The race must go on

【2011.10.16】
インディカー・シリーズ最終戦(中止):ラスベガス・インディカー・ワールド・チャンピオンシップ
 
 
 このブログでインディカー・シリーズについて書いたことは何度かある。たとえば昨年のインディ500で起こった危険なクラッシュから生還してロングビーチで歓喜の初勝利を挙げたマイク・コンウェイや、実力のわりにどうも不遇を託つことが多かったなかどんな脚本家も思いつかないようなストーリーでブリックヤードを制した彼を称えた記事だった。それを後から振り返ってみるとなんだか理由のありそうなことに見えてくるが、そういう脈絡のないものに対してありえなかった意味を見出そうとするのは人が犯しがちな悪い癖だ。偉大なドライバーがとつぜんいなくなってしまった、その覆せない事実をただ悲しむだけでいいはずなのに。

 2年続けてダリオ・フランキッティとウィル・パワーがタイトルの権利を賭けて臨んだラスベガスでのインディカー・シリーズ最終戦は、既報のとおり悲劇のうちに幕を降ろした。事故が起こった瞬間だけ見ればオーバルレースにありがちな2台の単純な接触で、たいていの場合は後続もなんとか急減速で難を逃れ、危ないながらもイエローコーションでレースを仕切り直して済むようなことのはずだった。そこで何が起こったのかいまもよくわからないし、まだ確認するような気分にもならない。とにかく何台かのクルマはタイヤ同士の干渉によって宙を舞い、後続も次々に追突して、一転して深刻なアクシデントへと拡大した。

 レースはすぐに赤旗によって中断され、それでもまだ最悪の事態を悲観しなくてもよいと思えたのは、何度も繰り返された悲しい事故を越えて危険を排してきたインディカーの安全性を信頼できたからだ。かかわった15台という数はともかく、もっと危険に見えるクラッシュシーンだって幾度か目にしているし、それこそ昨年のコンウェイのように、事故の当事者たちはみんなしっかりサーキットに戻ってきた。今回のラスベガスの大クラッシュがもし歴史に刻まれるとしたなら、最終戦までもつれたタイトル争いにいきなり水を差し、フランキッティに王座をもたらすものとして記録される程度のことでいいはずだったのだ。

 なのに赤旗はしまわれることなく、ダン・ウェルドンだけが帰ってこなかった。たった半年前に100年目のインディ500を彩る美しいおとぎ話を紡いだウェルドンは、本を閉じれば物語が終わってしまうのと同じように、不意にわれわれの前から姿を消してしまった。そうして今季最後の5ラップは彼の魂に捧げられた。

 事故の原因なんていくつも挙げられるだろう。ラスベガスが高速オーバルだったこと、シーズン最終戦のお祭りムードの中で経験を残したい新人や若手が多数参戦していたこと、ウェルドン自身が最後尾スタートからの優勝に巨額の賞金がかかる500万ドルチャレンジの最中で不必要に後ろにいたこと、そもそもオーバルレースの特性がそういうものだということ……。ただそれとて事が起こらなければ存在しなかった「理由」だ。結局だれだってこれをレーシングアクシデントだと言うしかなく、その判断は事態の深刻さとはまた別種のことである。しかし原因が無垢だからこそ、この事故にかかわったひとは、たとえテレビで見ていただけのファンであっても、辛く思う。

 モータースポーツには不慮で不可避な悲劇がときにあるということを、われわれはまたも眼前に突きつけられてしまった。これからだれかがウェルドンについて語ろうとするとき、話題の真ん中にはつねに死という悲嘆が残る。前にも書いたように、それは1人の力のないファンでさえ向き合わなければならないことだ。われわれは、追悼のパレードラップで低く唸る排気音と『Amazing Grace』の響きを、肩を叩かれながら大きくついたトニー・カナーンのため息を、悲しみにくれる関係者の整列を、アップで映されたダリオ・フランキッティの嗚咽を、悲劇とはあまりに裏腹な砂漠の快晴の空を、辛い思い出としてけっして忘れないだろう。だが、それは絶対にモータースポーツとのかかわりを終えることを意味しない。このスポーツを少しでも愛する人がこれからも愛することをやめないかぎり、レースはずっと続いていく。コンウェイを祝福する記事にコメントをくれたgripenさんは、The show must go onと言った。そうなのだ。次のシーズンが始まれば、ウェルドンの喪失を越えてドライバーはそれぞれのコクピットに収まり、ひとたびエンジンがかかったクルマは物理の塊以外の何物でもないまま事故の記憶とは無関係に加速を続ける。そうでなければいけないし、またそうであっていい。前を向こう。モータースポーツは偉大なドライバーを失った。だがそれがどれほど悲しいことであっても、モータースポーツという営みだけは失われないのだ。

