ジョセフ・ニューガーデンは三度魔法を使う

【2017.4.23】
インディカー・シリーズ第3戦 アラバマGP
 
 
 世界中のサーキットに数多ある「コーナー」でいちばんのお気に入りは何かと問われるとする。10年ほど前だったか、F1世界王者となったばかりのルイス・ハミルトン(ほんの一昔前、マクラーレンはまごうかたなきチャンピオンチームだった)が各地の著名なコーナーを集めて究極のサーキットを「設計」する企画に臨んだ際は、イスタンブール・パークのターン8にはじまりスパ-フランコルシャンのオー・ルージュ、鈴鹿の130Rにシルバーストンのコプスなど高速コーナーばかりを集めて首のもげそうな、なおかつ追い抜きなどとうてい不可能なとんでもないコースを作り上げていたものだが、わたしならまずアラバマはバーバー・モータースポーツ・パークのターン14と14aを挙げたいと思う。数え方によってはターン15および16とされることもあるこの区間は、微妙なターン番号の振られ方から容易に想像されるとおり曲率半径の異なるふたつの曲線が巧みに組み合わされた複合コーナーで、さらにはその直前のターン13と三位一体となってドライバーの行く手に立ちはだかるインディカー・シリーズ屈指の難所である。 続きを読む

ジョセフ・ニューガーデンは自分だけの賽を持つ

【2016.7.10】
インディカー・シリーズ第11戦 アイオワ・コーン300
 
 
 およそすべてのモータースポーツにそのような性質は備わっているというべきなのかもしれないが、インディカー・シリーズのレースには、ことさらにさいころゲームの趣がつきまとう。完璧な車を用意し、最高のドライバーを乗せ、間違いなかったはずの作戦を用意したつもりでも、自分の意思と無関係に、ゆくりなく、そして多くの場合不可避にやってくるフルコース・コーションがレースをまったく別の顔へと変貌させてしまうことがある。コースのほとんどを全開で走り続ける単純な、単純であるがゆえに高速で、高速であるがゆえに繊細を極めるオーバルレースは特にそうで、ある瞬間の速さは次の瞬間にそうあり続けることを必ずしも保証せず、中途の先頭が優位を積み上げているとも限らない。黄旗によって絶え間なく引き起こされるリスタートは、文字どおりのやり直しとなってドライバーたちにレースと向き直ることを強制する。賽が振られ、だれかの名前の面が上になる。ふとした気まぐれのように、また振られる。やり直す。だれかが出る。黄色、緑、振る。黄、緑。やり直す。何面体の賽なのかは知る由もないが、そういう儀式めいたやりとりを何度か繰り返したあと、偶然にチェッカー・フラッグが訪れる。もちろんチェッカーは最初から予定されている、しかし最後の賽がいつ振られるかばかりはわからないのである。ともあれそのとき出ていた名前こそが、レースの優勝者として刻まれるだろう。F1ないし耐久といったカテゴリーの勝利がスタートからゴールまで一貫して積み重ねられた論理の先にあるとするなら、インディカーの、オーバルのそれは最後の最後、論理が届かない場所にある――そう断言するのが極端だとするなら、届かない場所に行ってしまう場合がある。たとえば2016年、ともに世紀の逆転と呼ばれるにふさわしい2つの大レースには、しかし違いを見出すことができるはずだ。ル・マン24時間レースのポルシェにとって、チェッカー・フラッグの3分前に先頭を走るトヨタがスピードを失ったのは幸運だったといえるのかもしれないが、当人たちが歓喜以上に当惑さえ抱いたと思しき信じがたい優勝を掴んだ要因は、結局23時間57分をかけてトヨタの次という順位を築いたうえで、残り3分をも壊れることなく走り続けたことにある。耐久レースの決着がスピードと同時にその名のとおりの「耐久」にあるとすれば、奇跡的な、幸運を手繰りよせた優勝に見えるとしても、ポルシェはその枠組みのなかで論理的に積み上げた正当な結果を受け取ったにすぎない。翻って100回目のインディアナポリス500マイルで最後に振られた賽にはアレキサンダー・ロッシとあった。コース上でただひとり給油を1回省略して燃料が尽きるまで走り続けた結果の大逆転は、最後のコーションがあと1周ずれていたとしても、または160周目から200周目の間にあと一度コーションになるような事態が起こったとしても絶対に生まれえなかったと断言できる点において、説明しようのない偶然の産物だった。もちろんそのことがロッシの偉業を損ねるわけではなく、チームメイトの協力も得て困難極まりない作戦を完遂したことは讃えられるべきである。だがその勝利にはポルシェがたどってきたような論理の流れが存在しないのも一面の事実だろう。最終スティントをリードラップで迎えたことだけが根拠のすべてで、そこに至るまでにレースのなかで積み上げられているべき「優勝への接近」がまったく見えてこない。そういう状況で最後の――もちろん、事後的に遡った場合に最後だった、である――賽が投げられたとき、きっと他の面には違うドライバーばかり書かれていたにもかかわらず、ロッシの名前が上を向いた。それは「こうなりうるだろう」という過去からの推測をも拒否し、死角から横っ面を叩くような優勝なのだった。
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なんて愛しい魔法使い

