黄色い旗が正しさと愚かさをわかつとき

Photo by: Joe Skibinski

【2018.4.15】
インディカー・シリーズ第3戦 ロングビーチGP

こんな話から始めてみよう。2016年の7月17日、トロントで行われたインディカー・シリーズ第12戦で、チップ・ガナッシ・レーシングのスコット・ディクソンと、チーム・ペンスキーのシモン・パジェノーが緊張感の漂う優勝争いを演じていたのである。ペンスキーに移籍して2年目のパジェノーが開幕5戦で3勝と2度の2位を記録して主導権を握り、つねに100点前後の大差を維持する構図で進行しているシーズンだった。前年の苦境を乗り越えてはじめてのシリーズ・チャンピオンに向けて邁進するフランス人を追っていたのが直近2年の王者である同僚のウィル・パワーとディクソンで、ともに春までは苦しい戦いを強いられながら、インディアナポリス500マイル以降に調子を上げ、少しずつではあるが点差を詰めて縋りついていた、そんな時期でもある。特にペンスキーの宿敵たるディクソンは、前年と、また2013年にも夏場に大きく得点を伸ばして大逆転の戴冠劇を演じた戦いぶりが記憶に新しく、ひたひたとポイントリーダーに迫ってくる姿が過去の再演を予感させもした。閉幕まで5戦となったこの段階での直接対決は、単体のレースの優勝争いとしてはもちろん、選手権の帰趨を左右しうるという観点からも、重要な意味を持っていたのだった。
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どこで勝者を見つけるか、観客としてレースを捉えるということ

Photo by: Joe Skibinski

【2018.4.8】
インディカー・シリーズ第2戦 フェニックスGP

 レースの勝者を決するのが、最終周の完了すなわちチェッカー・フラッグが振られるときであるのは言うまでもない。あるいはそれは、スタートの時点では無数にあった、すべてのドライバーが勝ちうる可能性の糸がひとつずつ途切れていった末に、一本だけ残った先端である。最初にグリーン・フラッグが振られ、多くのドライバーにとっては、と同時にほとんどすべての糸が切れてしまう――勝利の見込みが潰える。やがて周回が重ねられるにつれ、残っていただれかの糸が1本途切れ、まただれかの糸も1本途切れ、2本途切れ、最終的にたったひとつの可能性に現実の展開が追いついてチェッカーへと収束していく。並行するあらゆる事象への分岐を断ち切った果てに結末へと到達する営み、たとえばレースをそんなふうに表現してみてもいいだろう。競技者は自分の速さによって他者の可能性を途切れさせ、自らの可能性を維持しながらフィニッシュへと進むのだと。
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エリオ・カストロネベスのいない春、まとまりのない恋文

Photo by: Chris Jones

【2018.3.11】
インディカー・シリーズ開幕戦 セント・ピーターズバーグGP

まだ20歳前後の感情的な若者だったわたしにとって、だからエリオ・カストロネベスはグレッグ・ムーアの永遠に戻ることのない代理にすぎなかったのである。ムーアはわたしが最初に知ったレーシングドライバーだった、というといささか嘘くさく響くだろうか。むろん、その名はわたし自身がはじめて目にしたドライバーのものではない。多くの日本人同様にわたしもレースを知った入り口はF1だったから、フジテレビで覚えた名前はたくさんあったし、また雑誌などを読んでその走りを想像する者もいた。たまたま家のケーブルテレビでCARTを見始めたときも、ムーアはまだデビューしていなかったと思う。その意味でムーア以前に目の前を走ったドライバーは何人もいたのだが、乱暴な言い方をするなら、それらはわたしにとってみながみな既製品だった。日本が熱狂的なF1ブームに浮かれていたころ、アイルトン・セナやアラン・プロストはとっくに別のだれかの英雄になっており、あるいは米国に目を移してみたところで、マイケル・アンドレッティやアル・アンサーJr.は応援したいドライバーではあってもすでに確立された存在だった。彼らの物語は自分以外の場所で消費され、心の中に収めることはできなかった。それがわたしには物足りなかったのだ。
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その1周を見れば、ドライバーのすべては象徴されている

【2017.9.17】
インディカー・シリーズ第17戦(最終戦) グランプリ・オブ・ソノマ

 
 前回の記事に書いたとおり、最終戦を前にしてもわたしはインディカー・シリーズの選手権がどのような結果に終わるかどうかは瑣末な問題だと思っている。ただ、ある種の身勝手な理想主義をもって、仮に正しい結末と呼べるものがあるとするならジョセフ・ニューガーデンの戴冠以外にはありえないと信じていたのもたしかだった。シリーズ・チャンピオンという概念がその年の様相を正確に表す手段なのだとしたら、他にどんな結果が許されるだろう。だれにも真似できない妖艶さと果敢さを併せ持つパッシング、息を凝らして見つめるしかないほど鋭利なスパート、そして幾許かの幸運によって、ニューガーデンはことあるごとに観客の視線を奪っていった。シーズン4勝はだれよりも多く、そのうえいつも決然たる意志を明確に感じさせる純粋なものだった。ニューガーデンが優勝するとき、それは――トロントは除いて、という註釈はつけてもいいかもしれないが――ニューガーデンが優勝すべきレースに紛うかたなき正当な結果をもたらしたことを意味していた。以前からニューガーデンとシモン・パジェノーを贔屓のドライバーとしていると述べているわたしの文字どおりの贔屓目はあるにしても、2017年のインディカーでもっとも自らの才能を表現したのが、このシリーズにおいてはきわめて若い部類に入る26歳のアメリカ人であることはまちがいなかった。これも書いたことだが、積み重ねられた選手権の得点がスコット・ディクソンとわずか3点差で最終戦を迎える状況が、すでに狐につままれたような事態でさえあったのである。
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システムは運動の奴隷でなくてはならない

