シモン・パジェノーとウィル・パワーの30秒は一貫した情熱を約束する

【2016.7.31】
インディカー・シリーズ第13戦 ミッドオハイオ・インディ200
 
 
 ウィル・パワーは必死さを隠そうともせず露骨なブロックラインを通って自分とコーナーの頂点を結ぶ空間を埋めようとする。少し後方ではチャーリー・キンボールがコースから飛び出して「チャイナ・ビーチ」の砂にまみれているものの、フルコース・コーションになる気配はない。ターン6から8へ右、左、右とうねる連続コーナー「エッセ」の終わり、シモン・パジェノーが気流の乱れを意に介さず真後ろに張りついている。右へとほぼ直角に回りこむターン9の出口で前を行く銀色の車体が外側の縁石までラインを膨らませる。姿勢が乱れる。水色と白に塗り分けられた背後の車が小さく回り早めにスロットルを開放して並びかけようとするが、その進路に車体を割りこませて阻む。タイヤの手応えはもはや明らかに後ろの車が優れている。雷の谷の名に違わぬ急激な下りの短い直線を抜け、全開で駆け抜けるターン10にいたってもパワーは内側の窮屈なラインを選択している。外のパジェノーは余分な距離を走らされるが、速度で補って追従する。ステアリングの左下に配された緑色の追い抜き用ボタンが押されており、一時的に過給圧を150kPaから165kPaへと高められたシボレーエンジンの出力は20馬力ほど向上している。次の高速コーナーで内と外が逆になる。22号車のフロントウイングが10号車の後輪にまで重なろうとする瞬間に空間が閉じられる。ふと、4月のアラバマで起きたパジェノーとグレアム・レイホールの事故が想起されるが、結局そこではなにも起きない。回転木馬と名付けられる円く長いターン12が迫る。パワーは進入で内を押さえ、パジェノーはまた外を選ぶ。コーナーは長く長く、いつまでも回りつづけるかのように長く、やがて出口に向かって半径が小さくなる。銀の10号車は遠心力に逆らうこと能わず少しずつ中心から剥離してゆき、水色と白に塗り分けられた22号車のタイヤは路面を掴んで放さず正確にコーナーの頂点を捉えて滑らかに向きを変える。2本のレーシングラインが時間差で交叉する。失速と加速が対照を描く。パワーが正しいラインに戻ろうと操舵し、同じチーム・ペンスキーの2台は車輪どうしをかすかに接触させる。また姿勢が乱れる。残響が消えて平穏が戻るころには位置関係が入れ替わり、パジェノーが先に最終コーナーを通過しようとしている。

 ミッドオハイオの66周目、コーションが解除されたリスタート直後からじつに半周にわたって繰り広げられた事実上の首位攻防を、観客は忘れがたい記憶として脳裏に留めるはずである。それはどんなレースよりも美しく、信じがたく情熱的で、優れた技巧に溢れた公正な30秒間だったと、どれほど精緻に描写しようとしても、どれほど称賛の言葉を並べたてようとも、まだ足りないもどかしさばかりが消えずに残ってしまう。2年前のまったく同じコース、64周目にまったく同じ区間で見たジョセフ・ニューガーデンもそうだった。えぐるようなエッセの切り返しから、ターン9でコース幅をいっぱいに使い切るライン取り、カルーセルの曲線を削り取って微分するコーナリングまでが、その後にピットで起きた悲劇――今でも考えられないことだが、ホースに繋がれたホイールガンがピットボックスに放り出されていて、戻ってきたニューガーデンはそれを踏んでしまったのだ。右後輪を担当するピットクルーが転倒するおまけまでついた――も含めて鮮明に思い出されてくる。モータースポーツはそんなふうにして、われわれに対して不意討ちのように美しい場面を提示して心を奪う。物理的な限界を追い求めることしかできないただの機械であるはずの車から、姿のよく見えないドライバーの精神が溢れでてくる瞬間はたしかにある。その瞬間を、ニューガーデンの30秒、パワーとパジェノーの30秒を知るためだけに、時に退屈な時間帯もあるレースを見つづけているといっても、特別に大袈裟なわけではない。

