ミッドオハイオに現れた現代のインディカー、あるいはレーサー鹿島の一言

【2022.7.3】
インディカー・シリーズ第9戦

ホンダ・インディ200・アット・ミッドオハイオ
(ミッドオハイオ・スポーツカー・コース)

それなりに長いあいだ、また多少なり注意深くインディカー・シリーズを見続けている人なら、ある時期を境にレースのありかたが大きく変化したと気づいているのではないだろうか。明確に認識していなくとも直観はしているという人も多いかもしれない。具体的には2018年、カイル・ノヴァクがブライアン・バーンハートに代わってレース・ディレクターに就いてからのことだ。法律家としての顔も持つ新任のディレクターが手を入れたのは、ロード/ストリートコースにおけるフルコース・コーションの運用についてだった。コース上で問題が発生した際にピットを閉じてレースの速度を落とし、すべての車輌をいったんペースカーの後ろに並べたうえで再スタートさせる一連の手順に対し、空白の時間を作るようにしたのである。レース・コントロールによって意図的に与えられたこの猶予は、ときにレースが導きうる結末までをがらりと変え、ひいては競技者の戦い方に明白な影響を及ぼすようになった。それは実際の運用方法としては小さな違いでしかなかったが、しかし現代のインディカーをノヴァク以前と以後に分けうるほど画期的な転回であったとさえいえるものだった。少なくともわたしはそう信じている。

「空白」を考えるにあたってまずバーンハートの時代を振り返るなら、傍から見るかぎりオーバルレースとロード/ストリートレースにおけるコーションの運用はまったく同じだった。つまりあらゆるレースにおいて、コースのどこかで異常が起こったならば、それがちょっとした単独スピンであってもいっさいの間を置かず半ば自動的にコーションを導入していたのである。この方針は、速度域が高く退避場所のないオーバルに適用するのはきわめて合理的な一方、ロード/ストリートではピットストップとの兼ね合いでレースを撹乱する要素ともなる。たとえばレース終盤、後方集団がみな最後の給油を終えたなか先頭だけがコースに留まっているような状況で、何らかの事故が発生したら? そこで即座にコーションが伝えられれば、レースを支配していたはずのリーダーは後続との差をすっかり縮められたあとにピットストップを行わなければならず、大きく順位を落としてしまう。それはけっして杞憂に近い最悪の想定ではなかった。2017年のセント・ピーターズバーグやトロント、2016年のデトロイトにやはりトロント、あるいは2015年のミッドオハイオなどなど……給油時期とコーションの微妙な重なりによって順位争いが大きく変質した例は実際にいくつもある。7年前のミッドオハイオにいたっては、スコット・ディクソンと選手権を争っていたファン=パブロ・モントーヤが、ライバルのチームメイトのスピンで後方に追いやられた経緯について「わざとやらせた」とまで発言した。2009年のF1シンガポールGPで起こったクラッシュゲートとおなじ構図だったというわけだ。事の真偽はともかくとして、そこに作為の介入があったと疑える程度には、当時のインディカーにおいてコーションはレースを過度に撹乱しうるものだと認識されていたのだろう。わたし自身もコーションに対応せずに上位を逃した挙げ句、恨み言まで繰り出すチームに対して批判的な記事を何度も書いた。コーションはつねにゆくりなく訪れる予測しようのない事態だが、しかしだとしても不測の事態に見舞われたときに自分を安全な位置に避難させておくことはできる、そうしなかったのは根拠のない楽観に基づいた怠慢にすぎない、と。あるいは日本のインディカー中継の解説者のひとりである松浦孝亮はしばしば「ピットウィンドウが開いたら(つまりピットストップできる状況になったら)すぐに入るべきだ」といった趣旨の言葉を口にするだろう。そこには周囲の動きに反して自分だけコースに留まる危うさへの強い警戒が表れているはずだ。