【2017.9.3】
インディカー・シリーズ第16戦 インディカーGP・アット・ザ・グレン(ワトキンス・グレン)

 
 そう言われれば、と納得してくれる人もいるかもしれないが、2017年も2戦を残すのみになったここまで、わたしはインディカー・シリーズの選手権の行く末についてほとんど触れてきていないはずである。強いて言えばエリオ・カストロネベスがテキサスで3年半ぶりの優勝を果たした際に、偉大な経歴にあとひとつ加えられるべきはシリーズ・チャンピオンのみであると取り上げはしたものの、ただしもちろんそれは3度にわたってインディアナポリス500マイルを制したカストロネベスというドライバー自身に対する文脈の中に置いたものであり、2017年のシーズンに対して具体的に言及したのではなかった。それ以降勢力図が少しずつ変化し、ポイントリーダーの座が恒例のスコット・ディクソンから若いジョセフ・ニューガーデンへと移ろっても、そのこと自体を主眼に置いた記事はまったく書いていない。書く気も起きなかった、といったほうがより正直な心境を表しているかもしれない。ようするに、わたしは選手権というものにさほど興味を持っていないのだ。
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優れたドライバーの精神がレースに熱量を与える

【2017.8.26】
インディカー・シリーズ第15戦 ボンマリート・オートモーティヴ・グループ500(ゲートウェイ・モータースポーツ・パーク)

 
 ゲートウェイ・モータースポーツ・パークでインディカーが開催されるのは14年ぶり、まだインディカー・シリーズではなくインディ・レーシング・リーグ=IRLだった時代の2003年以来だというから、さすがにここで語れるほどの詳細な記憶は残っていない。「前回」のポールシッターかつ優勝者が当時から今まで一貫してチーム・ペンスキーで走り続けているエリオ・カストロネベスで、2位もいまだ第一線で戦うトニー・カナーンであることにあらためてその偉大さを噛み締めはするものの、その事実が長い空白の時を経て何らかの意味をもたらすことはないだろう。現代では追い抜きが難しいとされるショートオーバルで、まして路面が一新され、どのチームもまともなデータなど持たない中でのナイトレースは、競技者にとっても観客にとっても困難をもたらすと予想された。だれがいつ足を掬われるか想像もつかず、生き残った者どうしでフルコース・コーションのタイミングにすべてを委ねる大荒れの展開か、そうでなければ全員の針が慎重に振り切れてしまう退屈が待ち受けているのか、どちらかだろうか。いずれにせよ、わかりやすい正当性の現れるレースになるかと言われれば、首を縦に振るのは難しいことのように思えた。
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ウィル・パワーはきっと、インディ500の勝者となる

【2017.8.20】
インディカー・シリーズ第14戦 ABCサプライ500

ついこの間のように思い出せるのに、気づけばもう4年も経っているようだ。2013年のインディカー・シリーズ最終戦、フォンタナはオートクラブ・スピードウェイで開催された「MAVTV 500」では、スコット・ディクソンとエリオ・カストロネベスが熾烈なチャンピオン争いを繰り広げていた。シーズン序盤から選手権の首位を守っていたカストロネベスと、夏に入って3連勝を挙げて一気に逆転したディクソンのリスクを厭わない勝負は最後の舞台にふさわしい熱量を放出し、観客の目は釘付けになったものだ。レースが終わると、テレビカメラを引き連れたレポーターはまずチャンピオンのもとへ駆けつけた。それは一年を総括する戦いの勝者に対する当然の対応に違いなかったが、3度目の戴冠らしく控えめに喜んでいたディクソンの、このレース自体の結果は5位にすぎなかった。もしこれがシーズンの最終戦という特別な大会でなければ、まっさきに注目されるべきドライバーは他にいたのである。ポール・ポジションからスタートを切り、全250周中だれよりも多い103周の先頭を記録し、最初にチェッカー・フラッグを受ける。すでに選手権には手遅れだとはいえ、1レースで得られる上限の54点を獲得するこれ以上ない圧勝。ディクソンの次にマイクを向けられたウィル・パワーは静かな満足感を窺わせる穏やかな表情で最高のレースを振り返っていた。
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たった一度のコーナリングに、3年の歳月が宿ることもある

