優雅な閉幕は優れた資質の証明である

【2016.9.18】
インディカー・シリーズ最終戦 ソノマGP
 
 
 2010年代のインディカー・シリーズを振り返ってみると、2015年までのあいだに選手権2位を獲得したドライバーが3人しかいないことがわかる。2010年から2012年の3年連続でウィル・パワー、2013年と2014年のエリオ・カストロネベス、2015年のファン=パブロ・モントーヤである。6年間の3人は共通点を持っている。全員がチーム・ペンスキーに所属していたことには気づきやすいはずだ。この間ペンスキーが王者を輩出した(つまり選手権で1位と2位を独占した)のは2014年にパワーが制した1回きりで、あとはチップ・ガナッシ・レーシングが4度、アンドレッティ・オートスポートが1度だから、近年このチームの勝負弱さは筋金入りである。だが仔細に見れば似通っているのは車ばかりではない。 続きを読む

シモン・パジェノーは懐古主義者の感傷を置き去りにするだろう

【2016.9.4】
インディカー・シリーズ第15戦 ザ・グレンGP
 
 
 このブログの過去記事を読んでもらえればわかるとおり、といったところで読まれるはずがないことは重々承知しているのだが、ともあれ以前のわたしはインディカー・シリーズに対してある種の原理主義、あるいは国粋主義的な感覚を持っていたものである。米国の中心にあるのはインディアナポリス500マイルを象徴としたオーバルレースで、ロード/ストリートコースでのレースはあくまでその周りに配置される装飾にすぎない。かつて「インディカー」であったCARTがどういう末路を辿ったかを見ればわかることだ、毎年のようにオーバルを取りやめ、ロード/ストリートに偏重していった結果として全戦オーバル開催を掲げるIRLという反乱分子を生み、やがて取って代わられたではないか。IRLのCARTに対する勝利はまぎれもないオーバルの勝利、21世紀を迎えるにあたって米国はオーバルを選んだのだ。それが正しい道だ。そう信じていたし、信じたかった。だからCARTを退潮に追い込んで名実ともに唯一の「インディカー」となったIRL=今のインディカー・シリーズが、やがてこともあろうに当のCARTと同様の軌跡を辿ってロード/ストリートを増やしはじめたことに危機感を覚え、観客動員数で明らかにオーバルが下回るようになったころにはこんなはずではなかったと嘆息をつき、インディアナポリス・モーター・スピードウェイのインフィールド区間を使用したロードレースを開催すると聞いたときには失望もしたのである。オーバルを守れ。IRLの志を忘れるな。もちろん、冷静に受け止めればインディカーはインディカーで時代への適応に必死なのだ。米国のオープン・ホイール・カー・レースが時代に合わせてその姿を変えていった過程は李狼氏のブログ『Downsizing Mind』の記事「インディカーのオーバルはなぜ減ったか」に詳しいが、生きていくために変容を善しとするのが正しいならば、取り残されているのは時代の一点に置かれたオーバルという装置に拘泥し不可侵の聖域として扱うわたしなのであって、どれもこれも自分勝手な感傷でしかない。ただ、変化がなし崩し的に、またあっという間に訪れたことで、わたしは変わる前の姿に憧憬と懐古を強くして反発を抱くことしかできなかったということである。サム・ホーニッシュJr.やダン・ウェルドン、ダリオ・フランキッティといったいかにも米国のレース(これも「ある時期の」というべきだろう)の担い手らしいドライバーたちが覇を競った時代はそう昔ではなく、せいぜいここ十余年に収まる話である。それが一夜にして――あくまで印象だ――一度は捨て去ったF1のようなインディカーへと変わってしまった。だからつい考えたくなるのだ。オーバルを守れ。IRLを忘れるな。インディカー右翼とでもいうべきか、苦笑が漏れるほど原理的だろう。発生の正しさは必ずしも現在の正しさに接続されるわけではないというのに。

 2016年の最終戦を前にして、選手権の首位をゆくのはシモン・パジェノーだ。才能を買われてチーム・ペンスキーに移り2年目となる32歳は同じチームのウィル・パワーに43点差をつけてはじめての年間王者に片手をかけている。最終戦はレース得点が2倍に設定されており、昨季のファン=パブロ・モントーヤが47点差を守りきれなかった事実を踏まえると絶対に安泰とまでは言えない(パワーが優勝した場合、条件にもよるが少なくとも6位、確実に守りきるには4位に入る必要がある)ものの、非常に有利な立場にあることは間違いない。そうしてもしこのままパジェノーが何事もなく同僚の追い上げを振り切った場合、IRLを祖とするインディカーは新たな種類の王者を迎えることになる。たとえばフランス人であること。米国チャンピオンシップ・カー・レーシングの歴史すべてに視野を広げれば最近でもセバスチャン・ブルデーの存在を挙げられるが、IRLからインディカー・シリーズの流れの中でフランス人がシーズンを制した例はまだない。とはいえインディカーの歴代王者はそもそも半分以上が外国人で占められており、パジェノーの国籍に特別な意味を見出す理由はないだろう。パワーが逆転したとしても外国人であることには変わりない。たとえば他には? ともすれば退屈にも思えるフェニックスで優勝したのはスコット・ディクソンだった。インディ500で歓喜の牛乳を口にしたのはF1帰りのアレキサンダー・ロッシ。2ヵ月半延期されたテキサス600はグレアム・レイホールが1000分の6秒差でものにし、アイオワ300はジョセフ・ニューガーデンだけのためにあった。ポコノの三角形を制したのはすっかりオーバルを走れるドライバーへと変貌したパワーである。今年行われた5つのオーバルレースの優勝者欄にシモン・パジェノーの名前はない。そう、彼はインディカー・シリーズ史上はじめて、オーバルレースを一度も優勝していない王者になろうとしている。

 書いたように1996年に発足したIRLは当初すべての開催がオーバルレースであり、選手権の勝者は当然オーバルの優勝者でもあった(年間無勝利どころか最高位3位にもかかわらず僅差の選手権2位となった1996-1997年デイヴィー・ハミルトンの例もあるが、とりあえず別の話である)。その時代が9年続き、2005年からカレンダーにロード/ストリートコースが加わっても、開催数の比率からいってオーバルで良績を残せないかぎり上位進出は不可能だった。2005年から2008年にかけては4年連続でインディ500の優勝者がその年の勝者にもなっている(かつてのわたしに言わせれば、幸せな時代といったところだ)。2009年にロードで滅法速いパワーがペンスキーに加入したが、行く手には旧世代の代表ともいえるフランキッティが立ちふさがった。そのパワーは悲願を果たした2014年にミルウォーキーでオーバル通算3勝目を挙げている。楕円のレースは年を追うごとにその数を減らし、勝てる機会そのものが失われていった、だとしてもそれに勝たなければ最終的な勝者になれなかったのだ。しかしいま、パジェノーによってこの過去は破られようとしている。今年だけの話ではない。2012年にフル参戦をはじめてはや4年、経歴を遡っても、通算8勝はすべて楕円の外で積み上げられたものである。

「原理主義者」たるわたしにとって、これを受け入れがたい事態だと考えてもおかしくはなかった。走りのどこかにF1的、すなわち欧州的な才能を見せるパジェノーの躍進を総括して、2016年はオーバルが死んだ年だと大袈裟に嘆いてみることも可能だっただろうし、万が一パワーが逆転すれば天の配剤によってその精神が守られたのだばかりに歓喜の声のひとつも上げることになったかもしれない。オーバルの減少により現実の可能性となりつつも辛うじて到来していなかった「ロード/ストリートだけでシーズンを勝てる時代」を本当に迎えることは、それだけ事件であったはずだった。

 だが、いまのわたしはこの事実を大した問題と捉えず、歴史の新たな一頁と歓迎しようとしている。そこにパジェノーに対する個人的な贔屓目(わたしの贔屓はパジェノーとニューガーデンだ)が存在するといわれたときに完全に否定することは難しいが、それより大きな理由は他にある。ひとつには単純に時が経ったことで現状を肯定するのに抵抗がなくなったからで、またひとつには4年にわたりすべてのレースについてだらだら書き連ねた今のインディカーに深い愛着を抱いてもいるからだ。そして、前言を翻すようだがやはりパジェノーの存在もひとつの要因である。彼に肩入れしているから最終戦前のこの状況を肯定しているわけではないと、とりあえずは断っておこう。だが前提としてなぜわたしがこのフランス人に心奪われたかといえば、その走りを目の当たりにして自分の愛するインディカーをもっともよく体現するドライバーのひとりという確たる信念を得たからだ。子供のころのわたしは子供っぽい純情さをもって、米国のレースに勇気や決然たる意志といった観念を無自覚に託して憧れを抱いていた。憧憬の源泉が200mph以上の尋常ならざる速度で恐怖を覚えるほどの接近戦を繰り広げるオーバルレースだったことは間違いなく、だからこそ心惹かれ続けもしたのだが、しかしその精神はけっしてオーバルでなければ現れないものではないとも言い切れる。さんざんIRL、IRLと繰り返していることと矛盾するようだが、わたしにとっての「20世紀最高のオーバーテイク」は、2000年F1ベルギーGPでミカ・ハッキネンがミハエル・シューマッハを追い抜いた有名な場面ではなく、1996年CART最終戦ラグナ・セカの最終周で、いまはパラリンピアンとして金メダリストとなったアレックス・ザナルディが空を飛ぶようにコークスクリューを駆け下りていった瞬間だ。あの"The Pass"に象徴されたインディカー、チャンプカーの精神(たとえわたしの思い込みにすぎなくとも)がいま目の前にあるのなら、シモン・パジェノーというフランス人からその香りをわずかでも感じたのなら、憧れないはずはないだろう。だからわたしはいまのインディカーが置かれている状況を喜ばしく思っている。それに比べればオーバルでの結果など些細なことだと。

 ワトキンズ・グレン・インターナショナルで行われた2016インディカー・シリーズ第15戦の39周目、選手権を争っているパワーがチャーリー・キンボールと双方にとって不幸な接触事故を起こしたことで、この日最後のフルコース・コーションが導入された。パジェノーは直前まで5番手を走っており、コーション中のピットストップの間に9位まで順位を落としたが、レース再開後わずか2周で2台を抜いている。ストラテジストであるカイル・モイヤーから無線が入ってきたのはコーションでステイアウトしていた車が給油に向かって元いた5位に戻り、すでにリタイアを喫したパワーに対して決定的な優勢を築くゴールが見えてきたころだ――しめて4周、コーションの低速周回がないと燃料が足りない。パジェノーはとたんに声を荒らげる、冗談だろ!

 当人たちには大問題であったはずだが、もちろん観客にしてみると何ということのないやりとりである。おなじ状況に置かれれば、どんなドライバーも程度の差はあれ似たような反応を示すだろう。これは特別ではない。だがそれでも、長く眼差しを注ぎつづけたわたしはこの応答にパジェノーらしさの一端を見て取りたくなってしまう。結果的には、彼はスロットルを緩める必要に迫られたものの燃料を使い尽くすことはなく、順位を2つ落としただけで無事60周目終わりのチェッカー・フラッグまで辿り着いた。順位の下落を甘受し、ぎりぎりの燃料を持たせなければならない困難な作戦を冷静に遂行したわけである。しかし静けさの一方で、彼は無線を受けた瞬間に感情を昂ぶらせて怒りの声を上げもした。そうした一面を持ちあわせているのだ。洗練された技術というスマートな外面と、そこに隠しきれない激しい感情の両立。そしてその感情的な面を源泉として、インディカーに不可欠な勇気と意志が横溢する。それが今年、あるいはキャリアを通じて表現されてきたパジェノーの特質であり、わたしが彼から目を離すことのできない理由である。アラバマでグレアム・レイホールと接触してコースオフしながら舞い戻り、ふたたび躊躇なくサイド・バイ・サイドに身を投じて逆転優勝したときも、ミッドオハイオで半周にわたって追い回したパワーに一度は進路を潰されながら難易度の高いコーナーでラインを交差させる忘れがたいパッシングを完成させたときも、根底から溢れていたのは情熱そのものだ。それは紛れもなくパジェノーというドライバーが頂点に立つ資格を持っていることを証明する走りだった。そもそも2013年の選手権3位を手繰り寄せたボルティモアの優勝からしてそうだった。69周目のターン8でセバスチャン・ブルデーのサイドポンツーンに自分の左フロントタイヤをぶつけ、インサイドを文字どおりこじ開けた瞬間、彼はそのときすでに数年後の王座を予約していたのだ。