 実際、愚かとしか言いようがない失敗を繰り返しながらも、しかしチームは徐々にコーションに対してあるべき振る舞いを学習していったと思える。2010年代にオーバルレースが急減し、ロード/ストリートの経験と重要度がともに増していった歴史的経緯も関係があるのかもしれない。まるで松浦の助言を聞き入れたかのように、燃料量に合わせたピットストップを行うチームは確実に増えた。満タンで25周走れるコースなら、最後のピットストップは残り25周で。仮に、たとえば最後に燃料やタイヤの余裕をもたせようといった意図で少しばかり先延ばしにしようとする雰囲気が漂っていたとしても、だれかが口火を切った瞬間に全体が堰を切ったように動き出す。抜け駆けは許されない。同じ時間帯にほとんどの車が大挙してピットレーンに飛び込んでくるのは、ピットストップの完了/未了が潜在的な危険の大小に極端なくらい直結すると、みなが共通に理解していたからだ。走り続けて得るものは少なく、しかしながらいざ一事あればすべてを失いうる――実際に測ったようなタイミングでコーションが導入されるレースは多くなくとも、期待値を考えれば備えない理由がない。「待つ」のは、何かしらの勝算を秘めた賭けのときにかぎる。合理性を追い求めて一秒でも早くゴールへと向かおうとするレースの営みのなかで、これはごく自然に辿り着く帰結だった。

 コーションとピットストップの関係に対する合理性の追求が強く意味づけられた極致が、2018年4月15日のロングビーチGPだったろうか。この日完璧な速さを誇ったポールシッターのアレキサンダー・ロッシが2回のピットストップをほぼだれよりも早く完了させたのに対し、2位と3位を走っていたセバスチャン・ブルデーとスコット・ディクソンはコースに残り続けた。するとまさにその狭間にあった60周目に事故が起こり、即座にフルコース・コーションが導入されたのである。ブルデーはそのときピットレーンへと進入しようとしていたが、間一髪で間に合わなかった。ディクソンに至っては、ピット閉鎖中にもかかわらずなぜか平常どおりの給油とタイヤ交換を行って、ドライブスルー・ペナルティを受ける結果となる。ロッシは? もちろんなんの問題もなく悠々と先頭へ戻り、残り25周をあっさり逃げ切って優勝した。表彰台を確保していたはずのブルデーとディクソンは結局それぞれ13位と11位に沈む。言うまでもなく、代わって2位に入ったウィル・パワーも3位のエド・ジョーンズも、コーションの前にピットストップを終えていた。

 先に挙げたとおり、それまでも似た経緯を辿ったレースはいくつもあった。ただこのロングビーチは、もともと調和的だったリーダーが水も漏らさぬ立ち回りで調和的なまま優勝したために、つまり運命に翻弄された悲劇の主人公じみた口調で「コーションの不運」を言い募る正当性を封じたために、敗者の滑稽な蹉跌をより鮮やかに浮かび上がらせたように見える。ピットストップをむやみに先送りしてはならない――コーションのリスクを勘案する重要性は、このレースをもって象徴的に証明しつくされたとも言えるだろう。ここにはおそらく、時代のひとつの完成があった。しかし一方で、完成されたその瞬間から、シリーズはむしろ正反対の方向へと舵を切ったのである。すなわち「空白」の時間を作ること。ロングビーチでまだディレクター就任3戦目だったノヴァクは、これ以降自分のやりかたをシリーズに与えていった。それは観客にも容易に感じられる、明らかな方向転換だった。

 おそらく最初の兆しは3ヵ月後のデトロイトで現れている。2018年6月2日の土曜日に行われたレース1で、新人のレネ・ビンダーが長い直線の後のターン3をまっすぐ進み退避区域に飛び込むという小さなインシデントが45周目に起こったとき、ちょうど給油時期を迎えていた上位チームはコーションの導入を時間の問題と見て取り、グリーン状況が維持されているうちに次々とピットへ飛び込んだ。その中には、周囲よりも1回多い3ストップ作戦を採用し、本来ならスティントを引き延ばして開けた空間でペースを上げたかったはずのライアン・ハンター=レイも含まれている。その目論見はひとまずうまくいき、彼らは順位を失わず元の位置に戻ってこられたのだった。