「悪くなかった」こそ佐藤琢磨を救う

【2011.8.7】
インディカー・シリーズ第12戦:ミッドオハイオ・インディ200
 
 
 4位という結果が2年目の夏にもたらされたのを遅すぎたと見るか、その捉え方については意見が分かれるところかもしれない。インディカー・シリーズにしては珍しくアクシデントの少なかったミッドオハイオで、佐藤琢磨は決して長くはないキャリアにおけるベストのリザルトを持ち帰った。変則的なストラテジーに一切頼らず、上位陣が大量脱落したわけでもない(不運に見舞われたのはウィル・パワーだけだった)レースでターゲット・チップ・ガナッシの2台とアンドレッティ・オートスポートに次いでフィニッシュしたことは賞賛されるべきだろう。ポイントランキングは12位に上がり、チームメイトのトニー・カナーンには水を開けられているものの8位のグラハム・レイホールくらいまではすぐに手の届きそうなところにつけている。流れをつかめばまだ4~5位も夢ではない。きっちりとシリーズコンテンダーとして戦い抜くことが今後の彼にとって重要なミッションであり、それが来季の居場所を確保することにも繋がるはずだ。

 佐藤琢磨は評価の難しいドライバーだということは今年初頭に書いたが、輝かしい一瞬の走りに魅せられるファンを獲得していく一方で凡ミスやら特攻やらによって失望や反発も買うそのドライビングスタイルはやはり今季もおなじようである。F1から数えても10年、もはやこれは彼の本質として、キャリアを終えるまで変わることはないだろう。ポールポジションスタートから堂々とトップを争っていたはずのアイオワでは、一転タイヤ交換直後のスピンでレースから去り、トロントではダニカ・パトリックのテールにほぼノーブレーキで追突して気性の荒いじゃじゃ馬を大いに怒らせている。かと思えば雨のサンパウロでは路面がまったくグリップしないなか終始冷静なドライビングで終盤までレースをリードし、フルコース・コーションでのステイアウト作戦が裏目に出て8位に終わったものの、トップドライバーとしての資質はたしかに証明した。

 局所的に見れば、彼がすでにインディカーでトップレベルの速さを持ちつつあることは間違いない。今季2度のポールポジションはアレックス・タグリアーニと並び2番目に多く、ロードとオーバルの両方でPPとなるとウィル・パワーと彼しかいない。カナーンが加入したKVレーシングテクノロジーはチーム内のコミュニケーションが円滑で3人のドライバー間で上手にセッティング情報を共有できているようだが、そのチーム状況にあって佐藤の予選能力は同僚よりも一段高く、予選平均順位9.4位はカナーンの12.4位、E.J.ヴィソの15.9位を大きく上回っている(*1)。

 あるいはリスタートの鋭さも彼の強力な武器として評価されるにじゅうぶんな威力を備えている。サンパウロ、アイオワなどではレース再開のたびに完璧な加速で幾度となくポジションを上げる姿を印象に残し、今回のミッドオハイオでも6位のリスタートから瞬く間に2台を抜き去ったことでキャリアベストのフィニッシュに辿りついた。F3の時代からそのロケットスタートは有名で、F1、とくに後期のスーパーアグリをドライブしていたころはそれで活路を開いてもいたものだが、方式がローリングスタートになってもまったく変わらず他のドライバーを脅かしている(なぜこれができて1対1のバトルが下手なのかと思うほどに)。モータースポーツの醍醐味を瞬間の美とするならば、佐藤琢磨はインディカー・シリーズのなかで最もエキサイティングなドライバーの一人になったといっても過言ではない。

 とはいえ、局所的な才能の積み重ねがかならずしも結果という総体に直結しないのが、一度のミスですべてが台無しになるモータースポーツの難しさだ。たしかに佐藤琢磨が決勝レース中に犯したミスをあげつらえばきりがない。今年に入ってからでさえ、何度われわれは彼の走りを見ながら希望と失望を往復しただろうか? 予選に対して4つものポジションを落とす決勝平均順位13.7位は、やはり彼の問題として突きつけられざるをえまい。それがF1のシートを失った遠因だったと言ってもそれほど異論は出ないだろうし、昨季何度も速さを見せながら終わってみればシリーズ21位に沈んだ理由でもあった。