 今回の無線に垣間見えた感情の昂ぶりをそれらの記憶と同一視するのはさすがに大仰だと自覚している。だが高揚したパジェノーが時に危ない橋を渡りながら破綻することなくここまでやってきたのは事実であり、その精神が安定的なポイントリーダーの立場にいながらにしてなお失われていないことを確信もさせる。「失うものは何もない」と、最近言ったものだ。その言葉が本心から発せられているかぎり、最後の一戦で大切なものを本当に失うことはないだろう。彼はいつだって自らの腕と、勇気と情熱によってレースを正しく戦い、道を切り開いてきた。そんな美しいドライバーが勝とうとしているのなら、楕円への感傷など少し忘れてもいい。オーバルで勝つことはただの現象にすぎず、現象より大事なものはきっとある。そしてシモン・パジェノーは、まちがいなくそれを備えている。

ジェームズ・ヒンチクリフは自らの完璧さによって敗れた

【2016.6.12/8.27】
インディカー・シリーズ第9戦 テキサス600
 
 
 スタートコマンドは洒落たもので、Drivers, restart your engines.である。本来6月12日に予定されていたテキサス・ファイアストン600(ところでいきなり余談を挿むと、600と名乗っているにもかかわらず実際のレース距離は583kmで、これは1.5マイルオーバルとして造られたテキサス・モーター・スピードウェイを1998年にIRL時代のインディカーが再計測したところ1周1.455マイルしかないことが判明してトラック距離を変更したのだが、周回数だけは1.5マイル基準のまま決めているからである。1.5マイル×248周で599kmという塩梅だ。なお冗談のような話だが、CARTが行った再計測結果は1周1.482マイルで、NASACARはずっと1.5マイルで通しているので、このコースには3つの距離が存在した)は、前日からの雨が路面に染みこみ、天気が回復してからも後から後から水が湧き出してきてレースを行えずに翌日に順延となったのだった。その順延日も路面を乾かすのに手間取ってスタート時刻が遅れ、どうにかグリーン・フラッグにこぎつけたものの、フルコース・コーション中の71周目に激しい雷雲がコースを覆って万策尽きた。次の週末にル・マン24時間レースへ参戦するドライバーも多く、それ以上の延期は不可能だったのだ。結局72周目以降は8月28日にして消化することが決定し、このたびあらためてエンジンに火が入れられた。76日の中断を挟んだ”re-“startだ。

 中断した時点で先頭に立っていたのはジェームズ・ヒンチクリフだったが、その順位はかならずしも実力を反映したものではなかった。ポールポジションはカルロス・ムニョスで、スタートから最初のスティントを完全に制圧してオーバル初優勝への期待を高めていたものである。ヒンチクリフは予選12番手にとどまり、また特段コース上でライバルを抜くでもなく、ただ最後まで給油を我慢していた41周目にジョセフ・ニューガーデンとコナー・デイリーの危険な事故が起きたおかげで先頭に残ったにすぎない。エド・カーペンターにしてもミカイル・アレシンにしてもおなじことだ。中断時に上位にいたうちの何人かは、あくまで「うまくやった」ドライバーだった。

 事故の処理に時間がかかり、豪雨がやってくる71周目までレースが再開されることなく赤旗となった結果生まれた偽りのリーダー、というと言葉は悪いが、しかし6月12日のままグリーン・フラッグが振られていたらヒンチクリフは即座に後続から追い立てられたはずだ、と考えるのは自然なことだろう。だが長い長い「中断」で、レースは湿った重い空気の下危うい路面を走る昼間から晴れて乾いた夜へと状況を大きく変えた。ここまで条件が変化してしまえばもはやトラックがおなじだけのまるで異なるレースで、それまでの速さはなんの展望ももたらさない。偽りのリーダーだったヒンチクリフはこのレースでもっとも優れたドライバーに変貌し、だれよりも速く、それでいてだれよりも巧みにタイヤを使いこなして長いスティントを乗りこなした。たとえば再開後最初のピットストップは、2番手を走っていたエリオ・カストロネベスより10周も後、ウィル・パワーやスコット・ディクソンと比べても5周後の120周目である。つねにいちばん遅くピットに向かったことによってラップリードは盤石のものになり、162周目には一時的に全車を周回遅れにした。けっして選手権を争えるほど器の大きいドライバーとは思えないのに、ヒンチクリフにはときどきこうした目を離せない瞬間がやってくる。思い出すのはたとえば2013年のアイオワだ。レースの90%以上もラップリードを刻んで信じられないほどの圧勝を見せたあのときと同じように、テキサスでの彼は完璧な勝利を演じようとしていた。

 このレースの結末について、過ぎたるはなお及ばざるがごとし、などと纏めるのがうまいやり方だとは思えない。だが結果から遡る形で全体を俯瞰したとき、ヒンチクリフの不運は、皮肉にも他のドライバーと比べ突出して上手にタイヤを使えすぎてしまったことと、そのために周回遅れを生みすぎてしまったことだということはできる。本来なら自分を優位に引き寄せるはずだったそれらの運動が、しかし同時に「かろうじて生き残ったライバル」にも勝機を与え、スタートラインを引き直してしまった。先述したように120周目に再開後最初のピットストップを済ませたヒンチクリフは、そこからほぼ均等に40周強のスティントを刻むようにレースを進め、206周目に最後のタイヤ交換を行っている。ゴールまでは42周だ。その時点でリードラップに生き残っていたのはグレアム・レイホール、トニー・カナーン、エリオ・カストロネベス、エド・カーペンターの4人だけで、それぞれ202周目、197周目、183周目(トラブルがあったために早かった)、204周目にピットに入っていた。ヒンチクリフにくらべてタイヤの消耗が速く、どうしても先行して動かざるを得なかったのである。どのドライバーも燃料を考えればゴールまで行けるものの、ただでさえ劣勢なタイヤの勝負に直面し、しかもリーダーより長い距離を走らなければならない。どう考えてもヒンチクリフの優位は揺るぎないように思われたが、213周目にカーペンターが迂闊な動きでディクソンと接触(そろそろカーペンターをオーバル・マスターと持ち上げるのはやめるべきだろう。昔ならいざ知らず、今となってはオーバルだけを走るという事実があるにすぎず、特に優れているわけではなくなった)してフルコース・コーションを呼びこんだことでレースの可能性が一気に広がった――ヒンチクリフにとっては広がってしまった。このコーションでレイホールたちは長いスティントを捨て去り、もう一度ピットに戻って新しいタイヤを得た。さらにその後、カーペンターがリタイヤに追い込まれるスピンに起因したものを含めて2度導入されたコーション中に、カストロネベスとカナーンがさらに1度ずつ、そしていつの間にかリードラップに戻っていたシモン・パジェノーも新品タイヤに履き替えた。彼らは余分なピットストップを行ったが、他の多くが周回遅れになったおかげで何の苦労もなくヒンチクリフのすぐ後ろに戻ってくることができた。不動のリーダーとしてステイアウトを貫いたヒンチクリフは、気づけばもっとも長い履歴のタイヤで最後のリスタートからゴールまでの9周を戦わなければならなくなったのである。

「すばらしいレースだった」。レース後に、ヒンチクリフとレイホールは口を揃えて言った。たしかにその9周は、挑戦的で、公正で、力強く、繊細な、インディカーのオーバルの魅力がすべて詰まった最高の時間だった。逃げゆくヒンチクリフに対し、レイホールが、カナーンが、パジェノーがコーナーのたびにインを突き、はたまたアウトから飲み込もうと、集団で襲い掛かる。全員が入れ替わり立ち替わり何度も先頭を交代し、コーナーのたびに隊列は組み替えられたが、しかし唯一コントロールラインだけはヒンチクリフが押さえ続けた。タイヤの状態を考えれば驚嘆するほかない。240周目も、241周目も、242周目も、ラップリーダーは変わらないまま、やがてパジェノーが脱落した。白旗が振られる247周目に至っても、カーナンバー5は先頭を守り続けた。つまりこれは、ヒンチクリフが優勝するレースなのだった。だが、「ぼくたちはすべてをリードした」と言う彼は、こう言葉を続けなくてはならない。「重要だったもの以外、すべてをリードしたんだ」。たった一回きりである。本人が言うとおり事実上すべてを支配し、まったく揺らぐことのなかった完璧なラップリードは、248周目に途切れた。その周回だけ、レイホールがターン3から4にかけて巧みにインを突いて先頭に立ち、すぐさま順位を戻そうと反撃に転じたヒンチクリフよりも0.006秒だけ早くコントロールラインを通過したのだ。それは2ヵ月半かけた583kmを走り終える周回でもあった。レイホールはこのレースではじめてラップリードを記録し、少し先走って右手を上げた。その頭上ではチェッカー・フラッグが振られている。

「"TK"に称賛を、グレアムに祝福を贈るよ」と、2位に終わったヒンチクリフは失望を交えて接近戦を演じたライバルを讃えるのだった。もし彼があれほど群を抜いて綺麗にタイヤを使えていなかったなら、もし最終スティントに向けてのタイヤ交換があと数周早かったなら、おそらく213周目のコーションでほかのドライバーがそうしたように新品タイヤへと換える決断を下すことができただろう。あるいは、リードラップにもっとたくさんの車が残っていれば、レイホールたちも後方に沈むことを怖れてタイヤ交換に踏みきれなかったかもしれない。どちらに転んだとしても――「すばらしいレース」には少し足りなくなるところだったが――ヒンチクリフはもっと楽に走り、たぶん逃げ切ることができた。終盤までリードラップを維持し続けたもっとも手強いライバルが、もっとも手強い状態で真後ろについてくるような展開にさえならなければ。それを万全ではない状態で迎え撃たなければならない状況に追い込まれなければ。たら、れば――。すべてを手中に収めたと思っても、ままならない敗因は、後悔の種は残るということだろう。完璧さえも牙を剥く。レースはときに、そんな哀愁とともに終えられたりもするのである。

***

 ところで8月31日、レース後の車検でヒンチクリフの車のスキッドブロックが規定の厚さを下回るほど削れていたことが認められたとして、インディカーはドライバーズポイントとエントラントポイントをともに25点剥奪すると発表した。どうやら、レースとはやはりままならないものであるらしい。

レースの意味は文脈によって規定される

【2016.8.22】
インディカー・シリーズ第14戦 ポコノ500
 
 
 フォーメーションラップの隊列が整わずにスタートが不成立となり、2周目にあらためてグリーン・フラッグが振られた直後も直後、ターン1でのことである。強豪チームへの移籍の噂が現実味を帯びて伝えられているジョセフ・ニューガーデンが、ロシア人ドライバーとしてはじめてインディカーのポール シッターとなったミカイル・アレシンを苦もなく抜き去った瞬間、そこからゴールまでのあいだにすべての敵を置き去りにしていく展開が頭をよぎった。予選の意味などまるでなかったように最初の加速であっさりと先頭を奪うその様子が、ニューガーデンがレースのすべてを支配し尽くしたアイオワ300にひどく似かよって見えたからだ。6週間前と違うとすれば最初のスタートに失敗していたことで、これによってアレシンは早々とラップリードのボーナス1点を得た。それはもしかしたらアレシンにとって「幸運」だったのかもしれない、すなわちニューガーデンが圧倒的な速さで逃げていってしまえば、ことによると安全な黄旗に守られた1周目がポールシッターにとって最初で最後のラップリードになる可能性だってあると、その場面を見ながら勝手な予感を抱いたわけである。

 過去の物語になぞらえるだけの予断にたいした意味はない。1周2.5マイルのポコノを走るニューガーデンは結局アイオワほどに速くなく、むしろアレシンこそがこの日の支配者のひとりだった。スタート周のターン3で佐藤琢磨がスピンを喫したことで導入されたフルコース・コーションを経てレースが再開されるとほどなく先頭を奪還し、じつに3スティントにわたってその場所を維持する。2番手に収まって燃料を節約するような小細工も弄さなかった。ここまで逃してきた初優勝への渇望をそのまま走りに映したようにどのスティントも全開で走り続けたことは、32周目、61周目、93周目、120周目、148周目のピットストップが22台のうちほぼ3番目以内、多く最初に行われた事実に示されている。幸運が舞い降りる可能性をいっさい期待せず、正面から優勝の玄関ドアをノックする走りは、報われるにふさわしいものだっただろう。

 あるいはライアン・ハンター=レイである。リーダーとしてレースを支配したのがポールシッターに対し、事故によって予選を走れず、21番手からという対照的なスタートを余儀なくされた彼は集団の中での走りによってコースに集まる視線を支配した。グリーン・フラッグが振られ、佐藤がスピンした数十秒後にはもう14位を走り、リスタートからたった30周のあいだにニューガーデンまでをも抜いて2位に上がってしまうのだから、ほとんど冗談のような速さに違いなかった。こうしてまだ実績のないアレシンを先頭に、かつての王者であるハンター=レイと、これから王者になるニューガーデンが続く。この日もっとも速い3人が揃った40周目あたりからの約110周は、心地よい静謐に貫かれている。少しずつ篩い落とされて勝利の資格を失っていく後続、適度な順位変動、何回かの先頭交代。ときどき、他のドライバーが戦いに加わる。たとえばアレキサンダー・ロッシ。たとえばカルロス・ムニョス。だが結局は、アレシンがレースをコントロールし、ハンター=レイが速さをひけらかしつつ機を窺い、ニューガーデンが付き従う図式に収斂していくのである。途中のピットで、ロッシが進入してくるチャーリー・キンボールに気付かずピットレーンに合流しようとして接触し(ようするに先々週のアレシンとおなじだ)、すぐ前で発進しようとしていたエリオ・カストロネベスに乗り上げる事故はあったが、レースを乱しうるそうした危険があったにもかかわらず、レースの相貌にはまだなんの変化も起きていなかった。