【2016.4.24】
インディカー・シリーズ第4戦 アラバマGP
 
 
 およそ1年前の2015年4月26日、ジョセフ・ニューガーデンはバーバー・モータースポーツ・パークにおいて人生でもっとも重要な2つのパッシングを完成させた。残念ながらテレビ画面にはあまり大きく映し出されていなかったように思うが、それは疑いなくモータースポーツでもっとも美しい光景のひとつだった。長いバックストレートから高速ターン11を通過し、右に曲がり込むブラインドのターン12を加速しながら立ち上がっていくとほんのわずかな全開区間の先にこのコース最大の難所が現れる。車速をわずかに落として右のターン13に進入し、スロットルを維持したまま続けざまにやってくる高速ターン14の横Gをまともに受けながら、いきなりRのきつくなるターン14aのクリッピング・ポイントに向けてブレーキペダルを踏みしめる。半径の異なる3つのターンで1組となるこの複合コーナーを通過するおよそ7秒間、ステアリングはずっと右に切り続けられている。速度を上げようとすれば車はドライバーが与えるフロントタイヤの舵角に抗って外へ外へと逃げていき、かと思えばいきなりリアタイヤのグリップが減じてカウンターステアを余儀なくされる場合もある。イン側へ寄っていこうとすれば速度を落とすしかなく、ドライバーは速度と距離のジレンマのなかで車をどうにか手懐けながら妥協点を探る。横からの荷重にとらわれて姿勢を乱さないよう、最後のブレーキングはあくまで繊細に。走行ラインの自由度はほとんどない。
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速さを弄ぶペンスキーが、レースの順位を語れなくしている

【2015.6.14】
インディカー・シリーズ第10戦 インディ・トロント
 
 
 わたしはジョセフ・ニューガーデンを好んでいることを公言しており、その走りについておそらくもっとも日本語を費やしてきた人間だろうと自負もしている――なにせ、google検索してWikipediaの次に表示されるのは昨年書いたこのブログ記事で(※移転前にそういう時期があった)、1万字近い文章であるうえ、その他にもひとつふたつおなじくらいの文字数を書いた記事がある――が、そんな偏りのある目で見ていても、たった一度の偶然にすぎない好機によって気付いたら先頭を走ることになった24歳が、そのままチェッカー・フラッグまで逃げ切ってしまったレースについてどう受け止めていいのかいまだ戸惑いの中にいる。贔屓のドライバーが勝ったのだから喜ばしいかといえばさほど単純なものではなく、つまり今年のアラバマでの初勝利がニューガーデンの恐れを知らない情熱的な本質に支えられた彼だけのためのレースだったのに対して、このトロントは幸運に過ぎて、終わってみればおよそだれが勝っても構いはしないものだったのである。それがたまたまわたしの好むドライバーの名札をつけていただけだ。アラバマが「優勝」で、トロントは「1位」だったと言ってもいい。どんなレースにも1位はいるとはしばしば書いてきたことだが、現象がおなじであることに疑いの余地はなくとも、その精神には大きな隔たりが横たわる。
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約束された初優勝、あるいは円弧の上のジョセフ・ニューガーデン