 ところが臨機応変に動いた者の思惑に反して、コーションはなかなか出されなかった。ビンダーはバリアの手前で停止したあとすぐにレース復帰を目指したが、壁に囲まれた狭い場所でコースに戻るための方向転換に手間取り、長時間そこに留まっていた。簡単に脱出できそうもない状況が続くなか、しかしレース・コントロールは静観を貫いたのである。さらにビンダーが何度も切り返しを試みるうちにエンジンをストールさせて完全に止まってしまってもなお、出されていたのはターン3に限定された「ローカル・イエロー」だけで、フルコース・コーションはいつまでも見送られたままだった。発令されたのは47周目。しかしその原因はコースの反対側のターン13で起こった事故によるものだ。当時の記録のコーション欄に、ビンダーのカーナンバー32は導入理由として記載されていない。結局、彼の停滞は何も呼び込むことなく終わった。

 それは以前のインディカーを知るかぎり想定外の進行だった。もしおなじ状況が1年前のバーンハート時代に現れたのならば、ビンダーがコースへ復帰しようとする最中に、いやそれどころか飛び出してバリアの前でいったん停止した時点で、まちがいなくコーションが出されていたはずだ。ところがこのときは、退避区域であったとはいえ、自力で動けなくなった車がいたにもかかわらずレースは止められなかったのだ。2周にわたってコーションが見送られた、それこそが「空白」だった。ここにインディカーの変化がある。当時、この意味はかならずしも明確ではなかった。似たような事例はその後も何度か発生したが、「運営が空気を読んだ」といった曖昧な笑い話で片付けられていたと記憶している。しかし実のところ、インディカーは――レースの判断の中心を担うノヴァクは――意図をもって黄旗を振る腕を押さえつけていたのだ。インシデントからコーションの発令までに時間を設け、チームに対応の機会を与えること。「空白」の創出。それによって、レース・コントロールは文字どおりレースをコントロールしようとしたのである。

 空白の効果がもっとも現れ、インディカーが変わったと強く知らしめたのは、2019年4月7日のアラバマGPだろう。当時、わたしはこう述べている。

この(佐藤琢磨の)美しい勝利の陰に「黄色」にまつわるインディカー・シリーズの変容を見るのも観客として採りうる態度と思われる。レイホール・レターマン・ラニガン・レーシングのグレアム・レイホールが[…]ターン8の立ち上がりで動力を失うと、続く短い直線の急坂を惰性でおもむろに下りながらコース外へと退避しようとしたが、甲斐なく谷底で完全に止まってしまったのだ。それはきっと、すぐにでもフルコース・コーションを引き起こしうる事態だった。レースはすぐさまペースカーが先導する低速の隊列に束ねられ、ピットレーンは閉じられて進入を禁じられてしまうはずだ、そしてこんなときトラブルの萌芽を嗅ぎつけて黄旗が提示されるまでのわずかな隙間を縫って給油とタイヤ交換を済ませるチームがあったとすれば、彼らは望外の結果を手にするだろう。だとすれば順調に先頭を走っていたはずの佐藤は波瀾の渦になすすべなく呑まれ、数多のラップリードだけを徒花の最速の証明として敗れる。そこまでの結末さえ直感的に予想できたかもしれない。実際、レイホールがいままさに止まろうとしているさなか、ピットへと飛び込んできた車は何台かいた。折よくピットレーン入り口手前を走っていた彼らはとてもうまく事を運んで、逆転への切符を入手した――のではなかった。結果として、望みどおりにコーションとはならかったのである。[…]レイホールが完全に停止し、再始動が明らかに不可能に見えても、レースは止められなかった。後方集団の何台かが急遽ピットに向かったあとも、何事もなかったかのように進んだ。それどころか、ピットへ進入しようとしたマックス・チルトンがトニー・カナーンに弾かれるようにしてグラベルへと飛び出し、すぐ先のスポンジバリアに突き刺さってもなお、レース・コントロールはなんの動きも表そうとしなかったのである。ようやく画面にコーションの黄色が躍ったのは、佐藤をはじめとした集団がその周回を終え、大挙してピットレーンへと押し寄せた後だ。レースを引っ張る彼らはコースに取り残されずに済み、先んじて動いた後方のドライバーたちとまったくおなじ通常どおりのピットストップを行い、ふたたび先頭でコースへと合流していった。
(「けれどもジョセフ・ニューガーデンの話をしよう」『under green flag』2019年4月13日)