 それはインディカーのオーバルにとってはなんの変哲もない日常的な風景だ。だがこうした場面をずっと眺めていると、観客としてその担い手に愛着が湧いてくる。良質な時間を提供してくれているドライバーのだれかひとりに勝ってほしくなり、また勝つべきだとさえ思えてくる。純粋な速さでいえばハンター=レイを称揚することができた。21番手のスタートから隊列のすべてを呑みこむ走りは平板なレースに次々と刺激を与え、アイオワのニューガーデンとはまた違った興奮を呼び起こしている。もちろん、アレシンが勝つなら最高だ。2週間前に確実だった初優勝が手からこぼれ落ちた苦労人が、ポールポジションと最多ラップリードを携えて完璧な雪辱を果たす……そういう瞬間を目撃できればどれほど幸せな気分に浸れることか。ニューガーデンの鮮烈なスパートが見られるならそれもよい。いずれにせよ勝つのは彼らのうちのだれかだろう。その中で、ハンター=レイの興奮を取るか、アレシンへの感傷を取るか、はたまたニューガーデンの才能を取るかという好みの軸足をどこに置くかの違いがあるにすぎない。そんなレースとして見届ければいい。

 正直にいって、その視界にウィル・パワーの存在は入ってきていない。8番手スタートにすぎなかった彼はレースの序盤ずっと息を潜めており、選手権を争うシモン・パジェノーと似たりよったりの10位前後を走り続けていた。ときどき先頭付近にまで顔を覗かせるのは上位勢がピットストップを行って一時的に後退したときくらいで、自分がピットに戻る順番がめぐってくればまだ集団に埋没していった。最初のスティントが終わって9位、次のスティントでも9位、100周目にいたってどうにか8位、レースはあっという間に半分を過ぎる。こう振り返るといかにもそのままの順位で何事もなくチェッカー・フラッグを受ける結果を迎えるように見えるではないか。だがパワーはそのころから、ハンター=レイのような興奮も纏わぬまま、アレシンのような感傷とも無縁のまま、目立たぬ衣に身を包んでひたひたと速度を上げていたのだった。少なくともわたしにはそう思える。ピットストップのたびに細かくセッティングを変更していたのが奏功したのだろうとは想像できるが、それでも5スティント目のピットストップがひととおり済んだ158周目にパワーが涼しい顔で先頭に立っていたことは、軽く動揺を誘われるほどに意外な光景だった。

 もちろん、これはたんなる観客としての油断、観察の失策である。128周目からのスティントで、パワーは142周目にあれだけ注目していたはずのアレシンを、また151周目には自己最速タイムを記録してニューガーデンを自力で交わしており、ハンター=レイの早めのピットストップに伴って先頭に立っている。レースの行方を揺さぶり、目を離してはならないはずだったこの追い上げを、しかし前半の印象があまりに薄かったために軽視していただけだ。ことこの時期に至ってアレシンをはじめとした序盤の主役がみな選手権にかかわりのないドライバーであることも錯覚に拍車をかけた。パワーとパジェノーがそろって苦労するさまを見るうちに、わたしはこのポコノを、選手権の文脈からは切り離された類のレースだと信じきってしまっていた。だからこそ選手権の担い手であるふたりは、姿を見せないままに終わるのだろうと。

 100周目を迎えたころは事実そのようなレースだったはずである。だが500マイルのオーバルはときに一貫性を失う。選手権から切り離され、1回性のなかに現れ消えるアレシンたちの情熱に支配されていたポコノは、意識の外にあったはずのパワーが先頭に立ち、さらに残り42周のところでパジェノーが予想外のアンダーステアによってセイファー・ウォールへと吸い込まれていったことで、にわかに選手権に具体的な意味を与えるレースへと変貌した。そして、そのような意味を持つレース、パワーとパジェノーが残酷な対比を描くレースとして語られるならば、それまでの展開が嘘だったかのように、選手権とかかわらないドライバーに勝ち目はなくならざるをえないことも示されたのだ。レースの意味が変わるとき、その担い手も変わる。163周目のリスタートで明らかに速いのはハンター=レイだったが、突如として一時的な電装系の不調で失速し、周回遅れになるという信じがたいトラブルに見舞われた。アレシンは164周目の一度だけパワーから先頭を奪い返したものの、それだけだった。序盤のリーダーは最後まで遅くはなく、つねにパワーの後ろぴたりとついて可能性を探っている。だがその見た目には近い距離とは裏腹に最後のリーダーは少しも揺らぐことなく、機会は一度も訪れなかった。

シモン・パジェノーとウィル・パワーの30秒は一貫した情熱を約束する

【2016.7.31】
インディカー・シリーズ第13戦 ミッドオハイオ・インディ200
 
 
 ウィル・パワーは必死さを隠そうともせず露骨なブロックラインを通って自分とコーナーの頂点を結ぶ空間を埋めようとする。少し後方ではチャーリー・キンボールがコースから飛び出して「チャイナ・ビーチ」の砂にまみれているものの、フルコース・コーションになる気配はない。ターン6から8へ右、左、右とうねる連続コーナー「エッセ」の終わり、シモン・パジェノーが気流の乱れを意に介さず真後ろに張りついている。右へとほぼ直角に回りこむターン9の出口で前を行く銀色の車体が外側の縁石までラインを膨らませる。姿勢が乱れる。水色と白に塗り分けられた背後の車が小さく回り早めにスロットルを開放して並びかけようとするが、その進路に車体を割りこませて阻む。タイヤの手応えはもはや明らかに後ろの車が優れている。雷の谷の名に違わぬ急激な下りの短い直線を抜け、全開で駆け抜けるターン10にいたってもパワーは内側の窮屈なラインを選択している。外のパジェノーは余分な距離を走らされるが、速度で補って追従する。ステアリングの左下に配された緑色の追い抜き用ボタンが押されており、一時的に過給圧を150kPaから165kPaへと高められたシボレーエンジンの出力は20馬力ほど向上している。次の高速コーナーで内と外が逆になる。22号車のフロントウイングが10号車の後輪にまで重なろうとする瞬間に空間が閉じられる。ふと、4月のアラバマで起きたパジェノーとグレアム・レイホールの事故が想起されるが、結局そこではなにも起きない。回転木馬と名付けられる円く長いターン12が迫る。パワーは進入で内を押さえ、パジェノーはまた外を選ぶ。コーナーは長く長く、いつまでも回りつづけるかのように長く、やがて出口に向かって半径が小さくなる。銀の10号車は遠心力に逆らうこと能わず少しずつ中心から剥離してゆき、水色と白に塗り分けられた22号車のタイヤは路面を掴んで放さず正確にコーナーの頂点を捉えて滑らかに向きを変える。2本のレーシングラインが時間差で交叉する。失速と加速が対照を描く。パワーが正しいラインに戻ろうと操舵し、同じチーム・ペンスキーの2台は車輪どうしをかすかに接触させる。また姿勢が乱れる。残響が消えて平穏が戻るころには位置関係が入れ替わり、パジェノーが先に最終コーナーを通過しようとしている。

 ミッドオハイオの66周目、コーションが解除されたリスタート直後からじつに半周にわたって繰り広げられた事実上の首位攻防を、観客は忘れがたい記憶として脳裏に留めるはずである。それはどんなレースよりも美しく、信じがたく情熱的で、優れた技巧に溢れた公正な30秒間だったと、どれほど精緻に描写しようとしても、どれほど称賛の言葉を並べたてようとも、まだ足りないもどかしさばかりが消えずに残ってしまう。2年前のまったく同じコース、64周目にまったく同じ区間で見たジョセフ・ニューガーデンもそうだった。えぐるようなエッセの切り返しから、ターン9でコース幅をいっぱいに使い切るライン取り、カルーセルの曲線を削り取って微分するコーナリングまでが、その後にピットで起きた悲劇――今でも考えられないことだが、ホースに繋がれたホイールガンがピットボックスに放り出されていて、戻ってきたニューガーデンはそれを踏んでしまったのだ。右後輪を担当するピットクルーが転倒するおまけまでついた――も含めて鮮明に思い出されてくる。モータースポーツはそんなふうにして、われわれに対して不意討ちのように美しい場面を提示して心を奪う。物理的な限界を追い求めることしかできないただの機械であるはずの車から、姿のよく見えないドライバーの精神が溢れでてくる瞬間はたしかにある。その瞬間を、ニューガーデンの30秒、パワーとパジェノーの30秒を知るためだけに、時に退屈な時間帯もあるレースを見つづけているといっても、特別に大袈裟なわけではない。

***

 ミッドオハイオのレースはきっとミカイル・アレシンのものになるはずだった。新人として戦った2014年、恵まれた2位表彰台こそあったものの、インディカーに順応しきれず同僚だったパジェノーの後塵を拝したロシア人は、米国による経済制裁の影響で資金を持ち込めずシートを失った昨季を経て、いまようやく力を示しつつある。開幕戦のセント・ピーターズバーグの5位にはじまり、しばしば上位に顔を覗かせる姿にデビューしたころの危うさやひ弱さは窺えない。速さもある。前戦のトロントもその前のアイオワも、5列目以内でスタートしてそのまま6位、5位という結果につなげた。ペンスキーやチップ・ガナッシ・レーシングに囲まれたミッドオハイオでの9番グリッドは、初優勝の権利を主張できるものだ。1回目のピット作業を行った直後にコーションが導入されたのはたしかに幸運だったが、その後26周目から62周目までのほとんどの周回で先頭を走りつづけたのは安定したスピードを維持していた何よりの証拠で、新しい優勝者の誕生は近いように思われた。「ぜんぶが完璧だった。ばかみたいに飛ばさなくてよかったし、燃料は節約できていた。タイヤにも余裕があって、なのに後ろを引き離せた」と本人が語る内容は誇張のない見たままの事実だ。「確実に勝てた。楽勝だよ」。

 インディカー・シリーズで使用されるロードコースの多くがそうであるのと同様、ミッドオハイオ・スポーツ・カー・コースも追い抜きが難しいサーキットとして知られる。61周目にこの日2度目のコーションが入り、築いてきた差を失っても、元の位置でリスタートすればアレシンが逃げ切ると考えるのは自然なことだった。そのための条件も整っていた。コーションの時点で2番手のパワーとの間に周回遅れが挟まっており、ピットでの同時作業が少し遅れても逆転されないだけの余裕を持っていたからだ。だというのに、2年前に素晴らしい走りを見せていたニューガーデンの初優勝を阻んだ愚行を、われわれは形こそ違えど否応なく思い出さざるをえなくなる。シュミット・ピーターソン・モータースポーツは給油とタイヤ交換を無難に終えた。黒タイヤから換えてグリップ力に優れる赤タイヤを履く。右前輪の交換を担当するクルーがフロントウイングに備えられたふたつのノブをそれぞれ右に半回転させてフラップをわずかに立て、前後の空力バランスを調整するとともに右手を開いて突き出し、給油リグが抜かれるまで待機させる。ちょうどそのとき、17番手の後方を走っていたニューガーデンがようやくピットレーンへ進入し、アレシンの2つ前に位置する自分の作業場に向かっている。愚かさは悲劇を招く。クルーの目には接近する危険が映っていなかったということだろう。ニューガーデンがピットボックスに車を止めるべく舵を切る。もっとも飛び出してはならないその瞬間、アレシンに対して発進の合図が出された。結果なにが起きたのか言うまでもない。

 アレシンがはじめて記録した最多ラップリードだけを残して後方に下がり、最後のピットストップを見送ってひとまず先頭に居座ったコナー・デイリーの後ろを走るパワーとパジェノーの関係はにわかに事実上の優勝争いとなった。選手権の2位と1位のドライバーが演じるもっとも良質な30秒間が不意に訪れたのはその直後、混乱したコーションが明けたばかりの周回である。ひとつひとつを独立に見れば抜きどころにはなりにくい各コーナーで、妥協の一切を振り払って前を行く同僚の背中を脅かしたパジェノーは、相手に無理なラインを強制しつづけることでついに失速を導き逆転した。パワーはあたかも、あらかじめそうなるべく操られていたようにカルーセルの出口でレコードラインを外れてゆき、パジェノーに空間を明け渡したのだった。最後の微かな接触もまたこの戦いの彩りだったに違いない。知性に溢れ、技巧に満ち、互いが互いを尊重しながらも絶え間ない緊張感に貫かれ、ほのかに顕れた暴力的な破綻の徴候が次の瞬間おだやかに収束していく、情熱的で甘美なオーバーテイク。しかもわれわれが目撃したのは、レースの優勝を決定づけ、選手権の行方をも左右しようという大きな価値のあるオーバーテイクである。これほど幸せな瞬間があろうはずがない。

