【2023.3.5】
インディカー・シリーズ第1戦
ファイアストンGP・オブ・セント・ピーターズバーグ
(セント・ピーターズバーグ市街地コース)
予感がなかったわけではない。インディカーの公式ツイッターアカウントから断片的に得られる情報によると、セント・ピーターズバーグの練習走行は思いのほか荒れているようだったからだ。シリーズ屈指の名手であるジョセフ・ニューガーデンがターン10でいきなり右後輪をコンクリートの壁に当て、元F1ドライバーのロマン・グロージャンはターン13のグラベルに捕まって赤旗を呼び出した。あるいはターン3で、2年目のデブリン・デフランチェスコとデビュー戦を迎えたスティング・レイ・ロブがともに奇妙な挙動の乱しかたをして立て続けに壁の餌食となる。路面の再舗装に伴って、このコーナーにこれまで存在しなかったバンプが突如出現したことはレース直前まで知らなかった。極めつきはスコット・ディクソンだ。6度ものチャンピオン経験があるこの大ベテランもまた、ターン9の入口から制御を失って後ろ向きにタイヤバリアへ衝突し、一足早くセッションを終えた。単独事故でリアウイングを根本から折るディクソンなど、めったに見られるものではない。ツイッターのタイムライン上に、息絶えた車の後ろに回って破損状況を確認するディクソンが小さい動画の中で佇んでいるが、当然ヘルメットの内に隠れた表情までは窺いしれない。一方で続いて捉えられたチームオーナーのチップ・ガナッシが目を瞑ってヘッドセットを外す様子は、チームの感情を代弁しているようにも思える。しょせん練習での事故に過ぎず巻き返しの余地は十分にある、失望するほどではないが、ただ信じがたい、と。
こんな様子を眺めていたら、ブログを通じて知己を得ることのできた「まっちゃん」こと松本浩明カメラマンからTwitter上で「路面は簡単に変えられないから、今週は荒れる」といった趣旨のリプライをもらったわけだったが、佐藤琢磨(今季はチップ・ガナッシからオーバル・レースだけに出場する)とともに長年インディカーを見続けてきたその目はさすがに鋭かった。直後の予選でも、最終ラウンドであるファスト6、つまりこの週末にもっとも速さを持った6人のうちの2人もが、アタックラップを完遂できなかった。アンドレッティ・オートスポートの育成計画を経てついにトップチームに上がってきたカイル・カークウッドはターン13のヘアピンでタイヤを派手にロックさせてグラベルの先にあるタイヤバリアまで突き進み、昨季優勝したスコット・マクロクリンに至っては、そのターン13にアプローチするために加速していくだけであるはずの場所でなぜか飛び出してしまい、ヘアピンの内側でトラクターと化していたのである。結局、スターティング・グリッドの5番目と6番目には、その位置に似つかわしくない「No Time」の文字列が記されている。ありうべきとはいえ、奇妙には違いない。
だから決勝も、予想のつかない展開になる予感はあった。あったとはいえ、しかし事前の想像はいつだって甘いもので、あそこまでのことになろうとはさすがに考えようがなかっただろう。事の起こりはターン2と3を繋ぐ、そこ自体はターン番号もついていないほどかすかに蛇行した全開区間でのやりとりである。ターン2を並走して脱出したディクソンとフェリックス・ローゼンクヴィストが、軽く接触をした。レイアウト上、左側の壁が曲線を描いてわずかにコースへと食い込んでいる――市街地コースらしく壁のすぐ奥には歩道があって、直線を引けないのだ――地点、ターン3の旋回速度を確保するためにぎりぎりを掠めなければならないその一点に向かって、右前を走るディクソンは平常どおりに直進し、車体半分遅れた左のローゼンクヴィストも自分のラインを主張して右に鼻先を向けた。どちらも相手の存在を半ば無視した楽観的な動きではあったかもしれない。接触は互いの軽率さの結果のように思われたが、被害が大きかったのは当然、針路の先に空間がない側だった。ディクソンに弾かれる形になったローゼンクヴィストは続けて屈曲する壁の緩やかな頂点に車体左側を擦りつけた。サスペンションを傷めたのだろう、かろうじてターン3には進入したもののまともに旋回できずコースの中央で大きくふらつき、レーシングスピードを保てずにいる。
元チームメイト同士の接触は、そこだけ見れば1周目に起こるありふれた出来事のひとつでしかないようだ。ディクソン自身は自分の責任を感じていたようだが、外からの印象では五分五分の、ただ結果的にローゼンクヴィストに多少の不運があっただけの事故だった。だが小さなきっかけが大きなうねりを生む場合はあろう。当事者ではない後ろのドライバーたちにとって、またレースにとっても、それは些細な接触に終わらなかったのである。
