アレックス・パロウはターン1の先に5年後のインディカーを見る

【2020.7.11-12】
インディカー・シリーズ第3−4戦

REVグループGP・アット・ロード・アメリカ
(ロード・アメリカ)

砂煙が舞った。本人にとって念願だったというインディカーのデビューからまだ3レース目のアレックス・パロウが、右の前後輪を芝生に落としながらも臆せずに前をゆく相手の懐へ飛び込んだところだった。ロード・アメリカの土曜日、レース1で2度目のフルコース・コーションが明けた44周目のことだ。スペインから日本を経て米国へとやってきた奇妙な経歴の新人はリスタートとともに鋭く加速し、コース外にまで押しやられるほどの幅寄せにも委細構わず、自ら巻き上げた砂を置き去りにしてものの数秒でライアン・ハンター=レイに並びかけターン1の優先権を奪い取る。表彰台最後の一席を巡る3位争いが行われていた。

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このレースをやりなおします、よろしいですか?

Ryan Hunter-Reay sails through Turn 8 during Race 1 of the Chevrolet Detroit Grand Prix at Belle Isle Park

Photo by: James Black

【2018.6.2-3】
インディカー・シリーズ第7-8戦 デュアル・イン・デトロイト

レースとはたとえば競技者どうしが可能性をやりとりしながらひとつの結末へと到達する営みと表現できるのだと、フェニックスGPの記事に書いている。最初の時点では全員にとって無数に広がっている可能性の糸が、1周、また1周するたびに何本か途切れていき、やがてチェッカー・フラッグに1本のみが残されるのだ。ある周回に起こった何事かが、次の周回に残される可能性を規定する。コントロールラインはさしずめ悪戯な糸切り鋏といった気配で、ありうべき未来の先端を断ち、もはや現在には届かない過去へと変えていく。
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もちろん、チップ・ガナッシは帰ってくる

【2014.7.12】
インディカー・シリーズ第12戦 アイオワ・コーン・インディ300
 
 
 そして1週間が経った。ポコノでチップ・ガナッシが見せた臆病な振る舞いを観客として正しく軽蔑すべきだという趣旨の前回記事を書き終えたころ、このチームの中でも「ターゲット」をスポンサーとするエース格のスコット・ディクソンとトニー・カナーンはすでにアイオワの予選1、2番手を独占していた。それはわたしの浅薄な眼差しをあっさりと蹴散らし、決勝に向けてなによりの楽しみをもたらしてくれる結果だった。ひとつのレースで話を完結させるなんとなくの流儀として記事で触れることはしなかったが、しかし去年同様に7月になってようやくスピードを取り戻してきたチャンピオンチームが、ポコノの頽廃を越えてレースでも王者としての振る舞いを思い出すことができるのか、アイオワ・コーン・インディ300はそれを見届けるにふさわしい準備を整えたように感じられたのである。

 最高のスタート位置を得たふたりはグリーン・フラッグが振られてすぐさま後続を引き離しにかかり、レーススピードでも優勝に値することを示している。ディクソンに関しては他のドライバーに比べてややタイヤの性能低下が大きい傾向にあり、スティント中盤以降に苦しむ姿は見られたものの、それでもチップ・ガナッシのDW12が同条件下で最速の車であることはまちがいなかった。33周目に降雨でレースが中断されても、セバスチャン・サベードラが急激な追い上げを開始したと思ったが早いかウォールにヒットして勝機を失った――このときテレビカメラが捉えたコロンビア人の表情は、インディカー・シリーズの中でもとくに印象に残る哀愁を漂わせていた――レース中盤でも、そして夜の帳が下りて気温と路面温度が急降下していただろう終盤に入っても、そのスピードは一定で、ずっと隙を見せることがなかった。このブログでは速さの証拠としてリードした周回数を持ち出すことが多いのだが、今回も同様にしてカナーンの247周、ディクソンの17周(しばしば2番手を走っていた)とふたりで90%近いラップリードを占めたのだといえば、だれだってアイオワがチップ・ガナッシのためのレースだったと首肯するにちがいない。もし昨年からレース距離が延長されずアイオワ・コーン・インディ250のままであったなら、彼らは1周0.875マイルのショートオーバルを全周回リードしてもまだお釣りが来るほどライバルを圧倒したということさえできる。