***

 逆に、そういう悪癖が出なければやはり高いポテンシャルの持ち主であることを示したのが今回のミッドオハイオだと言える。初日のエンジントラブルで練習走行を棒に振り、ファイナルプラクティスまで試行錯誤を繰り返すなど、積極的な勝負を仕掛けるには足りない状態だったことが、逆に奏功したかもしれない。1回目のフルコース・コーションと残り距離の兼ね合いが微妙で、バトルよりも燃費走行に重点を置かなければならなくなったことも冷静に事を運ぶ助けとなっただろう。ともかくも、今季初めてと言っていいくらい、佐藤は決勝でミスすることなく、ピットストップも無難にこなして地味にレースを戦い切った。抑揚の波を小さくすれば自然にトップ10、トップ5に食い込める力があることを見せたのはチームに対してよいアピールになっただろうし、ドライバーとしても戦い方を覚えるよい経験になったと思われる。

彼の地味なレース運びに倣って、わたしも地味な点に着目しておこう。最終スティント、素晴らしいリスタートで4位にまで浮上した佐藤琢磨は、ジェームズ・ヒンチクリフのスピンによって5番手に上がったカナーンをすぐ後ろに背負い、1秒以内の勝負に持ちこまれた。前方のダリオ・フランキッティとライアン・ハンターレイからはじわじわと離されはじめ、同僚のアタックに苦しむかと思われたが、佐藤は逆にそれをはねのけて冷静にペースを取り戻し、アンダーステア気味のハンドリングに苦しむフランキッティとそれを追うハンターレイのバトルが破綻すればすぐさまポジションを奪える位置関係まで戻ってきて――そしてそれ以上のことをしなかった。トップ5に入っても追い立てられないスピードを示し、同時に状況を見て引き際をしっかりコントロールしたということである。これこそ、ともすると過剰なファイターと化してしまう佐藤琢磨に覚えてもらいたいとだれもが感じていたレース運びだったに違いない。3位ハンターレイからの+3.2278秒、5位カナーンへの-7.4886秒という前後のギャップは、彼がこのレースで得た収穫を象徴するかのような、一流ドライバーがしばしば見せる「正しい」フィニッシュ位置だった。

(*1)ヴィソは予選ノータイムのサンパウロを除く。なおベスト/ワースト順位を除外した平均は佐藤8.9位、カナーン12.2位、ヴィソ16.3位(琢磨とカナーンは元よりよいが、ヴィソは下がる。ようするに2人が「失敗するときもある」のに対し、ヴィソは「良いときもある」ということになる)で、チーム内ベストの回数は佐藤7回、カナーン4回、ヴィソ0回……琢磨がいいことよりも、むしろヴィソ大丈夫なのかという感想を抱かざるをえないところだ。ヘビ飼ってる場合じゃねえ。

マルコ・アンドレッティの空白

【2011.6.25】
インディカー・シリーズ第8戦:アイオワ・コーン250
 
 
 天気についてしか当時の記憶を引っ張り出してこられないというのは情けないことではあるが、その空の青さだけは妙に印象に残っている。あるレースについてふとした拍子に思い出すときしばしば空模様とセットになっているのはわたしの癖のようなもので、それは多分天の気まぐれがレースの、ひいてはドライバーの運命を決めてしまうからだったりするのだろう。モータースポーツファンはサッカーファンに比べて2時間のうちに空を気にする回数がちょっとばかり多いのだ。2006年に行われたソノマGP、インフィニオン・レースウェイはたしか快晴で、マルコ・アンドレッティの駆るアンドレッティ・グリーン・レーシング#26のマシンもそんな空に溶けこむように青かったはずだ。彼がインディカー史上最年少の優勝を遂げた夏の終わりである。

