【2016.7.10】
インディカー・シリーズ第11戦 アイオワ・コーン300
およそすべてのモータースポーツにそのような性質は備わっているというべきなのかもしれないが、インディカー・シリーズのレースには、ことさらにさいころゲームの趣がつきまとう。完璧な車を用意し、最高のドライバーを乗せ、間違いなかったはずの作戦を用意したつもりでも、自分の意思と無関係に、ゆくりなく、そして多くの場合不可避にやってくるフルコース・コーションがレースをまったく別の顔へと変貌させてしまうことがある。コースのほとんどを全開で走り続ける単純な、単純であるがゆえに高速で、高速であるがゆえに繊細を極めるオーバルレースは特にそうで、ある瞬間の速さは次の瞬間にそうあり続けることを必ずしも保証せず、中途の先頭が優位を積み上げているとも限らない。黄旗によって絶え間なく引き起こされるリスタートは、文字どおりのやり直しとなってドライバーたちにレースと向き直ることを強制する。賽が振られ、だれかの名前の面が上になる。ふとした気まぐれのように、また振られる。やり直す。だれかが出る。黄色、緑、振る。黄、緑。やり直す。何面体の賽なのかは知る由もないが、そういう儀式めいたやりとりを何度か繰り返したあと、偶然にチェッカー・フラッグが訪れる。もちろんチェッカーは最初から予定されている、しかし最後の賽がいつ振られるかばかりはわからないのである。ともあれそのとき出ていた名前こそが、レースの優勝者として刻まれるだろう。F1ないし耐久といったカテゴリーの勝利がスタートからゴールまで一貫して積み重ねられた論理の先にあるとするなら、インディカーの、オーバルのそれは最後の最後、論理が届かない場所にある――そう断言するのが極端だとするなら、届かない場所に行ってしまう場合がある。たとえば2016年、ともに世紀の逆転と呼ばれるにふさわしい2つの大レースには、しかし違いを見出すことができるはずだ。ル・マン24時間レースのポルシェにとって、チェッカー・フラッグの3分前に先頭を走るトヨタがスピードを失ったのは幸運だったといえるのかもしれないが、当人たちが歓喜以上に当惑さえ抱いたと思しき信じがたい優勝を掴んだ要因は、結局23時間57分をかけてトヨタの次という順位を築いたうえで、残り3分をも壊れることなく走り続けたことにある。耐久レースの決着がスピードと同時にその名のとおりの「耐久」にあるとすれば、奇跡的な、幸運を手繰りよせた優勝に見えるとしても、ポルシェはその枠組みのなかで論理的に積み上げた正当な結果を受け取ったにすぎない。翻って100回目のインディアナポリス500マイルで最後に振られた賽にはアレキサンダー・ロッシとあった。コース上でただひとり給油を1回省略して燃料が尽きるまで走り続けた結果の大逆転は、最後のコーションがあと1周ずれていたとしても、または160周目から200周目の間にあと一度コーションになるような事態が起こったとしても絶対に生まれえなかったと断言できる点において、説明しようのない偶然の産物だった。もちろんそのことがロッシの偉業を損ねるわけではなく、チームメイトの協力も得て困難極まりない作戦を完遂したことは讃えられるべきである。だがその勝利にはポルシェがたどってきたような論理の流れが存在しないのも一面の事実だろう。最終スティントをリードラップで迎えたことだけが根拠のすべてで、そこに至るまでにレースのなかで積み上げられているべき「優勝への接近」がまったく見えてこない。そういう状況で最後の――もちろん、事後的に遡った場合に最後だった、である――賽が投げられたとき、きっと他の面には違うドライバーばかり書かれていたにもかかわらず、ロッシの名前が上を向いた。それは「こうなりうるだろう」という過去からの推測をも拒否し、死角から横っ面を叩くような優勝なのだった。
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作成者: DNF
充実のウィル・パワーが失った選手権に戻ってくる
【2016.6.26】
インディカー・シリーズ第10戦 ウィスコンシン・コーラーGP