 それにしても、今季はどうも「同じこと」が起きるようだ。ウィル・パワーは5度もドライブスルー・ペナルティを科され、佐藤琢磨は自分の責任の有無にかかわらずリタイアを繰り返し、そしてこのアイオワの231周目にはマルコ・アンドレッティのホンダエンジンがテキサスに引き続き白煙を盛大に吐き出してフルコース・コーションを引き起こした。反復されるおなじアクシデントはしばしばレースの歯車を狂わせる要因になっていた(本来なら、パワーはもっと楽にポイントリーダーでいられた)が、マルコがまたしても見舞われた今回の不運に限っていえば、どちらかといえばレースを落ち着けるように思われたはずだ。つまりピットがオープンした234周目からゴールまでは66周で、満タンの燃料で73周走れることを考えると、全員がためらうことなく最後の給油へと向かえるタイミングであることを意味していたのである。先週に続いて中継の解説を担当した松浦孝亮が、このときリーダーだったカナーンについて「ピットアウトで先頭に戻れば勝機は大きい」といった趣旨のコメントを残したのも、ごく当然のことだ。ポコノでは劣勢だったピットクルーの作業もこの週末は完璧で、チップ・ガナッシはカナーンを首位のままコースに送り出したのみならず、4位を走っていたディクソンを2位にまで押し上げて最高の形で最後のスティントを迎えた。もはや最高の王者が帰ってきたと確信するのにためらう理由はなくなっていた。

 にもかかわらず、といっていいだろう。彼らは敗れてしまう。問題は燃料ではなく、ディクソンがずっとその徴候を示していたことに代表されるように曲がりっぱなしのショートオーバルによって大きな負荷がかかり、どの車のタイヤも30周程度しか走らないうちに性能低下を起こしていたことにあった。最終スティントも例外ではなく、260周あたりからすでに全体のペースが落ち込んでいる。それでもレースがグリーン・フラッグの状況下で行われているうちは(ピット作業の間に周回遅れになってしまうオーバルレース特有の事情で)だれもタイヤ交換できない我慢比べが続いたが、282周目にエド・カーペンターがファン=パブロ・モントーヤの進路をブロックしたことで発生した事故によって、展開に綾が生まれた。残り少ない周回数を考えてトラックポジションを優先しステイアウトした5番手までの車と、イエロー・フラッグを逆転する唯一の好機として新品タイヤに交換したライアン・ハンター=レイ以下数台の車へと、リードラップの隊列が2つに分かれたのである。

 グリップダウンは想像以上に激しかったようで、判断が正しかったのは結局後者だった。使いきったタイヤで前にとどまる集団に対し新品タイヤで後ろから追い上げる集団は圧倒的に速く、両者のレーシングラインは291周目のレース再開から間もないうちに何度も交錯する。そうしてついに299周目のことだ。明らかにハンドリングに苦しむディクソンをいとも簡単に料理した一昨年のチャンピオンが、グリップを失ってインサイドへ降りていくことのできないカナーンの左側をもやすやすと通り過ぎていく。最高の戦略を得たハンター=レイはこの周と300周目、たった2周だけリーダーとなって、そのままチェッカー・フラッグを頭上に戴いた。おなじくタイヤを交換したジョゼフ・ニューガーデンにも抜かれたターゲット・チップ・ガナッシ勢は、結局3位と4位でゴールし、またしても今季初勝利を逃した。そういうレースだった。