 米国においてアンドレッティの名前は特別だ。マルコの祖父マリオはF1とCARTのダブルチャンピオンで、父マイケルは中高生のころのわたしですら知るCARTの英雄だった。アンドレッティ一族とアンサー一族さえ押さえておけば、きっとあの国のオープンホイールレースの歴史について半分は語れてしまう。わたしはそこまでマニアにはなれないけれど、たとえば村田晴郎と小倉茂徳が対談すれば一晩くらいは軽くしゃべり続けてくれるだろう。インフィニオンで新たなヒーローとして迎えられたマルコは、アメリカのモータースポーツ界そのものが待ち望んだヒーローでもあった。所属は前年チャンピオンでマイケルがオーナーの名門AGR、ドライビングも父譲りで荒々しく速い。加えてデビュー直後のインディ500で溢れる才能の片鱗を見せつけ、しかしフィニッシュ直前でサム・ホーニッシュJr.に屈して涙を呑んだストーリー性までまとっている――可能性に貪欲になるのも無理はない。マルコが受けた初めてのトップチェッカーは、未来のチャンピオンが踏み出したはじめの一歩、ほんの序章だった。2006年8月27日のインフィニオンはマルコの快挙と同時に前途を祝福したはずだった。その後のインディカーが完全にチップ・ガナッシ・レーシングとペンスキー・レーシングの時代になり、マルコ自身にも長い空白が訪れるとは想像もできなかった。

 頼りになる兄貴分のトニー・カナーンがKVレーシング・テクノロジーに働き場を求め、気づけばチーム最古参のドライバーとなった2011年に至るまで、マルコのキャリアに勝利が積み上がることはなかった。5年のうちに何人かのドライバーを同僚として迎え、何人かは去っていった。その中には日本人もいた。マルコは彼らに決して引けを取らない速さを誇ったが、ダニカ・パトリックにしろ、カナーンにしろ、ライアン・ハンター=レイにしろ、勝つのはいつもマルコではないだれかだった。数少ない同僚の勝利は多少なりとも運に恵まれたものだったが、そのような僥倖がマルコに訪れることはほとんどなかったし、スピードだけで2強に太刀打ちすることは叶わなくなっていた。もちろんそれだけでなく、やはり彼自身にも問題はあった。チームメイトに比べてクラッシュがすこしばかり多かったのだ。時間ばかりが過ぎていって、そのぶんだけ彼を取り巻く環境もすこしずつ変わった。同僚が入れ替わり、キム・グリーンが去ってチームはアンドレッティ・オートスポートへと名前を変え、マルコのマシンも黒と赤を基調とするカラーリングになった。変わらないのは優勝回数の欄だけだ。口性ないブロガーが疑問を書きたてても不思議はなかっただろう。いったい彼の立場を守っているのは、才能なのか、それとも来歴なのか?

ナイトレースとして開催されたアイオワ・コーン・インディ250の185周目、日曜日のお昼前というモータースポーツを見るにはちょっとばかり似つかわしくない時間にテレビにかじりついていた日本人(わたしのことだ)が逃したチャンスの大きさに頭を抱えていたとき、予選17番手に過ぎなかったマルコ・アンドレッティのポジションは2位にまで上がっていたが、かといってそれをすぐさま5年ぶりの勝利のチャンスと捉えるのはやや楽観的に思えた。インディカーシリーズ史上初の日本人ポールシッターとなった佐藤琢磨がダリオ・フランキッティにリーダーを譲ったのは序盤も早々の7周目のことであり、それから百数十周にわたって、佐藤とカナーンがどれだけ追撃しようともチップ・ガナッシの牙城はまったく揺るがなかった。フランキッティのスピードはそれほど群を抜いていた。トラフィックをかいくぐってきたマルコの速さに目を瞠るものがあったのは認めても、集団争いとトップバトルでは求められる特性がまるで違うのがオーバルレースである。フレッシュエアーの争いでマルコがフランキッティを打ち負かすのは容易ではなかったはずだった。

 佐藤が軽率なスピンでレースを失ったことで出されたフルコース・コーションのタイミングで行われた給油作業で、アンドレッティ・オートスポートのクルーはいい働きを見せてマルコをラップリーダーとして送り出したものの、フランキッティの速さを見れば再びのリードチェンジは時間の問題に思えた。チェッカーフラッグまで無給油で走りきれる状況でリーダーにいるマルコが勝利する絵を想像できなかったのは、この5年間のせいかもしれない。終わってみれば先週のミルウォーキーのような結果になるだけだ、というわたしの正直な感想は、レース後に振り返ってもなお、それほど的外れとは思っていない。ただこのとき、背後からカナーンが迫ってきて一度フランキッティをパスし、三つ巴のバトルに様相が変わる。このほんのわずかな展開の綾が、結局マルコにとってこの日唯一の、とてもささやかな幸運となった。3台が入り乱れてもフランキッティは変わらず速く、走行ラインを自由自在に選んでスピードをアピールしていたが、211周目の最終ターン、一度だけ2台のタービュランスに嵌って強烈なアンダーステアに見舞われ、スロットルを閉じてしまう。瞬時に1秒以上を失ったフランキッティはスコット・ディクソンから標的にされ、トップバトルに絡む権利を手放した。