例年どおりの完璧な予定調和で開幕戦セント・ピーターズバーグのポールポジションに就いたはずだったウィル・パワーが、三半規管の不調と診断されて医師から止められ決勝の舞台に姿を現すことができず(当初は運転できないほどの腹痛に襲われたとか、練習走行での事故に起因する脳震盪かなどと憶測交じりの情報が流れていたが、どうやらそういうことらしい)、まるまる1レースを棒に振ってしまったあと、しかし一見すると酷ないたずらでしかないようなその顛末が、むしろパワーの今季に射す明るい光になりうる可能性はあると、わたしはこのブログで綴ったのだった。
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勝者は正しい中からしか選ばれない
【2016.6.4-5】
インディカー・シリーズ第7-8戦 デュアル・イン・デトロイト
土曜日のレース1で42周目にフルコース・コーションが導入されたとき、ポールシッターにして、そこまで倦怠的ですらあるほど完璧だったシモン・パジェノーが最後の給油へと向かったのは自然な成り行きで、当然の正解であることを信じて疑わなかった。そのときチーム・ペンスキーは4位までを独占する態勢を築いてレースを支配しており、パジェノーとともに2番手のウィル・パワーと4番手のエリオ・カストロネベスを同時にピットへと呼びこんだのは同僚と公平に勝負させるためで、雨が降ってくることも予想されていたなか3番手のファン=パブロ・モントーヤをステイアウトさせ、チームとして安全に勝利を取りにいったのだろうと受け止めたものである。もちろん優先されるのはレースと選手権でともに首位をゆくパジェノーであって、その存在を中心に据えて取るべき行動を機械的に決めていけば作戦はなかば必然的に決定する、ペンスキーにとってはそういうレースだったはずだし、最後のスティントはそんな最速チームの仕上げをあくびを噛み殺しながら見ていればいいように思えた。パジェノー、今季4勝目おめでとう。近年まれに見るハイペースでの勝利は選手権を大きく引き寄せたのだと、そういう結論なのだろう。あるいは、もしかするとパワーがちょっとしたいたずらをしかけるくらいの波瀾はあるのかもしれない、とその程度だった。
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おかえりダン・ウェルドン、たとえ嘘の物語としても
【2016.5.29】
インディカー・シリーズ第6戦 第100回インディアナポリス500
レースの正式名称は「The 100th Indianapolis 500 presented by PennGrade Motor Oil」である。つまりインディアナポリス500は100回目にしてはじめてその名にスポンサーの名前を冠することになったわけだが、1月21日にインディアナポリス・モーター・スピードウェイがツイッターの公式アカウントでこの「重大な発表」を行った直後から、そのツイートにはいくつかの批判が寄せられている。「なぜ100回目の象徴的なレースを売るような真似をするのか」「せめて101回まで待てなかったのか」……はては「守銭奴め!」まで。こうして可視化される反応は全体のごくごく一部であって全体に敷衍できるものではないと留保はつくものの、批判的(に見える――ひとこと「Why?」と書かれているツイートが意図するところは修辞疑問だと思われるがどうだろうか)ツイートが10に対して賛意を示す(といっても積極的にではなくモータースポーツの置かれている経済的状況を踏まえれば理解はできるという趣旨であった)ツイートがひとつしかなかったことからは、米国の人々の意識が垣間見えるようではある。インディ500はもちろんIMSが主催するIMSのレースだが、しかし同時に100回にわたって発展させてきた「われわれ」のものでもあって、断じて「だれか」のものではない。その名を金に換えて特定のだれかに与えるのは許される行為ではないのだと、勝手に忖度するとたとえばそういうことだったりするのだろう。
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シモン・パジェノーは内在する均衡によって選手権に近づく
【2016.5.14】
インディカー・シリーズ第5戦 インディアナポリスGP
