後ろを見損ねたスコット・ディクソン

【2023.6.18】
インディカー・シリーズ第8戦
ソンシオGP・アット・ロード・アメリカ
(ロード・アメリカ)

中継されていないから詳細にその場面を見ていたわけではもちろんないが、ツイッターのタイムラインに流れてきたインディカー公式アカウントによると、ロード・アメリカにウィル・パワーの怒りが渦巻いていたようである。この土曜日、彼はふたつのインシデントに巻き込まれ、さらには自らもミスを犯して体を痛めつけられるさんざんな一日を過ごした。順に事のあらましを追うとこうだ。まず2回目の練習走行の最中に、かすかに湾曲しながらターン11と12を繋ぐストレートで外からロマン・グロージャンを抜きにかかったところ、幅寄せを受けてコースから押し出されそうになる。動画を見るかぎり、パワーのフロントが並ぼうとする瞬間に委細構わぬグロージャンが行き場を塞ぐ形で、たしかに危険な状況だった。受難は続いた。さらに数分後のことか、連なって走る2人――練習走行にしてはずいぶん近い距離と思えたが、怒り心頭に発したパワーが追いかけ回していたのだろうか――の前に、単独スピンから復帰したばかりのスコット・ディクソンが現れた。それ自体はもちろん練習ではよくある、なんということもない状況で、ペースの速い車の存在を知ったディクソンは、ターン13の入り口で減速してレーシングラインを外れ、道を譲った。だが後ろにもう1台いるのは想定外だったようだ。グロージャンをやりすごしたチップ・ガナッシ・レーシングの車は前触れもなく大きく針路を変更して元のラインへと戻り、全開で進んできたパワーと激しく激突したのである。

 明らかにミラーを見ておらず軽率としか言いようのなかったディクソンの動きに、パワーは無惨にも大破した車から降りるとすぐさま走り寄って胸ぐらを掴んで非難し、駆けつけたセーフティークルーが間に入ってようやく事態を落ち着けたが、苛立ちの爆発は予選の後に起こった。アタックのタイミングが合わずにタイムを出せず、限られた時間で1周に狙いを定めたものの結局ミスを犯して22位に沈むと、インタビューに臨んだパワーはまずコースに矛先を向けた。新たに舗装を施したロード・アメリカはオフコースの安全性に配慮を欠いた「最悪な仕事」をしており、スピードに乗った状態でコースを外れると背骨が折れそうになるほど凹凸が激しい。続いてもちろんディクソンを非難して、予選までに車を修復することがいかに深刻な問題であるかを口にする。そして話が終わろうかというとき、グロージャンについても付け加えたのだ。”and Grosjean is a piece of crap, if you saw what he did in practice. He needs a punch in the face.”――プラクティスでやったことを見ればわかるだろう、グロージャンはクズだ。顔面を殴ってやりたい。(↓)

合計8回のシリーズ・チャンピオンたちによる意外な事故。唐突に進路を塞いできたディクソン(左)をパワーは避けられなかった

 気持ちはわかる、怒るのは無理からぬことだ。ただ、最悪な土曜日を過ごしたパワーに同情を禁じえないとして、このインタビューでどちらかといえばディクソンよりグロージャンのほうに強い言葉が投げかけられているのが興味深い。事故直後は今にも拳を振り下ろしそうなほど激昂していたディクソンついては、しかし「ディクソンが今朝やったことは僕たちの週末を台無しにした。劣勢に立たされると(if you’re behind the 8 ball)、このフィールドでは難しくなる。今朝は本当に速かったのに、忌々しいよ。ああそう、そうだ、本当にがっかりしている」と、車を直接破壊された行為に対して批判を向けつつも状況への嘆きが主となっているように見える。乗り合わせたメディカルカーでよくよく話し合いでもしたのか、少なくとも、起こってしまった現実に対して今さら「顔面を殴る」つもりはなさそうで、現に翌日のレース中継ではすっかりわだかまりも消えて談笑する2人の様子を収めた映像が流されていたほどだ。翻ってグロージャンである。危険ではあったのは論を俟たないものの、それにしてもパワーとは接触すらしていない。にもかかわらずずいぶんと感情的になっているのは、結局のところふだんの行いから導かれる帰結といったところだろうか。結局グロージャンはいつも周りを見ておらずおなじ危険行為を繰り返す非紳士的(だと思われているのだろう、たぶん)なドライバーであるが、ディクソンにかんしては本当にただの不注意が招いた一回きりの不運な結果でしかなかった、とパワーは認識している。いや、直接の被害者だけでなくみながみな、ディクソンが、よりによってあのディクソンが犯したなんて信じられないミスだと受け止めただろう。これはただの悪い冗談、迂闊だったとはいえ忘れられるべき事故だ。ディクソンが積み重ねてきた信頼に基づけば、そのように思う。思うのだが、ただ一方で、ひとりの観客として映像に接したわたしには、別の予感がよぎりもするのである。この事故は、スコット・ディクソンにまつわる何かを象徴する出来事であったりするのだろうか。生来の気質による常習ではなくたんなる迂闊にすぎなかったとして、迂闊であることに何か意味があるのではないか。たとえばレーシングドライバーの衰えのひとつが、このような場面に表れる場合があるとしたら。つまり、ディクソンはいま、キャリアの黄昏を迎えているのではないか?