 夜の空模様を窺うことはとうていできなかったが、今にも雨が降りそうな湿度の高い気象状況で、180mphでコースを駆け抜けるマシンのリアウイングが雲を作り上げ、光の加減で白くなびくさまがよく見えた。5年前のインフィニオンが快晴によって思い出されるのだとしたら、2011年のアイオワは空の代わりに翼端で渦を巻くこの雲とともに記憶されたりもするのだろう。フランキッティを葬ったあとマルコはカナーンにいったんリーダーを譲り、インサイドを死守する昨季までのチームメイトに対し攻撃の機会を見いだせずにいたものの、ついに231周目、わずかに見せた隙に一瞬で飛びこんで5年の扉をこじ開けた。攻守は交代し、今度はマルコが攻め立てられる。チェッカーまで10周、カナーンのインサイドアタックに対してマルコはハイサイドから半ば強引に下りていった。それはすこしばかり危険を伴う動きで、両者のラインは一度交錯しかけたが、アンダーステアを出して飛びこみきれなかったカナーンは眼前をカットされてスロットルを大きく戻した。レースに勝つのは大変なことだけれど、勝つとなればこんなものだ。湿った重い空気の抵抗に負けてカナーンはスピードを失う。後れを取ったライバルを尻目に、赤と黒のアンドレッティ・オートスポートはサーキットを煌々と照らす照明のなかを優雅に加速していったのだった。

道に迷った牛乳配達人

【2011.5.29】
インディカー・シリーズ第5戦:第95回インディアナポリス500マイル
 
 
 GAORAの中継では、ファイナルラップの最終ターンを俯瞰映像で映し出していた。まずJ.R.ヒルデブランドがスピードを乗せられず周回遅れに甘んじたチャーリー・キンボールを避けようとアウトサイドにマシンを出しながらフィニッシュラインのほうへと抜けていき、カメラはインディ500という祭典の終幕を惜しむように、2番手のダン・ウェルドンがもはや届くはずのない位置を追走していることを教えながら、少し遅れてパンニングした。インディアナポリスの快晴が感傷的な余韻を生んで、二転三転したレースの最後のリーダーを務めるルーキーを祝福する準備が整っていた。クレバーな走りでリードラップに居座り続け、若さに見合わぬ燃費走行まで見せつけた新人が乾坤一擲のピット戦略で名だたる強豪を出し抜き、ボトルの牛乳を一気飲みして見せる――それは100年目を迎え新たな歴史に向かうインディ500にとってたしかに、ありうる美しいシナリオのひとつに見えた。薄れてきた記憶からファン・パブロ・モントーヤ以来のルーキーウィナーになることを手繰り寄せ、ついでに父マイケルのアシスト虚しくサム・ホーニッシュJr.にゴール寸前で屈して偉業を逃したマルコ・アンドレッティが敗れた年のことも思い出していた。結局オーバルのマルコはあれ以来チャンスが来ないままだ。

 嫌な予感がした、とあとから回想するのはいかにも気障にすぎて好ましくないことは重々承知のうえだが、しかし実際ヒルデブランドがキンボールをラップしていく寸前、軽い違和感はあった。いや、予感と言うにはもう少しはっきりしており、わたしは画面下のほうに映るヒルデブランドが選んだラインが、ハイサイドのレコードラインからさらに車体半分だけはみ出していることを一瞬とはいえたしかに見て取っていたのである。30台ものクルマが800kmの距離を走ったインディアナポリス・モータースピードウェイでは、レーシングラインとオフラインが鮮やかなグラデーションを描き出していた。ヒルデブランドはその右輪だけを、マーブルだらけの汚れた路面に乗せたのだった。