ローゼンクヴィストが手負いの車をどうにか制御下に収め、速度を失いながらもターン3のレーシングラインから1本だけ外れた場所に留まったことが災いした。スタート直後の隊列が圧縮されたなか、突如出現した新たな「壁」に、後続車両が通過するラインを著しく制限されて対応を迫られてしまったからだ。つまり、直後にいたウィル・パワーの旋回半径が小さくなり、その後ろで外から進入しようとしていたクリスチャン・ルンガーは予定外に内へと切り込まざるを得なくなった。すぐ外側にはローゼンクヴィストがいまにも糸が切れそうに揺れていて逃げ場はなく、前を塞がれたアレキサンダー・ロッシが通常より早く強い減速を余儀なくされると、続くマーカス・アームストロングはそのロッシに対して、さらにデヴィッド・マルーカスがアームストロングに対して、追突を避けるのが精一杯だった。各自の努力によってそんなふうに危機は先送りにされたのだったが、なおも迫る後続に急減速の連鎖が止むはずはなく、やがて決定的な破綻は訪れる。本来なら高速を維持して曲がるターン3なのだ。マルーカスに呼応して速度を落としたエリオ・カストロネベスの動きに、とうとうサンチノ・フェルッチが対処しきれなかった。旋回中に後ろから押されたカストロネベスは時計回りにスピンを始め、フルブレーキングで止まろうとしたデブリン・デフランチェスコがジャック・ハーヴィーに引っ掛けられて眼前のスピンと逆方向に回転する。2台は立て続けにターン3の壁に吸い込まれて強固なバリケードと化し、すると、スタートで後手を踏んだせいでかえってスピードに乗って立ち上がってきた新人のベンジャミン・ペダーソンが混乱を知ってか知らずか飛び込んできて、デフランチェスコの左前輪下に潜るように激突し、相手を1mほど宙へと跳ね上げた。事故現場をすり抜けられなかったシモン・パジェノーも含め、こうしてターン3は一瞬にして5台のインディカーを破壊し、2023年のシリーズは幕開けとともに赤旗が翻ることになったのだった。
この中断が象徴的だったとは考えるわけではないが、どこかおかしな週末ではあった。松本の予想は偶然的な1回の事故だけを見通したものではなかった、ということだ。もともと、予選を圧倒したのはアンドレッティ・オートスポートで、初のポール・ポジションを獲得したグロージャンとコルトン・ハータで最前列を固め、タイムを出せなかったとはいえカークウッドもファスト6に進出していた。翻って毎年のようにセント・ピーターズバーグを支配するチーム・ペンスキーはまったくふるわず、最後の6台に加わったのはマクロクリンだけだった。当地で9回も予選最速タイムを記録したパワーも、連覇の経験があるジョセフ・ニューガーデンも、早々に消えた。続く勢力であるチップ・ガナッシ・レーシングからもマーカス・エリクソンが4番手に滑り込んだだけだ。つまるところ最初から異変は起きていたのである。(↓)
予選で躍進したカークウッドだったが、事故に巻き込まれて後退
舗装の更新が各チームになにか影響を及ぼしたのかどうか、素人の観客にはわかりようがない。影響があったと思うのは、結果として松本の言葉があまりに正鵠を射てしまったからにすぎないかもしれない。ただ、ペンスキーが沈みアンドレッティが躍進した予選から決勝のなりゆきまでが、例年のセント・ピーターズバーグと違って見えたのはたしかだ。赤旗中断が終わり、レースが再開されてしばらくすると、グロージャンの後ろについて3位以下を大きく引き離していたはずのハータが見る間にペースを低下させた。柔らかいオルタネートタイヤが戦前の想定以上に短時間で終わり、完全にグリップをなくしてしまったのだ。いまのハータはどちらかといえばタイヤの扱いに長けたドライバーで、事実2年前のここではすべてのスティントを完璧に走りきって優勝したというのに、そのときの姿は見る影もなく、新人時代の、だれよりも早くタイヤを潰してレースを壊していたころに引き戻されたかのようだった。新しい路面か、あるいはサイドウォールに「グアユール」という砂漠の低木から作った天然ゴムを使用した新タイヤか、とにかく新しい何かが、彼の技術を失わせてしまったようだ。ハータは最初のピットストップが終わるころには7位にまで順位を下げ、3度目のフルコース・コーションが明けた直後の50周目にターン7で外からパワーを交わそうと挑んだ際、並走して進入しようとしたターン8の入り口で弾き飛ばされてタイヤバリアへと突き刺さりレースを終えた。内側にいた相手の執拗な抵抗はやや無謀に見え、その証拠に生き残ったパワーは隊列の最後尾へと下げられる罰を与えられたのだが、ハータにとってみればそれが慰めになるはずもない。最初のスティントをもう少しうまく乗りこなしていれば起こるはずのなかった無用な争いによる事故で、タイヤを潰した報いを受けた結末に他ならなかった。あるいはこの諍いの遠因となったコーションでは、カークウッドが目の前で起こった事故に巻き込まれ、停止した2台を飛び越える(1レースで2度も車が跳ぶ!)ほどの衝突に見舞われている。アンドレッティはレースの半分もいかないうちに、2台が勝負の場から退場したことになる。なるほど荒れているようだ。