このインディアナポリスGPでの完璧な勝利を見れば、どうやらシモン・パジェノーの能力は歴然としている。ポールポジションから無理にタイヤと燃料を使うことなく自然に後続を引き離してラップリードを重ね、途中でフルコース・コーションを利したライバルに先行を許すものの、相手がピットに入った瞬間から一気にペースを上げて事もなげに失地を回復する。最終スティントでは適切な差を作って相手に隙を与えず、何事も起こらないよう静かに静かにレースを閉じる。唐突なコーションによってレースがリセットされることを前提とするインディカー・シリーズではいちばん勝率の高い完璧なやり方で、パジェノーは100回目のインディアナポリス500に向けた2週間の開幕を彩った。書いてしまえばこれ以上なく簡単な展開だったが、しかしこうしたレースを実現させるのはもっとも難しいものだ。速さ、冷静さ、正しい判断、適度な抑制と解放のすべてを高い水準で備えるドライバーがいてはじめて、感嘆と退屈の入り混じった溜息が出るような週末は目の前に現れる。
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なんて愛しい魔法使い
【2016.4.24】
インディカー・シリーズ第4戦 アラバマGP
およそ1年前の2015年4月26日、ジョセフ・ニューガーデンはバーバー・モータースポーツ・パークにおいて人生でもっとも重要な2つのパッシングを完成させた。残念ながらテレビ画面にはあまり大きく映し出されていなかったように思うが、それは疑いなくモータースポーツでもっとも美しい光景のひとつだった。長いバックストレートから高速ターン11を通過し、右に曲がり込むブラインドのターン12を加速しながら立ち上がっていくとほんのわずかな全開区間の先にこのコース最大の難所が現れる。車速をわずかに落として右のターン13に進入し、スロットルを維持したまま続けざまにやってくる高速ターン14の横Gをまともに受けながら、いきなりRのきつくなるターン14aのクリッピング・ポイントに向けてブレーキペダルを踏みしめる。半径の異なる3つのターンで1組となるこの複合コーナーを通過するおよそ7秒間、ステアリングはずっと右に切り続けられている。速度を上げようとすれば車はドライバーが与えるフロントタイヤの舵角に抗って外へ外へと逃げていき、かと思えばいきなりリアタイヤのグリップが減じてカウンターステアを余儀なくされる場合もある。イン側へ寄っていこうとすれば速度を落とすしかなく、ドライバーは速度と距離のジレンマのなかで車をどうにか手懐けながら妥協点を探る。横からの荷重にとらわれて姿勢を乱さないよう、最後のブレーキングはあくまで繊細に。走行ラインの自由度はほとんどない。
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シモン・パジェノーはふたたび正しい資質を証明する
【2016.4.17】
インディカー・シリーズ第3戦 ロングビーチGP
わたしの贔屓にするドライバーはジョセフ・ニューガーデンとシモン・パジェノーであるとさんざん書いてきている。かたや下位カテゴリーのインディ・ライツ王者を経て順調に米国でのレース人生を歩んでいるように見える20代前半のアメリカ人、かたや若手のころをチャンプカーとル・マンで過ごしてから本格的にインディカーへとやってきて、すでに中堅ないしベテランの域に達しつつある31歳のフランス人と、似たところを探す方が難しいくらいだが、唯一わたしにとって共通しているのは、どちらもあらゆる来歴を些事へと追いやるたった一度のコーナリングで心を奪っていったことだ。2015年ミッドオハイオの64周目、長い弧状の中速ターン12「カルーセル」でニューガーデンが曲線を微分するように駆け抜けていった姿や、2012年ボルティモア、多くのドライバーが高く築かれた仮設シケインをばたばたと乱暴に踏んでいるなか、パジェノーひとりだけが魔法でもかけたように姿勢を乱さず静謐に通過していったさまは、いまでもこのスポーツでもっとも美しい瞬間の映像として脳裡に再生される。当時のふたりはともに、高い評価は受けつつもまだ優勝経験のない多くのドライバーのひとりに過ぎなかったが、その須臾の間に消えていくコーナリングを目にした瞬間、遠からず勝利を挙げる日がやってくる、それどころかインディカーは自らの価値を示すために義務として彼らを勝たせなければならないとまで確信したものだ(少なくともニューガーデンに関しては、証拠として当時書いた文章を出すことができる)。けっして強豪チームに所属していたわけではなかったふたりはやがて本当に、それも複数の素晴らしい優勝を遂げた。パジェノーがセバスチャン・ブルデーを削らんばかりに自分のラインを主張して通算2勝目を引き寄せた2013年ボルティモア69周目のターン8、あるいはニューガーデンがペンスキーの2台を完璧に攻略した昨年アラバマのターン14は、彼らの忘れられない場面として追加された。わたしは自分の勝手な予感がこうもあっさりと的中した事実に信じられない心持ちとなり、半ば呆然とその表彰台を眺めていたのである。
