その1周を見れば、ドライバーのすべては象徴されている

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【2017.9.17】
インディカー・シリーズ第17戦(最終戦) グランプリ・オブ・ソノマ

 
 前回の記事に書いたとおり、最終戦を前にしてもわたしはインディカー・シリーズの選手権がどのような結果に終わるかどうかは瑣末な問題だと思っている。ただ、ある種の身勝手な理想主義をもって、仮に正しい結末と呼べるものがあるとするならジョセフ・ニューガーデンの戴冠以外にはありえないと信じていたのもたしかだった。シリーズ・チャンピオンという概念がその年の様相を正確に表す手段なのだとしたら、他にどんな結果が許されるだろう。だれにも真似できない妖艶さと果敢さを併せ持つパッシング、息を凝らして見つめるしかないほど美しいスパート、そして幾許かの幸運によって、ニューガーデンはことあるごとに観客の視線を奪っていった。シーズン4勝はだれよりも多く、そのうえいつも決然たる意志を明確に感じさせる美しいものだった。ニューガーデンが優勝するとき、それは――トロントは除いて、という註釈はつけてもいいかもしれないが――ニューガーデンが優勝すべきレースに紛うかたなき正当な結果をもたらしたことを意味していた。以前からニューガーデンとシモン・パジェノーを贔屓のドライバーとしていると述べているわたしの文字どおりの贔屓目はあるにしても、2017年のインディカーでもっとも自らの才能を表現したのが、このシリーズにおいてはきわめて若い部類に入る26歳のアメリカ人であることはまちがいなかった。これも書いたことだが、積み重ねられた選手権の得点がスコット・ディクソンとわずか3点差で最終戦を迎える状況が、すでに狐につままれたような事態でさえあったのである。

 最終戦にして今季はじめてのポールポジションを獲得した土曜日は、だからチャンピオンへと至るニューガーデンにとって、完成させるべきパズルの最後の一片をはめこんだに等しかった。ポールポジション回数の欄が0から1へと変わることは、選手権の行方をさほど左右しないだろう1点を獲得したことや、単純に有利な条件でスタートを切れることに意味があるのではなく、速さの明白な証明によってチャンピオンとしての正当性を高めたという点にこそ大きな価値があるように思えたのだ。この予選結果を見て、わたしはレースを待たずしてニューガーデンが選手権を制することを確信した。彼を筆頭に4人のチーム・ペンスキーがスターティンググリッドの上位を独占し、直接の敵であるスコット・ディクソンに対して鉄壁の防御を敷いた形而下の優位はもちろん、ふさわしいタイミングでふさわしい結果を導き出したその精神がニューガーデンに正しい地位を与えるだろうと。もちろん、不幸にして彼を導く機械が突如として止まってしまう可能性はつねにあり、その結果望まない逆転劇が起こってしまうのかもしれない。だが、またしても繰り返しになるが、だとしてももはや名実の「実」の部分でニューガーデンの存在を塗り替えられるドライバーなど、だれひとりいないはずだった。あとはこの半年間美しい物語を――悪いときもあったが、それも含めて――紡いできた彼の、彼らしい締めくくりを見られさえすれば、かならずしもコース上の争いの多くないソノマに充実を得られるにちがいなかった。

 はたしてニューガーデンの最終戦は、見込みどおり素晴らしいものになったと断言できよう。「選手権」だけを考えたとき、彼のレースは十分に安閑としていたはずだ。ディクソンよりも前でフィニッシュさえすれば、パジェノーやエリオ・カストロネベスとはよほど順位が隔たらなければ逆転できない差がついていた。そしてその最大の敵は鉄壁のペンスキーを前に順位を上げる術をもたず、さしたる脅威ではなくなっている。レースの早い段階で、チャンピオンになるためにはもはや3位でも構わない状況にまでニューガーデンは逃げ込んでいた。選手権の勝利を理由に、目前のレースを軽視してスロットルを緩めることはできたのである。冷静な計算を盾にすれば、事故やトラブルといった不測の事態に見舞われる可能性を避けるために、むしろ積極的にそうすべきですらあった。だが彼はそんな素振りを見せることなく、正面からレースに臨んでいたようだった。それは一年間の栄誉よりも、「いま、このレース」をよほど欲しているような振る舞いだと、わたしの目には映った。

