cf. St. Pete, 2022

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【2022.2.27】
インディカー・シリーズ第1戦

ファイアストンGPオブ・セント・ピーターズバーグ
(セント・ピーターズバーグ市街地コース)

ここでインディカーについて書くことはいつも、現在と呼ばれる頂上から四方に広がる麓へと手を差し伸べて過去を引き寄せ、両者を接続する営みと不可分だった。いま行われている最中のレースをただひとつの出来事として捉えるのではなく、そこに至るまでの過程によって語ろうとする試みに、筆を弄してきた気がする。もう5年近く前になるか、年間参戦の第一線から退いたエリオ・カストロネベスに向かって届くはずのない恋文を認めたのはその最たるものだったろうし、あるいはセント・ピーターズバーグについて、ほとんど手癖のようにウィル・パワーのポール・ポジションと、予選と対照的に順位を下げてしまう決勝について連ねてきたのだった。過去を幾度と参照し、過去の出来事を繰り返しながら気づけば10年近く、モータースポーツの発展にとって無益な、有用な情報もなければ体系的ですらない、たんなる随想をただ書いている。職業ジャーナリストや評論家ではない一介の観客に、いま起こっている事象を正しい情報へ翻訳して読者に供するのは困難で、過去を繰り返さなければこれだけの、「長い」と言って憚るまい期間は続けられなかったはずだ。追憶ばかりを頼みとするのは少々感傷的で、現在に対する不誠実な瞞着であるかもしれないが、それが現在を照らすときもあろうと、なかば無理やりに信じるところもある。

 昨年、インディカー・シリーズを制したアレックス・パロウについてほとんど書く機会がなかった。戴冠という明確な結果を残した最終戦を除けば、わたしはとうとうその存在を主題とせずにシーズンを終えたのだった。意図的だったのかどうかは自分でもわからない。いずれにせよ書かなかった。勝利を飾った3つのレース――そこにはパロウ自身のキャリア初優勝であるアラバマも含まれる――でさえ、視線はさまよい、勝者ではない別の誰かや、もしくはレース自体の不可解な成り行きへと逸れた。いくら勝利がレースの運動におけるすべてではないと信じているとしても、チャンピオンをここまで「無視」してしまった年は他にない。

 意図的にせよ無意識的にせよ、勝者であるはずの存在をかくも捉えそこねたのは、アレックス・パロウなる名前がインディカーの文脈にほとんど何も持っていなかったからだ。存在を軽んじるのではない。単純な事実として、パロウは母国のスペインを含めた欧州でキャリアを歩みはじめ、日本のトップカテゴリーに辿り着いたのち、そこで得た縁を伝って2020年にインディカーに来たばかりの若者だった。インディ・ライツを経由したわけでもない彼のレース人生にまだ米国は含まれておらず、過去の頁は薄すぎた。一昨年、デイル・コイン・レーシングでデビューしたパロウについて書いたのは一度だけだ。ライアン・ハンター=レイ――インディアナポリス500とシリーズの両方を制したこの名前もいよいよ歴史の碑銘となろうとしている――の激しい防御をかいくぐり、結果的にはじめての3位表彰台獲得へと繋げたロード・アメリカ・レース1のターン1は、たしかに彼自身の秘めたる才能を証した場面だった。しかし鮮烈だったその旋回も、2021年において直接参照される機会はなかったように思える。パロウはたった1年でチップ・ガナッシ・レーシングへと移籍すると、トップチームの一員にふさわしく巧みで力強い走りを披露し、いくつかの不運に見舞われ、逆にときには幸運に恵まれて頂上まで登りきった。だが、その中核をなしたのは2年目とは思えぬほど堂々とした風格であって、おそらくロード・アメリカの過剰なまでに純粋な運動ではなかったのだ。それは一個のレーシングドライバーに関してみればすばらしい進展だった一方で、麗しい新人時代の記憶をすぐさま上書きし、観客の記憶を振りほどいてしまう変遷でもありえただろう。おなじ若年のチャンピオンでも、2014年のミッドオハイオを始まりに、ひとつずつ里程標を築きながら進んでいくさまを見届けたジョセフ・ニューガーデンとは、そこが決定的に違った。愛しそびれた、と言えるかもしれない。愛着が思い出の積層ならば、パロウに対しては重ねる間もなかった。