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砂漠の落日にIRLの日々は消え去る
【2016.4.2】
インディカー・シリーズ第2戦 フェニックスGP
フェニックス・インターナショナル・レースウェイでインディカー・シリーズのレースが開催されるのは2005年以来で、いまはNASCARへと転出したダニカ・パトリックが新人として走っていた年だというから、ずいぶん昔日のことになってしまったと懐かしくさえ思ったおり、ふとひとつの違和感を得て調べてみると、一年のうちでインディアナポリス500マイルより前にオーバルレースが行われるのも2010年まで遡らなければならないという記録に行き当たって、あらためて楕円に沿ってひたすら高速で回り続けるこの魅惑に満ちたレースがもはやすっかり姿を消してしまった事実を自覚させられるようで嘆息のひとつも漏らしたくなってくるのだった。オーバルの剥離はインディカーの、どう取り繕おうにも凋落と言うほかないほどの低迷と疑いなく軌を一にしており、インディ500を除けばどのレースウェイを見ても空白だらけの観客席に寂寥を覚えるばかりなのだが、11年ぶりに戻って来た、つまり郷愁と物珍しさを利用して人を集めるのに最適な条件が整っていたはずのレースでさえ復活を謳えるほどの客入りではなかったことに、もう手立てなどどこにも残っていないのだろうかと、日本のテレビ観戦者に過ぎず直截にはなんの貢献もできないくせをして身勝手にも憂鬱になる。結局のところNASCAR(わたし自身は熱心に見ているわけではないのだが)開催時の観客席と比べると差は歴然で、ホームストレートの目の前でさえ空席が目につき、ターン4や1にいたっては人影のほうが目立って見えるほどのありさまだったのだから、甲斐のない現状であることを否定するのは難しい。他のカテゴリー、まして米国で随一の人気を誇るストックカーと並べるのはさすがに酷で詮ないと振り払おうにも、今度は皮肉なことにGAORAがレース前に懐かしの映像として流した11年前のフェニックスに活気が溢れていて、今との落差が時の流れの残酷さを示してしまうのだ。見ているとその映像の実況でなぜか「IRL」と言われていたのが聞こえ、当時すでにシリーズは現在とおなじ「インディカー・シリーズ」に変わっておりIRLの名は運営統括組織として残っていただけのはずだが、とはいえ対抗するチャンプカー・ワールド・シリーズ(IRL分裂後、破綻したCARTを引き継いだシリーズである)もまだかろうじて息をしていて、なるほどたしかにIRLと口にしたくなるほどその面影が色濃く残っていた時期であったのかもしれない。「IRL=Indy Racing League」というなんとも中途半端な名称は、オーバルを毀損していたかつてのCARTに対するアンチテーゼとして「真のインディカー」を取り戻すべく蜂起するにあたり商標であったIndycarの名の帰属をめぐって法廷闘争が起こった末の妥協の産物に過ぎなかったのに、振り返れば名前を使えなかったIRL時代のほうが現在よりもよほどその精神が充足して見えてくるのだからやはり皮肉を感じずにはいられない。あるいは名乗れなかったからこそ純粋な姿を追い求めていられたのだとすれば、遠くから焦がれるときの理想がいちばん美しくようやく手にしたとたんに褪せてしまったのだから、これもまた皮肉である。2005年のインディカー・シリーズは14のオーバルレースと3つのロード/ストリートレースによって戦われており、IRL時代から続いた全戦オーバルの掟がはじめて破られた年だったが、シリーズの主体はまだ楕円の中にあった。それもいまや5つのオーバルと11のロード/ストリートに反転している。この間に源流をともにするCCWSは消滅を迎え、やがてインディカーの統括組織も改称されて「IRL」は完全に歴史上の単語へと移ろった。