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 ミッドオハイオのレースはきっとミカイル・アレシンのものになるはずだった。新人として戦った2014年、恵まれた2位表彰台こそあったものの、インディカーに順応しきれず同僚だったパジェノーの後塵を拝したロシア人は、米国による経済制裁の影響で資金を持ち込めずシートを失った昨季を経て、いまようやく力を示しつつある。開幕戦のセント・ピーターズバーグの5位にはじまり、しばしば上位に顔を覗かせる姿にデビューしたころの危うさやひ弱さは窺えない。速さもある。前戦のトロントもその前のアイオワも、5列目以内でスタートしてそのまま6位、5位という結果につなげた。ペンスキーやチップ・ガナッシ・レーシングに囲まれたミッドオハイオでの9番グリッドは、初優勝の権利を主張できるものだ。1回目のピット作業を行った直後にコーションが導入されたのはたしかに幸運だったが、その後26周目から62周目までのほとんどの周回で先頭を走りつづけたのは安定したスピードを維持していた何よりの証拠で、新しい優勝者の誕生は近いように思われた。「ぜんぶが完璧だった。ばかみたいに飛ばさなくてよかったし、燃料は節約できていた。タイヤにも余裕があって、なのに後ろを引き離せた」と本人が語る内容は誇張のない見たままの事実だ。「確実に勝てた。楽勝だよ」。

 インディカー・シリーズで使用されるロードコースの多くがそうであるのと同様、ミッドオハイオ・スポーツ・カー・コースも追い抜きが難しいサーキットとして知られる。61周目にこの日2度目のコーションが入り、築いてきた差を失っても、元の位置でリスタートすればアレシンが逃げ切ると考えるのは自然なことだった。そのための条件も整っていた。コーションの時点で2番手のパワーとの間に周回遅れが挟まっており、ピットでの同時作業が少し遅れても逆転されないだけの余裕を持っていたからだ。だというのに、2年前に素晴らしい走りを見せていたニューガーデンの初優勝を阻んだ愚行を、われわれは形こそ違えど否応なく思い出さざるをえなくなる。シュミット・ピーターソン・モータースポーツは給油とタイヤ交換を無難に終えた。黒タイヤから換えてグリップ力に優れる赤タイヤを履く。右前輪の交換を担当するクルーがフロントウイングに備えられたふたつのノブをそれぞれ右に半回転させてフラップをわずかに立て、前後の空力バランスを調整するとともに右手を開いて突き出し、給油リグが抜かれるまで待機させる。ちょうどそのとき、17番手の後方を走っていたニューガーデンがようやくピットレーンへ進入し、アレシンの2つ前に位置する自分の作業場に向かっている。愚かさは悲劇を招く。クルーの目には接近する危険が映っていなかったということだろう。ニューガーデンがピットボックスに車を止めるべく舵を切る。もっとも飛び出してはならないその瞬間、アレシンに対して発進の合図が出された。結果なにが起きたのか言うまでもない。

 アレシンがはじめて記録した最多ラップリードだけを残して後方に下がり、最後のピットストップを見送ってひとまず先頭に居座ったコナー・デイリーの後ろを走るパワーとパジェノーの関係はにわかに事実上の優勝争いとなった。選手権の2位と1位のドライバーが演じるもっとも良質な30秒間が不意に訪れたのはその直後、混乱したコーションが明けたばかりの周回である。ひとつひとつを独立に見れば抜きどころにはなりにくい各コーナーで、妥協の一切を振り払って前を行く同僚の背中を脅かしたパジェノーは、相手に無理なラインを強制しつづけることでついに失速を導き逆転した。パワーはあたかも、あらかじめそうなるべく操られていたようにカルーセルの出口でレコードラインを外れてゆき、パジェノーに空間を明け渡したのだった。最後の微かな接触もまたこの戦いの彩りだったに違いない。知性に溢れ、技巧に満ち、互いが互いを尊重しながらも絶え間ない緊張感に貫かれ、ほのかに顕れた暴力的な破綻の徴候が次の瞬間おだやかに収束していく、情熱的で甘美なオーバーテイク。しかもわれわれが目撃したのは、レースの優勝を決定づけ、選手権の行方をも左右しようという大きな価値のあるオーバーテイクである。これほど幸せな瞬間があろうはずがない。