 ソノマでニューガーデンを脅かしたのはチームメイトのパジェノーである。4番手スタートからレースのみならず選手権の逆転をも狙っていただろう昨季のチャンピオンは周囲と異なる4ストップの奇手を選び、コース上でつねにもっとも速いタイムで走っていたが、3ストップのポールシッターもスパートの迫力でこそ押されつつ総合的には決して劣らない、そういう構図で周回は進んでいくのだった。ニューガーデンとパジェノーは、普段と変わらないリスクを負いながら、しかし正確な運転で後続を引き離し、やがてコイントスで裏表を出しあうようにピット作業のたび先頭を入れ替えて2人だけのレースを作り上げていった。後から振り返ってみれば、このソノマで彼ら以外にラップリードを記録したのはコナー・デイリーの3周だけ(もちろんこれはスティントを引っ張った結果にすぎない)で、残りの82周をニューガーデンとパジェノーがちょうど41周ずつ分け合っている。それほど作戦の違う2人の速さは拮抗していた。ファステストラップはパジェノー、しかしリーダーファステストはニューガーデン。1回多いピット作業で失う時間を鋭いスパートと躊躇ないパッシングの連続で稼いでいくチームメイトの攻撃に、ニューガーデンはタイヤを丁寧に使い切る丁寧かつ衰えないロングランで応じた。遠く離れたその鬩ぎ合いは、たとえ選手権の文脈を離れたとしても観客の語りに堪えうる緊張感に溢れた争いだった。

 やがて、作戦の違いによって離れた場所を走り続けていた2人が、しかし文字どおり互角の戦いを繰り広げていたことが明かされる。62周目の終わりにニューガーデンが3回目のピット作業行うと、その2周後にはフルコース・コーションの危険を避けるためパジェノーも最後の給油に向かった。すべてのピットが済んだその瞬間、2人の差はパジェノーがほんのコンマ数秒前に出る程度しかついていなかったのだ。そして、ブラックタイヤのアウトラップでまだグリップ感を得られないパジェノーに対してニューガーデンが果敢に仕掛けた。ターン2で背後につけたまま少し左に曲がる全開区間へ。ダウンフォースの必要な左-右のターン3でフロントウイングがぶつからんばかりに接近する。かすかに空気が乱れて逆バンク気味の出口でカウンターステアを当てるが、前のタイヤもまだ温まっていない。防御的なラインで段差を斜めに跨ぐように動いた1号車は底付きしてスキッドプレートを削り、舞い散った粉が2号車に降る。ターン4への進入でパジェノーが車半分だけインに寄せてチームメイトを牽制し、しかしそのせいで旋回がきつくなる。外へ外へと逃げていく相手に対し、ニューガーデンはラインを交差させるように懐を狙うが、立ち上がりのトラクションを捉えたパジェノーが一瞬早く加速を始める。全開のターン5を抜け、高速ターン6のパジェノーはまだタイヤの感触を得られないのか、ふらふらと揺れ動きながらレコードラインについては離れ、ついては離れする。ニューガーデンがプッシュ・トゥ・パスのボタンを押す。おそらくパジェノーも押している。ターン7のヘアピン、入り口でまたしてもパジェノーがインサイドを抑えて早々とブレーキングを始める。ニューガーデンは外から全開で並ぶとようやく減速し、先にクリッピングポイントを通過した相手に対して鋭角なラインで立ち上がりながらすぐ真横につける。再度のクロスライン。一方でパジェノーも加速を外さない。タイミングの遅れを補う丁寧なステアリングとスロットルワークで、迫りくるニューガーデンよりも鋭く車速を上げていく。昨季のチャンピオンと、数十分後のチャンピオンが完全に並走する……。

 決着はちょっとしたなりゆきにすぎないと言ってもいいだろう。2人は並んだままターン7を立ち上がったが、その先のターン8との間にある、番号もついていないほどかすかな蛇行区間に対してパジェノーがインサイド、つまり左のポジションを得ていたことが両者の明暗を分けた。左-右-左とうねる進路の頂点に向かって左側の車が直進してしまえば、右側に並び続けられるだけの空間は残っていない。ニューガーデンの前に道はなく、そうして引き下がるしかなくなったところに、ストラテジストのティム・シンドリックから無線が入る。いまの順位を守れというその指令によって、レースは事実上終わりを告げたのだった。

 結局、41周のラップリードを分け合った2人が直接に切りあったのはこの65周目の60秒間だけだった。残り約20周、ニューガーデンはパジェノーから適度に距離を取り、パジェノーもそれを理解して破綻の可能性など微塵もない安定的な走行に切り替えて、ソノマにはだんだんとソノマらしいパレードレースの光景が広がっていった。美しい戦いは儚く消えていき、「計算」に基づいた静かなチェッカー・フラッグによって、2017年のインディカーは終幕を迎えたのである。最後の最後におとなしく締めくくられてしまったのは、あの状況に至った以上は止むを得なかっただろう。ニューガーデンがふたたびパジェノーに仕掛けて万が一に接触でもすれば、本人のみならずペンスキーもすべてを失うことになるし、実際ほんの1ヵ月前のゲートウェイで2人はそうなりかけている。落ち着いたゴールを迎えさせるのはだれにとっても道理にかなった指示だった。