【2015.4.26】
インディカー・シリーズ第4戦 アラバマGP
 
 
 どうやらフロントウイングの角度を調整しようとしたクルーの手の動きを発進の合図と勘違いしたのだろうというのが、日本でのレース中継を解説していた小倉茂徳の見立てだった。その解説が現象のすべてを完全に説明できていたかどうかははっきりしないが、いずれにせよタイヤ交換と給油を終えてピットから出ようとしたカーペンター・フィッシャー・ハートマン・レーシング67号車のクラッチがうまく繋がらず、車全体が不快そうに揺れるとともにエンジンが失速してあやうく止まりかけたのは目の前の事実で、その瞬間、いくつかのレースの記憶が鮮明に蘇ってああまたしてもこうなってしまうのかと悲嘆の声を上げてしまっている。ジョセフ・ニューガーデンがこんな目に遭うのは何回目かわからないものの、前回の悲劇ははっきりと記憶に残っていて、なぜなら息を凝らすほどに美しかった彼の走りがピットクルーの愚かな不作為によってはしなくも断ち切られた昨年のミッドオハイオは、まだほんの7レース前にすぎないのだ。この短期間に彼はふたたび勝てそうなレースを迎え、ふたたびピットでの拙い動きによってその機会を奪われようとしていた。
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才能に裏切られるなかれ、あるいはジョセフ・ニューガーデンの25分間に捧げるためだけの小文

【2014.8.3】
インディカー・シリーズ第15戦 ミッドオハイオ・インディ200

居住まいを正してテレビの前に座り、真剣にレースを見ているようなときに何らかの予感が走るとしたら、それは根拠のないただの勘ではなく、無意識のうちに取り入れた細かい情報を自分の中で重ねあわせて作り上げる物語というべき類のものだろう。その意味では、最後尾スタートから変則的なピット作戦を成功させてスコット・ディクソンが首位に立った40周目、フルコース・コーションの最中に4位を走っていたジョセフ・ニューガーデンが、リスタートとともにサーキットの視線すべてを独占することになるだろうと考えるのは、むしろきわめて初歩的なレベルの推測だったといえる。燃費とタイヤの要素が複雑に絡み合う様相を呈していた時間帯にあって、上位3台はそれぞれわかりやすい瑕を抱えて速さを阻害されると予想された(ディクソンは燃料、2位と3位のセバスチャン・ブルデーとカルロス・ムニョスはおもにタイヤに弱点を抱えていたのだ)のに対し、もとより予選2番手だったニューガーデンはレースにおいて不利になる要素を序盤のうちにすべて片付けており、万全の状態で仕切り直しのグリーン・フラッグを迎えようとしていた。コントロールラインではなくターン3の先、バックストレート上に設定される一風変わったリスタートラインからレースが再開された直後、だからニューガーデンがムニョスを追い立てる展開はわずかの驚きも抱かせなかった。唯一予想できない事態が起きたとすれば、やがてムニョスとブルデーを攻略して首位に肉薄しようとするニューガーデンの車が、ただ速いだけに留まらず、息を凝らして記憶しなければ後悔すると思わせるほど信じがたい美しさを宿したことだ。43周目から65周目の間、時間にして25分にわたって演じられたその舞うがごとき走りは2014年のインディカーにおいてもっとも良質な運動に他ならなかった。その後に訪れた非情な時間の損失によって可能性を断ち切られた悲劇までも含めて、ただ彼の走りひとつをもってしてミッドオハイオはこの年いちばん優れたレースだとして記されなくてはらなくなったのである。
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インディカーのために、われわれはチップ・ガナッシを軽蔑する必要がある