***

 参照先を欠く。昨年のパロウに対する戸惑いは、いま2022年の開幕戦にも続いている。セント・ピーターズバーグで圧巻のポール・トゥ・ウィンを決めたスコット・マクロクリンもまた、インディカーには何も持たない2年目のドライバーだったからだ。オーストラリアのスーパーカーズ選手権3連覇を経てインディカー転向の希望を叶え、チーム・ペンスキーからデビューしたマクロクリンの昨季は、しかし率直に惨憺たるものだった。全16戦のうち11戦で2桁順位に終わり、5位以内がオーバルレースで獲得した2回きりでは、ほかでもないペンスキーのドライバーとしては及第点に程遠い。何より、彼には自らを基礎づける運動を表す瞬間が見当たらなかった。唯一の表彰台となったテキサスは、オーバルらしくイエロー・コーションによって順位をかき混ぜられ、優勝から大きく隔たった2位で、数字以外に肯定的な評を与えられるものではなかった。ミスも少なかったとは言い難い。本人自身も、オープンホイールへの適応には困難を極めたと口にしている。(↓)

 

昨季予選5位が最高だった新人が、2年目にしていきなりポール・ポジションを獲得。スーパーカーズ選手権の英雄がついに本領を発揮した

 

 ほとんと義務のようだったルーキー・オブ・ザ・イヤーは獲得したが、チームの規模がまるで違い、そのうえオーバル3レースを欠場したロマン・グロージャンとの差は僅かだった。経歴と立場を思えばマクロクリンはパロウ以上に語りを与えられないドライバーで、活躍の予感はまだどこにもなかった。それがどうしたものだろう。苦難の時間を過ごしたツーリングカーの俊英は、予選最後のターン10で凡庸な印象を一変させた。ひとつ間違ってアンダーステアに陥ればすぐそこに事故が待ち構えるこの左コーナーに対し、マクロクリンは壁に右輪をこすらんばかりに寄せながら正確に減速して進入すると、左側の縁石をかすかに、姿勢を乱さぬよう踏み越えたのち、出口の壁を掠めて立ち上がっていったのである。右手から届く高い日差しがコースに幅の狭い影を落としているその暗い際で右の前輪がぴたりと収まり、白い壁に車体の赤色がうっすら投げかけられる。見ているだけで身体に緊張が走るわずか数秒の車載映像は、スコット・マクロクリンがインディカーに刻んだ――少なくともわたしがそれと認識した――最初の足跡であっただろうか。壁とタイヤの隙間が1インチにも満たないような、たぶんだれよりも危険に接近した勇気ある旋回に、報酬はすぐさま与えられた。ターン11と12を軽快に駆け抜けた先でチェッカー・フラッグが振られた直後、59.4821秒のラップタイムとともにマクロクリンの名前は1列目に表示された。

 昨年の予選最高位は5位にとどまり、それどころか大半のレースで15位以下に終わったというのに、レーシングドライバーは突如として変わる瞬間がある。市街地コースの不規則な路面にも乱れないブレーキングと、正しいラインをなぞって外れないステアリングの動き。車と自分の操作の両方への信頼がなければ不可能であろう象徴的な運動は、決勝においても貫かれた。白眉は最初のスティントにある。インディカーでははじめてとなる開けた視界のスタートで、ターン1への進入だけは慎重になりすぎたか3番手からドラフティングに入り込んできたコルトン・ハータの並走を許したが、左に切り返すターン2を外から被せながら抑え込んで譲らなかった。そうして、あとは勝利への軌道に乗っていく。先頭の特権で消耗の激しいオルタネートタイヤをコントロールし、後続より着実に速いペースを刻んで差を広げた。20周目に隔たった6秒は、たとえその先に不運が待ち構えて勝利がこぼれ落ちることがあるとしても、このレースはマクロクリンについて語られるべきだと確信させる大差だった。

 実際、不運の可能性があり、敗北の予感も襲ってはきた。寿命の長いプライマリータイヤでスタートしたパワーがハータを抜いて2位に浮上し、マクロクリンとの差を詰めはじめた25周目に導入されたこの日唯一のフルコース・コーションは、最初のピットストップを早めて3ストップに活路を求めた集団を浮上させる道を残した。それでなくともコーション中、2ストップ勢が一斉ピットを行った際に上位3台がピットロードで接触した混乱を突いて、パロウがパワーを挟んだすぐ後ろに迫っていた。レース再開を迎えてみれば33周目で、かろうじて残り1回の給油で済ませられる距離を残すのみだったから3ストップの集団を気にかける必要はなくなっただろうと見えたが、新チャンピオンの圧力からは逃れようがなかった。リスタート直後の34周目、パロウは直角のターン4への深いブレーキングでパワーを外側から封じこめて逆転を果たす。2年前のロード・アメリカを喚起する、インディカーの中から参照された強度の高い運動が、マクロクリンを追い詰める契機となった。

