正解のないレースを速さで飛び越えたクリスチャン・ルンガーの初優勝

【2023.7.16】
インディカー・シリーズ第10戦
ホンダ・インディ・トロント
(トロント市街地コース)

てっきり、横並びでまったく同一条件に揃ったうえで最後のリスタートが切られるのだとばかり思っていたのである。ちょうど最終スティントに入ろうとするころ、インディ・トロントはふたつの連続したフルコース・コーションによる整列のもとにあったのだった。

 状況は少しだけ複雑だった。引き金になったひとつめのコーションはロマン・グロージャンがターン10で路面のうねりに足を取られ、完全に制御をなくしてコンクリートの壁に激しく衝突して招き入れた。このとき42周目、85周のレースはまだ折り返し地点といったところで、ピットが作戦の変更を検討するような段階ではなかった。最初のスティントを参考にするなら、フォーメーションラップを含むとはいっても、8周のコーションを挟んで37周を走ったドライバーが最長である。グロージャンの事故で閉鎖されたピットの開放は44周目。フィニッシュまでに残る42周を考えると、給油には不向きな時間帯だった。現にこのタイミングでピットに入ったのは、アレックス・パロウやコルトン・ハータといった速さはありつつ不本意な位置に甘んじていたドライバーをはじめ、下位を走る車ばかりだ。上位陣は4番手だったカイル・カークウッドを例外としてコースに留まっていた。

 コーションは短かった。グロージャンが押しのけたコンクリート壁は見るからに損傷していたが、そのままでも安全に懸念なしと判断されたのか、ピットが開放された44周目の終わりに早くもリスタートが切られたのだ。単独とはいえ事故でリタイアした車両がいるコーションがわずか3周で終わったのはやや意外であり、おそらくパロウたちピットストップ組には目論見の外だっただろう。彼らの行動は、事故車両の片付けと安全設備の修復に時間がかかってコーションが延びる可能性を期待しての賭けだった。低速の周回を重ねて燃料を節約し、あわよくば最後まで走り切って順位を大幅に上げる高配当を狙ったわけである。だがレースが思いのほかあっさりと再開されたために猶予は奪われ、勝機は遠ざかった。(↓)

カークウッドがカストロネベスに追突し、この日3度目のコーションとなる。初優勝は上げたがいまだ安定感はない。

 もちろん、こうしたレース・コントロールの判断そのものは、意外でありつつも流れに沿っていると言える。グリーンにできる状況であるならそうすべきだし、まして外的要因に逆転の望みを託す側の作戦をあえて利する理由はない――弱者の戦略とはあくまで結果的に成功する類のものだからだ。だから44周目のグリーン・フラッグは、もともと速さによって優位を築いていた者たちに正当な戦いの場を用意し、レース後半を純粋な速度の勝負に演出するための采配だった。ただ、現在の時点で的確な判断を下せるレース・コントロールであっても、未来の予測ばかりはいかんともしがたい。リスタート直後のこと、ピットストップ組の先頭にいたカークウッドが、スタート/フィニッシュライン手前のターン11でエリオ・カストロネベスに追突してスピンに追い込み、立て続けのコーションとなったのだった。レースは数周前とおなじく低速の隊列にまとめられ、しかしレース・コントロールが整えたはずの前提条件はがらりと変わった。次にピットが開放されたのは49周目。フィニッシュまでは37周で、燃料を満載すれば最後まで走りうる状況になっていたのである。進入が許可されるやいなや、リーダーを筆頭に続々と車がピットに押し寄せ、レースは突発的に終盤戦へと移行していった。