 ここ数年のインディカーは例外なく、序盤に選手権の首位に立ったドライバーが後半戦で転落していくシーズンの繰り返しだった。2010年からのパワー、13年と14年のエリオ・カストロネベス、昨季のファン=パブロ・モントーヤは、みながみな、夏の入り口では盤石な得点差を持ってシリーズ・チャンピオンへと突き進んでいるように見えたにもかかわらず、6月の終わりごろから人が変わったように精彩を欠き、そして時に不必要な問題に巻き込まれてレースを失っていくばかりだった。彼らに油断があったとは思わないが、事実として毎年逆転は起こったし、その過程で彼らが選手権ではなくいま目の前で戦わなければならないレースへの熱量を失っているように見えたのもたしかだった。たとえば3年前のボルティモアで、集団の後方を走っていたカストロネベスはやや強引に追い抜いていった相手に抗議の意味で手を上げている。そうした振る舞いは選手権を守ろうとするあまりレースで戦うことを怖れているようにしか感じられないものだったが、対照的に崖っぷちに追い込まれて迎えた最終戦ではそれが嘘のように危険の渦に身を投じて順位を上げようとしてもいたのだった。そのあまりの豹変に精神的な変容を見てとったとしても不当ではないだろう。モントーヤにせよパワーにせよ同じことである。暴発か頽廃かといった程度の差異はあれど、選手権の幻を前にして大なり小なりレースを怖れたことが結果的に転落の契機になったと感じさせる具体的な姿はいくつか見つけられるはずだ。選手権などしょせんは競技者にとっての栄誉であって、観客がレースを見るにあたってはなんの関係もない虚構の制度である(もちろん、だれかを応援するという観点からは意味があろう)。それでも「ポイントリーダー」になにかしら意味づけられるとすれば、それはある時点でもっとも優れているドライバーがだれなのかを具体的に示し、そこを中心にしてレースに熱量が生まれるのを期待させることにある。彼らはその責任を果たしそこなった。彼ら自身が熱を失い、レースにも熱を与えられていないと思わされる日があったことは否定できない。そしてその結果として、結局は望んでいた選手権さえ手にしそこなったのだ。

 以前も書いたように、いままさにポイントリーダーであるパジェノーからは過去ペンスキーのドライバーが囚われてきた怖れがほとんど感じられない。まだ春先の話ではあるが、アラバマでレイホールと接触してグラベルトラップまで飛び出したのは、2位で妥協してもだれも疑問を抱かないようなレースで優勝だけを求めて相手のラインを閉めたからである。選手権だけを見れば、あのときパジェノーは10点に拘泥したために30点を失う可能性があった。コースを飛び出した際にもしグラベルに捕まって動けなくなれば確実にそうなっていたのだから、それは具体的に想像しうる危険だったのだ。にもかかわらず、ためらわずに――というのは想像にすぎないが、映像で見るその機動に躊躇は感じられない――安全を放棄できることこそ、彼の、ペンスキーの一員としての得がたい資質である。今回も同様だ。目の前には選手権を争う直接の敵がいる。得点差は安泰と言うには十分ではないが小さくもなく、ここで負けてもまだ明らかな優位を保つことはできる。残りレースは少ない。自分のほうが相手より速いという確信に近い手応えがあったにせよ、現実にターン11で交錯しかけて一方的に損を被りかねなかったことを思えば、危険を避ける「賢い」撤退に針が振れるだけの動機はたぶんありえた。「精いっぱい挑んでみたけど、チャンスがなかったんだ。でも2位なら悪くはないよ」。だれの言葉というわけではないが、似たような文句なら何度も聞いたことがあるではないか。

 カストロネベスもモントーヤも、「まだ勝っている」と貯金を切り崩すレースを繰り返しているうちに、いつの間にか手の施しようのない状況にまで追い込まれた。それは端的に言って美しいシーズンの過ごし方ではなかった。だが、パジェノーはリスクを冒す価値を知っている。一時の賢い妥協がかえって最終的に身を滅ぼす結果を招くかもしれないことをわかっている。その走りからそう感じずにいられない。彼はミッドオハイオの30秒間で、どんな立場にあってもその情熱が衰えないことを示したのだ。このままシーズンが決着すれば、われわれは新しい王者の優れた資質を示すもっとも良質な時間として、このレースを思い出すことができる。もし、燃え盛るあまり敗れるようなことがあれば? よしんばそうなったとしても、きっと後には歓迎すべき物語が残されることを保証しよう。

インディカーの勝者は必然と偶然の交叉点に立つ

【2016.7.17】
インディカー・シリーズ第12戦 インディ・トロント
 
 
 インディカー・シリーズのレースはその構造ゆえに論理の積み重ねにを断絶すると書いたのはつい先週のことだ。ゆくりなくやってくるフルコース・コーションが隊列を元に戻してあたかもさいころが振り直されるように展開が変わり、最後には大なり小なり偶然をまとった勝者を選び取る、そこにはスタートからゴールまで通じた一貫性のある争いが存在しないというわけである。もちろんこのことは競技者の努力がはかない徒労であることを意味するものではなく、賽によって翻弄されることを前提とした正しい戦いは存在する。周回を重ねる過程において、強い競技者は賽の多くの面を自分の名前に書き換えていき、弱者はやがてあらゆる面から名を消されて勝利の可能性を剥奪される。スタートから積み木をひとつずつ積みあげるようにレースを作っていくのではなく、そのようにしてレースを決定づける賽を偏らせようとするせめぎあいに、インディカーの特質はある。最後の最後に運に身を委ねなければならない事態がありうると知ったうえで、せめてその確率を支配しようとすること。必然と偶然が交叉する場所に、インディカーの勝者は立っている。

 先週のアイオワでジョセフ・ニューガーデンが見せたのは、インディカーの賽のあらゆる面を自分の名で埋め尽くしてしまうやり方だった。最速のリーダーにとっては招かれざるフルコース・コーションが何度か訪れながら、そのたびに敵の逆転可能性をことごとく封じてみせた完璧な優勝を見てわたしは前回の文章を発想したのだったが、間を置かず開催されたこのトロントでは偶然にも対照的に、中途のレースリーダーと、さらには選手権のリーダーまでもが、前触れのないコーションになすすべなく呑み込まれて沈む結末を迎えた。書いたとおりである。ある瞬間に突如として賽が振られ、それまで築いてきた優位は霧消して別の名前が現れる。事後的に見ればそこは明らかにレースの転換点なのだが、実際に起こるまでその変転はけっして意識されない、そんな展開なのだった。

 85周を費やすトロントのレースを難しくしたのは特にふたつのフルコース・コーションである。ひとつは45周目、スタート直後の順位争いが一段落して隊列が落ち着き、車同士の間隔も十分に開いてほとんど変化がなくなっていたころ、とつぜんターン5の縁石が破壊されて破片がコース上に散乱したことで導入された。タイヤを切ってしまう恐れのある縁石を交換ないし撤去するのではなく、割れ目を金槌で叩き角を丸めて済ますというジェレミー・クラークソンがやるような(Broken? Fix it with a hammer!)応急処置――考えようによっては、米国的プラグマティズムに満ちた合理的な補修――が行われている間に、後方を走っていたジェームズ・ヒンチクリフや佐藤琢磨をはじめとした7台がピットへ向かった。それが47周目のことで、レースはまだ38周を残している。満タン状態からレース速度で走れる距離は最大31周と言われていたから、この時点で彼らがレースに絡む可能性はほとんどないはずだった。ステイアウトした上位陣の秩序は保たれたままで、リスタートからほどなく54周目、すなわち最後の給油をいつでも行えるタイミングを迎える。最終スティントに向けて55周目にミカエル・アレシンとマルコ・アンドレッティが、56周目にエリオ・カストロネベスが、翌周にはセバスチャン・ブルデー、コナー・デイリー、ライアン・ハンター=レイがピットに入る。そしてリーダーが58周目に突入し、3番手のウィル・パワーがピットレーンに差し掛かったその瞬間に、後方のターン5、先ほど壊れた縁石にタイヤを乗せすぎて制御不能に陥ったニューガーデンがまっすぐ壁に刺さったのだった。

 それはまさにゆくりなく振られた賽だった。レースはフルコース・コーションとなってピットが閉まり、先頭を走っていたスコット・ディクソンと選手権の首位であるシモン・パジェノーが取り残される。速度を強制的に落とされてすでに作業を完了した後方集団が追いつき、彼らは万事休した。60周目、ニューガーデンの車の撤去作業中に給油を終えてコースへ戻ったとき、ディクソンは13位に、パジェノーは14位にまで順位を下げた。しかもおもにこの5周のコーションによって燃料が節約できたために、47周目の給油組のうち何人かがゴールまで走り続けられる算段を得てしまったのである。ふたりは抜きにくいコースでなんとか奮闘したが、ジャック・ホークスワースとファン=パブロ・モントーヤおのおのの単独事故の助けがあってなお8位と9位まで戻ってくるのが精一杯だった。ピットが閉まる寸前にレーンへと進入していたパワーが逆転優勝し、タイヤがパンクして一度は戦線離脱したと思われていたカストロネベスが2位、そして38周を走り仰せたヒンチクリフが故郷で表彰台に登った。予選20番手だった佐藤が5位である。レースの半分、43周目のころには想像できない結果だった。

 レースは最後に振られた賽によって決定づけられる。ディクソンとパジェノーはコーションに阻まれて確実だった表彰台を逃し、パワーはほんのわずかな時間差で救われて勝利した。こうした結末を、運の善し悪しで片づけてしまってもそうおかしなことではないだろう。ニューガーデンが自身57周目のターン5を問題なく通過していれば順位にはなんの変化も起きなかった、コーションのタイミングは予想できるものではない、パワーの優勝やヒンチクリフの表彰台、佐藤の浮上は幸運にすぎず順位はレースの正しさを反映していない……。このトロントについてそう語ることが不当とまでは思わない。だが書いたように、インディカーのレースの中途が賽の面をめぐるせめぎあいであり、確率をいかに自分へと寄せられるかの勝負にあるのだとしたら、必然と偶然の交叉点に結末が現れるのだとしたら、敗者のほうは結局のところそのコントロールに失敗したと言うべきではないか。結果にはたしかに偶然が伴っていよう。上位の順位を決定的に左右したのはニューガーデンの事故だが、「あの瞬間にコーションになった」現実はいかなる意味においても予定されていたことではない。だが「あの瞬間にコーションになるとすれば」という前提の水準に思考を移した場合、まちがいなく必然的な結論が導かれているはずである。先にピット作業を完了したライバルがおり、まだ自分が走り続けているなら、その狭間でコーションが起きればどうなるかは自明の理屈だ。インディカーのロード/ストリートレースにおいて最後のピットを必要以上に遅らせるのは、すなわちわざわざ賽の面から自分の名前を減らしていくことである。パワーがピットレーンに進入した瞬間、準備された賽は一時的にその名で占められた。そしてディクソンたちが給油して平衡が元に戻る前に、それは投げられてしまったのだ。確率の高いパワーの面が上を向くのは、当然の成り行きだった。

 それにしても解せないのは、ディクソンとパジェノー(と、じつはモントーヤもだ)をむざむざ沈めたチップ・ガナッシ・レーシングとチーム・ペンスキーの態度である。他のドライバーたちの動きを見れば明らかなように、54周を過ぎればいつピットに入れてもよかったはずなのに、彼らはなぜわざわざ走らせ続けて無用のリスクを抱えたのだろう。もちろん、給油を遅らせることが有利になる場合もある。「賽が振り直されなかったとき」だが、そこで生まれる得と、結果そうなったように大きく順位を失うコーションの危険を天秤にかけて、前者を選ぶ合理性がどこかにあるのだろうか。とくにペンスキーだ。なんといっても、彼らは6月のデトロイトで最後の給油までの走行を引き延ばした挙げ句コーションに見舞われてカストロネベスから優勝を奪っているのである。もちろん今回はカストロネベスを先に呼び戻し、パワーもすんでのところで間に合わせて1位と2位を占めているから、チームの総体としてはうまくいったと言えるかもしれないが、選手権の首位を行くエースの扱いに失敗したことはたしかだ。本当に、彼らはなぜ58周目になってもパジェノーをコースに留めたのだろう。当然、燃料には余裕がある。残っていたタイヤがパワーたちとは異なっていたか――しかしこの日のトロントは赤も黒も新品も中古も決定的な差となるほどの違いはなかった。給油時間を短くしてディクソンを逆転しようと試みたか――好機というには心もとない。チーム内の同時ピットを嫌がったのか――インディカーではさほど問題にはならないし、55周目や57周目に戻せばよかった。ドライバーが求めた――チームの側から命令すべきだ。どんな合理的根拠を想像しようとしても、2位から14位にまで落ちるようなリスクと引き合う利益があるとは思えない。それとも、あらかじめ決めてあったスケジュールに従って動こうとしただけで、それを阻害したコーションを不運と嘆くだけで済ませているとでもいうのだろうか。