***

 最後に笑った(つまりもっとも笑った)のはハンター=レイだったとはいえ、GAORAの中継ブースにいた3人全員がいつの間にかカナーンにシンパシーを抱いて肩入れしてしまっていたことに象徴されるように、アイオワの優れた主演がクライマックスだけを攫っていった黄色い車ではなく、つねにスポットライトを浴び続けた赤い車であったことはたしかだろう。カナーンは――もちろんそれはなにより辛いことではあるが――たんに1位になりそこねただけで、きっとその他のあらゆる面では勝者だった。たとえば実況した村田晴郎の振るったコメントがレースの性質をよく表している。「先週のカナーンは戦略に負け、今日のハンター=レイは戦略に勝った」。そのとおり、カナーンはポコノのように惨めに敗れたのではない。最後のコーションでステイアウトしたのは結果的に誤っていたが、レースのリーダーがポジションを最優先で確保するのは当然の戦い方で、当初から疑問だった分の悪い賭けに身を置いたのとは違う。もっといえば、チップ・ガナッシは2番手のディクソンを保険としてピットインさせる選択もありえたのに、結局そうせずにゴール2マイルのところまで1-2態勢を保ち続けた。彼らが繰り広げたのは、逃避にまみれたポコノの再現ではなく、まぎれもなく強者のレースだったのだ。

 そんな、普通に走っていれば勝てると言わんばかりの堂々とした振る舞いに観客の勝手な視線を向けてみると、チャンピオンチームでありレースのリーダーでもある自らの気位をこそ、彼らがこのレースで守るべきものとして戦っていたように見えてくる。村田のコメントには、「カナーンはけっして負けたのではない」という心情が、これ以上なく込められているようだ。ただ完璧なレースに生じた僅かな亀裂に、偶然の展開を味方につけて「戦略に勝った」ドライバーが割り込んだ、ライアン・ハンター=レイという(チップ・ガナッシとは)別のだれかが1位を得ただけのことだったのである。

 もちろんハンター=レイが最高の「ハント」を完遂した最後の10周は、日が暮れた後のレースでもっとも興奮を誘うもので、その走りを称えるにやぶさかでない。インディアナポリス500以降の不調で一度は選手権争いから脱落しかけた彼がふたたび戦線に戻ってきたという意味でも重要な結果だった。しかしそうだとしても、やはりこのアイオワは王者が精神を充足させながら結末だけが慰みにならなかったレースとして印象に残しておくべきだと思われる。一度はレースと正面から戦うことに怯えた王者をモータースポーツという営みの強度のためにこそ軽蔑すべきだと書いたのだから、1週間後のいま、まったくおなじ理由でその敗戦を称揚するのは当然のことだ。君子の豹変は歓迎されるものである。強かったチップ・ガナッシは偶然に翻弄されて哀しみに暮れた。しかしその過程で維持し続けた美しくも清冽な1-2の隊列は、もしかすると優勝者として名前を刻むよりもよほど重要な精神を示していたに違いなかった。

 歴史に残るのは1位だけで、敗者は記憶に残らない、だから勝負は勝たなければ意味がないと言われることがある。だが観客がモータースポーツに求めるのは事後の結果ではなく、いまこの瞬間に湧き上がる情動であるはずだ。われわれはレースをつぶさに見ることで、ニヒルに満ちたそんな文句を否定してしまおう。結果としての勝者とおなじくらい精神の勝者を称えようとするかぎり、2014年のアイオワをなによりもまずチップ・ガナッシのレースとして心に留めておくことは、きっと、さほど難しくない。