【2014.7.6】
インディカー・シリーズ第11戦 ポコノ・インディカー500
 
 
 500マイルの長い長いレースで、この日はじめてとなったフルコース・コーションが導入された161周目に、結果としてレースの最多ラップリーダーとなった、つまり多く最速であったターゲット・チップ・ガナッシのトニー・カナーンがピットへと向かった場面は、今シーズンに起きたインディカー・シリーズのどんな事件より不愉快を生じさせた瞬間として記憶されてもいいだろう。チームはそこでとりあえずカナーンのタイヤを新品に交換し給油を済ませると、さらにコーションが明ける直前の164周目にふたたび昨年のインディアナポリス500ウィナーを呼び戻し、わずかに減った燃料をもう一度注ぎ足してタンクの隙間を埋め、200周目まで走り切るように指示してコースへと送り出した。チェッカー・フラッグまでは36周を残している。トライオーバルと呼ばれる特徴的な三角形レイアウトをしたポコノ・レースウェイが、しかしどんな車にも32周のうちに燃料を使い切らせてしまうことは、レース4分の3が終わったこの時点で完全に証明されていたはずだった。チップ・ガナッシは、ゴールまでたった1スティントの間に通常の10%以上も燃料消費量を抑えて長い距離を走り切る賭けに打って出たのである。

 そこに無謀な、と修飾語をつけてもよい。実際オッズは9:2だった――つまりこの時点でリードラップに居残っていた11台のうち、カナーンとおなじ作戦を取ったのはわずかにジョゼフ・ニューガーデンだけだったのだ。最終的にチップ・ガナッシの勝負は失敗に塗れることになるが、結果論でなく当初から分の悪い賭けだったことはだれの目にも明らかだったわけである。もちろんストライク/サラ・フィッシャー・ハートマン・レーシングの選択に関してはわからなくもない。ニューガーデンはカナーンと違ってインディ500の優勝者ではなく、という以前にシリーズで一度も勝ったことのないまだ23歳のドライバーで、チームはお世辞にも強豪とはいえないし、なによりこの日も勝機を見出すことなどいっさいできないレースを戦っていた。もとよりリードラップの後方を走っていたのだから、失うものもない。彼らは自らの立ち位置を理解したうえで、ホンダエンジンが優位とされる(かどうかは正直怪しいところだが、そう信じられてはいるようである)燃費や、その後イエロー・フラッグが何度も振られる微かな可能性を頼んで少額のチップを積んだ。それは弱者が取れる数少ない、しかしゆえに尖った戦略として、むしろ賞賛さえされるべき決断といえよう。事実ニューガーデンはコーションでステイアウトした車が給油に向かった188周目から自らの燃料が尽きた194周目までをリードしたことでレースの行く末に波乱の疑念を抱かせるとともに、貴重な1ポイントをも上積みした。そのうえでウィル・パワーが(またしても)ドライブスルー・ペナルティを科された間隙などを突いて得た8位は、まちがいなく作戦が成功したことを証している。優勝とまではいかなくとも彼らにとって悪い賭けではなかったのだ。なすべきことを正しい瞬間になせばレースは報いてくれるとささやかな寓話にすることもできそうなくらい、彼らは能く戦った。

 だが8位を最高の果実としたニューガーデンとサラ・フィッシャーの作戦は、同時にそれがどこまでも弱者の戦略でしかなかったことを示してもいる。コーションが長引けば、再スタートの混乱でふたたび事故が起きてイエロー・フラッグになれば、周回遅れを利用して空気抵抗を減らし燃費を通常以上に向上させられれば。彼らが頼んだ展開は通常ではない事象をいくつも掛け算した結果の途方もなく低い確率でしか見つかりえなかったし、実際にそういう卑近な願いをあざ笑って、ごくごく普通の作戦をとったファン=パブロ・モントーヤが優勝したわけである。第9戦のカルロス・ウェルタスのように目をつぶりながら細いロープを落ちることなく渡り切ってしまうような偶然はめったにない。ニューガーデンは弱者の戦いをして、弱者らしく当たり前に敗れた。