 そうだとしたらあまりに愚劣だが、1秒以下の単位で進んでいくレースに愚かさは付き物なのかもしれない。真相は詳らかにしないものの、とくにペンスキーについては今回のような詰めの甘さが結果として2010年代の連敗に繋がったのだと考えるのはさほど不自然でないようにも思われる。ようするに彼らはその速さに反して偶然をコントロールすることがどうにも苦手なのだ。結局、最後の偶然でリーダーが翻ったトロントと、リーダーがあらゆる偶然による変転を封じきったアイオワというこの2週間の一対を見てみれば、インディカーにとっての偶然とは必然の側から手繰りよせて手の内に収めようとする争いの中心に位置する構造なのだと気付かされるだろう。偶然にすべて抗うのは難しい。だがそれは決して、インディカーが神頼みで気まぐれなさいころゲームに支配されていることを意味はしないのである。

ジョセフ・ニューガーデンは自分だけの賽を持つ

【2016.7.10】
インディカー・シリーズ第11戦 アイオワ・コーン300
 
 
 およそすべてのモータースポーツにそのような性質は備わっているというべきなのかもしれないが、インディカー・シリーズのレースには、ことさらにさいころゲームの趣がつきまとう。完璧な車を用意し、最高のドライバーを乗せ、間違いなかったはずの作戦を用意したつもりでも、自分の意思と無関係に、ゆくりなく、そして多くの場合不可避にやってくるフルコース・コーションがレースをまったく別の顔へと変貌させてしまうことがある。コースのほとんどを全開で走り続ける単純な、単純であるがゆえに高速で、高速であるがゆえに繊細を極めるオーバルレースは特にそうで、ある瞬間の速さは次の瞬間にそうあり続けることを必ずしも保証せず、中途の先頭が優位を積み上げているとも限らない。黄旗によって絶え間なく引き起こされるリスタートは、文字どおりのやり直しとなってドライバーたちにレースと向き直ることを強制する。賽が振られ、だれかの名前の面が上になる。ふとした気まぐれのように、また振られる。やり直す。だれかが出る。黄色、緑、振る。黄、緑。やり直す。何面体の賽なのかは知る由もないが、そういう儀式めいたやりとりを何度か繰り返したあと、偶然にチェッカー・フラッグが訪れる。もちろんチェッカーは最初から予定されている、しかし最後の賽がいつ振られるかばかりはわからないのである。ともあれそのとき出ていた名前こそが、レースの優勝者として刻まれるだろう。F1ないし耐久といったカテゴリーの勝利がスタートからゴールまで一貫して積み重ねられた論理の先にあるとするなら、インディカーの、オーバルのそれは最後の最後、論理が届かない場所にある――そう断言するのが極端だとするなら、届かない場所に行ってしまう場合がある。たとえば2016年、ともに世紀の逆転と呼ばれるにふさわしい2つの大レースには、しかし違いを見出すことができるはずだ。ル・マン24時間レースのポルシェにとって、チェッカー・フラッグの3分前に先頭を走るトヨタがスピードを失ったのは幸運だったといえるのかもしれないが、当人たちが歓喜以上に当惑さえ抱いたと思しき信じがたい優勝を掴んだ要因は、結局23時間57分をかけてトヨタの次という順位を築いたうえで、残り3分をも壊れることなく走り続けたことにある。耐久レースの決着がスピードと同時にその名のとおりの「耐久」にあるとすれば、奇跡的な、幸運を手繰りよせた優勝に見えるとしても、ポルシェはその枠組みのなかで論理的に積み上げた正当な結果を受け取ったにすぎない。翻って100回目のインディアナポリス500マイルで最後に振られた賽にはアレキサンダー・ロッシとあった。コース上でただひとり給油を1回省略して燃料が尽きるまで走り続けた結果の大逆転は、最後のコーションがあと1周ずれていたとしても、または160周目から200周目の間にあと一度コーションになるような事態が起こったとしても絶対に生まれえなかったと断言できる点において、説明しようのない偶然の産物だった。もちろんそのことがロッシの偉業を損ねるわけではなく、チームメイトの協力も得て困難極まりない作戦を完遂したことは讃えられるべきである。だがその勝利にはポルシェがたどってきたような論理の流れが存在しないのも一面の事実だろう。最終スティントをリードラップで迎えたことだけが根拠のすべてで、そこに至るまでにレースのなかで積み上げられているべき「優勝への接近」がまったく見えてこない。そういう状況で最後の――もちろん、事後的に遡った場合に最後だった、である――賽が投げられたとき、きっと他の面には違うドライバーばかり書かれていたにもかかわらず、ロッシの名前が上を向いた。それは「こうなりうるだろう」という過去からの推測をも拒否し、死角から横っ面を叩くような優勝なのだった。

 もとより性質の違うことが明らかなカテゴリー同士をこのように直接比較する妥当性は措くとしても、少なくともインディカーは構造的にレースの連続した意味づけを断ち切るようにできている。それはかつてその場所で走っていた松浦孝亮や武藤英紀をもってしてレース解説で「わからない」と言わせてしまうことからも明らかだ。だがこの事実は、けっしてインディカーがほんとうの意味で賽を振るだけにすぎない運次第のゲームであることを含意しない。論理を断絶されえてもなお、インディカーを舞台とした車が、ドライバーが走ることにはやはり意義がある。F1や耐久でのレースの過程とインディカーの過程ではその意味あいが違うだけのことだ。前者は優勝に、またはよりよい順位に向けて土台から積み木を重ねていくようにレースを戦う。ゴールの時にもっともよく積めていた者が勝者であり、より速く、強固に積むことはそのままレースでの優位となる。もちろん、ル・マンでのトヨタのように文字どおり積み木よろしく突如として崩れ去る場合はあるのだが、それもまた全体の論理の一部であり、2番目によく積んでいた者に順番が移るにすぎない。他方でインディカーのレースの過程とは、次の瞬間不意に投げられるかもしれない賽をめぐる争いである。いくらレースが何の脈絡もなくやり直される可能性があるといっても、その瞬間により戦いやすい場所を占めておくことで自ずと勝てる見込みは高まるはずだろう。リスタートを先頭で迎えるかリードラップの最後尾で迎えるかは大きな違いだし、まして周回遅れにされていれば勝利の可能性は事実上なくなってしまう。速いものはなるべく多くの敵を篩い落とそうとし、劣勢に回った側はそうであっても何かのはずみで大きな利益が舞い込んでくるよう耐え忍ぶ。賽の面の多くが自分の名前で占められていれば出る確率は高まり、たとえ絶望的な状況でもどうにか賽に名前を残しておけば万が一があるかもしれない。そうやって気まぐれな賽をできるかぎり自分に引き寄せようとするせめぎあいこそがインディカーの中途であるといえばいいだろうか。後者が起きたのがまさに先のインディ500で、最後の運命の時が訪れた際、ほとんどの可能性はカルロス・ムニョスの優勝を示していたかもしれないが、実際に出現したのはロッシだった。裏を返せばロッシは無茶を承知の燃費走行という作戦を採用したことで歓喜の牛乳へとたどり着けたということだ。あのとき周囲と同じく給油を前提に走行していれば優勝の可能性など万に一つもなかっただろう。ロッシは燃費走行によって無数の面を備える賽のたった一面に自分の名前を残したことで権利を維持した。信じがたいことだが、本当にそれを引き当ててしまったのである。

 2016年5月30日に時計の針を巻き戻し、もう一度賽を振りなおせたとして、ロッシの面が出る可能性は非常に低いに違いない。その瞬間の状況だけに反応した(重ねて言うがそれはチームともどもすばらしい決断と技術だった)結果で、ほとんどの面に彼以外の名前が記されていたことは疑いようもないからだ。それはいかにもインディカーでありうる、そしてインディカー以外ではありそうもない展開だったが、こうした万が一が事実存在するからこそ、自分以外のあらゆる可能性を封じきった勝者がいるとすれば、逆説的に称賛せずにはいられなくなるだろう。

 ジョセフ・ニューガーデンは、雨の合間を縫って何とか開催を消化しようとしていた6月のテキサスでスピンした車の巻き添えにあい、上下逆さまに引っくり返ってヘルメットが地面に擦れそうな状態で滑走して、半ば剥き出しのコクピットからセイファー・ウォールに激突する大事故に遭ったばかりだった。頭部と壁が直接干渉したようにも見えて最悪の結果すら覚悟されたその事故は幸い生命に関わる事態にこそ至らなかったものの、鎖骨と右手骨折の重傷を負ったニューガーデンはシーズンの幾ばくかを棒に振るのだろうとだれもが考えていた。結局、傷の癒えぬまま2週間後のロード・アメリカを走り、難しいコースを戦い抜いて8位というまずまずの結果を持ち帰ったのだが、レース後の表情からはいつもの彼に似つかわしくない疲労が滲み、身体への少なからぬ負担が想像されるなかでふたたびオーバルに戻ってきたのが今回のアイオワ・コーン300だったのである。正直なところ、週末が来る前はニューガーデンの優勝など想像もできなかっただろう。レースに対する恐怖心など、使い古された言葉を使えば「頭のネジが飛んでいる」人種であるレーシングドライバーに対しては無用だろうが――といっても、マイク・コンウェイの例もある――、それを除いたところで簡単なレースになるはずもなかった。賽の面に名前がない、といったところである。だが、始まってみればどうだ。演じられたのは300周のうち実に282周を先頭で走る圧勝劇だった。

 予選2回走行の合計でシモン・パジェノーからわずか100分の4秒遅れを取ったニューガーデンは最初のローリングスタートを2番手で迎えていた。だが彼の前にだれかが走っていたのはその一瞬のことで、グリーン・フラッグから10秒もしないうちに外側のラインを維持したままポールシッターを苦もなく飲み込んであっさりレースリーダーになると、あとはひたすら後続との差を広げるだけだった。2番手よりつねに2mphは速く、後方集団に至っては1周につき1秒前後置いていかれた。最初に可能性の賽から名前を消されたのはギャビー・チャベス、続いてコナー・デイリーで、スタートから5分も経っていない14周目には周回遅れを喫した。そこから先は、名だたるドライバーたちがただひとりニューガーデンに呑み込まれていくショーである。めぼしいところだけを挙げても19周目にマルコ・アンドレッティ、36周目に佐藤琢磨、40周目にインディ500を制したロッシ。タイヤ交換のタイミングとなる50周目付近を挟んで、トニー・カナーンも、ファン=パブロ・モントーヤも、ウィル・パワーも、スコット・ディクソンも、シリーズ・チャンピオンの経験者がことごとくリーダーに追い立てられ、抵抗する間もなく進路を明け渡して勝利の可能性を消されていった。109周目にこの日最初のフルコース・コーションとなったとき、リードラップには2台しか残っていない。パジェノーを除く20台がすべて周回遅れになったのである。

 そのあまりに優れたスピードは、黄旗が振られてしまってもニューガーデン自身を助けた。隊列が整えられて車同士の差がなくなったところで全車が一斉にピット作業を行うコーションは順位の入れ替わる最大の機会で、速いリーダーにとっては気味の悪い瞬間でもある。たとえば今年のフェニックスで、11番手からスタートしコース上で一度も追い抜きを見せなかったパジェノーは、にもかかわらずピット作業の速さだけで2位まで順位を上げて表彰台に登っている。そこまで極端な上昇は珍しくとも、膠着した状況下にピットで決着がつくレースはけっして少なくないし、チーム・ペンスキーやチップ・ガナッシ・レーシングといったトップチームはしばしばそれで勝利をものにしてきた。だからもしパジェノーたちが最速のニューガーデンを捉えられる可能性を見出すとしたらその場所はピットしかありえなかったろうが、この日ばかりはそれも望みようがなかったのである。109周目のコーション時点で周回遅れになっていた3位以下はそもそも勝負する権利を失っており、ニューガーデンのピットから1周遅らせて失った周回を取り戻すのが関の山だった(それでも多くはすでに2周遅れになっていたから、リードラップに戻れたのはほんの9台だ)。唯一リーダーとおなじ周回を走っていたパジェノーも、整列した際にニューガーデンが生み出した周回遅れが前に何台も連なり、作業に向かう段階で大きく距離を開けられてしまっている。作業を始めたと同時に横をすり抜けられるような位置関係では、何をしようと逆転できるはずもなかった。

