インディ500に愛されるまで、ウィル・パワーは物語を書きつづけた

ウィル・パワー Photo by Chris Jones
Photo by: Chris Jone

【2018.5.27】
インディカー・シリーズ第6戦 第102回インディアナポリス500マイル

 サム・ホーニッシュJr.がインディ・レーシング・リーグ、すなわち現在のインディカー・シリーズで年間王者の座に就いたのは2001年のことである。かつて米国で「インディカー」を担い国際的な色彩を帯びていたCART選手権に対し、米国的なものへの回帰を求めたインディアナポリス・モーター・スピードウェイが離脱を表明してから5年以上が経過していた。設立初年度は3レースしか行われず、急ごしらえのチームが無名なドライバーを走らせるばかりのIRLだったが、オーバルレースだけで構成するシリーズのコンセプトと、母体であるIMSが有する世界最大の祭典――インディアナポリス500マイルの威光によって少しずつ有力チームやドライバーを引き寄せ、大きな勢力へと成長していたころだと思い出せるだろう。一方で商標権にまつわる契約を巡ってCARTと法廷で争った末に設定された冷却期間が続いており、インディ500を中心に据えているにもかかわらず公式には「インディカー」を名乗れなかった難しい時期でもあった。
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そろそろインフィールドには飽きたかい

Photo by: Walter Kuhn

【2018.5.12】
インディカー・シリーズ第5戦 インディカーGP

セント・ピーターズバーグのロバート・ウィッケンズ、ロングビーチのアレキサンダー・ロッシ、アラバマのジョセフ・ニューガーデンと、今季ここまで行われた3つのロード/ストリートレースにおいて、最多ラップリードを記録したのはすべてポール・ポジションからスタートしたドライバーだった。これはインディカー・シリーズにおいて少々珍しい現象である。たいていの場合は決勝で絶妙なセッティングを見つけた車が浮上してきたり、悩ましいタイミングでフルコース・コーションが導入されて順位がかき混ぜられたりして、両方を独占する結果には意外となりにくいものだからだ。昨季の開幕戦のように、たった1度のコーションで上位8台と下位8台がほぼ丸ごと入れ替わる事件さえ、いやむしろ「事件」とは呼べない程度の蓋然性の高さをもって、このカテゴリーでは起こりうる。開幕から(オーバルレースを除いた)3戦連続でポールシッターと最多ラップリーダーが一致し、ましてそのどれもが6割以上の周回で先頭を占めるなど、そちらのほうがよほど事件に近い印象すらあろう。3レースのうち2つはそのまま優勝も付け加えられた。優勝の50点、予選最速タイムの1点、ラップリードが1点に最多ラップリードは2点。選手権の満点54点の大安売りである。取り逃したウィッケンズにしたところで、残り3周のリスタートでロッシによるほとんど自爆まがいの(わたしにはそう見えた)攻撃によってスピンさせられなければ、確実に勝っていたはずだ。
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予定されない月曜日、あるいは予期されなかった魔法

Photo by: Joe Skibinski

【2018.4.22-23】
インディカー・シリーズ第4戦 アラバマGP

これはもちろんあらかじめ定められた、文字どおり予定された勝利だった。遡ること2週間、4月8日に行われたフェニックスでのオーバルレースをジョセフ・ニューガーデンが快勝した直後に、激闘の興奮が一段落してすっかり和やかな雰囲気になったGAORA放送席の話題が今後の展望に及んだ際、「ロングビーチ、インディカーGP……」とアラバマGPがうっかり飛ばされてしまったのを聞いたわたしは、反射的に、ニューガーデンが勝つことになるアラバマを忘れぬよう、といった趣旨のツイートをタイムラインに投げ込んでいるのだった。そうするのが自然な反応だった。わたしにとってニューガーデンがその地で表彰台の頂点に登ることは、とうの昔に決まっている予定だったからだ。木曜日、仕事の打ち合わせ。金曜の夜に洗濯、土曜日は洗車と一週間分の食材の買い出し。そして日曜日にはアラバマでニューガーデンが勝つのを見届け、週が明けたら出社前に整形外科を受診する。それらはどれも同じ強度でごく当たり前に手帳に書き込まれ、ごくごく当たり前に完了されるべき用事だった。もしブックメーカーの賭けに参加できるなら1000ドルだって投じられただろう。何倍の掛け率が設定されていたかは知らないが、二十数人の中のひとりと考えれば本命といえども5000ドルくらいになって返ってきたかもしれない。だとしたらつくづく惜しいことをしたものである。
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黄色い旗が正しさと愚かさをわかつとき