 序盤から力強いペースでレースをリードしたまま優勝を手にしようとしていた佐藤琢磨を、ノヴァクたちレース・コントロールはたしかに守った。正確に言えば、特定のだれかの順位ではなくレースの一貫性自体を守ろうとした結果、勝つべき者がその座を剥奪されず正当な勝者として留められたのが、このときのアラバマだった。クリティカルな状況でレースを反転させうる事態が不意に舞い込んだとき、時間を操作して反転を押し止める。2位に入ったディクソンは、まさに一貫性の観点からこの運用を称賛した(Jamie Klein, ”Dixon praises Race Control for delayed Barber caution”, motorsport.com, 8 April, 2019.)。ロッシのロングビーチからわずか1年。ディクソンは当時失った表彰台を同じ状況にあって引き戻したことになる。インディカーのレースは、本当にがらりと自らの様相を変えたのだった。

 もちろんレースの構造的本質が置き換えられたわけではない。コーションと同時にいったんピットが閉鎖される以上、安全にレースが行われているうちに給油を済ませるのはいまだ鉄則であるだろう。上述のアラバマの前戦、サーキット・オブ・ジ・アメリカズで開かれたインディカー・クラシックでは、やはり狭間の時間帯にスピンした車がピットレーンの入り口を塞ぐ形で止まったため即座にコーションを出さざるを得ず、これによって利益を得た19歳のコルトン・ハータがデビュー3戦目にして初優勝を飾る結果となった。そのような避けられない事態はつねに考えうる。だが限定的な危険は残るとしても、単純な事故や車輌トラブルといった程度の理由でコーションにレースを妨げられる心配がもはや必要なくなったのもまたたしかだった。そうして佐藤のアラバマ以降、各チームの給油時期はふたたび少しずつ後ろに戻ってゆく。たとえば今年のデトロイトGPで、優勝したウィル・パワーが寿命の短いオルタネート・タイヤを最終スティントまで残しておけたのは現行の運用の賜物だろう。パワーの最後のピットストップは、おなじ2ストップのディクソンより6周も遅く、3ストップのロッシに対してさえ4周の後だった。数年前なら危うすぎると思えたものだが、一貫性を重視して抑制的に黄旗が使われるだろうとチームが予測できるこれまでの経緯が、言い換えればレース・コントロールがチームに対して積み上げてきた信頼が、こうした一見大胆な作戦を可能にしえた。これは心理的、あるいは文化的な問題だ。コーションの運用という単純な方針がレースのありかたを左右し、レースのありかたが下ってチームの戦いかたを決定する。かつての時代はロッシのロングビーチにおいて完成と同時に終わり、佐藤のアラバマが新しい時代を告げた。そして今だれもが、ノヴァクがもたらしたそのありように疑いを持たず、当然の前提と考えて行動する。それはもはや文化となって浸透した。

 たとえば2022年のミッドオハイオを、こうやってコーションの前後から見つめることも可能だろう。新人のカイル・カークウッドがターン9で飛び出し、グラベルトラップの先に置かれたタイヤバリアに激突したのは先頭が30周目に差し掛かったときだった。80周のレースがちょうど1回目のピットストップを迎えるころで、まさにカークウッド自身も、交換直後の冷えたタイヤでグリップを失った結果コースオフしたのだ。そんな時間帯だったゆえ、上位のピット状況も二分されていた。事故の直前、リーダーだったパト・オワードと3番手にいたディクソンはピットに向かい、それぞれ2番手と4番手のスコット・マクロクリンとハータはコースに留まったままだった、という具合に。バリアに向かってほぼ直進したと思しきカークウッドの車の損傷は大きく、復帰を諦めてグラベルに止まったままドライバーが脱出するに至ったが、はたしてもちろん、その瞬間にコーションが導入されたりはしなかった。マクロクリンもハータも、後ろに続くマーカス・エリクソンなども、事故現場の脇をレーシングスピードで走り抜けてピットレーンへと入っていく。ようやく画面にコーションが表示されたのは、すべてが一回りした31周目になってからだ。カークウッドの事故から丸々1周が過ぎていた。(↓)