 一度は周回遅れになりながらコーションを利してリードラップに戻った何人かは可能性を取り返したといってもよいわけだが、それはジョセフ・ニューガーデンで占められた賽のほんの一面を手に入れたに過ぎず、レースの行方にほとんど影響を及ぼしていない。128周目にレースがリスタートすると、またおなじことが繰り返された。路面状態が向上して全体のペースはやや上昇していたものの、結局ニューガーデンはただただ速く、10分もしないうちに新たな周回遅れを作り出して安全圏へと逃げていく。たとえば170〜171周目の動きを見てみよう。すぐ前にチャーリー・キンボールが、そのさらに前にムニョスがいる。2台に従って外側のラインを走るニューガーデンは、ターン4でインに切れ込んでキンボールを交わすと、ムニョスが乱した気流を意に介さず、まるで平行に瞬間移動するように外側のライン、2台の周回遅れの間にある狭い空間に戻る。コントロールラインを過ぎて、ターン1でふたたび内側にラインを取る。そのフロントの向きが変わるさまがだれよりも鋭い。これを見て、このアイオワでは何があろうと――というのは常識的な範囲においてであって、さすがにテキサスのような事態が起こることまで想定に入れているのではないが――ニューガーデンの勝利は揺るがないだろうと思えたものだ。179周目にモントーヤのエンジンが白煙を吹いてコーションになったとき、パジェノーとの間には何台もの周回遅れが挟まってチームのピット作業に余裕をもたらしていた。246周目のコーションも同様に、ニューガーデンは一足先にピットへ入り、一足先に出ていった。そこにその他の可能性はまったく存在しないのだった。結果としてこの日最後となった260周目のリスタートで、2番手まで上がってきたディクソンがどうにかして背中を脅かそうとしたが、たったひとつのコーナーを縋ることさえできずに置き去りにされた。結局残りの40周、気ぜわしい表彰台争いを尻目にニューガーデンがひとり優雅なクルージングを楽しんでレースは終わる。リードラップは5台、1周遅れが5台。残りは2周以上置いていかれた。コーションで周回を戻したぶんを含めれば、みなそれ以上の回数ニューガーデンに抜かれた。抜かれなかったのは4位で表彰台を逃したパジェノーだけだ。

 もしこのアイオワにニューガーデンがいなかったらという仮定をおいたらどうだろうか。ラップチャートに従えば、序盤からパジェノーが堅調にリードを保ちつつもコーションのたびに築いてきた差が帳消しになり、終盤に向かうにしたがって少しずつ勢いを失っていった隙を突いてディクソンが先頭に代わる、という展開である。パジェノーはパワーにも抜かれて3位に落ち、最多ラップリードの2点を獲得しながらもかろうじて表彰台の一角を占めるに留まる。ニューガーデンがいないだけで――そしてそれはテキサスの事故を思えば現実にありえた――アイオワは何人かのドライバーが「賽の面」をめぐって争い続け、最後は一番の確率ではなかった逆転の面が上を向く、といういかにもインディカーらしいレースになったかもしれなかった。だがひとりのリーダーがその圧倒的な速さによって振られるべき賽をすべて自分の名前で占めていき、やり直しでどれだけ賽を投げたとしても自分以外の面が出ないように仕立てあげた。一貫した論理で優勝に近づいていくのではなく、論理が外乱によって断ち切られることを前提としたうえで、なおあらゆる可能性が自分に向くようにレースを染めてしまうやり方。ジョセフ・ニューガーデンは282周のラップリードのなかで、インディカーでの、オーバルでの完璧な勝利がどういうものなのか、実演してみせたのである。

充実のウィル・パワーが失った選手権に戻ってくる

【2016.6.26】
インディカー・シリーズ第10戦 ウィスコンシン・コーラーGP
 
 
 例年どおりの完璧な予定調和で開幕戦セント・ピーターズバーグのポールポジションに就いたはずだったウィル・パワーが、三半規管の不調と診断されて医師から止められ決勝の舞台に姿を現すことができず(当初は運転できないほどの腹痛に襲われたとか、練習走行での事故に起因する脳震盪かなどと憶測交じりの情報が流れていたが、どうやらそういうことらしい)、まるまる1レースを棒に振ってしまったあと、しかし一見すると酷ないたずらでしかないようなその顛末が、むしろパワーの今季に射す明るい光になりうる可能性はあると、わたしはこのブログで綴ったのだった。

 過去数年にわたって、パワーにまつわる予定調和とは、つねに開幕で最速を誇示し、春の数レースを支配的に戦う姿と、裏腹にライバルから追い立てられる夏以降の失速を意味していた。それは彼の所属するチーム・ペンスキーにもまた当てはまる。パワーもペンスキーも、いつだって春を謳歌し、いつだって夏を怖れた。新しいシーズンが開幕するとすぐに圧倒的な独走態勢を固めて優位を築き、にもかかわらず開催を重ねてシリーズ・チャンピオンの行方が気にかかる時期に差しかかると点数に怯えているとしか思えない戦いを繰り返してレースに熱量を与えられなくなっていったのだ。必要なリスクを犯せず、逆につまらないミスだけは積み重なって最後に逆転を喫して失意の閉幕を迎える。録画映像を飽きもせず何度も何度も再生するように、彼らは毎年おなじ展開で敗れつづけた。ダリオ・フランキッティの全盛期はとくにそうだったが、相手がスコット・ディクソンだろうとライアン・ハンター=レイだろうとべつだん変わるところはなかった。おおむね彼ら自身の問題だったからだろう。

 パワーは天体の運行のようにそうであることがすでに決まっているシーズンを繰り返してきた。だから逆説的に、開幕戦で変わらず速さを証明しつつも思わぬ形で決勝を走れなかった不運は、あるいは1年を通じた予定を打破しうるかもしれないと想像されたのである。もしパワーの、ペンスキーの失敗が、先行して手にした優位によって生じた保守性、立場を失うことへの怯え、つまりレースに対する精神の喪失なのだとすれば、最初に現実の喪失に見舞われてもはや相手を追う以外になくなったパワーは、そこを脱却できるのではないか。実際、2014年に王者となったとき、彼は同僚のエリオ・カストロネベスに長い間リードを許しながら、シーズンの終わりごろになってようやく逆転したのだから。

 と、3ヵ月前に書いたこういった内容は、もちろんわたし自身の本心によっている。なすべきことを絞りやすい追う立場のほうが気づくと先をゆく者より有利になっているなどといった逆転は往々にしてあるし、まるでその証明かのように、近年、すくなくとも2010年代のインディカー・シリーズにおいて、シーズン最後の3戦を残した段階でのポイントリーダーはことごとく最終的な勝利を逸してきたという事実も存在する。開幕戦で優勝したファン=パブロ・モントーヤと2位シモン・パジェノー、そして4位だったカストロネベスと、上位を独占した同僚たちにまたぞろペンスキーの呪縛が纏わりつくようなことになるとすれば、不幸にもチームの歓喜の輪に加われなかったパワーは、しかしだれよりも強い反撃の機会を与えられたのではないかと考えたこと自体に嘘はない。

 だが、その具体的な蓋然性がどれくらい高いのかと問われれば、たぶんわたしは口を噤まざるをえなかっただろう。いかに優れた精神性を獲得しようとも、具体的な現実の問題は目の前に残る。インディカーでの「欠場」はリタイヤ以上に厳しいものだ。パワーはセント・ピーターズバーグの決勝で1点も獲得できなかったが、これはスタートさえすれば0周リタイヤでも手に入った8点すらふいにする結果で、最初から負わされる負担としては大きすぎるようだった。グリーン・フラッグ直後にクラッシュしたと思えばいい、だれしも1年のうち何回かはそんなレースもある、得点だってさほど変わらないと励ますことはできるかもしれないが、ひとつにはそれはあまり慰めになっていないし、ひとつにはだとしても失った数点さえ惜しまれる。優勝50点のインディカーに、1点の価値がどれほどあるというのだろう。もちろんみんなわかっているはずだ。昨季、チャンピオンとシリーズ2位はまったくの同点だったのである。

 それほど手痛い1レースの喪失を、それでもパワーが取り戻せるとしたら、鍵となるのは彼自身の感情の充実以外にありえないように思える。今のインディカーでパワーほど感情の波が運転にそのまま現れるドライバーをわたしは知らない。感情の制御が苦手なのは、雨がぱらつく2011年夏のニューハンプシャーでスピンを喫したあと、レースコントロールに対して両手の中指を突き立てて3万ドルもの罰金を科せられた逸話がよく表していよう。抑圧を感じ取ればとたんに走りから輝きが失われて集団に埋没し、暴走すれば無謀なブレーキングに身を任せて自分もろともレースを壊すことさえある。しかしそのあわいにあるわずかな範囲で、緊張と弛緩が適度に混ざりあったとき、頬に赤みがさして表情から険しさと諦念の両方が消えて見えるとき、パワーの随一の才能はようやく完全に発揮される。もしそんな表情が垣間見える瞬間が訪れるとしたら、それは彼が開幕戦の蹉跌を乗り越えて選手権に舞い戻ってくるなによりの証拠になるはずだった。

 そこから数戦にかんして、そうしたわたしの期待は実現しなかったと言っていい。フェニックスのオーバルレースは3位だったもののレース自体があまりに凡庸だったために語るべきところはなく、そこからロード/ストリートコースに戻ると芳しくないレースを重ねた。ロングビーチの7位も、アラバマの4位も、パワーの走りに光るところはなにも見出だせなかった。昨年完璧な優勝を果たしたインディアナポリスGPでさえ、好調な練習走行から一転予選で失敗して中位に沈み、決勝でも最後尾集団に落ちてからはそれっきりだ。その間にパジェノーが勝ち続けたこともあって、パワーはすっかり選手権から消えてしまった。アラバマのレース後だったか、インタビューを受けながら今季はどうにもなりそうにないと言いたげに見えたその顔はずいぶん印象的で、諦めに満ちたこの表情が現れてしまってはもう終わりだと思えたものだ。実際、インディアナポリス500も10位にとどまり、デトロイトのレース1では車の問題で完走できなかった。正直に言えば、翌日のデトロイト・レース2のリスタート直後にパジェノーを交わして優勝した瞬間を見てもまだ、パワーを取り巻く雰囲気に何かしらの変化が訪れたとは信じられなかった。それは選手権を諦め、しかし単純な速さは失っていないドライバーのもとに思いがけずやってくる「ただの優勝」に過ぎないと考えていたのだ。ちょうどレース1に勝ったセバスチャン・ブルデーの好走がいつも唐突に突きつけられ、次のレースでは淡く消え去っていくのと同じで、それは他のレースと関わりを持たない、シーズンとの繋がりのない優勝だと思われた。1回きりの機会をものにして最後の最後にだけ先頭に立つその勝ち方があまりパワーらしくはなかったからかもしれない。むしろ今季4度目のポールポジションを獲得し、スタートから40周をリードしたパジェノーのほうがよほど、いつものパワーのような存在感を放ってレースを戦っていただろう。そうであれば、結局2016年の主役がいまだだれのもとにあるのは明らかだった。

 しかし、そんなふうに油断しているあいだに状況が一変することもありうるらしい。「インディカー・シリーズ」ではじめて行われるロード・アメリカでポールポジションを獲得したパワーの表情はこれまでと打って変わって晴れ晴れとしており、クラシカルな難コースといういかにも似合いの舞台で自分のパフォーマンスがようやく戻ってきていることに大きな手応えを感じているようだった。そして実際、決勝の戦いもウィル・パワーそのものだった。完璧なスタート、序盤のハイペース、5秒以上の大差、孤独なスピード、付け入る隙のないリスタート、そして当たり前に頂く1位チェッカー。ラップリーダーの座を譲ったのはピット作業がずれた12~13周目と38~39周目だけで、あとの46周はすべてパワーのためにあった。

 開幕戦が終わったときは、可能性を信じつつもほとんど疑っていた。そこからの2ヵ月には諦めと納得が広がっていたし、優勝してもまだ視界には入ってこなかった。だが、本来おこなわれるはずだった第9戦テキサスが71周を消化しただけで延期になったために結果として「2連勝」を上げたパワーは、これで本当にシーズンの行方を変えてしまうかもしれないと、いまわたしはその存在感が戻ってきたことをようやく信じたくなってきている。完璧な優勝の仕方はもちろん、パワーほどではなくとも力強い走りを見せていたポイントリーダーのパジェノーが、最後のリスタート後にトラブルに見舞われて13位にまで後退してしまったことで、あれほど絶望的だと思われた現実の得点差も81にまで縮まった。ひとつ上にはカストロネベスが残っているが、もう丸2年も優勝のない41歳と比べれば、どちらに分がありそうかは考えるまでもない。

 ロード・アメリカの週末でなにより印象的だったのは、レース後に車から降りたパワーが満足そうに右の拳を固めて小さく腕を振り上げた瞬間だ。その控えめな喜びの表現は、だからこそ自分が正しい競争者として2016年のインディカーに生き残っているという彼自身の手応えが伝わってくるものだった。開幕戦で思い浮かんだの予言めいた憶測が何かしらの正解を含んでいたのかどうかはわからない。こうして得点差が近づいてくればまたあっさりとレースを投げ捨てるような走りをして、すべてを水の泡にしかねないのもウィル・パワーというドライバーなのもたしかだろう。テキサスは赤旗の時点で4位を走っていたが、もしかしたらこのレースが延期になったことで生じた錯覚の勢いなのかもしれない。だがいずれにせよ、大きな喪失を経験したパワーがそれを乗り越える充実のときを迎え、パジェノーが席巻していた選手権に楔を打ち込んでいるのは間違いないはずである。