 弱者がレースのほんのわずかな綻びにしがみついて優勝まで辿りつくには、あらゆる都合のいい仮定を砂上に積み重ねていかなければならない。ほとんどの場合、そんな幻想は強者が無造作にスロットルを開けるだけで霧散するし、また強者は自らの勝利のためにそうする権利が、あるいはモータースポーツという営みの強度を守るために、そうする義務がある(われわれはサイコロを振って出た目だけで決まる競走を見たいわけではない)。レースにおいて、弱者に地位に応じた戦いがあるように、強者にはふさわしいありかたが求められるものなのだ。カナーンへの、チップ・ガナッシへの不愉快とはそういう意味である。2014年は未勝利といっても昨季の、もっと言えばここ6年で5度の選手権を獲得したチームと、インディ500・シリーズチャンピオンの両方を経験しているドライバーのコンビが、多くのラップリードを築いていたにもかかわらず、なお強者としての振る舞いを捨てて矮小な賭けを指向した、それはレースに対する敬意を欠いた裏切りに他ならなかった。昨年このブログでたびたび使った言葉をふたたび持ちだしてもいい――チップ・ガナッシは頽廃的なレースに堕したのだと。

 中継の解説を担当した松浦孝亮の推測するところによれば、この日のチップ・ガナッシはライバルのチーム・ペンスキーに対し一貫してピット作業が遅く、最終スティントで先頭に立つことが困難と予想されたために、変則的な作戦を採用したのかもしれないということである。ターンの角度がきつくバンクも浅いポコノでは追い抜きがほぼ不可能で、実際レース中にもほとんど見られなかったから、ひとたび先行を許せば逆転の可能性にさほど希望を持てないことは明白だった。だからコース以外の場所でなんらかの工夫が必要とされたのだろうと、そういうわけだ。

 それを受けて実況の村田晴郎は、「勝つための作戦」だとカナーンの変則的なピットストップについて述べたのだが、その表現はおそらく半分正しく、しかし半分は間違っている。たしかにチップ・ガナッシは工夫を凝らし、足りない燃料をなんらかの偶然で埋めてペンスキーを出し抜く賭けに出た。それはたしかに勝利を願った作戦ではあろう。だが同時にそうすることで彼らは、強者としての振る舞いを、最大限の努力でピット作業を短縮し、最高の緊張とともにコース上のバトルを制して勝利しようとする意志を、自らのピットボックスに破り捨てもしたのだ。チップ・ガナッシは奇抜な作戦を選ぶことによって、直接の対決を避けてある意味では安直な勝利を求め、また負けたとき「賭けに失敗しただけだ」と自らを慰めるためのわかりやすい理由を手に入れたように見える。いやむしろ、彼らが選んだのは「勝つため」である以上に、敗因を隠蔽し、自分たちは最善の努力を払ったが報われなかったのだという偽装された満足感を得るための作戦ですらあったのではないか。

 ニューガーデンとサラ・フィッシャーの戦いから最善を尽くした麗しい物語を読み取れるとしても、まったくおなじ文章を紡ごうとしたカナーンとチップ・ガナッシに同種の意志を見てはならない。弱者が弱者としてレースに立ち向かうために狭い路地での戦いを求めるのと、強者がそこに逃げることはまったく違うのである。賭けの失敗を慰みにできる傷つかない走りを選び、自らにふさわしい戦いの場から姿を隠したチップ・ガナッシは、レースを形作る一員になる資格すら失った。結局、ポコノでカナーンが本当にペンスキーに勝てなかったのかどうかは永遠の謎となってしまったのだ。ライバルと、さらにはレースそのものと対峙することを忌避し、弱者の路地へと逃げこんだ彼らの振る舞いこそ、この好レースに投げかけられた唯一の失望に他ならなかった。

