アレックス・パロウが2010年代に別れを告げる

【2021.9.26】
インディカー・シリーズ第16戦
アキュラ・グランプリ・オブ・ロングビーチ
(ロングビーチ市街地コース)

何が5年なものかと毒づきたくもなる。言うまでもなく、自分のあまりの見識のなさに呆れ果ててのことだ。昨年7月に行われたロード・アメリカ・レース1の後、ライアン・ハンター=レイを2度にわたる鮮烈なパッシングで退け、デビューわずか3戦目にして3位表彰台を得た期待の新人に対して、「ターン1の先に5年後のインディカーを見る」と題した文章を書いたのだった。5年。まったく浅はか極まるではないか。冗談ではなかった。5年どころかたった1季のうちに展望は現実へと投射され、その対象はいま、もうすでに頂上に立っている。アレックス・パロウ、チップ・ガナッシ・レーシング所属、2021年インディカー・シリーズ・チャンピオン。去年の夏からすべてが変わろうなんて、想像もつかなかった。不見識とは想像力の欠如だ。

 もちろん、最大級の称賛のつもりだったのである。あのロード・アメリカの、44周目のリスタートにあったのは本当にすばらしい運動で、2012年のチャンピオンからイン側の芝生に追い落とされるほどの厳しい防御に晒されてもなお居場所を主張して先行すると、ターン1に向けて窮屈なラインでの進入を余儀なくされながら、的確な操作をもって不安定に揺れる車をコースに留めたのみならず、進路を交叉させて抜き返そうとしてくる相手の空間をも巧みに消しながら次の直線へ加速していったのだ。抵抗の余地を与えない攻防が一体となったその美しい旋回は、たった一度だけでパロウに備わる無限の才能をインディカーに示すものだったと、いまも断言できる。結局、このリスタートは直前にコースアウトした車がいたため無効となっていまい、順位も元に戻されてこのやりとりは徒花に終わったが、それ自体が運動を毀損するようなことは当然なく、続く再度のリスタートでパロウはまたハンター=レイ完璧に抜き去って、正真正銘3位を手に入れた。2020年のシリーズでも出色の、華やかな未来を予感させる場面だった。

 その「未来」を5年後と書いたのは、皮肉でもなければパロウを見くびったのでもなく、時代が移行するのにそれだけの年月がかかると思ったからに他ならなかった。なにせ、オーバルレースの減少をはじめとした環境面での激変とは裏腹に、ドライバーの顔ぶれという点で見れば、2010年代のインディカーに流れる時間はことさらゆったりとしたものだったのだ。10年を遡り、2009年から3連覇を達成したダリオ・フランキッティの能力に翳りが見えはじめてから引退するまでの移行期を思うと、新しいヒーローが現れたわけではなく、彼と直接しのぎを削った宿敵たちが引き続き主役を担っただけだったと気づく。アンドレッティ・オートスポートから新たにチャンピオンとなったハンター=レイはチャンプカーから数えればもう10年近い経歴を持ち、チップ・ガナッシ・レーシングでフランキッティのチームメイトだったスコット・ディクソンはすでに2度のチャンピオン経験があった。もうひとつの強豪であるチーム・ペンスキーに目を転じれば、エリオ・カストロネベスなど20世紀から走っており、ウィル・パワーはフランキッティ最大のライバルとして強固な地位を確立する存在だった。彼らは2010年代の初頭ですでに30代を迎えるベテランで、しかしみなその年代の終わりまでおなじチームに留まった。強豪チームの、少なくともひとつのシートが、ずっと固定されたままの10年間だった。

 新しい名前がなかったわけではない。ジョセフ・ニューガーデンやシモン・パジェノーといったチャンピオン経験者、あるいはインディアナポリス500を2度優勝することになる佐藤琢磨は、2010年代からの「新参者」だ。しかし彼らはインディカーの上位に辿りつくまでに、相応の時間を要した。パジェノーは2007年の1年間チャンプカーの参戦経験があり、4年ぶりにインディカーへ来たときすでに27歳になっていたし、ニューガーデンは21歳のデビューから――デビュー3戦目でのフロントロー獲得という印象深い出来事もあったとはいえ――初優勝までに3年強を費やし、チャンピオンになるまでにはさらに2年をかけなければならなかった。振り返れば着実に少しずつ前進していったと感じられる経歴さえ、しかし当時は最短で完成させた出世物語に見えたほどだった。見えただけなく、この年代に20代でシリーズを制したのはニューガーデンしかいないのだから、事実目を瞠る早さだったのだ。そしてもちろん、33歳の元F1ドライバーとしてインディカーを歩みはじめた佐藤が歓喜の500マイルに至るまでに、どれだけの曲折があったことか。