カークウッドの事故がレースを大きく変転させることはなかった

 厳密に言えば、ここには少しだけ運が介在している。先にピットに入ったオワード(このときすでにギアボックスの問題を抱え、後にリタイアする)たちは冷えたタイヤでグリーン状況を走らなければならなかったのに対し、マクロクリンたちはピットから出た直後にコーションとなったおかげでアウトラップでレースをしなくて済んだからだ。一時的なタイヤの差をもってオワードより前でコースに戻ったマクロクリンは本来ならウォームアップの終わった相手から激しい攻撃に曝されたはずだが、追い抜きが禁じられたためにそれは訪れなかった。オワードはといえばターン2でハータの前に出たものの、コーション発令後の追い抜きだったとして順位を戻されてもいる。その意味では、たしかに立場による損得はあった。

 だがこの程度のことは、レースの中で否応なく生まれ、時に受け入れなければならないゆらぎの範囲の出来事と言うべきだろう。コーションの直前にスパートをかけて順位を上げた者、ピット作業に手間取ったのか思いのほか後退した者、細かく見れば隊列に微妙な変化こそ生じたが、事故の前後で決定的な反転だけは起こらなかった。レースの実況を担当したレーサー鹿島は、このときはしなくも述べた――全車コントロール・ラインを通過してからのフルコース・イエローです。もしかすると何気なく状況を伝えただけだったのかもしれない一言は、しかし現在のインディカーを基礎づける思想そのものを端的に示している。全員に平等の機会を与え、だれのレースも壊さず正当な戦いの場へと戻す。そうしてリーダーとなったマクロクリンはその座を譲らずに逃げ切り、優勝を果たすことになった。インディカーは一貫した秩序を作り上げ、今回も実践したのである。(↓)

コーションで先頭を得たマクロクリンは、その後ほとんどの周回をリードして優勝する

 もちろん、これはあくまで競技者の正しい振る舞いに正しく応えているだけだ。迂闊さにまで手を差し伸べて救済する甘い方法でないことも、このミッドオハイオの経緯を見るとよくわかる。タチアナ・カルデロンがスローダウンしたのは53周目、偶然にもまたピットストップが絡んでくるころだった。動力を失った彼女はしばらく車を転がした後、ターン4の脇に止まってしまったが、レース・コントロールは1回目(やはり奇しくも、カークウッドとカルデロンは同僚である)のときと同じように静観し、そこで作られた空白を利用してどの車もピットに飛び込んでくる。ところが、3番手を走っていたハータだけはなぜか列に加わらず、53周目をフロントストレッチのほうへ走っていってしまったのだ。ハータがぽつんと走り続ける中、マクロクリンをはじめとする集団が給油とタイヤ交換を終えてコースに戻ると――ギアを失ったオワードはピット出口脇で止まったが――、あっさりと、見込みどおりにコーションが発令された。言うまでもなく、取り残されたハータのレースはこれで終わった。暫定的にリーダーとなったもののそんな地位に何の意味もなく、結局は15位でチェッカー・フラッグを迎えることになる。コーションラップ中、ハータはステアリングを叩き、チームに対して無線で怒りをあらわにしたが、もはや何もかも手遅れだった。

「全車コントロール・ラインを通過してからのフルコース・イエローです」。数十分前、いみじくもレーサー鹿島は言ったのだった。そう、インシデントが発生してもレース・コントロールは必ず1回、平等に対応の機会を与えるに違いない。今やその信頼に基づいて全員がレースを戦う。しかしそれはまた同時に、全員の機会が平等に1回だけであることも意味している。当たり前といえば当たり前だが、機会を自ら見送った者をふたたび救ったりはしない。空白の時間は必要とされる最小限にしか設けられず、すぐにでも消えてしまう。ハータはその時間を取り逃した。秩序の内にいる者をあるべき場所へと導き、秩序から外れた者には相応の罰を与える。その一貫性の中でマクロクリンは盤石に優勝し、あるいはオワードがレースの営みの一環としてトラブルに泣き、またハータは疎外された。正当な結果だ。このミッドオハイオが見せたものはきっと、インディカーが目指し、具現化してきたレースの形の、純粋な象徴の瞬間だったのである。■

表彰台はマクロクリン、アレックス・パロウ、ウィル・パワー。2位と3位は後方から追い上げた結果だが、あくまで速さをベースにした逆転だった

Photos by Penske Entertainment :
Joe Skibinski (1, 2, 4)
Chris Owens (3)

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