インディカーに残る平面を浅いバンクのブリックヤードに見た日

【2014.5.25】
インディカー・シリーズ第5戦 第98回インディアナポリス500マイル
 
 
 先ごろ引退したダリオ・フランキッティはもちろんのこと、エリオ・カストロネベス、スコット・ディクソンやサム・ホーニッシュJr.、そして今は亡きダン・ウェルドンに昨年新しく加わったトニー・カナーンと、近年のインディアナポリス500優勝者の名前を眺めているとあたかもレース自体が自律的な意思を持ってビクトリー・レーンに足を踏み入れるべきドライバーを選びとっているような錯覚に襲われる。歓喜の輪の中で牛乳を口にする資格を、ドライバーが勝ち取るのではなくレースのほうが与えているように思えてならないということである。ただ伝統があるからというだけにとどまらず、その結末がどことなく予定的であり諦念に近い感情を生み出しながらもなにがしかの納得感と満足が広がってしまう、そんなふうに受け止められるレースはなかなか得難い。

 それにしても錚々たる面々というほかない。上に挙げたドライバーはカストロネベス以外みなインディカー・シリーズのチャンピオン経験者で、その選手権獲得数を合計すると12にものぼる。ようするに2012年を除く21世紀のインディカー・チャンピオンのすべてだ。カストロネベスにしてもCART時代から通算して28勝、3回の年間2位を記録しており、シリーズ屈指のドライバーであることは論を俟たない。彼らにかんする記憶は、ほとんどそのままインディカー・シリーズの記憶に通ずるだろう。

 牽強付会な記録の切り取り方ではあるものの、チャンピオン経験のある5人がみな選手権獲得後にインディ500を優勝したか、少なくともインディ500を優勝した年に選手権を制しているということは少しばかり興味深い。インディ500を勝つことが王者の器を証明するのではなく、王者であればこそインディ500を勝つ資格があると思わせんばかりの倒錯にこそこのレースの重さがあるといえばさすがに大仰かもしれないが、ブリックヤードの女神を口説き落とすために必要なステータスが生半可なものでないことはたしかなようである。たいていの神話の女神がそうであるように、彼女もわがままで夫にうるさいのだ。

 女神の好みのタイプがはっきりしていることは、インディ500で敗れ去った、とくに最終ラップで運命を暗転させられたドライバーの数々が逆説的に証明していよう。2006年のマルコ・アンドレッティはインディ500に恵まれない一族の枷に縛られたように父マイケルともどもホーニッシュJr.の強襲に膝を屈し、2010年のマイク・コンウェイは(優勝争いをしていたわけではないが)ライアン・ハンター=レイのリアに乗り上げて宙を舞い、2011年のJ.R.ヒルデブランドは残りわずか500mまで先頭を走っていながら、あろうことか最後のターン4でセイファー・ウォールに吸い寄せられていった。ターン1でフランキッティのインを突いて一度はリーダーになりかけた佐藤琢磨が次の瞬間スピンしたのは2012年のことだ。

 日本人にとっては残念なことに、フランキッティやディクソンとマルコや佐藤を比べれば、どちらがより「インディカーのドライバー」らしいかはおよそ尋ねるまでもないほど簡単に答えの出る、ほとんど愚問のような問いなのだろう。フランキッティたちが数々の栄光を戴いたチャンピオンだからというのではなく、彼らはある時期から自分自身の積み重ねた歴史によって、米国の郷愁という眼差しを受け止めるだけの振る舞いを手に入れたということだ。それは、前回書いたようにオーバルレースが少数派になってからF1を経てやってきた佐藤にとってすぐさま身につくものではない。佐藤が「らしく」あるには、才能よりも蓄積されたインディの密度が圧倒的に足りないのだ。あるいは偉大な祖父と父の血を継ぐマルコはこれ以上なく「らしい」のかもしれないが、しかしどうにも彼自身が自らの格を上げることができないでいる。ヒルデブランドは言うまでもない。あの瞬間、あの場所に周回遅れのチャーリー・キンボールさえいなければ彼は歴史のリストに名を連ねることができたはずなのに、インディアナポリスはそれを許さなかった。インディ500は格調高い「インディカーのドライバー」が大好きで、少しでも違うタイプにはそっぽを向いてしまう。それも、さんざん色目を使ったあげくのはてに、残酷なまでの失望を叩きつけて。
 