 この時期に突如として現れ、階段を駆け上がっていったドライバーを上げるなら、新人の年にインディ500に優勝したアレキサンダー・ロッシくらいだろうか。しかし佐藤と同じくF1経験を持つ彼も、アンドレッティ・オートスポートに移籍した当初の華々しさは少しずつ影を潜め、上位を賑わしはしてもなかなか勝利に手が届かない状況で30歳を迎えて、苦労人の雰囲気が漂いはじめている。今季の表彰台はポートランドで登った2位の一度きりで、シリーズの順位は年々下がるばかりだ。ロッシでさえそうなのだから、いまのインディカーでキャリアを結実させるためにかかる期間の長さをどうしても考えてしまう。参戦の機会を得て、煌めく才能の欠片をどこかで表し、勝てるチームに見出されて移りようやく結果を残す。そうなるまでにはおおむね7年、8年、早くても5年といった歳月が必要なのだと。もちろんそれはどのカテゴリーでも変わらない経路ではあるのだろうが、それにしても2010年代のインディカーはことさらにいつも見慣れた名前が連なっていて、時間が止まっているように感じることもあった。(↓)

 

 

 2019年のコルトン・ハータの登場が、そうしたある種の停滞を打破したことはわかる。デビューわずか3戦目の、19歳にもなっていなかった彼がサーキット・オブ・ジ・アメリカズで上げた初優勝は、時代の変わる兆しだったのだろう。衝撃のデビューを果たしたハータは翌年にはもう選手権3位に入り、見る間にアンドレッティのエースへと上り詰めた。今季は自身のミスや作戦の失敗に苦しんだものの、最多タイの優勝3回は、すでにシリーズの中心的存在であることを示すに十分だ。この最終戦ロングビーチでも、速いタイヤを履いたスティントでリーダーを追い詰めて逆転し、遅いタイヤに履き替えた最終盤でのペース低下を最小限に食い止める感嘆のレースぶりで有終の美を飾った。まだ21歳。ニューガーデンが欧州下位フォーミュラから母国に戻りインディ・ライツに参戦したときと同じ年齢だと確かめると、あらためてその若さに唖然とする。あるいはハータの初優勝と同じ年に日本のスーパーフォーミュラと並行してパートタイムでシーズンの約半分を走ったパト・オワードは、2020年にアロー・マクラーレンSPに移るやいなや4度の表彰台を獲得し、フル参戦2年目の今季は2度の優勝を記録して最後まで選手権を争った。その経験の浅さもさることながら、ペンスキーとチップ・ガナッシがチャンピオンを独占し、すぐ後ろをアンドレッティが追随する構図がずっと続いてきたインディカーにおいては、明らかに異質な躍進だった。

 当たり前のことだが、10年経てば人は10歳の年を取る。まして30歳のレーシングドライバーが40歳になるというなら、キャリアの終わりを視野に入れざるを得なくなる。いまは、変化が少ないままにみなが10個ずつ年齢を重ねた2010年代の反動が噴出する頃合いなのだろう。端境期はいつか訪れる。ディクソンやパワーが40歳を過ぎ、ニューガーデンすら30歳になった。若手が台頭する環境が急激に整い、実際にハータやオワードといった新星がベテランに取って代わる。流行が変わっていることに疑いの余地はない。

 そうだとしてもだ。パロウの躍進をどの時点で想像すればよかったというのだろう。彼が初めて獲得した表彰台に5年後を想像したのは、この10年間の移ろいかたを自然と次世代にも当てはめていたからだった。そしてハータやオワードから遅れてデビューした2020年の結果だけを見るならば、それはけっして的外れでもないと思っていた。ロード・アメリカの2日間で得た3位と7位はもちろんたしかな能力の証明だったが、それを除けばインディアナポリスでの9位が最高で、唯一の1桁順位だったのだ。つまり彼の1年目は下位チームで煌めく才能を一瞬だけ発揮し、少しずつキャリアを形成していくための第一歩でしかないはずだった。それがどうだ。パロウはすぐさまチップ・ガナッシに見初められ、初優勝を上げたばかりのフェリックス・ローゼンクヴィストの代わりに2021年の契約を勝ち取り、ディクソンのチームメイトとなった。「悲願の」「待望の」などと言うには早すぎる、2年目にして得たトップチームのシート。ニューガーデンが、2010年代唯一の20代チャンピオンが5年かけて辿った道を、彼はたった1年で踏破してしまったのである。