 チップ・ガナッシにいまだ優勝がなく、不調から抜けだせずにいることがしばしば話題になるが、ことここに至ってその理由は明らかになったというべきだろう。だれよりも強者であるべき彼らは、そう振る舞えるはずの場面ですら弱者であることを望んで自分自身をレースから放逐している(このチームがスコット・ディクソンのクラッシュ以外ほとんど目立つ場面がない、ということを連想してもよい)。そんなチームに幸運以外の勝利が訪れるはずもなく、そして弱者を勝たせるほどの幸運はそうそう転がり込んできたりしない、ただそれだけのことだ。しかしチップ・ガナッシは本来まぎれもなく強者であり、そしてまさにこのポコノがそうであったように、強者がレースを恐れる姿など観客にとっては不愉快でしかない。昨年はポイントリーダーの地位を守ろうとするエリオ・カストロネベスの恐れがシーズン中盤から後半を支配し、打ち破るには最終戦を待たなければならなかった。われわれがインディカーの強度を信じ、擁護しようと思うなら、ポコノのレース中盤を支配したことでいまだ強者としての可能性を残していることを示したチップ・ガナッシが、頽廃的な恐れを振り払う姿をこそ求めるべきである。それは車の性能やチーム力と違って、次のレースにでも改めることができる――昨季の最終戦が突如として豹変したようにだ。観客としてはその瞬間を待ちながら、せめてその臆病を冷笑し、軽蔑の眼差しを向けるくらいのことを、しておくべきにちがいない。

佐藤琢磨のラインと武藤英紀の絶句、それから象徴でしかない話

【2013.5.5】
インディカー・シリーズ第4戦 サンパウロ・インディ300
 
 
 テレビの前で聞いているかぎり、解説の武藤英紀は視聴者を意識して慎重に言葉を紡ごうとしているようだった。2008年のルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した、つい2週間前までインディカー・シリーズ日本人最高位という記録の持ち主だったこのドライバーは、自らが過ごした3年間の経験によって、それが罰則を受ける可能性がある走行であることを、レースの熱量を奪わぬように、また己の言及が実現しないことを望むように曖昧な言い方で口にした。72周目には「いまのブロッキングはちょっと……」と絶句し、そして翌73周目、「2回目ということで(ペナルティを)取られる可能性ありますね」と示唆している。下位カテゴリーからアメリカのレースにまみれてきた武藤の文化のなかに、それは育まれていない動きだったかもしれない。少なくとも、彼の知るアメリカはそれを許さないと直感したのだと想像することはできるだろう。サンパウロ市街地コースのバックストレートエンドで、佐藤琢磨が若いジョゼフ・ニューガーデンと開幕戦の勝者であるジェームズ・ヒンチクリフの攻撃を次々と凌いだときのことである。

 2010年のエドモントンでのレースで、インディカーはひとつの事件を引き起こした。チェッカーフラッグまで残り3周のことだ。フルコース・コーションが明けるリスタートの際、先頭を走るペンスキーのエリオ・カストロネベスはチームメイトのウィル・パワーに対し、インサイドのラインを徹底的に主張した。まだ2列リスタートが導入される前のシーズンである。パワーはカストロネベスの横に並んでいたわけではなく、あくまで真後ろから加速をはじめていた。左の最終ターンから右のターン1へ、幅の広いホームストレートを斜めに横切るのが本来のレコードラインだが、カストロネベスは後ろからの攻撃を警戒してまっすぐに進む。パワーは一瞬だけインサイドに未練を見せたものの、空間を見出せずすぐさまアウトへと飛び出した。懐へ飛び込むような意思を表現することは一切なく、速度を高く保ってターン1の進入でかぶせるように並びかけて、ペンスキーの2台はサイド・バイ・サイドのままエイペックスをクリアしていった。

 このバトルによってもたらされた結果が最終的にこの年のチャンピオンの行方をも左右することになるのだが、バランスを崩したパワーがスコット・ディクソンにインサイドを明け渡して3位に後退したレースの経緯は本題ではない。物議を醸したのは、襲いかかってきたチームメイトのラインを一度も潰さず、最初から最後まで一貫してインサイドを守り続けただけのエリオ・カストロネベスが、そのバトルから1分もしないうちにレース・コントロールにブロッキングの違反を取られて黒旗を提示されたことだった。原文を発見することができなかったが、当時のルールは大意として「後方から追ってくるドライバーのためにインサイドを空けなければならない」というものだったと記憶している。この規則を根拠に、過度なディフェンスをしたわけでもないカストロネベスはピットのドライブスルー・ペナルティを科せられたのである(実際には彼はその裁定を受け入れずに無視し、レース後にタイム加算の罰を受けた)。