 
 ロードコースを開放したことで「二重化」されたブリックヤードでエド・カーペンターがポール・ポジションを決めたとき、それはあまりに象徴的でできすぎた脚本に見えた。もちろん予感がなかったわけではない。単純に彼は昨年のポールシッターで、今年からはオーバルのスペシャリストとして参戦を継続するためにシーズンの3分の2を占めるロード/ストリートへの出走を諦めて、インディ500を含め年間たった6回のレースに賭ける覚悟を決めたドライバーである。自ら所有する20号車のシートをオーバルから引退したコンウェイと分け合い、今季初めてコクピットに収まった彼の意欲が並々ならぬものだったろうことを思えば、現象としての予選最速スピードはなんら不思議なことではないはずだった。

 しかし、オーバルとロード/ストリートでシートを分けるというその参戦形態は、まさにその2種類のコースでレースを行うようになったインディアナポリス・モーター・スピードウェイやひいてはインディカーそのものの二重性をなぞるように表象してしまっているようでもある。コンウェイとカーペンター――イギリス人とアメリカ人、GP2を生き抜き、ル・マンでも活躍するドライバーとオーバルでしか生きられない男、そんなふうに正反対の要素を挙げることはできるが、ほとんど不倶戴天でさえありそうな彼らがおなじカーナンバー(なんとも悪い冗談のように、それは日本語で「にじゅう」と発音する)に同居できるほど二重化しながら精神の拠り所を見えにくくしているのが、いまのインディカーということなのだ。オーバルを走らないコンウェイにきっと米国の眼差しが向けられることはなく、カーペンターがシリーズを手に入れることもけっしてない。まして、ロードコースで行われたインディアナポリスGPでシモン・パジェノーがヨーロッパ的な才能を見せつけて優勝した2週間後のインディ500である。インディカーの精神からブリックヤードが剥離していくかのような状況、20年前とよく似た状況でカーペンターが手に入れたポール・ポジションは、もしかすると、今年のインディ500に調和的な勝者は現れないのではないかという予感を抱かせもした。

 実際、149周目まではそうだったかもしれない。すべてのチームが必要なダウンフォースのレベルを読み違え、過剰なグリップで車を振り回すことができたことで、レースはまったくフルコース・コーションが出ないまま、しかし同時に周回遅れによって勝負権を失う車もないほどスピード差も現れずに進んでいた。インディ500にかぎらずオーバルレースが終盤の入り口までは遅い車や不運に見舞われたドライバーを篩いにかけて選り分けるための実質的な予選だとするなら、レース4分の3になってはじめてイエロー・フラッグが振られたとき、「決勝」には大量の車が残っていた。もしこのあたりで女神がちょっとした気まぐれを起こしていたら、思いもよらぬ勝者が現れた可能性はたしかにあった。クラッシュで飛び散ったターゲット・チップ・ガナッシの破片が不運にもフロアーに刺さらなかったら佐藤にチャンスがあったかもしれないし、ひとり異質の戦略で不気味な存在感を放っていたファン=パブロ・モントーヤがいつの間にか先頭に立つような展開もあったかもしれない。昨年ルーキーとして活躍したカルロス・ムニョスには今年も上位を窺えるだけのスピードがあり、マルコはさらに一回り速かった。

 だが結局、レースはあるべき者のもとへ手繰り寄せられていくのだろう。167周目にスコット・ディクソンが単独スピンでセイファー・ウォールの餌食となり、そのコーションが明けた175周目に今度はジェームズ・ヒンチクリフとカーペンターがクラッシュしたことで、インディ500は燃費や効率や戦略を打ち捨てた、ただ純粋にゴールまで全開の速さを競う勝負となった。二重のカーナンバー20が消えたことで生まれた25周のスプリントは、というのは皮肉がすぎるものの、レースからは重層性が奪われ、水平の戦いへと押し拡げられていく。そして、そういうレースを戦うにふさわしいドライバーとして、ライアン・ハンター=レイとエリオ・カストロネベスだけに首位攻防が与えられ、われわれを誘っていったのだった。