Photo by: Joe Skibinski

【2018.4.15】
インディカー・シリーズ第3戦 ロングビーチGP

こんな話から始めてみよう。2016年の7月17日、トロントで行われたインディカー・シリーズ第12戦で、チップ・ガナッシ・レーシングのスコット・ディクソンと、チーム・ペンスキーのシモン・パジェノーが緊張感の漂う優勝争いを演じていたのである。ペンスキーに移籍して2年目のパジェノーが開幕5戦で3勝と2度の2位を記録して主導権を握り、つねに100点前後の大差を維持する構図で進行しているシーズンだった。前年の苦境を乗り越えてはじめてのシリーズ・チャンピオンに向けて邁進するフランス人を追っていたのが直近2年の王者である同僚のウィル・パワーとディクソンで、ともに春までは苦しい戦いを強いられながら、インディアナポリス500マイル以降に調子を上げ、少しずつではあるが点差を詰めて縋りついていた、そんな時期でもある。特にペンスキーの宿敵たるディクソンは、前年と、また2013年にも夏場に大きく得点を伸ばして大逆転の戴冠劇を演じた戦いぶりが記憶に新しく、ひたひたとポイントリーダーに迫ってくる姿が過去の再演を予感させもした。閉幕まで5戦となったこの段階での直接対決は、単体のレースの優勝争いとしてはもちろん、選手権の帰趨を左右しうるという観点からも、重要な意味を持っていたのだった。
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どこで勝者を見つけるか、観客としてレースを捉えるということ

Photo by: Joe Skibinski

【2018.4.8】
インディカー・シリーズ第2戦 フェニックスGP

 レースの勝者を決するのが、最終周の完了すなわちチェッカー・フラッグが振られるときであるのは言うまでもない。あるいはそれは、スタートの時点では無数にあった、すべてのドライバーが勝ちうる可能性の糸がひとつずつ途切れていった末に、一本だけ残った先端である。最初にグリーン・フラッグが振られ、多くのドライバーにとっては、と同時にほとんどすべての糸が切れてしまう――勝利の見込みが潰える。やがて周回が重ねられるにつれ、残っていただれかの糸が1本途切れ、まただれかの糸も1本途切れ、2本途切れ、最終的にたったひとつの可能性に現実の展開が追いついてチェッカーへと収束していく。並行するあらゆる事象への分岐を断ち切った果てに結末へと到達する営み、たとえばレースをそんなふうに表現してみてもいいだろう。競技者は自分の速さによって他者の可能性を途切れさせ、自らの可能性を維持しながらフィニッシュへと進むのだと。
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エリオ・カストロネベスのいない春、まとまりのない恋文

Photo by: Chris Jones

【2018.3.11】
インディカー・シリーズ開幕戦 セント・ピーターズバーグGP

まだ20歳前後の感情的な若者だったわたしにとって、だからエリオ・カストロネベスはグレッグ・ムーアの永遠に戻ることのない代理にすぎなかったのである。ムーアはわたしが最初に知ったレーシングドライバーだった、というといささか嘘くさく響くだろうか。むろん、その名はわたし自身がはじめて目にしたドライバーのものではない。多くの日本人同様にわたしもレースを知った入り口はF1だったから、フジテレビで覚えた名前はたくさんあったし、また雑誌などを読んでその走りを想像する者もいた。たまたま家のケーブルテレビでCARTを見始めたときも、ムーアはまだデビューしていなかったと思う。その意味でムーア以前に目の前を走ったドライバーは何人もいたのだが、乱暴な言い方をするなら、それらはわたしにとってみながみな既製品だった。日本が熱狂的なF1ブームに浮かれていたころ、アイルトン・セナやアラン・プロストはとっくに別のだれかの英雄になっており、あるいは米国に目を移してみたところで、マイケル・アンドレッティやアル・アンサーJr.は応援したいドライバーではあってもすでに確立された存在だった。彼らの物語は自分以外の場所で消費され、心の中に収めることはできなかった。それがわたしには物足りなかったのだ。
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