 そうして冒頭の疑問に戻る。つまり、てっきり横並びで同一の条件に揃ったうえで最後のリスタートが切られるのだとばかり思っていたのである。コーションラップを含む37周。事前の想定よりはやや長いといっても、実際に走った実績のある距離だ。そうであれば、このタイミングで全員が給油を行って、あとはコース上で一斉に順位を争うレースとなるのが自然ななりゆきに見えた。なんとなれば、気の利いたレース・ディレクターであるカイル・ノヴァクのこと、全員が一様に燃料の不安を抱えるなら燃費走行に徹さなくて済むようにコーションを少し延長するくらいの配慮はしてくれそうなものでもあった。ところが予想に反して、スコット・マクロクリン、スコット・ディクソン、リナス・ヴィーケイの3人がそのままフロントストレッチへと進み、ピットに入らなかったのである。特に2位を走っていたマクロクリンの選択は意外で、判断を誤ったのか、それともピットストップが順当だと観客が思い込んでいるだけでステイアウトこそ正しい作戦なのか、これですっかりわからなくなってしまった。シンプルに整えられてスピードだけで決まると思っていたトロントは、このようにして、いきなり3つに分かれた道から正解を選ぶゲームに変貌したのだった。

 レースは残りの37周すべてがグリーン状況で過ぎ、いまはひとつの結果が目の前に示されている。だが、結論が出た後でさえ、3つのうちのどれが正解だったのかはわからないままだ。わからないというより、個々にとっての解が別々に存在し、全体を貫く正しい行動などそもそもなかった展開だったのかもしれない。たとえばマクロクリンの決定は、当初の順位を失った事実に基づけば失敗と評価しうる。前が開いたところで速度を上げ、ピットストップまでにできるかぎり差を拡げる狙いであるのは想像されたが、コーションが明けてから走れたのはせいぜい10周くらいだったし、そもそも寿命の短いオルタネート・タイヤを履いていたためにペース自体を維持できなかった。結局得られた成果といえばその間のラップリードくらいのもので、給油の間に15位まで後退し、最終的には6位に留まった。途中の経過を思うと、彼にはもっとうまくやる余地があったはずだ。(↓)

事故に巻き込まれたパロウはウイングを引きずりながらの走行。ノーズの亀裂はどんどん大きくなっていった

 ではやはり、49周目に給油を行って37周を走り切る主流の作戦を採用すべきだった、と言い切るのもためらわれる。というのも、ウィル・パワーとマーカス・エリクソンはまさにそのように走ったにもかかわらず、自分よりも5周早く給油を行って先行したパロウとハータを攻略できなかったのだ。燃料の節約に徹するだけでなく、スピンしたカストロネベスに巻き込まれて傷めたフロントウイングを引きずりながらの走行で1周あたり1秒を失っていたパロウとそれに付き合うハータを、パワーたちは最後までコース上で抜き返すことができなかった。それだけならまだしも、あろうことかゴールまでに燃料を消尽し、なんと最終周に緊急のピットストップへと向かわざるをえなかったのである。最悪の失敗を犯した2人はそれぞれ14位と11位に終わり、元いた場所から大きく下回る結果になった。その後ろを見ると、ジョセフ・ニューガーデンは最後まで届いたもののゴールしてほどなくコース上に止まっている。つまり37周とはかならずしも成功を確約するのではなく、慎重に工夫を凝らさなければ走破できない難しい距離であり、これを求めることも100%の正解ではなかった。

 だとしたら、グロージャンの事故の時点で先手を打ってピットに入った者たちの判断は無謀すぎる賭けだった? しかしそれも違う。パワーとエリクソンを燃料不足へ追いやった2人は、逆に42周を乗りこなしてチェッカー・フラッグを受け、ともに表彰台に登ったからだ。パロウは時間を追うごとに大きくなっていくフロントノーズの亀裂に怯えながらも慎重な運転を完遂して凌ぎきり、ハータはゴールの直前で燃料を使い切ったようだったが、惰性でフィニッシュラインへと辿り着いた。長い者が届かず、短い者が届く。届いた2人がホンダエンジンの使用者だったのが偶然か性能差ゆえだったのか、いずれにせよ両者の関係が不可思議に入れ替わり、想定された結果が掻き乱された。あるいは、マクロクリンと同様にさらに短く刻んだディクソンはパワーたちのガス欠に乗じてコーション前の7位から4位に順位を上げたが、一方でヴィーケイは8位から13位に転落して浮上できなかった。すぐ前後にいた関係の2人さえ、おなじ過程を踏みながらそんなふうに乖離してしまう。