 早さに戸惑わずにいられない。パロウは移籍緒戦のアラバマで初優勝を上げて契約の正しさを証し、のみならずその先もずっと高いパフォーマンスを表して、チームを牽引していってしまった。いや、「しまった」などおかしな表現だとわかっている。だが2010年代、もう少し正確にはフランキッティが衰えて以降のチップ・ガナッシ・レーシングは、結局ディクソンがすべてのチームだった。彼と組んだ相手は10人近くに及び、そこにはトニー・カナーン、グレアム・レイホール、ローゼンクヴィストといった名だたるドライバーも含まれたが、だれひとりとしてディクソンに敵わず、みなしばらくするとチームを去った。そういった経緯があった中で、にもかかわらずパロウはインディカーの歴史上最高峰のドライバーであるチームメイトを凌駕した――し続けてしまったのだ。それがチームの期待どおりだったのか、想像以上の能力による嬉しい誤算だったのかは知る由もないが、これまでに見もしない光景だったことだけはたしかだった。(↓)

 

戦いを終えて、新たな英雄が帰ってくる。胸に去来するものはなんだろうか

 

 パロウは2021年の最終戦である9月のロングビーチに、ポイントリーダーとして臨んでいる。8月のインディアナポリスとマディソンで喫した責任外の連続リタイアで一度はその地位を失ったが、何一つ動じることなくポートランドの優勝とラグナ・セカの2位で取り戻し、35点の差をもって迎えたフィナーレだった。チャンピオン決定戦と称するにはいささか大きな点差で、しかも直接の相手であるオワードが早々にトラブルに見舞われてしまったおかげで、このレース自体にパロウの見どころは訪れなかった。スタートの10番手(その順位のまま終わっても問題はなかった)から成り行き任せに4位まで浮上し、静かにフィニッシュしただけだ。その見どころの必要ない安楽さはパロウ自身が力強く1年をかけて作り上げてきた状況そのもので、ぎりぎりまで細い希望を手繰り寄せようとしたニューガーデン――選手権3位で最終戦をスタートした彼が逆転するには、最多ラップリードを取りつつ優勝し、かつパロウが25位以下に終わる必要があった――が演じなければならなかった張り詰めた抵抗とは対照的な、余裕のある、堂々とした振る舞いだった。計算上は68周目に入った時点ということになるのだろうか、18周遅れで走行していた25位のリナス・ヴィーケイをパロウが下回る可能性がなくなって、選手権争いは事実上決定した。残された周回は余韻となり、もう、チェッカー・フラッグまで優雅なドライブを楽しむだけでよかった。

 ロード・アメリカの、あのすばらしいターン1を思い出す。コース外に押し出されタイヤが砂煙を巻き上げながらなお退かなかった減速、乱れた姿勢を一瞬で収めた旋回、巧みなライン取りで相手を制した加速。才能が溢れるひとつひとつの運動が見据えていた未来はたった1年先だった。その短い射程に、変化を実感しつつもまだうろたえてしまう。2013年、とはこのブログの本格的なはじまりという恣意的な区切りに過ぎないが、ともかくもそれ以降、ペンスキーのドライバーとディクソン以外の手に渡ったはじめてのチャンピオン、あるいはチップ・ガナッシでディクソンを打ち破ったはじめてのチームメイト。そしてもちろん24歳という若さと、短すぎる2年のキャリア。パロウが覆したものは、おそらくここで書き続けてきた130以上の文章のすべてだった。たしかに「5年後」など不見識もいいところだが、2010年代のインディカーを知るひとりの観客にとってみれば、それより短い区切りで何かが移りゆく可能性を考えられるはずもなかったのだ。だが結局、パロウはそんな愚かな想像をやすやすと越えて、新たな時代へと飛んでいってしまったのである。■

 

 

Photos by:
Joe Skibinsiki (1 – 3)
Chris Owens (4, 6)
James Black (5)

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