 思い出すのは、2019年デトロイト・レース1でのことだ。開始を遅らせた雨が止み、途中から路面が少しずつ乾いていく状況をドライタイヤで走る難しいレースのちょうど半分をすぎたころ、記録を見返すとどうやら24周目に、3位を走行していたディクソンがひとりターン6のタイヤバリアへ深く突き刺さったのである。スタートが数時間遅れたせいで日本時間ではすっかり日曜日の朝になっており、わたしは当時生まれたばかりの子供を抱きかかえてテレビを観ていたのを覚えている。そんな状態でディクソンの単独事故に接して思わず声にならない声を上げてしまい、驚いた赤ん坊をあやさなければならなかった。それほどありえない場面だったのだ。最初は当然にトラブルを疑ったが、事実はそうではないことがすぐに知れた。息絶えた車をよくよく見ると左前方からバリアへと激突したにもかかわらず右前輪の側面が削れており、やがて流された後続車の車載映像にはディクソンがウォールに右側面を引っ掛けて制御を失いバリアへと直進していく様子がすべて捉えられていた。要するにそれは疑いようもなくディクソン自身のミスというわけだった。

 39歳だったディクソンのリタイアに、当時のわたしはふとその衰えを予感した。彼が演じたらしからぬつまらないミスが、最高の選手が下り坂に差し掛かった兆候に思えたのだ。というのもわたしは、優れたアスリートが現役の晩節を迎えようとする場合、最初に現れるのはパフォーマンスの上限ではなく下限の低下なのではないかと考えているからである。つまり年齢を重ねると肉体的に好調な時期は少しずつ短く、また頻度も少なくなり、対して不調の波が長く深くなる(40代になった自分自身の実感だ!)。いくらトレーニングを欠かさずとも、加齢に伴う必然としてそれはある。もちろん培ってきた経験もあいまって、好調時に出し切った最善は十分に全盛期を彷彿させるだろう。だが目の覚めるほど鮮やかなパフォーマンスを発揮する回数は確実に減っていき、逆に不調のときにあと一歩踏みとどまる粘りを失い、「円熟味」といったベテランに向けられやすい賛辞とは裏腹に迂闊さを思わせる簡単な失敗も増える、という経緯を辿るのではないか。とくにレーシングドライバーのように出力の大部分を肉体ではないものにゆだねるアスリートは、筋力の低下による引退を先延ばしにできるぶん、後者を目撃する機会が多い。ミハエル・シューマッハ、ダリオ・フランキッティ、キミ・ライコネン、セバスチャン・ベッテル……彼らは現役の終盤まである程度のスピードを保っていた一方で、引退間際に不用意に見えるスピンや事故を増やしていた。いまのインディカーでいえば引退を撤回して復帰したエリオ・カストロネベスもそうだ(別分野でいえば競馬の武豊や将棋の羽生善治もこの列に並ぶかもしれない。フェルナンド・アロンソはどうだって? 何事にも例外はあるものだ)。一瞬一瞬ではその才能に唸らされるのに、全体的には失望の皿に錘が載せられて天秤が傾いていく。そうやって輝きを鈍らせ、やがて失望へ振り切ったときに時代が終わる。そんなふうに、わたしにとってデトロイトでのディクソンの事故は、避けがたい終焉への入り口を感じさせるものだった。