前回のセント・ピーターズバーグGPについて記した際、わたしはそのあり方がまったくといっていいほど変わらないといったわけだが、単一のストリートレースに目を向ければそう見えるという話であって、そこに時代という串を一本刺せば先端と根本はあまりに、懐古趣味と嗤われようと好ましくない形で違っている。11年。そういえば去年の5月にインディ500をその場所で観戦すべくインディアナポリス・モーター・スピードウェイに赴いたとき、観客席で隣り合わせになった地元在住の婦人はもう56年もここに通い続けていると話してくれたのだった。宿では43回目だと快活に笑う紳士にも会った。ふたりが愛しているのがインディ500なのかインディカーなのか、両者はともすると重ならない場合もあるので定かではないが、はたしてこの数年の間にさえ変わってしまったオーバルレースのありかたに、ふたりがなにか思うところはあるのだろうか。それとも、USACからCARTへ、CARTからIRLへ、2度のインディカー分裂と統合を直に見知っている生き証人として、それも歴史の中で受容すべき善悪の伴わない変化にすぎないと鷹揚に微笑むだろうか。
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シモン・パジェノーと佐藤琢磨のターン1、あるいはウィル・パワーは開幕の不在によって2016年の主役となる
【2016.3.13】
インディカー・シリーズ開幕戦 セント・ピーターズバーグGP
2016年の選手権で最初に記録された得点はウィル・パワーの1点だった。2年前の一度だけ佐藤琢磨にその座を譲った蹉跌を除き2010年代の開幕すべてを自らのポールポジションで彩ってきたパワーが今年も飽きることなく予選最速タイムを刻んだのだったが、これはあたかも、観客に対してインディカー・シリーズの変わることない正しいありかたを教えているようにも思えてくる。いわばこれは競争ではなく、そうあるべきものとして執り行われる儀式である。きっと、セント・ピーターズバーグの指定席を短気な童顔のオーストラリア人が予約することによって、はじめてインディカー・シリーズは一年の始まりを迎えるのだ。いつものウィル・パワー、いつものチーム・ペンスキー。予定調和の開会宣言。前のシーズンの終わりから数えて6ヵ月以上もレースのない時間を過ごしてきた観客にとって、そんな儀式めいた繰り返しの出来事は、空白を埋めてふたたびインディカーの営みへと戻っていくのにちょうどよい心地よさを抱かせる。これはわれわれの知っているインディカーなのだと。
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ホンダF1はその精神によって自らを空虚にしている
2015年のF1は昨年に引き続きメルセデスAMGが圧勝を演じるさまを延々と繰り返しながら閉幕したが、一方で他のメーカーから遅れること1年、満を持して新規則パワーユニット(2014年に新規導入された、ターボエンジンとエネルギー回生システムを組み合わせた統合動力源)をマクラーレンに供給する体制で参戦したホンダは惨憺たる成績に終わった。無惨な一年だった、といっても差し支えないだろう。マクラーレンからしてホンダと組む以前より苦戦する傾向にあったとはいえ、いやだからこそ新しい関係となる2015年を再起の始まりの年と位置づけてフェルナンド・アロンソとジェンソン・バトンの王者2人を揃えたにもかかわらず、入賞は合わせてわずか6回、コンストラクターズ部門でメルセデスから離されること676点の27点に留まり、下にはマノーを見るだけの10チーム中9位に沈んだ。「マクラーレン・ホンダ」といえば、アイルトン・セナとアラン・プロストを擁して16戦15勝を記録したあの1988年から始まる愛憎入り交じりながらも栄光に満ちた5年間を思い出すファンも多かろうが、あれからはや四半世紀ほどが経った今、その名の響きに対する甘美な郷愁は、まさに当時の彼らを髣髴とさせるメルセデスの圧勝を羨望の目で見るしかないままに裏切られ続けたのだった。あとに残ったのは膨れ上がった失望と、それに伴う教訓と、わずかに拠り所とするしかない来季への希望だけだ、といってみたくもなる。
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