 正しさがひとつに定まらず、正解と不正解が縺れるレースにみなが翻弄されるなか、唯一の例外が勝者だった。クリスチャン・ルンガーの名前がここまで挙がらなかったのは、混乱に飲み込まれたのでもなく、正解を上手に選び取って立ち回ったからでもなく、彼だけがその速さをもってレースの複雑さをすべて軽々と飛び越えていったからだ。展開を超越してしまったからこそ、展開を語るときにその姿が現れない、まだ優勝を経験していない21歳のデンマーク人が過ごしていたのはそういう異質な、力強いレースだった。ポール・ポジションからのスタートで序盤を支配し、グロージャンの事故の時点で先頭を走っていたルンガーは、問題の3択のうち「真ん中」の道である49周目のピットストップを選び、6位で最終スティントを迎えている。前にいたのは別の作戦に活路を見出そうとした5人、ステイアウトし続けているマクロクリン、ディクソン、ヴィーケイと、先に給油を済ませて先行したパロウとハータで、すぐ後ろにはパワーやエリクソンがいる――つまり、やがて正解と不正解に振り分けられる者たちの真ん中をルンガーは走っていた。事後的に振り返ればどうやら難しかったと思しき状況で、しかし彼はレースにあっさりとけりをつけた。53周目には早くもハータを交わし、さらに9周後の62周目にはパロウを捉える。長い直線の先にあるターン3、インで抵抗する相手を外から押し込んで空間を制限しつつ、深いブレーキングで頭を被せる鮮やかな攻撃で攻略すると、その直後、まだ給油を残していたディクソンがピットへと向かって再び先頭に立つ。残り20周以上、それからゴールまでの間に2位以下の悲喜が入り交じるなか、ルンガーはレースのハイライトから隠れていった。彼がやるべきことはもう、燃費を管理しながら適切に車をチェッカーまで運ぶ地味な仕事だけだった。(↓)

混乱する後続に対し、ルンガーは11秒にまで差を拡げる

 パロウやハータの博奕に満ちたロングスティントが成功したのは、ある程度幸運に恵まれたからだ。一方でピットでの損失を承知のうえで速いタイムを求めた3人が最上の結果を手にしたわけでもない。その意味でルンガーが選んだ「中央」の道、つまり49周目のピットストップが偶然に左右されにくい合理的で効率的な作戦であったのはたしかであるように思える。しかし終わってみれば、それもまた明らかに完遂が困難な罠なのだった。同じ道を選んだパワーやエリクソンはパロウたちを抜けず、最後には完全に失敗した。ニューガーデンは踏みとどまったものの、前を攻略するどころかフィニッシュ寸前にディクソンに抜かれてしまっている。最終結果を見ると、実のところ上位を占めたのは変則的な作戦を選んだドライバーたちだ。だが彼らは一つ間違えれば大火傷していた可能性が大いにあったし、実際ひねった作戦がすべて成功したわけではなく、おなじようにしながら下位に沈んだ者もまた複数いた。

 正解が見出せず、多少なりとも偶然に運命を委ねなければならない展開で、ルンガーだけが他のだれもできなかった「普通」をやりとげた。時間を巻き戻して、少し乱数を加えてこのレースをやりなおせば、そのたびに2位以下の結果は変わってしまうだろう。だが、すべての偶然を飛び越えて記入される1位の欄だけは、クリスチャン・ルンガーの名前がずっと固定されたまま動かないに違いない。普通を貫くことにもっとも価値を与える。トロントはそういうレースだった。終盤の混乱にまぎれて少し目立たなかった初優勝は、しかし、ルンガーが何にも動じない才能を内に秘めていたことの、何よりの証明だったのである。■

まだフル参戦2年目の21歳。ポール・ポジションもすでに2度獲得しているデンマーク人の未来は明るい

Photos by Penske Entertainment :
Chris Owens (1)
Joe Skibinski (2, 3)
Travis Hinkle (4, 5)

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