 決着はたぶん、ちょっとしたことである。速さだけ見ればわずかにハンター=レイが上回ったが、それでもお互い相手を突き放すだけのスピードは持てなかった。多すぎたダウンフォースは最後まで削りとれず、直線で逃げることが不可能ななか、ターン1ではそうなることが当たり前のようにオーバーテイクが繰り返されていた。だから、タイミングだけが明暗を分けたということにしてもいいだろう。カストロネベスは199周目のターン4を先頭で立ち上がったが、それはやはり早すぎた。後方から勢い良く迫るハンター=レイは200周目に入る手前でカストロネベスを抜き去り、ターン1を制する。その先を逃げ切ることはさほど困難ではなかったはずだ。それぞれに性質の違うインディアナポリス・モーター・スピードウェイのコーナーは、残り3つの間に次の機会を用意してはくれなかった。
 
 
 インディ500の優勝者の名前を見ていると、レース自体が優勝すべきドライバーを選びとっているように錯覚してしまう。来年のインディ500の記事も、今日とおなじような書き出しで始められることだろう。少し粗雑で頼りなく感じるときもあった2012年のシリーズ・チャンピオンは0.06秒差でライバルを振り切った。ハンター=レイは自らの価値を証明し、21世紀のチャンピオンはこれでまた全員がインディ500優勝者のリストに名を連ねることになる。これこそインディカーらしい結末だったに違いない。二重の衣を剥ぎとってみることができるのであれば、ブリックヤードの女神は最後にやっぱりそういう男を祝福してしまうのだ。

たった一瞬の勇気が人をチャンピオンにする

【2012.9.15】
インディカー・シリーズ最終戦:フォンタナ・MAVTV500
 
 
 ライアン・ハンター=レイがチャンピオンに足る資格を持っていた時間は、そう長くはなかった。ウィル・パワーに対し17点ビハインドで迎えた最終戦の残り21周までシリーズ逆転には届かないポジションを走っていたという意味でもそうだし、シーズン全体で見てもポイントリーダーでいた期間は短く、スピードに恵まれてもいなかった。それこそ第8戦から第10戦にかけて3連勝を記して首位に立ったときすら、どちらかといえば幸運によってもたらされた、いわば盛夏の前の一時的な綾であって、彼がダン・ウェルドンの遺作DW12で争われる2012年を制するなどちょっと考えにくいと思われたものだった。

 結局、シーズンが終盤に差し掛かると、速さと信頼性を兼ね備えたウィル・パワーが、ピットの位置やイエローコーションの不運に泣かされながらも3戦連続で表彰台を守ってリーダーの座を奪い返し、初めてのタイトルに地歩を固めつつあった。第14戦のボルティモアでハンター=レイが4勝目をあげ、ペンスキーが天候を読みきれずにタイヤ選択を誤りパワーを6位に終わらせたことで数字上は希望の残るポイント差で最終戦にもつれたとはいえ、シリーズが覆るほどの見通しは感じられない、というのがわたしの正直な感想だった。この勝利にしたところで、雨の中スリックタイヤで踏みとどまる作戦が的中し――もちろんスリッピーな路面を破綻なく走り切った技術は賞賛されなければならない――、イエロー・コーション明けのリスタートであわやジャンプスタートに見えたところを不問に付され、はてはオーバースピードでターン1に突き刺さりかけた(DHLのステッカーを貼ったマシンで、DHLの看板に!)ところをあやうく逃れた末のもので、逆転の予感を抱かせるには物足りなかったのである。