レースはフィニッシュまでなにが起こるかわからないという警句は、裏を返せばたいていの場合はなにも起きやしないからこそ生じる油断に対する戒めだったりする。事実ファイナルラップ最終コーナーでのとんでもない逆転など、毎週末のようになにかしらのレースを観ていてもそうそう遭遇するものではない。小林可夢偉がセバスチャン・ブエミのインを差したバレンシアはタイヤの差があったし、ポジションとしてもせいぜい7位の争いだった。マニ−クールのファイナルラップでヤルノ・トゥルーリがルーベンス・バリチェロに表彰台を譲ってしまったのも懐かしい記憶へと変わり、もう2人とも当時のチームにはいない。ホーニッシュJr.のインディ500は歴史に残る大逆転だったが、「歴史に残る」とはようするにそれだけ珍しいということである。たしかにオーバルではクロスフィニッシュが多いものの、それはオーバルレースがそういう性質のものだからであって、5秒のギャップを築いていたリーダーが残りたった500mでレースを一瞬のうちに失うなんてことが起こりうるという想定がおよぶところではない。理屈としてはありえても現実には一笑に付すくらいの話である。

 力強かったロードコースとは打って変わってまるでいいところがなかったチーム・ペンスキーのライアン・ブリスコーと、予選の速さを決勝に持ち込めなかったサム・シュミット・モータースポーツのタウンゼント・ベルが交錯した結果のフルコース・コーションは、158周目というストラテジストに困難な決断を強いるタイミングで提示された。ダニカ・パトリックをはじめ数台がすぐさまピットへと入って燃料を満タンに積んだが、フューエルウィンドウ約35周のコースではよほどの幸運に恵まれないかぎり200周目まで走り切ることは困難に思えた。上位勢はステイアウトを選択し、チェッカーフラッグまでアンダーグリーンで戦われることを願った。そしてリーダーのダリオ・フランキッティとヒルデブランドは、少し我慢してコーションラップが終わる直前に給油を行って、トラックポジションを失う引き換えに最後まで走り切る権利を得た。

 ステイアウト組が178周目前後で次々にピットインし、最後のインディ500と噂されるパトリックが一度はトップに立つものの、189周目のピットインで万策尽きてチャンスを逸する。オーバル慣れしていないベルトラン・バゲットはスピードに賭けたが、さすがに空の燃料タンクのまま走ることはできなかった。労せずしてリーダーの座へと舞い戻りあとは走りきるだけとなったフランキッティの戦略に隙はないように見えたが、給油が完全ではなかったか、タイヤを交換しなかったことが影響したか、あるいはその複合なのか、1周ごとに5mphもラップの悪化するペースダウンを喫して、198周目、ついにヒルデブランドがトップに立つ。ウェルドンはまだ後方だった。

 最近のダン・ウェルドンには不遇の印象がつきまとう。シリーズチャンピオン経験者で2位も2度獲得しているほどのドライバーにもかかわらずチップ・ガナッシではスコット・ディクソンの影に隠れがちで、パンサー・レーシングに移籍したもののチームにチャンピオンを獲得したころの戦闘力はすでになく、今季はついにレギュラーシートを失った。そんな苦境にあってインディ500で2年連続2位に飛びこんだのはさすがにオーバルのスペシャリストの貫禄だったが、昨年などはどちらかと言えばすんでのところで勝利を逃した感のほうが強い。ファイナルラップでマイク・コンウェイの危機的なクラッシュが起こらなければ、アンダーグリーンのウェルドンは過度の燃費走行を強いられていたフランキッティを捉えていた可能性が十二分にあった。

 シートをかろうじて手に入れたウェルドンのインディ500は、今年も2位で終わりそうだった。シリーズコンテンダーではないことや参戦の経緯を考えれば望外の成績である。ウィナーのチームがパンサー・レーシングという結果は皮肉としてもちょっとスパイスが利きすぎていたが、残り1周を示すホワイトフラッグを受けながら、チャンスをくれたブライアン・ハータ・オートスポート・ウィズ・カーブ/アガジェニアンの働きに贈る賛辞をコクピットのなかで考えてもいい頃合いだった。牛乳配達人がボトルの届け先をいきなり変更するなんて気まぐれは、どんなに楽観的に考えてもあるはずがなかった。そういう品に欠けた期待はするものではないのだ。