勝者は正しい中からしか選ばれない

【2016.6.4-5】
インディカー・シリーズ第7-8戦 デュアル・イン・デトロイト
 
 
 土曜日のレース1で42周目にフルコース・コーションが導入されたとき、ポールシッターにして、そこまで倦怠的ですらあるほど完璧だったシモン・パジェノーが最後の給油へと向かったのは自然な成り行きで、当然の正解であることを信じて疑わなかった。そのときチーム・ペンスキーは4位までを独占する態勢を築いてレースを支配しており、パジェノーとともに2番手のウィル・パワーと4番手のエリオ・カストロネベスを同時にピットへと呼びこんだのは同僚と公平に勝負させるためで、雨が降ってくることも予想されていたなか3番手のファン=パブロ・モントーヤをステイアウトさせ、チームとして安全に勝利を取りにいったのだろうと受け止めたものである。もちろん優先されるのはレースと選手権でともに首位をゆくパジェノーであって、その存在を中心に据えて取るべき行動を機械的に決めていけば作戦はなかば必然的に決定する、ペンスキーにとってはそういうレースだったはずだし、最後のスティントはそんな最速チームの仕上げをあくびを噛み殺しながら見ていればいいように思えた。パジェノー、今季4勝目おめでとう。近年まれに見るハイペースでの勝利は選手権を大きく引き寄せたのだと、そういう結論なのだろう。あるいは、もしかするとパワーがちょっとしたいたずらをしかけるくらいの波瀾はあるのかもしれない、とその程度だった。

 ピットに進入可能となったのが43周目、レースは27周を残しているが、そこから数周はコーションが続くことは確実で、レースペースでも25周は走れるだろうと思っていた(これが大間違いだったと後で知ることになるわけだが)から、過度に燃費を気にしなくても適切に走らせていけばゴールまで辿り着くことはたやすいだろう。ましてそういったレースをさせたらインディカーでも上位を争うパジェノーである。このとき6台がステイアウトを選択して上位に居残ったが、燃料の足りるはずがない彼らがいずれピットに向かえば何事もなかったように自然と先頭へと戻ってくるはずだ。やはり、4勝目に拍手するべき展開のようだった。

 たしかにわずかながら誤算は生じ、おなじチーム同士の給油・タイヤ交換作業でわずかに上回ったパワーにピットレーンで逆転を許しはした。そのうえ苦手なリスタートでカストロネベスに先行を許してさらに順位を落としてしまう。これ自体はパジェノーが選手権を阻まれるとしたらもっとも大きな要因となるであろう弱点であるが、均衡した力関係の中で正当に争った結果として、優勝から3位までのどこに落ち着くかどうかの違いでしかない。昨季に比べればある程度は改善されたとはいえレース途中にゆくりなく速さを失ってしまう悪癖と合わせてパジェノーを批判的に取り上げても構わないし(それはわたし自身の彼に対する最大の不満でもある)、選手権首位を独走するチームメイトを俊敏なリスタートで抜き去ったカストロネベスを賞賛することも可能だろう。いずれにせよ、彼らは正しい判断に従って正しくレースを戦い、正しい結果を持ち帰るに違いないと考えていた。フルコース・コーションが明けて数周のころには、そう考えない理由などまったくなかったのだ。

 だがレースというのは見えないところから横っ面をひっぱたかれるようなことも起こるのだろう。パジェノーをはじめとするピットストップ組が走行距離を伸ばすべくペースを抑え気味に走る一方で、ステイアウトした6台は圧倒的に速かった。先頭に立ったモントーヤは46周目のリスタートから54周目にピットインするまでの間に15秒近いリードを築いて、5番手でコースに戻ってきてしまったのだ。追随するスコット・ディクソンは電気系の故障で車を止める結末に終わったが、その後ろを走っていたセバスチャン・ブルデーとコナー・デイリーはモントーヤよりさらに3周、そのだれより速い周回を伸ばした。2人が56周目に記録した自己ベストのラップタイムは最終スティントの決定が明暗を分けたこのレースを象徴する一幕だと言ってよい。走れば走るほど差は広がり、このとき先頭と2番手だった彼らは、それぞれ57周目と61周目に最後のピットストップを終えると、そのまま先頭と2番手でレースに復帰することになった。予選15番手と16番手、およそ速さなど持っているとは思えなかった2人が、ほんの十数周で1回分のピット作業時間を稼ぎだしたのである。もちろん、燃料に余裕のない後続に追い縋る術はなく、彼らはあたかもレースを最初から完全に支配していたかのようにあっさりとチェッカー・フラッグまで逃げ切ったのだった。先行ピット組の後ろに回ったモントーヤも最終的には3位に上がり、何より不思議なことに6位で我慢していたパジェノーは頼みの燃料を失って最終周に13位まで順位を落とした。43周目にピットインした中での最上位はカストロネベスの5位だ。結果として、一見するとあのピットインは間違いだったように思えてくる。

 とはいえ、そもそもパジェノーはそうせざるをえなかった。1回目のピットが23周目で、フルコース・コーションが出た42周目は2度目の給油が近づいていたころだったからだ。ステイアウトしても距離を伸ばせないのだから、そこで入る以外に道はなかったのである。カストロネベスやムニョスも同様で、ロングスティントが結果的に誤答だったのだとすれば、彼らは最初から正解のない選択肢から答えを選ぶよう迫られていたといえる。対して後方からスタートしたブルデーやデイリーは2〜3周目には不利なレッドタイヤを捨てるためにピットインする作戦を取る決断が容易で、そのうえ序盤のコーションで燃料を継ぎ足して作戦に幅を持たせることができた。それが46周目からのスパートを生み、同じ作戦のモントーヤよりさらに数周長く走れる優位を作り出した。パジェノーやカストロネベスが2回しかピットストップを行わなかったのに対し、ブルデーは4回、デイリーに至っては5回もピットレーンをゆっくりと走った。にもかかわらず、結果はこのように分かれるのである。

 だが正直なところ、選択肢が事実上存在したか否かにかかわらず、レースが終わったいまでも彼らの作戦が間違っていたとは思わない(パジェノーが燃料の計算を間違えたことは余計な失敗だったとしても)。仮に「正しいと判断される作戦の取りうる範囲」といったものを事前に想定した場合、常識的には、フルコース・コーションの最中に最後の給油を行うことこそその範囲のほとんど中心にあったと考えていいだろう。それはあのときステイアウトを選択したのが6台だったのに対し、その倍の12台がピットへと向かったことからもたしかだ。ただ、ピットイン組は大きく燃料を節約する必要に迫られ、ステイアウト組とのタイム差が思いのほか開くという、事前には想定しにくかったレースのちょっとしたいたずらで正攻法では掴みにくい「よりよい正解」が浮かび上がり、それを偶然に見つけたドライバーが数人いただけに過ぎなかったのではないか。つまりこれは、全員が正解するなかで正しさの濃淡に差が出ただけの、愚か者のいないレースだったのだ。こうした敗北は敗者の価値を下げはしない。カストロネベスは正しい敗者であり、13位に沈んだパジェノーもまた、計算上の得点は積み上げられなかったものの、選手権を得ようとするものとして間違いに侵されず走り切った。波瀾があったのは見た目だけで、土曜日のレースはすべて正当に、健全に終えられたのである。

 ところで日曜日に行われたレース2で、41周目にパジェノーを抜いて先頭に立ったのはやはりカストロネベスである。2レースともにポール・ポジションを獲得したパジェノーの失速が相変わらず突如として起こり、カストロネベスは平凡なドライバーと入れ替わったとしか思えない同僚を苦もなく交わすと、最後のピットストップに向けて順調に差を広げていった。レースはやがて残り25周を過ぎ、もういつ給油を行ってもゴールまで燃料の心配をする必要はない状況へと変化する。全員に残されているのは予定に沿った作業の一度きりで、48周目に4台が、49周目にはパジェノーをはじめ6台が作業を完了した。そしておそらく次の50周目にカストロネベスがピットに向かい、問題なく先頭に戻るだろうと考えられていた矢先に、ピットアウトしたばかりのジャック・ホークスワースがコースの中で停止してしまったのだ。もちろんフルコース・コーションである。

 ピット入り口がすぐさま閉じられてカストロネベスはコースに取り残され、同時に隊列が整えられたことで先に給油を行っていたドライバーたちの遅れも帳消しになった。ピットへの進入が許可された51周目にもどかしく最後の作業を行ったが、もはやレースに関与することのできない彼は一瞬にして先頭から16番手の奈落まで転落した。ちょうど2年前にここベル・アイルで挙げて以来となる優勝の機会――当然、ペンスキーに所属している以上これだけの長い期間勝利から遠ざかることはあまり許されていい状態ではない――は、前日に引き続きはかったような偶然に翻弄されてあっという間に霧消したのだ。14位。どれだけ悔やんでも、残った結果はそれ以上に動かしようがない。

 しかしカストロネベスの心情は察してあまりあるとはいえ、インディカーの観客としてはそれが最悪の不運に過ぎなかったのか、もう少しいえばチームとドライバーはこの悲劇に対して完全に無力な被害者としてただ嘆いてみせればよいのか、といった興味も湧く。とこんな書き方をしてしまえば種明かしをしているようなものだが、わたし自身はカストロネベスの(正確にはドライバーにそうさせたペンスキーの判断がもたらした)運命にさほど同情的ではない。それは端的にいって彼らが最後のピットストップまで「引っ張りすぎた」からで、それこそパジェノーやパワーと同様に49周目にピットインすれば済む話だった。たった1周の違いで優勝か最後尾かに分かれる状況で、そうしない理由はなかった。

 もちろん、49周目と50周目の狭間にイエロー・フラッグが振られたのはただの偶然にすぎない。たとえばレース1にしたところで、50周目ごろにもう一度フルコース・コーションとなっていればブルデーをはじめぎりぎりまで引っ張ってリードを稼ぎ出そうとしたドライバーたちの努力は水泡に帰し、カストロネベスが優勝していたわけである。そこにあったのは望まないときに望まない事件がコース上で起こったかどうかの差でしかない、はずだ。はずなのだが、両者はやはり決定的に違う。レース1でステイアウトを選んだドライバーたちは、そうしなければ優勝を望めない立場にあった。順位を入れ替えるために、偶然の事件が起こる危険性に目をつぶって突き進む以外になかったのだ。しかしすでに先頭を行くカストロネベスが安全にレースを閉じるために必要以上に引っ張る必然性はなかった。コーションの可能性を怖れ、あらかじめ手を打っていればこの結末は十分に避けられたのである。レース1のブルデーたちが犯すべきリスクを犯したのに対し、カストロネベスが身を晒したのは無意味なリスクだった。実際にコーションが具現化しなければ見えない差だったが、偶然にもそれは起きて、結末を大きく揺るがせた。

 なにもペンスキーが馬鹿げた失敗をしたと非難したいのではない。近い位置関係の3台を同時にピットインさせるのはまた別の危険を伴うし、直前のピットストップもカストロネベスのほうが1周遅かったから、次も1周遅くなることは自然な決定だった。彼らは彼らとして合理的に動いていただろうと容易に推察できるし、事実そうだったのだろう。言いたいのは、しかしそうだとしてもリスクは厳然と存在し、その結果は引き受けなければならないという冷徹な現実である。ロード/ストリートコースにおいて、ピット作業を1周遅らせることは、そのぶんだけフルコース・コーションの陥穽に落ちる危険を確実に増やすことを意味している。ゴールまで安心して走りきれる燃料とタイヤを準備してそれでもまだ見送るのは、やはり少しずつ「正しいと判断される作戦の取りうる範囲」の外へと向かって歩を進めてしまうこであり、そして実際にカストロネベスは正しい道を踏み外した。優勝したのは、なにも珍奇なことをせず、最後のリスタートの後にパジェノーを抜き去ったウィル・パワーだった。

 ブルデーたちは多数の選んだ淡い正しさに埋没せず、自ら危険を犯して濃い正解を手に入れた。一方でカストロネベスはその淡い正しさを見送ってしまう失敗を犯し、見送らなかっただけの同僚に優勝を譲った。同じ行為が裏表の結末を導いたデトロイトの2レースが示唆するのは、結局レースに対する正しさをめぐる態度のようだ。正しい立場にいるものは淡い正しさを逃さなければそれでいい。ときには偶然よりよい正解を見つけて出しぬいていく者が現れるかもしれないが、それは自らの価値を落としはしない。だが、間違った者に勝利が与えられることだけは、けっしてないのである。

