【2022.7.17】
インディカー・シリーズ第10戦 ホンダ・インディ・トロント
(トロント市街地コース)
昨季チップ・ガナッシ・レーシング移籍1年目、キャリア通算でも2年目にしてインディカー・シリーズのチャンピオンを獲得したアレックス・パロウの身辺が騒がしい。7月12日に現所属のチップ・ガナッシがチーム側の契約延長オプションを行使しての来季残留を発表したと思いきや、わずか3時間後にマクラーレン・レーシングがF1テストドライバー就任を含む2023年の契約と活動計画の一部を出す異例の事態になっているのだ。当のパロウもチップ・ガナッシのリリースに記載された自分自身のコメントについて「自分の発言ではないし、発表も承認していない」とツイッターで直接否定し、マクラーレンへのコミットを深めているから穏やかならざる状況である。当然、この動きが単なるチーム間移籍を巡る騒動ではなく、海の向こうのF1を視野に入れたものであることは、「マクラーレン」という名前から容易に想像できる。インディカーにおけるF1関係の話題といえばもっぱらコルトン・ハータやパト・オワードに関する噂が多かったのが、ここに来てにわかに有力な3人目が登場し、舞台を引っ掻き回しはじめたといった次第だろうか。
それにしてもパロウの名前がこのような形で上がってくるのは意外といえば意外であった。というのも、彼はスペイン人でありながら権謀術数渦巻く……とまではいかずとも面倒ごとの多い欧州レース界を厭うて日本経由で米国に渡ったと伝えられており、昨年のチャンピオン獲得直後にも、母国のメディア『Marca』からF1について問われて、「僕の夢と希望はもう一度インディカーのタイトルを獲り、さらに挑み、ずっとここにいることだ」「もしもチップ・ガナッシがF1に参戦するとしたら、僕が真っ先に行く。でもガナッシでなければ……僕がF1で勝てるチームはないと思うし、勝てないならF1に興味はない」などとインディカーとチームへの愛着を述べていたからだ(Jenna Fryer, “Palou: I Have No Interest in Formula 1 Unless I Can Win“, GRAND PRIX 247, 30 September, 2021. より孫引き)。額面どおり受け取るものではないといっても、つい10ヵ月前の発言である。昨季途中には、ガールフレンドをインディアナポリスに呼び寄せていよいよ生活の基盤を移したという報道も見た覚えがあった。伝わってくる話のかぎりでは若手の中でももっともF1に関心がなく、インディカーに骨を埋めそうだったドライバーがパロウだったわけだが、にもかかわらずまさにF1を巡って二重契約という重大なトラブルの中心になるのだから、傍目には皮肉にも思えよう。(↓)
もちろんレーシングドライバーであるかぎり最高峰の舞台であるF1の可能性が開いたときにそれを掴みにいくのは自然な心境に違いない。途絶えて久しかったインディカーからF1へ移籍の道に2020年のマクラーレン参入によって橋が架けなおされたところで、しかもダニエル・リカルドの長い低調によってマクラーレンF1の席がひとつ空きそうな現状を千載一遇の好機と捉えずいかにしよう。パロウが言及した優勝の可能性についてなら、いまのマクラーレンは最高とは言えないものの皆無でもない。またF1水準の優秀なドライバーを欲するマクラーレン側にすれば、スーパーライセンスの受給資格を満たしているパロウなら計画が立てやすい面があるだろう(すでにF1テストの機会を与えられたオワードやハータはスーパーライセンスポイントが不足しており、今季、あるいは来季中のクリアも確実とは言えない)。先述の記事の著者でもあるAP通信ジャーナリストのジェナ・フライヤーはこの構図について、マクラーレンCEOのザク・ブラウンが展開するドライバー戦略を解説したうえで、「宿敵ガナッシを苦しめることは、彼の野心的な計画のおまけにすぎない」と記す(Fryer, “Zak Brown vs Chip Ganassi Tug-of-war for Palou” GRAND PRIX 247, 20 July, 2022.)。たしかに悪辣な引き抜きというよりは――結果的にそうなるとしても――、新たな一歩を踏み出そうとするパロウとカテゴリーを跨いでドライバーを揃えたいマクラーレンの思惑が一致したのに対し、ひとりインディカーだけの枠組みに留まるチップ・ガナッシが蚊帳の外に置かれたといったところだったかと思うと得心するものはある。契約の正当性がどこにあるのか、ガナッシが持っていたというオプションが鍵になりそうだが、これを書いている現在で決着はついておらず、法的に解決されるしかないのかもしれない。
