カイル・カークウッドの正体

【2023.4.16】
インディカー・シリーズ第3戦

アキュラGP・オブ・ロングビーチ
ロングビーチ市街地コース

たしかミッドオハイオだっただろうか、昨年の夏、カイル・カークウッドがコースを飛び出し、グラベルか芝生かの上であえなく止まったレースがあったのである。ちょうどピットストップの狭間の時間帯にフルコース・コーションを引き起こし、展開を乱しかけたせいもあって印象に残るDNFだった。テレビ画面が、動けなくなったA.J.フォイト・エンタープライゼズの黒い14号車から、ドライバーが脱出しようとしている様子を映し出している。レースを諦めた新人に対してそのとき抱いた感想は「またやってしまったか」といった後ろ向きなものだった。それは皮相な批判的物言いではなく、奥底に秘められているであろう才能がなかなか表出してこないもどかしさの表出だったのだと思う。そのような感情が自分のなかにあることを自覚して、ならばとばかり、一度このミッドオハイオについてカークウッドをテーマに書きはじめてみたのだが、いざまとめようとすると気持ちとは裏腹に負の面が前に出る文章になってしまいそうで筆が乗らず、数百字で断念した。2021年のインディ・ライツ王者。アンドレッティ・オートスポートの育成に乗って順調なキャリアを歩み、2022年はフォイトにレンタルされるような形でインディカー・シリーズにデビューを果たしていた。足跡が示すとおり速さの片鱗はほのかに見えていたものの、まだ肯定すべき具体的な場面は持っていなかったころの話だ。

「また」という感想が端的に示すように、ミッドオハイオでの事故は当時のカークウッドにとってとくに珍しいことではなかった。リタイアが多い印象がすでに植えつけられたあとだったわけである。そのように見えてしまうドライバーだった。汲むべき事情はいくつもあろう。経験のまったくない1年目の新人であり、所属チームの規模は小さく、しかもそのチームが「本籍」というわけでもない。そんな状況に置かれて、それでも野心的に結果を求めようとすれば、運転に無理が生じる場合もあるに違いない。また、そもそも車の戦闘力が低いのだから積極的な目立ちかたをするのは難しく、露出するのはいきおい大きなミスを犯したときにかぎられよう。こうした弱い立場のドライバーが陰で積み重ねているかもしれない優れた周回は、どうしても陰に隠れてしまって顧みられない――当事者以外には顧みる機会そのものがあまりない。それでいて、豪華な経歴や仄見える才能によって、ひとつのミスが他の若手以上に失望となって返ってきてしまう。ミッドオハイオの、言ってしまえばありふれた事故のひとつをもって筆を執ろうと思ったのも、カイル・カークウッドという名前に他とは違うひとかたならぬ期待を持っており、実際に予選で9位とチーム力に比して優れた位置を獲得していたからだ。期待があるから、失望もするのである。もちろんそれらは観客の側による勝手な受け止めかたにすぎず、彼に負う責があるわけはない。ただ、そのうえでなお、昨年の17レースを振り返ってみれば7レースでDNFを数えたという単純な事実もまた存在する。4割以上完走できなかったという結果に、どうしても一定の印象がつきまとうのだ。(↓)

スタートでエリクソン(左手前)と接触しながらもターン1を抑えきる。その後は着実にリードを拡大した

 1年の修業を終えて、おそらくは計画どおりにアンドレッティのシートを得た2023年になってからの2戦も、積み重なった負の印象を払拭する走りではなかった。ふたつのレースはおよそ満足とはほど遠く、どちらとも、不運に見舞われたことはわかっていつつ、あいかわらずもどかしさを募らせる展開だったのである。たとえばセント・ピーターズバーグではすぐ前方で起こった事故を回避できず、停止している車に乗り上げて空を飛んだ。1mほども跳び上がったのに致命傷に至らず、3周遅れとはいえ完走したのだから十分な仕事はしたのだが、そもそも事故に巻き込まれたこと自体が、5番グリッドを獲得したにもかかわらず最初のスティントでタイヤを保たせられずにずるずると後退したゆえだった。続くテキサスではピットロードでアレキサンダー・ロッシと交錯し、スピンを喫している。結果として相手に罰が科せられた事故ではあったものの、ファストレーンから一気に停止位置へ向かって針路を変えたカークウッドの動きに非がなかったとは言えない(実際、ロッシのペナルティ事由はアンセーフ・リリースではなく「ピットレーンでの接触」というやや曖昧なものだ)し、しかも目立った場面はそれだけで、その後ほとんど気づかれないうちに単独で壁に擦ってしまいレースからひっそり消えていた。結局のところ、アンドレッティに移ってもカークウッドは依然としてわれわれの見てきたカークウッドのままというわけだった。移籍初戦のセント・ピートでいきなり予選5位に入ったとおり、速さを疑うつもりはない(もっとも、ファスト6のアタックではバリアに飛び込んでいる)。今回のロングビーチではじめてポール・ポジションを獲得したことも、そのうち巡ってくるだろうと思える自然の結果のひとつだ。だがレース距離ではどうだろう? まだ信用していいのかわからない。決勝スタート前には、そんな心持ちでいる。