おかえりダン・ウェルドン、たとえ嘘の物語としても

【2016.5.29】
インディカー・シリーズ第6戦 第100回インディアナポリス500
 
 
 レースの正式名称は「The 100th Indianapolis 500 presented by PennGrade Motor Oil」である。つまりインディアナポリス500は100回目にしてはじめてその名にスポンサーの名前を冠することになったわけだが、1月21日にインディアナポリス・モーター・スピードウェイがツイッターの公式アカウントでこの「重大な発表」を行った直後から、そのツイートにはいくつかの批判が寄せられている。「なぜ100回目の象徴的なレースを売るような真似をするのか」「せめて101回まで待てなかったのか」……はては「守銭奴め!」まで。こうして可視化される反応は全体のごくごく一部であって全体に敷衍できるものではないと留保はつくものの、批判的(に見える――ひとこと「Why?」と書かれているツイートが意図するところは修辞疑問だと思われるがどうだろうか)ツイートが10に対して賛意を示す(といっても積極的にではなくモータースポーツの置かれている経済的状況を踏まえれば理解はできるという趣旨であった)ツイートがひとつしかなかったことからは、米国の人々の意識が垣間見えるようではある。インディ500はもちろんIMSが主催するIMSのレースだが、しかし同時に100回にわたって発展させてきた「われわれ」のものでもあって、断じて「だれか」のものではない。その名を金に換えて特定のだれかに与えるのは許される行為ではないのだと、勝手に忖度するとたとえばそういうことだったりするのだろう。

 さてそうした「精神の切り売り」がありつつも、幸いに史上初めて満員札止めになるなど大盛況で100回目を迎えたインディ500だが、テレビ中継で村田晴郎も言っていたとおり「100年目」ではない。1年1回の開催にもかかわらず回数と年数が一致しないのはもちろん戦争での中断があったからで、第1回から数えて100年目に当たるのは2011年である。5年前のインディ500を、近年稀に見る波乱に満ちたレースとして記憶している人も多いのではないか。チーム・ペンスキーのウィル・パワーが4戦中2勝を含む3度の表彰台と圧倒していた(それは春の風物詩となりつつあった)シーズン序盤から一転、この年はじめてのオーバルコースでポール・ポジションについたのがフル参戦1年目のサム・シュミット・モータースポーツを駆る37歳のアレックス・タグリアーニだったことからしてどことなく不穏な雰囲気は漂っていたわけだったが、特に最後の40周はだれに勝つ可能性が残っているのか見当もつかないほど激しく順位が入れ替わった。当時わたし自身が綴っていたところによれば、こうである。

力強かったロードコースとは打って変わってまるでいいところがなかったチーム・ペンスキーのライアン・ブリスコーと、予選の速さを決勝に持ち込めなかったサム・シュミット・モータースポーツのタウンゼント・ベルが交錯した結果のフルコース・コーションは、158周目というストラテジストに困難な決断を強いるタイミングで提示された。ダニカ・パトリックをはじめ数台がすぐさまピットへと入って燃料を満タンに積んだが、フューエルウィンドウ約35周のコースではよほどの幸運に恵まれないかぎり200周目まで走り切ることは困難に思えた。上位勢はステイアウトを選択し、チェッカーフラッグまでアンダーグリーンで戦われることを願った。そしてリーダーのダリオ・フランキッティとヒルデブランドは、少し我慢してコーションラップが終わる直前に給油を行って、トラックポジションを失う引き換えに最後まで走り切る権利を得た。
 ステイアウト組が178周目前後で次々にピットインし、最後のインディ500と噂されるパトリックが一度はトップに立つものの、189周目のピットインで万策尽きてチャンスを逸する。オーバル慣れしていないベルトラン・バゲットはスピードに賭けたが、さすがに空の燃料タンクのまま走ることはできなかった。労せずしてリーダーの座へと舞い戻りあとは走りきるだけとなったフランキッティの戦略に隙はないように見えたが、給油が完全ではなかったか、タイヤを交換しなかったことが影響したか、あるいはその複合なのか、1周ごとに5mphもラップの悪化するペースダウンを喫して、198周目、ついにヒルデブランドがトップに立つ。

 優勝候補が次々と脱落していくレースで、世界で唯一の特別な牛乳瓶を抱えて右往左往した牛乳配達人に伝えられた届け先は、最適な燃料戦略を探り当て、少々の幸運にも恵まれたジョン・ランドール――すなわち "J.R." ヒルデブランドに、どうやら決まったようだ。200周目の時点で2位との差は5秒以上に開いており、あとは最後のコントロールラインに向けてゆっくり帰ってくるだけだった。2年連続で2位に終わっていたパンサー・レーシングにも、ようやく歓喜の時が訪れようとしている。100年という区切りの年に新たなアメリカ人のヒーローが突如として現れ、次の100年への歴史を紡ぎはじめる、それは少しばかりできすぎていたかもしれないが、悪くない脚本であるようにも思えたのだった。

 あのときの嫌な予感――というのが大げさな後出しなら、事前に抱いたちょっとした違和感――を、わたしは5年経ったいまでも記憶の奥底から呼び戻して再生できる。モータースポーツを観戦したあらゆる経験の中であれほど予知的な直感が働いたことは後にも先にもない。レースの99.95%が過ぎて残るは0.3マイルほど、ヒルデブランドは最後のターン4へ進入しようとしていた。その様子をコーナーの中央辺りに設置されたテレビカメラが引き気味に捉えている。速度を上げられず苦しんでいたチャーリー・キンボールが近づいてきて、ヒルデブランドがゴールを待たず周回遅れにすべく悠然と走行ラインを車1台分外に向けたのが見えたとき、わたしの口から「あ」とも「お」ともつかない音声が漏れた。そのラインにはテレビ画面越しにも容易にわかるほどマーブルが真っ黒に積もっており、ヒルデブランドは車体の右半分をそこに載せた。そこにわたしは明白な危機を感じたのである。2台がホームストレートに向けて立ち上がっていき、カメラも追従する。次の瞬間だった。はたしてヒルデブランドの車はフロントタイヤの舵角にはっきりと逆らって直進し、セイファー・ウォールへと吸い込まれていく。車体の右半分は完全に潰れ、それでも残った慣性力を頼りに息も絶え絶えフィニッシュラインへと向かったが、その脇をカーナンバー98、ブライアン・ハータ・オートスポート・ウィズ・カーブ/アガジェニアンのダン・ウェルドンが軽やかに駆け抜けていった。たった一本しかない牛乳瓶の届く先は、最後の最後に、輝かしい未来の待つ若者ではなくレギュラーシートを失って不遇な時期を過ごす元チャンピオンという少し感傷を覚える相手へと変わったのだった。

 このインディ500は結果としてウェルドンが挙げた最後の勝利となった。あらゆる可能性が閉ざされた、文字どおりの最後である。2011年の彼にまつわる記憶は、どこまでいってもインディ500の奇跡と対をなす悲劇と組み合わさるしかない。最終戦となった――正確に書こう、あんなことが起こらなければ最終戦になるはずだった――10月、高速オーバルのラスベガスで、最後尾スタートから優勝した場合に多額の賞金を得られる「500万ドルチャレンジ」に挑んだウェルドンは、すぐ目の前で発生した多重事故を回避することができなかった。最初は2台の簡単な接触に過ぎなかったはずのその事故は後続を次々と巻き込み、群れに乗り上げて宙を舞ったウェルドンの車は観客席とコースを隔てるキャッチフェンスの固い支柱にコクピットの開口部から激突した。レースはすぐさま赤旗で中断され、そしてウェルドンが帰ってくることはなかった。

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 人間はきっと、本来関係のない出来事どうしに特別な繋がりを見出し、物語として再構成する誘惑にいつも駆られている。たとえば100年目のインディ500と100回目のインディ500、などという書き方をすれば、両者があたかも運命的な繋がりで引き寄せられているように思えてきはしまいか。ふたつの間に偶然発した共通点を見つけ、どこまでも錯覚にすぎないにもかかわらず、それがさもそうなるべきだった必然のように語れてしまう。たとえ歴史に対する冒瀆に近い行為であったとしても、事実をただ記録するにとどまらず、その繋がりに物語を感じ取る。われわれは特権的な捏造によって物語を作る動物である。

 このブログでは意識してそんなふうに物語を作ってきたし、今回そうするのもさほど難しいことではない。そう、100年目のインディ500と100回目のインディ500は「そっくりな」レースになった。予想されなかったポール・ポジションを獲得したジェームズ・ヒンチクリフが所属するのはシュミット・ピーターソン・モータースポーツ――5年前のサム・シュミット・モータースポーツである。序盤から中盤にかけてはリーダーが適度に入れ替わり、残り50周あたりから徐々に戦いが激しくなっていった。そしてまたしても、ゴールまで燃料が足りるのかどうか、頭を悩ませる絶妙なタイミングの163周目にフルコース・コーションが導入されたわけである。

 5年前と少しだけ違っていたのはコーションのタイミングが5周遅かったことで、この差のためにステイアウトを選択するドライバーはほとんどおらず、ほぼ全員が給油のためにピットへと向かった。だが通常時に満タンで可能な走行距離は5年前と変わらず35周程度で、コーション・ラップを多少含むといっても37周を走りきるのはほとんど不可能なように思われたし、実際そうだった。191周目におそらく33人の中でもっとも燃料を節約する技術に長けているはずのスコット・ディクソンが早々に見切りをつけて給油へ向かうと、翌周その同僚のトニー・カナーンが、194周目にはオリオール・セルビアと、コーションラップが終わる166周目まで給油を我慢していたシモン・パジェノーまでもがピットインした。195周目に先頭を争っていたジョセフ・ニューガーデンとポールシッターのヒンチクリフ、次の周にはこの段階で大きなリードを築いて初のインディ500優勝へ向かっていたカルロス・ムニョス。エリオ・カストロネベスが197周目、そして198周目にセバスチャン・ブルデー……。みながみな脱落していく中、唯一アレクサンダー・ロッシだけが、よたよたと頼りなげな足取りでゴールへと向かっていた。

 おそらく、このレースで必要だったのはいつものレースとは異なる種類の勇気だったのだろう。ロッシは最後まで走り切った。200周目は179.784mphまで速度を落とし、それでも全力で追いかけてくるムニョスにとって何もかも手遅れだった。そこに幸運はあったのだろうか? 違う。ロッシは特別な作戦に賭けたわけではない。他のドライバーとおなじように163周目に給油を行い、他のドライバーとおなじように燃料の節約と順位争いを両立させて、ただ他のドライバーと違いゴールまで届くと信じただけだ。オーバルでの燃費走行で稼げる燃料などたかが知れているのだから、ロッシにできたことが他のドライバーにできなかったわけはない(というほどことは簡単ではなくて、ロッシにはチームメイトが引っ張ってくれる助けもあったわけだが)。きっとどの車も、信じて走ればゴールまで辿り着いたはずだったのだ。だが実際に信じきる勇気を持てたのはロッシしかいなかった。その勇気が彼に最初のチェッカー・フラッグを与えたのである。機会に恵まれずF1を去らざるをえなかった新人が手にしたインディカーの、もちろんインディ500の、感動的な初優勝だった。

 100年目と100回目。ふたつのインディ500はそっくりなレースだった。ポールシッターはおなじチームのドライバーで、最後の40周は燃料とスピードを天秤にかける緊張感溢れる展開が繰り広げられている。そして我慢を実らせた新人が先頭でゴールへと向かい……結末だけは異なっているが、それにはきっと理由があるのだと言ってみようか。ロッシがつけていたカーナンバーは98であり、そのチームはアンドレッティ・ハータ・オートスポート・ウィズ・カーブ/アガジェニアンである。言うまでもなく、100年目で奇跡的な逆転を遂げたウェルドンとおなじ番号、チームだった。

 もちろん、こんなことはたんなる偶然である。おなじチームであればカーナンバーが引き継がれるのは自然な成り行きだし、チーム自体も現状はアンドレッティ・オートスポートと提携していて単純に「おなじチーム」と扱っていいものではない。亡きウェルドンの魂がロッシの車を最後に押した、などと言ってみてもいいかもしれないが、そう思う信念は美しくとも、当然ながら物理的にはありえないことだ。だがまた、ひとつたしかなこととして、こんな展開でロッシが優勝する結末にならなければ、わたしはきっとウェルドンをいまこのときに思い出しはしなかった。彼の事故死が衝撃的な悲しい出来事だったことは間違いないが、冷静な現実として、それもひとつの思い出となって徐々に記憶から薄れていく自然の理がある。そんな忘れかけていたウェルドンが、偶然でしかない歴史の一致によって引き戻された。わたし自身が100にまつわるレースから物語を見出し、引き戻したのだ。100年目のインディ500と100回目のインディ500は、5年分の隔たりを解消するかのようにもつれ、ひとつに混じりあっていったように見える。そこにダン・ウェルドンがいたとしたなら、なんて感傷的で、なんて幸せだったのだろう。