 しかし、選手権のためにレースを沈静化せざるを得ない展開が待っていたからこそ、65周目の攻防がなにより輝いて見えたのもたしかではないか。先頭を分け合った2人の居場所が一度だけ重なったあの瞬間、あの60秒間だけ、ニューガーデンも、パジェノーも、われわれ観客までも、選手権なる仮構の制度を擲って、「いま、このレース」を勝とうとする意志に囚われて逃れることができなかった。「計算」だけを気にするならば、あのときニューガーデンにとってパジェノーを攻め立てることにはまったく意味がなかったはずだ。にもかかわらず、彼は感情に身を任せるようにそうする。それを目にしたわれわれは、そんな一見不要な冗長の中にこそレースの感動が潜んでいることを思い知らされるのだ。賢しらな計算など捨て去った、ただ速く走ろうとする、だれよりも速くあろうとする情動、レースに対する原初的で純粋な動機。そこに最高の技術が加わって、何にも代えがたい瞬間が生まれる。選手権に沈静化されるあわいに、ソノマは素晴らしい時間を与えてくれた。それだけで十分なレースだった。

 おそらく、今季いくつかの場面でニューガーデンは過剰だったように思う。状況を考えれば引いて構わない場面でも一心に前を追いかけ続け、たとえばテキサスやワトキンスグレンではそれが手痛い失敗に繋がりもした。だがあるいはゲートウェイがそうだったように、ポイントリーダーとなってからもおよそ選手権の結末を見据えているとは思えないその過剰な攻撃性こそ、結果的に選手権を手繰り寄せた最大の要因でもあっただろう。事実、ゲートウェイでパジェノーを弾き飛ばしていなければ、シリーズ・チャンピオンは2年連続でフランス人の手に渡っていたのである。ニューガーデンは一度たりとも「守り」という聞こえのいい修辞の施された逃げ道を選ばなかった。一年の締めくくりとなったソノマの65周目は、そんなニューガーデンのすべてを象徴しているはずだ。チャンピオンをほぼ手中に収めたにもかかわらず不必要にパジェノーを追い詰めたあの揺るぎない姿勢こそが、いくつかの失敗を補って余りある数々の美しい場面を演出し、優勝という成果をもたらし、目的ではなく結果としてチャンピオンに至らしめたのだと。それは、頭角を現したころからずっと続く、わたしが愛するジョセフ・ニューガーデンそのままの姿だった。そのことが何よりも幸せに響いてくるのだ。

 選手権の結果がどうなろうとも、わたしにとって2017年最高のドライバーがニューガーデンであることは覆しようのない事実だと、前回書いた。実際に彼がチャンピオンを獲得した今となっても、その気持ちはおなじままだ。彼の価値は表現してきたいくつもの運動によって見定めるべきであり、タイトルの有無によって評価を変えるなんてばかげている。もちろん、選手権はどこまでいってもモータースポーツのあり方とは無関係な後付けのフィクションであり、レースという営みの中にしか競技者の本質は現れないという信念も相変わらず持っている。けれども、こうした結果が出たことに少しばかり安堵するところもある。自分の依怙地な信念とは別に、チャンピオンは栄誉として祝福されるべきものだ。わたしはジョセフ・ニューガーデンが一年をかけて己の資質を証明し続けたことを知っている。もちろん、さまざまな人々がそれぞれに知っているだろう。そうしたニューガーデンに対する多くの思いが「チャンピオン」というひとつの概念に集約されて共有されるならそれは素晴らしいことではないか。2017年のインディカー・シリーズは、正しい資質が正しい結果を導いて終わった。それが誰の目にも明らかになる記録として残るのだから、虚構の選手権にも小さくない意味があったのだと、わたしはようやくそう思っているところである。
 
 

GoPro Grand Prix of Sonoma 2017.9.17 Sonoma Raceway

   GridLapsLL
1シモン・パジェノーチーム・ペンスキー38541
2ジョセフ・ニューガーデンチーム・ペンスキー18541
3ウィル・パワーチーム・ペンスキー2850
4スコット・ディクソンチップ・ガナッシ・レーシング6850
5エリオ・カストロネベスチーム・ペンスキー4850
      
10コナー・デイリーA.J.フォイト・エンタープライゼズ13853
LL:ラップリード

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