しかしだとしても、ポールシッターのグロージャンはこの日もっとも速いドライバーで、たとえ後方で激しい混乱が渦巻いたとしても彼自身が普通にやることではじめての優勝を手にできるはずだった。実際、ハータと同じタイヤを履いた序盤に一時は8秒近いリードを築いていたのだ。最初のピットストップを終えると、異なるタイヤでスタートしていたマクロクリンには先行を許したものの、次のスティントではタイヤの関係がそっくりそのまま入れ替わるから、再逆転は比較的容易であると思えた。
ところが37周目からくだんのハータとパワーの事故まで、3度にわたって計15周ものあいだ導入されたコーションのために、つまり「荒れた」レースになってしまったために、天秤はマクロクリンのほうへ傾いてしまったようであった。黄旗の周回が長きにわたったおかげで、マクロクリンは寿命の短いタイヤを実質的に18~19周しか使わずに済んだ。グロージャンが同じタイヤで28周のグリーン周回を費やさなければならなかったことに比べれば、その差は歴然としている。結局マクロクリンが1周62秒台の好ペースを維持してしまい、グロージャンは70周目に先に最後のピットストップを終わらせることを選んだ。即座にマクロクリンも反応し、71周目にタイヤ交換を済ませてピット出口へと向かう。ターン2の入り口で両者の位置は重なるが、旋回しなければならない本線からの進入より、直線的に加速していけるピットレーンの側がわずかに勝った。相手を車1台分制したマクロクリンは、まだ温まっていないタイヤのグリップをたしかめるように、ターン3を慎重に曲がろうとしている。グロージャンには針路がない。
最後まで、松本の言ったとおりに荒れたレースだった。もちろん、インディカーならこの程度の波瀾は日常茶飯事で、とりたてて珍しいわけではないのである。だがここまでの結末はさすがに理解するのが難しかろう。ターン3で前を塞がれたグロージャンだったが、まだ路面を捉えきれていない相手に対して、次の長いバックストレッチで追随する。マクロクリンが内を守るために右へ動くのに合わせて左の外へ。グロージャンはターン4へのブレーキングをわずかに奥に取り、内側のマクロクリンは距離の短さを利して譲らない。そのまま完全に横並びで旋回を試み――次の瞬間、互いのホイール同士が接触した。守るマクロクリンは進入速度が高すぎて曲がりきれなかったように見えたし、攻めるグロージャンも相手の空間を厳しく閉めすぎたように見えた。責任の所在はいかにせよ、ぶつかった衝撃か2台はわずかばかりピョンと跳ね、当然その瞬間はブレーキが利くはずもなく、両車ともタイヤをロックさせてバリアへと直進していったのである。3位以下を引き離して行われていたはずの優勝争いがこうして決着しないままに終焉し、荒れたセント・ピーターズバーグは幕を閉じた。いや、この時点でレースはまだ30周ほど残っていて、代わって先頭に立ったパト・オワードをエリクソンが追いかけ回し、残り5周の最終コーナーで逆転するといったすばらしいドラマがあったのだが、呆然と苦笑の入り交じる事故の余韻がまだ残っていて、そんなチェッカー・フラッグもどうもおまけのようであった。
エリクソンとオワードはそれぞれ予選でも4位と3位で、速さの裏付けがあるドライバーではあった。3位もおなじみのディクソンである。チップ・ガナッシの1-3態勢にマクラーレンSPが挟まった結果で、その意味ではなにもかもが壊れたわけではない。しかし振り返ってみるとガナッシ勢がこのレースに最後に勝ったのはもう12年も前のことだ。そのうえファスト6に残ったアンドレッティ3台が全滅し(正確には、空を飛んだカークウッドは車を修復して復帰し、3周遅れで完走はした)し、しかもうち2台はペンスキーに撃墜されるという不穏な結果になっては、やはり珍しいものを見たとしか言いたくなってしまう。思えばここ2~3年、インディカーがずいぶん変わったと感じる機会が増えてきた。1回だけで断言できるものでもないだろうが、このセント・ピーターズバーグもまた、そうした変化を表すレースとして思い出されることになるのだろうか――それにしても松本さん、見事な予想ではありましたがさすがに荒れすぎではないですか?■
Photos by Penske Entertainment :
Chris Owens (1-3)
Joe Skibinski (4)