 どうやら脚本家は最後の1行を書くのに慌てたようだ。スマートなルーキーが3年連続で2位に甘んじていたチームをついに優勝へ導くという新たな100年を祝うにふさわしいシナリオは、不遇に置かれた気難し屋のベテランが表彰台に帰ってくるという100周年を締めくくるにふさわしいシナリオへと不意に書き換えられた。どちらでもよかったし、どちらにせよインディ500が選びうる美しい結末で、ひとつを捨てなければならないことが惜しまれた。最後の最後のクラッシュばかりは、歴史に対するサービスのしすぎだったかもしれない。若いドライバーがそういうこともあるんだと言いきるには、まだ少し時間が必要になるだろう。はたしてファイナルラップ最終ターン、ヒルデブランドが駆るパンサーは、3時間かけて路面に積もったマーブルに右輪を乗せ、タイヤが作る舵角にまるっきり抗いながらほとんどまっすぐ進んで、セイファー・ウォールと悪夢のように情熱的なディープキスをかわす。壁に生気を吸い取られすでに息絶えたマシンは残った左の2輪でただ慣性にだけ身を任せてフィニッシュラインへと壁伝いに滑っていったものの、そのインサイドをウェルドンが軽やかに抜けていった。

マイク・コンウェイには幸運に与る価値が合った

【2011.4.17】
インディカー・シリーズ第3戦 ロングビーチGP
 
 
66周目にペースカーが退いてグリーンフラッグが振られたとき、マイク・コンウェイのことを気にしていたのは彼自身と、レースストラテジストくらいのものだっただろう。1度目の給油ミスで大きく順位を落とし、最終盤のリスタートでは11位を走るにとどまっていた彼が優勝を狙うには、コースは少しばかり渋滞していた。レース後のインタビューで神妙な面持ちながら喜びを抑えきれずにいたオーナーのマイケル・アンドレッティにしたところで、どうやってライアン・ハンター=レイを勝たせるかしか考えていなかったにちがいない。レーシングチームなんて大概そんなものだ。

 妙なことは起こるものである。リスタート時の隊列を2列にするようレギュレーションが変わり、フルコースコーション明け直後の事故は増えた。1列スタートよりもスタート直後の密度は圧倒的に高くなり、ラテンの血が騒ぐのか今季すでにリスタートでやりたい放題に暴れまわっているエリオ・カストロネベスが、このときも無謀なタイミングでターン1のインサイドに突っこんであろうことかチームメイトのウィル・パワーを撃墜すると、煽りを受けたオリオール・セルビアの進路がなくなり、スコット・ディクソンも事故の脇をすり抜ける際に右フロントタイヤを引っ掛けられてサスペンションを壊した。予選でクラッシュして下位スタートに甘んじながら10位にまでポジションを上げていた佐藤琢磨がこの4台を尻目に6位に浮上するが、すぐさまグレアム・レイホールがその左リアに追突し、タイヤをカットされてスピン、レイホールもフロントウイングにダメージを負った。都合6台が消えてふたたび黄色の旗がコースのそこかしこで振られるようになったころには、コンウェイはなぜか、ということもないが3位を走っていた。

 70周目のグリーン・フラッグで今度はハンター=レイがスローダウンし、コンウェイはほとんどなにもしないまま2番手になってしまった。フレッシュのレッドタイヤ、燃料もフルリッチで使える彼は速く、あっという間にライアン・ブリスコーを交わして、チェッカー・フラッグではもう6秒以上のリードを築いていた。GP2ウィナーに名を連ねながらもF1には届かなかった27歳のイギリス人が、アメリカの地で初めて表彰台の真ん中に立ったわけである。

***

 クラッシュはレースの華、醍醐味だ、という言及はときおり見かけないこともないが、わたしはそれを見るたびに穏やかならぬ心境になる。4輪モータースポーツの最高峰をF1に置けば、たしかに幸運なことにアイルトン・セナ以来17年ドライバーの死亡事故は起きていない。この間F1の安全性が飛躍的に高まったのは事実だが、その努力を認めつつも同時にただの幸運に過ぎなかったということは、2000年のモンツァと2001年のアルバートパークでクラッシュによりちぎれ飛んだタイヤの直撃を受けてマーシャルが死亡する事故があったことを考えればすぐにわかることだ。F1は安全かもしれないが、しかしだれもが言うほど安全なわけでもない。平均時速がF1とは比べものにならない(そして残念なことに、一部のドライバーのレベルもF1とは比べものにならない)インディカーにはもっと危険が潜む。1999年に高校生だったわたしはフォンタナでグレッグ・ムーアというカナダの若い才能が失われたことに悲嘆した。CARTでだれより好きなドライバーだったのだ。ポール・ダナがマイマミで亡くなったのも、まだせいぜい5年前の話である。