 ハンター=レイが、積み重ねたポイントに比して強い印象をもたらさなかったのは故ないことではない。予選で上位に来ることは少なく、決勝もスピードより戦略で……いやもっと言えば運によってライバルを押さえ込んだレースがしばしばあった。象徴的なのは第10戦トロントで、ルーティンをずらして早めに給油を行った直後にフルコースコーションとなり、アンドレッティ・オートスポートのマシンは労せずして先頭に立ったのである。たとえば、ハンター=レイは2012年のシーズンにおいて153周しかラップリードを記録していない。少なすぎるというわけでもないが、しかし419周をリードしたスコット・ディクソンの4割にも満たず、タイトルを争ったウィル・パワーの283周に対して半分強でしかなく、チームメイトのエリオ・カストロネベスの237周に負け、シリーズ17位だったアレックス・タグリアーニの93周の160%に過ぎなかった。何より自らが完了した1722周のうち8.8%しかリードしていない。レースに展開の綾というものがあるのなら、それに都合よく助けられがちだったのがハンター=レイで、裏切られつづけたのがパワーだった、と言ってもそう的を外してはいないだろう。

無作法もいささか目についた。第13戦ソノマでは終盤のリスタート明けにタグリアーニの無遠慮で軽忽なアタックに撃墜されてポジションを失い、レース後相手のピットに乗り込んでさんざん口論を繰り広げたが、何のことはない、ロングビーチでまったくおなじことをして佐藤琢磨をスピンに追いやったのはハンター=レイ自身なのだ。だから我慢して口をつぐめというのは飛躍だとしても、なるほど天野雅彦の言うとおり王者にふさわしい振る舞いには見えはしない。こういった行状を振り返れば、最終戦に持ち越されたチャンピオン争いは、しかし17という点差ほど白熱しそうもなかった。

***

 オート・クラブ・スピードウェイのトラック上でウィル・パワーがライアン・ハンター=レイと争っていたポジションは13番手で、チャンピオンの行方とはまったく無縁だった。56周目に、オーバルを得意とはしないパワーがインサイドで見られる典型のようなスナップスピンでセイファー・ウォールの餌食となってもなお、その道連れをすんでのところで逃れたハンター=レイに課された使命は6位の確保であり、彼の示していたスピードはその実現の困難を物語っていた。事実この日はじめて導入されたフルコース・コーションまでのあいだに、ハンター=レイはトップからおよそ半周、30秒の遅れを背負っていたのである。

 ハンター=レイにとって幸運があったとすれば、この日のフルコース・コーションがおおむね望ましい頃合いに導入されたことだった。パワーがクラッシュした56周目にはじまり、74周目、108周目といったタイミングは、ほとんどすべてのチームにステイアウトではなくコーション中の給油を選択させた。それはハンター=レイ自身にとっても例外ではなく、突飛なギャンブルに出て失敗するリスクを考慮せずともイエロー・フラッグのたびに失ったギャップをリセットすることができたのである。パワーが一時的にレースに復帰してポイントを積んだことで逆転王者の条件はさらに厳しく5位へとかわったが、それでもなんとか、周回遅れという決定的な終戦を逃れることはできていたのだった。

 ただ、何度リスタートがかかっても、ハンター=レイが戦闘力を発揮して王者への渇望を見せる瞬間は来なかった。182周目にライアン・ブリスコーがオーバーステアによって壁に向かっていったとき、8位を走っていたハンター=レイはまたも20秒のビハインドを背負っており、スピードに欠けることは明らかだった。ピット作業によって6位に上がったにもかかわらず、190周目のリスタートでやはり加速と同時に前のマシンからあっという間に引き離された上に後方から4人のドライバーに脅かされて、順位を失うのは時間の問題に思えた。隊列のラインがインとアウトに大きく分かれ、また合流することを繰り返す独特の見栄えのバトルが展開されるこのハイスピードオーバルのレースをテレビで見ながら、わたしはまだハンター=レイがシーズンを制することをまったく信じることができなかった。