と、そんなややこしい騒ぎを前段にしたトロント市街地レースの45周目に、ターン3でフェリックス・ローゼンクヴィストがアレキサンダー・ロッシのインへ深く飛び込んでいったのだった。それは少しばかり無謀なタイミングの、よく言っても相手の撤退を勝手に期待した危うくも楽観的な動きに直感され、はたして直感どおりに2台はいちど側面を擦り、曲がりながらこんどはホイール同士を激突させて、サスペンションの壊れた外側のロッシが舵を利かせられずウォールへと突き刺さる結末を迎える。それはもちろん、コース上で起こったたんなる事故のひとつでしかなかったはずだが、しかしまた、くだんの問題がつい思い浮かぶ場面でもあった。なんといっても、このローゼンクヴィストこそパロウの契約の煽りをもっとも受けるドライバーだからである。(↓)
邪推がすぎるといってもつい考えてしまうものだ。アロー・マクラーレン・SP――シュミット・ピーターソンにマクラーレンが加わる形で参戦しているインディカーのチーム――に移籍して2年目のローゼンクヴィストは、微妙な立場に置かれている。すでに2023年の「マクラーレン」残留は発表されているものの、そこでどのような役割を果たすのかは決まっていない。インディカーで走れるのか、フォーミュラEに移ることになるのか、それとも最悪の場合、所属だけでレースシートは与えられないのか。たとえばリカルドが先ごろ発表した声明どおり契約オプションを行使してF1に残り、パロウとマクラーレンの契約も成立すれば、F1の席はリカルドとランド・ノリスで、インディカーのほうはパロウとオワード、そして新たにやってくるロッシで埋まるだろうし、そのシナリオは現実的に十分ありうる。”I want to be where I’m at right now.”――僕は今いるこの場所にいたい、と本人は語っているが(Ibid.)、主導権はチームに握られ、ブラウンの胸三寸で将来が左右される現状だ。
だからだろうか? ロッシに対する攻撃は、堅実さに優れたローゼンクヴィストらしからぬパフォーマティヴな動きにも見えたのである。あのターン3へと向かっていくブレーキングが始まったとき、2台のあいだにはまだ20mほどの隔たりがあって、並べそうな距離感ではなかった。実際、両者が1度目に触れ合ったとき、ローゼンクヴィストの車体はロッシの半分にも達していない。結果としてそれじたいが事故の直接の原因になったわけではなく、致命傷となったロッシのアーム折損(ロッシだけが折れたのは、右に切れている前輪が右の真横から衝撃を受けたせいだろう)をもたらした2度目の接触の際には完全に横並びになっており、そのためかペナルティが出されることはなかったが、回り込みながら相手を押し込もうとしていたロッシの対応はともかくローゼンクヴィストのほうも出口に向かって四輪がスライドしていたから、咎がなかったとは言えまい。ただ、だとしても結論だけを見るならたしかに攻撃は成功した。あの半ば無謀に思えたブレーキングは、「今いるこの場所」を侵されようとする者が発した、まさに自分の居場所――ロッシが先行しようとしたターン3のインサイドであり、あるいはロッシが手に入れるマクラーレン・SPのシートである――への希求の現れとして、トロントに刻まれたのだ。たぶんこの一瞬のやりとりをもって将来が変わったりはしないだろうが、しかしローゼンクヴィストはその一瞬だけは守ってみせた。観客がそう捉えうるような場面もまた、レースの形のひとつではあるのだろう。ロッシは弾き飛ばされて壁へと吸い込まれ、すると間髪を容れずにフルコース・コーションが告げられた。
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複雑な背景を想像させてしまうローゼンクヴィストとロッシの事故が呼び寄せたのは、2週間前とは対照的な、しかしおなじくらい印象的なコーションだった。ミッドオハイオで何度かの事故やトラブルが起こった際、レース・コントロールはしばしばコーションの導入を待った。すでにピットストップを終えた者とまだ済んでいない者が入り交じった状況で、それは公平性を保つための采配だったと、前回の記事で書いたばかりだ。しかし今回はロッシが壁に激突してからわずか3秒でコーションが告げられている。まるで、事前に予定されていたかのような早さだった。
ことによると本当に予定していたのかもしれない。もちろん事故そのものではなく、事故への対応の仕方をだ。書いたとおり、ロッシの事故は45周目の、フィニッシュまで40周を残したときに起こっている。序盤の9周目に1回目の給油を行ったパロウの動きを信じるなら、満タンで走れるのは38周ほどで、つまりだれもが最後のピットストップを見計らいつつも、まだだれも動いてはいない時間帯だった。そこに、車が壊れ回収を要する規模の事故が起こる。機を見るに敏なストラテジストなら、すぐさまこう考えるだろう――コーションは確実に導入される。ゴールまではまだ距離があるが、低速のコーションラップが長引けば40周はもつはずだ、グリーンのうちにピットへ呼び戻せば動けなかった周囲を出し抜けるのではないか。そうして次の瞬間には無線の送信ボタンを押しながら叫ぶことになる、”Box, box, box!”