 あのミッドオハイオで心変わりせずに最後まで書き上げていれば、インディカーにまた現れた新しいヒーローを、まだ地に伏しているころからすでに見つけていたのだと言えただろうか。いや、アンドレッティに至る道が整えられていた過程はみなが知っていたのだから、この優勝も意外なことはなにもなく、キャリアに予定されていた記念碑のひとつだったと自然に祝福すべき結果かもしれない。そう、カイル・カークウッドは参戦2年目にして初優勝を上げた。はじめて着いた1番グリッドから、決定的な不運もなく、ミスも犯さず、最多ラップリードも記録して、完璧なポール・トゥ・ウィンを成し遂げたのだ。頼りなかったこれまでの姿が嘘のように、本当にすばらしいレースぶりだった。スタート直後のターン1でこそマーカス・エリクソンにやや詰め寄られ、右後輪と相手の左前輪が2度キスをする危うい場面はあったものの、凌ぎきった直後にフルコース・コーションとなると、再スタートが切られたあとはもう、ポールシッターの貫禄をもって先頭を謳歌し続けた。スコット・ディクソンがパト・オワードに弾かれてターン8のタイヤバリアに直進し、この日2度めのコーションが導入されることになった20周目のころ、エリクソンとの差は1.7秒ほどに開いている。それは決して圧倒的な大差ではないが、1周あたり0.1秒ずつ着実に離していく安定的な力強いペースで、相手に野心を起こさせる隙をまったく見せなかった。その少し前、19周目にターン8の縁石を踏み越える場面が映る。高く盛り上がった部分に乗った車が跳ねて、直後に着地する際、カークウッドの車はだれよりも穏やかに揺れが収束してぴたりと姿勢が決まり、その先の長いバックストレッチに向かっていち早く加速していくようだった。一瞬で目を引く優れた運動。かつてシモン・パジェノーに、ジョセフ・ニューガーデンに、アレックス・パロウに、あるいはスコット・マクロクリンにも見たようなこうした瞬間を目にすると、観客にもある種の確信が生まれる。ああ、もう信用してよいのだ、過去の失敗はすべて過去として処理されて、今日はカークウッドが優勝するのだと、そのときようやくわかる。

 ディクソンの事故を起因とするコーションでほとんど全員が一斉にピットストップを行ったあと、次のスティントにだけは試練が訪れた。ピットクルーの手際と、隊列に割り込むきわどい発進によって2位に上がってきたジョセフ・ニューガーデンに、再スタートしてから順位を奪われたのだ。コーション中に唯一ステイアウトを選択したアウグスティン・カナピーノに暫定的とはいえリーダーを譲ったうえ、カナピーノとのあいだに周回遅れが挟まったことで、再スタートの状況が少し難しいものになった。それだけでなく、グリーン・フラッグとともにカラム・アイロットがピットから隊列の目の前でコースに合流してきたのである。予定外の存在の登場は、先頭争いをにわかに混乱させる。かりそめのリーダーだったカナピーノはタイヤの冷えたアイロット(ふたりはともにフンコス・レーシングに所属するチームメイトだ)に行く手を阻まれて思いどおりの走りができず、ターン5の出口でとうとうリアを大きくスライドさせて失速すると、次のコーナーの旋回中にラップバックを試みるエリオ・カストロネベスから被せられてスペースを失い、左後輪を壁に打ちつけてサスペンションを壊した。その真後ろにいたカークウッドは急激に失速したカナピーノに反応しきれずにフロントウイングを軽く踏まれて自らも大きく速度を落とし、その脇を悠々とすり抜けたニューガーデンに先行を許した。さらに続くターン8で、数周前にディクソンを撃墜したばかりのオワードが、またも遅めのタイミングで懐に飛び込もうと試み、カークウッドの右後輪を押す。コーション前は安泰のラップリーダーだったのが一転、およそ最悪の展開に巻き込まれていた。