 アンドレッティ・オートスポートのスピードに逆転の光明を見出すことは不可能なはずだった。190周目、グリーン・フラッグと同時にハイサイドのトニー・カナーンから執拗にアタックを仕掛けられ、ハンター=レイは中央にラインを取った。グラハム・レイホールにドラフティングに入られる。チームメイトのマルコ・アンドレッティにインサイドを押さえられた。前では佐藤琢磨とアレックス・タグリアーニが接触せんばかりの接近戦を繰り広げている。行き場はなかった。激しいバトルのさなかに放り込まれて、ハンター=レイは5台に囲まれた。集団の中で、劣勢は明らかだった。

 だが彼は、この日初めてチャンピオンのための戦いを見せる。乱気流の中心という極めて危険な位置を走らされ、次の瞬間フロントのダウンフォースが抜けてすべてを失ってもまったく不思議はなかった。それでもなお、ハンター=レイは自分の空間を譲らなかった。最大のリスクに晒される場所で、臆することなくスロットルを開け続けたのである。トップ5に通用するスピードはまだなかったが、前だけを見つめて6位を守り続けた。ダーティー・エアーを浴びながらも後続を紙一重でしのぎ続けるその姿は、とても感動的な、今年のモータースポーツでも白眉となる美しい苦闘だった。

 そして勇気は報われる。229周目、3位を走っていたタグリアーニのホンダエンジンが白煙を吐き出した。ハンター=レイはとうとう、2012年の権利を得たのだった。

***

 ウィル・パワーは、無力な最終戦によってチャンピオンを失った。2年前と同様にリーダーとしてスタート・コマンドの声を聞いたにもかかわらず、やはり2年前と同様に自らの愚かなミスによってキャリアの頂点を台無しにした。レースで有利な立場にいるドライバーがしばしば犯しがちなように、ボルティモアでコンサバティブになりすぎ、フォンタナで戦いに加わる気力を持てなかった。リアを潰したマシンから降り、ピットへと戻ってきた彼の顔からはすでに勇気が失われていた。堂々とリスクを受け入れ、それを乗り越えたハンター=レイに対し、パワーが喫したスピンはあまりに繊細にすぎたのだ。彼は、モータースポーツが紡ぐ因果の報いを正当に受けたのだろう。トラックに留まらないドライバーに勝利が与えられることなど、決してありはしない。

 結局、ライアン・ハンター=レイがシリーズをリードしていたのは、夏の1月ほどと、あとはシーズン最後の20周だけのことである。だが失うものが生まれた最後の20周で、彼はすべてのリスクを追い求めて、乗り越えた。235周目のリスタートで佐藤琢磨にバトルを仕掛けてハイサイドに張りつく。インサイドで事故が起これば巻き込まれかねないラインを恐れずに走り続け、スピードでは敵わないはずだった佐藤を制した。240周目、カナーンのクラッシュとともに突如示された赤旗中断も、もう関係無かった。残り8周、ふたたび佐藤琢磨との壮絶なバトルに身を委ね、彼は堂々たるチャンピオンの資質を示した。喪失に恐れを抱かず、勇気とともに前だけを見据えるドライバーにこそ、勝者の資格がある。2012年最後の20周で、ハンター=レイはたしかにチャンピオンとして生まれたのである。250周目のことだ。まるでインディ500のファイナルラップを再現するかのように、インサイドの佐藤琢磨がリアを振り出してスピンに陥った。タイヤスモークとともにレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングのマシンがセイファー・ウォールへ突き進んでいく。間近で起こった最後の危機も、全開のスロットルでかいくぐった。ファイナルラップで起きた混乱の中、レースの決着をチェッカーより一足先に告げる最後のイエロー・フラッグが振られたそのとき、ライアン・ハンター=レイは、もう4位を走っていたのだった。