これはただの推測だが、だからこそレース・コントロールは、ロッシが壁に衝突するやいなやコーションを発令したように思えるのだ。ピット入口付近を偶然走っていた車が事故を察知した瞬間に給油に向かう抜け駆けを防ぐために。仮に1台の進入を許したなら、ミッドオハイオとおなじく全員に同じ機会を与えなければならないが、グリーン状況を維持したまま二十数台を通過させるにはロッシの止まった場所は危険すぎた。そこまで踏まえての、わずか3秒での判断だったのではないだろうか。いやその瞬間の判断ではない、事故の様態とレース状況の想定をもとにあらかじめ決めてあった、まさに予定の対応だったのではないか。事実どうだったのかはわからない。だが、いっさいの躊躇がなかった3秒後の黄旗の根底には、たしかにそうした深い想像力に基づく準備があったように感じられた。
実際、事故から2周後の47周目にピットが開放されると、もう一波乱に賭けただろう2台を除いた全車が押し寄せて大混雑となる。つまりみながピットストップの機会を窺っていて、もし手を拱いてコーションが遅れたならば抜け駆けを果たした数台が大幅に順位を上げていたかもしれなかったという状況だったのだ。だがそうした過度な反転は訪れなかった。レース・コントロールはミッドオハイオと正反対のやりかたで、しかしミッドオハイオでもそうしたように、レースの正当な秩序を維持したのである。もちろんレースの常として、公平に与えられた機会の中で不運に泣いた者はいた。狭いうえに弧を描く形状のピットレーンに20台がひしめいたせいで、ボックス位置の悪かったジョセフ・ニューガーデンは壁から離れての停車を余儀なくされ、燃料ホースが届かず給油が遅れて3位から11位に転落する憂き目にあっている。しかしそれもあくまで秩序の内の出来事で、秩序が破壊されたわけではけっしてなく、レースは無事に最終スティントへと向かっていった。
そんなトロントをスコット・ディクソンが優勝したのである。その勝ち方はいかにも彼らしいもので、2番手でスタートしたレースの最初のピットストップ直後、タイヤを交換したばかりのハータをターン1で捉えて先頭に立つと、あとは着実にフィニッシュまで車を運ぶだけだった。最終スティントはロッシの事故によってほぼ全員が38周の走行に揃えられ、すぐ後ろのハータは燃料不足を訴えていたが、ライバルの焦燥を尻目に自分は涼しい顔で燃費走行と高いペースを両立させて逃げ切っている。パロウの問題でチップ・ガナッシとマクラーレンのあいだに不穏な空気が流れ、その余波で立場を危うくしているローゼンクヴィストが波立たせた週末を、ディクソンはいつものやりかたをもって最後に収めてみせたのだった。17年連続の優勝、マリオ・アンドレッティに並ぶ歴代2位の通算52勝目。チップ・ガナッシでのキャリアはもう21年に及ぶ。ガナッシでのレースも、あるいは優勝さえもディクソンの、なによりインディカーのありふれた日常としてそこにある。だからこの結果には奇妙な納得感と安堵を覚えもしよう。衰えを感じさせる場面がないではないし、本人がすぐに否定したとはいえ2024年からのマクラーレン経営参画と移籍の噂が報じられたりもしたが、だとしてもやはり、ディクソンの存在はインディカーの中で変わらぬ象徴としてあり続けている。変わろうとするがために引き起こされた騒動からしばし離れ、レースの現場に思いを至らせるためにはきっと、他でもないスコット・ディクソンが、そこに根を張って動かない大樹が必要だったのである。■
Photos by Penske Entertainment :
Chris Jones (1, 3)
Joe Skibinski (2)
Chris Owens (4)