【2017.7.30】
インディカー・シリーズ第13戦 ミッドオハイオ・インディ200

 この結果を迎えるのは最初から予想できていた、などというと事が済んだ後からいかにも賢しらな理屈をくっつけて得意気になっているふうに思われそうではあるものの、4月に行われたアラバマGPでジョセフ・ニューガーデンがチーム・ペンスキーに移籍後はじめての優勝を果たした直後、実際にわたしは、7月末のミッドオハイオもまた彼のものとなる――優勝と断言できたらよかったのだが、元来の臆病を伴った慎重さゆえ複勝にしかベットできず、「少なくともすばらしい走りをする」に留めてしまったのが惜しまれる――と自分のTwitterで発言していたのだった。インディカー・シリーズにデビューしてまだ5年と少しの才能がトップチームの重圧に負けない存在であることを証明してから4ヵ月、この間わたしが自分の予感を疑う機会は一度たりとも訪れなかった。前戦のトロントでは優勝した当人ではなく不運の前に敗れたエリオ・カストロネベスに注目しながらも、その記事を紹介するツイートで「ミッドオハイオはニューガーデンが勝つ」と今度ははっきり優勝を口にした。それほどまでにわたしは、ここを走るニューガーデンに盲信にも近い期待を抱き続けているのである。
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不公平なほどの公平、あとの者は先になり、先の者はあとになる

【2017.7.16】
インディカー・シリーズ第12戦 インディ・トロント

天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くようなものである。
彼は労働者たちと、一日一デナリの約束をして、彼らをぶどう園に送った。
それから九時ごろに出て行って、他の人々が市場で何もせずに立っているのを見た。
そして、その人たちに言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当な賃銀を払うから』。
そこで、彼らは出かけて行った。主人はまた、十二時ごろと三時ごろとに出て行って、同じようにした。
五時ごろまた出て行くと、まだ立っている人々を見たので、彼らに言った、『なぜ、何もしないで、一日中ここに立っていたのか』。
彼らが『だれもわたしたちを雇ってくれませんから』と答えたので、その人々に言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい』。
さて、夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言った、『労働者たちを呼びなさい。そして最後にきた人々からはじめて順々に最初にきた人々にわたるように、賃銀を払ってやりなさい』。
そこで、五時ごろに雇われた人々がきて、それぞれ一デナリずつもらった。
ところが、最初の人々がきて、もっと多くもらえるだろうと思っていたのに、彼らも一デナリずつもらっただけであった。
もらったとき、家の主人にむかって不平をもらして
言った、『この最後の者たちは一時間しか働かなかったのに、あなたは一日じゅう、労苦と暑さを辛抱したわたしたちと同じ扱いをなさいました』。
そこで彼はそのひとりに答えて言った、『友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。
自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。
自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』。
このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」。(『マタイによる福音書』章20より)
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一瞬の情動がすべてを制する推進力となる

【2017.7.9】
インディカー・シリーズ第11戦 アイオワ・コーン300

 
 
 レース開始から間もないうちにポールシッターのウィル・パワーを交わし序盤の大半をリードしていたエリオ・カストロネベスが97周目に失速して、初優勝を狙うJ.R.ヒルデブランドに抵抗もできないまま抜かれ、パワーに対しても再度の先行を許したとき、わたしは何度目になるかわからない落胆が心の内に広がっていくのを留めることができずにいた。チーム・ペンスキーに移って18年目、もう42歳になる大ベテランについては折よく前回の記事で取り上げたばかりだ。通算29勝、インディアナポリス500マイルを3度も制したブラジルの英雄は、もう3年以上も優勝から遠ざかっている。その間11度もポールポジションを獲得し、決勝で支配的にラップリードを重ねる時間帯もしばしばあって、勝てる機会はいくらでも巡っていたはずなのに、そのすべてで表彰台の頂点には登りそこねた。つぶさに見ていると、短い時間で繰り出せる最大の速さが衰えていないことは間違いないが、最終スティントや最後のピットストップ直前など、勝利のためにもっとも重要な局面ではいつの間にか集団のドライバーのひとりになっていて、周囲との違いに目を瞠る姿が現れてこないのだ。そこで決定的な差が生み出せないからこそ、上位でのゴールが多いのにもかかわらず一番上にだけは届かない。チームメイトが優勝を重ねながら彼だけが疎外されているのはたぶんそんな理由なのだろうと、ずっと考えていた。だからこそ、難しいショートオーバルコースのアイオワで一瞬にしてスピードを失い先頭を明け渡した様子は、彼の典型的な場面に思えてならなかったのである。こうしてひとたび順位を譲ってしまえば、ずるずると後退しないまでも途端にサーキットの風景と化して馴染んでしまうのが、この3年間のほとんどで「驚きのない速さ」しか持ち得なかったカストロネベスだった。3位か4位、ひとつ間違えると6位、うまくいって2位……あのときわたしが想像したのは何度となく見てきたそういう結末である。”At the end of the day, second place is not bad.” 終わってみれば2位だって悪くはない、2015年のロングビーチで数少ない完璧なレースを展開しながら不運にも敗れてしまったときはこう口にしたものだったが、アイオワのレース後にもまた、哀愁と諦念が綯い交ぜになった笑顔で同様の言葉が溢れてもおかしくはなかった。勝てたはずのレースだった。「でも」というわけだ。
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