 規則の解釈の範囲に収まるペナルティだったとはいえ、先行側の守備権利をほとんど認めないかのような規則がトップバトルに適用されたことはじゅうぶんに刺激的だったようで、インディカーは批判にさらされ、結局行きすぎだったことを認めるかのようにブロッキングについて見直しがなされている(注:条文が変更されたかどうかは調査できていない)。2011年のルールは「追ってくるドライバーのアクションに対して走行ラインを変更したり、追い抜きを防止・妨害するために通常と異なるラインを通ってはならない」(9.3.2)であり、さらに2013年には後半部分((must not) use an abnormal racing line)が削除されて「追ってくるドライバーのアクションに対して追い抜きを防止・妨害するために走行ラインを変更してはならない」(9.3.2)へと簡略化された。ずいぶん「レースらしく」なったように見える。現在レース・ディレクターを務めるボー・バーフィールドによれば、「自分から動いてラインを保持する場合はディフェンスできるが、他のクルマの動きに反応して動いたのならブロックできない」という解釈のようだ。

 その基準に照らして見れば、佐藤琢磨の走行は許容範囲にあったということだろう。サンパウロのバックストレートは完全な直線ではなく左・右・左にややうねっており、うねりのエイペックスをかすめるようにして直線的に走ったことで悪質なブロックのように見えただけではないか、と言ったのはインディ500に出場予定のライアン・ブリスコーだ。GAORAのブログでも同様の見解が示され、ブロッキングにはあたらないと結論づけられている(『こちらGAORA INDYCAR実況室』「ブロッキング判定」2013年5月7日付)。ただ論争があるのは事実で、佐藤とおなじホンダエンジンユーザーであるスコット・ディクソンなどはツイッターでのレース・コントロール非難が喧しい。この項で行為の是非や判断そのものに立ち入ることはしないが、いずれにせよ公的な結論はすでに出ている。「no further action」だ。

***

 口ぶりから察するに、武藤英紀は低くない可能性で#14にペナルティが適用されると受け止めていたはずだが、視聴者や自身の期待、そして実際に下された裁定に反してそう思わざるをえなかったことと、彼が2010年にインディカーを去ったこととは、たぶん無関係ではない。それは武藤が直接的な体験や知識として2011年以降のブロッキングルールを知らないことを意味しているのではなく、変容するインディに呑まれていないということである。彼のなかのアメリカは佐藤のラインを許容しなかったかもしれないが、いまのインディはきっと、他ならぬ佐藤が2週間前の優勝に続いて先頭を走っていた事自体がその象徴なのだと言える程度には、彼の知るアメリカではないのだ。

 歴史家が未来からインディカー・シリーズを記述しようとしたとき、おそらく2010年はひとつの目印として旗を立てられることになるだろう。ブロッキングルール見直しの契機となった事件の発生のみならず、たとえば史上はじめてロード/ストリートコースでのレース開催数がオーバルコースを上回ったのもこの年であり、以降のインディカーは急速にオーバルレースの数を減らしてかつて対立したCARTのような相貌を見せるようになっていく。またたとえば(これがいかにも日本人による見方であることは承知のうえだが)、武藤英紀と佐藤琢磨が交叉したのも2010年だ。すなわち、ヨーロッパでもアメリカでもない場所を出身とした日本人のうち、アメリカでキャリアを構築しなおしたドライバーが去り、F1の表彰台までたどり着いたドライバーが現れて定着した年でもあったのである。アンチ・ヨーロッパだったアメリカのレースがヨーロッパへと融合していく過程――オーバルが全体の3分の1を割り込み、ブロッキングの適用条件が緩和され、佐藤が優勝を遂げ、F1と同一レイアウトとなるインディアナポリス・ロードコースでの開催が計画された2013年にいたるまでのインディカーの大きな流れが、2010年を境にできあがったと記すことはさほど困難ではない。