 一昨年はF2で走行中に転がってきたタイヤがコクピットを直撃するという不運によりヘンリー・サーティースが死亡した。直後にF1でフェリペ・マッサのヘルメットに150g程度の部品が当たって、しかしそれだけで彼は気を失ってフェラーリF60がなんのコントロールもないままタイヤバリアまで直進していった。両者の事故に大きな差があるわけではない。「いまこれを書いている最中にも世界のどこかのサーキットで」という常套句めいた言明はさすがに大袈裟が過ぎるだろうが、死も、紙一重の生還もいまだ往々にして起こる。

 2010年5月30日、インディ500のラストラップでクラッシュしたマイク・コンウェイは重傷を負った。燃料節約戦略に賭けたライアン・ハンター=レイが健闘むなしくガス欠となってスローダウンしたところにコンウェイが追いつき、オープンホイールでもっとも危険な前後関係でのタイヤ干渉が起こって、ドレイヤー&レインボールドの青いマシンは巻きあげられ宙を舞った。クルビット機動のように背面回転したマシンは緩衝壁を飛び越えて観客席目前のフェンスに激突し、コクピットブロック以外はすべて吹き飛んで路面へと落ちた。200mphというレベルの速度帯でのクラッシュである。一目危険な事故なのは明らかだった。

 2003年だったかのテキサスで起きたトーマス・シェクターとケニー・ブラックのクラッシュや、2007年F1カナダGPでのロバート・クビサの事故が最悪の事態にならなかったように、コンウェイもすぐにばらばらになったマシンから救出され、生命の無事は確認された。だが左足の骨折と胸部圧迫骨折を負った彼がその年のトラックに戻ってくることはなかった。まだインディ2年目の、トップ10に顔を出すか出さないかといった程度のドライバーが陥るには十分な苦境だ。毎レース欠かさずテレビで観戦してもてぎにもいそいそと足を運ぶ、日本人としてはそこそこインディカー・シリーズが好きな部類に入ると思われるわたしにしても、事故の衝撃はダリオ・フランキッティとウィル・パワーのチャンピオン争いが白熱する夏以降にはすっかり薄れていた。少しずつ才能を発揮しているように見えてはいたが、それでも今年のクビサのように「いなくて寂しい」と思えてしまうほど、コンウェイに存在感があるわけではなかったのだ。少なくとも海の向こうの同盟国で明け方スナック菓子と甘いコーヒーを口にしながら怠惰にレースを観ているだけの人間にとっては、それっきり姿を見なくなっても不思議ではなかった。アンドレッティ・オートスポーツと今季の契約を結んだというニュースを目にしたときには、少し意外に思ったものだ。マイケル・アンドレッティが才能を認めたのか、それともいかにもこの競技にありがちな疑い方をするならトニー・カナーンがスポンサーの縮小によってチームを去らざるをえなくなった後のいい財布なのだろうか、という具合に。

 そういう品のないものの見方はやめておこう、前者が正しかったということだ。初戦、2戦目と速さが結果につながらず、ロングビーチでもピットワークの問題で下位に落ちた。レースではときに引き受けなければならない不運であり、リスタートのあとをうまく立ちまわって9位くらいでフィニッシュすればじゅうぶん褒められる日だったはずだ。なのに、妙なことは起こるものである。わずか5周のあいだに7人のドライバーが道を開けて、なぜかコンウェイは圧勝してしまった。いくらインディカーがアクシデントとそれに伴うフルコースコーションが多いレースと言ってもちょっとありえないくらいの勝ち方であるが、しかしどうにも愉快でしかたない。モータースポーツには悲しい事故もある。1人の力のないファンでさえ、それに向き合わなければならないことがある。それでも、そこにかかわるすべての人々の不断の努力によって華やかな地上最速のショーは回っていくものだ。危険がそばにあるとわかっているから、モータースポーツは安全のための方策をひとつひとつ積み上げてきたし、これからも積み上げていく。コンウェイは200mphのエアボーンから生還し、休養は必要だったもののおなじマシンのコクピットにちゃんと戻ってきて、だれよりも速く167マイルを走りきった。彼は少しだけ、安全性を高めてきたモータースポーツの歴史に救われたのだ。コンウェイがフィニッシュラインを越えたとき、GAORAで実況を担当していた村田晴郎氏はまずなにより「おめでとう!」と寿いだ。あまりないことだが、きっとだれもがそう思うレースだった。あらためてマイク・コンウェイの最初の勝利に乾杯しよう。そして、彼を勝利の場へと戻してくれたモータースポーツを祝福しよう。