再スタートの混乱でニューガーデンに先行を許すが、慌てることなく相手を追い詰めて再逆転を遂げる

 セント・ピートを思い起こさせる、自分自身のコントロールの外から襲ってきた2度の危機を、しかしカークウッドは際どくも凌ぎきった。カナピーノに踏まれたウイングは幸いにも壊れることなく留まったし、突っ込んできたオワードは無茶を悟ったかブレーキをロックさせたままカウンターステアを当てて自らスピンに陥り、カークウッドはホイールを軽くこつんとノックされただけでバックストレッチへ立ち上がることができた。そして、崖の縁へと追いやられたこの危うい十数秒で優勝争いの権利を手放さず生き残ったことが、結局このロングビーチのすべてだった。最悪の事態を回避して26周目を2位で終えてみると、先をゆくニューガーデンとは2秒の差を――つまりは、自分が第1スティントで築いた以上の差を一瞬で――つけられていたが、カークウッドはすぐさま追い上げ、1秒以内に入り込む。そこから先は、過度に攻撃的にならず、破綻を避けながら、じわじわと相手を追い詰める時間だった。波瀾に巻き込まれながらもそういう戦い方ができるほど、この日の彼は速く、冷静だったのだ。52周目にニューガーデンが先んじて最後のピットストップへ向かうと、カークウッドは即座に反応し、1周、53周目にカークウッドは自己ベストタイムを叩き出す。それこそ、勝者が遂行する完璧な仕事だった。翻ってフィニッシュまで33周を走らなければならないニューガーデンは燃料量に大きな不安を抱え、著しくペースを落としている。1周後に給油をしたロマン・グロージャンにも逆転を許し、冷えたタイヤを相手にしてもついていけなかったほどだ。カークウッドはそのさらに1周後、54周目にピットストップを行い、狙ったとおり先頭に復帰した。こうなってしまえば、何かが起こる可能性はもうなかった。序盤の展開と同様、チームメイトのグロージャンが背中に追い縋る構図に見えるが、カークウッドはその差を見極めて軽やかに状況を操っているだけのようだった。すべてに余裕がある――そういえば、カークウッドが去年乗っていたフォイトの14号車は、かつて佐藤琢磨のものだった。彼もまた、事故の多いドライバーと言われながら、12年前のここですべてを掌握してまとめあげた完璧な初優勝を遂げたのだ、と薄い繋がりを思い浮かべられるほど、余裕があった。レース前はあれほど抱いていた不安など、もうどこにもなかったのである。チェッカー・フラッグのときグロージャンとは1秒しか隔たっていなかったが、感覚的にはその数倍も離れているように思えた。そんな初優勝だった。

「レース中にふと、カイル・カークウッドが気になることがある。理由はよくわからない。たんに、頭韻を踏んだ気持ちのいい名前の響きに引かれているだけかもしれない。アンドレッティ・オートスポートのもとでインディ・ライツ王者を獲得した23歳は、今年、新人としてA.J.フォイト・エンタープライゼズの黒い14号車を走らせている。優れた経歴を持ち、マイケル・アンドレッティからの評価も高いようだが、今のところはロングビーチの10位と、ときどき思いのほか上位に連なる予選順位が目につく程度で、まだ何かを成し遂げたわけではない。それなのに、なぜだか目が離せなくなってしまう瞬間がたしかにあるのである。彼はいったいなんなのだろう」――去年のミッドオハイオで、こんな書き出しの文章を没にした。あのころはまだ何者か、まったくわかっていなかった。今だってなにがわかったわけではないが、過去のチャンピオンたちの影と重なった見えたものがあったのはたしかだ。たぶんこれくらいは言えるだろう。カイル・カークウッドはインディカー・シリーズにおいてまぎれもなく優れたドライバーで、生来の速さのうえに経験に基づいた強さを纏いつつある、遠くない将来にきっと選手権を争うだろう、と。ひょっとすると、5月の本命にまでなるだろうか? ■

結果的に僚友のカナピーノを抑え込んでリタイアの遠因となってしまったアイロットにはSNSで殺人予告が送られるなど中傷が過熱し、インディカーが声明を出す事態になった。当事者たちへの敬意を忘れてはならない

Photos by Penske Entertainment :
Travis Hinkle (1)
Karl Zemlin (2)
Joe Skibinski (3, 4)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です