 武藤英紀がアメリカの空気を吸収してインディカーに上がってきたのに対し、佐藤琢磨は、ほとんど純粋にヨーロッパでのキャリアを積み終えた後に、「ホンダ」という共通項を手繰ってアメリカに移ってきた。その佐藤がインディのCART化≒ヨーロッパ化と軌を一にしてアメリカに適応していったのは、佐藤の視点からすれば偶然でしかない(それは彼の能力のなせる業だった)が、しかしインディカー側の視点に立てば示唆を発見することもできるだろう。インディカー・シリーズの起源をCARTではなくIRLに求めるなら、佐藤はラインナップの中でF1表彰台の経験とともに移籍してきた初めてのドライバーであり、ルーベンス・バリチェロがいた昨季を除けば唯一のドライバーでもある。昨季のサンパウロやエドモントンでの表彰台や先のロングビーチの優勝は、なにも「日本人」「アジア人」という冠を掲げなくとも、ヨーロッパで成功体験のあるドライバーがアメリカでも同等かそれ以上の成功を収めたという意味で、インディカーとF1が最接近した瞬間という意味で十分に歴史的な出来事だったのだ。インディカーはその変化の中で、佐藤琢磨の優勝を受け入れたのである。

 インディカーとF1は、そのどちらをも走りきった佐藤琢磨という存在を結び目として重なりあう場所を生もうとしており、その流れに逆らおうとするのは難しくなっている。たとえばサンパウロで下位に沈んだチップ・ガナッシのドライバー2人、ダリオ・フランキッティとスコット・ディクソンが、直接見たわけでもない佐藤のライン取りやそれにペナルティを科さなかったレース・コントロールを批判しているが、不調をかこつ彼ら自身の焦燥や苛立ちをひとまず措けば、ここには根底にオーバルとともに息づいていたアメリカの文脈があると受け取ることができる(もともとブロッキングの禁止は、接触が命の危険に直結するオーバルでこそ強い意味を持つものだ)。ルールブックの文言が変わろうとも、アメリカのレースはブロッキングを許さないはずなのだと、アメリカに生きてきたドライバーである彼らはそれを信じて皮肉めいた非難を口にしているわけだ。だが本当のところは、彼らの信念とは裏腹にアメリカがヨーロッパへ近づくなかでルールが――レースのルールのみならず、その精神のルールこそが――変わりつつあるにすぎない。オーバルでの事故で死亡したドライバーの名を冠したシャシーの誕生と同時に覇権を手放したことの意味を解していない彼らはそれに気づいていないだけだ。気づかないからこそ勝てなくなったのだということにも気づいていない。

 今は日本で走る武藤英紀にとってのアメリカもまた、佐藤琢磨のラインを許容することはないはずだった。だからこそ彼は実況席で何度もペナルティの心配を口にし、自分に言い聞かせるようにおなじ回数だけ「だいじょうぶだと思う」と打ち消したのである。だがその不安をよそにレース・コントロールは何らの動きも見せず、最終ラップの最終ターンにタイヤの限界からブレーキングの乱れた佐藤をクロスラインでオーバーテイクして勝利を奪い取ったヒンチクリフもフェアなバトルだったと笑顔を見せた。「異邦の他者」だったドライバーが優勝したロングビーチにインディカーとF1の接近を見て取ることができるのなら、このサンパウロは、元F1ドライバーの内にあるヨーロッパが許されたという事実によってまたひとつの歴史を築いたといえるのかもしれない。佐藤が決然たるラインでジョゼフ・ニューガーデンの攻撃を凌ぎきったとき、武藤英紀は言葉を失った。アメリカのドライバーとして生きた彼にとって自然な感情の発露だったはずのその絶句は、しかしそれが向けられた佐藤自身を象徴とするインディカーの変容を前にして、もはや文字どおり絶句のまま虚空へと消えていくほかなかったのである。