 もっとも、4年前に抱いた予感は言うまでもなく当を得たものではなかった。ばかげたリタイアの翌日、デトロイト・レース2でディクソンはあっさり2019年の初優勝を上げ、連続優勝年数を15に伸ばした。その記録は昨年まで続いて18となり、今季さらに更新する可能性が十分にある。何より、翌2020年は3連勝で幕を開けて6度目のシリーズ・チャンピオンで締めくくったのだ。素人の感想などまったく当てにならない話である。実際、2023年になったこのロード・アメリカでも、予選こそ23位ながら力強いペースによって4位にまで押し上げてフィニッシュし、練習走行の失態を見事に払拭した。その戦いぶりをみれば、レース全体を一貫して捉えてつねに正しい結果を持ち帰るその美点はいささかも失われていないとわかる。パワーとの一件は本当にちょっとした意識の陥穽に落ちてしまったただの失敗で、外野の心配など及ばないのかもしれない。過去の実績だけでなく、いま現在の状態においてもスコット・ディクソンは超一流で、衰え知らずの鉄人なのだと。(↓)

ポールシッターのハータは終盤にタイヤを傷めて大失速。一度は改善された悪癖が今季になってふたたび目立っている

 ただ、やはり4年前とは異なっていることもある。ひとつには、39歳だったディクソンが43歳になったという単純な事実。あるいは、現在のチップ・ガナッシ・レーシングにアレックス・パロウとマーカス・エリクソンがいること。30代後半から40代となれば、ますますキャリアの終わりが現実的になるころだ。そして仮に年齢がただの数字に過ぎず当人に変化がなかったとしても、周囲の環境が変わっていくことまでは堰き止められない。いまのディクソンは強力な、ある意味では強力すぎる2人のチームメイトを得た。特にパロウだ。4年前はまだインディカー・シリーズ自体にさえ名前のなかった才能は、あっという間にディクソンの隣席にまで駆け上がってすぐさまチャンピオンとなり、いまひときわ強い存在感を放っている。まだ26歳のこの若者は、劣勢に追い込まれたディクソンとは裏腹にほぼ完璧なロード・アメリカの週末を過ごした。練習走行でこそコントロールを失って車を大破させてしまったが、すぐに挽回して予選は3位。決勝ではさらに強く、タイヤに苦しむコルトン・ハータを冷徹に追い詰めて逆転すると、かろうじて追いすがってきたジョセフ・ニューガーデンをあしらうかのごとく余力たっぷりに振り払う完勝を見せたのである。デトロイトに続く2連勝、オーバルを除けば3連勝で、すでに2度目のチャンピオンを具体的な視野に入れていると言っていいだろう。元F1ドライバーであるエリクソンも開幕戦に優勝し、インディアナポリス500で連覇まであと一歩のところに迫る活躍でパロウに続いている。まだ夏の入り口だとはいっても、いまのチップ・ガナッシにおいてはディクソンひとりだけに優勝がなく、チーム内でもっとも下の場所を這っている。そんな姿をどうして想像できただろう。

 岐路に立たされているとは言うまい。君子豹変す、のことわざどおり、夏の盛りになれば地位を取り戻し、春に不調にまみれた2013年がそうだったようにいつの間にかチャンピオン争いに加わっているかもしれない。だが、はじめて彼の下り坂を予感したデトロイトとこのロード・アメリカの2つの「迂闊な」ミスが、スコット・ディクソンのまつわる環境の違いを浮き彫りにしたのはたしかだったように思う。ほとんど最後尾のスタートから4位まで上がってきた走りは、なるほどディクソンらしくない失敗を取り返すディクソンらしいすばらしさに溢れていたものの、しかしその7秒前の先頭をチームメイトが走っていたのもまた、厳然たる事実だった。レースが終わりを迎えるころだっただろうか。中継の実況を担当した村田晴郎が、練習走行でともに車を壊したディクソンとパロウの扱いについて語っていたのである。どうやら、チーム総出でパロウのレースカーを修復し、ディクソンはスペアカーでの出走となったという話だった(事の真偽は知らない)。その話題の締めくくりに発せられた端的なコメントが、現状のすべてを表しているのだろう。「つまり、いまのチップ・ガナッシのエースはパロウです」。不世出のチャンピオンにも時間は平等に流れる。いつか訪れる別れのとき、4年前のデトロイトとおなじようにたぶんこのロード・アメリカを思い出すと、もうすでに考えてしまっている――もっとも、そんな勝手な感傷を一笑に付して、次のレースではあっさり優勝してみせるのがスコット・ディクソンというドライバーであることもまたたしかなのだが。■

どたばたしたチームメイトを尻目に、パロウは快勝。昨年に続いてF1移籍の噂も流れはじめた。現実味はともかく、シリー・シーズンの話題になるほど存在感を発揮しているのはまちがいない

Photos by Penske Entertainment :
James Black (1-3)
Travis Hinkle (4)

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