 背中が脅かされる。重層的な物語を身にまとったパロウに対して、語りの途上にあるマクロクリンの存在は、いかにも頼りなげに見えた。互いの差は1秒にも満たず、ときに0.5秒を切った。だが、マクロクリンは強敵を真後ろに置き続けた。ピットストップのタイミングが1周だけずれた65周目を除いて、すべての周回でそうし続けたのだ。3ストップ勢に頭を抑えられていた45周目にも、ようやく先頭に戻り、2人同時にベストラップを叩き出した63周目にも、パロウとチップ・ガナッシが渾身のピットストップを終えてコースに合流した66周目にも、80周がすぎても、周回遅れが目の前にちらつきはじめた96周目でも、そして白旗がはためく100周目になっても、レースがいくら進んでも2人の前後が入れ替わることはなかった。2人のあいだに割って入る者もまた、だれもいなかった。レースが終わりを迎えようとするころ、パワーは4秒後ろに離れ、さらに後方のハータは15秒先へと遠ざかっていた。チャンピオンはただひとり、ほんの少し前には不甲斐ないばかりだった新人を追い続け、そしてとうとう何も起こらずにチェッカー・フラッグへと至った。

***

 もちろんマクロクリンの優勝そのものに非の打ち所はない。物理的な勝因も、素人考えでいくつか挙げられるだろう。燃費レースとなってオーバーブーストのプッシュ・トゥ・パスを使いにくい展開になったこと、マクロクリンがプライマリータイヤをよく使い、トラクションを生かして相手に決定的な機会を与えなかったこと、あるいは終盤に現れた周回遅れが先頭の頭を抑えた一方で、2番手から仕掛けるのにも邪魔になりうる距離感にあったこと? レースの現象ひとつひとつを見ていればそういった納得が導かれるほど、最終的なタイム差よりもマクロクリンの立場はよほど安泰で、危ない場面はほぼ皆無だった。順当な勝利だ。ただ、納得はしつつも、結局2人が縦に並んだまま入れ替わらなかった66周が、困惑とともに過ぎていくしかなかったのもまた事実だった。いままさに勝とうとしているマクロクリンについて、どれだけ思い出そうとしても原初となる運動を探し当てることは叶わなかったからだ。勝者について何も語る言葉を持たないまま現実の結果だけが先に押し寄せてきて、観客のほうが受け止める準備をできていなかった、そういう優勝だった。(↓)

 

昨季のチャンピオンを従えて、実績のない若手が逃げる。僅差だが危険な場面はほとんどなかった

 

 過去はいつまでも同じ過去ではない。インディカーについて書くことはいつも、現在の頂きから過去を望み、両者を接続しようとする試みで、だからマクロクリンの唐突な優勝にとまどいを抱いている。だがいまこのセント・ピーターズバーグでは、半年前にとまどいを突きつけてきたパロウが34周目のターン4にかつての運動を重ね合わせ、まさに過去を表してみせたのだった。そうであるならばマクロクリンの優勝もまた、最初の20周にレースを制圧したことや、それから60周以上にわたってパロウを抑え続けたこともまた、やがて次の機会の運動に照らし合わされるはずなのだろう。彼がいつかパロウと同じ道へと歩んでゆくとき、この日の走りはきっと思い起こされる。参照する先を持たなかったひとりのドライバーが、自分の物語を作ろうとしている過程。2022年の開幕は、結果以上に、スコット・マクロクリンというドライバーがインディカーに知られたという意味において、重要だったのかもしれない。

 レースが始まる前、本当は、47歳になろうとする年にレギュラードライバーへ復帰したカストロネベスについて書くつもりだった。そうすることが、最初の引退を惜しみ宛てのない文章を書いた自分のありかたに適うと思っていたからだ。だがもはやペンスキーではなくメイヤー・シャンク・レーシングで走る彼は平凡な結果に終わり、画面に映る機会も少なかった。美しい記憶は数あれど、抽斗の中にしまわれたまま、現在から照らされることはない。そう、過去はいつまでもおなじ過去ではありえず、感傷を現実が追い越してゆく。思えば、ペンスキー時代にカストロネベスがつけていた3番を、いまマクロクリンが背負っている。愛着はこれから重ねればいい。いつまでも古い記憶にしがみつかず、新しい索引を作り直すべきときなのだろう。■

 

昨年メイヤー・シャンク・レーシングでインディ500を制したカストロネベスはレギュラーに復帰。47歳してフルシーズンを戦う

 

Photos by Penske Entertainment :
Joe Skibinski (1, 3, 4)
James Black (2)

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