めていき、数十周を費やしてとうとう背中に張りついた。捕まえたのはチェッカーの迫る54周目のターン7だ。ターン5の立ち上がりでラインを交叉させて潜り込み、ターン6を並んだまま駆け抜けて、最後には外から覆いかぶさってねじ伏せる力強いパッシングだった。
2010年代のインディカーについて綴ったとき、こうした名前は出てこない。そこにはディクソンやウィル・パワーやハンター=レイが居続け、ダリオ・フランキッティやエリオ・カストロネベスやトニー・カナーンがいた。佐藤琢磨も、この年代を担う一人だった。途中からはシモン・パジェノーやニューガーデンが加わり、ペンスキーに移ってキャリアの頂点へ上り詰める過程でインディカーの日常を形成していった。彼らはたしかに、まだ頂上付近に君臨している。だが一方で、今回のロード・アメリカは彼らの時代が過去のものになろうとしていることも示唆するだろう。ニューガーデンの2度のポール・ポジションや、ディクソンの開幕3連勝や、チップ・ガナッシの席巻といったよく見知った風景を、しかしかつては存在しなかった名前が侵食しつつある。昨季ハータが19歳にして2勝を上げ、今年はすっかり馴染んで漠然と5位にいるのと同様に、異常事態としてではなく、ただ日常がそのように置き換わっただけの結果として。(↓)
たとえば5年後のシリーズを想像するなら、ディクソンもパワーも、ハンター=レイも佐藤も、おそらくグリッドには並んでいないのだろう。あるいはパジェノーさえもいなくなり、現在のチャンピオン経験者で残るのはニューガーデンだけかもしれない。一時代を築いた英雄たちが一斉に去っていくときの境目に、2020年のインディカーは立っている。そして未来から振り返ってみたとき、その境目――極限の分水嶺として今回のロード・アメリカを想起する可能性は、十分にある。フロントローからスタートを切るハーヴィーや、レースを力強く引っ張るオワードや、リーダーをねじ伏せるローゼンクヴィストはみな、ディクソンの優勝と対をなす。水の流れを向こう側と手前側へとわける場所、その頂点の位置にあった週末。これは、過去と未来が近づきあうことで、変遷する時代の象徴となって記憶の中に残り続ける、そういう種類のレースだったのだ。
――パロウは3位を得た。文字どおりやり直しのリスタートとなった48周目、今度はあらかじめ内を閉めたハンター=レイに対して外へ車を持ち出し、ブレーキングの競争に持ち込むまでもなく交わすと、進入でやはり少しだけふらつきながらもぴたりと姿勢を収め、あとは最速のラインを堂々と通ってあっという間にターン1を駆け抜けていった。それは幻となった4周前とは正反対の、しかし手にしそこねた現実を取り返す、美しくも完璧な未来へのパッシングだった。■
Photos by:
Joe Skibinski (1, 3, 5)
Chris Owens (2, 4)