 ここ数年のインディカーは例外なく、序盤に選手権の首位に立ったドライバーが後半戦で転落していくシーズンの繰り返しだった。2010年からのパワー、13年と14年のエリオ・カストロネベス、昨季のファン=パブロ・モントーヤは、みながみな、夏の入り口では盤石な得点差を持ってシリーズ・チャンピオンへと突き進んでいるように見えたにもかかわらず、6月の終わりごろから人が変わったように精彩を欠き、そして時に不必要な問題に巻き込まれてレースを失っていくばかりだった。彼らに油断があったとは思わないが、事実として毎年逆転は起こったし、その過程で彼らが選手権ではなくいま目の前で戦わなければならないレースへの熱量を失っているように見えたのもたしかだった。たとえば3年前のボルティモアで、集団の後方を走っていたカストロネベスはやや強引に追い抜いていった相手に抗議の意味で手を上げている。そうした振る舞いは選手権を守ろうとするあまりレースで戦うことを怖れているようにしか感じられないものだったが、対照的に崖っぷちに追い込まれて迎えた最終戦ではそれが嘘のように危険の渦に身を投じて順位を上げようとしてもいたのだった。そのあまりの豹変に精神的な変容を見てとったとしても不当ではないだろう。モントーヤにせよパワーにせよ同じことである。暴発か頽廃かといった程度の差異はあれど、選手権の幻を前にして大なり小なりレースを怖れたことが結果的に転落の契機になったと感じさせる具体的な姿はいくつか見つけられるはずだ。選手権などしょせんは競技者にとっての栄誉であって、観客がレースを見るにあたってはなんの関係もない虚構の制度である(もちろん、だれかを応援するという観点からは意味があろう)。それでも「ポイントリーダー」になにかしら意味づけられるとすれば、それはある時点でもっとも優れているドライバーがだれなのかを具体的に示し、そこを中心にしてレースに熱量が生まれるのを期待させることにある。彼らはその責任を果たしそこなった。彼ら自身が熱を失い、レースにも熱を与えられていないと思わされる日があったことは否定できない。そしてその結果として、結局は望んでいた選手権さえ手にしそこなったのだ。

 以前も書いたように、いままさにポイントリーダーであるパジェノーからは過去ペンスキーのドライバーが囚われてきた怖れがほとんど感じられない。まだ春先の話ではあるが、アラバマでレイホールと接触してグラベルトラップまで飛び出したのは、2位で妥協してもだれも疑問を抱かないようなレースで優勝だけを求めて相手のラインを閉めたからである。選手権だけを見れば、あのときパジェノーは10点に拘泥したために30点を失う可能性があった。コースを飛び出した際にもしグラベルに捕まって動けなくなれば確実にそうなっていたのだから、それは具体的に想像しうる危険だったのだ。にもかかわらず、ためらわずに――というのは想像にすぎないが、映像で見るその機動に躊躇は感じられない――安全を放棄できることこそ、彼の、ペンスキーの一員としての得がたい資質である。今回も同様だ。目の前には選手権を争う直接の敵がいる。得点差は安泰と言うには十分ではないが小さくもなく、ここで負けてもまだ明らかな優位を保つことはできる。残りレースは少ない。自分のほうが相手より速いという確信に近い手応えがあったにせよ、現実にターン11で交錯しかけて一方的に損を被りかねなかったことを思えば、危険を避ける「賢い」撤退に針が振れるだけの動機はたぶんありえた。「精いっぱい挑んでみたけど、チャンスがなかったんだ。でも2位なら悪くはないよ」。だれの言葉というわけではないが、似たような文句なら何度も聞いたことがあるではないか。

 カストロネベスもモントーヤも、「まだ勝っている」と貯金を切り崩すレースを繰り返しているうちに、いつの間にか手の施しようのない状況にまで追い込まれた。それは端的に言って美しいシーズンの過ごし方ではなかった。だが、パジェノーはリスクを冒す価値を知っている。一時の賢い妥協がかえって最終的に身を滅ぼす結果を招くかもしれないことをわかっている。その走りからそう感じずにいられない。彼はミッドオハイオの30秒間で、どんな立場にあってもその情熱が衰えないことを示したのだ。このままシーズンが決着すれば、われわれは新しい王者の優れた資質を示すもっとも良質な時間として、このレースを思い出すことができる。もし、燃え盛るあまり敗れるようなことがあれば? よしんばそうなったとしても、きっと後には歓迎すべき物語が残されることを保証しよう。

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